2018年2月24日 土曜日
Saturday 24th February 2018
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Juan Crisostomo Arriaga: Sinfonia in re per grande orchestra
Wolfgang Amadeus Mozart: Andante per flauto e orchestra KV315
尾高尚忠 / Otaka Hisatada: Concerto per flauto e orchestra op.30a
Franz Peter Schubert: Sinfonia n.6 D589
flauto: 최나경/ Choi Jasmine
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: Matthias Bamert
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、フルート-ソロに韓国人のチェ=ジャスミン、指揮にマティアス=バーメルト(当初予定の Jesús López Cobos は病気のため降板)を迎えて、2018年2月24日に石川県立音楽堂で、第399回定期演奏会を開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、金管パートは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面わずかに後方上手側、客の入りは八割程であろうか。
演奏について述べる。
冒頭から序曲などではなく、交響曲である。19歳で夭逝したエウスカディ(バスク)の作曲家アリアーガのもの。滅多に聴けない曲だ。
今日のOEKは、キチッと音圧を掛け、ホールの響きを味方に付けている。序奏部の木管の伸びやかな響きから、この演奏会の成功を期待させる。指揮者バーメルトの構成力の巧みさが、感じ取れる。
二曲目と三曲目は、フルート-ソロにチェ=ジャスミンを迎えての演奏だ。音量が大きなタイプではなく、管弦楽も抑えめでサポートする。管弦楽から一歩抜け出して自己主張するタイプではなく、管弦楽に溶け込ませるタイプなのは、かつてOEKの客演奏者だったためなのか?
モーツァルトのカデンツァの部分、尾高尚忠の第二楽章は良かった。尾高尚忠の作はとてつもない難曲で、演奏にも難しさを感じさせる箇所もある。
圧巻だったのはアンコールで、イアン=クラークの「ザ-グレイト-トレイン-レース」、舞台を上手下手に歩きながら楽しげに、フルートからこんな音色が出せるのかと感嘆させる演奏である。
後半は、シューベルトの交響曲第6番だ。
Matthias Bamert が目指した路線は、テンポでヴィヴィッドにするのではないが(テンポはむしろ遅いだろう)、一音一音、精密に音色を深く考慮して産み出された、美しく明るい響きで、古典派の交響曲に求められるヴィヴィッド感を出すものである。この試みは成功する。
Matthias Bamert は曲を知り尽くし、かつオケの性格やホールの響きを、まるでホームのオケのように知悉した職人芸で、名演を導く。まさに、ベテランならではの至芸だ。
Matthias Bamert はこれ見よがしの作為をせず、精緻にオケの音色をコントロールする。金管の音をも柔らかくブレンドする一方で、出るべき所では木管に伸びやかに演奏させるなど、深い解釈ならではの説得力を与える。管弦楽も全力で応え、狙い通りの素晴らしい響きを出しまくる。
古典派の音楽はシンプルだからこそ、観客を満足させる演奏を実現させるのは難しい。しかし今日の Matthias Bamert 指揮による演奏は、指揮者・管弦楽・素晴らしい音響のホール、三位一体となって、音楽堂を幸せな響きで満たしていく。
大きなホール、大きな管弦楽の東京では味わえない、精緻に音圧を観客に与えていく、素晴らしい演奏であった。これだから、金沢通いはやめられない!
#oekjp
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2018年2月24日土曜日
2017年7月21日金曜日
Orchestra Ensemble Kanazawa, the 392nd Subscription Concert, review 第392回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評
2017年7月21日 金曜日
Friday 21st July 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Organ Inprovisation by Thierry Escaich
Franz Peter Schubert: Sinfonia n.7 D759 ‘Incompiuta’
Charles Camille Saint-Saëns: Concerto per violoncello e orchestra n.1 op.33
(休憩)
Thierry Escaich: Concerto per organo e orchestra n.3 'Quatre Visages du Temps' (「時の四つの顔」)
violoncello: Ľudovít Kanta
organo: Thierry Escaich
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: 井上道義 / Inoue Michiyoshi
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、オルガンにティエリー=エスケシュを迎え、指揮は音楽監督の井上道義、チェロは首席奏者ルドヴィート=カンタが担当し、2017年7月18日から23日までに、石川県立音楽堂(金沢市)・那須野が原ハーモニーホール(栃木県大田原市)・松本市音楽文化ホール・ミューザ川崎シンフォニーホールで、第392回定期演奏会を開催する。
この評は、2017年7月21日、第三回目松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは両側端の位置につく。
着席位置は一階正面後方わずかに上手側、客の入りは四割程であろうか、空席が目立った。観客の鑑賞態度は、極めて素晴らしい。
演奏について述べる。
シューベルトの「未完成」は、低弦を中央後方に置き、通常弦楽の上手側となる位置に管楽を置く変態的な配置であったが、意味があったのかは疑問である。響きは豊かだが、構成は眠くなる感じである。
サン-サーンスのチェロ協奏曲は素晴らしい。チェロと管弦楽との一体感が、曲の進行とともに増してくる。696席の松本市音楽文化ホールならではのチェロの響きで、チェロのソロがこれだけ鳴るホールも少ない。カンタのチェロが情感を深くした第二楽章と思える箇所の、チェロと管弦楽との掛け合いは、同じ方向性を向いた、家族のような一体感を感じさせるものである。
エスケシュのオルガン協奏曲は、オルガンと管弦楽とがブレンドされ、誰が鳴らしているのか分からないほどの見事な演奏である。第二楽章の弦楽とオルガンとの一体感を感じさせる響きに惹きつけられる。一方で、両翼に配置した打楽は的確なアクセントを与える。楽器の構成がワールドワイドで楽しい。
サン-サーンスのチェロ協奏曲と、エスケシュの世界初演されたばかり(松本が第三公演!)のオルガン協奏曲を味わう事ができた、充実した演奏会であった。
#oekjp
Friday 21st July 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Organ Inprovisation by Thierry Escaich
Franz Peter Schubert: Sinfonia n.7 D759 ‘Incompiuta’
Charles Camille Saint-Saëns: Concerto per violoncello e orchestra n.1 op.33
(休憩)
Thierry Escaich: Concerto per organo e orchestra n.3 'Quatre Visages du Temps' (「時の四つの顔」)
violoncello: Ľudovít Kanta
organo: Thierry Escaich
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: 井上道義 / Inoue Michiyoshi
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、オルガンにティエリー=エスケシュを迎え、指揮は音楽監督の井上道義、チェロは首席奏者ルドヴィート=カンタが担当し、2017年7月18日から23日までに、石川県立音楽堂(金沢市)・那須野が原ハーモニーホール(栃木県大田原市)・松本市音楽文化ホール・ミューザ川崎シンフォニーホールで、第392回定期演奏会を開催する。
この評は、2017年7月21日、第三回目松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは両側端の位置につく。
着席位置は一階正面後方わずかに上手側、客の入りは四割程であろうか、空席が目立った。観客の鑑賞態度は、極めて素晴らしい。
演奏について述べる。
シューベルトの「未完成」は、低弦を中央後方に置き、通常弦楽の上手側となる位置に管楽を置く変態的な配置であったが、意味があったのかは疑問である。響きは豊かだが、構成は眠くなる感じである。
サン-サーンスのチェロ協奏曲は素晴らしい。チェロと管弦楽との一体感が、曲の進行とともに増してくる。696席の松本市音楽文化ホールならではのチェロの響きで、チェロのソロがこれだけ鳴るホールも少ない。カンタのチェロが情感を深くした第二楽章と思える箇所の、チェロと管弦楽との掛け合いは、同じ方向性を向いた、家族のような一体感を感じさせるものである。
エスケシュのオルガン協奏曲は、オルガンと管弦楽とがブレンドされ、誰が鳴らしているのか分からないほどの見事な演奏である。第二楽章の弦楽とオルガンとの一体感を感じさせる響きに惹きつけられる。一方で、両翼に配置した打楽は的確なアクセントを与える。楽器の構成がワールドワイドで楽しい。
サン-サーンスのチェロ協奏曲と、エスケシュの世界初演されたばかり(松本が第三公演!)のオルガン協奏曲を味わう事ができた、充実した演奏会であった。
#oekjp
2017年2月19日日曜日
Orchestra Ensemble Kanazawa, Il Barbiere di Siviglia , the 386th Subscription Concert, review 第386回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評
2017年2月19日 日曜日
Sunday 19th February 2017
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Gioachino Rossini: Il Barbiere di Siviglia (「セヴィージャの理髪師」)
Il Conte d'Almaviva: David Portillo
Don Bartolo: Carlo Lepore
Rosina: Serena Malfi
Figaro: Andrzej Filończyk
Don Basilio: 後藤春馬 / Goto Kazuma
Berta: 小泉詠子 / Koizumi Eiko
Fiorello: 駒田敏章 / Kodama Toshiaki
Ambrogio: 山本悠尋 / Yamamoto Yukihiro
Un ufficiale: 濱野杜輝 / Hamano Toki
Coro: 金沢ロッシーニ特別合唱団 / Kanazawa Rossini Special Chorus
Stage Director: Ivan Alexandre
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
maestro del Coro: 辻博之 / Tsuji Hiroyuki
direttore: Marc Minkowski
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、指揮にマルク=ミンコフスキを迎えて、2017年2月19日に石川県立音楽堂で、第386回定期演奏会として、ロッシーニの歌劇「セヴィージャの理髪師」を演奏会形式にて上演した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は上手側の位置につく。
ピアノはフォルテピアノを用い、奏者が下手側を向くように上手側に配置し、蓋は取り外された。
着席位置は一階正面わずかに後方上手側、客の入りは九割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好だった。
演奏について述べる。
全般的に歌い手も充実している。新国立劇場で有りがちな、過剰なヴィブラートを掛けて汚く歌う歌い手は、誰一人いない。特に Almaviva伯爵役の David Portillo、Rosina役のSerena Malfi、Bartolo役の Carlo Lepore は完璧である。また、外国人ゲストのみならず、Berta役の小泉詠子 / Koizumi Eiko も第二幕にある唯一の見せ場で素晴らしいソロを披露した。
第一幕では、アルマヴィーラ伯爵(David Portillo)がオルガンバルコニーにいるロジーナ(Serena Malfi)、に対し、ギターと共に歌う場面が、私にとっての白眉である。ベルタがロジーナを捕まえる展開でさえなければ、盛大なBraviが飛びまくったに違いない。
第一幕は素晴らしかったが、やはり第二幕は圧巻である。これは、ソリスト・合唱・管弦楽・指揮のマルクと全てががっしり組み合わさった結果である。
変声で変装しているアルマヴィーラ公爵役の David Portillo が仕掛けると、ロジーナ役 Serena Malfi が完璧な「無駄な用心」で答える。
第一幕が進行するに従って固さが取れた管弦楽 Orchestra Ensemble Kanazawa も、独特の音色を決めてくるなど、進行に連れどんどん冴え渡ってきて最良の響きを出す。この場面でこの響き、と Marc Minkowski が求めていたであろう響きは実現されているに違いない。 Marc の期待に大いに答えたであろう!
ピアノはフォルテピアノを用い、 Gioachino Rossini の時代を再現するなど、企画面でも完璧な配慮が為されている。プロレスのようなマイク-パフォーマンスをさせてもらうが、新国立劇場よ、飯守泰次郎よ、君らにピットにフォルテピアノを入れる根性はあるか?金沢では実現してんだぜ!と言うところである。
大き過ぎる東京の劇場・音楽堂では実現出来ない、大ホール部門では全世界で間違いなく三本の指に入る、1560席の石川県立音楽堂の優れた音楽堂だからこそ、可能なプロダクションである。劇場で再現するとしたら、1100席規模のチューリッヒ歌劇場(Opernhaus Zürich)でなければ不可能であろう。スタインウェイのピアノを入れるロッシーニなど、考えられない。著名大劇場の真似事をやって1814席もの巨大な新国立劇場を建設した当時の日本オペラ界の見識は、厳しく指弾されて然るべきである。
この、Orchestra Ensemble Kanazawa による、 Marc Minkowski 指揮による 'Il Barbiere di Siviglia ' の公演は、巨大な劇場や音楽堂志向によって見捨てられた音楽的価値を拾い上げるものである。この金沢に於ける公演の意義は、単に一つの演奏会形式による歌劇公演の成功に収まらない。日本の音楽史上でも意義のある公演であった。
#oekjp
Sunday 19th February 2017
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Gioachino Rossini: Il Barbiere di Siviglia (「セヴィージャの理髪師」)
Il Conte d'Almaviva: David Portillo
Don Bartolo: Carlo Lepore
Rosina: Serena Malfi
Figaro: Andrzej Filończyk
Don Basilio: 後藤春馬 / Goto Kazuma
Berta: 小泉詠子 / Koizumi Eiko
Fiorello: 駒田敏章 / Kodama Toshiaki
Ambrogio: 山本悠尋 / Yamamoto Yukihiro
Un ufficiale: 濱野杜輝 / Hamano Toki
Coro: 金沢ロッシーニ特別合唱団 / Kanazawa Rossini Special Chorus
Stage Director: Ivan Alexandre
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
maestro del Coro: 辻博之 / Tsuji Hiroyuki
direttore: Marc Minkowski
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、指揮にマルク=ミンコフスキを迎えて、2017年2月19日に石川県立音楽堂で、第386回定期演奏会として、ロッシーニの歌劇「セヴィージャの理髪師」を演奏会形式にて上演した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は上手側の位置につく。
ピアノはフォルテピアノを用い、奏者が下手側を向くように上手側に配置し、蓋は取り外された。
着席位置は一階正面わずかに後方上手側、客の入りは九割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好だった。
演奏について述べる。
全般的に歌い手も充実している。新国立劇場で有りがちな、過剰なヴィブラートを掛けて汚く歌う歌い手は、誰一人いない。特に Almaviva伯爵役の David Portillo、Rosina役のSerena Malfi、Bartolo役の Carlo Lepore は完璧である。また、外国人ゲストのみならず、Berta役の小泉詠子 / Koizumi Eiko も第二幕にある唯一の見せ場で素晴らしいソロを披露した。
第一幕では、アルマヴィーラ伯爵(David Portillo)がオルガンバルコニーにいるロジーナ(Serena Malfi)、に対し、ギターと共に歌う場面が、私にとっての白眉である。ベルタがロジーナを捕まえる展開でさえなければ、盛大なBraviが飛びまくったに違いない。
第一幕は素晴らしかったが、やはり第二幕は圧巻である。これは、ソリスト・合唱・管弦楽・指揮のマルクと全てががっしり組み合わさった結果である。
変声で変装しているアルマヴィーラ公爵役の David Portillo が仕掛けると、ロジーナ役 Serena Malfi が完璧な「無駄な用心」で答える。
第一幕が進行するに従って固さが取れた管弦楽 Orchestra Ensemble Kanazawa も、独特の音色を決めてくるなど、進行に連れどんどん冴え渡ってきて最良の響きを出す。この場面でこの響き、と Marc Minkowski が求めていたであろう響きは実現されているに違いない。 Marc の期待に大いに答えたであろう!
ピアノはフォルテピアノを用い、 Gioachino Rossini の時代を再現するなど、企画面でも完璧な配慮が為されている。プロレスのようなマイク-パフォーマンスをさせてもらうが、新国立劇場よ、飯守泰次郎よ、君らにピットにフォルテピアノを入れる根性はあるか?金沢では実現してんだぜ!と言うところである。
大き過ぎる東京の劇場・音楽堂では実現出来ない、大ホール部門では全世界で間違いなく三本の指に入る、1560席の石川県立音楽堂の優れた音楽堂だからこそ、可能なプロダクションである。劇場で再現するとしたら、1100席規模のチューリッヒ歌劇場(Opernhaus Zürich)でなければ不可能であろう。スタインウェイのピアノを入れるロッシーニなど、考えられない。著名大劇場の真似事をやって1814席もの巨大な新国立劇場を建設した当時の日本オペラ界の見識は、厳しく指弾されて然るべきである。
この、Orchestra Ensemble Kanazawa による、 Marc Minkowski 指揮による 'Il Barbiere di Siviglia ' の公演は、巨大な劇場や音楽堂志向によって見捨てられた音楽的価値を拾い上げるものである。この金沢に於ける公演の意義は、単に一つの演奏会形式による歌劇公演の成功に収まらない。日本の音楽史上でも意義のある公演であった。
#oekjp
2016年9月10日土曜日
Orchestra Ensemble Kanazawa, Iwaki Hiroyuki Memorial Concert, review オーケストラ-アンサンブル-金沢 岩城宏之メモリアルコンサート〈没後10年〉 評
2016年9月10日 土曜日
Saturday 10th September 2016
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
György Ligeti: Lux Aeterna (a cappella)
Samuel Barber: Concerto per violino e orchestra, op. 14
Gabriel Fauré: Requiem, op. 48
violino: Abigail Young (アビゲイル=ヤング)
soprano: 吉原圭子 / Yoshihara Keiko
baritono: 与那城敬 / Yonashiro Kei
coro: 東京混声合唱団 / Philharmonic Chorus of Tokyo
orchestra: オーケストラ-アンサンブル-金沢 / Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)
maestro del Coro: 根本卓也 / Nemoto Takuya
direttore: 山田和樹 / Yamada Kazuki
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、吉原圭子(ソプラノ)・与那城敬(バリトン)・東京混声合唱団を迎えて、2015年9月10日に石川県立音楽堂で、岩城宏之メモリアルコンサートを開催した。東京では翌11日にすみだトリフォニーホールにて開催される。
管弦楽配置は、バーバーのヴァイオリン協奏曲では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方さらに上手側の位置につく。
フォーレのレクイエムでは、ヴィオラを8人まで増強する異例の態勢で、指揮者のすぐ前に位置するハープを挟んで、中央下手・上手を占める。ヴァイオリンは下手側で、第二ヴァイオリン首席の江原さんが(美人だからすぐわかる♪)第一ヴァイオリン第3プルト客席側に座る、これまた異例の事態である!チェロは最上手側となる。合唱団は舞台後方、バリトンは指揮者のすぐ下手側、ソプラノはオルガンの高い位置に登場した。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客の入りは八割程であろうか。観客の鑑賞態度は、妨害電波発生装置が付いているのにも関わらず、二度携帯着信音がなった。演奏に大きな影響を与えなかったのは幸いであったが。
演奏について述べる。
バーバーのヴァイオリン協奏曲は、特に第二楽章が素晴らしい。管弦楽の弱音が緊張感を保ちながら、アビゲイルのヴァイオリンがニュアンス豊かに奏でた。管楽も華やかに決まったが、弦楽を無視して派手に決めた感はなく、必然性を感じさせるものである。アビゲイルのソロと弦楽管楽打楽が何をすべきか、深く理解している演奏だ。東京公演では、この曲の代わりにベト2を演奏するが、バーバーを演奏せずに保守化路線に日和るのは残念である。
フォーレのレクイエムは、東京混声合唱団に関しては、もう一歩出ても良かったなと思える箇所があるものの、一体感ある管弦楽の力で、このレクイエムの魅力を実感出来る演奏だ。
特に前半部は、下手側にも進出したヴィオラが完璧なリードを見せる。このレクイエムはヴィオラの出来でほとんど決まってしまう事を実感したが、実に見事なヴィオラのニュアンス溢れる音色だ。前面に出るヴィオラを含め、チェロ・コントラバスも含めて、低弦の深い響きが祈りの空間を支配する。また、金管の弱音も的確な響きだ。山田和樹の指揮により、ソプラノ-ソロも上手く引き立たせた。
#oekjp
Saturday 10th September 2016
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
György Ligeti: Lux Aeterna (a cappella)
Samuel Barber: Concerto per violino e orchestra, op. 14
Gabriel Fauré: Requiem, op. 48
violino: Abigail Young (アビゲイル=ヤング)
soprano: 吉原圭子 / Yoshihara Keiko
baritono: 与那城敬 / Yonashiro Kei
coro: 東京混声合唱団 / Philharmonic Chorus of Tokyo
orchestra: オーケストラ-アンサンブル-金沢 / Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)
maestro del Coro: 根本卓也 / Nemoto Takuya
direttore: 山田和樹 / Yamada Kazuki
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、吉原圭子(ソプラノ)・与那城敬(バリトン)・東京混声合唱団を迎えて、2015年9月10日に石川県立音楽堂で、岩城宏之メモリアルコンサートを開催した。東京では翌11日にすみだトリフォニーホールにて開催される。
管弦楽配置は、バーバーのヴァイオリン協奏曲では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方さらに上手側の位置につく。
フォーレのレクイエムでは、ヴィオラを8人まで増強する異例の態勢で、指揮者のすぐ前に位置するハープを挟んで、中央下手・上手を占める。ヴァイオリンは下手側で、第二ヴァイオリン首席の江原さんが(美人だからすぐわかる♪)第一ヴァイオリン第3プルト客席側に座る、これまた異例の事態である!チェロは最上手側となる。合唱団は舞台後方、バリトンは指揮者のすぐ下手側、ソプラノはオルガンの高い位置に登場した。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客の入りは八割程であろうか。観客の鑑賞態度は、妨害電波発生装置が付いているのにも関わらず、二度携帯着信音がなった。演奏に大きな影響を与えなかったのは幸いであったが。
演奏について述べる。
バーバーのヴァイオリン協奏曲は、特に第二楽章が素晴らしい。管弦楽の弱音が緊張感を保ちながら、アビゲイルのヴァイオリンがニュアンス豊かに奏でた。管楽も華やかに決まったが、弦楽を無視して派手に決めた感はなく、必然性を感じさせるものである。アビゲイルのソロと弦楽管楽打楽が何をすべきか、深く理解している演奏だ。東京公演では、この曲の代わりにベト2を演奏するが、バーバーを演奏せずに保守化路線に日和るのは残念である。
フォーレのレクイエムは、東京混声合唱団に関しては、もう一歩出ても良かったなと思える箇所があるものの、一体感ある管弦楽の力で、このレクイエムの魅力を実感出来る演奏だ。
特に前半部は、下手側にも進出したヴィオラが完璧なリードを見せる。このレクイエムはヴィオラの出来でほとんど決まってしまう事を実感したが、実に見事なヴィオラのニュアンス溢れる音色だ。前面に出るヴィオラを含め、チェロ・コントラバスも含めて、低弦の深い響きが祈りの空間を支配する。また、金管の弱音も的確な響きだ。山田和樹の指揮により、ソプラノ-ソロも上手く引き立たせた。
#oekjp
2016年1月30日土曜日
Orchestra Ensemble Kanazawa, the 372nd Subscription Concert, review 第372回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評
2016年1月30日 土曜日
Saturday 30th January 2016
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
Frédéric Chopin: Variations on "La ci darem la mano" op.2
(休憩)
Frédéric Chopin: Concert Londo "Krakowiak" op.14
Felix Mendelssohn Bartholdy: Sinfonia n.5 op.107
pianoforte: Alexander Krichel
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: Matthias Bamert
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、ピアノにアレクサンダー=クリッヒェル、指揮にマティアス=バーメルトを迎えて、2016年1月30日に石川県立音楽堂で、第372回定期演奏会を開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの上手方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは最後方中央の位置につく。
着席位置は一階正面中央わずかに上手側、客の入りは八割程であろうか、チケット完売には至らなかった。
演奏について述べる。
一曲目のシンプル-シンフォニーは、第三楽章・第四楽章が素晴らしい。第二楽章のピッチカートは、中規模ホールだとよく響いて素晴らしい演奏になったろう。
ショパンの、事実上の一楽章形式のピアノ協奏曲が二曲披露される。
ピアノのアレクサンダー=クリッヒェルはハンブルク生まれ。強い音も軽やかさを失わない響きで魅了される。 管弦楽のサポートは絶妙に考えられ、ピアノが休んで管弦楽が強く出るべき箇所の鋭さも見事で、構築力のある組み立てである。
ショパンがモーツァルトの影響を受けた事を伺わせるピアノの軽やかな響きは、これら事実上のピアノ協奏曲には必須な要素だが、これをどんな強い音でも失わせないアレクサンダー=クリッヒェルは素晴らしい!アンコールはクリッヒェル自身の作による「ララバイ」であったが、弱音が綺麗であった。
後半は、メンデルスゾーンの交響曲第5番である。冒頭の金管の鮮やかな響きと(終始金管の調子は良かったように思える)弦楽の弱いけど細さを感じさせない響きとの対比から惹き寄せられる。全般的に奇を衒わない正統派の演奏であるが、もう少し派手にやったら名演の域に達したかもしれない。アンコールはモーツァルトの「カッサシオン」KV65 からアンダンテであった。 #oekjp
Saturday 30th January 2016
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
Frédéric Chopin: Variations on "La ci darem la mano" op.2
(休憩)
Frédéric Chopin: Concert Londo "Krakowiak" op.14
Felix Mendelssohn Bartholdy: Sinfonia n.5 op.107
pianoforte: Alexander Krichel
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: Matthias Bamert
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、ピアノにアレクサンダー=クリッヒェル、指揮にマティアス=バーメルトを迎えて、2016年1月30日に石川県立音楽堂で、第372回定期演奏会を開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの上手方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは最後方中央の位置につく。
着席位置は一階正面中央わずかに上手側、客の入りは八割程であろうか、チケット完売には至らなかった。
演奏について述べる。
一曲目のシンプル-シンフォニーは、第三楽章・第四楽章が素晴らしい。第二楽章のピッチカートは、中規模ホールだとよく響いて素晴らしい演奏になったろう。
ショパンの、事実上の一楽章形式のピアノ協奏曲が二曲披露される。
ピアノのアレクサンダー=クリッヒェルはハンブルク生まれ。強い音も軽やかさを失わない響きで魅了される。 管弦楽のサポートは絶妙に考えられ、ピアノが休んで管弦楽が強く出るべき箇所の鋭さも見事で、構築力のある組み立てである。
ショパンがモーツァルトの影響を受けた事を伺わせるピアノの軽やかな響きは、これら事実上のピアノ協奏曲には必須な要素だが、これをどんな強い音でも失わせないアレクサンダー=クリッヒェルは素晴らしい!アンコールはクリッヒェル自身の作による「ララバイ」であったが、弱音が綺麗であった。
後半は、メンデルスゾーンの交響曲第5番である。冒頭の金管の鮮やかな響きと(終始金管の調子は良かったように思える)弦楽の弱いけど細さを感じさせない響きとの対比から惹き寄せられる。全般的に奇を衒わない正統派の演奏であるが、もう少し派手にやったら名演の域に達したかもしれない。アンコールはモーツァルトの「カッサシオン」KV65 からアンダンテであった。 #oekjp
2015年7月18日土曜日
Orchestra Ensemble Kanazawa , the 365st Subscription Concert, review 第365回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評
2015年7月18日 土曜日
Saturday 18th February 2015
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Gondai Atsuhiko: “Vice Versa” (world premier) (権代敦彦:「逆も真なり」)(世界初演/オーケストラ-アンサンブル-金沢委嘱作品)
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.87 Hob.I:87
(休憩)
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: “Le sacre du printemps” (「春の祭典」)
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢), Japan Century Symphony Orchestra (日本センチュリー交響楽団)
direttore: Inoue Michiyoshi (指揮:井上道義)
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、2015年7月18日に石川県立音楽堂で、第365回定期演奏会として開催した。権代敦彦の「逆も真なり」を世界初演する他、「春の祭典」を日本センチュリー交響楽団と合同で演奏する事で注目された演奏会である。
管弦楽配置は曲によって異なる。
「逆も真なり」では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置である。コントラバスは前方左右端に一台ずつ、ホルン・トランペットは後方左右端に一台ずつ左右対称に置かれる。木管パート・パーカッションは後方中央の位置につく。フルート(ピッコロ)は、第一楽章では後方中央、第二楽章では指揮者のすぐ前に向かい合うように配置される。
ハイドン交響曲第87番では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方上手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側の位置につく。
「春の祭典」では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方上手側につく。木管パート・パーカッションは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管は後方上手側に位置する。
着席位置は一階正面ど真ん中から僅かに後方、客の入りは七割程であろうか。一階席でも後方端に空席が目立った。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好であった。
演奏について述べる。
権代敦彦の「Vice Versa」(「逆も真なり」)が本日の白眉である。プレトークによると、作曲に当たり、井上道義から二楽章形式で作るように、注文があったそうだ。バリバリの現代音楽らしい現代音楽なので、好みは別れるだろう。冒頭の掴みの段階で魅了され、私の頭蓋骨が共鳴する不思議な感覚を味わう。権代敦彦が譜面に描いた世界を、十分に検討され、よく考えられた構成で、パッションとニュアンスを込めて、精緻な表現で聴かせる。OEKの実力を十全に引き出す演奏だ。
ハイドン87番は、響きが「大ホールのハイドン」であまり迫らない。上手に演奏しているが、ハイドンならではの歓びに満ちた演奏ではなく、解釈は平凡である。ただ、「Vice Versa」と「春の祭典」の谷間であり、大きな期待を掛けるのは難しいだろう。
「春の祭典」は日本センチュリー交響楽団を招いての合同の演奏であり、この演奏会の目玉となる曲目である。しかしながら、指揮者である井上道義自身の準備不足・解釈不足が感じられる、欲求不満な演奏だ。ティンパニ強打と金管の技倆のみに逃げ込んだ解釈で、おどろおどろしさと野蛮さに欠け、何を表現したかったのか不明確な演奏であり、非難に値する。
特に第一部では、ソロを際立たせるべき箇所で弱い響きしか出せなかった。
井上道義の弦楽セクションの響きに対する関心の稀薄ぶりは唖然とする他ない。弦楽セクションにやってもらう事は、いくらでもあるはずだが、おそらく、リハーサルでこんな響きにして欲しいとの要望も指示もしないし、実現するまで練習もさせないし、そもそも弦楽に対する考え自体を、まとめていなかったのだろう。要するに準備不足で、井上道義が「春の祭典」やるのは十年早かったのではないか?
「春の祭典」は金管とティンパニをぶっ放せばいい曲では決してない。どの曲目でも一緒だが、弦管打が揃わなければいい演奏にはならない。特に弦楽は全ての基礎だ。弦楽が大きく出て、はじめて全ては回り始める。弦楽に対する無関心は正当化できない。
日本センチュリー交響楽団と合わせ、あれだけ素晴らしい弦楽奏者を揃えといて、あんな結果かよ、と言う感じだ。アンコールの「六甲おろし」であれだけ響かせて、どうして本番ではああなのか?「求めよ、さらば与えられん」だろう。求めなかったのだよな、指揮者井上道義は。
井上道義の解釈の是非は置いておいて、ティンパニは素晴らしい。ホルンはあまりに綺麗過ぎる響きで「春の祭典」向けではないけど、実に見事であった事は確かである。あと、「生贄の踊り」の場面での上手側金管も素晴らしい響きで魅了させられた。それだけに、この合同オケから「春の祭典」は今日の演奏の三倍は引き出せる。もっとやれるだろう、と言う欲求不満の気持ちでいっぱいだった。
井上道義は、指揮台の上で変な格好つけなくていいし、マイクパフォーマンスなどいらないから、音楽そのもので勝負するべきだろう。純粋にエンターテイメント追求型のファンタジー-シリーズなら、各種パフォーマンスは許容されるが、井上道義はやっている事の方向性が何もかも間違っている。OEKは井上道義を切り、ピリオド系の才能ある若手指揮者を音楽監督に据えなければならない。
Saturday 18th February 2015
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Gondai Atsuhiko: “Vice Versa” (world premier) (権代敦彦:「逆も真なり」)(世界初演/オーケストラ-アンサンブル-金沢委嘱作品)
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.87 Hob.I:87
(休憩)
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: “Le sacre du printemps” (「春の祭典」)
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢), Japan Century Symphony Orchestra (日本センチュリー交響楽団)
direttore: Inoue Michiyoshi (指揮:井上道義)
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、2015年7月18日に石川県立音楽堂で、第365回定期演奏会として開催した。権代敦彦の「逆も真なり」を世界初演する他、「春の祭典」を日本センチュリー交響楽団と合同で演奏する事で注目された演奏会である。
管弦楽配置は曲によって異なる。
「逆も真なり」では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置である。コントラバスは前方左右端に一台ずつ、ホルン・トランペットは後方左右端に一台ずつ左右対称に置かれる。木管パート・パーカッションは後方中央の位置につく。フルート(ピッコロ)は、第一楽章では後方中央、第二楽章では指揮者のすぐ前に向かい合うように配置される。
ハイドン交響曲第87番では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方上手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側の位置につく。
「春の祭典」では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方上手側につく。木管パート・パーカッションは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管は後方上手側に位置する。
着席位置は一階正面ど真ん中から僅かに後方、客の入りは七割程であろうか。一階席でも後方端に空席が目立った。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好であった。
演奏について述べる。
権代敦彦の「Vice Versa」(「逆も真なり」)が本日の白眉である。プレトークによると、作曲に当たり、井上道義から二楽章形式で作るように、注文があったそうだ。バリバリの現代音楽らしい現代音楽なので、好みは別れるだろう。冒頭の掴みの段階で魅了され、私の頭蓋骨が共鳴する不思議な感覚を味わう。権代敦彦が譜面に描いた世界を、十分に検討され、よく考えられた構成で、パッションとニュアンスを込めて、精緻な表現で聴かせる。OEKの実力を十全に引き出す演奏だ。
ハイドン87番は、響きが「大ホールのハイドン」であまり迫らない。上手に演奏しているが、ハイドンならではの歓びに満ちた演奏ではなく、解釈は平凡である。ただ、「Vice Versa」と「春の祭典」の谷間であり、大きな期待を掛けるのは難しいだろう。
「春の祭典」は日本センチュリー交響楽団を招いての合同の演奏であり、この演奏会の目玉となる曲目である。しかしながら、指揮者である井上道義自身の準備不足・解釈不足が感じられる、欲求不満な演奏だ。ティンパニ強打と金管の技倆のみに逃げ込んだ解釈で、おどろおどろしさと野蛮さに欠け、何を表現したかったのか不明確な演奏であり、非難に値する。
特に第一部では、ソロを際立たせるべき箇所で弱い響きしか出せなかった。
井上道義の弦楽セクションの響きに対する関心の稀薄ぶりは唖然とする他ない。弦楽セクションにやってもらう事は、いくらでもあるはずだが、おそらく、リハーサルでこんな響きにして欲しいとの要望も指示もしないし、実現するまで練習もさせないし、そもそも弦楽に対する考え自体を、まとめていなかったのだろう。要するに準備不足で、井上道義が「春の祭典」やるのは十年早かったのではないか?
「春の祭典」は金管とティンパニをぶっ放せばいい曲では決してない。どの曲目でも一緒だが、弦管打が揃わなければいい演奏にはならない。特に弦楽は全ての基礎だ。弦楽が大きく出て、はじめて全ては回り始める。弦楽に対する無関心は正当化できない。
日本センチュリー交響楽団と合わせ、あれだけ素晴らしい弦楽奏者を揃えといて、あんな結果かよ、と言う感じだ。アンコールの「六甲おろし」であれだけ響かせて、どうして本番ではああなのか?「求めよ、さらば与えられん」だろう。求めなかったのだよな、指揮者井上道義は。
井上道義の解釈の是非は置いておいて、ティンパニは素晴らしい。ホルンはあまりに綺麗過ぎる響きで「春の祭典」向けではないけど、実に見事であった事は確かである。あと、「生贄の踊り」の場面での上手側金管も素晴らしい響きで魅了させられた。それだけに、この合同オケから「春の祭典」は今日の演奏の三倍は引き出せる。もっとやれるだろう、と言う欲求不満の気持ちでいっぱいだった。
井上道義は、指揮台の上で変な格好つけなくていいし、マイクパフォーマンスなどいらないから、音楽そのもので勝負するべきだろう。純粋にエンターテイメント追求型のファンタジー-シリーズなら、各種パフォーマンスは許容されるが、井上道義はやっている事の方向性が何もかも間違っている。OEKは井上道義を切り、ピリオド系の才能ある若手指揮者を音楽監督に据えなければならない。
2015年2月15日日曜日
Orchestra Ensemble Kanazawa, Peer Gynt , the 361st Subscription Concert, review 第361回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 「ペール=ギュント」 評
2015年2月15日 日曜日
Sunday 15th February 2015
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Edvard Hagerup Grieg: Peer Gynt op.23 (ペール=ギュント)
Solveig: Tachikawa Kiyoko (soprano) (立川清子)
Peer Gynt : Takahashi Yosuke (baritono) (高橋洋介)
Anitra: Aida Masumi (mezzosoprano) (相田麻純)
Three Witches: Yoshida Waka, Shibata Sakiko, Hayashi Yoko (山の魔女たち:吉田和夏、柴田紗貴子、林よう子)
Thief and Receiver: Muramatsu Koya, Iguchi Toru (泥棒と密売人:村松恒矢、井口達)
narratore: Kazari Issei (語り:風李一成)
coro: Orchestra Ensemble Kanazawa Chorus (オーケストラ-アンサンブル-金沢合唱団)
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
maestro del Coro: Saikawa Yuki (合唱指導:犀川裕紀)
maestro dei solisti: Amanuma Yuuko (独唱指導:天沼裕子)
direttore: Kristjan Järvi (指揮:クリスティアン=ヤルヴィ)
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、立川清子(ソプラノ)・高橋洋介(バリトン)・相田麻純(メゾソプラノ)等をソリストに迎えて、2015年2月15日に石川県立音楽堂で、グリーク作、劇音楽「ペール=ギュント」全曲演奏会を第361回定期演奏会として開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。兄パーヴォとは全く違う弦楽配置である。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは後方下手側の位置につく。歌い手はソリストを含め最後方中央、語り手のみ指揮者の横だ。
着席位置は一階正面中央上手側、客の入りは八割程であろうか、二階バルコニーに空席が目立ち、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、ごく少数の人たちによる鈴音やビニールの音によって、あまり良くない印象を持つ。なぜか、最も静謐な雰囲気を必要とする立川清子のソロがある場面で、雑音が目立った。特に最後の「ソルヴェイグの子守唄」では、一階後方上手側の観客が継続的にビニールの音を立て続けていた。また、演奏開始後・休憩後の演奏開始後、それぞれ数分から十分の間、天井からパチパチトタン屋根に雨が当たるような音が聞こえ、弱奏部でかなり雰囲気を阻害したのは残念である。
演奏について述べる。
クリスティアン=ヤルヴィは的確な構成力により、メリハリを効かせた演奏を実現させる。歌い手を優先させるところと、トゥッティで迫力ある演奏で攻めるところとの使い分けが見事だ。OEKの演奏も、クリスティアンの意図を反映させ、パッションを込めたり、精緻に演奏したり、強奏部も弱奏部も的確な響きでニュアンス豊かに演奏する。第二幕最後の、鐘の音のバンダの効果は大きいし、第四幕冒頭の「朝」のフルートも決まるし、クリスティアンはOEKの実力を十全に引き出す。さすがである。
歌い手については、やはりソルヴェイグ役の立川清子がダントツである。魑魅魍魎だらけの役の中で、ソルヴェイグだけが清楚な雰囲気を保つ異質な役であり、その成否がこの演奏会を大きく左右する一因となるプレッシャーが掛かるが、高いレベルでその責務を果たしている。石川県立音楽堂の響きをしっかり把握し、余裕を感じさせる声量がニュアンスを豊かにし、気品ある圧倒的な存在感を観客に示す。第四幕の「ソルヴェイグの歌」、第五幕最後の「ソルヴェイグの子守り歌」、いずれも大事な場面を決めていく。Brava!!
ソルヴェイグ役と山の魔女たち役の四人は、いずれも新国立劇場オペラ研修所の13・14
期生である。13期生の三人については、2013年7月にPMFガラコンサートでも聴いたが、その時も立川清子が二歩抜きんでていた。若手の歌い手が育ちつつあるのは嬉しいことである。
ペール=ギュント役の高橋洋介は、後半が好調で素晴らしい。他のソリストも良い出来で、穴がなかったように思える。第五幕に於ける合唱団も見事だ。「ソルヴェイグの子守り歌」のバンダの弱唱が実に効果的である。
重ねて言及するが、クリスティアンとOEKの管弦楽による歌い手のサポートは実に素晴らしい。一つ例を挙げれば、あの立川清子のソルヴェイグのソロの活かし方だ。指揮・管弦楽・歌い手・語り手全てがうまく絡み合い、総力を挙げて見事な「ペール=ギュント」を描き出した、演奏会であった。
Sunday 15th February 2015
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Edvard Hagerup Grieg: Peer Gynt op.23 (ペール=ギュント)
Solveig: Tachikawa Kiyoko (soprano) (立川清子)
Peer Gynt : Takahashi Yosuke (baritono) (高橋洋介)
Anitra: Aida Masumi (mezzosoprano) (相田麻純)
Three Witches: Yoshida Waka, Shibata Sakiko, Hayashi Yoko (山の魔女たち:吉田和夏、柴田紗貴子、林よう子)
Thief and Receiver: Muramatsu Koya, Iguchi Toru (泥棒と密売人:村松恒矢、井口達)
narratore: Kazari Issei (語り:風李一成)
coro: Orchestra Ensemble Kanazawa Chorus (オーケストラ-アンサンブル-金沢合唱団)
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
maestro del Coro: Saikawa Yuki (合唱指導:犀川裕紀)
maestro dei solisti: Amanuma Yuuko (独唱指導:天沼裕子)
direttore: Kristjan Järvi (指揮:クリスティアン=ヤルヴィ)
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、立川清子(ソプラノ)・高橋洋介(バリトン)・相田麻純(メゾソプラノ)等をソリストに迎えて、2015年2月15日に石川県立音楽堂で、グリーク作、劇音楽「ペール=ギュント」全曲演奏会を第361回定期演奏会として開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。兄パーヴォとは全く違う弦楽配置である。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは後方下手側の位置につく。歌い手はソリストを含め最後方中央、語り手のみ指揮者の横だ。
着席位置は一階正面中央上手側、客の入りは八割程であろうか、二階バルコニーに空席が目立ち、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、ごく少数の人たちによる鈴音やビニールの音によって、あまり良くない印象を持つ。なぜか、最も静謐な雰囲気を必要とする立川清子のソロがある場面で、雑音が目立った。特に最後の「ソルヴェイグの子守唄」では、一階後方上手側の観客が継続的にビニールの音を立て続けていた。また、演奏開始後・休憩後の演奏開始後、それぞれ数分から十分の間、天井からパチパチトタン屋根に雨が当たるような音が聞こえ、弱奏部でかなり雰囲気を阻害したのは残念である。
演奏について述べる。
クリスティアン=ヤルヴィは的確な構成力により、メリハリを効かせた演奏を実現させる。歌い手を優先させるところと、トゥッティで迫力ある演奏で攻めるところとの使い分けが見事だ。OEKの演奏も、クリスティアンの意図を反映させ、パッションを込めたり、精緻に演奏したり、強奏部も弱奏部も的確な響きでニュアンス豊かに演奏する。第二幕最後の、鐘の音のバンダの効果は大きいし、第四幕冒頭の「朝」のフルートも決まるし、クリスティアンはOEKの実力を十全に引き出す。さすがである。
歌い手については、やはりソルヴェイグ役の立川清子がダントツである。魑魅魍魎だらけの役の中で、ソルヴェイグだけが清楚な雰囲気を保つ異質な役であり、その成否がこの演奏会を大きく左右する一因となるプレッシャーが掛かるが、高いレベルでその責務を果たしている。石川県立音楽堂の響きをしっかり把握し、余裕を感じさせる声量がニュアンスを豊かにし、気品ある圧倒的な存在感を観客に示す。第四幕の「ソルヴェイグの歌」、第五幕最後の「ソルヴェイグの子守り歌」、いずれも大事な場面を決めていく。Brava!!
ソルヴェイグ役と山の魔女たち役の四人は、いずれも新国立劇場オペラ研修所の13・14
期生である。13期生の三人については、2013年7月にPMFガラコンサートでも聴いたが、その時も立川清子が二歩抜きんでていた。若手の歌い手が育ちつつあるのは嬉しいことである。
ペール=ギュント役の高橋洋介は、後半が好調で素晴らしい。他のソリストも良い出来で、穴がなかったように思える。第五幕に於ける合唱団も見事だ。「ソルヴェイグの子守り歌」のバンダの弱唱が実に効果的である。
重ねて言及するが、クリスティアンとOEKの管弦楽による歌い手のサポートは実に素晴らしい。一つ例を挙げれば、あの立川清子のソルヴェイグのソロの活かし方だ。指揮・管弦楽・歌い手・語り手全てがうまく絡み合い、総力を挙げて見事な「ペール=ギュント」を描き出した、演奏会であった。
2014年2月1日土曜日
第346回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 演奏会 評
2014年2月1日 土曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ヤッコ=クーシスト 「ライカ」 op.24
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第6番「田園」 op.68
(休憩)
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第8番 op.93
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年2月1日、第346回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりで、1月26日に開催された第345回定期演奏会に引き続いてのものである。
コンサートミストレスは、アビゲイル=ヤングである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。第345回定期演奏会の時と変わりない。
着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは八割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある謎の状態は第345回の時と変わりなく、定期会員の客がサボったものと考えられる。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「ライカ」は2010年に初演されたばかりの現代曲である。ラルフ=ゴトーニと同じスオミの作曲家であるクーシストの作品だ。演奏自体は、次のベートーフェンを期待させる程の良い出来である。
二曲目、ベートーフェン第6番「田園」は、冒頭のテンポは速くもなく遅くもなく適切な始まり方であるが、弦がよく響かない。石川県立音楽堂の響きを味方にしていない演奏で、音圧が感じられない。一方木管パートは頑張っている印象がある。もちろんベルリン-フィルのような超絶技巧で攻める形ではないけれど、持っている力を出し切っている印象を与えるものだ。金管パートの調子はあまり良くない。特に第四楽章の場面ではやけにあっさりした印象を持つ。第五楽章冒頭でのホルン-ソロは音程が不安定であるが、その場面ではしっかりと決めてほしい。その他、第四楽章ではティンパニが決起を促すものの、他の楽器があまり呼応せず、浮いた存在になってしまっているのはかわいそうである。
弦楽セクションは、何故か第五楽章になるとやけに調子が良くなる。終盤に近いところでのチェロとファゴットとで奏でるフレーズも良く響いている。
部分的には良い点もあるが、やはり「田園」はベートーフェンの九つの交響曲の中で一番難しいのだなあと感じざるを得ない。満足できる演奏は、準=メルクル指揮による水戸室内管弦楽団による演奏のみだ。
三曲目のベートーフェンの第8番は、普通にしっかりとした演奏だ。「田園」でテンションが下がってしまった状態で聴くこととはなったが、この程度の演奏であれば不満はない。
アンコールはマルムスティン作曲(ヨハンソン編曲)「さよならは手紙で」であった。
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ヤッコ=クーシスト 「ライカ」 op.24
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第6番「田園」 op.68
(休憩)
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第8番 op.93
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年2月1日、第346回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりで、1月26日に開催された第345回定期演奏会に引き続いてのものである。
コンサートミストレスは、アビゲイル=ヤングである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。第345回定期演奏会の時と変わりない。
着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは八割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある謎の状態は第345回の時と変わりなく、定期会員の客がサボったものと考えられる。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「ライカ」は2010年に初演されたばかりの現代曲である。ラルフ=ゴトーニと同じスオミの作曲家であるクーシストの作品だ。演奏自体は、次のベートーフェンを期待させる程の良い出来である。
二曲目、ベートーフェン第6番「田園」は、冒頭のテンポは速くもなく遅くもなく適切な始まり方であるが、弦がよく響かない。石川県立音楽堂の響きを味方にしていない演奏で、音圧が感じられない。一方木管パートは頑張っている印象がある。もちろんベルリン-フィルのような超絶技巧で攻める形ではないけれど、持っている力を出し切っている印象を与えるものだ。金管パートの調子はあまり良くない。特に第四楽章の場面ではやけにあっさりした印象を持つ。第五楽章冒頭でのホルン-ソロは音程が不安定であるが、その場面ではしっかりと決めてほしい。その他、第四楽章ではティンパニが決起を促すものの、他の楽器があまり呼応せず、浮いた存在になってしまっているのはかわいそうである。
弦楽セクションは、何故か第五楽章になるとやけに調子が良くなる。終盤に近いところでのチェロとファゴットとで奏でるフレーズも良く響いている。
部分的には良い点もあるが、やはり「田園」はベートーフェンの九つの交響曲の中で一番難しいのだなあと感じざるを得ない。満足できる演奏は、準=メルクル指揮による水戸室内管弦楽団による演奏のみだ。
三曲目のベートーフェンの第8番は、普通にしっかりとした演奏だ。「田園」でテンションが下がってしまった状態で聴くこととはなったが、この程度の演奏であれば不満はない。
アンコールはマルムスティン作曲(ヨハンソン編曲)「さよならは手紙で」であった。
2014年1月26日日曜日
第345回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 演奏会 評
2014年1月26日 日曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 「コリオラン」序曲 op.62
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 三重協奏曲 op.56
(休憩)
カール=マリア=フォン-ヴェーバー 交響曲第1番 op.19
ヴァイオリン:マーク=ゴトーニ
ヴァイオリン-チェロ:水谷川優子(みやがわ ゆうこ)
ピアノ:ラルフ=ゴトーニ
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年1月26日、第345回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりである。ヴァイオリンのソリストであるマーク=ゴトーニはラルフ=ゴトーニの息子で、実に良く父親と似ている。チェロのソリストは、当初予定はヴォルグガング=メールホルンであったが、演奏会前日に体調を崩し、水谷川優子が代役として出演することとなった。彼女は、実はマーク=ゴトーニの妻である。予期せぬ形で、三重協奏曲はゴトーニ一家とOEKとの共演と言う形となる。
コンサートミストレスは、マーラー室内管弦楽団のコンサートミストレスとしても名高いアビゲイル=ヤングである。ティンパニは、関西フィルハーモニー管弦楽団首席奏者のエリック=パケラが担当だ。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。
着席位置は一階正面ど真ん中より僅かに上手側、観客の入りは六割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある状態だ。おそらく、定期会員の客がサボったものと考えられる。ひでえ輩だ。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「コリオラン」序曲は、既に用意されてあるピアノの前に立っての指揮だ。今日のOEKの演奏は実に完成度が高い。精緻さ・パッションいずれもがOEKの実力を100%発揮している素晴らしい演奏だ。もちろん最強奏のあとのゼネラルパウゼになり響く残響は、石川県立音楽堂ならではのもので、涙を誘う。実に素晴らしいホールであることも実感させられる。
二曲目の三重協奏曲は、弾き振りのラルフ=ゴトーニのピアノ、マーク=ゴトーニのヴァイオリンともに管弦楽を一歩上回る響きである。ラルフ=ゴトーニのピアノは実に上手で、響きについてよく考え練られ、とてもピアノを舞台後方に向け天板を外している演奏とは思えない。この点でシュテファン=ヴラダーを軽く圧倒するし、全般的な完成度も上だ。
水谷川優子のチェロは、特に第一楽章ではガチガチに固くなっていて、エンドピンを刺す場所を変えたりとかなり神経質な状況だ。チェロの音は鳴らず聞こえず、特に多くの音を速く演奏するフレーズでは何を弾いているかさっぱり分からない状況で、ヴォルグガング=メールホルンの不在を思い知らされる。それでも、第二楽章冒頭のチェロのソロ、第三楽章中盤の、長めのスタッカートで音を刻んでいく箇所に於いてはそれなりの音で聴けるものであり、急な代役としての最低限の責務は果たしたと言うべきか。
三曲目のヴェーバーの交響曲第1番は、マニア向けとしか言いようのない変わった曲である。しかしこの曲も演奏が素晴らしいと、作曲の巧拙などどうでも良くなる。ラルフ=ゴトーニの導きは的確で、この場面でどの楽器がどのように弾けば良いのかが明確で、精緻さを伴いつつもパッションを出している素晴らしい演奏だ。OEKの持っている力を100%活かし、石川県立音楽堂の響きを確実に掴んでいる。まるで二年のブランクを全く感じさせない、ずっと長い間常任指揮者として関わってきたかのような親密さすら感じる。指揮者と管弦楽との信頼関係が噛み合っているからこそのものだろう。曲の終了後にゴトーニが一番先に立たせたのは、フルートの岡本えり子である。
マルク=ミンコフスキとはタイプが違うのだろうけど、ラルフ=ゴトーニも間違いなく「響きの魔術師」だ。OEKに取って最も必要としている指揮者の一人であることは確実である。次期音楽監督は、ラルフ=ゴトーニか山田和樹のどちらかで決まりだろうし、そうしなけらばならない。
アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」、お国ものスオミの曲で幕を閉じた。
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 「コリオラン」序曲 op.62
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 三重協奏曲 op.56
(休憩)
カール=マリア=フォン-ヴェーバー 交響曲第1番 op.19
ヴァイオリン:マーク=ゴトーニ
ヴァイオリン-チェロ:水谷川優子(みやがわ ゆうこ)
ピアノ:ラルフ=ゴトーニ
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年1月26日、第345回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりである。ヴァイオリンのソリストであるマーク=ゴトーニはラルフ=ゴトーニの息子で、実に良く父親と似ている。チェロのソリストは、当初予定はヴォルグガング=メールホルンであったが、演奏会前日に体調を崩し、水谷川優子が代役として出演することとなった。彼女は、実はマーク=ゴトーニの妻である。予期せぬ形で、三重協奏曲はゴトーニ一家とOEKとの共演と言う形となる。
コンサートミストレスは、マーラー室内管弦楽団のコンサートミストレスとしても名高いアビゲイル=ヤングである。ティンパニは、関西フィルハーモニー管弦楽団首席奏者のエリック=パケラが担当だ。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。
着席位置は一階正面ど真ん中より僅かに上手側、観客の入りは六割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある状態だ。おそらく、定期会員の客がサボったものと考えられる。ひでえ輩だ。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「コリオラン」序曲は、既に用意されてあるピアノの前に立っての指揮だ。今日のOEKの演奏は実に完成度が高い。精緻さ・パッションいずれもがOEKの実力を100%発揮している素晴らしい演奏だ。もちろん最強奏のあとのゼネラルパウゼになり響く残響は、石川県立音楽堂ならではのもので、涙を誘う。実に素晴らしいホールであることも実感させられる。
二曲目の三重協奏曲は、弾き振りのラルフ=ゴトーニのピアノ、マーク=ゴトーニのヴァイオリンともに管弦楽を一歩上回る響きである。ラルフ=ゴトーニのピアノは実に上手で、響きについてよく考え練られ、とてもピアノを舞台後方に向け天板を外している演奏とは思えない。この点でシュテファン=ヴラダーを軽く圧倒するし、全般的な完成度も上だ。
水谷川優子のチェロは、特に第一楽章ではガチガチに固くなっていて、エンドピンを刺す場所を変えたりとかなり神経質な状況だ。チェロの音は鳴らず聞こえず、特に多くの音を速く演奏するフレーズでは何を弾いているかさっぱり分からない状況で、ヴォルグガング=メールホルンの不在を思い知らされる。それでも、第二楽章冒頭のチェロのソロ、第三楽章中盤の、長めのスタッカートで音を刻んでいく箇所に於いてはそれなりの音で聴けるものであり、急な代役としての最低限の責務は果たしたと言うべきか。
三曲目のヴェーバーの交響曲第1番は、マニア向けとしか言いようのない変わった曲である。しかしこの曲も演奏が素晴らしいと、作曲の巧拙などどうでも良くなる。ラルフ=ゴトーニの導きは的確で、この場面でどの楽器がどのように弾けば良いのかが明確で、精緻さを伴いつつもパッションを出している素晴らしい演奏だ。OEKの持っている力を100%活かし、石川県立音楽堂の響きを確実に掴んでいる。まるで二年のブランクを全く感じさせない、ずっと長い間常任指揮者として関わってきたかのような親密さすら感じる。指揮者と管弦楽との信頼関係が噛み合っているからこそのものだろう。曲の終了後にゴトーニが一番先に立たせたのは、フルートの岡本えり子である。
マルク=ミンコフスキとはタイプが違うのだろうけど、ラルフ=ゴトーニも間違いなく「響きの魔術師」だ。OEKに取って最も必要としている指揮者の一人であることは確実である。次期音楽監督は、ラルフ=ゴトーニか山田和樹のどちらかで決まりだろうし、そうしなけらばならない。
アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」、お国ものスオミの曲で幕を閉じた。
2013年6月29日土曜日
第339回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 演奏会評
2013年6月29日 土曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 「レオノーレ」序曲第1番 op.138
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 交響曲第25番 K.183
(休憩)
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 op.73
ピアノ:シュテファン=ヴラダー
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:シュテファン=ヴラダー
OEKは、シュテファン=ヴラダーを指揮者に迎えて、2013年6月29日・30日に、第509回定期演奏会を開催した。この評は、第一日目の金沢公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面上手側中央、客の入りはほぼ8割程であろうか。
シュテファン=ヴラダーは演奏会前に下記ウェブサイトの通り記者会見を行っている。
http://www.orchestra-ensemble-kanazawa.jp/news/2013/06/339.html
前半、「レオノーレ」序曲から縦の線が揃った演奏で、端正な演奏を目指している事が分かる。記者会見録は演奏会後に閲覧したが、やはりそのような狙いだったのかと納得する次第である。しかしながら、実際の演奏でどこまで反映できたのかは疑問に感じるところもある。
ヴラダーの指揮は手をばたばた動かしている感が強い。テンポの変動は自然であり心地よいが、反面眠くなりやすい演奏でもある。モーツァルト25番の第三楽章トリオ部でのオーボエ・ファゴット・ホルンの見せ場では、チグハグ感が感じられ見せ場を飾ることができない状態である。それでも、アビゲイル=ヤング率いる第一ヴァイオリンのテンションは高く、演奏をリードしているのが感じられ好感が持てる。
前半の観客の拍手は、全く情熱の感じられないお義理の拍手に近い。岩城宏之さんがご存命であったらと思うとちょっと恐ろしくなる。
後半の「皇帝」である。シュテファン=ヴラダーによる指揮振りによる演奏となる。ピアノは鍵盤を客席に向け、天蓋は外されている。このような状況であり、ピアノの直接音は期待できず、全てが間接音によるものとなってしまう苦しい展開ではあるが、その状況の中でもヴラダーは的確な響きを探りだしてくる。
全てが前半とは打って変わり、まるで別人のような演奏と化す。
シュテファン=ヴラダーは監獄から出たかのよう。第一楽章では、同じフレーズをリピートさせる際にテンポを速めるなど、自由闊達な演奏を繰り広げる。
管弦楽は、第一ヴァイオリンの高いテンションは維持しながらも、木管・金管とも見違えたような冴えわたり、厚い響きでヴラダーを力強く支えていく。管楽ソロとピアノとの掛け合いの部分では、管楽は響きがニュアンスに富んだ精緻な室内楽的掛け合いであり、弦楽四重奏を聴いているかのようにも思えてくる。
終盤でのピアノとティンパニとのリタルダンドも見事に決まる。ソリスト・弦楽・管楽・ティンパニの全てがかっちり噛み合った演奏で、ヴラダーも満足した演奏であったに違いない。「皇帝」を終えた後の拍手は、前半とは大違いの熱気を伴うものだ。金沢の観客は露骨な程に率直な性格を見せる。
アンコールはヴラダーのソロで、リストのコンソレーション第3番である。「皇帝」とは別の意味でのニュアンスを深く表現した演奏で、感銘させられるアンコールであった。
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 「レオノーレ」序曲第1番 op.138
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 交響曲第25番 K.183
(休憩)
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 op.73
ピアノ:シュテファン=ヴラダー
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:シュテファン=ヴラダー
OEKは、シュテファン=ヴラダーを指揮者に迎えて、2013年6月29日・30日に、第509回定期演奏会を開催した。この評は、第一日目の金沢公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面上手側中央、客の入りはほぼ8割程であろうか。
シュテファン=ヴラダーは演奏会前に下記ウェブサイトの通り記者会見を行っている。
http://www.orchestra-ensemble-kanazawa.jp/news/2013/06/339.html
前半、「レオノーレ」序曲から縦の線が揃った演奏で、端正な演奏を目指している事が分かる。記者会見録は演奏会後に閲覧したが、やはりそのような狙いだったのかと納得する次第である。しかしながら、実際の演奏でどこまで反映できたのかは疑問に感じるところもある。
ヴラダーの指揮は手をばたばた動かしている感が強い。テンポの変動は自然であり心地よいが、反面眠くなりやすい演奏でもある。モーツァルト25番の第三楽章トリオ部でのオーボエ・ファゴット・ホルンの見せ場では、チグハグ感が感じられ見せ場を飾ることができない状態である。それでも、アビゲイル=ヤング率いる第一ヴァイオリンのテンションは高く、演奏をリードしているのが感じられ好感が持てる。
前半の観客の拍手は、全く情熱の感じられないお義理の拍手に近い。岩城宏之さんがご存命であったらと思うとちょっと恐ろしくなる。
後半の「皇帝」である。シュテファン=ヴラダーによる指揮振りによる演奏となる。ピアノは鍵盤を客席に向け、天蓋は外されている。このような状況であり、ピアノの直接音は期待できず、全てが間接音によるものとなってしまう苦しい展開ではあるが、その状況の中でもヴラダーは的確な響きを探りだしてくる。
全てが前半とは打って変わり、まるで別人のような演奏と化す。
シュテファン=ヴラダーは監獄から出たかのよう。第一楽章では、同じフレーズをリピートさせる際にテンポを速めるなど、自由闊達な演奏を繰り広げる。
管弦楽は、第一ヴァイオリンの高いテンションは維持しながらも、木管・金管とも見違えたような冴えわたり、厚い響きでヴラダーを力強く支えていく。管楽ソロとピアノとの掛け合いの部分では、管楽は響きがニュアンスに富んだ精緻な室内楽的掛け合いであり、弦楽四重奏を聴いているかのようにも思えてくる。
終盤でのピアノとティンパニとのリタルダンドも見事に決まる。ソリスト・弦楽・管楽・ティンパニの全てがかっちり噛み合った演奏で、ヴラダーも満足した演奏であったに違いない。「皇帝」を終えた後の拍手は、前半とは大違いの熱気を伴うものだ。金沢の観客は露骨な程に率直な性格を見せる。
アンコールはヴラダーのソロで、リストのコンソレーション第3番である。「皇帝」とは別の意味でのニュアンスを深く表現した演奏で、感銘させられるアンコールであった。
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