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2017年4月16日日曜日

Bach Collegium Japan, Passione secondo Matteo (J.S. Bach) Matsumoto Concert (2017), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「マタイ受難曲」松本演奏会 評

2017年4月16日 日曜日
Sunday 16th April 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244

soprano: Hannah Morrison
soprano: 松井亜希 / Matsui Aki
contralto: Robin Blaze
contralto: 青木洋也 / Aoki Hiroya
Evangelista: Benjamin Bruns
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Christian Immler
basso: 加耒徹 / Kaku Toru
coro e orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki

バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2017年4月13日から16日までにかけて、J.S.バッハの マタイ受難曲 演奏会を、名古屋・東京・与野(埼玉県)・松本にて開催した。この評は、千秋楽2017年4月16日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。

管弦楽配置は、ヴァイオリンとヴィオラは左右対称に配置し、通奏低音は中央に置く。ホールのオルガンは使わず、通奏低音奏者の後ろでポジティフオルガンを二台置いた。歌い手は管弦楽の後ろを取り囲むように配置し、福音史家は指揮者のすぐそばに、他のソロパートは、最後方中央から歌ったり、指揮者のそばだったり、管弦楽の中に混じる場所だったりと、場面に応じた場所での歌唱となる。

着席位置は一階正面後方ほぼ中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、曲終了直後のBravoは残念だった。連鎖反応で鈴木雅明さんが手を下ろしていないのに満場の拍手となってしまったのは残念だ。通常松本では、余韻は守られることが多いが、県外からの聴衆がやってしまったか?

やはり、福音史家 Evangelista役の Benjamin Bruns は世界最高だと思う。「マタイ受難曲」の福音史家役で、これだけの素晴らしさを見せつけられたら、彼以外の歌い手は考えられない。あまりの別格ぶりに唖然とするしかない。

声の美しさ、ニュアンスの付け方、ホールの響きを味方につける巧みさ、綿密に響きを計算する構築力、全部完璧である。

残響が豊かである故に綺麗な響きを作り上げるのが難しい、松本市音楽文化ホールの飽和点を的確に認識して最高音を設定し、ホールの残響を計算して大胆に踏み込み、美しい響きで実現させる技には感嘆するしかない。

通奏低音はエッジを効かせる箇所もあり、ニュアンスを楽しめた。後ろで短いソロを披露する歌い手の皆様も随所で見事である。

また、Christian Immler のソロの他、私の好みとしては青木洋也のただ一箇所の長いソロも聴き惚れる。

重ねて書くが、松本市音楽文化ホールのような響くホールは、響きのコントロールや組み立て方が難しい。BCJにとって初めての場所、で当日に臨んで戸惑われたかも知れないけれど、だんだん響きがホールと馴染んでくるのはさすがである。若松夏美さんのソロはじめ、管弦楽も素晴らしかった。

2016年11月12日土曜日

Bach Collegium Japan, Messa in Si minore (J.S. Bach) Yono Concert (2016), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「ミサ曲ロ短調」与野演奏会 評

2016年11月12日 土曜日
Saturday 12th November 2016
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Messa in Si minore BWV 232
soprano: 朴瑛実 / Boku Terumi
soprano: Joanne Lunn
contralto: Damien Guillon
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Dominik Wörner
cembalo / organo: Francesco Corti
orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki

バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2016年11月11日から15日までにかけて、J.S.バッハの ミサ曲ロ短調 演奏会を、東京・与野(埼玉県)・札幌にて開催する。(同時期の11月13日に、全く別のプログラムで第6回名古屋定期演奏会が開催される。)

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(この影に隠れるように)ヴィオラ(ここまでで下手側を占める)→オルガン・チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ→オーボエと囲み、これらに囲まれて指揮者のすぐ前にフルートが付く。ヴィオローネ(コントラバス相当)はチェロの後方につく。ファゴットはオーボエの後方で上手側、ティンパニとホルンはヴィオラの後方で下手側、トランペットは前方ながら最も下手側である。

合唱配置は、ソプラノ→コントラルト→バス→テノール→ソプラノで始まり、サンクトゥスからコントラルトの一部(上手側)とテノールを入れ替えて演奏された。

着席位置は一階正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は極めて良好だった。

全体的に、非常によく考えられて構築された計画にパッションが加わった、盤石な演奏である。誰もが自己顕示とは無縁で、全体の中でどのように歌ったり奏でたりして響きを作り出すかを理解しているかが、よく分かる演奏だ。その上にパッションを乗せてくる。

第一部第8曲目は、私の好きな展開である。朴瑛実と櫻井亮の日本在住者コンビが実に息が合っていて、同じ方向性を向いていて、管弦楽に乗っかっている。一方でフルートも程よく自己主張しつつ、その他の管弦楽は巧みに弱奏で根底から支える。そうやってよく考えられた響きが観客に届く時の幸せは何て表現したらいいだろう。

第一部第10曲と第四部第26曲に於けるコントラルト-ソロ(ダミアン=ギヨン)も素晴らしい。ソリストだけでなく、管弦楽全体を含めた全体で作り上げた音楽を実感出来る点も、注目する点である。

合唱は、冒頭から自由自在に彩の国さいたま芸術劇場の素晴らしいホールを響かせる。構築がしっかり為されていると察せられるところにパッションが乗っかり、ニュアンスに出てくる。第一部のどこかは忘れたが、そのニュアンスで涙腺が潤む。第三部サンクトゥスでの女声の押し寄せる波のようなニュアンスも強い印象を残す。

全体的に、歌・管弦楽とも高い充実ぶりを伺わせる素晴らしい演奏会であった。来年2017年4月に、松本市音楽文化ホール での「マタイ受難曲」が予定されているとのことだ。オルガンがある数少ない中規模ホールである松本市音楽文化ホールでのBCJの演奏会が今までなかったのが不思議なくらいだ。今から楽しみに待っていることとしよう!

2013年12月22日日曜日

バッハ-コレギウム-ジャパン 「メサイア」2013年軽井沢演奏会 評

2013年12月22日 日曜日
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)

曲目:
ゲオルク=フリードリヒ=ヘンデル オラトリオ「メサイア」 HMV56 1753年版

ソプラノ:シェレザード=パンタキ
アルト(カウンターテノール):ダニエル=テイラー
テノール:櫻田亮
バス:クリスティアン=イムラー

合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明

軽井沢大賀ホールにて2010年12月から開始された、クリスマスの時期に於けるBCJによる「メサイア」演奏会は、四回目を迎えた。昨年と比較しての今年の特徴としては、昨年の「1743年ロンドン初演版」ではなく「1753年版」を採用したこと。ソプラノ・テノールのソリストを2名から1名にしたことである。

同じ公演は、12月21日に鎌倉芸術館(神奈川県鎌倉市)、23日にサントリーホール(東京)でも開催された。良い音響が期待できるのは、この軽井沢大賀ホールのみであり、事前にソプラノのシェレザード=パンタキの調子が良いらしいとのツィッター情報を得て、急遽当日券により臨席する。

管弦楽配置は、舞台下手側から第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(その後方にヴィオラ)→チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ(その後方にオルガン)→ファゴット→オーボエの順である。トランペット・ティンパニは舞台下手側後方の配置だ。合唱は舞台後方に下手側からソプラノ→アルト→テノール→バスで一列の配列である。ソリストは、原則として指揮者のすぐ下手側からカウンターテノールとテノール、すぐ上手側からソプラノとバスが歌う形態である。なお第一部では、トランペットが二階合唱席下手側後方上方から演奏する場面もあった。

着席位置は、一階平土間後方上手側である。客の入りは八割程であろうか。聴衆の鑑賞態度はかなり良いが、補聴器の作動音らしき音が下手側から継続的に聞こえていた。

ソリストについては、ソプラノのシェレザード=パンタキは期待通りの声量で、特に第一部では圧倒的な存在感を示している。

カウンターテノールのダニエル=テイラーは、声量面では決して大きいものではないが、特に第二部でのアリアが傑出した出来である。これは、第一声から「これは凄い」と感嘆させられると言うよりは、聴いているうちにいつの間にか惹き込まれていて、終わってみたらその自然と溶け込むような歌声に感嘆させられる不思議なものだ。声の音色にカウンターテノールにありがちな不自然なところがないところも、私の好みと合っている。

クリスティアン=イムラーは、第三部第43曲のトランペットと掛けあうアリアが素晴らしい。

合唱は、ソプラノが2010年の時のような二歩前に出たり、昨年のようにあまり自己主張をしていなかったりする事もなく、今年は半歩前に出る歌唱であろうか。基本的には、他のソリスト・管弦楽と溶け込むアプローチではあるが、いつもながらのレベルの高い合唱である。

管弦楽で特筆するべき点は、トランペット奏者にジャン-フランソワ=マドゥフを招聘し首席奏者として演奏することである。ナチュラル-トランペットの奏法は難しく、BCJの演奏会の際にその出来に期待する事はなかったが、今回のマドゥフ招聘の効果は大きく、全てが完璧ではないものの、大幅に改善されている。特に、第二部最後のハレルヤ-コーラスでは、マドゥフのトランペットが実に絶妙な音量で入ってきて、精緻なハーモニーを構築している。また、第三部第43曲でのバスと掛けあうアリアのトランペットも絶品である。

また今回は、昨年とは着席位置が違うこともあるのか、チェンバロやチェロが良く聴こえ、深みがある響きを楽しむことができた。

アンコールは、ジョン=ヘンリー=ホプキンズ-ジュニアの「われらは来たりぬ」であり、テノールのソロはBCJ合唱陣が務める。それぞれのソロが美しく響き、ソプラノパートとの対比が印象的であった。

2013年12月7日土曜日

バッハ-コレギウム-ジャパン モーツァルト「レクイエム」演奏会評

2013年12月7日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「証聖者の荘厳な晩課」 K.339
(休憩)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「レクイエム」 K.626

ソプラノ:キャロリン=サンプソン
アルト:マリアンネ=ベアーテ=キーラント
テノール:櫻田亮(アンドリュー=ケネディの代役)
バス:クリスティアン=イムラー

合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明

BCJは、12月1日・7日・9日の三回に渡り、「モーツァルト レクイエム」演奏会を開催する。12月1日は札幌コンサートホールkitara、7日は彩の国さいたま芸術劇場、9日は東京オペラシティ タケミツメモリアルを会場とする。BCJの特質からして、東京オペラシティのような巨大なホールよりは、600名強の規模のホールである彩の国さいたま芸術劇場での演奏が適切と判断した。よってこの評は二日目の彩の国さいたま芸術劇場での公演に対するものである。

着席位置は、一階ど真ん中よりわずかに上手側である。客の入りはほぼ満席である。聴衆の鑑賞態度はかなり良く、拍手のタイミングも大変適切であった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ(「レクイエム」のみ?)→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、ヴィオローネ(コントラバスに相当)は最も上手側につく。ホルン・木管パートは後方中央、トランペットは後方下手側、トロンボーン・ティンパニは後方上手側、オルガンは中央やや上手側の位置につく。
合唱団は計23名で、舞台後方を途切れることなく二列横隊で並ぶ。ソリストは、「証聖者の荘厳な晩課」では指揮台の舞台後方側に待機し、「レクイエム」では舞台下手側に待機し、歌う時のみ舞台前方に出てくる。

前半は、「証聖者の荘厳な晩課」K.339である。この公演では、典礼に則りグレゴリオ聖歌のアンティフォナを挿入して演奏される。各曲の始まりは、クリスティアン=イムラー(バス-ソリスト)が合唱団バスセクションの所に行き、まずはイムラーの独唱アカペラで始まり、ついでイムラーの指揮でバス-セクションとの合唱に移り、鈴木雅明の指揮による管弦楽により本編が始まるというスタイルである。バス独唱→合唱と本編との対比が面白い。

後半の「レクイエム」K.626は、モーツァルト、アイブラー及びジューズマイヤーの自筆譜に基づく鈴木優人補筆校訂版」によるものである。この版による評価が出来るほど作曲技法や「レクイエム」の経緯に通じている訳ではないが、聴いていて特に不満はなく、たまに何かを挿入したなと感じる程度の差であり、版の差よりは演奏による差の方が観客にとっては大きいであろう。

演奏は、テンポのメリハリははっきりしており、入祭唱やキリエなど速く演奏する箇所はかなりの速さであり、サンクトゥス・ベネディクトゥスと言った比較的緩徐な部分は普通にゆっくりのテンポである。

二曲を通して、歌い手を前面に出す演奏である。

「証聖者の荘厳な晩課」はバスのクリスティアン=イムラーの独唱が良く、管弦楽が始まる前の、どこかビザンチン風を思わせる独唱部・グレゴリオ聖歌部を引き立たせている。また、ソプラノのキャロリン=サンプソンが素晴らしい。ソプラノ独唱から合唱団に引き継ぎ、さらにソプラノ独唱に引き継ぎながら盛り上げていく部分は、実に巧みである。

「レクイエム」はパッションが込められた合唱で、ソリスト・合唱ともここぞの所で仕掛けてくる。頂点に向けて精密に声量をコントロールし、いざ頂点に達する所でソプラノが二歩前に出てくる理想的な形だ。キャロリン=サンプソンは、アルトやテノールと合わせるところでは、それぞれのソリストの声量に合わせるが、ソプラノが飛び出す事が許容されている部分では巧くオーバーラップさせてくるし、長い独唱アリアの部分では自由自在に攻めてくる。キャロリンが歌い始めると、とても幸せな気持ちになってくる。

最後の聖体拝領唱が終わり、残響がなくなり無音となる。誰もがその余韻を尊重し、適切な空白の時間の後で熱烈な拍手となる。このような終わり方は実に素晴らしい。演奏者と観客との一体感が感じられる、とても良い演奏会であった。