2013年7月23日火曜日

PMF (Pacific Music Festival) 2013管弦楽演奏会(プログラムB)評

2013年7月20日 土曜日
札幌コンサートホールkitara (北海道札幌市)

曲目:
武満徹 A String Around Autumn for viola and orchestra
(休憩)
グスタフ=マーラー 交響曲第5番

ヴィオラ:ダニエル=フォスター
管弦楽:PMF管弦楽団(+PMFアメリカ)
指揮:準=メルクル

札幌市を中心に開催されるPacific Music Festival (PMF) 2013は、7月6日から31日まで開催され、ヴィーン-フィル等から招かれた奏者による若手音楽家に対する教育の他、多数の形態の演奏会により構成される。管弦楽演奏会は三プログラムあり、この評はプログラムB、7月20日札幌コンサートホールkitaraでの公演に対してのものである。なお、このプログラムの公演は、7月19日に苫小牧(北海道)、7月31日に東京で開催される。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。メルクルが左右対向配置を採用するのは珍しい。木管パートは後方中央、ホルンは後方上手側、その他の金管・ティンパニは後方中央から下手側の位置につく。

着席位置は正面2階前方中央、客の入りはほぼ9割位であろうか、満席とまではいかないが、空席は少ない。

この演奏会を評するに当たり、その環境について述べる必要がある。準=メルクルは14日に東京で国立音楽大学管弦楽団演奏会を終えた夜に札幌入り、15日札幌交響楽団とのリハ、16日PMFオケとのリハ、17日札幌交響楽団本番、18日PMFリハ、19日苫小牧本番、と超過密スケジュールの状態であった。17日札幌交響楽団演奏会は、当初の予定ではイルジー=コウトが指揮を担当するところであったが、準=メルクルが代役を担当する事となった。よって、この公演の前のリハーサルは二日間しかない状態で、苫小牧公演を聴きに行った人たちはお気の毒と言った形である。

第一曲目は武満徹の「A String Around Autumn for viola and orchestra」で、単楽章形式のヴィオラ協奏曲と言っても良いか。瞑想的と言えば聞こえはいいが、瞑想的な一本調子で15分程続く、眠くなる曲であり、曲自体としては私の最も嫌いなタイプに属する曲である。ヴィオラはまあまあ響かせていたし、響きもよく考えられた演奏である。このような曲をこれ程までの水準で演奏できたら、まあ良いであろう。

休憩後の二曲目は、マーラーの交響曲第5番である。PMF教育プログラムの教授陣である「PMFアメリカ」が楽団員として加わる。

メルクルの指揮は、テンポは限られた箇所を除いてやや速め、全般的に自然な流れである。第一楽章ではテンポにウネリが感じられる。

率直に申し上げて、弦楽はスカスカの印象である。特に第一ヴァイオリンは、17人もいて何をやっているのかと言いたくなってくる。表現の彫りが浅く、熱気がこもっていない。コンサートマスター単独だとあんなに響くのに、第一ヴァイオリン総体ではどうして何かに怯えたかのような響きになるのか。弦楽のアピールポイントである第四楽章で、もっと彫りの深い演奏ができないのか、とは強く思うところである。

プログラムAでの、ライナー=キュッヒル率いるヴァイオリンが濃い表情で縦の線をビシっと揃えた名演だったので、その印象との比較にどうしてもなってしまうが、PMFアメリカの教授たちはあまりトゥッテイに自発性を求めていないのは明らかである。プログラムAのヴァイオリンとはあまりに対照的な出来である。

この演奏を聞いて、逆にライナー=キュッヒルがどれほど凄いかを、改めて認識した次第である。いかに表情をつけ、表現の彫りを深くし、かつ若手奏者に徹底させるとともに、自信を持って演奏させるという点で、彼にかなうものはいない。でも彼は、「東の国の東にある都」に帰っちゃったのだよな。。。

マーラーの第5は、圧倒的な管楽器優位の展開に救われている。

特に第三楽章でテンポを遅くして奏でられるホルンのソリスティックな展開が最も素晴らしい。それぞれ別の旋律を奏でる複数のホルンの繋ぎは、バランスが非常に的確に取られている。また、ホルン首席の個人技の見事さには目を奪われる。抜群の安定感を伴う音量を保持しつつ、圧倒的なニュアンス!レベルの高かった管楽全般の中でも、その存在感は目立っている。

第五楽章冒頭の、ホルンやファゴットやその他の管楽がソリスティックに繋いでいく所も、安定した個人技のみならず、絶妙なバランス自体が素晴らしい。

全般的に、管楽奏者の個人技に頼った要素が強い印象が強い点で、物足りなさを感じる演奏である。管楽の華麗な展開と同調しない弦楽の不調が目立ち、どこか一貫性を欠いている思いが抜けきらない。リハーサル不足も影響しているのであろうか。マーラーの第5は、マーラーに初めて接する人たちに一番馴染みやすい交響曲であるが、一方で弦楽・管楽ともに穴を許さない曲で、その意味では第6よりも難曲である事を認識させられる。

準=メルクルの過密日程を反映してか、またはPMFの慣習であるのか、アンコールはなかった。