2013年5月19日日曜日

ピンカス=ズッカーマン ヴァイオリン-リサイタル 評

2013年5月19日 日曜日
紀尾井ホール (東京)

曲目:
ロベルト=シューマン 3つのロマンス op.94
セザール=フランク ヴァイオリン-ソナタ
(休憩)
ヨハネス=ブラームス ソナタ「自由だが孤独に」より 第三楽章スケルツォ WoO 2
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリン-ソナタ第3番 op.108

ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン
ピアノ:アンジェラ=チェン

この演奏会は、宮崎国際音楽祭の一環として、5月17日に宮崎県立芸術劇場演劇ホールにて開催されたプログラムと同一のものである。

着席位置は、ど真ん中より少し後方である。客の入りは八割くらいであろうか、同じ時刻で、新国立劇場で「ナブッコ」、東京オペラシティでベロフ+東京交響楽団によるフランスもののプログラム、これら初台での二つのプログラムを向こうに回した事を考えれば、ここまで埋まるのは大成果か。

全般的に、ヴァイオリンとピアノのバランスはよく取れていて、息もピッタリだ。前半のフランクはとても素晴らしい演奏である。叙情的であるだけでなく、第二楽章終了部の緊迫する場面も、パッションを露骨に出さず、ズッカーマンならではの味のある雰囲気を持つ演奏だ。

後半のブラームスも素晴らしい。小技に頼らない、堂々とした演奏だ。パッションを出す場面も、ブラームスを十二分に理解した、極めてよく考慮された発出である。

ズッカーマンの特徴を明確に説明できるようになれば、プロの音楽評論家になれるほどで、その特質を言い表すのは難しいところであるが、ちょっと挑戦してみるとするならば・・・。音量という点で言えば、紀尾井ホールを響かせるパワフルなものである。しかしながら、そういったパワフルさの先に、ズッカーマンならではの地味な個性が光ってくる。この個性というものは、ズッカーマン自身を前面に出すというものでもないし、もちろんズッカーマンの(実は技巧はあるのだが)超絶技巧を見せびらかす要素もない。作曲者の意向を酌んだものではあるが、単に作曲者の意図を実現させるというものではなく、その解釈の深さを感じさせるところにズッカーマンの特徴があると言えるのではないか。

「巨匠」という表現は、私にとってはマイナスイメージでしかなく、この4月6日の演奏会でフランス=ブリュッヘンの演奏から感じられるような、ただただゆっくりとした、生気のない老いた演奏しかできない演奏者と言うのが私の定義であるが、どうもズッカーマンは「最後の巨匠」と宣伝されているらしい。私が通常用いている定義からかけ離れた、まさしく職人芸を極めた偉大なる「匠」という意味で用いれば、まさしく「巨匠」そのものであり、その宣伝は決して間違っていない。

初夏の東京で、季節とは真逆の、秋の深まりを感じさせるブラームス、音の深さを感じる演奏である。

アンコールは、パラディス作のシシリエンヌであった。