2014年12月24日水曜日

中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆 に対する公開書簡

 中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆へ

  主文

 長谷義隆に対し、放送芸能部からの異動希望を人事当局に出されるよう、私は勧告する。また長谷義隆に対し、この異動が発令される際に文化部への異動がなされないように、異動希望を人事当局に出されることを私は勧告する。

  理由

 中日新聞社2014年12月22日(月曜日)夕刊にて、長谷義隆は名古屋フィルハーモニー交響楽団に対する侮辱的・嘲笑的・挑戦的発言を「回顧2014」に投稿した。

 名古屋フィルハーモニー交響楽団(以下「名フィル」という)は、Thierry Fischer・Martyn Brabbins、両常任指揮者の尽力により、現代曲を果敢に取り上げてきた。いわゆる「名曲」よりも技術的な困難さの度合いを深めた現代曲に対し、名フィル奏者は自身の持つ技量を高めてこれに臨み、観客に感銘を与えるまでの演奏を為し、喝采を浴びてきた。

 名フィルは、先進的意欲的なプログラムを消化し、名古屋の観客を啓蒙した。第415回定期演奏会にて取り上げた、Witold Lutosławski作曲の「管弦楽のための協奏曲」、第417回定期演奏会にて取り上げたKalevi Aho作曲の「トロンボーン協奏曲」の二例を上げれば十分であろう。特にKalevi Ahoの作品は日本初演であり、彼の当該曲を日本のどこよりも早くこの名古屋で演奏し、作曲家Kalevi Ahoの真価を日本に知らしめた。

 そのような名フィルの営みを、「さて、リーダー格の名古屋フィルハーモニー交響楽団は今年始めた豊田定期公演や小林研一郎指揮のマーラー交響曲第二番「復活」などでは喝采を浴びたが、肝心の定期演奏会は聴衆ニーズから離れた選曲が多く定期会員の漸減に歯止めがかかっていない。切り口の斬新さより、名曲を感動的に演奏する原点に立ち返る必要がありそうだ。」と評するのは、名フィルによるこれまでの先進的意欲的な努力を嘲笑する卑劣漢の行為である。

 長谷義隆は、名古屋の文芸を破壊したいのか!大阪市長の橋下徹が文楽を敵視するのと同じように、先進的意欲的な方向性を攻撃し、名古屋の文芸に反動的な影響を与え、もって名古屋の文芸に打撃を与えたいのか!

 先進的意欲的な方向性で挑戦しているのであれば、これを説明し、解説し、案内することにより読者を啓蒙し、もって名古屋の聴衆の前衛となって導き、奏者・評者・読者が三位一体となって前に向かって歩み続ける、その助けとなるのが、中日新聞社文化担当記者の責務である。長谷義隆は、その責務を放棄しただけではない。読者に反動的影響力を与え、反啓蒙の作用を齎し、名古屋の文芸に対する有害な破壊行為を為した。長谷義隆は、名古屋の文芸に対するテロリストである。

 ついでに言及するが、「名古屋で定期演奏するNHK交響楽団、京都市交響楽団などの外来オーケストラと聴き比べると、名古屋勢の物足りなさは浮き彫りになる。合奏力は上がっているものの、総じて奏者個々の個人技が見劣りする。」とは、単なる事実誤認であるだろう。あれほどまでの水準で現代曲の演奏を見せつけられて、そのような評しか出せないのは、長谷義隆が何も聴いていない事を露呈したに過ぎない。NHK交響楽団や京都市交響楽団と比較する事に意味があるとは思えないし、百歩譲ってその評の通りであれば、名古屋市や愛知県、トヨタ自動車に補助金を出させて、金の力で実力のある奏者をごっそり雇い、引き抜けばいい。長谷義隆の評の矛先が間違っているのだ。名フィルが限られた予算の中で、これ程までの水準で演奏が実現されている事をまずは評価すべきで、この行為を為さない長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者として怠慢の謗りを免れない。

 長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者としての適格性に著しく欠け、その任に堪え得ない。よって長谷義隆に対し中日新聞社放送芸能部・文化部からの転身を、私は勧告する。

  付記

 この書簡は公開書簡である。ウェブサイト@OOKI_Akira twitter Archive(http://ookiakira.blogspot.jp/)上に2014年12月24日の日付にて掲載している。また、長谷義隆から返信があった場合には、特に意志が明示されない限り、@OOKI_Akira twitter Archiveに掲載する。

 長谷義隆に対し、敬称を付す意志はない。卑劣漢であり、名古屋の文芸に対するテロリストである長谷義隆に、いかなる敬意を持てないからである。なお、当然の事ながら私は、長谷義隆より同様の取り扱いをされることを受け入れる。

                   松本にて 2014年12月24日
                    (署 名)

2014年12月21日日曜日

国立劇場 通し狂言「伊賀越道中双六」 評


今日は国立劇場で25年ぶりに歌舞伎を見る。国立劇場も25年ぶり、高等学校時代に何かの校外学習っぽいもので行って以来だ。高等学校時代に何を観たのかはさっぱり思い出せない。楽しめたのかつまらなかったのかさえ、良く分からない状態だ。

文楽は「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」を見てきたが、歌舞伎については何も見ていなかった。新国立劇場「シンデレラ」公演は寺田亜沙子さん主演の日であったが、なぜかチケットを確保しておらず、あわてて確保しようとしたら、私にとっての理想的な席が埋まってしまったのだ。

そうこうしているうちに、NBSと紛らわしい独立行政法人日本芸術文化振興会から、誘惑メールが来た。「伊賀越道中双六」を通しでやる。44年ぶりに三州岡崎をやる。東京駅100周年記念Suicaには関心がなかったものの、限定物に弱いあきらにゃん、舞台がこなれ千秋楽が近づく21日に行くことを決め、チケット取得を決意、見事に、わずかに前方・ど真ん中の最高の席を入手した!

通しとは言え休憩を除けば、総上演時間は三時間程なので、気軽に見ることができる。

冒頭では、やはり私は文楽向きではないかとも懸念したが、股五郎役中村錦之助の見事な悪役により目が覚める。和田行家暗殺大成功♪この時の私、顔を見られていたらニタニタ、気味の悪い笑みを浮かべていたに相違ない。

第三幕「藤川新関」の場面は、お袖(中村米吉)が本当に艶やかで目を奪われる。本当に女性よりも女性らしく、歌舞伎の女形とはこういうことかと認識させられる。美女だし所作が本当に女性そのものだ。

助平役の中村又五郎も、その間抜けな役柄を見事に演じる。

この第三幕、和田志津馬(尾上菊之助)が旅券(通行手形)は奪取するわ、他人名義の旅券での国境(関所)を通過するわ、密出境したらブービートラップが鳴って国境警察官が到着するわ、国境警察官を気絶させて強行突破大成功するわ、という内容の、とんでもない犯罪アクションである。一方、間抜けな助平は旅券を奪われ、密出境に失敗して、国境警察官に逮捕される♪歌舞伎、面白過ぎです♪♪法務省入国管理局から抗議が来てもおかしくない内容でありますね(むふふ)♪♪

第四幕の「岡崎」の場面は、派手さはなく難しい場面ではあるが、まあまあの内容か。

大詰の仇討ちの場面は圧巻、最後のとどめを刺す場面では涙腺がちょっと潤む(←ここで潤むのかよ!)

主役の中村吉右衛門はもちろん、中村歌六、中村又五郎、尾上菊之助、中村米吉、悪役の中村錦之助が素晴らしく、私の四半世紀ぶりの歌舞伎公演は成功裏に終わったのでありました。。


(国立劇場での鑑賞事情について↓)

国立文楽劇場は舞台上方に字幕が出ますが、国立劇場にはそのような設備はありません。しかし、高等学校時代に古典が全くダメダメ状態であった私でも大丈夫でしたので、誰でも楽しめると思います。

あらすじは、チラシの裏レベルで大丈夫です。セリフも、私でさえ七割は内容が分かりましたから、筋を追うに当たっては支障ありません。

間違ってもイヤホンガイドなんて使わないでくださいね。単なる鑑賞の邪魔だから。イヤホンガイドやるくらいだったら、字幕を付けるべきだと思うけど、どうしてしないのだろう。

バルセロナにあるリセウ大劇場にあるような、座席背面の字幕で英語を表示させる必要もあるように思います。歌舞伎座や明治座とは違い、ちゃんとした通しをやるのですから、日本語が分からない外国人も含めて誰もが楽しめる環境になるといいのかなと、思っています。

2014年12月20日土曜日

新国立劇場バレエ団「シンデレラ」 評(仮)

2014年12月20日、新国立劇場バレエ団の「シンデレラ」、昼夜二公演観てきました。正式な形での長文評は書く時間がない状態なので、twitter投稿に若干変更した内容ですが、略式で投稿します。

12/20昼「シンデレラ」NNTT。第一幕終了。四季の精で好みの出来だったのは、細田千晶さんの冬の精。井倉さんがシンデレラで引退したかった理由は、第一幕終盤からも良く分かる。では、第二幕に。

第二幕最後の、シンデレラの衣装の早替えは、どうやっているのか?にしても、アシュトンは天才だわ。あれ以上の振り付けは不可能だろう。諧謔の要素と華麗の要素の組み合わせが絶妙で、構成力に富んでいる。終戦直後の1940年代の振り付けとはとても思えない現代性も併せ持っているし。

12/20昼NNTT「シンデレラ」は終了。今日の小野絢子さんは完璧な出来かな。体調がいいのか、回転を要する演技もキチッと決めていた。

福岡雄大くんは、ガチムチ王子で優美さの欠片も感じられなかった「眠れる森の美女」の時よりずっと素晴らしい。奥田花純ちゃんが少し体調悪い気味に見えたのは気のせいか?八幡さんの道化は期待通り。義理の姉たちは本当に楽しい♪では、米沢唯ちゃんの夜公演に・・・・。。

12/20夜「シンデレラ」NNTT、第一幕終了。米沢唯ちゃん、ドヤ顔やっているし♪かわいいにゃあ♪♪四季の精、秋の精の五月女遥さんが良かったように思えたのは、私の独断か。

12/20新国立劇場バレエ団「シンデレラ」マチソワ終了。絢子さん→唯ちゃんだけでなく、ファースト・セカンドとキャストが変わってもそれぞれが個性を出していて、総じて差がなく高いレベルで演じられた。私にとって、物足りない思いはまるでなかった。幸せなマチソワ体験♪

12/20新国立劇場バレエ団「シンデレラ」マチソワ終了。どちらかと言うと、ソワレの方がやんちゃで面白かったかな。観客のノリもソワレの方があったか?非公然バラバラ組織「唯ちゃん親衛隊」の仕業かもしれないが♪

米沢唯ちゃんシンデレラは、灰被りの方がずっとかわいいのだよな。お姫様メイクしない方がずっといい♪絢子さんよりもやんちゃなところも好きだし。様式美を極めた「眠り」とは正反対の方向性ですが、どっち方面でもいいです♪それにしても、あのスカーフ肩に巻いたドヤ顔には笑ってしまった♪

2014年12月7日日曜日

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン 横浜公演 演奏会 評 Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen, Yokohama performance, review

2014年12月7日 日曜日/ Sunday 7th December 2014
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
Yokohama Minato Mirai Hall (Yokohama, Japan)

曲目:
Ludwig van Beethoven: ‘Die Geschöpfe des Prometheus’ ouverture op.43 (「プロメテウスの創造物」序曲)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Karol Beffa: Concerto per violino e orchestra(world premier/世界初演/国際音楽祭NIPPON委嘱作品)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.1 op.21

ヴァイオリン:諏訪内晶子 (Suwanai Akiko)
管弦楽:ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン(Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)
指揮:パーヴォ=ヤルヴィ (Paavo Järvi)

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンは、2014年12月1日から14日までアジアツアーを行い、大邱・ソウル・北九州・横浜・名古屋・東京にて計10公演の演奏会を開催する。全ての公演の指揮者はパーヴォ=ヤルヴィである。諏訪内晶子との共演は、12月6日から8日までの、北九州・横浜・名古屋公演の3公演となる。

この12月7日の演奏会は、諏訪内晶子が芸術監督を務める「第3回国際音楽祭NIPPON」の一環としての演奏会でもある。フランスの作曲家、カロフ=ベッファのヴァイオリン協奏曲については、国際音楽祭NIPPONによる委嘱作品であり、世界初演となる。この協奏曲は、横浜公演のみの演奏となる。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。ティンパニはバロック-ティンパニではなく、モダン-ティンパニ、Beethovenの1番でもバロック-ティンパニは登場しなかった。昨年11月の三井住友海上しらかわホールでのスタイルとは違い、その点は残念である。着席場所は、ヴァイオリン協奏曲の演奏を考慮し前方シフトを掛け、やや前方中央である。客の入りは当日券が70枚出たとの話であるので、ほぼ満席か。観客の鑑賞態度は極めて良好であった。

第一曲目の「プロメテウスの創造物」序曲は、みなとみらいホールに馴染んでいない響きで、演奏は平凡である。

第二曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、予想通りの展開でサプライズはない。技術的には高水準の演奏であるが、何か大切な物が足りない。まず響きがみなとみらいホールに馴染んでいない。どこかスイートスポットを外れたかのような響きであり、やや前方の席を確保したのにも関わらず、あまり音圧が感じられない。それとニュアンスが掛らず、平板なヴァイオリンの演奏である。庄司紗矢香のようなニュアンスを伴った構成力はなく、アリーナ=イブラギモヴァのような激しさもなく、とにもかくにも面白くない。昨日聴いたばかりのDresdner Kapellsolistenのコンサート-ミストレスSusanne Brannyのようなささやかなニュアンスすら掛からない。これでは、ドイツの地方歌劇場のコンサート-ミストレスですら及ばない。ニュアンスを掛けた構成力がないのか、ニュアンスを掛ける事自体が嫌いなのか、詳細な事情は不明であるが、いずれにしても諏訪内晶子の古典物は、ほぼ全滅であろう。諏訪内晶子はドイツではとても通用しない。

諏訪内晶子の出来は、曲想に左右される、というか、左右され過ぎである。演奏者のニュアンスに依存しない、作曲の段階で楽譜通りにそのまま演奏しても面白い構成の曲でなければ、諏訪内晶子の音楽は成立しないのだ。

休憩後はベッファのヴァイオリン協奏曲、これは諏訪内晶子の高度なテクニックと集中力とが見事に噛み合った素晴らしい出来となった。前半とは違い、諏訪内晶子もドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの管弦楽も、みなとみらいの響きを見事に捉えた素晴らしい響きとなる。第二楽章前半部の、下手に演奏すると退屈になりがちな部分に於いても緊迫感が途切れない演奏で説得力を持つ。カンマーフィルハーモニーの管弦楽は全員のパッションが凄まじく、一人ひとりが諏訪内晶子と同格に対決する形だ。特に打楽器は見事にアクセントを決めてくる。

ベッファのヴァイオリン協奏曲により、諏訪内晶子は活かされた。諏訪内晶子はコンテンポラリーに強い。どうして北九州でも名古屋でもベッファでなくメンデルスゾーンを演奏したのか、理解に苦しむ。北九州でも名古屋でもプログラムは保守反動的だ。国際音楽祭NIPPONの趣旨の中で、イントロダクション-エデュケーションの項目の中に「“現代作曲家への委嘱”・・・同時代で同じ音楽家として活躍する諏訪内晶子が、旬の作曲家に音楽祭委嘱作品を依頼し、その魅力を紹介していきます」とある。どうして横浜だけなのか。どうして名古屋ではやらないのか。どうして北九州ではやらないのか。諏訪内晶子芸術監督は、地方の聴衆を「現代音楽など理解できない」と馬鹿にしているとしか思えない。少なくとも名古屋の観客は決して保守的ではなく、むしろその逆であり、名古屋フィルハーモニー交響楽団の先駆的プログラムにより、日本のどこの都市よりも、現代音楽を受け入れる力を聴衆は得ている。わざわざ苦手のメンデルスゾーンではなく、得意の現代音楽で攻められるのに、どうしてしなかったのかは、理解に苦しむ。そのような事を、山の奥地のど田舎である長野県松本市に住む私に言われて恥ずかしいとは思わないのか、と強く言いたい。

第四曲目のBeethovenの1番は、先述したようにバロック-ティンパニを用いたものではなかったが、大胆なニュアンスをうまく構築した演奏で、昨年11月の三井住友海上しらかわホールでの名演を思い起こすかのような演奏であった。

2014年12月6日土曜日

ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団 松本公演 評 Dresdner Kapellsolisten, Matsumoto performance, review

2014年12月6日 土曜日/ Saturday 6th December 2014
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Auditorium) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Divertimento n.1 K.136
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.2 op.19
(休憩)
Arcangelo Corelli: Concerto grosso ‘fatto per la notte di Natale’ op.6-8(クリスマス協奏曲)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia concertante per violino, viola e orchestra K.364

ヴァイオリン:Susanne Branny
ヴィオラ:Stephan Pätzold
ピアノ:横山幸雄 (Yokoyama Yukio)
管弦楽:ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団(Dresdner Kapellsolisten)
指揮:Helmut Branny

ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団は、2014年11月29日から12月7日まで日本ツアーを行い、東京(非公開を含め3公演)・大阪狭山(大阪府)・岡山・福山(広島県)・松本・大阪にて計8公演の演奏会を開催する。全ての公演の指揮者はヘルムート=ブラニーである。松本公演以外の共演者は全て森麻季(ソプラノ)であるが、松本公演のみ横山幸雄のピアノとなった理由は不明である。ピアニストだったら、小菅優さんとか児玉桃さんとか、日本人でもマトモなピアニスト沢山いるのに!

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側の位置につく。チェロ以外は全て着席せずに演奏する。着席場所は、後方上手側である。客の入りは6割程である。観客の鑑賞態度はビニールの音がした事はあったが、概ね良好であった。恐らく空調ノイズ(あるいは補聴器ノイズ?)が前半は許容範囲を超える音量であったが、後半は大幅に改善された(不満が全くない訳ではないが、受忍できる程度)。

一曲目のK.136は音取りを行うような印象である。今回の日本ツアーでは、唯一の中規模ホールかつ残響が豊かなホールであり、少し戸惑っている感じもなくもない。

二曲目はBeethovenのピアノ協奏曲第2番、ソリストの横山幸雄は鍵盤をガンガン叩きつける乱雑な演奏をするかと、ブーイングの可能性をも視野に入れて対応する程の戦闘態勢で聴き始めたが、予想よりはマトモである♪しかし淡白だ。淡白で本性が出てなかったのが良かったのか。カデンツァの音の多いところではムニャムニャ気味に聴こえるし、個性やパッションを出している訳でもない。個性やパッションが無いのが個性であるのだとするならば、まあ仕方がないことだ。残響が長いホールでもちゃんと弾く奏者は沢山いるので、残響の長さを言い訳にすることは出来ない。単なる技量の問題であるだろう。ソリスト-アンコールはベートーヴェンのピアノ-ソナタ第17番第二楽章であったが、強奏部では馬脚が出て、雑だと感じる。まあ、横山幸雄はお目当ての楽団に無理矢理セットされていただけで、管弦楽の奏者か指揮のブラニー氏に矯正されたのか、本性を出したら危険との本人の自覚があったためなのか、無難に演奏してあまり邪魔しなかっただけ良しとする。お義理の小さな拍手を送っておく。感激して大きな拍手をしている方もいるが、数多くの演奏を聴ける環境でもなく、致し方のないことだ。

休憩後の三曲目のコレルリは、チェンバロとのバランスを取りつつもよく響かせた演奏であるが、曲想もあり、ちょっと眠くなりがちにもなる。

最後の、モーツァルトの協奏交響曲K.364は絶品である。コンサート-ミストレスがヴァイオリンのソリストであるが、スザンヌ=ブラニーの演奏は見事だ。ホール中をたっぷり朗々と響かせ、技術的には完璧であるし、さりげないテンポ変動のニュアンスを違和感なくビシッと効かせる構成力もある。終始管弦楽をリードする力もある。いつでも一流のソリストとして独立出来るだけの実力が感じられる。ドイツ的美女の、凛とした強さと美しさを想像させるような演奏であり、今日の演奏会の一番の立役者だ。

ヴィオラのStephan Pätzoldは、第二楽章に於けるスザンヌ=ブラニーとの掛け合いが、ニュアンスに富んだ表現で素晴らしい。

その他、管弦楽も実力者ぞろいで、ホルンは安定した素晴らしい完成度を誇る。木管も随所でアクセントを決め、協奏交響曲を引き締めていく。松本市音楽文化ホールの残響感もキッチリ把握し、完璧な豊かな響きで観客を圧倒する。

アンコールは、日本では良くありがちな「ふるさと」であるが、木管が吠えまくりニュアンス出しまくりの名演である。これは歌うのはもったいない。木管の音色を楽しむ事とした。

さすがドイツ、ソリストを外部から呼ばなくても、地方歌劇場の管弦楽団がこれ程まで演奏会の場で高いレベルで勝負できるのだ。彼らを全員出国禁止にして、新国立劇場に一人年収1億円で強制契約させ、何なら一人2億円でもいいから日本に留まらせるべきだろう♪これだけの奏者が歌劇場専属で演奏しているドイツがただただ羨ましい。

2014年11月30日日曜日

エスパーニャ国立ダンスカンパニー 名古屋公演 評 Compañía Nacional de Danza de España, Nagoya perfomance, review

2014年11月30日 日曜日 / Sunday, 30th November 2014
愛知県芸術劇場(愛知県名古屋市)/ Aichi Prefectural Arts Theater (Nagoya, Japan)

演目:
'Sub': Itzik Galili (2009)
'Falling Angels': Jirí Kylián (1989) 「堕ちた天使」
(休憩)
'Herman Schmerman': William Forsythe (1992) 「ヘルマン=シュメルマン」
part of 'Les Enfants du Paradis': José Carlos Martínez (2008) 「天井桟敷の人々」より
(休憩)
'Minus 16': Ohad Naharin (1999) 「マイナス16」

ダンスカンパニー:エスパーニャ国立ダンスカンパニー (Compañía Nacional de Danza de España)

芸術監督:ホセ=カルロス=マルティネス (José Carlos Martínez)

エスパーニャ国立ダンスカンパニーは、2014年11月30日から12月6日まで日本ツアーを実施し、上記演目を、愛知県芸術劇場で1公演、神奈川芸術劇場(神奈川県横浜市)で2公演、計3公演上演する。

この評は、2014年11月30日、愛知県芸術劇場に於ける公演に対するものである。

着席位置は一階やや前方やや上手側。前方上手側から変調する電子音のノイズが常時あった(補聴器?)。観客の鑑賞態度については、「天井桟敷の人々」で私語があったものの、概ね良好、「Minus 16」に於ける公演参加態度は極めて良好であった。

私の好みは、キリアン振り付けの「堕ちた天使」と、フォーサイス振り付けの「ヘルマン=シュメルマン」である。物語系はちょっと苦手なので、「天井桟敷の人々」はコメントしない事とする。なお、「天井桟敷の人々」に出演する予定であったホセ=カルロス=マルティネス芸術監督は、肩の負傷のため出演せず、エステバン=ベルランガ(プリンシパル)が代役を務めた。

「堕ちた天使」に於けるキリアンは天才だ。8人の女性ダンサーは不思議に美しく見えるし、タイミングのズラし方が絶妙だし。照明技法もある意味単純だけど、効果は絶大だ。

女性ダンサーはコンテンポラリー系であるのか、クラシックダンサーと比べてがっしりしているのだけれど、がっしりしているだけに強く踊ると美しく見えるのか。細身の女性がタイプの私にとって(♪)、その辺りの作用は本当に不思議だ。ソロで回転技を見せてくれたのは誰だろう?回転技が入ると私のツボにハマるので、一番好みのタイプの演技となる。

一回目の休憩後は、フォーサイスの「ヘルマン=シュメルマン」が好きである。「堕ちた天使」とは対照的に、体が細いクラシック系の女性ダンサーに変わって、ウフフな気持ちになるし。いや、そんなウフフ要素は別としても、クラシックダンサーならではの精度が高く三人の女性ダンサーの統一感があり、背も高くて、手指の大きさを生かした、力強さを伴った美しさに、惹きつけられる。フォーサイスの振り付けの構成力も素晴らしい。11月9日に、Los Angeles Dance Projectによる、'Quintett'を見たばかりだけど、この「ヘルマン=シュメルマン」も見事な作品であるし、この作品に要求される、クラシックとコンテンポラリーの要素の統合を、CNDのダンサーは完璧に演じた。

最後の「マイナス16」は、開始前(休憩時)からパフォーマンスがあったり、観客参加型だったりする異色の作品である。最初の15人による群舞っぽいものは、男女取り混ぜているが、顔と体つきをよく見ないと、男女の区別がつかないほど統一感が取れている。その一方で時間差も完璧で、綺麗なウェーブを築き上げている。

この「マイナス16」は観客参加型の作品であり、ダンサーに「強制連行」される観客のノリにも左右される。名フィルの演奏会に通い詰める音楽系観客と比べると、名古屋の舞踊系観客は冷めてるように思えたけど(キリアンの作品の後でさえ、小さなbraveが一つ飛んだ程度♪)、舞台に「強制連行」された観客はノリノリ♪観客参加型で盛り上げる事を邪道系と言ってしまえばそれまでだけど、とっても楽しい。私も赤いトレーナー着て「強制連行」されて見たら良かった♪♪

休憩35分を含めて、2時間45分の上演時間ではあったが、私にとっては短過ぎる♪でも、あれだけパワー溢れる踊りを繰り広げたのですから、ダンサーはバテバテでしょう。

今シーズンは、私のホームバレエカンパニーである新国立劇場バレエ団がクラシック偏重ということもあり、外来公演はコンテンポラリー系に絞っているが、なかなか観ることが難しい演目を楽しむ事が出来た。公立の劇場ならではの、このような公演が増える事を期待したい。

2014年11月27日木曜日

「OOKI Akira togetter運用方針総則」の運用方針

私がtogetterを運用するに当たりまして、運用方針総則を制定したところでありますが、その基本的な趣旨なり運用方針、私の考え・目的を示す事とします。


1. 目的
OOKI Akiraは、音楽・舞踊・文楽・歌舞伎等の公演(以下「公演」という)に際し、togetter社のサービスを用いて、観客側の立場からこれらの公演に関するtwitter上の多数の投稿をまとめる事により、その公演の評価を一覧可能とし、もって芸術文化の振興に貢献する。

趣旨:まず目的は、芸術文化の振興であります。芸術文化に対し破壊的な作用を齎す目的には用いません。形態としては、「総体としての観客の自治」の一環として行うべきであると考えます。特に批判ツイートを取り上げる事は、出演者・主催者・その他運営担当者にとってやりづらいものですし、彼らの目的ではありません。観客の誰かがやるのが本来の在り方ですし、健全な在り方です。


2. togetterの対象公演
2-1. OOKI Akiraは、自身が少なくとも一公演は臨席する公演(群)の中から、対象公演(群)を選択する。

趣旨:その公演(群)に関するtogetterを運用するに当たっては、その公演(群)に臨席するなど何らかの関与を必要とすると考えます。その公演(群)に参加する意思も愛情もなく、その公演(群)に関するtogetterの運用だけを行うことは、反倫理的であるとさえ考えます。但し、その公演(群)に臨席するべく予め十分な準備を整え、かつtogetterを既に運用開始した後で、自然災害・交通機関の不通等不測の事態により臨席できなかった場合は、その公演(群)のtogetterを運用します。

2-2. 対象公演(群)の選択に当たっては、先行した同種のtogetterが行われていない分野・地域から行い、かつ地理的事情、OOKI Akiraの公演臨席事情等を考慮する。

趣旨:既にその地域・そのジャンルで特定の人物が反復継続的にtogetter事業を行っている場合には、その人物に敬意を表し、私がしゃしゃり出てその公演(群)のtogetter運用を並行して行うことはありません。単なる重複であり、礼を欠き、意味がないからです。また、公演(群)を行う会場の近くに居住している方がtogetterを運用するのが良いと考えます。私の場合、松本市の自宅でなければ、togetterへの投稿作業ができません。終演後に速やかな投稿作業を行うのは、地元民が一番適切な立場です。地元民が行わない場合のみ、補完的に私がその公演(群)のtogetter運用を行う方針です。


3. togetter上にまとめるtwitter投稿の選択(以下「投稿の選択」という)は、下記の基準により行われる。
3-1. 次のような場合は、投稿の選択に於ける正の要素となる。
・その公演について何らかの意味がある感想・批評が書かれている
・その公演について有益な情報が書かれている
・その公演についての出演者・主催者・その他運営担当者からの情報提供


3-2. 次のような場合は、投稿の選択に於ける負の要素となる。
・あまりに単純すぎる内容の投稿(例:「OOKI Akiraの演奏は面白かった」レベルでは選択しない可能性が大きい。「OOKI Akiraの演奏は繊細なところが素晴らしい」レベルの投稿は積極的に選択する)
・単なる記念撮影
・出演者と観客との間の個人的なやりとり
・リツイート
・返信投稿(論争状態になったものを含む)

趣旨:一般的に、その公演(群)に対する評価の一覧を作成する目的に合致しない投稿(ツイート)は、投稿の選択に於ける負の要素となります。出演者との個人的なやりとりについて、各自の責任で投稿されることに関与は当然しませんが、投稿の選択によりtogetter上で掲載するべき内容ではないと私が判断した場合は、投稿の選択の対象外となります。また、一般の観客間に於ける論争を私は支持せず、論争投稿の選択をしない事を原則とします。自分の納得できない意見に対しては、返信投稿で絡むのではなしに、自らの意見を開陳する事によって行うべきものと考えます。感想・評価は言いっ放しであるべきです。但し、職業的評論家に対しての返信投稿による反論・論争については、一般の観客間に於ける論争とは全く性格を別とするものですので、負の要素とはせず、個別に検討します。


3-3. 次のような場合は、投稿の選択の対象としない。既に投稿の選択を行った場合は、削除する。
・出演者・主催者・その他運営担当者に対する誹謗中傷
・著作権者から削除の要請があった投稿
・OOKI Akiraに対する非行行為を行った者の投稿

趣旨:批判は「芸術文化の振興」の目的に合致しますので歓迎しますが、誹謗中傷はその目的に反しますので、徹底的に排除します。また、投稿者から削除依頼があった投稿については、togetter上の掲載投稿から削除します。

3-4. 「投稿の選択」の基準に合致しているかしていないかの判断は、個別に行われる。3-1・3-2の基準は、「投稿の選択」を行う度に可変する。

趣旨:「投稿の選択」の基準は、同じ公演(群)に関する案件であった場合でも、「投稿の選択」を行う度に変わり得ます。同じような投稿でも、選択されることがあれば選択されない場合もあります。過去の事例を基に選択するよう私に対して請求された場合は、私によって棄却される可能性が高いです。そのような私の運用を不満に思われる場合は、お手数ですが、ご自身で運用をなさってください。

3-5. 何人もOOKI Akiraによる「投稿の選択」に対し意見を申し立てる権利がある。OOKI Akiraはその意見及び前項までの基準に従い、「投稿の選択」の可否を決定する。

趣旨:考えられる文言を用いて検索を行いますが、「投稿の選択」をするべき投稿(ツイート)を私が見逃す可能性があります。そのような投稿がありましたら、教示くだされれば幸いです。なお、言うまでもなく「投稿の選択」をする権限と責任は私にありますので、私が一旦決定した事項について覆すことは、通常あり得ない旨ご理解ください。

附則:この総則は、2014年11月24日に制定し、2014年11月17日に遡って適用する。

2014年11月24日月曜日

OOKI Akira togetter運用方針総則

OOKI Akira togetter運用方針総則

1. 目的
OOKI Akiraは、音楽・舞踊・文楽・歌舞伎等の公演(以下「公演」という)に際し、togetter社のサービスを用いて、観客側の立場からこれらの公演に関するtwitter上の多数の投稿をまとめる事により、その公演の評価を一覧可能とし、もって芸術文化の振興に貢献する。


2. togetterの対象公演

2-1. OOKI Akiraは、自身が少なくとも一公演は臨席する公演(群)の中から、対象公演(群)を選択する。

2-2. 対象公演(群)の選択に当たっては、先行した同種のtogetterが行われていない分野・地域から行い、かつ地理的事情、OOKI Akiraの公演臨席事情等を考慮する。

3. togetter上にまとめるtwitter投稿の選択(以下「投稿の選択」という)は、下記の基準により行われる。

3-1. 次のような場合は、投稿の選択に於ける正の要素となる。
・その公演について何らかの意味がある感想・批評が書かれている
・その公演について有益な情報が書かれている
・その公演についての出演者・主催者・その他運営担当者からの情報提供

3-2. 次のような場合は、投稿の選択に於ける負の要素となる。
・あまりに単純すぎる内容の投稿(例:「OOKI Akiraの演奏は面白かった」レベルでは選択しない可能性が大きい。「OOKI Akiraの演奏は繊細なところが素晴らしい」レベルの投稿は積極的に選択する)
・単なる記念撮影
・出演者と観客との間の個人的なやりとり
・リツイート
・返信投稿(論争状態になったものを含む)

3-3. 次のような場合は、投稿の選択の対象としない。既に投稿の選択を行った場合は、削除する。
・出演者・主催者・その他運営担当者に対する誹謗中傷
・著作権者から削除の要請があった投稿
・OOKI Akiraに対する非行行為を行った者の投稿

3-4. 「投稿の選択」の基準に合致しているかしていないかの判断は、個別に行われる。3-1・3-2の基準は、「投稿の選択」を行う度に可変する。

3-5. 何人もOOKI Akiraによる「投稿の選択」に対し意見を申し立てる権利がある。OOKI Akiraはその意見及び前項までの基準に従い、「投稿の選択」の可否を決定する。

附則:この総則は、2014年11月24日に制定し、2014年11月17日に遡って適用する。

2014年11月9日日曜日

Los Angeles Dance Project 日本公演 評 review

2014年11月9日 日曜日 / Sunday, 9th November 2014
彩の国さいたま芸術劇場(埼玉県与野市)/ Sainokuni Arts Theater (Yono, Saitama, Japan)

ダンスカンパニー:Los Angeles Dance Project

演目:
(振り付け者:演目)
Benjamin Millepied: Reflections
Emanuel Gat : Morgan's Last Chug
William Forsythe: Quintett

芸術監督:バンジャミン=ミルピエ (Benjamin Millepied)

Los Angeles Dance Projectは、11月8日から11月14日までアジア公演を行い、計4公演上演する。内2公演は彩の国さいたま芸術劇場、もう二公演は大韓民国ソウル市にあるLG Arts Centerにて開催される。

この評は、彩の国さいたま芸術劇場での二回目の公演である11月9日の公演に対するものである。

着席位置は一階やや前方中央である。観客の入りは8割くらいであろうか。観客の鑑賞態度は極めて良好であった。

やはり最後の演目である'Quintett'に圧倒させられる。純ダンス的な表現の引き出しが豊かで、かつ高度で、リフトしながらの回転技といった、コンテンポラリーとは思えない大技も出る。

'Quintett'の出演者は僅か五人である。しかし、出演者の民族的出自は欧州系・アフリカ系・ラテン系と入り混じり、体格も違う多様性は、Pina Bauschの舞踏団のようだ。

その一方で、たった五人でヴッパタール舞踏団のような事を行えてしまう所が凄い。もちろんタンツテアターではないから、演劇的な要素はないけれど、この三月に、同じ彩の国さいたま芸術劇場で上演された、「コンタクトホフ」での感覚を、たった五人で思い起こしてくれる。

音楽はGavin Bryarsの'Jesus' Blood Never Failed Me Yet'を繰り返し、音量を段々大きくしたり、観客が舞踊に夢中になっている間に小さくしたりするだけだ。それでも、誰もが高度な技術を持っているからこそ、たった五人のダンスでこれ程までの世界を描き出せる。

どの演目もそれなりの水準を保っているし、ダンサーもみな素晴らしいが、やはり最後の'Quintett'がみんな持っていったかな。William Forsytheの振り付けの大勝利ってところかもしれないけど・・・。

それにしても女性ダンサー四人いた説流すけど、本当?「Reflections」の背の高い方の女性ダンサー、プログラムに載っていなかったようだけど、何かの見間違い??お目目が大きめで、スラッとしていて可愛かったけど♪♪な〜んてこと言ってると、そんなところしか見ていないのかと言われてしまいそうなので、この辺で♪♪♪

2014年11月8日土曜日

新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」 評 ‘the Sleeping Beauty’ review

2014年11月8日 土曜日 / Saturday, 8th November 2014
新国立劇場(東京)/ New National Theatre, Tokyo (NNTT) (Tokyo, Japan)

バレエカンパニー:新国立劇場バレエ団 (National Ballet of Japan)

主な配役
アウロラ姫:米沢唯 (Yonezawa Yui)
デジレ王子:ヴァディム=ムンタギロフ(ゲスト) (Вадим Мунтагиров/Vadim Muntagirov)(guest)
カラボス:本島美和 (Motojima Miwa)
リラの精:瀬島五月(ゲスト)(Sejima Satsuki)(guest)
フロリナ王女:小野絢子 (Ono Ayako)
青い鳥:菅野英男 (Sugano Hideo)

芸術監督:大原永子 (Ohara Noriko)
振り付け:ウエイン=イーグリング (Wayne Eagling)
装置:川口直次 (Kawaguchi Naoji)
衣装:トゥール=ファン=シャイク (Toer van Schayk)

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団 (Tokyo Philharmonic Orchestra/TPO)
指揮:ギャヴィン=サザーランド (Gavin Sutherland)

新国立劇場バレエ団は、11月8日から11月16日までピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー作曲の「眠れるの森の美女」を計6公演、新国立劇場で上演する。この「眠れる森の美女」にて、2014/2015シーズンが開幕する。

この評は、初日11月8日の公演に対するものである。

着席位置は一階やや後方上手側。観客の入りは、当日券の発売はあったものの、ほぼ満席であろうか。観客の鑑賞態度はかなり良好であった。

まずプロローグから。カラボス役の本島美和がコワイコワイ♪怖くて泣いちゃいました(嘘)。どのくらいコワイかと言うと、湯川麻美子のエピーヌ皇后陛下(パゴダの王子)を上回るほど♪今回の本島美和は、妖艶さよりは怖さを優先させた演技のように思えます。(ゲストで登場した瀬島)五月リラは美和カラボスに勝てるのでしょうか?純演技的に観察すると、とてもそのようには見えません♪まあ、悪役の方がいい子ちゃん役よりも個性が出やすいので、止むを得ないですね。

六人の妖精の中では、「勇敢の精」の奥田花純ちゃんが私の好みです。まあ、メリハリ効かせた振りを確実に決めれば、あきらにゃん的には盛り上がります。七人の男性ダンサー群舞の精度の高さが印象に残ります。

一回目の休憩の後の、第一幕でいよいよ米沢唯ちゃんが主役アウロラ姫役で登場です♪

唯ちゃんは、まさしく「様式美の権化」。完璧でないように完璧に踊る完璧な出来です!どういう意味かと言うと、技巧の完璧さを前面に出さずに、完璧に踊っているのです。

米沢唯ちゃんは、四人の求婚者に対し、あれだけ長い時間お相手しながら、全く空中に浮かせている脚部を揺るがさずに、静止技をずっと綺麗に止めているし、いざ動いたら、切り味鋭くなさそうで(だから、技巧を前面に出していない!)シャープに決める完璧な出来です。

カラボス本島美和さんが怖くて泣いちゃった、と言うのは冗談だけど、アウロラ姫米沢唯ちゃんの完璧な演技には、本当に涙腺がウルウルしてきます。唯ちゃんならではの完璧な技術が、様式美を極めて、観客を高揚させる光景を見ました。パッションに頼らず、様式美を完璧に突き詰め、観客の心を奪うのであります。そのような稀有な現場をこの目で見ました。

第三幕、米沢唯ちゃんとВадим Мунтагировとのコンビも良かったように思えます。唯ちゃんが完全に地面から浮き上がる、大見得を切る場面の美しさは完璧です。ダンサー全てが素晴らしかったけど、唯ちゃんがずば抜けていて、一人で持っていった感じであります。

第三幕、この他にも宝石の四人(エメラルド:細田千晶、サファイア:寺田亜沙子、アメジスト:堀口純、ゴールド:福岡雄大)(一つ事件が発生しましたが、見なかった事にします♪)やフロリナ王女(小野絢子)、青い鳥(菅野英男)も、息が合った演技で堅実でしたし、五月女遥の赤頭巾ちゃんも面白かったです。

ウエイン=イーグリングの振り付けも、違和感を感じさせるところはなく、舞台装置の華麗さと共に楽しめました。「現代人の時間感覚」に合わせて大幅カットとの当初路線は修正され、休憩計50分を含めて、195分の上演時間となりました。おそらく、大切な踊り、大切な音楽がカットされた部分はなかったように思えます。

で、結論は、「米沢唯ちゃんは無敵です」、というところでしょうか。以上唯ちゃん贔屓のあきらにゃんからでした♪♪にゃんにゃん♪♪♪




2014年11月2日日曜日

新ダヴィッド同盟 演奏会 評 New "Davidsbundler" Concert review

2014年11月2日 日曜日/ Sunday 2nd November 2014
水戸芸術館 (茨城県水戸市)(Mito, Japan)

曲目:
フランツ=シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番 D898
コダーイ=ゾルターン:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 op.7
(休憩)
ヨハネス=ブラームス:ピアノ五重奏曲 op.34

弦楽四重奏:新ダヴィッド同盟 (New "Davidsbundler" )
第一ヴァイオリン:庄司紗矢香(Shoji Sayaka)
第二ヴァイオリン:佐藤俊介(Sato Shunsuke)
ヴィオラ:磯村和英(Isomura Kazuhide)
ピアノ:小菅優 (Kosuge Yu)
ゲスト奏者(guest):
ヴァイオリン-チェロ:クライヴ=グリーンスミス(Clive Greensmith)

新ダヴィッド同盟は、10月31日・11月2日に別のプログラムを一公演ずつ、計2公演、水戸芸術館にて演奏会を開催する。チェロの石坂団十郎は今回は出演せず、代わりにクライヴ=グリーンスミスが担当する。コダーイのヴァイオリンは、佐藤俊介の演奏となる。

着席位置は正面最前方上手側で生々しい響きとなる。観客の入りはほぼ満席で、補助席使用となった。チケットが完売となったか否かは不明である。

第一曲目のシューベルト、ピアノ三重奏曲からテンションが掛かった全開の演奏だ。庄司紗矢香が時々楽しそうな表情も見せている。

二曲目のコダーイは、金曜日の同じ演目だ。金曜日と同様に素晴らしく、間違った拍手なしで無事終わる♪

今日の公演全般的に、如何にグリーンスミスのチェロがどれだけ盛り立てたかが良く分かる。単なる下支えだけでない厚みのある響きで、チェロが先頭に立つ場面ではニュアンス豊かに奏でる。当然の事ながらグリーンスミスだけでなく、庄司紗矢香を筆頭とする全ての奏者が素晴らしく演奏していることはいうまでもない。

三曲目のブラームスのピアノ五重奏曲が、パッションを強調した白熱した演奏のように感じられたのは、金曜日の後方の席から最前方の席に移動を強いられたからかもしれない。鋭い響きで先鋭的に攻める演奏で私の好みである(優しい演奏が好みの人たちには厳しいだろう)。

最前方上手側の席で、どうしても響きが溶け合わないのは残念であるが、庄司紗矢香たんの表情を観察するのは実に楽しい。三曲目では、かわいい系の顔立ちの紗矢香たんが凛々しい表情で時々椅子から腰を離して演奏していて、顔立ちとのギャップに惹きつけられてしまう♪♪

アンコールは金曜日の演奏と同じく、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲より第三楽章であった。

2014年10月31日金曜日

新ダヴィッド同盟 演奏会 評 New "Davidsbundler" Concert review

2014年10月31日 金曜日/ Friday 31st October 2014
水戸芸術館 (茨城県水戸市)(Mito, Japan)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番 K.478
コダーイ=ゾルターン:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 op.7
(休憩)
セザール=フランク:ピアノ五重奏曲

弦楽四重奏:新ダヴィッド同盟 (New "Davidsbundler" )
第一ヴァイオリン:庄司紗矢香(Shoji Sayaka)
第二ヴァイオリン:佐藤俊介(Sato Shunsuke)
ヴィオラ:磯村和英(Isomura Kazuhide)
ピアノ:小菅優 (Kosuge Yu)
ゲスト奏者(guest):
ヴァイオリン-チェロ:クライヴ=グリーンスミス(Clive Greensmith)

新ダヴィッド同盟は、10月31日・11月2日に別のプログラムを一公演ずつ、計2公演、水戸芸術館にて演奏会を開催する。チェロの石坂団十郎は今回は出演せず、代わりにクライヴ=グリーンスミスが担当する。コダーイのヴァイオリンは、佐藤俊介の演奏となる。

着席位置は正面後方上手側、観客の入りは7割程である。左右・舞台背面に空席が目立っている。弦楽五重奏かつ地方での公演となると、庄司紗矢香出演とはいっても集客には苦労するのだろうか。

前半のモーツァルトは、まあ普通の演奏である。水戸芸術館のデッドな響きでは、モーツァルトは厳しいのかもしれない。二曲目のコダーイは素晴らしい。チェロのグリーンスミスがソロの場面でニュアンスを効かせた音色に惹きつけられる。ヴァイオリンが盛り立てるのは当然だけど、あれだけチェロが響くと盛りあがるなあ。

後半はフランクのピアノ五重奏曲。もう言葉を失うほどの名演である。冒頭、小菅優の気だるいピアノが素晴らしい。これに(当時の先鋭的な女流作曲家だったらしい)オーギュスタ=オルメスにフランクが抱いた情欲を表す鋭い弦楽との対比からして、全観客を惹きつける!

曲の進行とともに、「気だるさ」と「情欲」との対比の展開となっていくが、的確に描き分けている演奏だ。ドラマティックな展開である一方で、決して溺れず、パッションを全開に出した一瞬後には、実に気だるい表現になったりする。

もちろん、純音楽的にも庄司紗矢香を筆頭とする奏者は、全てが完璧な技巧で表現する。例えば、庄司紗矢香と佐藤俊介とのユニゾンは完璧に合っており、完璧に合っているからこその厚みのある響きを実現させる。

個々の技術は完璧で、全奏者それぞれがニュアンスに富んだ表現でよく響かせる。あのデッドな響きの水戸芸術館で、あれ程まで響かせるのだ。

一方で個々の技巧だけに決して頼らず、五重奏団としての統一体として完璧な響きを考え抜き実現させる。吉田秀和さんが生きていらっしゃったら、どんなに喜んだだろう。

いつもはそれぞれが別々の活動を繰り広げつつ、二年ぶりに集まったと言うのに、まるでアルカント-カルテットのような世界第一級の常設楽団のように精緻な響きを実現させている。もう手放しで賞賛するのみ。無理して松本から来て良かった!

アンコールは、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲より第三楽章であった。


2014年10月25日土曜日

第417回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2014年10月25日 土曜日

愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)

曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第1番 op.21
カレヴィ=アホ (Kalevi Aho) トロンボーン協奏曲(日本初演)
(休憩)
藤倉大:「バニツァ グルーヴ!」(Banitza Groove! )
ドミトリー=ショスタコーヴィチ 交響曲第1番 op.10

トロンボーン:ヨルゲン=ファン=ライエン(Jörgen van Rijen)
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団 (Nagoya Philharmonic Orchestra)
指揮:マーティン=ブラビンス (Martyn Brabbins)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、ヨルゲン=ファン=ライエンをソリストに迎えて、2014年10月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第417回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

プログラムは、現代スオミ(フィンランド)を代表する作曲家であるカレヴィ=アホ(Kalevi Aho)の日本初演となるトロンボーン協奏曲、ショスタコーヴィチを蛇蝎のごとく嫌っている藤倉大の現代作品「バニツァ グルーヴ!」、その藤倉大がアナフィラキシーショックを引き起こし死亡するとされるショスタコーヴィチの交響曲第1番により構成される先鋭的なもので、音楽を聴く気のない人物をフィルターに掛け、真に音楽好きな者のみを相手とするもので、それ自体が傑出したものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管・金管パートは後方中央、ティンパニは後方中央で、ティンパニ奏者以外の担当するパーカッションは後方下手側である。

着席位置は一階正面後方上手側、客の入りは8割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であるが、曲の終了と勘違いした拍手があった。ショスタコーヴィチのブラボーは、あと二秒遅らせて欲しい。

演奏会の白眉は、やはり二曲目のカレヴィ=アホのトロンボーン協奏曲である。Rijenのソロはもちろんだが、管弦楽が素晴らしい。下支えの弱奏が実に綺麗で見事で、弦管打揃って精緻な響きを随所で実現し、カレヴィ=アホの世界を作り出している。特に、終幕間近の最強奏に持っていく箇所の、精緻さを伴った迫力は、愛知県芸術劇場の見事な響きもフルに活かした、素晴らしい響きである。独奏者だけでは成り立たないこの曲を、名フィルは重要な役割を十二分に果たしている。

他の三曲も、良い意味で手堅くまとめた演奏だ。とても素晴らしい水準の演奏で、特にショスタコーヴィチでは大管弦楽の迫力を味わえる。名フィルの弦楽の響きは弱めだと言われるが、その弦楽もよく響いていたし、ショスタコーヴィチで各ソロを担当した首席の演奏も見事だ。ブラビンスは通例左右対向配置であるが、通例通りだったらチェロのソロも正面に響いただろう。オルガン横の下手側に、チェロのソロは響いたか?

演奏会終了後に、「ポストリュード」という名の、アフター-ミニコンサートがある。ソリスト-アンコールとも言える。

ライブで録音して時間差を置いて再生できる機器を用いながらの、ソロ-トロンボーンの演奏だけど、ついさっき出したライブの音との合奏となる♪

ポストリュードの際に、12列中央に席を移したのは大正解である。スピーカーを左右に配置しほぼ正三角形の頂点に位置する。

Rijenがライブで的確な演奏をしているからこそ、「合奏」が活きてくる見事なポストリュードであった。

2014年10月5日日曜日

第91回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2014年10月5日 土曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)

曲目:
ヨーゼフ=ハイドン 交響曲第103番「太鼓連打」 Hob.I-103
ヴィトルト=ルトスワフスキ オーボエ・ハープと室内管弦楽のための二重協奏曲
(休憩)
クロード=ドビュッシー:バレエ音楽「おもちゃ箱」

オーボエ:ハインツ=ホリガー (Heinz Holliger)
ハープ:シャンタル=マテュー (Chantal Mathieu)
語り:柳家花緑

管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:ハインツ=ホリガー (Heinz Holliger)

MCOは、ハインツ=ホリガーを指揮者に迎えて、2014年10月4日・5日に水戸で、第91回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方下手側の位置につく。

なお二曲目のルトスワフスキは、弦楽が下手側から高音→低音の順に半円状に並び、背後にパーカッション、囲まれたスペースの下手側にハープ、上手側にオーボエが入る。

着席位置は正面中央やや後方やや下手寄り、客の入りは9割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、飴の包みビニールの音が気になった。

第1曲目、ハイドンはゲネラル-パウゼをかなり長めに取ったり、いきなり音量を変えて驚かしたりと、やや作為的ではある。それでも強奏部の響きは素晴らしく、曲の終盤にクライマックスを持ってくる。

第2曲目のルトスワフスキの協奏曲は、極めて素晴らしい。ホリガーのオーボエは炸裂するし、マテューのハープも鋭い。もちろんパーカッションも弦楽も言うまでもなく、ビシッと決めていて、水戸室内管弦楽団らしい完成度の高い演奏だ。テンポ設定もハイドンとは違い、自然に任せたもので、ルトスワフスキの意図そのままを実現させた感じである。水戸室内管弦楽団の現代音楽、久しぶりに聴いたが、こういった曲目はどんどん取り上げて欲しい。

第3曲目はドビュッシーのバレエ音楽「おもちゃ箱」、管弦楽が繊細に響きをコントロールしており、何もかもが夢の世界を思わせる、極めて傑出した演奏だ。神経を通わせてフランス音楽ならではの色彩感を伴う響き実現し、この響きが夢の世界、「おもちゃ箱」の世界にいざなってくれる。特別な作為を加える事なく、ただただ響きを繊細に産み出し、適度な緊張感を伴いつつも、弦管打全ての響きを心を一つにして、ドビュッシーが考えた情景を実現させる。

何年か前の、小澤征爾指揮による「マ-メール-ロワ」の名演を彷彿とさせるもので、言葉が出ない最高の演奏である。アンコールはない。とにかく幸せな気持ちに満たされる演奏会であった。

2014年10月4日土曜日

ピエール-ロラン=エマール ピアノ-リサイタル 評

2014年10月4日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)

曲目:
ヨハン=セバスティアン=バッハ:「平均律クラヴィーア曲集第1巻」全曲 BWV846-869
(休憩は第12曲と13曲の間)

ピアノ:ピエール-ロラン=エマール (Pierre-Laurent Aimard)

着席位置は、一階中央上手側である。チケットは公演三日前に完売した。止むを得ない咳が時折ある程度で、聴衆の鑑賞態度は極めて良好である。弱奏部で呼吸音が聞こえてきたには、エマール自身のものなのか?呼吸器疾患の有無を心配してしまう。

当初予定では、休憩無しとされていた。80分クラスの長さの曲だと思っていたら、110分もの長さの曲だ。休憩有りに変更したには妥当な判断だろう。いくら座っているとはいえ、ずっと弾きっぱなしのソロ、演奏終盤で疲労が影響してくるでしょうし。

始まりは、ピアノの自己残響機能を殺して、クリアな音色を印象づける。しかし貧しい響きにはならない。彩の国さいたま芸術劇場ならではの残響の長さが活きてくる。

曲が進むに連れて、演奏様式は変えてくる。静謐な曲に於いては、夾雑物を取り除いたクリアな演奏に思え、バッハが求めていたものを探求していたように思えるが、速いテンポの曲になると、少しエマールのパッションが入り込んでいるような感もある。

技術面では、彩の国さいたま芸術劇場の響きの特性を完璧に捉えており、曖昧さを感じさせるところはない素晴らしいものがある。テンポの揺らぎは控えめで、作為的な不自然さもない。

黒一色の衣装のせいか、修道士のようで、ピレネーの修道院からやって来て演奏したかのようにも感じられる。ある種のストイックさを感じさせるところにエマールの個性があるのだろう。エマールのピアノは初めて聴く感覚だ。

実演奏時間110分と言うこともあり、アンコールはなかった。

2014年10月2日木曜日

アルカント-カルテット(+オリヴィエ=マロン) 演奏会 評

2014年10月2日 木曜日/ Thursday 2nd October 2014
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)(Matsumoto, Japan)

曲目:
フランツ=シューベルト:弦楽四重奏曲第12番「四重奏断章」 D703
ルイジ=ボッケリーニ:弦楽五重奏曲 op.37-2 G.362
(休憩)
フランツ=シューベルト:弦楽五重奏曲 op.163 D956

弦楽四重奏:アルカント-カルテット (Arcanto Quartett)
第一ヴァイオリン:アンティエ=ヴァイトハース(Antje Weithaas)
第二ヴァイオリン:ダニエル=ゼペック(Daniel Sepec)
ヴィオラ:タベア=ツィンマーマン(Tabea Zimmermann)
ヴァイオリン-チェロ:ジャン-ギアン=ケラス(Jean-Guihen Queyras)
ゲスト奏者:
第二ヴァイオリン-チェロ:オリヴィエ=マロン(Olivier Marron)

アルカント-カルテットは、9月26日から10月5日に掛けて来日ツアーを行い、東京で4公演(王子ホールで2公演、トッパンホールで1公演、第一生命ホールで1公演)、松本市音楽文化ホール(長野県松本市)、兵庫県立文化センターリサイタルホール(兵庫県西宮市)、びわこホール(滋賀県大津市)にてそれぞれ1公演、合計7公演開始される。大都市圏以外ではこの松本公演が唯一の公演となるが、残響が豊かな事で定評があるホールでの公演は、この松本公演が唯一のものとなる。

着席位置は正面ほぼ中央わずかに上手側、観客の入りは六割程である。かなり空席が目立っている。しかしながら、周辺人口40万人の松本平で、かつ平日木曜日の公演であり、東京・名古屋からの半日休暇を伴う遠征も期待できない曜日である。人口希薄地帯の地元客を集めるしかなく、世界最高のアルカント-カルテットとは言っても、弦楽四(五)重奏と地味なジャンルであり、これで696席の松本市音楽文化ホールが満席になったら、何かの陰謀である。そのような地方の環境下で、凸版王子クラスのホールを満席にしたようなものですから、その意味では快挙としか言いようがない!周辺人口比では松本が一番観客を集めているのは明らかで、その意味では松本の観客は「意識が高い」と主張するのは、単なるお国自慢か??観客の鑑賞態度は、携帯電話が一回鳴ったり、ジーとなる電子機器の音がしたものの、基本的にはかなり良好であった。

前半は実力の片鱗は見せていたが、松本市音楽文化ホールの響きを完全に会得した演奏と言われると、音取りの要素もある。丸みがあるけど尖がっていて、尖がっているようだけど丸みがあって、とても良い演奏ではあるが、そのくらいのレベルなら他にも演奏可能なカルテットはあるだろうとも思う。

やはり、後半のシューベルトD956を聴かなければならないのだろう。

神経質に椅子の場所を調整して、ようやく始まる最初の一音から緊迫感が全く違う響きだ。その後も緊迫感を維持し、あまりに素晴らしい内容で、言葉にならない。サンタ-チェチーリアは、この松本に舞い降りた!松本市音楽文化ホールの豊かな残響を活かしきる、霊感に漲っている演奏である。録音媒体では絶対に再現できない。

松本に住んで良かった!東京のトッパンホールでも王子ホールでも味わえない豊かな残響は精霊を呼び込み、響きが霊感を呼び起こし、霊感が響きに深みを与える。東京の観客も大阪の観客も味わえない響きが、この松本で鳴り響く。鋭く弾き切る直後のパウゼで響き渡る残響は、まさにこの松本市音楽文化ホールならではのものだ。

室内楽でアルカントを上回る楽団が、一体どこにあるのだろう。無理やり分析的に聴いてみると、どんな強い音、尖鋭的な音に対してもニュアンスに溢れている。テンポの変動は比較的穏やかで自然な感じだ。前半でも感じられた「丸みがあるけど尖がっていて、尖がっているようだけど丸みがある」要素はそのままだけれども、よりパッションが込められ、やや尖がった方向に走っているとも言える。

それにしても、幾度ソロで奏でる音色にドキっとさせられただろう。幾度和音の響きにドキっとさせられただろう。要所に於ける和音の精度は完璧で、心を一つに合わせるそのような完璧な技術が、あの和音を産み出すのだ!!

あんなシューベルトのD956、私がどんなに完璧な技術を持っていたとしても、庄司紗矢香や諏訪内晶子級の実力を持っていたとしても、三分持たないだろう。あそこまでの緊迫感に溢れる次元の演奏を実践するタフな精神と肉体に、驚愕する以外に術はない。長大な曲であり純音楽的に決めなければならない要所も多く、果たして無事に終わりまでたどり着けるのだろうかと心配したが、彼ら彼女らによる死闘は無事終わる。

アンコールは無かったし不要だった。

2014年9月20日土曜日

第96回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評

2014年9月20日 土曜日
紀尾井ホール (東京)

曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン レオノーレ序曲第3番 op.72
フランツ=シューベルト 交響曲第7(8)番 「未完成」
(休憩)
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第3番 「英雄」 op.55

管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京
ゲスト-コンサートマスター:千々岩英一(パリ管弦楽団副コンサートマスター)
指揮:アントン=ナヌート

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、アントン=ナヌートを指揮者に迎えて、2014年9月19日・20日に東京-紀尾井ホールで、第96回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

指揮のアントン=ナヌートは、スロヴァキアの指揮者である。「幽霊指揮者」としても名高いらしい♪ゲスト-コンサートマスターの千々岩英一は、パリ管弦楽団の副コンサートマスターである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。

着席位置は正面後方中央、チケットはこの公演を含め、二公演とも完売した。空席があるのは、定期会員のサボりによるものだろう。観客の鑑賞態度は飴のビニールが部分的に響く箇所はあったが、KSTの定期演奏会にしては良好の部類に入る。拍手のタイミングは「未完成」ではフライング拍手があり、他の二曲もわずかに早かった。アンコールはなかった。

前半の「レオノーレ序曲」「未完成」は若干目立つミス(ある楽器のソロに精緻さが欠けていた、ある楽器のソロの出だしが若干遅れたレベル)はあったものの、管弦楽にナヌートの意図を実現させるパッションが感じられる。

「未完成」は、私が生で聴いた中では一番の出来だ。紀尾井ホールの響きを十全に活かし切りながら、ニュアンスも豊かである。特に第一楽章は傑出した見事なもので、アントン=ナヌートとの相性の良さが見事に開花する演奏だ。

後半の「英雄」では、管弦楽の完成度が上がり、ほぼ完璧にナヌートの意図を実現させている。ナヌートの見通しの良さが活かされる、傑出した内容の「英雄」だ!パーヴォ=ヤルヴィ+ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンによる演奏のような凶暴な内容ではなく、正統派と言うか保守本流のアプローチであるが、クライマックスへの持って行き方が絶妙であり、聴かせどころを深く理解している演奏だ。

観客の誰もが「全面勝利」の「英雄」気取りになってしまいそうな演奏となるが、勝因は明らかだ。

まず、紀尾井ホールの豊かな響きを十二分に把握した上で、たっぷりと響かせたところにある。しかし、単にこれだけではない。繊細に行くベキところは神経を通わせているし、金管は響き過ぎ寸前のギリギリの線で鳴らして適切なアクセントを与えている。要所で弦にニュアンスを掛ける場面は、さりげなくも実に効果的で、これらの戦略が全て上手く絡みあっている。

紀尾井ホールの響きを活かし切れていない指揮者、ソリストが多くいる中で、ナヌートはホールの性能を的確に使い倒す。誤解を恐れずに言えば、いい意味での職人芸だ。音楽と言うものは、何よりも「響き」で全てが決まる!ちゃんと響かせれば、指揮者の意図も演奏者のパッションも的確に伝わってくる事を、改めて思い知らされる演奏だ。KSTの演奏は、突っ込みどころが皆無と言うわけではないが、それでも傑出した内容の演奏に仕上げてきた要因は、「ちゃんと響かせた」事である。この事が、一番重要な基本なのだ。アントン=ナヌート万歳!KST万歳!!

2014年9月19日金曜日

ハインツ=ホリガー + 新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 演奏会評

2014年9月19日 金曜日
すみだトリフォニーホール(東京)

曲目:
ヨーゼフ=ハイドン(おそらく偽作) オーボエ協奏曲 Hob.Vllg:C1
ハインツ=ホリガー 「クリスティアン=モルゲンシュテルンの詩による6つの歌」
(休憩)
グスタフ=マーラー 交響曲第4番

オーボエ:ハインツ=ホリガー
ソプラノ:秦茂子

管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団(NJP)
指揮:ハインツ=ホリガー

すみだトリフォニーホールは、著名なオーボエ奏者であるハインツ=ホリガーと新日本フィルハーモニー交響楽団との共演する演奏会を主催した。チケットはNJPではなく、すみだトリフォニーホールから発行された。ホリガーは、オーボエ独奏、作曲、指揮の三役の姿を、この演奏会で披露する。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは意外にも後方下手側、その他の金管は後方中央の位置につく。二曲目のホリガーの作品については、ハープが第一と第二ヴァイオリンの間に入った。

着席位置は一階正面ど真ん中よりわずかに下手側、客の入りは6割くらいである。三日前に購入したのにも関わらず、かなり良い席が入手可能であった。水戸とは違い、東京に於けるハインツ=ホリガーの人気はあまりないのか?観客の鑑賞態度は、基本的にかなり良好で、さすがはすみだトリフォニーの観客である。曲が終了し、ホリガーが明確に手を下ろすまで拍手をしない。無音にちゃんと耐えてくれる。これが当たり前なのだけど、なかなか実現しないのだ。

一曲目のハイドンは、演奏するのにトリフォニーは大き過ぎと思えるし、またホリガーのオーボエも音が多い所は怪しく感じられる所もあるが、第二・第三楽章はNJPもホリガーの意図を実現でき、素晴らしい出来となる。

二曲目・三曲目に出演したソプラノの秦茂子は、ある音よりも低音が出ない状態で、すみだトリフォニーホールに相応しい声量を持っているとはとても言えない。それでも、管弦楽の音量が絞られ、高音域を朗々と歌う場面は素晴らしい。具体的には、二曲目ホリガーの歌曲の3・4曲目、三曲目マーラー交響曲第4番終結部間近の部分である。

後半はマーラーの第四交響曲である。第一楽章は、NJPが全くホリガーの意図を実現しておらず、音符は鳴らしているが、ホルンは繊細さに欠け、フルート四人の見せ場も単調な音しか出せず、管弦楽全体もギクシャクしている状態であった。これはダメかもしれないと思わざるを得ない状況ではあったが、曲が進むにつれ改善される。第二楽章は、コンサートマスターに先鋭的な音色をもっと強調して欲しいところだが、すみだトリフォニーホールに於ける豊嶋さんはいつもあの程度の音量だ。ピンカス=ズッカーマン並みに響かせつつ、突き刺すような音で攻めて欲しいと願うところだが、私の好みに過ぎない望みであるのだろうか?

マーラーの4番で一番素晴らしかったのは、第三楽章だ。繊細な表現を実現させ、ホリガーの意図をほぼ100%実現している。一瞬止まるか止まらないかのテンポの再現も、的確に表現されている。あの第三楽章を聴くと、どうして第一楽章が雑なのか、理解に苦しむ。ホリガーの解釈は、全般的にテンポを揺るがしつつも、違和感を感じさせず、それだけ繊細な構築力を感じさせるものであるが、演奏できちんと実現して欲しいものだ。

要するに、三日間のリハーサル期間では短過ぎるのだろう。マーラー4番の場合、リハーサルでは第一楽章を捨てたのではないかと思われても、反論は困難だろう。ハーディングの時だって、最終楽章だけは素晴らしいが、やはりリハーサルに十分な時間を掛ける必要があるように思わざるを得ない。

2014年9月13日土曜日

小菅優 ピアノ-リサイタル 評

2014年9月13日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)

曲目:
ヨハン=セバスティアン=バッハ:「イタリア風のアリアと変奏」 BWV989
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン:ピアノ-ソナタ第21番 op.53 「ヴァルトシュタイン」
(休憩)
武満徹:「雨の樹素描」
武満徹:「雨の樹素描II」 -オリヴィエ・メシアンの追憶に-
リスト=フェレンツ:「巡礼の年 第3年」より「エステ荘の噴水」
リスト=フェレンツ:バラード第2番
リヒャルト=ヴァーグナー(リスト=フェレンツ編曲):「イゾルデの愛の死」

ピアノ:小菅優

着席位置は、一階中央上手側である。客の入りは8割強であろうか。当日券が売り出していたので、完売までには至らなかった模様だ。聴衆の鑑賞態度は概ね良好ではあるが、弱奏部でノイズが感じられたのも事実である。

前半と後半とで印象が違う展開で、前半部は冒険的、後半部は盤石な内容である。

前半は、ベートーフェンの「ヴァルトシュタイン」が面白い。

か弱い女の子のレッスン風景のような弱いタッチで始めながら、いつの間にかアッチェレラントを掛けて最強奏になったり、繊細に奏でていると思わせておいてパッションを激しく出した演奏を繰り広げたり、変幻自在な演奏である。

刹那的と言えば刹那的であるが、次をどのように攻めてくるか予測不能で、とてもスリリングな展開を仕掛けてくる。どこか女性が演奏している事を忘れさせない演奏で、誰もが作り出していない展開に小菅優の個性がほとばしっている点も注目させられる、とても素晴らしい演奏であり、小菅優の冒険は見事に成功している。

一方後半の最後は、リストが二曲、ヴァーグナー作曲リスト編曲が一曲と、リストが絡んだ曲で占められている。

このようなリストが関わる曲と小菅優との相性は、抜群に素晴らしい。彼女の強奏部にまで行き渡った繊細さが見事に生きている。

前半の「ヴァルトシュタイン」では、ベートーフェンが構築した曲を一度解体して、小菅優によって再構築された性格を感じるが、後半のリスト絡みの曲は、あたかもリスト=フェレンツと小菅優とが同一人物であると感じるかのように思える演奏だ。

アンコールは、ショパンの「24の前奏曲」より、11番と15番であった。

2014年8月26日火曜日

サイトウ-キネン-フェスティバル 歌劇「ファルスタッフ」 評(二回目の観劇) Saito Kinen Festival Matsumoto, Opera ‘Falstaff’

2014年8月26日 火曜日/ Tuesday 26th August 2014
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)/ Matsumoto Performing Arts Centre (Matsumoto, Japan)

演目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」 Giuseppe Verdi ‘Falstaff’

Sir John Falstaff: Quinn Kelsey (クイン=ケルシー)
Ford: Massimo Cavalletti (マッシモ=カヴァレッティ)
Fenton: Paolo Fanale (パオロ=ファナーレ)
Alice Ford: Maite Alberola (マイテ=アルベローラ)
Nanetta: Maureen McKay (モーリーン=マッケイ)
Dame Quickly: Jane Henschel (ジェーン=ヘンシェル)
Meg Page: Jamie Barton (ジャイミー=バートン)
Bardolpho: Keith Jameson (キース=ジェイムソン)
Pistola: David Soar (ディヴィッド=ソアー)
Dr. Caius: Raúl Giménez (ラウル=ヒメネス)

Chorus: Saito Kinen Festival Matsumoto Chorus 合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団

Director: David Kneuss 演出:ディヴィッド=ニース
Set design & Costumes design: Robert Perdziola 装置・衣装:ロバート=ペルジオーラ
Lighting design: Rick Fisher  照明:リック=フィッシャー

Orchestra: Saito Kinen Orchestra 管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ
Conductor: Fabio Luisi 指揮:ファビオ=ルイージ

今日も懲りずに「ファルスタッフ」を見に行きました。当日券売り場に行ったら、既に売られてはいたけれど、前方中央すら虫食い状に販売対象となっていた有り様です。メトロポリタン歌劇場で実績を上げた指揮者が来るのに、どうして売れないのか、私には信じられません。松本市民の一人として、松本の恥だと思います。ファビオ=ルイージ応援のために、松本市民の誇りを賭けて立ち上がり、気が付いたら歌劇場に突入した訳です♪

24日は12列ど真ん中(オケピットのため6列潰れるので、新国立劇場基準で言うと前から6列目)、今日は21列わずかに上手側(新国立劇場基準だと15列目)です。

まつもと市民芸術館は席によってかなり響きの差が大きいですね。12列目では歌唱が直撃しますが、後方21列目だと歌唱が減衰する一方で、管弦楽がバンバン響いてきます。新国立劇場以上にまつもと市民芸術館は一階席の勾配が急なので、ちょうど21列目は貴賓席に相当する場所になります。

24日の席よりは、管弦楽優位に聴こえました。特に第一幕では、クイン=ケルシーが24日と比べたら少し不調に思えたほどです。歌唱だけを聴きたいのであれば、前方の席が良さそうです。基本的に歌い手に関する感想は、24日の感想と同じです。

一方で管弦楽の音色を堪能できました。特に第二幕の偽フォンターナのソロの場面や第三幕での管弦楽の響きは、ファビオ=ルイージにより慎重に吟味され、的確に選択され、精緻に実行された美しいものでした。小澤征爾時代の暴走族としか言いようがなかった時には信じがたいほどの繊細さを持つもので、本当に弱奏が綺麗に響き渡っていました。サイトウ-キネンのオケの音色は、実に美しくなりました。もちろん、多少歌唱が細くてもしっかりと支える効果もあります。

やはり歌劇は、歌劇場でしっかりとキャリアを積んだ指揮者でなければだめなのだなあと、思い知らされました。ファビオ=ルイージ、万々歳です。

2014年8月24日日曜日

サイトウ-キネン-フェスティバル 歌劇「ファルスタッフ」 評 Saito Kinen Festival Matsumoto, Opera ‘Falstaff’

2014年8月24日 日曜日/ Sunday 24th August 2014
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)/ Matsumoto Performing Arts Centre (Matsumoto, Japan)

演目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」 Giuseppe Verdi ‘Falstaff’

Sir John Falstaff: Quinn Kelsey (クイン=ケルシー)
Ford: Massimo Cavalletti (マッシモ=カヴァレッティ)
Fenton: Paolo Fanale (パオロ=ファナーレ)
Alice Ford: Maite Alberola (マイテ=アルベローラ)
Nanetta: Maureen McKay (モーリーン=マッケイ)
Dame Quickly: Jane Henschel (ジェーン=ヘンシェル)
Meg Page: Jamie Barton (ジャイミー=バートン)
Bardolpho: Keith Jameson (キース=ジェイムソン)
Pistola: David Soar (ディヴィッド=ソアー)
Dr. Caius: Raúl Giménez (ラウル=ヒメネス)

Chorus: Saito Kinen Festival Matsumoto Chorus 合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団

Director: David Kneuss 演出:ディヴィッド=ニース
Set design & Costumes design: Robert Perdziola 装置・衣装:ロバート=ペルジオーラ
Lighting design: Rick Fisher  照明:リック=フィッシャー

Orchestra: Saito Kinen Orchestra 管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ
Conductor: Fabio Luisi 指揮:ファビオ=ルイージ

サイトウ-キネン-フェスティバル実行委員会は、2014年8月20日から8月26日までの日程で、ジュゼッペ=ヴェルディ歌劇「ファルスタッフ」を、まつもと市民芸術館にて4公演開催する。この評は2014年8月24日に催された第三回目の公演に対するものである。

着席位置は一階中央前方である。チケットは当日券発売をしている有り様で、サイトウ-キネン-フェスティバルが主催者も観客も小澤征爾頼みであることを反映している。小澤征爾が引退した時に、サイトウ-キネン-フェスティバルはなくなるだろう。観客の鑑賞態度は概ね良好であったが、一回だけ携帯電話が鳴っていた。特に致命傷となるような形ではなかったが。

休憩は、第二幕と第三幕の間のみの一回のみである。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。舞台で観客の目を眩ます事はせず、音のみで勝負する形態である。舞台の上に20cm程かさ上げし僅かに客席側に傾けた舞台を用いている。舞台の上に欧州の伝統的な歌劇場の額縁と舞台を乗せたような形となり、舞台の幅は狭くなり、高さも抑えられている。幕は額縁の中のみであるが、両左右角から引っ張る形の幕ではなく、単に上下に移動するだけの幕である。

ソリストの出来について述べる。

一番素晴らしいかったのは、文句なしにファルスタッフ役のクイン=ケルシーである。声量はホール中に大きく響き渡り、終始安定した歌唱である。出番は少ないが、ドクター-カイウス役のラウル=ヒメネスも素晴らしい。フォード役のマッシモ=カヴァレッティは、この二人程ではなかったが、それでも要所で確実に決めている。フェントン役のパオロ=ファナーレは、やや声量が少なめである。

女声については、全般的に男声より声量面では控えめであるが、それでも女性同士仲良く響きが合っている。アリーチェ役のマイテ=アルベローラが素晴らしい出来で、要所に於ける声量は十二分に余裕がある。ナンネッタ役のモーリーン=マッケイは大変可愛らしく、やや細めの声ではあるが、管弦楽のコントロールの助けもあり十分にホールに響いており、熟女役だらけの女性陣の中で爽やかな印象を与える事に成功している。クイックリー夫人役のジェーン=ヘンシェルは、やや不調気味である。

合唱の扱いは、かなり控えめに扱われていた。

管弦楽は極めて素晴らしい出来だ。歌い手を上手に引き立てつつ、ソリスティックな部分では的確に聴かせどころを決めていく。小澤征爾時代とは大違いだ。

小澤征爾は、歌い手と管弦楽との関連性について何も考えていなかった。歌い手に手抜きを許し、サイトウ-キネン暴走族とも言える管弦楽は放縦に任せていた。要するに、小澤征爾はオペラに対し無知だったし、無能だった。

これに対して、ファビオ=ルイージは十二分に準備を重ねてきた事が伺えた。歌い手を引き立たせるにはどうしたら良いか、一方で曲想に応じてどこで管弦楽を走らせるか、その選択は的確だった。第三幕で見せた弱奏の美しさ、良く聴くと実に「歌わせている」けどあまりに自然に扱われるテンポのうねり、フーガの扱いの見事さ、ある歌い手から別の歌い手への絶妙なバトンタッチ、要所で鋭さを見せる管弦楽の扱い、山田和樹によって初めて歌劇としての理想的な響きを手に入れた管弦楽は、ファビオ=ルイージによってその正しい路線を発展させたと言える。一つの歌劇を作り上げるのに当たって必要な、見事な統制力と構築力を、ファビオ=ルイージは見せつける。

歌い手が手抜きばかりしていた小澤征爾時代のサイトウ-キネンとは違い、歌い手のソリストは半数以上は十分に満足出来る歌唱であり、特に重要な役に関しては傑出した実力を発揮していた。管弦楽の扱いも巧みであり、どうしてファビオ=ルイージをもっと早く松本に登場されなかったのかと思わずにはいられなかった。

Viva! 'Fabio Luisi Matsumoto Festival' !!
ファビオ=ルイージ 松本フェスティバル、万歳!!

サイトウ-キネン-フェスティバル松本の名前を変えるのであれば、ファビオ=ルイージこそその名にふさわしいであろう。

2014年8月23日土曜日

アルディッティ弦楽四重奏団 演奏会 評

2014年8月23日 土曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)

曲目:
アルバン=ベルク:弦楽四重奏曲 op.3(1910)
ブライアン=ファーニホウ:弦楽四重奏曲 第3番(1987)
(休憩)
ハリソン=バートウィスル:弦楽四重奏曲〈弦の木〉(2007)
(休憩)
アルノルト=シェーンベルク:弦楽四重奏曲 第2番 op.10(1907-08)

ソプラノ:サラ=マリア=ズン(Sarah Maria Sun)
弦楽四重奏:アルディッティ弦楽四重奏団 (Arditti String Quartet)

アルディッティ弦楽四重奏団は、8月21日から8月26日に掛けて来日ツアーを行い、サントリーホール(東京)(1公演は東京交響楽団との共演、もう1公演はブルーローズでの演奏会)、水戸芸術館(水戸)、草津音楽の森国際コンサートホール(群馬県吾妻郡草津町)にて計4公演開始される。

水戸芸術館での演奏会では、最後のシェーンベルクのみソプラノにサラ=マリア=ズンが加わり、ボリジョイ六重奏団のような形態での演奏会となる。亡くなられた吉田秀和さんの後任とでもいうべき音楽評論家、片山杜秀の解説付きである。

全て現代曲または現代曲に準ずる曲目であり、かなり尖がっているプログラムである。どのような観点から観察するべきなのか、現代曲については良く分からないので、かなり簡単な感想じみたものとなってしまうが、総じて良かったのはホンマものの現代曲であるファーニホフとバートウィスルの曲目である。

何か合わせて演奏すると言うよりは、各自バラバラに演奏する事によって、各演奏者の個性が伺える。演奏者に穴はなく、全てが技術的に難しそうなフレーズを確実に弾きこなし、ニュアンスも精密に表現しきっている。残響が少なめな水戸芸術館の音響を考慮して、奏者自らが残響を作って豊かな響きをも実現している。今や眠くなるような演奏しか出来なくなって凋落したエマーソン弦楽四重奏団とは全く違い、作曲家と密接な関わりを持って演奏活動を続けて来たアルディッティ弦楽四重奏団は、いつまでもヴィヴィッドであり続けなければならない環境下にあったせいか、結成40周年を経ても勢いが削がれていないように思われる。極めて素晴らしい弦楽四重奏団である。

現代曲だからこそ、技術面や構成力、ニュアンスを重視していかなければならないのだと思い知らされる。20世紀初頭までのクラシック音楽と現代曲との関係は、クラシック-バレエとコンテンポラリー-ダンスとの関係に似ている。どちらが優れているとか高度な内容だとか言うものではなく、どちらもそれぞれの分野で求められている内容は違っているけれども高度であり、しかしどこか共通なものも求められているところが分かって面白い。

ソプラノのサラ=マリア=ズンの出来は、普通の出来か。いつでもモデル転向可能な程細くて、歌い手の中では最高の美女で、お目目の保養にピッタリだ。膨張色である白いドレスを着ていても、バレエダンサーかと思ってしまう程の体格である。肝心な歌声は、強声部は浮遊感があるが、弱声部については今一つ弦楽四重奏との調和が取りきれていない印象がある。室容積が少ない水戸芸術館であったら、もう少し精密に響かせる事も出来るようにも思える。

片山杜秀の解説はあってもなくても良かったが、邪魔にならない程の短さである。演奏者へのインタビューを中心としたもので、おどろおどろしい片山節はほんの僅かしかなかったため、これを期待していた人たちにとっては物足りなかったかもしれない♪

観客の入りは、中央はほぼ埋まっていたものの左右翼は合わせて30人ほどで、おそらく合計300人程と思われる。定員680名のホールで半分以下の入りではあるが、そもそも弦楽四重奏+現代音楽+地方都市と言った厳しい内容でありながら、これだけの観客を集めただけ凄いと言えるだろう。学芸員が充実しているからこその水戸芸術館ならではの企画で、地方都市でここまでの企画をぶち上げた事自体が称賛に値する。今後も、どこのホールでも実現していないこのような企画を続けていってほしいと、心から願っている。

2014年8月16日土曜日

勅使川原三郎 「睡眠」Sleep 評 Teshigawara Saburo ‘Sleep’

2014年8月16日 土曜日 19:00~ / Saturday, 16 August 2014 19h00
東京芸術劇場 プレイハウス(東京)/ Tokyo Metropolitan Theatre(Tokyo, Japan) Playhouse

演者:
勅使川原三郎 (Teshigawara Saburo)
オーレリー=デュポン (Aurélie Dupont)
佐東利穂子 (Sato Rihoko)
鰐川枝里 (Wanikawa Eri)
加藤梨花 (Kato Rika)

構成・振り付け・美術・照明:勅使川原三郎 (Teshigawara Saburo)

勅使川原三郎が振り付けを行うコンテンポラリー-ダンス「睡眠」は、8月14日から23日までにかけて東京(東京芸術劇場 プレイハウス)にて5公演、名古屋(愛知県芸術劇場)にて1公演、兵庫県西宮市(兵庫県立芸術文化センター)にて1公演、計7公演に渡って繰り広げられる。これらの公演が世界初演となる。この投稿をしている段階で、まだ公演が残っており、ネタばれに注意されたい。

この評は、東京芸術劇場8月16日夜(19時00分開始)の公演に対するものである。

着席位置は一階ど真ん中から僅かに後方僅かに上手側である。左右後方・バルコニー席は空席がある状態であり、観客の入りは七割くらいであろうか。連続した咳のノイズがあったものの、観客の鑑賞態度は概ね良好であった。

全体的な印象として、コンテンポラリー-ダンスの身体表現の語彙がこれ程まであるとは思わず、驚愕するところがある。勅使川原三郎が60歳前後とは思えないほど激しく見える表現は、そう言った身体表現の語彙の豊かさに裏付けられている。もちろんクラシック-バレエの派手な大技は若さがいるのだろうけど、そういった大技を使わず、しかし小技を駆使しているとも全く感じさせず、自由自在な表現でかつ速い動きで魅了していく。

KARASの躍動感溢れる演技にも目を見張る。佐東利穂子、鰐川枝里、加藤梨花の躍動感は、出番の多寡はあれ、いずれも素晴らしいものだ。長時間のソロも存在感がある踊りで見事だ。ラストのソロも佐東利穂子がしっかりと決める。

正直に言うと、どちらかと言うとオーレリーの静的な演技よりも、彼女たちの動的な演技の方が楽しめた。このような発言を、パリ-オペラ座のエトワールに対してすると怒られそうだが(♪)、私の好みはそう言った激しい動きが好みなのだから、そのような感想にならざるを得ない。

照明・舞台装置は、総じて幾何学的で、直線的で、四角形的だ。曲線を描いた舞台装置は、後半に出てくる祭壇らしき物体の土台部分のみであり、他は全て直線である。

照明光は白色と電球色とを適宜用いたもので、その光線の指向性の扱い方が上手だ。照明が当たる場所は綿密に考えられていて、特に上からの光は四角形に当たるようになっており、その場所の選定やタイミングが絶妙である。前半部では、強い白色光を下手側から浴びせて、オーレリーの腕の動きに残像が残り軌跡が目に焼きつくようになっている(この効果がどうして生じたかについては謎である)し、後半部では、客席の電灯をごく僅かに点灯させる場面もあり、舞台との一体感をも感じさせられる。

吊り下げ物のバトン-テクニックも幾何学的で構成の綿密さが伺えた。適度な反射度を備えた透明なアクリル板、椅子、行灯凧の骨組みのようなもの、舞台上の物体は恐らく全てバトンに吊り下げられており、適宜上下させて舞台を区切ったり、アクリル板を回して灯台のように光を反射させたりする。特に後半部に見せるバトン-テクニックは、一斉に上下させたり、一定の時間差をもって幾何学的に上下させたりするところが実に効果的だ。もちろん、バトン-テクニック自体は電子計算機に入力して制御するものであるので、手作業の操作が見事だと言うわけではないが、そのようなバトン-テクニックをどの場面でどのように、どのタイミングでどのスピードで行うかの構成がよく考えられている。

舞踊を単に支える域の照明・舞台装置ではなく、双方ともが絶妙に噛み合った形で相乗効果を上げている。

全般的に難解な印象は感じさせず、動きの躍動感により純ダンス的な要素に注目させられるもので、その上に照明・舞台装置の妙もあり、これらは見事に統一体となって「睡眠」が作り上げられている。コンテンポラリー-ダンスの場合、いつも題名は公演が始まる前に頭の中から放り出して置くのが私の在り方であるが、今回は常に題名である「睡眠」を意識させられる点も面白い。

勅使川原作品を観劇したのは初めてであったが、ただただ魅了されたお盆休みの夜であった。

2014年8月4日月曜日

「サイトウ-キネン-フェスティバル」の終わりの始まり

松本市民の一人として、「サイトウ-キネン-フェスティバル」の名称が来シーズンから「セイジ-オザワ松本フェスティバル」に変わる件については、冷笑的な態度しか取れない。まあ、勝手にしろと言ったところである。「実態通りになったね」とでも、皮肉の一つでも言っておこうか。

「サイトウ-キネン」にしろ「セイジ-オザワ」にしろ、小澤征爾が指揮台に立てなくなったところで、このフェスティバルは終わりだ。それでいいと思っている。

このフェスティバルは、主催する側にしろ観客にしろ、小澤征爾に全てを依存している。チケット発売日の、ファビオ=ルイージの歌劇と小澤征爾のプログラムとの列の差からして、観客の小澤征爾へのべったりぶりはあきれるほどのものであったし、1992年から開始してから22年間、小澤征爾の後継の核となる指揮者・監督を育ててくることもなかった。

サイトウ-キネンのオケが「田園」で無気力でつまらない演奏をしても、ブルックナーで金管のコントロールに大失敗した演奏をしていても、小澤征爾が指揮をしていると言うだけで観客はスタンディングオベーションを繰り広げる異常な雰囲気を見てきた。

歌劇は歌劇で、歌い手のソリストは手を抜いている事例が多すぎた。マトモに歌ったのは山田和樹が睨みを効かせて振った時くらいで(この時も小澤征爾が連れてきたイザベル=カラヤンは手を抜きやがった!この時ほどイザベル=カラヤンと小澤征爾に怒りを感じた時はなかった。あの二人がいなかったら、山田和樹の「ジャンヌダルク」は完璧な出来だったのだ!)、小澤征爾は概して、放置すれば暴走族と化す管弦楽のコントロールをロクにしていなかったし、歌劇の総監督としては無能と言える。リッカルド=ムーティの爪の垢でも煎じて飲めとでも言いたくなる。

室内楽も、まあ一定水準は保っているけど、ロバート=マンがいらっしゃった時の名演はもう期待できないだろう。

サイトウ-キネンにしろセイジ-オザワにしろ、このフェスティバルの終わりは近付いている。主催する側にしろ観客にしろ、無能な者が多かった。松本市民として観客として参加した私にとって、この事は恥としか言いようがない。

サイトウ-キネンよりも水戸室内管弦楽団の方がはるかに優秀だし(当然と言えば当然であるが)、ここ一年を除けば水戸は小澤征爾の依存度が少なかった。吉田秀和さんが亡くなられても、学芸員が充実しているし、水戸芸術館は上手くやっていけるだろう。この事と比較し、松本はどうだったのか?サイトウ-キネンに関わってきた者は(もちろん私を含めて)よくよく考え、どのようにこのフェスティバルを終わらせるかを考える時期に来ているのではないだろうか。

2014年6月4日水曜日

デヴィッド=ビントレー監督の退任と、政府・新国立劇場のあるべき役割


デヴィッド=ビントレー新国立劇場舞踏部門芸術監督の記事を紹介し、考えた事を述べたい。彼はこの8月で惜しまれながらその職を辞することとなる。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/classic/clnews/02/20140523-OYT8T50246.html?from=tw

「日本で古典への愛情がものすごく深いことが、前に進む妨げになっていないでしょうか。ダンサーは時代を反映することが出来る。それをしないと150年前の作品を再現するだけになる」との発言は重い。大原永子次期監督が選んだ2014/2015シーズンの演目は19世紀バレエばかりで、現代作品の演目はほとんどない。

19世紀バレエの演目をやるなと言うわけではないが(むしろ一定比率で上演するべき)、このような演目ばかりを上演することが国立の劇場としての使命ではない。(様々な問題を抱えているとはいえ)日本には民間のバレエカンパニーがあり、採算をも重視しなければならないこのようなバレエカンパニーが19世紀バレエばかりになるのはやむを得ない。国立の劇場が為すべき役割はもっと広範である。

(少なくとも日本では)観客が見込めない現代作品を取り上げ、発信することは民間カンパニーでは不可能であり、日本国政府が担わなければならない役割の一つである。潤沢な資金を新国立劇場に拠出し、現代バレエ作品の発信に寄与しなければならない。

大原永子次期監督は、「歴史と伝統を持つクラシック・バレエを大切にしなければならない」(The Atre 2014年5月号 6頁)と発言している。しかし、2014/2015シーズンの演目を正当化している意図を持つ彼女の「クラシック」の概念は狭量であり、19世紀バレエ以外は「クラシック」ではないと宣言しているとしか思えない。

言うまでもなくバレエは何百年の歴史を有するものであり、チャイコフスキーに代表される19世紀バレエ作品だけが「クラシック」バレエ作品ではない。18世紀のバレエは無価値なのか?チャイコでなければ「クラシック」ではないのか?

2014年5月26日にNHK-FMにて、マルク=ミンコフスキ指揮ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団演奏で、グルック作曲バレエ音楽「ドン-ファン」が流れたが、このような18世紀以前のバレエ作品に光を当てるのも、日本国政府・新国立劇場の役割の一つであろう。

演目の「バランスが大事です」、このビントレー監督の遺言を大原永子次期監督は深く認識し、2015/2016シーズンの演目に反映するべきであろう。

2014年5月31日土曜日

ローマ歌劇場 歌劇「シモン=ボッカネグラ」 評 Teatro dell’Opera di Roma ‘Simon Boccanegra’

2014年5月31日 土曜日/ Saturday 31st May 2014
東京文化会館 (東京)/ Tokyo Bunka Kaikan(Tokyo, Japan)

演目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「シモン=ボッカネグラ」 Giuseppe Verdi ‘Simon Boccanegra’

シモン=ボッカネグラ:ジョルジョ=ペテアン(George Petean)
アメーリア(マリア=ボッカネグラ):エレオノーラ=ブラット(Eleonora Buratto)
ガブリエーレ=アドルノ:フランチェスコ=メーリ(Francesco Meli)
ヤーコポ=フィエスコ:ドミトリー=ベロセルスキー(Дмитрий Белосельский / Domitry Beloselskiy)
パオロ=アルビアーニ:マルコ=カリア(Marco Caria)
ピエトロ:ルーカ=ダッラミーコ(Luca dall’Amico)
伝令:サヴェリオ=フィオーレ(Saverio Fiore)
侍女:シムゲ=ビュユックエデス(Simge Büyükedes)

合唱:ローマ歌劇場合唱団(Coro del Teatro dell’Opera di Roma)

演出:エイドリアン=ノーブル(Adrian Noble)
美術:ダンテ=フィレッティ(Dante Ferretti)
衣装:マウリツィオ=ミレノッティ(Maurizio Millenotti)
合唱指揮:ロベルト=ガッビアーニ(Roberto Gabbiani)

管弦楽:ローマ歌劇場管弦楽団(Orchestra del Teatro dell’Opera di Roma)
指揮:リッカルド=ムーティ(Riccardo Muti)

ローマ歌劇場は、2014年5月20日から6月1日までの日程で、ジュゼッペ=ヴェルディ「ナブッコ」、同「シモン=ボッカネグラ」を、東京にて三公演ずつ、計6公演に渡って繰り広げられた。この評は、「シモン=ボッカネグラ」第三回目(千秋楽)5月31日の公演に対するものである。

着席位置は一階中央僅かに後方僅かに上手側である。チケットは公演日近くで完売した模様である。観客の鑑賞態度は概ね良好であったが、終了時にムーティが左手を挙げている状態であるのにも関わらず拍手が出る状態であった。

切符の購入は、バルバラ=フリットリ(Barbara Frittoli)降板の知らせを聞いて購入した。フリットリは2013年5月19日にタケミツメモリアルで、メッタメタな状態の歌声を本番中に聴かせた挙句、なぜかアンコールだけ完璧に歌い上げる訳の分からないリサイタルを披露した。この時以来、私はフリットリの歌唱能力に対し全面的な不信を抱いている。

フリットリは2013年12月トリノ歌劇場日本公演の際にも、トスカ役を降板しており、その時の理由がスピント-ソプラノ(太く強靭な声を要する)役からの敵前逃亡を理由としたものであった。トリノの降板も今回の降板も、予想の範囲内での展開である。巨大な規模を誇る東京文化会館に恐れを抱き、病気を理由に敵前逃亡をしたのだろう。タケミツメモリアルであんな状態の彼女が、東京文化会館で歌えるわけがない。

ムーティはいつの間にか、何が起こってもおかしくない年齢になってきており、そろそろ聴きに行くべき時かという想いと、バルバラ=フリットリに対する不信とがせめぎあい、結果チケットの購入はしないで置いていた。降板の知らせの後、「残り物には福がある」のか、まあ許容できる席が売れ残っていたので、購入した次第である。

休憩は、第一幕と第二幕の間のみの一回のみである。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。舞台で観客の目を眩ます事はせず、音のみで勝負する形態である。幕・場毎に場面転換が行われた。

ソリストの出来について述べる。

一番素晴らしいかったのは、文句なしにガブリエーレ役のフランチェスコ=メーリである。終始抜群の安定感を保ち、若手貴族の純真さを的確に演じていた。

また、フィエスコ役のドミトリー=ベロセルスキーは、第一幕まではメーリと同様に素晴らしい。

題名役のジョルジョ=ペテアンは、ベストとは言い難い出来で有るが、後半は破綻なく歌い切る。

アメーリア役のエレオノーラ=ブラットは、特に前半部が声をリニア(線形)にコントロール出来ず不安定ではあったが、強く歌う箇所の表現は出来ていた。エレオノーラ=ブラットは、少なくとも最強唱部分でのパワーでは明らかにバルバラ=フリットリを上回っており、代役の責任は十二分に果たしたと言える。

パオロ役のマルコ=カリアの出来は良くなかった。全般的にソリストの出来は、後半になるに従って良くなって来たが、ムーティと管弦楽に救われたところはある。

合唱の扱いは非常に適切で、第一幕で舞台裏から歌う時点から音量・響きともによく考えられており、その重要な役割を果たす。

管弦楽は極めて素晴らしい出来だ。歌い手を上手に引き立てつつ、ソリスティックな部分では的確に聴かせどころを決めていく。

リッカルド=ムーティは十二分に準備を重ねてきた事が伺えた。歌い手を引き立たせるにはどうしたら良いか、一方で曲想に応じてどこで管弦楽を走らせるか、その選択は的確だった。ムーティによる管弦楽の設定は非常に見事で、本当に必要ある場面以外では管弦楽を鳴らさず、見事な統制力と構築力を見せつける。

管弦楽を暴走に任せ、歌い手を殺す指揮者が新国立劇場に来ているのをこの耳で知っている私としては、リッカルド=ムーティのオペラ指揮者として極めて模範的であることを認識させられる。ムーティが走らせる管弦楽に乗れないのだとしたら、それは全面的に歌い手の責任である。

巨大な死んだ響きの東京文化会館を考慮すると、上演水準は高く、新国立劇場やサイトウ-キネン-フェスティバルの歌劇公演を軽く上回る出来ではあるが、それでも全てのソリストがメーリ並みの水準に達していたとは言い難く、54,000円のチケット代に見合うかと言われるとやや疑問ではあった。

2014年5月17日土曜日

ゴラン=コンチャル+エフゲニー=ザラフィアンツ デュオ-リサイタル 松本公演 評

2014年5月17日 土曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ヴァイオリン-ソナタ第5番 op.24
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲 op.162 D.574
(休憩)
フレデリック=ショパン ポロネーズ第2番 op.26-2 (※2)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番 BWM1006から「前奏曲」 (※1)
ウジェーヌ=イザイ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第2番 op.27 (※1)
パブロ=サラサーテ 「ツィゴイネルワイゼン」
カミーユ=サン-サーンス 「序奏とロンド-カプリッチョーソ」

(※1)ヴァイオリン-ソロによる演奏
(※2)ピアノ-ソロによる演奏

ヴァイオリン:ゴラン=コンチャル (Goran Končar)
ピアノ:エフゲニー=ザラフィアンツ (Evgeny Zarafiants)

ゴラン=コンチャルとエフゲニー=ザラフィアンツは、それぞれ別個に日本ツアーを組み、ゴラン=コンチャルは、東京(五反田文化センター音楽ホール)・小山(栃木県)・松本・京都(青山記念音楽堂)で、エフゲニー=ザラフィアンツは東京(王子ホール・五反田文化センター音楽ホール)・京都(ゲーテ-インスティチュート-ヴィラ鴨川)・武蔵野市(東京都)にて公演を行っている。この二人の組み合わせは、五反田文化センターの公演と松本公演の二回のみである。この評は5月17日に開催された、松本市音楽文化ホールでの公演に対する者である。

ゴラン=コンチャルはクロアチアのヴァイオリニスト、エフゲニー=ザラフィアンツはロシア出身ではあるが、現在はクロアチアに本拠を構えているピアニストである。

着席位置は正面中央上手側、観客の入りは七割程で、チケットは完売には至らなかったようだ。観客の鑑賞態度は、ややノイジーな状態である。

ゴラン=コンチャルは、ソリストとしての基本的な技量に欠けている。

第一曲目のベートーフェンの時点で、音はか弱くピアノの響きに埋没し、「響き」になっていない。当然、松本市音楽文化ホールの優秀な残響を味方につける事も出来ていない。

第二曲目のシューベルトは、先月庄司紗矢香によっても演奏された曲でもあり、実力差は歴然としている。庄司紗矢香が一歩引く演奏をするときは、プレスラーを立てるためという目的がはっきりしているが、コンチャルはそもそもピアノに対抗できない状態で、およそソリストとしての素養を有しているとは言えない。

バッハの無伴奏、イザイの無伴奏については、ピアノが外れた事もありいくらか聴いた印象は良くなるが、それでも響きが混濁してきちんと音符を弾いているか疑問が残る箇所があるし、イザイに至っては重要な「怒りの日」の動機を明確に表出する事すら出来ていない箇所があり、またこの曲の激しい性格の表現は為されなかった。(ちょうど二週間前に聴いたばかりの)アリーナ=イブラギモヴァのような激しさを表現しろとまでは言わないが、それとは別方向で攻めるのであれば、それなりの明晰な演奏でもって説得力を持たせるべきで、そのような説得力がないコンチャルの演奏はわざわざ聴くには値しないだろう。

5月18日に京都青山記念音楽館に登場するようだが、コンチャルの演奏に失望した聴衆による暴動が起きないか心配でならない。

一方、エフゲニー=ザラフィアンツのピアノは前半のベートーフェン・シューベルトともまともなアプローチで、ヴァイオリンさえ完璧であれば十分に噛み合う事が期待できる演奏だ。ショパンのポロネーズは、技術的な面に於ける問題があってクリアな要素が欠ける部分があり、「彩の国さいたま芸術劇場ピアノエトワールシリーズ」に出演する若手ピアニストの方が上手であるなあとは思わされるが、それでも響かせようとしているだけコンチャルよりはマシな状態だ。

「ツィゴイネルワイゼン」以降の出来は、何故かヴァイオリンとピアノのコンビネーションが格段に良くなり、まあ聴ける状態にはなる。アンコールは三曲あり、マスネの「タイスの瞑想曲」、モンティの「チャールダーシュ」、クライスラーの「愛の悲しみ」の三曲であり、アンコールについては一曲目と三曲目は良い出来であった。

「おやすみなさいのBGM」やら「就寝時の音楽」やらのCDを作成するのであれば、本当に優秀な演奏家であるが、ちょっとでも技量を要する箇所となると、(特にコンチャルは)自らが意図する表現を表出する技量に欠けており、彼以上の優秀な若手演奏家がたくさんいる中で日本ツアーを実現させた意義はないと言ってよい。招聘する側としては、目利きを良くする必要があるだろう。

ここ六カ月の間にヴァイオリンのソリストとして聴いた演奏者は、庄司紗矢香・諏訪内晶子・リサ=ヴァティアシュヴィリ・アリーナ=イブラギモヴァ・ピンカス=ズッカーマンと続いてきた。長野県松本市に住んでいる私としては、ヴァイオリンのソリストはこの水準で演奏されて当たり前だと思っていたが、この環境は贅沢な環境であったのか。その事を思い知らせてくれただけでも感謝するべきなのかも知れない。

2014年5月10日土曜日

ピンカス=ズッカーマン + 宮崎国際音楽祭管弦楽団 演奏会 評

2014年5月10日 土曜日
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)

曲目:
ヨハネス=ブラームス 交響曲第2番 op.73
(休憩)
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリンとヴァイオリン-チェロのための二重協奏曲 op.102

ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン (Pinchas Zukerman)
ヴァイオリン-チェロ:アマンダ=フォーサイス (Amanda Forsyth)
管弦楽:宮崎国際音楽祭管弦楽団
指揮:ピンカス=ズッカーマン(交響曲)・徳永二男(二重協奏曲)

第19回宮崎国際音楽祭は、2013年4月29日から5月18日までにわたり、宮崎県立芸術劇場を中心に、室内管弦楽・室内楽を中心に10以上の公演を開催し、無事終了した。この評は、演奏会2、「ブラームス・深淵なる響き」の題名の下5月10日に開催された演奏会に対してのものである。

宮崎国際音楽祭に臨席するのも、ピンカス=ズッカーマンの演奏を聴くのも二度目である。着席位置は、一階中央僅かに下手側である。観客の入りは六割程で、一階後方、二階三階バルコニー席に空席が目立つ。観客の鑑賞態度は、僅かに拍手のタイミングが早いが、概ね良好であった。

管弦楽配置は、舞台下手側から第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラの順である。

交響曲2番は、第二・第三楽章の木管・ホルンが素晴らしい音色で響かせる。特に第二楽章のホルンのソロは、まあバボラーク程ではないけれど、それでも確実に決めて引き締める演奏だ。全般的に荒削りの箇所がないとは言えないが、管弦楽それぞれがパッションを出せば良い出来になるのだと実感させられる。2009年の小澤征爾指揮によるサイトウ-キネン-オーケストラの演奏はあまりにつまらなく覇気がなく無気力で、最後の90秒以外は聴いていられない状態で、この曲が嫌いになっていた状態であったが、宮崎で再びこの第二交響曲の魅力を認識させられる演奏に出会える。今日の演奏は、もちろん最後の90秒の盛り上がりも、全管弦楽が精緻に揃い綺麗に決める。

二曲目の二重協奏曲は、ズッカーマンのソロが聴ける事もあり、ほぼこの曲目当てに宮崎まで来たようなものだ。どのような出来となるだろうか。

第一楽章冒頭、アマンダ=フォーサイスのチェロの音が細く、ピンカス=ズッカーマンのヴァイオリンはどう考えてもアマンダを庇っている演奏で、いつものズッカーマンらしさが希薄となってしまう。第一楽章冒頭ではアマンダのチェロの音の細さが影響して、音の多い箇所でズッカーマンとの二人のソロでどのような音を伝えるのか、不鮮明な箇所もあった。しかし、曲が進むにつれ是正される。

一方管弦楽は冒頭から全力全開で思いっ切りの良い演奏で、ホールを豊かな響きで満たす。まるでソリスト(特にアマンダ)に対して総決起を促しているかのようなパッションに溢れている。ソリスト級を含め力のある楽団員を揃えている宮崎国際音楽祭管弦楽団の本領が十全に発揮されている。

このような管弦楽の決起と、ズッカーマンがアマンダに引きずらずにマイペースを取り戻し、アマンダも十分ではないにしろ響かせる演奏になっていく。ここまで来れば、全てがうまく噛み合う演奏となる。宮崎県立芸術劇場の素晴らしい残響を味方につけ活かした、素晴らしい演奏だ。

アンコールはコダーイの「ヴァイオリンとヴァイオリン-チェロ二重奏曲」から一曲であった。

2014年5月3日土曜日

アリーナ=イブラギモヴァ 無伴奏ヴァイオリン-リサイタル 評

2014年5月3日 土曜日
電気文化会館 (愛知県名古屋市)

曲目:
ウジェーヌ=イザイ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ op.27
第1番 ヨーゼフ=シゲティに献呈
第2番 ジャック=ティボーに献呈
第3番 「バラード」 ジョルジェ=エネスクに献呈
(休憩)
第4番 フリッツ=クライスラーに献呈
第5番 マチュー=クリックボームに献呈
第6番 マルエル=キロガに献呈

ヴァイオリン:アリーナ=イブラギモヴァ
(Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova)

アリーナ=イブラギモヴァは、4月30日から5月3日に掛けて来日ツアーを行い、トッパンホール(東京)、電気文化会館(名古屋)にてリサイタルを行った。いずれも曲目は、イザイの無伴奏ヴァイオリン-ソナタである。在住国の連合王国にても、日本ツアーの後で123を一回、456を一回、全てを一回の公演がある。

アリーナ=イブラギモヴァは1985年9月28日に、当時のソヴィエト連邦スヴェルドロフスク州に生まれた。10歳の時に、父親がロンドン交響楽団コントラバス首席奏者として就任したことに伴い連合王国に移住し、現在も本拠としている。

イブラギモヴァの評判については、名古屋に於ける聴衆仲間からの噂で聴きつけた。まだ20代の彼女の演奏スタイルは「激しい」らしく、どちらかと言うとカワイイ系の顔立ちを売り物としている写真からは、想像できない。電気文化会館の宣伝チラシによると、「”妖精”イブラギモヴァが誘う。イザイの深淵」との事である。

そもそも東京での公演日は平日であり、かつわざわざ最新鋭の劣悪な音響設計で建築したトッパンホールに、この私が行くはずがない。当然名古屋の電気文化会館で決定である。着席位置は、一階中央やや前方である。客の入りは7割くらいであろうか。予想外の少なさである。聴衆の鑑賞態度は良好であった。

第1番は、演奏スタイルにリサ=バティアシュヴィリとそう変ったところはない。特別な「激しさ」は感じない。

第2番が始まる。最初の一小節だか三音だかは、実に繊細に優しい響きで弾いているなあと思いきや、突然豹変しアリーナの激しい本性が表出される。そのコントラストに圧倒される。第3番は「バラード」のタイトルに拘束されず、「激しさ」を織り込んだ演奏である。後半の4・5・6番は曲想こそおとなしめになるが、演奏スタイルは変わっていない。トッパンホール公演では最終局面で疲れが出たとの情報もあるが、今日の電気文化会館での公演では最後の最後まで緊張感が途切れない抜群の安定感を保っている。

アリーナの傑出しているところは、実は「激しさ」を伴うところも極めて緻密に演奏しているところだ。重音の美しさも何らの淀みもない。感情に全てを任せる事もせず、パッション溢れる演奏スタイルで観客の目を眩ませることもなく、全ては綿密な構成力の下で全ての響きが成り立っている。一音一音のあらゆる場面が必然と感じられる。完璧と言ってよい。身体能力の高さの面では若さの特権を活かしつつ、産み出される音楽は28歳とは思えない演奏だった。

無伴奏と言う事もあり、アンコールはなし。唯一の突っ込みどころは、「妖精」の宣伝文句の割にはふっくらとしていたことくらいしかない。この12月にはJ.S.バッハの無伴奏を同じ電気文化会館で演奏する。その時までにはダイエットを済ませて、「妖精」の宣伝文句の通りになってくださいね、アリーナたん♪♪

2014年4月27日日曜日

モイツァ=エルトマン+グザヴィエ=ドゥ-メストレ デュオ-リサイタル評

2014年4月27日 日曜日
青山音楽記念館 バロックザール (京都府京都市)

曲目:

フランツ=シューベルト:男なんてみんな悪者 op.95 D.866-3
フランツ=シューベルト:至福 D.433
フランツ=シューベルト:乙女 D.652
フランツ=シューベルト:野ばら op.3-3 D.257
フランツ=シューベルト:月に寄せて D.259
フランツ=シューベルト:糸を紡ぐグレートヒェン op.2 D.118
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト:ピアノ-ソナタ 第16番 K.545 (※)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」 K.492 より「さあ早く来て、いとしい人よ」(スザンナのアリア)
ヴィンツェンツォ=ベッリーニ:歌劇「カブレーティとモンテッキ」より「ああ幾度か」
(休憩)
リヒャルト=シュトラウス:ひどい天気 op.69-5
リヒャルト=シュトラウス:万霊節 op.10-8
リヒャルト=シュトラウス:私の思いのすべて op.21-1
リヒャルト=シュトラウス:何もなく op.10-2
リヒャルト=シュトラウス:あなたは私の心の王冠 op.21-2
リヒャルト=シュトラウス:セレナーデ op.17-2
ベドルジハ=スメタナ:交響詩「わが祖国」より「モルダウ」 (※)
ジュゼッペ=ヴェルディ:歌劇「リゴレット」より「愛しき御名」(ジルダのアリア)
アントニオ=サリエーリ:歌劇「ダナオスの娘たち」より「あなたの娘が震えながら」
ジャコモ=プッチーニ:歌劇「ジャンニ=スキッキ」より「私のいとしいお父さん」(ラウレッタのアリア)
(※:ハープのみ)

ソプラノ:モイツァ=エルトマン (Mojca Erdmann)
ハープ:グザヴィエ=ドゥ-メストレ (Xavier de Maistre)

ドイツ連邦共和国ハンブルク市で生まれたモイツァ=エルトマンは、フランス人ハープ奏者であるグザヴィエ=ドゥ-メストレとともにこの4月に日本ツアーを行い、東京(タケミツメモリアル及び王子ホール)・兵庫県西宮市(兵庫県立芸術文化センター)・京都(青山音楽記念館バロックザール)にて演奏会を開催した。この評は、4月27日に開催された京都公演に対してのものである。なお、最も理想的な環境である、十分な残響が保たれた中・小規模ホールでの開催は、この日本ツアーで京都公演が唯一のものである。

着席位置はやや前方上手側、チケットは完売した。観客の鑑賞態度はかなり良好であり、特に拍手のタイミングが完全に曲が終わってから為されていた。

モイツァの調子はとても良い。サウンドチェックは完璧に為されており、青山音楽記念館の音響を完全に我がものとして、自由自在に操っている。第一曲目から浮気する男に対して怒っているような表情を見せながら、完成度の高い響きで観客の心を掴んでいく。曲の構成力も優れており、曲の最初の穏やかなところからクライマックスに達するまでの波状攻撃が実に巧みだ。第一波よりも強く第二波が押し寄せ、さらに強い第三波で観客を熱狂に追い込む。青山音楽記念館の音響が実に懐が深く、弱音からかなり強い音まで綺麗に響かせる。モイツァはそのホールの特質を完全に掌握しており、自信を持って安定感のある三回転半ジャンプを繰り返す。

前半は、特に「糸を紡ぐグレートヒェン」・「ああ幾度か」はモイツァの特質を良く活かしている。後半も完璧な出来であるが、もう曲名すらどうでも良くなり、何も考えず、モイツァの歌声にただただ酔いしれる。

取ってつけたように、大して興味がない(♪)メストレのハープについても言及するが、モイツァを実に巧みに支えている。弱音も綺麗に響く。ハープソロは、「モルダウ」が素晴らしい。

アンコールは、リヒャルト=シュトラウスの「高鳴る心」op.29-2、シューベルトの「万霊の連祷」D.343の二曲であった。

昨年11月17日に三井住友海上しらかわホール(名古屋)で開催されたマグダレーナ=コジェナに引き続き、歌唱ソロ部門で傑出した声を味わうことができた。ホールの吟味を慎重に行い、大規模ホールは避け、中小規模の残響が豊かなホールを選択した事も成功要因の一つだったろう。このリサイタルの存在は、東京-初台にあるタケミツメモリアルのチケット売り場でチラシを漁っている最中に発見した。チラシの隅を読んだのか、検索を掛けたからなのか、青山音楽記念館で同一プログラムが日曜日に開催される事が判明し京都入りを決断、東京オペラシティ地下一階のサークルKに駆け下ってカルワザステーションを操作し、購入したものである。この日本ツアーについては、青山音楽記念館以外には考えられなかった。私の狙いは予想を超えて当たり、歌い手とハープとホールとが実にうまく絡み合い、私の心を幸せな気持ちにさせてくれた。

2014年4月13日日曜日

庄司紗矢香+メナヘム=プレスラー デュオ-リサイタル 松本公演 評

2014年4月13日 日曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ K.454
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲 op.162 D.574
(休憩)
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 op.137-1 D.384
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番「雨の歌」 op.78

ヴァイオリン:庄司紗矢香
ピアノ:メナヘム=プレスラー

庄司紗矢香とメナヘム=プレスラーは、2014年4月1日から4月13日までに掛けて日本ツアーを行い、高崎(群馬県)・美深町(北海道中川郡、何とまあ、北海道は旭川の北の名寄の北の小さな町に登場したのだ!)・宇都宮・大阪・東京・鎌倉(神奈川県)・松本にて計7公演開催した。この評は、第七回目(最終回)4月13日松本市音楽文化ホールでの公演に対してのものである

庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく世界的にトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎えた。今日は、松本で桜が開花し満開に近づきつつある事を踏まえたのか、桜色のドレスで観客の目を惹きつける。

メナヘム=プレスラーは1923年にドイツ、マクレブルク生まれで、昨年12月に90歳に達した。庄司紗矢香とは約60年の年の差で、祖父と孫のように思える。メナヘム=プレスラーは大変小柄な方で、あの庄司紗矢香よりも背が低い程だ。

着席位置は正面中央やや上手側、観客の入りは九割程で、チケットは完売には至らなかったようだ。観客の鑑賞態度は、致命傷にはならない程度に携帯電話の着信音があったものの、拍手のタイミングは余韻が消えた後に為され、またアタッカ気味に進められる曲の進行を妨げる動きもなく、その意味では大変良好であった。

曲を知っている人たちにとってはご存じの通り、聴衆に対しても集中力を要する曲目で、その全てが聴衆を眠らせる魔力を持った曲である。

二人とも目指した方向性は、技巧を見せつけるものではなく、如何に曲を鋭く解釈しニュアンスを豊かにして新たな生命を吹き込むか、と言ったところにある。

完成度は全般的にプログラムの進行とともに上がっていく。リピートがある部分では、二回目の方がより良い出来となっていく。

二人の関係性は、時にヴァイオリンが表に出たり、ピアノが表に出たり、二人で一緒に奏でたりと、かなり明確に区別している。二人とも弱音がとても豊かである。集中力に満ち、ニュアンスに富み、何気ないフレーズからすら新たな命が吹き込まれる名演である。特に最後のブラームスは完璧と言って良い。

プレスラーのピアノは、さすがに90歳であり肉体的に技巧を極める路線では決してないが、何をしたいのかが明確で、優しい響きで淡々と進めているようで、どこか深みが感じられる演奏である。

庄司紗矢香のヴァイオリンから発せられるニュアンスからは、新たな解釈が生まれる。紗矢香の素晴らしいところは、他の誰もが特に意識することなく通り過ぎる場面であっても、新しい世界を構築していく力があるところだ。間違いなく日本人の中で圧倒的な差を持ってトップに君臨するヴァイオリニストであるし、世界的にも彼女のような存在は(いたとしても)稀だろう。

アンコールは四曲あり、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、ショパンの夜想曲第20番(プレスラーのソロ)、ブラームスの「愛のワルツ」、ショパンのマズルカ(op.17-4)(プレスラーのソロ)であった。

2014年4月12日土曜日

第94回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評

2014年4月12日 土曜日
紀尾井ホール (東京)

曲目:
モーリス=ラヴェル 組曲「マ-メール-ロワ」
モーリス=ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」
コダーイ=ゾルターン 「ガランタ舞曲」
(休憩)
リヒャルト=シュトラウス 「町人貴族」 op.60 TrV228c

管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京
ゲスト-コンサートマスター:千々岩英一(パリ管弦楽団副コンサートマスター)
指揮:ペーター=チャバ

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ペーター=チャバを指揮者に迎えて、2014年4月11日・12日に東京-紀尾井ホールで、第94回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

指揮のペーター=チャバは、マジャール系ではあるがルーマニアで生まれた指揮者である。ゲスト-コンサートマスターの千々岩英一は、パリ管弦楽団の副コンサートマスターである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。なお、「町人貴族」にあっては、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの順に配置換えし、第一プルトを半円形にして各パート二人ずつ配置し、その後ろに第二プルトを二人ずつ(計4人)配置している。

着席位置は正面後方中央、観客の入りは8割程か。観客の鑑賞態度は鈴の音が部分的に響く箇所はあったが、KSTの定期演奏会にしては良好の部類に入る。拍手のタイミングが適切である。

前半のラヴェル・コダーイは、弦楽の線が細く音圧が感じられない演奏である。

一番素晴らしいのは木管パートで、池田昭子のオーボエ、中川佳子のフルートはもちろんであるが、「ガランタ舞曲」で見せた鈴木豊人の長いソロには強く弾きつけられる。難波薫のピッコロは、私はもう少し強く鋭い響きが好みであるが、チャバの指示によって溶け込むようは響きになったのか?

ホルンは弱音で下支えする部分は素晴らしいが、「亡き王女のためのパヴァーヌ」冒頭のホルン-ソロはよく響いてはいるものの、生硬な響きでニュアンスが感じられない。松本に住んでいる私としては、ホルンはラデク=バボラークのように出来て当たり前で、彼のような柔らかくニュアンスに富んだ表現で観客の心を惹きつけるべきところである。「亡き王女のためのパヴァーヌ」終了後に一番最初にホルン首席を立たせたのは、納得しがたい。

休憩後の「町人貴族」で、弦楽は数を減らし、ゲスト-コンサートマスター千々岩英一を始め各弦楽パート首席によるソロも多いが、人数が減ったのにも関わらず前半よりも豊かな響きで音圧を感じさせる演奏だ。休憩前の木管の素晴らしさに弦楽が対抗できる状態となり、わざわざパリから千々岩英一を招いた意味がようやく明らかとなる。千々岩英一は、リヒャルト=シュトラウスならではの音色を朗々と掲示して管弦楽全体を導いていく。「町人貴族」では、故意に下手な奏者を演じるところもあるのだろうか、そのような場面は上品なオブラートに包んで演奏しているようにも思える。各弦楽パート首席のソロも素晴らしく、その室内楽的聴きどころを的確に演奏し、千々岩英一が提示したテンションを保持している。管弦楽全体で紀尾井ホールの響きを味方につけた演奏で完成度が高い演奏だ。

アンコールは、「町人貴族」の中から二分ほど抜粋しての演奏であった。

2014年3月30日日曜日

「メキシコ音楽の祭典」 管弦楽演奏会 評

2014年3月30日 日曜日
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)

曲目:
シルベストレ=レブエルタス(Silvestre Revueltas Sánchez) 「センセマヤ」(ヘビ退治)
マルエル=マリア=ポンセ(Manuel María Ponce Cuéllar) ヴァイオリン協奏曲
(休憩)
カルロス=チャヴェス(Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez) ピアノ協奏曲 (日本初演)
シルベストレ=レブエルタス(Silvestre Revueltas Sánchez) 「マヤ族の夜」

ヴァイオリン:アドリアン=ユストゥス (Adrían Justus)
ピアノ:ゴンサロ=グティエレス (Gonzalo Gutiérrez)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(TPO)
指揮:ホセ=アレアン (José Areán)

公益財団法人東京オペラシティ財団は「メキシコ音楽の祭典」を企画し、2014年3月28日に東京オペラシティ-リサイタルホールで「室内楽の夕べ」(室内楽演奏会)、3月30日に大管弦楽演奏会を挙行した。この評は、3月30日に開催された大管弦楽演奏会に対するものである。

管弦楽こそ東京フィルハーモニー交響楽団(TPO)であり、日本で「現地調達」したものであるが、ソリスト・指揮者ともメヒコ(メキシコ)市生まれ、曲目もメヒコ出身の作曲家によるものである。

管弦楽配置は、モダン配置であることの記憶ははっきりしているが上手側のヴィオラ・ヴァイオリン-チェロの順番については記憶していない。コントラバスはチェロの後ろにつく。パーカッションは基本的に舞台下手側後方に位置している。

着席位置は一階正面中央僅かに上手側である。観客の入りは六割程であろうか、一階後方はガラガラの状況であり、わざわざメヒコ音楽を聴きに行く変わり者は少ない。当日の同じ時刻に、東京交響楽団演奏会がミューザ川崎にてあり、指揮者ユベール=スダーンの最後の指揮ということもあり、東京の大管弦楽イヴェントが重なったこともあるだろう。私がこの演奏会を選んだ動機は、カスティージャ(スペイン)語圏の音楽に対する好奇心の他、正直「怖いもの見たさ」的な好奇心も大なるものがあり、聴きに行くことをかなりあっさりと決断した事を覚えている。演奏会場が、聴覚的にも視覚的にも東京で最も素晴らしいホールであるタケミツメモリアルでもあるし・・・。観客の鑑賞態度はかなり良く、タケミツメモリアルの余韻が消えるまで待って拍手を送っていた。

演奏会が始まる前に、指揮台に楽譜らしきものを持ってくる、如何にもメヒコ美女らしき人物が登場し、ホセ=アレアンはずいぶんとお美しいアシスタントを確保しているものだなあと感心していたら、名前だけどこかで聞いたことがある政井マヤである。楽譜ではなくスピーチ原稿であった。どうもこの演奏会は、支倉常長遣欧使節団が現在のメヒコに立ち寄って400年であることを記念した「日本メヒコ交流年」行事の一つでもあり、政井マヤはメヒコ国チワワ州生まれの縁もあって親善大使としてご挨拶とのことだ。早く曲を聴きたくてうずうずしている中、ギリギリセーフの長さでスピーチを終える。

ソリストの様子について述べる。

ポンセ作曲ヴァイオリン協奏曲のソリストであるアドリアン=ユストゥスは線が細く、タケミツメモリアルの響きを味方につけられていない。管弦楽はかなり手加減していたが、眠くなる演奏となる。

チャベス作曲のピアノ協奏曲のソリストであるゴンサロ=グティエレスは、この1942年に初演された現代作品で、35分の長さではあるが音が多く、ソリストの負担が大きい曲を、完璧な技術で弾ききり、パッションも込められ、日本初演を鮮やかに飾った。

管弦楽について述べる。

TPOは第一曲目冒頭こそ硬さが目立ったが、出来不出来の激しいTPOの演奏を踏まえると、少なくとも年に三回レベルの素晴らしい演奏を披露した。おそらく、2014年ベスト演奏となる名演である。タケミツメモリアルの響きの特性を活かしきり、弦楽管楽打楽器全てがその役割を十二分に果たし、楽団員の能力を100%引き出した美しい響きの上に、メヒコの管弦楽団を想像させるパッションを相乗させた演奏であり、ホセ=アレアンの指揮、TPOの演奏、タケミツメモリアルの音響、それらが三位一体となって全てが巧く噛み合った演奏だ。最後の「マヤ族の夜」最終楽章とでもいうべき「魔術の夜」では、パーカッションセクションが卓越した完璧な演技で観客の興奮を最高潮に持っていき、プログラムを華麗に終える。

アンコールは前半終了時に、アドリアン=ユストゥスのソリストアンコールがあり、何故かパガニーニの「24のカプリース」より第21番、演奏会終了時のアンコールが1950年に生まれたメヒコの作曲家、アルトゥーロ=マルケス(Arturo Márquez Navarro)の「ダンソン第2番」である。

演奏会終了は、開始時刻から2時間50分を経過していた。30分を超える協奏曲が2曲あるなど、ボリュームたっぷりでありながら、極めて水準の高い内容でまとめ、しかも日本ではあまり知られていないメヒコの音楽を披露した意義深い演奏会であり、このような演奏会を実現させた日本・メヒコ両国の関係者、公益財団法人東京オペラシティ文化財団を高く評価したい。

2014年2月5日水曜日

佐村河内守のゴーストライター事件

佐村河内守氏のゴーストライター事件について、特段の感想はない。まあ、「佐村河内守作曲工房作」とでもしていれば良かったのか?

かなり小まめにドサ周りをする全国規模での公演をするなど、最近調子にのって流行っているなあとは思っていたが、そうなるとなおさらその演奏会に行く気を無くす性格の持ち主なので、彼の作品の演奏会に行ったことはない。何かのリサイタルで10曲やる内の1曲くらい入っている分にはいいのだろうけど。

昨年の8月頃であろうか、私が山田和樹万歳、小澤征爾引退しろなどと、常日頃からtwitterでお行儀の悪い発言を繰り返していたためか(笑)、よく分からない人物にちょっと絡まれ、特定の指揮者の私生活についてあれこれ非難していながら音楽関係者らしく、匿名とは言え私よりもお行儀の悪い放言をしていて大丈夫なのかと心配してはいたが、その人物が佐村河内守は実は耳が聞こえるだとかかんとか、根拠不明の発言をしていた。耳が聞こえる云々は噂としては流れていたらしいが、ゴーストライターとはねえ。。

彼はあまりに音楽以外のところで売り込みが過ぎているように思える。そういう「物語」は、どうも私との親和性に欠ける。広島出身で言えば細川俊夫も同じ話になってしまうし。でも、細川俊夫が広島出身だなんて、わざわざインチキヴィキペディアで調べて初めてそうなんだと認識するもので、そんなことを念頭に入れて聴いている聴衆などどこにもいないだろう。

また、耳が聞こえなくなった事を持ってベートーフェンの再来やら何やら言われると、興ざめしてしまう。「見かけは可憐で実は凶暴なギリシャの乙女」である交響曲第4番、小さいながらも卓越した構築力で作成された交響曲第8番、この二曲を聴いただけでも、ベートーフェンの偉大さに恐れを抱いて、「再来」やらなにやらとの言葉を使うなんて絶対無理だと思ってしまうのに。せめてショスタコーヴィチレベルの作曲家に対して、そういった表現は用いてほしいと強く思う。

それにしても、どうして流行り始めたのか私には謎だったが、NHKスペシャルで佐村河内守の「物語」を全国規模でばら撒いたためだったのか。テレビシオン恐るべし。その恐るべき有害性!

私は、松本のサイトウキネンや水戸での水戸室内管弦楽団演奏会で、細川俊夫や権代敦彦と言った作曲家の曲を聴いてきた。日本に於ける現代作曲家で取り上げるべきなのは、この二人だ。人生は短く有限だ。時間を無駄に使わないように、アンテナの感度を鋭くし、吟味を慎重にしていくべきことを、改めて肝に銘じることにしよう。

2014年2月4日火曜日

日本共産党大阪府委員会 への電子メール

日本時間2014年2月4日22時17分頃、下記の電子メールを日本共産党大阪府委員会に対し送付したので、下記の通り公表する。

(以下文面)

日本共産党 大阪府委員会 御中

平素より、日本国のデモクラシーを支え、大阪の未来のために貢献する貴委員会に対し敬意を表します。

本日、貴委員会に関し懸念を抱かざるを得ないニュースを聞きました。

橋下徹大阪市長が辞職し再選挙に出馬する身勝手な行為に対し、「野党統一候補」の擁立を他党に対し提案し、これが実現しない場合は独自候補を擁立するとのニュースです。

衰えたとはいえ、橋下徹を落選させる事は容易なことではありません。「野党統一候補」として擁立するとしたら、前大阪市長である平松邦夫氏以外に考えられません。その平松邦夫氏は、出馬はしないと受け取ってよいと考えます。

となると、日本共産党による独自候補が橋下徹に挑む形となりますが、その独自候補が落選した場合、橋下徹は自身が信任されたと吹聴して自らの立場を強化する言動を繰り返し、非維新陣営にダメージを与える作戦に出る事は容易に予想されます。橋下徹が4年の任期を満了した際の選挙戦で、どのような悪い作用を与えるか、私には想像がつきません。

平松邦夫氏が動かない以上、今は下手に動く時期ではありません。維新の挑発に糞真面目に乗って、維新の望む通りのレールに乗る必要などこにもありません。

今回の橋下徹による身勝手な辞職・選挙戦に対し、非維新勢力として統一的な立場を維持する事により、橋下徹に餌を与えずレームダックの状態に陥りさせるとともに、2015年秋の市長選挙まで非維新勢力の力を蓄え、平松邦夫氏の返り咲きを期するべきと愚考いたします。

なにとぞ、日本共産党独自候補の擁立という無謀な戦術を用いられないよう、伏してお願いいたします。文楽を愛し、日本センチュリー交響楽団の素晴らしい技量を愛する、一長野県民の願いを聞き入れてください。どうか、よろしくお願いいたします。

2014年2月1日土曜日

第346回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 演奏会 評

2014年2月1日 土曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)

曲目:
ヤッコ=クーシスト 「ライカ」 op.24
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第6番「田園」 op.68
(休憩)
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第8番 op.93

管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ

OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年2月1日、第346回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりで、1月26日に開催された第345回定期演奏会に引き続いてのものである。

コンサートミストレスは、アビゲイル=ヤングである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。第345回定期演奏会の時と変わりない。

着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは八割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある謎の状態は第345回の時と変わりなく、定期会員の客がサボったものと考えられる。観客の鑑賞態度は良好であった。

第一曲目の「ライカ」は2010年に初演されたばかりの現代曲である。ラルフ=ゴトーニと同じスオミの作曲家であるクーシストの作品だ。演奏自体は、次のベートーフェンを期待させる程の良い出来である。


二曲目、ベートーフェン第6番「田園」は、冒頭のテンポは速くもなく遅くもなく適切な始まり方であるが、弦がよく響かない。石川県立音楽堂の響きを味方にしていない演奏で、音圧が感じられない。一方木管パートは頑張っている印象がある。もちろんベルリン-フィルのような超絶技巧で攻める形ではないけれど、持っている力を出し切っている印象を与えるものだ。金管パートの調子はあまり良くない。特に第四楽章の場面ではやけにあっさりした印象を持つ。第五楽章冒頭でのホルン-ソロは音程が不安定であるが、その場面ではしっかりと決めてほしい。その他、第四楽章ではティンパニが決起を促すものの、他の楽器があまり呼応せず、浮いた存在になってしまっているのはかわいそうである。

弦楽セクションは、何故か第五楽章になるとやけに調子が良くなる。終盤に近いところでのチェロとファゴットとで奏でるフレーズも良く響いている。

部分的には良い点もあるが、やはり「田園」はベートーフェンの九つの交響曲の中で一番難しいのだなあと感じざるを得ない。満足できる演奏は、準=メルクル指揮による水戸室内管弦楽団による演奏のみだ。

三曲目のベートーフェンの第8番は、普通にしっかりとした演奏だ。「田園」でテンションが下がってしまった状態で聴くこととはなったが、この程度の演奏であれば不満はない。

アンコールはマルムスティン作曲(ヨハンソン編曲)「さよならは手紙で」であった。

2014年1月26日日曜日

第345回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 演奏会 評

2014年1月26日 日曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)

曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 「コリオラン」序曲 op.62
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 三重協奏曲 op.56
(休憩)
カール=マリア=フォン-ヴェーバー 交響曲第1番 op.19

ヴァイオリン:マーク=ゴトーニ
ヴァイオリン-チェロ:水谷川優子(みやがわ ゆうこ)
ピアノ:ラルフ=ゴトーニ
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ

OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年1月26日、第345回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりである。ヴァイオリンのソリストであるマーク=ゴトーニはラルフ=ゴトーニの息子で、実に良く父親と似ている。チェロのソリストは、当初予定はヴォルグガング=メールホルンであったが、演奏会前日に体調を崩し、水谷川優子が代役として出演することとなった。彼女は、実はマーク=ゴトーニの妻である。予期せぬ形で、三重協奏曲はゴトーニ一家とOEKとの共演と言う形となる。

コンサートミストレスは、マーラー室内管弦楽団のコンサートミストレスとしても名高いアビゲイル=ヤングである。ティンパニは、関西フィルハーモニー管弦楽団首席奏者のエリック=パケラが担当だ。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。

着席位置は一階正面ど真ん中より僅かに上手側、観客の入りは六割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある状態だ。おそらく、定期会員の客がサボったものと考えられる。ひでえ輩だ。観客の鑑賞態度は良好であった。

第一曲目の「コリオラン」序曲は、既に用意されてあるピアノの前に立っての指揮だ。今日のOEKの演奏は実に完成度が高い。精緻さ・パッションいずれもがOEKの実力を100%発揮している素晴らしい演奏だ。もちろん最強奏のあとのゼネラルパウゼになり響く残響は、石川県立音楽堂ならではのもので、涙を誘う。実に素晴らしいホールであることも実感させられる。

二曲目の三重協奏曲は、弾き振りのラルフ=ゴトーニのピアノ、マーク=ゴトーニのヴァイオリンともに管弦楽を一歩上回る響きである。ラルフ=ゴトーニのピアノは実に上手で、響きについてよく考え練られ、とてもピアノを舞台後方に向け天板を外している演奏とは思えない。この点でシュテファン=ヴラダーを軽く圧倒するし、全般的な完成度も上だ。

水谷川優子のチェロは、特に第一楽章ではガチガチに固くなっていて、エンドピンを刺す場所を変えたりとかなり神経質な状況だ。チェロの音は鳴らず聞こえず、特に多くの音を速く演奏するフレーズでは何を弾いているかさっぱり分からない状況で、ヴォルグガング=メールホルンの不在を思い知らされる。それでも、第二楽章冒頭のチェロのソロ、第三楽章中盤の、長めのスタッカートで音を刻んでいく箇所に於いてはそれなりの音で聴けるものであり、急な代役としての最低限の責務は果たしたと言うべきか。

三曲目のヴェーバーの交響曲第1番は、マニア向けとしか言いようのない変わった曲である。しかしこの曲も演奏が素晴らしいと、作曲の巧拙などどうでも良くなる。ラルフ=ゴトーニの導きは的確で、この場面でどの楽器がどのように弾けば良いのかが明確で、精緻さを伴いつつもパッションを出している素晴らしい演奏だ。OEKの持っている力を100%活かし、石川県立音楽堂の響きを確実に掴んでいる。まるで二年のブランクを全く感じさせない、ずっと長い間常任指揮者として関わってきたかのような親密さすら感じる。指揮者と管弦楽との信頼関係が噛み合っているからこそのものだろう。曲の終了後にゴトーニが一番先に立たせたのは、フルートの岡本えり子である。

マルク=ミンコフスキとはタイプが違うのだろうけど、ラルフ=ゴトーニも間違いなく「響きの魔術師」だ。OEKに取って最も必要としている指揮者の一人であることは確実である。次期音楽監督は、ラルフ=ゴトーニか山田和樹のどちらかで決まりだろうし、そうしなけらばならない。

アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」、お国ものスオミの曲で幕を閉じた。

2014年1月25日土曜日

庄司紗矢香+サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団 大阪公演 評

2014年1月25日 土曜日
ザ-シンフォニーホール (大阪府大阪市)

曲目:
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 op.35
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36

ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団(Санкт-Петербургская Филармония им. Шостаковича)
指揮:ユーリ=テミルカーノフ

サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団は、庄司紗矢香(ヴァイオリン)、エリソ=ヴィクサラーゼ(ピアノ)をソリストに、ユーリ=テミルカーノフに率いられて、2014年1月24日から2月1日までに掛けて日本ツアーを行い、東京・大阪・横浜・名古屋・福岡にて計7公演開催する。庄司紗矢香は1月25日に大阪、1月26日に横浜、1月30日に名古屋にてソリストとして登場する。庄司紗矢香がザ-シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、愛知県立芸術劇場と言った、音響に定評のあるホールのみに登場するのは深い意味がありそうだ。この評は、第二回目1月25日大阪市ザ-シンフォニーホールでの公演に対してのものである

庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく日本人ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎える。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置である。舞台後方には舞台下手側からコントラバス→木管楽器とその後ろにティンパニ→金管楽器の順である。ホルンのみ下手側に位置する事もなく、金管楽器は全て舞台上手側に位置する点が今日深い。ロシアの管弦楽団らしく、ティンパニのみが雛壇に乗っており、他は全て同一平面上での演奏である。

着席位置は正面後方下手側、観客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。

第一曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はとても優れた演奏である。ターコイズブルーのドレスを着た庄司紗矢香は、ソロの場面で見せるニュアンスが豊かで、特にテンポの独特かつ巧妙な揺るがせ方が抜群である。これは本当に名状しがたいもので、短い間に微妙に揺るがせ、彫りの深い表情を見せるのだ。

対する管弦楽も、前日のマーラー第2番「復活」の際には乱れていたらしいアンサンブルもキッチリ決まっている。

管弦楽のみの部分ではテンポが速めであるが、庄司紗矢香に引き継がれると、何の違和感なしにテンポがゆっくり目となって、彼女が構築する独自の世界に引き込まれるのが面白い。

庄司紗矢香と管弦楽とのバランスも良く考え抜かれている。これほどまでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を生で接したのは初めてだ。

ソリスト-アンコールは、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」op.6である。庄司紗矢香の構築する深い表現が味わえるアンコールである。

後半のチャイコフスキーの交響曲第4番は、アンサンブルはあっているし、個々の技量も完璧だし、綺麗に響いているし、で、テミルカーノフの意図通りの演奏である。随所に出てくる金管ソロをゆっくり吹かせたり、テンポを特に第二楽章で揺るがせたのが特徴か。大雑把だけどとにもかくにも爆演系でノックアウトさせるというものではなく、良くも悪くも「ロシア」的ではない。「ロシア」的でないという点では、あまり面白くない。

アンコールは、何故かエルガーの「愛のあいさつ」。て、ところがやはりロシアらしくないなあ。メインディッシュは庄司紗矢香と言うところか、彼女の30歳とは思えない彫りの深い表現を味わうことが出来た、演奏会であった。

2014年1月19日日曜日

ラデク-バボラーク ホルン-リサイタル 評

2014年1月19日 日曜日
挙母市コンサートホール (愛知県挙母市)

曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン ホルン-ソナタ op.17
ロベルト=シューマン アラベスク op.18 (※)
シャルル=ケクラン ホルン-ソナタ op.70
(休憩)
ロベルト=シューマン 「3つのロマンス」 op.94
フランシス=プーランク 即興曲第15番 「エディット=ピアフを讃えて」 (※)
ヤン=ズデニュク=バルトシュ 「エレジーとロンディーノ」
レフ=コーガン 〈CHABAD〉によるハシディック組曲

(※印は菊池洋子のソロ)

ホルン:ラデク=バボラーク
ピアノ:菊池洋子

着席位置は、一階ど真ん中より少し後方かつ上手側である。客の入りは七割くらいであろうか。聴衆の鑑賞態度は概ね良好であった。

ラデク=バボラークは全般的に渡り、いかなる場面でも完璧な音量、ニュアンスで、かつ柔和な響きで魅了させられる。テンポは中庸で、あまり変動は掛けない。

一方で菊池洋子のピアノは、特に前半は遠くにあるように聴こえる。私の列は17列目かつ上手側であるが、キチンと響かせていない形である。良く言えば、バボラークに遠慮した抑制的な演奏であるが、しかし「伴奏者」もパッションを出して「主役」に対抗し、「主役」に決起を促す役割はあるだろう。今日の菊池洋子は「貞淑な人妻」のような演奏で、あまり面白みがない。不倫をするかのような雰囲気を漂わせて「主役」に火をつけてもらいたかったところはある。

特に良かった演奏は、ケクランの「ホルン-ソナタ」、バルトシュの「エレジーとロンディーノ」であり、叙情的な曲で二人の演奏の方向性が似合っていたようには思う。

アンコールは5曲というか、一つの小品と一つの組曲の演奏で、曲目は、田中カレンの「魔法にかけられた森」から第二楽章、マイケル=ホーヴィット「サーカス組曲」から第一曲「行進曲」、第三曲「象」、第四曲「空中ブランコ」、第五曲「ピエロ」であった。

2014年1月13日月曜日

東京楽所 雅楽 「源氏物語~悠久の響宴」 評

2014年1月13日 月曜日
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)

演目:

管絃
・盤渡調音取(ばんしきちょうねとり)
・青海波(せいがいは)
・越天楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんへん)
(休憩)
舞楽
・万歳楽(まんざいらく)
・落蹲(らくそん)

雅楽:東京楽所(とうきょうがくそ)
(舞人・演奏者の詳細は最後に掲載)

解説:多忠輝(おおのただあき) 進行:野原耕二

東京楽所 雅楽「源氏物語~悠久の響宴」は、1月11日に栃木県総合文化センター、1月13日に三井住友海上しらかわホールにて上演された。一部重複するプログラムで、1月19日にも東京オペラシティ-タケミツメモリアルでも上演される。

着席位置は、二階三列目ど真ん中より僅かに上手側である。客の入りは八割程であろうか。二階左右バルコニー席は閉鎖している。聴衆の鑑賞態度はかなり良好である。

休憩前の第一部は「管絃」であり、西洋音楽でいえば室内管弦楽団演奏会に相当するものである。舞台に管絃が座り演奏する形態だ。

16人による演奏であるが、笙はオルガンのように響き、弦楽器・管楽器・打楽器と西洋音楽の管弦楽と同様に構成されている。雅楽の楽器は思ったよりも大きな音量を出せる。しらかわホールのような中規模ホールでは、強い音圧でしっかりとした残響とともに響いてくる。栃木県総合文化センターでは絶対味わえないし、タケミツメモリアルは大きなホールであるため、残響はともかくここまで強い音圧では響かないだろう。理想的な環境での演奏だ。

恐らく西洋の楽器に持ち帰れば即アンサンブルとして名が知られるだろうと思えるほど、上手に演奏する。雅楽の様式による演奏であるため、テンポの変動はあまりない。「越天楽残楽三返」の「残楽」とは、ヨーゼフ=ハイドンの「告別」最終楽章のように、メロディーをフルメンバーで演奏した後、演奏を止める奏者が増えていき、最後は楽箏のみが残って演奏して終わる形式である。ハイドンの「告別」のように退席まではしないが、西洋音楽がこのような形式を編み出す何百年も前から、日本では「残楽」の形で演奏されている事に注目させられる。

休憩後の第二部は「舞楽」であり、室内管弦楽団を伴うカルテットまたはソロ-バレエに相当するか。管絃は舞台後方の一段高くなっているところに位置し、舞台は文字通り舞人のためだけのスペースとなる。

最後に掲載した(舞人・演奏者詳細)でも示した通り、舞人は休憩前は管絃として演奏をしている。

西洋音楽のように、バレリーナ・歌い手・管弦楽のような職務上の区別はなく、演奏も舞う事も要求されるのが雅楽である。

演奏自体は前半と同様の完成度の高いものであり、申し分ない。

「万歳楽」は四人の舞人による群舞である。左舞であり、遣唐使により唐の国を経由して(あくまで「経由」であり、唐由来ではなく、あるいはヴェトナム辺りの様式であるのかもしれない)入ってきた様式による舞いだ。衣装はどこか中国風である。

テンポが遅めである事もあるのだろうが、群舞の全ての振る舞いは、一糸乱れずとの文字通りとまでは言えないまでも、基本的には合っている。時間的な要素だけでなく、指先の角度と言った空間的な要素に於いても、ボリジョイ-バレエの群舞の精度と比較すれば抜群の精度を保ち、これほどまで合っていれば十分だ。彼らが専任のバレリーナでない事を踏まえれば驚異的であろう。

「落蹲」となると、題名の意味する通りに、いよいよ一人だけの舞いとなる。右舞であり、朝鮮半島を経由(これも、あくまで「経由」であり、朝鮮半島由来という意味ではない)して入ってきた様式による舞いである。面を被っての舞いだ。


多忠純によるこの舞いも見事なもので、テンポは遅めであるものの、その分「静」を強調しなければならず、静止する場面もある。その静止した場面で安定感ある静止をしているところに目を奪われる。ロシアのプリマクラスのバレリーナでも、このような安定感ある静止の演技は期待できない。また、たった一人で20分近くに渡り連続した舞踏を続けていく。もちろん高いジャンプやリフトを要求される性格のものではないが、その長い時間に渡って安定した演技を続けるのは驚異的な体力を要するだろう。

雅楽は日本固有のものだけではない。唐の国を経由した左舞、朝鮮半島を経由した右舞、中国風の衣装を見れば分かる通り、遠い大陸の音楽や舞を千年規模のスケールで継承している所にこそ、我々日本文化の誇る所である。そのような雅楽を見て、改めて日本人として私がどのように振る舞うべきなのか、改めて考えさせられるところもある。文楽と並び、日本が誇る総合舞台芸術であることを思い知らされた公演であった。

(舞人・演奏者詳細)
管絃

鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:笠井聖秀
鉦鼓:中村容子
楽琵琶:松井北斗 多忠純
楽箏:岩波孝昌 小原完基
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美

舞楽

舞人「万歳楽」:岩波孝昌 増山誠一 植原宏樹 小原完基
舞人「落蹲」:多忠純

鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:松井北斗
鉦鼓:中村容子
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美