ラベル 指揮_準=メルクル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 指揮_準=メルクル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年7月27日土曜日

PMF (Pacific Music Festival) 2013ガラコンサート 第二部(プログラムC)評

2013年7月27日 土曜日
札幌コンサートホールkitara (北海道札幌市)

曲目:
マックス=ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番 op.26
(休憩)
エクトル=ベルリオーズ 「妄想交響曲」(「幻想交響曲」) op.14

ヴァイオリン:ワディム=レーピン
管弦楽:PMF管弦楽団(+PMFアメリカ)
指揮:準=メルクル

第一部については別の投稿を参照願う。

札幌市を中心に開催されるPacific Music Festival (PMF) 2013は、7月6日から31日まで開催され、ヴィーン-フィル等から招かれた奏者による若手音楽家に対する教育の他、多数の形態の演奏会により構成される。管弦楽演奏会は三プログラムあり、この評はプログラムC、7月20日札幌コンサートホールkitaraでの公演に対してのものである。また、この管弦楽演奏会は、PMFガラコンサートの第二部としての位置づけでもある。なお、このプログラムの公演は、7月29日に仙台(宮城県)、7月30日に東京で開催される。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方上手側、その他の金管・ティンパニは後方中央から下手側の位置につく。

着席位置は正面2階前方中央、チケットは完売している。

第一曲目、ブルッフのヴァイオリン協奏曲は、ワディム=レーピンは名状し難い魅力的な演奏だ。叙情的であるようにも思えるし、さりげないニュアンスで攻めるタイプというべきか。絶対的な音量という点では大きくはないが、なぜか音が通っている。

準=メルクル率いる管弦楽も、ソリストの向こうを張った、綿密な計算とパッションを込めた理想的な演奏で、若手主体とは思えない見事な出来だ。一週間前のプログラムBの時と比較し、ヴァイオリンセクションは完全に立ち直り、人数を半分近くまで減らしたとは思えない、厚い響きである。まさに、協奏曲に臨む管弦楽の模範であると言える。

休憩後の二曲目は、ベルリオーズの妄想交響曲(幻想交響曲)である。PMF教育プログラムの教授陣である「PMFアメリカ」が楽団員として加わる。

「妄想」なり「幻想」と言った標題から距離を置き、おどろおどろしさを追求したと言うよりは、純音楽的にどのように演奏するべきか、白紙の状態から再構築した演奏である。全般的にテンポの扱いが極めて鮮やかだ。

第一楽章からテンポをうねらせたり、長めにゼネラルパウゼを掛けたりする。激しく追い込めると思えば、楽章終わりでゆったりと終わらせたりもする。

前半同様に、ヴァイオリンが元気で自信を持って弾いている。全楽章に渡って彫りの深い演奏で先頭に立っていたが、特に縦の線がビシッと揃いつつ、豊かなニュアンスで歌い上げる第三楽章が印象深い。

第二楽章では、ハープを強烈に弾かせており、このアクセントの効果は絶大だ。演奏会終了後に一番先に準=メルクルが立たせたのは、このハープの二人である。

第三楽章冒頭の、イングリッシュ-ホルンとオーボエとのやり取りは絶品だ。安定感があり朗々とkitaraに響かせる。この時ほど、2階中央の一番前の席を確保して良かったと思えることはない。イングリッシュ-ホルンは舞台後方やや上手側、通常舞台外から演奏するオーボエは、客席2階後方下手側に位置する。完全な対角線上ではないけれど、それでも前方からのイングリッシュ-ホルン、後方からのオーボエの間の空間で、その遣り取りが聴ける歓びは大きい。

もちろん、第三楽章最後の、イングリッシュ-ホルンとティンパニ3台との遣り取りも、素晴らしい。

管楽器は主に後半楽章で自己主張を強める展開だ。第五楽章での、管楽器の鋭く奇怪な響きは強く印象に残るものである。特にクラリネットの奇怪さは、非常に鮮やかに決まっている。また、通常舞台上でならされる鐘の音を、下手側の扉を開けた舞台外からの演奏となる。ちょっと遠くから聴こえてくる鐘の音もいいものだ。

総じて、準=メルクルはかなり冒険的アプローチを採っているが、一見尖がった要素がある響きとは裏腹に、楽団員全員が細かな部分まで綿密な演奏で、メルクルの意思を見事に実現している。

冒険心溢れるマエストロ準=メルクルと、その実力を出し切ったPMFオーケストラの相互作用により、今年最後の札幌公演を見事に飾った。「胸を打つこの響きよ、喜びよ、美しき翼ひろげ、大空へ」!!(PMF賛歌より)

追加ラベル(PMF (Pacific Music Festival) 2013ガラコンサート 第一部 評 関連 )

下記リンク先の投稿について、ラベル制限文字数超過のため、追加ラベル表示のための投稿。

http://ookiakira.blogspot.jp/2013/07/pmf-pacific-music-festival-2013.html

2013年7月23日火曜日

PMF (Pacific Music Festival) 2013管弦楽演奏会(プログラムB)評

2013年7月20日 土曜日
札幌コンサートホールkitara (北海道札幌市)

曲目:
武満徹 A String Around Autumn for viola and orchestra
(休憩)
グスタフ=マーラー 交響曲第5番

ヴィオラ:ダニエル=フォスター
管弦楽:PMF管弦楽団(+PMFアメリカ)
指揮:準=メルクル

札幌市を中心に開催されるPacific Music Festival (PMF) 2013は、7月6日から31日まで開催され、ヴィーン-フィル等から招かれた奏者による若手音楽家に対する教育の他、多数の形態の演奏会により構成される。管弦楽演奏会は三プログラムあり、この評はプログラムB、7月20日札幌コンサートホールkitaraでの公演に対してのものである。なお、このプログラムの公演は、7月19日に苫小牧(北海道)、7月31日に東京で開催される。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。メルクルが左右対向配置を採用するのは珍しい。木管パートは後方中央、ホルンは後方上手側、その他の金管・ティンパニは後方中央から下手側の位置につく。

着席位置は正面2階前方中央、客の入りはほぼ9割位であろうか、満席とまではいかないが、空席は少ない。

この演奏会を評するに当たり、その環境について述べる必要がある。準=メルクルは14日に東京で国立音楽大学管弦楽団演奏会を終えた夜に札幌入り、15日札幌交響楽団とのリハ、16日PMFオケとのリハ、17日札幌交響楽団本番、18日PMFリハ、19日苫小牧本番、と超過密スケジュールの状態であった。17日札幌交響楽団演奏会は、当初の予定ではイルジー=コウトが指揮を担当するところであったが、準=メルクルが代役を担当する事となった。よって、この公演の前のリハーサルは二日間しかない状態で、苫小牧公演を聴きに行った人たちはお気の毒と言った形である。

第一曲目は武満徹の「A String Around Autumn for viola and orchestra」で、単楽章形式のヴィオラ協奏曲と言っても良いか。瞑想的と言えば聞こえはいいが、瞑想的な一本調子で15分程続く、眠くなる曲であり、曲自体としては私の最も嫌いなタイプに属する曲である。ヴィオラはまあまあ響かせていたし、響きもよく考えられた演奏である。このような曲をこれ程までの水準で演奏できたら、まあ良いであろう。

休憩後の二曲目は、マーラーの交響曲第5番である。PMF教育プログラムの教授陣である「PMFアメリカ」が楽団員として加わる。

メルクルの指揮は、テンポは限られた箇所を除いてやや速め、全般的に自然な流れである。第一楽章ではテンポにウネリが感じられる。

率直に申し上げて、弦楽はスカスカの印象である。特に第一ヴァイオリンは、17人もいて何をやっているのかと言いたくなってくる。表現の彫りが浅く、熱気がこもっていない。コンサートマスター単独だとあんなに響くのに、第一ヴァイオリン総体ではどうして何かに怯えたかのような響きになるのか。弦楽のアピールポイントである第四楽章で、もっと彫りの深い演奏ができないのか、とは強く思うところである。

プログラムAでの、ライナー=キュッヒル率いるヴァイオリンが濃い表情で縦の線をビシっと揃えた名演だったので、その印象との比較にどうしてもなってしまうが、PMFアメリカの教授たちはあまりトゥッテイに自発性を求めていないのは明らかである。プログラムAのヴァイオリンとはあまりに対照的な出来である。

この演奏を聞いて、逆にライナー=キュッヒルがどれほど凄いかを、改めて認識した次第である。いかに表情をつけ、表現の彫りを深くし、かつ若手奏者に徹底させるとともに、自信を持って演奏させるという点で、彼にかなうものはいない。でも彼は、「東の国の東にある都」に帰っちゃったのだよな。。。

マーラーの第5は、圧倒的な管楽器優位の展開に救われている。

特に第三楽章でテンポを遅くして奏でられるホルンのソリスティックな展開が最も素晴らしい。それぞれ別の旋律を奏でる複数のホルンの繋ぎは、バランスが非常に的確に取られている。また、ホルン首席の個人技の見事さには目を奪われる。抜群の安定感を伴う音量を保持しつつ、圧倒的なニュアンス!レベルの高かった管楽全般の中でも、その存在感は目立っている。

第五楽章冒頭の、ホルンやファゴットやその他の管楽がソリスティックに繋いでいく所も、安定した個人技のみならず、絶妙なバランス自体が素晴らしい。

全般的に、管楽奏者の個人技に頼った要素が強い印象が強い点で、物足りなさを感じる演奏である。管楽の華麗な展開と同調しない弦楽の不調が目立ち、どこか一貫性を欠いている思いが抜けきらない。リハーサル不足も影響しているのであろうか。マーラーの第5は、マーラーに初めて接する人たちに一番馴染みやすい交響曲であるが、一方で弦楽・管楽ともに穴を許さない曲で、その意味では第6よりも難曲である事を認識させられる。

準=メルクルの過密日程を反映してか、またはPMFの慣習であるのか、アンコールはなかった。

2013年7月6日土曜日

第87回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 演奏会評

2013年7月6日 土曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)

曲目:
細川俊夫 室内オーケストラのための「開花II」
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ピアノ協奏曲第3番 op.37
(休憩)
フランツ=シューベルト 交響曲第8(9)番「大交響曲」 D944

ピアノ:小菅優
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:準=メルクル

MCOは、準=メルクルを指揮者に迎えて、2013年7月6日・7日に水戸で、8日に東京で、第87回定期演奏会を開催した。この評は、第一日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方上手側、その他の金管・ティンパニは後方下手側の位置につく。

着席位置は正面前方中央、客の入りはほぼ満員である。

演奏会場に入ると、いつもよりも舞台上の照明が暗い。プログラムには紙片が挟まっており、プログラム本編に先立ってモーツァルトのディヴェルティメントK.136(125a)から第二楽章を演奏する事が予告されている。この5月に亡くなられた楽団員で、コンサートミストレスの役割を果たすことも多かった潮田益子に対する追悼演奏である。

定刻となり、最小限の照明の下で楽団員のみが入場し、その後演奏に支障がない程度に抑えた照度となる。安芸晶子をコンサートミストレスとしての演奏だ。最初の一音を聴くだけで、改めてMCOの技量の高さを認識させられる。一音一音がとても綺麗で、淀みが全くなく清冽な演奏だ。演奏終了直前に照明が落とされ、最小限の照明の下で楽団員が去る。演奏前後に拍手をする者はない。追悼演奏が終わる。

照明が通常の明るさとなり、プログラム本編となる。水戸芸術館での慣習のとおり、楽団員登場の場面から盛大な拍手で迎える。

第一曲目は細川俊夫の「開花II」であり、日本初演だ。コンサートマスターは、久しぶりにMCOに登場した川崎洋介である。作曲者臨席の下での演奏だ。冒頭部からの、蓮の花がゆっくりと開花していく情景であろうか、限りなく無音に近い音からの長いクレッシェンドに、その完璧なまでの美しい響きに魅了される。弱音部でのニュアンスが特に冴えわたり、極めて精緻な演奏だ。目隠ししてこの音楽を聴くと、ヴァイオリンやフルートを用いた音色とは決して思えない。西洋の楽器でこれほどまでに仏教的、東洋的な音が出せるのかと、驚嘆につぐ驚嘆に満ちた演奏である。

二曲目はベートーフェンのピアノ協奏曲第3番、コンサートミストレスは渡辺實和子である。正直なところ、ベートーフェンの場合小菅の個性が発揮されるところは相対的に少ないようにも思えるが、それでも小菅の危うさを秘める繊細さが随所に出てくる演奏だ。カデンツァでのテンポの揺らぎ、第二楽章での繊細な演奏が小菅らしいところである。第三楽章ではちょっと遊び心も出たかな、と思えるのは気のせいであろうか。

休憩後の三曲目は、シューベルトの「大交響曲」だ。コンサートマスターは豊嶋泰嗣である。端正なスタイルを保持するのが通例のメルクルとしては、態度がいつもと違う。第一楽章からかなり速めなテンポであり、これはどんなものかと一瞬疑問に感じるが、スタッカートをどちらかというと重視しており、その躍動感が強い説得力を持つ。やや弦楽重視であるが管楽を要所要所で際立たせている。下手側に位置しているトランペットとトロンボーンが、繊細さを伴いつつも的確な自己主張を行っていて素晴らしい。ホルン・オーボエは敢えて抑えられていたのだろうか?第二楽章では、メルクルが指示したと思われるニュアンスが実に効果的である。

「開花II」で見せた演奏から正反対の方向性で、メルクルは鬼と化す。最終楽章で、あれだけスピードが速めでありながら、体全体を用いたボーイングで、弦楽の音の細かく強く刻むよう要求する。近年のMCO演奏会では見られなかった、なりふり構わない凄惨な白兵戦と化す。それでもMCOは驚異的なまでに的確にスタッカートを実現する。ただただ圧巻である。

終演後、心地良い疲労感に満ちた表情を弦楽セクションの人たちがしている。限界を極めた達成感に満ちた表情だ。今回の演奏会は、追悼演奏から始まり、一曲目から重量級の曲目で構成されていた。もうこれ以上の演奏は不可能であることは、誰の目にも明らかだ。アンコールはなし。極めて充実した内容の演奏会であった。

2013年2月23日土曜日

NHK交響楽団 横浜公演 評

2013年2月23日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)

曲目:
リスト=フェレンツ 交響詩「前奏曲」 S.97/R.414
リスト=フェレンツ ピアノ協奏曲第1番 S.124/R.455
 (休憩)
シャルル=カミーユ=サン-サーンス 交響曲第3番 「オルガン付き」op.78

ピアノ:ヘルベルト=シュフ
オルガン:新山恵理
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:準=メルクル

NHK交響楽団は、2013年2月20日から2月24日までにわたり、準=メルクルを指揮者に迎え、東京で二公演、横浜・名古屋で各一公演、同じ曲目にて演奏会を開催する。東京での二公演は第1750回NHK交響楽団定期演奏会として既に開催された。この評は、第三回目、2月23日に開催された横浜公演に対してのものである。

「前奏曲」が始まる。前日にグルノーブル-ルーブル宮音楽隊(MDLG)の演奏会を聴いたせいか、大管弦楽の精度と言うものはこの程度のものなのだなと、やはりどうしても思ってしまう。ミンコフスキとMDLGは罪深い♪

それでも、この「前奏曲」からして響きに色彩感が溢れているのはなぜだろう。何も知らずに聴いてみると、フランスの管弦楽団かと勘違いしてしまう程の色彩感だ。さすがは日本を代表するN響の力なのか、それともメルクル-マジックであるのか。

二曲目のピアノ協奏曲である。独奏はヘルベルト=シュフ。ピアノはまずは若干弱めで始まるが、シュフはだんだん興に乗り始め、即興的な危険な演奏を繰り広げていく。崩壊するかしないかのギリギリの線を攻めていき、大柄な体格だけど繊細そうな見掛け通りの、儚く危うい魅力に溢れた演奏だ。まさに天才肌の演奏である。この演奏を支えたメルクル+N響も素晴らしい。

シュフのアンコール曲は、リストの「ラ-カンパネラ」。どうも東京公演とは違ったアンコールだったようだ。ソロ演奏となって誰にも配慮する必要がなくなった事もあり、さらに危険度を増した峻烈な演奏だ。こういった危険な演奏をするピアニストは、私が知る限り日本人ではいないのだよなあ。

休憩後の三曲目、いよいよ「オルガン付き」である。横浜みなとみらいホールのオルガンは、米国マサチューセッツ州に本拠を置くC.B.フィスク社製である。この2013年に立教大学新座キャンパス聖パウロ礼拝堂に二台目のオルガンが導入されるまでは、日本で唯一のC.B.フィスク社のオルガンだ。歴史の浅い米国のオルガンは、どのような音がするのだろう。

第一部後半からオルガンが登場する。オルガンの響きは管弦楽と溶け合わせるようなアプローチを取っている。よってオルガンの音量は控えめであるが、フィスク社のオルガンの音色は極めて柔らかく、私の涙腺を共鳴させるものだ。この音色は反則である。泣き出しそうになるのを必死にこらえる。六日前の福井で、鈴木雅明の奴がシュッケ社のオルガンを硬質な響きで大きく響かせたのを思い出して、これとは対照的な柔らかな響きにちょっと感極まってしまったのだ。

歴史の浅い米国で、まるでオーストリアで制作されたかのような柔らかな響きを実現してしまった事に驚愕とさせられる。

一方、管弦楽も冒頭から精緻な演奏が始まる。オルガンのみを売り物とする演奏でなく、管弦楽自体が表現力がさらに増した演奏だ。管弦楽とオルガンとが対立的ではなく、あたかも一心同体のような響きになるよう、計算された見事な演奏である。

準=メルクルの指揮はエネルギッシュではあるがとても明晰な指揮をする。ミンコフスキにしろメルクルにしろ、完成度の高い演奏を仕掛ける指揮者の棒さばきは、無駄がない。

二月の土曜日に、必ず横浜みなとみらいホールに来るという偉業(?)は達成された。当面、みなとみらいに行く予定はない。この二月の演奏会に、なぜか幽霊は出なかったのはどうしてだろう。奏者の三メートル左から音が聞こえてくる、怪奇現象が起こるホールのはずだったのだが。N響は、やはり本拠地以外で聴くのがいいのだなあ。