2016年5月21日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 435th Subscription Concert, review 第435回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2016年5月21日 土曜日
Saturday 21st May 2016
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: сюита из балета ‘Золотой век’ op.22 (Интродукция, Полька, Танец)(バレエ組曲「黄金時代」から「序奏」,「ポルカ」,「踊り」)
Альфре́д Га́рриевич Шни́тке / Alfred Schnittke : Concerto per viola e orchestra
(休憩)
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: Sinfonia n.6 op.54

viola: Andrea Burger (アンドレア=ブルガー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Дми́трий Ильи́ч Лисс / Dmitri Liss (指揮:ドミトリ=リス)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、スイス連邦生まれのアンドレア=ブルガー(ヴィオラ)をソリストに、ドミトリー=リスを指揮者に迎えて、2016年5月20日・21日に愛知県芸術劇場で、第435回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、ドミトリー=ショスタコーヴィチのバレエ組曲と交響曲、シュニトケが1985年に作曲したヴィオラ協奏曲と、ロシアの近現代音楽から構成されている。今シーズンのプログラムの白眉であることは間違いない。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手方につく。木管パートは後方中央、ホルンは木管後方の中央に位置し、その後ろにティンパニがつく。他の金管は後方上手、ティンパニ以外の打楽器群が後方下手側につく。

なお、第二曲目のシュニトケ、ヴィオラ協奏曲はヴァイオリンは登場せず、そのスペースにチェンバロ・足踏みオルガン・ピアノ・ハープが置かれる。

着席位置は一階正面後方中央、客の入りは8割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、概ね良好だったものの、シュニトケのヴィオラ協奏曲にて、最後の音符を奏でた直後に余韻を壊すフライング拍手があったのは、同じ聴衆として極めて遺憾である。

今回は、総じて難曲揃いであるが、素晴らしい演奏だった。

第一曲目の「黄金時代」は、冒頭のフルートによる鋭い響きに引き寄せられる。弦が少し戸惑っているように感じられたが、曲の進行ともに管楽打楽と噛み合ってくる。

第二曲目のシュニトケによるヴィオラ協奏曲は、素人受けはしづらい曲想で、終始緊張感を要するが、ヴィオラ-ソリストのアンドレア=ブルガーはこの難曲を、1990年生まれの若手とは思えない程の完成度を持って演奏する。音量は問題ないし、この曲を理解した上で、ソロで攻めるべき箇所や他楽器との絡み合いの箇所を計算し、気を衒わない見事な正統派の演奏だ。一方で、名フィルの管弦楽も綺麗な弱奏でソリストを支えたり、管楽打楽で攻めるべき箇所は攻めたりと、的確な演奏である。にしても、現代音楽なのに、チェンバロとヴィオラ-ソロとの組み合わせで聴かせるポイントがあるのは意外だ。

後半はショスタコーヴィチの交響曲第6番。管楽打楽の聴きどころでしっかり決めてくるし、弦楽も負けずに響かせるし、弦管打、それに愛知県芸術劇場コンサートホールの音響全てが見事に絡みあった完璧な演奏だ。

何よりも、一番長大な第一楽章が素晴らしいのが効いている。下手すると眠気を誘いそうな楽想であるが、天井やオルガンを見上げてウットリしているうちに終わっちゃった感じである。リスの的確な構成力が緊張感を持続させ、管弦楽がこれに応えて、ソリスティックな聴きどころを担当する管楽打楽が決まりまくったからか。

いつものように、この曲も予習せずに初聴で臨んだが、第一楽章で秘かにイイなと思った箇所は、低弦の弱奏に支えられて第一フルートがずっと奏でているところに、第二フルートが鳥の鳴き声のように入ってくるところ。Beethovenの第6交響曲「田園」を意識しているのか?まあ、多分違うと思うけど・・・。

それにしてもこれ程までの内容でショスタコーヴィチを演奏してしまうのだから、間も無く実施される愛知芸文の改修工事時期を外して、年間プログラムをショスタコーヴィチだけで構成することもできるだろうとも思う。無謀承知の発言であるが。

名フィルはトップの指揮者がマーティン=ブラビンズから交代した事により、プログラムが保守化した。中日新聞社放送芸能部の某記者すら自らの責務を放棄して、この保守化に与したが、しかしこの第435回定期演奏会は例外的に挑戦的なプログラムで攻めた、最も良心的な演目だった。こういったプログラムを演奏し紹介し、観客を啓蒙するのは、管弦楽団の重要な社会的責務であるし、聴衆の立場からも応えないといけないと、私は思っている。

観客は、現在自分の好きな音楽を聴きたがるもの、専門知識を有し提起する力がある、その地域の管弦楽団が啓蒙しなければ、観客も管弦楽団も、その地域の文化も進歩しない。このようなプログラムは、これからも比率を増やして継続されるよう、要望したい。