2015年6月27日土曜日

Chubu Philharmonic Orchestra, the 47th Subscription Concert, review 第47回 中部フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年6月27日 土曜日
Saturday 27th June 2015
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
Shirakawa Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: “Exsultate, Jubilate”K.165 (K.158a) (踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)
(休憩)
Gustav Mahler: Sinfonia n.4

soprano: Kobayashi Sara (小林沙羅)
orchestra: Chubu Philharmonic Orchestra(中部フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Akiyama Kazuyoshi(秋山和慶)

中部フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月27日に三井住友海上しらかわホールで、小林沙羅・秋山和慶を招き、第47回定期演奏会を開催した。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方下手側から中央、ホルンを含め金管パートは後方上手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。

着席位置は一階正面中央上手側、客の入りは9割は超えたであろうか、一階席はほぼ埋まり二階バルコニー席に空席が目立った程度だった。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、ノイズが多く、後半曲目開始直前に携帯電話が鳴ったり、途中退出者が扉を静かに押さえないでノイズを発生させる事があったものの、演奏に致命傷を与える程ではなかった点は救いである。

モーツァルトのモテットK165は、小林沙羅ちゃんは純白のドレスで登場し、とても可愛い。歌い出しまでの前奏は、お嬢様スマイルで観客を悩殺する。しかし、その可愛らしい容姿とは想像がつかない程、しらかわホールを余裕のある声量で響かせ、音が迫ってくるようにも感じられ、何となく、カルメンを聴いているようにも思える。恐らく、室容積の小ささも効いているのだろう。第一楽章こそ装飾を多数掛ける箇所で重心の低さが感じられた所もあったが、第二楽章レチタティーヴォ、第三楽章アレルヤは完璧である。レチタティーヴォ・アレルヤでは、ソリストと管弦楽とのバランスも見事にとれている。20分程で15分間の休憩に入る。

後半は、マーラーの第四交響曲である。全般的に感じた事は、暴論承知で申し上げるが、マーラーを1800人規模の大ホールで、フル-オーケストラで演奏するのは間違っているのではないかと言う事だ。むしろマーラーは、約700名規模の中規模ホール、例えば、松本市音楽文化ホールや三井住友海上しらかわホールやサラマンカホール(岐阜)や いずみホール(大阪)で演奏するように作られているのではないか?

例えば、第二楽章では弦楽ソロの出番が多い。そのソロの響きが、この しらかわホールでは観客に迫ってくる。世界トップクラスの音響を誇る愛知県芸術劇場コンサートホールでさえも、このような迫ってくる弦楽ソロの響きは実現出来ないだろう。室容積が大き過ぎるからである。

中部フィルハーモニーの演奏は、しらかわホールの響きを熟知しているからこその演奏で、弦楽・木管の素晴らしさがまず感じられた。ホルンは前半は固かったが、後半はかなり良かった。特に弦楽は、ヴァイオリンの自発性溢れるパッションが込められたニュアンスに満ちた演奏で、純音楽的な面白さを感じた。重ねて書くが、第二楽章の迫ってくる弦楽ソロは本当に素晴らしい。しらかわホールの響きを的確に味方につけている。

第四楽章が始まり、小林沙羅ちゃんは、今度は水色のドレスで登場♪充実した管弦楽の上に乗っかり、ソリストとしての存在感を感じさせる。結果、管弦楽とのバランスも良く考えられた見事な演奏となる。

小林沙羅ちゃんと中部フィルの管弦楽と しらかわホールとが三位一体となって全てが素晴らしいかったからこその、充実した演奏会であった。良質な中規模ホールが紀尾井だけの東京の観客は、残念ながらあの弦楽ソロを伴った第二楽章を味わえない。

それだけに、マーラーの4番を小林沙羅ちゃんを呼んで しらかわホールで演奏する企画を立て、優れた演奏で実現させた、中部フィルに感謝感激でいっぱいの思いだ。マーラーの交響曲を大ホールでやるのは、間違っている!♪♪

この しらかわホールでの演奏を聴けば、私がなぜ新国立劇場の1812席が大き過ぎると主張しているか、理解してもらえるだろう。ホールはもっと小さくし、普通に優れた歌い手や首席奏者が映えるようにしなければならない。音楽と言うものは、本来600-800席程度の中規模ホールで演奏されるべきものなのではないだろうか、そのような私の信念を再確認させるような演奏会でもあった。

2015年6月21日日曜日

Tero Saarinen Company "MORPHED" review テロ=サーリネン-カンパニー 「モーフト」 評

2015年6月21日 日曜日
Sunday 21st June 2015
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater (Yono, Saitama, Japan)

演目:MORPHED (モーフト)

dancer: Ima Iduozee, Leo Kirjonen, Saku Koistinen, Mikko Lampinen, Jarkko Lehmus, Pekka Louhio, Jussi Nousiainen, David Scarantino

スオミ国(フィンランド)首都ヘルシンキに本拠を置く Tero Saarinen Company は、2015年6月20日・21日に、彩の国さいたま芸術劇場で、日本公演を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

冒頭は幾何学的な動きから始まる。音楽は、モーツァルトでもチャイコフスキーでもない、現代曲のエサ-ペッカ=サロネン(Esa-Pekka Salonen)の曲でもあり、曲想から想像することはまず不可能で、振りが極めて難しいそうだ。

中盤二曲目の後半辺りから弛緩しない展開で最後まで持っていく。ロープを動かして背景を歪まる空間の処理が、実に巧みだ。三曲目サロネンのヴァイオリン協奏曲に入ってからの、2〜3人のダンサーによる展開や、終盤近くの腕にタトウを入れている Ima Iduozee のソロは特に素晴らしい。

Ima Iduozee のソロのどこが良いのかと言われると言語化は難しいが、表情の他あらゆる身体の動きが、求心力を保っている。この演目は、幾何学的な動きから、闘っているような動きや、愛し合っているような動き、そう言った物語的な展開へと移行して行くが、Ima の演技はあたかも物語を雄弁に語り、所作がとても美しい。もちろん、全てのダンサーが的確に役を演じているが、終盤近くに登場した Ima Iduozee が持っていってしまう感じである。

この演目は、第三曲にサロネンのヴァイオリン協奏曲が用いられている。録音を用いているが、ヴァイオリンのソリストは諏訪内晶子(Suwanai Akiko)とのことだ。

実は、諏訪内晶子とエサ-ペッカ=サロネン、フィルハーモニー管弦楽団により、2013年2月9日に横浜みなとみらいホールで日本初演されている(恐らく現在に至るまで再演がなく、日本で唯一の公演となっている)。この時に臨席した私の拙い感想は→ http://ookiakira.blogspot.jp/2013/02/blog-post_6547.html?m=0
に掲載している。

どうりで、どこかで聴いた事があるはずだ。本当に近現代曲の諏訪内晶子のヴァイオリンは無敵と言って良い。サロネンの素晴らしい曲想が、諏訪内晶子の抜群なテクニックで実現されていることが、録音を聴いても分かる程だ。2013年2月9日の日本初演から二年四ヶ月して、今度は舞踊公演で再開した。なんと言う縁であろう。

日本とスオミとの関わりにも感慨深いものを感じる、Tero Saarinen Company の日本公演であった。

2015年6月20日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 425th Subscription Concert, review 第425回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年6月20日 土曜日
Saturday 20th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Maurice Ravel: “Valses nobles et sentimentales” (高雅にして感傷的なワルツ)
Camille Saint-Saëns: Concerto per violino e orchestra n.3 op.61
(休憩)
Maurice Ravel: “Alborada del gracioso” (道化師の朝の歌)
Claude Debussy (arr. Michael Jarrell): Douze Études pour piano- 9. pour les notes répétées- 10. pour les sonorités opposées- 12. pour les accords (「12のピアノ練習曲」より、第9番「反復音のために」、第10番「対比的な響きのために」、第12番「和音のために」)
Maurice Ravel: “Boléro” (ボレロ)

violino: Miura Fumiaki (三浦文彰)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Thierry Fischer(ティエリー=フィッシャー)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月19日・20日に愛知県芸術劇場で、第425回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ティンパニ・ホルンは後方中央、ハープ・サキソフォン系や小太鼓・大太鼓等のパーカッションは後方下手側の位置につく。

私の着席位置は一階正面上手側後方、客の入りはほぼ満席である。ティエリー=フィッシャー人気なのか、ボレロ人気なのか?観客の鑑賞態度は、細かなノイズがあったものの、概ね極めて良好であった。

個人的にこの演奏会の白眉は、サン-サーンスのヴァイオリン協奏曲第三番である。ヴァイオリンのソリストである三浦文彰は、初めて聴くが、第一音から凄い!まるでヴィオラのような太く低い音色から始まる。

冒頭のみならず、三浦文彰のヴァイオリンは、惹きつけるべき箇所での一音が素晴らしいし、ホールを朗々とした響きで満たせる。愛知芸文の大きなコンサートホールをこれ程までの響きで満たせる奏者は、世界的にも少ない。第二楽章では緊張感を途切れさせない見事な演奏だ。第三楽章も同様に完成度が高い演奏であるが、ヴァイオリン-ソロから第一ヴァイオリンとのユニゾンに移行する場面は、変わり者の あきらにゃん のお気に入りの箇所である♪

管弦楽も、ヴァイオリン協奏曲モードに抑えることなく、ごく普通に交響曲を演奏するかのようなノリであるが、三浦文彰のヴァイオリンが良く響いているからこそ、そのようなノリで行けるのだろう。そのような状況下でバランスも良く取られ、これまた完成度が高い。

有名なメンデルスゾーンでもなくチャイコフスキーでもない、演奏機会が極めて少ないサン-サーンスの協奏曲で、これ程観客を惹きつける三浦文彰のヴァイオリンは、只者ではない。彼は庄司紗矢香の次の世代を担えるようになるだろう。

後半、「道化師の朝の歌」は中ほどのファゴットのソロが素晴らしい。ドビュッシーの12のピアノ練習曲も完成度が高い出来だ。「ボレロ」は二台目の小太鼓の攻め方や木管・サキソフォン系が特に良かった。サキソフォン系は、愛知芸文の響きを信じて、スッと音を引っ込める奏法を採ったようにも見受けられた。

ティエリー=フィッシャーは、全般的に管楽を際立たせるアプローチで、華麗な音色であった。

2015年6月6日土曜日

NDR Sinfonieorchester Hamburg, Thomas Hengelbrock, Arabella Steinbacher, Nagoya perfomance, (6th June 2015), review 北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) 名古屋公演 評

2015年6月6日 土曜日
Saturday 6th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Antonín Dvořák: ouverture da concerto “Carnevale” op.92 B.169 (序曲「謝肉祭」)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92

violino: Arabella Steinbacher (ヴァイオリン:アラベラ=シュタインバッハー)
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Thomas Hengelbrock(指揮:トーマス=ヘンゲルブロック)

北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2015年5月から6月に掛けてアジア-ツアーを実施し、ソウル・北京・上海・大阪・東京・名古屋にて演奏会を開催した。この評は、アジア-ツアー最終公演である2015年6月6日名古屋公演に対するものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方(上手側)につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。

着席位置は二階正面上手側、客の入りは6割程であろうか、三階席はもちろんのこと、一階席中央の席でさえも空席がある始末、梶本音楽事務所は、どんな切符の売り方をしているのだろう。先行発売初日でさえ、第一希望の席は売られていないと梶本音楽事務所の電話口の女性は話していたのだけれど。後半だけ聴きに来る遅刻者が多かった印象もある。

第一曲目の、ドヴォルジャーク序曲「謝肉祭」は、個々の演奏はいいように思える所もあるし、後半は良かったけど、アウェイ感が満載ではある。どうも管弦楽全体として噛み合っていない点があり、愛知県芸術劇場の音響に馴染んでいないような感じがある。

第二曲目の、メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲、ソリストはアラベラ=シュタインバッハであるが、一言で言うと子守唄だ。技術的に破綻しているとは思えないし、繊細と言えば繊細だし、優しい演奏と言えばその通りなのだろうけど、前衛性は全くなく、単に楽譜通りに弾いているだけで、アラベラ独自のパッションはなく、個性がない演奏である。何らのサプライズもなく、そのような演奏を国外ツアーでやる意義はない。管弦楽は、必ずしも音量が大きい訳ではないアラベラを盛り立てるべく、バランスを絶妙に取り、弱い響きであるがよく通り、かつアラベラのソロをかき消さないよう、細心の注意を払って演奏する。アラベラ=シュタインバッハーは、このような献身的な北ドイツ放送交響楽団の演奏に応えなかった。

後半は、Beethovenの第七交響曲である。全般的に、トーマス=ヘンゲルブロックは極めて凡庸な指揮者で、前衛性の欠片もなく、因習的な演奏に終始した。因習的な演奏にピリオドチックな味付けをしただけで、面白みは全くない。この解釈の指揮なら、三流指揮者でもやれるレベルで、ポジティブな評価ができない。

それでも第二楽章冒頭の、ヴィオラ+チェロの音色だけは、ヘンゲルブロックの個性が出ていた。

北ドイツ放送交響楽団の管弦楽のレベルは高く、木管・金管とも上手だ。一箇所不用意な音が出たのは、見逃すに値する。全般的には安定しており、さすがドイツの名のある交響楽団だ。

それだけに、卓越した技量を有する北ドイツ放送交響楽団の管弦楽を活かせない、トーマス=ヘンゲルブロックに対する欲求不満が爆発しそうである。ヘンゲルブロックとシュタインバッハーは、平凡な解釈をする者同志で、お似合いだった。梶本音楽事務所から刺客が放たれるとしても、私にとっては事実なのだから、述べるしかない。

今日のBeethoven第七交響曲を聴く限り、ヘンゲルブロックは、およそ古楽系・ピリオド系の指揮者だとは思えない。躍動感と言うか、ヴィヴィッドな感覚も鋭さも欠如している。第一・第三楽章のモサッとした演奏には苛立ちを覚える。第四楽章も速めのテンポだが、緩急の付け方が緩慢なのか、単に速く演奏しているだけで、ちっとも面白くない。ヘンゲルブロックなりに色々考えてはいるのだろうけど、やはりどこか構成力に難点があるのだと考えざるを得ない。

シュタインバッハーのソリスト-アンコールは、クライスラーのカプリチオ op.6-1 レチタティーヴォとスケルツォ、アンコールはブラームスのマジャール舞曲第5番だった。