2015年5月16日 土曜日
Saturday 16th May 2015
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
Miyazaki Prefectural Arts Center (Miyazaki, Japan)
曲目:
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Mélodie (Souvenir d'un lieu cher op.42) (チャイコフスキー:メロディー 「懐かしい土地の想い出)より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Andante cantabile (Quartetto per archi n.1 op.11) (チャイコフスキー:アンダンテ-カンタービレ 弦楽四重奏曲第1番より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Notturno (6 pezzi op.19) (チャイコフスキー:夜想曲 「6つの小品」より)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Sinfonia n.5 op.64 (チャイコフスキー:交響曲第5番)
violino: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン)
violoncello: Amanda Forsyth(ヴァイオリン-チェロ:アマンダ=フォーサイス)
orchestra: Miyazaki International Music Festival Orchestra(宮崎国際音楽祭管弦楽団)
direttore: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (指揮:ピンカス=ズッカーマン)
第20回宮崎国際音楽祭は、2015年4月29日から5月17日まで開催され、5つのメインプログラムとその他の演奏会により構成されている。この評の演奏会は、2015年5月16日に開催された「メインプログラム4」である。ヴァイオリン・指揮は、ここ最近恒例のピンカス=ズッカーマンが担当する。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ホルンは正面後方、ホルン以外の金管パートは後方上手側、ティンパニは後方正面わずかに下手側の位置につく。
前半はチャイコフスキーの小品集、メロディはズッカーマンのソロ、アンダンテ-カンタービレと夜想曲はフォーサイスのソロだ。どの曲も、ソリストだけでなく、管弦楽全体で弱音を繊細に響かせる。ズッカーマン・フォーサイス夫妻のソリストはもちろんの事、バックの管弦楽が非常によく考えている演奏だ。
後半はチャイコフスキーの第五交響曲。弦楽があまりにも素晴らし過ぎる。この宮崎で産み出された独特の音色で豊かなニュアンスを付けてうねらせつつ、パッションを込めて精緻さも保って圧倒していく、最も理想的な響きの形態を実現させる。ズッカーマンは音色を重視し、どのような音色を見つけ出すのか、弦楽奏者に発見させるべく追い込んだのだろうか?経験が浅い若手奏者もいる臨時編成の弦楽とは思えない徹底ぶりと精緻さは驚異である。やはり音色だ。第二楽章後半部では感極まりそうになるほどである。
チャイ5は、暴論承知で言えば、やはり弦楽が全てである。弦楽さえしっかりしていれば、管にアラがあったとしても成立する。臨時構成のオケであるが、弦楽は若手奏者に至るまで何をしたいのかが極めて明確だった。歴史ある管弦楽団でもあの音色は出せないだろう。あるいは、逆に歴史がない臨時編成のオケだからこそ出せたのだろうか。
アンコールは、ブラームスの「五つのリート」より「子守歌」を、ズッカーマンがヴァイオリン奏者から楽器を借りてソロで演奏し、サヨナラと言って演奏会を閉じた。
2015年5月16日土曜日
2014年5月10日土曜日
ピンカス=ズッカーマン + 宮崎国際音楽祭管弦楽団 演奏会 評
2014年5月10日 土曜日
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
曲目:
ヨハネス=ブラームス 交響曲第2番 op.73
(休憩)
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリンとヴァイオリン-チェロのための二重協奏曲 op.102
ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン (Pinchas Zukerman)
ヴァイオリン-チェロ:アマンダ=フォーサイス (Amanda Forsyth)
管弦楽:宮崎国際音楽祭管弦楽団
指揮:ピンカス=ズッカーマン(交響曲)・徳永二男(二重協奏曲)
第19回宮崎国際音楽祭は、2013年4月29日から5月18日までにわたり、宮崎県立芸術劇場を中心に、室内管弦楽・室内楽を中心に10以上の公演を開催し、無事終了した。この評は、演奏会2、「ブラームス・深淵なる響き」の題名の下5月10日に開催された演奏会に対してのものである。
宮崎国際音楽祭に臨席するのも、ピンカス=ズッカーマンの演奏を聴くのも二度目である。着席位置は、一階中央僅かに下手側である。観客の入りは六割程で、一階後方、二階三階バルコニー席に空席が目立つ。観客の鑑賞態度は、僅かに拍手のタイミングが早いが、概ね良好であった。
管弦楽配置は、舞台下手側から第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラの順である。
交響曲2番は、第二・第三楽章の木管・ホルンが素晴らしい音色で響かせる。特に第二楽章のホルンのソロは、まあバボラーク程ではないけれど、それでも確実に決めて引き締める演奏だ。全般的に荒削りの箇所がないとは言えないが、管弦楽それぞれがパッションを出せば良い出来になるのだと実感させられる。2009年の小澤征爾指揮によるサイトウ-キネン-オーケストラの演奏はあまりにつまらなく覇気がなく無気力で、最後の90秒以外は聴いていられない状態で、この曲が嫌いになっていた状態であったが、宮崎で再びこの第二交響曲の魅力を認識させられる演奏に出会える。今日の演奏は、もちろん最後の90秒の盛り上がりも、全管弦楽が精緻に揃い綺麗に決める。
二曲目の二重協奏曲は、ズッカーマンのソロが聴ける事もあり、ほぼこの曲目当てに宮崎まで来たようなものだ。どのような出来となるだろうか。
第一楽章冒頭、アマンダ=フォーサイスのチェロの音が細く、ピンカス=ズッカーマンのヴァイオリンはどう考えてもアマンダを庇っている演奏で、いつものズッカーマンらしさが希薄となってしまう。第一楽章冒頭ではアマンダのチェロの音の細さが影響して、音の多い箇所でズッカーマンとの二人のソロでどのような音を伝えるのか、不鮮明な箇所もあった。しかし、曲が進むにつれ是正される。
一方管弦楽は冒頭から全力全開で思いっ切りの良い演奏で、ホールを豊かな響きで満たす。まるでソリスト(特にアマンダ)に対して総決起を促しているかのようなパッションに溢れている。ソリスト級を含め力のある楽団員を揃えている宮崎国際音楽祭管弦楽団の本領が十全に発揮されている。
このような管弦楽の決起と、ズッカーマンがアマンダに引きずらずにマイペースを取り戻し、アマンダも十分ではないにしろ響かせる演奏になっていく。ここまで来れば、全てがうまく噛み合う演奏となる。宮崎県立芸術劇場の素晴らしい残響を味方につけ活かした、素晴らしい演奏だ。
アンコールはコダーイの「ヴァイオリンとヴァイオリン-チェロ二重奏曲」から一曲であった。
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
曲目:
ヨハネス=ブラームス 交響曲第2番 op.73
(休憩)
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリンとヴァイオリン-チェロのための二重協奏曲 op.102
ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン (Pinchas Zukerman)
ヴァイオリン-チェロ:アマンダ=フォーサイス (Amanda Forsyth)
管弦楽:宮崎国際音楽祭管弦楽団
指揮:ピンカス=ズッカーマン(交響曲)・徳永二男(二重協奏曲)
第19回宮崎国際音楽祭は、2013年4月29日から5月18日までにわたり、宮崎県立芸術劇場を中心に、室内管弦楽・室内楽を中心に10以上の公演を開催し、無事終了した。この評は、演奏会2、「ブラームス・深淵なる響き」の題名の下5月10日に開催された演奏会に対してのものである。
宮崎国際音楽祭に臨席するのも、ピンカス=ズッカーマンの演奏を聴くのも二度目である。着席位置は、一階中央僅かに下手側である。観客の入りは六割程で、一階後方、二階三階バルコニー席に空席が目立つ。観客の鑑賞態度は、僅かに拍手のタイミングが早いが、概ね良好であった。
管弦楽配置は、舞台下手側から第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラの順である。
交響曲2番は、第二・第三楽章の木管・ホルンが素晴らしい音色で響かせる。特に第二楽章のホルンのソロは、まあバボラーク程ではないけれど、それでも確実に決めて引き締める演奏だ。全般的に荒削りの箇所がないとは言えないが、管弦楽それぞれがパッションを出せば良い出来になるのだと実感させられる。2009年の小澤征爾指揮によるサイトウ-キネン-オーケストラの演奏はあまりにつまらなく覇気がなく無気力で、最後の90秒以外は聴いていられない状態で、この曲が嫌いになっていた状態であったが、宮崎で再びこの第二交響曲の魅力を認識させられる演奏に出会える。今日の演奏は、もちろん最後の90秒の盛り上がりも、全管弦楽が精緻に揃い綺麗に決める。
二曲目の二重協奏曲は、ズッカーマンのソロが聴ける事もあり、ほぼこの曲目当てに宮崎まで来たようなものだ。どのような出来となるだろうか。
第一楽章冒頭、アマンダ=フォーサイスのチェロの音が細く、ピンカス=ズッカーマンのヴァイオリンはどう考えてもアマンダを庇っている演奏で、いつものズッカーマンらしさが希薄となってしまう。第一楽章冒頭ではアマンダのチェロの音の細さが影響して、音の多い箇所でズッカーマンとの二人のソロでどのような音を伝えるのか、不鮮明な箇所もあった。しかし、曲が進むにつれ是正される。
一方管弦楽は冒頭から全力全開で思いっ切りの良い演奏で、ホールを豊かな響きで満たす。まるでソリスト(特にアマンダ)に対して総決起を促しているかのようなパッションに溢れている。ソリスト級を含め力のある楽団員を揃えている宮崎国際音楽祭管弦楽団の本領が十全に発揮されている。
このような管弦楽の決起と、ズッカーマンがアマンダに引きずらずにマイペースを取り戻し、アマンダも十分ではないにしろ響かせる演奏になっていく。ここまで来れば、全てがうまく噛み合う演奏となる。宮崎県立芸術劇場の素晴らしい残響を味方につけ活かした、素晴らしい演奏だ。
アンコールはコダーイの「ヴァイオリンとヴァイオリン-チェロ二重奏曲」から一曲であった。
2013年5月19日日曜日
ピンカス=ズッカーマン ヴァイオリン-リサイタル 評
2013年5月19日 日曜日
紀尾井ホール (東京)
曲目:
ロベルト=シューマン 3つのロマンス op.94
セザール=フランク ヴァイオリン-ソナタ
(休憩)
ヨハネス=ブラームス ソナタ「自由だが孤独に」より 第三楽章スケルツォ WoO 2
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリン-ソナタ第3番 op.108
ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン
ピアノ:アンジェラ=チェン
この演奏会は、宮崎国際音楽祭の一環として、5月17日に宮崎県立芸術劇場演劇ホールにて開催されたプログラムと同一のものである。
着席位置は、ど真ん中より少し後方である。客の入りは八割くらいであろうか、同じ時刻で、新国立劇場で「ナブッコ」、東京オペラシティでベロフ+東京交響楽団によるフランスもののプログラム、これら初台での二つのプログラムを向こうに回した事を考えれば、ここまで埋まるのは大成果か。
全般的に、ヴァイオリンとピアノのバランスはよく取れていて、息もピッタリだ。前半のフランクはとても素晴らしい演奏である。叙情的であるだけでなく、第二楽章終了部の緊迫する場面も、パッションを露骨に出さず、ズッカーマンならではの味のある雰囲気を持つ演奏だ。
後半のブラームスも素晴らしい。小技に頼らない、堂々とした演奏だ。パッションを出す場面も、ブラームスを十二分に理解した、極めてよく考慮された発出である。
ズッカーマンの特徴を明確に説明できるようになれば、プロの音楽評論家になれるほどで、その特質を言い表すのは難しいところであるが、ちょっと挑戦してみるとするならば・・・。音量という点で言えば、紀尾井ホールを響かせるパワフルなものである。しかしながら、そういったパワフルさの先に、ズッカーマンならではの地味な個性が光ってくる。この個性というものは、ズッカーマン自身を前面に出すというものでもないし、もちろんズッカーマンの(実は技巧はあるのだが)超絶技巧を見せびらかす要素もない。作曲者の意向を酌んだものではあるが、単に作曲者の意図を実現させるというものではなく、その解釈の深さを感じさせるところにズッカーマンの特徴があると言えるのではないか。
「巨匠」という表現は、私にとってはマイナスイメージでしかなく、この4月6日の演奏会でフランス=ブリュッヘンの演奏から感じられるような、ただただゆっくりとした、生気のない老いた演奏しかできない演奏者と言うのが私の定義であるが、どうもズッカーマンは「最後の巨匠」と宣伝されているらしい。私が通常用いている定義からかけ離れた、まさしく職人芸を極めた偉大なる「匠」という意味で用いれば、まさしく「巨匠」そのものであり、その宣伝は決して間違っていない。
初夏の東京で、季節とは真逆の、秋の深まりを感じさせるブラームス、音の深さを感じる演奏である。
アンコールは、パラディス作のシシリエンヌであった。
紀尾井ホール (東京)
曲目:
ロベルト=シューマン 3つのロマンス op.94
セザール=フランク ヴァイオリン-ソナタ
(休憩)
ヨハネス=ブラームス ソナタ「自由だが孤独に」より 第三楽章スケルツォ WoO 2
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリン-ソナタ第3番 op.108
ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン
ピアノ:アンジェラ=チェン
この演奏会は、宮崎国際音楽祭の一環として、5月17日に宮崎県立芸術劇場演劇ホールにて開催されたプログラムと同一のものである。
着席位置は、ど真ん中より少し後方である。客の入りは八割くらいであろうか、同じ時刻で、新国立劇場で「ナブッコ」、東京オペラシティでベロフ+東京交響楽団によるフランスもののプログラム、これら初台での二つのプログラムを向こうに回した事を考えれば、ここまで埋まるのは大成果か。
全般的に、ヴァイオリンとピアノのバランスはよく取れていて、息もピッタリだ。前半のフランクはとても素晴らしい演奏である。叙情的であるだけでなく、第二楽章終了部の緊迫する場面も、パッションを露骨に出さず、ズッカーマンならではの味のある雰囲気を持つ演奏だ。
後半のブラームスも素晴らしい。小技に頼らない、堂々とした演奏だ。パッションを出す場面も、ブラームスを十二分に理解した、極めてよく考慮された発出である。
ズッカーマンの特徴を明確に説明できるようになれば、プロの音楽評論家になれるほどで、その特質を言い表すのは難しいところであるが、ちょっと挑戦してみるとするならば・・・。音量という点で言えば、紀尾井ホールを響かせるパワフルなものである。しかしながら、そういったパワフルさの先に、ズッカーマンならではの地味な個性が光ってくる。この個性というものは、ズッカーマン自身を前面に出すというものでもないし、もちろんズッカーマンの(実は技巧はあるのだが)超絶技巧を見せびらかす要素もない。作曲者の意向を酌んだものではあるが、単に作曲者の意図を実現させるというものではなく、その解釈の深さを感じさせるところにズッカーマンの特徴があると言えるのではないか。
「巨匠」という表現は、私にとってはマイナスイメージでしかなく、この4月6日の演奏会でフランス=ブリュッヘンの演奏から感じられるような、ただただゆっくりとした、生気のない老いた演奏しかできない演奏者と言うのが私の定義であるが、どうもズッカーマンは「最後の巨匠」と宣伝されているらしい。私が通常用いている定義からかけ離れた、まさしく職人芸を極めた偉大なる「匠」という意味で用いれば、まさしく「巨匠」そのものであり、その宣伝は決して間違っていない。
初夏の東京で、季節とは真逆の、秋の深まりを感じさせるブラームス、音の深さを感じる演奏である。
アンコールは、パラディス作のシシリエンヌであった。
2013年5月18日土曜日
ピンカス=ズッカーマン + 宮崎国際音楽祭管弦楽団 演奏会 評
2013年5月18日 土曜日
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
曲目:
ヨハネス=ブラームス セレナード第2番 op.16
ヨハネス=ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
(休憩)
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ロンド(ハフナーセレナード K.250より)
ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン
管弦楽:宮崎国際音楽祭管弦楽団
指揮:ピンカス=ズッカーマン
第18回宮崎国際音楽祭は、2013年4月29日から5月18日までにわたり、宮崎県立芸術劇場を中心に、室内管弦楽・室内楽を中心に10以上の公演を開催し、無事終了した。この評は、最終公演、5月18日に開催された演奏会に対してのものである。
宮崎国際音楽祭に臨席するのも、ピンカス=ズッカーマンの演奏を聴くのも初めてである。着席位置は、一階ほぼ中央である。
一曲目の配置は、舞台下手側から第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラの順であり、二曲目以降は第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロの順となる。
前半のブラームスは、弦楽ベースの上に綺麗に管楽セクションが乗っかる演奏である。冒頭から響きのバランスに良く配慮されているのがよく分かる。
二曲目の「ハイドンの主題による変奏曲」は編成が大きくなったのが影響したのか、若干弦楽の線が乱れたところはあるが、全般的に良い演奏である。曲が曲なだけに、ちょっとしんみりした気持ちになって、前半を終了する。
休憩後の一曲目、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲3番K.216は、ズッカーマンがヴァイオリン-ソロと指揮を兼ねる指揮振りだ。冒頭、パッション溢れつつも縦の線がビシッと決まった管弦楽が、観客の心を見事に掴む。前半のブラームスから雰囲気がぐっと明るくなる。ズッカーマンのソロは名状し難い魅力がある。何とも説明はし難いのだが・・、ズッカーマンのヴァイオリンは管弦楽に負けず、朗々と響いていく。弱めな音であっても、どういう訳か響いてくる。ズッカーマンが持つヴァイオリンの癖のある音色を、極めて計算して響かせる演奏である。
最後はK.250「ハフナーセレナーデ」から、ロンド。だんだんパワーアップして来た今日の演奏であるが、モーツァルトの協奏曲の成果をぎゅっと凝縮させた演奏だ。確かな技巧はあるが、超絶技巧を前面に出した演奏ではなく、しかし絶妙な味があって、本当に幸せな気持ちになれる演奏会であった。
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
曲目:
ヨハネス=ブラームス セレナード第2番 op.16
ヨハネス=ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
(休憩)
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ロンド(ハフナーセレナード K.250より)
ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン
管弦楽:宮崎国際音楽祭管弦楽団
指揮:ピンカス=ズッカーマン
第18回宮崎国際音楽祭は、2013年4月29日から5月18日までにわたり、宮崎県立芸術劇場を中心に、室内管弦楽・室内楽を中心に10以上の公演を開催し、無事終了した。この評は、最終公演、5月18日に開催された演奏会に対してのものである。
宮崎国際音楽祭に臨席するのも、ピンカス=ズッカーマンの演奏を聴くのも初めてである。着席位置は、一階ほぼ中央である。
一曲目の配置は、舞台下手側から第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラの順であり、二曲目以降は第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロの順となる。
前半のブラームスは、弦楽ベースの上に綺麗に管楽セクションが乗っかる演奏である。冒頭から響きのバランスに良く配慮されているのがよく分かる。
二曲目の「ハイドンの主題による変奏曲」は編成が大きくなったのが影響したのか、若干弦楽の線が乱れたところはあるが、全般的に良い演奏である。曲が曲なだけに、ちょっとしんみりした気持ちになって、前半を終了する。
休憩後の一曲目、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲3番K.216は、ズッカーマンがヴァイオリン-ソロと指揮を兼ねる指揮振りだ。冒頭、パッション溢れつつも縦の線がビシッと決まった管弦楽が、観客の心を見事に掴む。前半のブラームスから雰囲気がぐっと明るくなる。ズッカーマンのソロは名状し難い魅力がある。何とも説明はし難いのだが・・、ズッカーマンのヴァイオリンは管弦楽に負けず、朗々と響いていく。弱めな音であっても、どういう訳か響いてくる。ズッカーマンが持つヴァイオリンの癖のある音色を、極めて計算して響かせる演奏である。
最後はK.250「ハフナーセレナーデ」から、ロンド。だんだんパワーアップして来た今日の演奏であるが、モーツァルトの協奏曲の成果をぎゅっと凝縮させた演奏だ。確かな技巧はあるが、超絶技巧を前面に出した演奏ではなく、しかし絶妙な味があって、本当に幸せな気持ちになれる演奏会であった。
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