2013年12月7日土曜日

バッハ-コレギウム-ジャパン モーツァルト「レクイエム」演奏会評

2013年12月7日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「証聖者の荘厳な晩課」 K.339
(休憩)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「レクイエム」 K.626

ソプラノ:キャロリン=サンプソン
アルト:マリアンネ=ベアーテ=キーラント
テノール:櫻田亮(アンドリュー=ケネディの代役)
バス:クリスティアン=イムラー

合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明

BCJは、12月1日・7日・9日の三回に渡り、「モーツァルト レクイエム」演奏会を開催する。12月1日は札幌コンサートホールkitara、7日は彩の国さいたま芸術劇場、9日は東京オペラシティ タケミツメモリアルを会場とする。BCJの特質からして、東京オペラシティのような巨大なホールよりは、600名強の規模のホールである彩の国さいたま芸術劇場での演奏が適切と判断した。よってこの評は二日目の彩の国さいたま芸術劇場での公演に対するものである。

着席位置は、一階ど真ん中よりわずかに上手側である。客の入りはほぼ満席である。聴衆の鑑賞態度はかなり良く、拍手のタイミングも大変適切であった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ(「レクイエム」のみ?)→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、ヴィオローネ(コントラバスに相当)は最も上手側につく。ホルン・木管パートは後方中央、トランペットは後方下手側、トロンボーン・ティンパニは後方上手側、オルガンは中央やや上手側の位置につく。
合唱団は計23名で、舞台後方を途切れることなく二列横隊で並ぶ。ソリストは、「証聖者の荘厳な晩課」では指揮台の舞台後方側に待機し、「レクイエム」では舞台下手側に待機し、歌う時のみ舞台前方に出てくる。

前半は、「証聖者の荘厳な晩課」K.339である。この公演では、典礼に則りグレゴリオ聖歌のアンティフォナを挿入して演奏される。各曲の始まりは、クリスティアン=イムラー(バス-ソリスト)が合唱団バスセクションの所に行き、まずはイムラーの独唱アカペラで始まり、ついでイムラーの指揮でバス-セクションとの合唱に移り、鈴木雅明の指揮による管弦楽により本編が始まるというスタイルである。バス独唱→合唱と本編との対比が面白い。

後半の「レクイエム」K.626は、モーツァルト、アイブラー及びジューズマイヤーの自筆譜に基づく鈴木優人補筆校訂版」によるものである。この版による評価が出来るほど作曲技法や「レクイエム」の経緯に通じている訳ではないが、聴いていて特に不満はなく、たまに何かを挿入したなと感じる程度の差であり、版の差よりは演奏による差の方が観客にとっては大きいであろう。

演奏は、テンポのメリハリははっきりしており、入祭唱やキリエなど速く演奏する箇所はかなりの速さであり、サンクトゥス・ベネディクトゥスと言った比較的緩徐な部分は普通にゆっくりのテンポである。

二曲を通して、歌い手を前面に出す演奏である。

「証聖者の荘厳な晩課」はバスのクリスティアン=イムラーの独唱が良く、管弦楽が始まる前の、どこかビザンチン風を思わせる独唱部・グレゴリオ聖歌部を引き立たせている。また、ソプラノのキャロリン=サンプソンが素晴らしい。ソプラノ独唱から合唱団に引き継ぎ、さらにソプラノ独唱に引き継ぎながら盛り上げていく部分は、実に巧みである。

「レクイエム」はパッションが込められた合唱で、ソリスト・合唱ともここぞの所で仕掛けてくる。頂点に向けて精密に声量をコントロールし、いざ頂点に達する所でソプラノが二歩前に出てくる理想的な形だ。キャロリン=サンプソンは、アルトやテノールと合わせるところでは、それぞれのソリストの声量に合わせるが、ソプラノが飛び出す事が許容されている部分では巧くオーバーラップさせてくるし、長い独唱アリアの部分では自由自在に攻めてくる。キャロリンが歌い始めると、とても幸せな気持ちになってくる。

最後の聖体拝領唱が終わり、残響がなくなり無音となる。誰もがその余韻を尊重し、適切な空白の時間の後で熱烈な拍手となる。このような終わり方は実に素晴らしい。演奏者と観客との一体感が感じられる、とても良い演奏会であった。