2013年4月28日日曜日

追加ラベル(その2) (オーヴェルニュ室内管弦楽団 演奏会 評 関連)

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追加ラベル(その1) (オーヴェルニュ室内管弦楽団 演奏会 評 関連)

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オーヴェルニュ室内管弦楽団 演奏会 評

2013年4月28日 日曜日
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 コンサートホール (新潟県新潟市)

曲目:
(一回目)
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト フルートとハープのための協奏曲 K.299
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト クラリネット協奏曲 K.622

(二回目)
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ディヴェルティメント K.205
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.364

フルート:ジュリエット=ユレル
ハープ:吉野直子
クラリネット:ラファエル=セヴェール
ヴァイオリン:レジス=パスキエ
ヴィオラ:ジェヌヴィエーヴ=シュトロッセ

管弦楽:オーヴェルニュ室内管弦楽団
指揮:ロベルト=フォレス=ヴェセス

この演奏会は、ラ-フォル-ジュルネ新潟のプログラムの一環として開催された。約45分の演奏会を二回開催する形となる。着席場所は、「二階後方中央」とされるが、ブドウ畑型ホールの段差で階が異なる形となっており、実態は一階ほぼ中央と言える場所である。

一回目の演奏会はかなりの大入りで、三階席の正面はもちろんのこと、左右も舞台の真横まで使い、使用していない席は舞台の真後ろ(オルガン側)のみである。お昼を過ぎた絶妙な時間帯によるものか、美人フルート奏者ジュリエット=ユレルの写真によるものか、吉野直子人気によるものか、「フルートとハープのための協奏曲」という曲自体の人気なのか、私には分からない。おそらく、これらの複合した要因によるものか。

オーヴェルニュ室内管は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの順で、高弦から低弦に順番に並べた形である。第二プロトまでしかない少ない人数であるとは思えない程、巨大なりゅーとぴあをよく響かせている。

ジュリエット=ユレルのフルートは、やや埋没気味であるが、各楽章最後にあるカデンツァと第二楽章が良い。カデンツァは吉野直子との共同作業によるものであるが、特に第二楽章カデンツァの、アッチェレラントを掛けた部分は素晴らしく決まっている。ハープの吉野直子は、ソリストとしての自己主張を的確に行っている。

クラリネット協奏曲では、一転、ソリストと管弦楽とのバランスが良くなっている。ジュリエットに対して陰謀を仕掛けたのではないかと思いたくなるほどだ。ラファエル=セヴェールのクラリネットは実によく映えていたが、管弦楽のサポートが非常に巧みである。

ラ-フォル-ジュルネではあまりないことであるが、アンコールは、セヴェールによるクラリネット-ソロで、コダーイ作の「クラリネットのための小品」であった。

第二回目のプログラムは19時から、他の演奏会では3歳以上の入場を許可しているラ-フォル-ジュルネ、この演奏会のみは6歳以上と入場許可水準を挙げている。三階席は使わず、ちょっとさみしい客の入りだ。

最後の曲目である「ヴァイオリンとヴィオラの協奏交響曲」K.364、ヴァイオリンのパスキエは一癖二癖ある親父♪予測不能な我儘ぶりを発揮している。微妙にテンポを揺るがしたりして、管弦楽とわずかにずれたりしているが、これが面白い。一方でパスキエのヴァイオリンは、りゅーとぴあの大きな空間を朗々と響かせ、演奏をリードしていく意志を感じさせる。これ故に、一癖二癖あっても妙な説得力を持っているのだ。ヴィオラのシュトロッセは、ちょっと控えめなソロであるが、次第にパスキエに感化されたのか、ヴィオラのシュトロッセも調子を上げ、ラ-フォル-ジュルネ新潟最後の演目にふさわしい、華麗な終わり方であった。

リディヤ=ビジャーク・サンヤ=ビジャーク 演奏会 評

2013年4月28日 日曜日
新潟市音楽文化会館 (新潟県新潟市)

曲目:
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト 4手のためのピアノ-ソナタ K.497
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ K.448

ピアノ:リディヤ=ビジャーク・サンヤ=ビジャーク(ビジャーク姉妹)

このリサイタルは、ラ-フォル-ジュルネ新潟のプログラムの一環として、りゅーとぴあから橋で50メートルほど歩いた場所にある、新潟市音楽文化会館にて開催される。新潟市音楽文化会館は、「音楽」と称してはいるが事実上の「多目的ホール」であり、530席の規模ではあるが、残響は乏しく、ピアノ以外のクラシック音楽には到底向かない会場である。

当初は予定に入れていなかったが、当日りゅーとぴあに張り出していたプログラムに、ビジャーク姉妹の写真があり、その美貌に惹かれて、ついチケットを衝動買いしてしまったと言うわけだ。ブルネットの髪がリディヤで姉、ブロンドの髪がサンヤで妹の姉妹、セルビアはベオグラード出身である。姉妹ピアニストと言えば、今やビジャーク姉妹の時代、ラベック姉妹なんて言っていると、齢がバレますよ♪♪

着席場所は、一階やや前方の中央と言える場所である。

と言う訳で、演奏会が始まる。写真通りの美女が二人登場する。いかにもあきらにゃん好みで、期待通りだ!

まずは、「4手のためのピアノ-ソナタ」である。一台のピアノで、低弦側はリディヤ・高弦側をサンヤが座る連弾である。

モーツァルトにしては重めの曲であるが、如何にも重めに弾いている形である。立派な演奏ではあるが、生真面目な演奏であるとも言える。ちょっと疲れる演奏でもある。

二曲目は「2台のピアノのためのソナタ」である。妹のサンヤは右側にある二台目のピアノに移る。リディヤのピアノは反射板を開いており、サンヤのピアノは反射板を取りはらっている。

第一楽章冒頭でのユニゾンが乱れる。二台のピアノで向かい合っての演奏は、合いそうでなかなか合わない形であるようだ。それでも、同じユニゾンが主題展開部、主題再現部と進むに連れてだんだん合って行くのが面白い。

曲も演奏も、「4手のためのピアノ-ソナタ」と比較してスリリングな要素が多いせいか聴かせどころは多いが、姉妹となるとなかなか対立的なアプローチは難しいのか、一方が即興的な展開を仕掛け、これをもう一方がさらに煽っていくような、ハラハラドキドキする方向性へは向かわない演奏で、しかしながらガチガチな演奏ではなく、聴きやすいと言えば聴きやすい演奏であった。

http://www.bizjakpiano.com/

香港シンフォニエッタ 演奏会 評

2013年4月28日 日曜日
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 コンサートホール (新潟県新潟市)

曲目:
(一回目)
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト 歌劇「コジ-ファン-トゥッテ」 K.588より序曲
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」

(二回目)
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト 交響曲第23番 K.181
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 K.595

ピアノ:マタン=ポラト
管弦楽:香港シンフォニエッタ
指揮:葉詠詩(イプ=ウィンシー)

この演奏会は、ラ-フォル-ジュルネ新潟のプログラムの一環として開催された。約45分の演奏会を二回開催する形となる。着席場所は、「二階後方中央」とされるが、ブドウ畑型ホールの段差で階が異なる形となっており、実態は一階ほぼ中央と言える場所である。

客の入りは約1000人くらいか。三階席は閉鎖している。

「ジュピター」は速いテンポかつ、テンポの変化が少ないもので、好みが別れそう。ウィンシーはティンパニのアクセントをかなり控えめにしている。彼女は、ティンパニの音があまり好きではないらしい♪

マタンとウィンシー、第二回目が始まるまでの展開は、あまりに対照的なテンポの取り方だけど、コンツェルト、大丈夫か??と心配させる程であった。

ウィンシーのティンパニ嫌い疑惑は、第二回目のプログラムからティンパニを排除しているところからも生じてくる。

マタンとウィンシー、どうも裏で談合をしていたようで(♪)、テンポは両者の中間を取ったかのような普通のものである。対立を伴うスリリングな展開の予想は、幸か不幸か外れてしまう。ポラトのピアノは綺麗に響くし、管弦楽も響きが厚くなって、ソリストと管弦楽とのバランスも絶妙に保たれ、とても美しい第27番ピアノ協奏曲となった。

マタン=ポラト リサイタル 評

2013年4月28日 日曜日
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場 (新潟県新潟市)

曲目:
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ロンド K.511
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト メヌエットK.355
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト 小さなジーグ K.574
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト アダージョ K.540
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」 K.331

ピアノ:マタン=ポラト

このリサイタルは、ラ-フォル-ジュルネ新潟のプログラムの一環として開催された。本来の音楽会場とは別の「劇場」での開催であり、三味線・ピアノ等、自己残響機能を有する楽器以外の演奏にはそもそも向かない会場でのリサイタルである。着席場所は、一階後方中央(「2階席」とされているが、実態は一階席)。

「3階席」まで使う程混んでいる。お昼の時間帯となり、当日買いの観客が増えたのか?

ゆっくり目な、丁寧なタッチの演奏である。しかしながら、一本調子であり、気持ちの良い音色であるだけに、居眠りの危険を有する。

最後の「トルコ行進曲」だけテンポがやや速めである。このスピードで、彼の丁寧さで演奏されるのは絶品である。

ジャン-クロード=ペヌティエ リサイタル 評

2013年4月28日 日曜日
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場 (新潟県新潟市)

曲目:
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ第12番K.332
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ第8番K.310

ピアノ:ジャン-クロード=ペヌティエ

このリサイタルは、ラ-フォル-ジュルネ新潟のプログラムの一環として開催された。本来の音楽会場とは別の「劇場」での開催であり、三味線・ピアノ等、自己残響機能を有する楽器以外の演奏にはそもそも向かない会場でのリサイタルである。着席場所は、一階後方中央(「2階席」とされているが、実態は一階席)。

観客と言うものは、一限の授業に来ない大学生のようなもので、朝10時開始であるせいか、かなりガラガラの演奏会である。客の入りは約300人前後か?

演奏は軽やかさを特徴としたもので、モーツァルトに似合う味のある演奏であった。

2013年4月27日土曜日

小山実稚恵 ピアノリサイタル 評

2013年4月27日 土曜日
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)

曲目:
フレデリック=ショパン ノクターン第1番 op.9-1
フレデリック=ショパン ノクターン第2番 op.9-2
フレデリック=ショパン ワルツ第6番「小犬」 op.64-1
フレデリック=ショパン ワルツ第7番 op.64-2
フレデリック=ショパン ワルツ第8番 op.64-3
ヨハン=セバスチャン=バッハ (ブゾーニ編曲) シャコンヌ
(休憩)
ロベルト=シューマン(リスト編曲) 献呈
リヒャルト=ヴァーグナー(リスト編曲) 楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「イゾルデの愛の死」
フレデリック=ショパン ラルゲット(ピアノ協奏曲第2番 第二楽章)
フレデリック=ショパン バラード第4番 op.52
フレデリック=ショパン ポロネーズ第6番「英雄」 op.53

ピアノ:小山実稚恵

軽井沢大賀ホール(芸術監督:ダニエル=ハーディング)では、4月27日から5月6日までに掛けて「軽井沢大賀ホール2013 春の音楽祭」としてクラシック音楽を中心に7公演を企画しており、その1番目の演奏会として開催されたものである。

第一曲目・二曲目のショパンのノクターンは、とても素晴らしい。丁寧な演奏が活きて、優しい性格が垣間見れる演奏である。

その他の曲については、速いテンポの部分で音抜けが目立つように思えたが、気のせいか?劇的な要素がある曲になると、どこに頂点に置き、その頂点に向けてどのように音楽を組み立てていくかと言う点について、明確な筋がなかったように思われる。最高音に向けて興奮しながら駆け上がる要素がない。

ちょうど一週間前に、私が王羽佳(ワン=ユジャ)の演奏を聴いてしまったのは、小山実稚恵にとっては災難だったのかも知れない。比較した場合の落差は歴然としている。今日の小山実稚恵はやや精彩を欠いていた所があるのかもしれない。

アンコールは、ショパンのワルツ第10番、シューベルトの即興曲、ショパンの「華麗なる大円舞曲」の三曲であった。

2013年4月20日土曜日

王羽佳(ワン=ユジャ/ユジャ=ワン) リサイタル 評

2013年4月20日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)

曲目:
アレクサンドル=スクリャービン ピアノ-ソナタ第2番「幻想ソナタ」 op.19
アレクサンドル=スクリャービン ピアノ-ソナタ第6番 po.62
モーリス=ラヴェル 「ラ-ヴァルス」
(休憩)
ローウェル=リーバーマン 「ガーゴイル」 op.29
セルゲイ=ラフマニノフ ピアノ-ソナタ第2番 (1931年改訂版) op.36

ピアノ:王羽佳(ワン=ユジャ/ユジャ=ワン)

美術館に行き、日本美術と中国美術とが並べられていると、九割の確率で日本の作品か中国の作品か、区別する事が可能だったりする。大雑把に言うと、日本美術は細部の繊細さに、中国美術は雄大さに特色が現れているというところか。北京生まれの若いピアニストというと、若々しい豪胆な演奏をするのではないかとの想像が湧いてくる。

会場時間を数分過ぎ、照明が落とされて神経質になる時間になり、しばらくしてユジャが登場する。「ワンショルダーで黒の超ミニスカボディコンワンピに爪先が厚底の、15㎝はあるだろうエナメルピンヒール黒のワンピース」(twitter@ichliebeballettさん2012年4月20日投稿文面)で体に密着させたもので、スカート部は短く、実際にヒールは13cmの高さだ。ちゃんとピアノのペダルを操作できるのか、心配になってくる。「SMの女王様」とも連想してしまう格好で、鞭を持ったらまさしくこれだ。中国の人たちって、そういう格好が好きなのかなあ。

ご挨拶は膝近くまで頭を下げる独特なお辞儀である。実に素っ気ない挨拶ですぐに着席し、ピアノを弾き始める。

まずはスクリャービンが二曲である。スクリャービンはあまり私の波長とはあっていない作曲家であるが、それでもユジャの響きの綺麗さと、盛り上げ方の巧さに注目する。

前半最後の曲は、最も華麗な「ラ-ヴァルス」である。ユジャは、「作曲者の意図通りに忠実に演奏する」タイプではなく、ブルーノ=レオナルド=ゲルバーやイングリット=フリッターと同様、一旦演奏者の解釈に落とし込み、「ユジャの音楽」として再構成して演奏するタイプであることが良く分かる。

冒頭は、主旋律を曖昧にし、いかにも渦巻く雲の間から垣間見れる舞踏会の風景を思わせる、絵画的な始まりである。アクセントをどこに置くか、テンポの配置、いずれもユジャ独自の境地にある。一見好き嫌いが分かれそうだが、不思議な説得力で惹きつけられていく。クライマックスへの盛り上げ方は卓越しており、個性的な演奏である一方で強固な構成力に裏打ちされている。強靭な中でも繊細さを伴った、綺麗な響きであることに驚きを禁じ得ない。「驚異的なテクニックに裏打ちされた華麗かつ完璧な演技」としか言いようがない。

フィギュアスケートで言えば、トリプル-アクセルを完璧な蹴り出しから始まり、軸は真っ直ぐ垂直に伸びており、着地も完璧であるだけでなく、全般的な氷上の滑りの音が終始滑らかで、ジャンプ・スピン等の構成も極めてよく考えられたもので、テクニカル-ポイント・アーティスティック-インプレッションいずれも、九人の審査員が6.0の満点を与える完璧な演技と言ったところだ。

これ以上の「ラ-ヴァルス」は、ピアノ独奏・ピアノ連弾・管弦楽、いずれを含めても考えられない。

後半のリーバーマン・ラフマニノフも、「ラ-ヴァルス」で受けた印象そのままの演奏であり、傑出した演奏である。

興が乗っていたのか、アンコールは実に四曲だ。ラフマニノフ「エレジー」、シューベルト(リスト編曲)「糸を紡ぐグレートヒェン」、ビゼー(ホロヴィッツ編曲)「カルメンのテーマによる変奏曲」、ショパンのワルツ第7番である。

ショパンのワルツのような静かな曲でも綺麗な響きで聴かせるが、「カルメン変奏曲」のような躍動的な曲となるとこれはもう最高で、「ラ-ヴァルス」でも同じであるが、ユジャ以上に弾けるピアニストはいないのではないかと思わざるを得ない。

ユジャに対して当初抱いていた予想については、「若々しい豪胆な演奏」と言う点は当たっていたが、これ以上に、日本的なのかどうかは分からないが、強靭な響きの中に繊細さを貫徹させているとは思ってもみなかった。少なくとも、ユジャが中国10億人の中で音楽界の頂点に君臨している事は間違いないし、まだ26歳、これからも世界中でエキサイティングな演奏を長く楽しめるのがうれしい。

今日の演奏会も売り切れだったとのこと。604席の彩の国さいたま芸術劇場は、ピアノの音響も実に完璧であった。

2013年4月13日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会 評

2013年4月13日 土曜日
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)

曲目:
ヨハネス=ブラームス 「大学祝典序曲」 op.80
フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ ヴァイオリン協奏曲 op.64
(休憩)
シャルル=カミーユ=サン-サーンス 交響曲第3番 「オルガン付き」op.78

ヴァイオリン:成田達輝
オルガン:長井浩美
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団(JPO)
指揮:山田和樹

山田和樹は、2012年9月から2015年8月までの三年間にわたり、JPO「正指揮者」として活動する。今回の特別演奏会は「今は一度でも多く共に演奏をと双方呼び合って」(注1)との、良くわからないけどまあいいや的な理由により、定期演奏会の枠外としての開催となる。

演奏会場は20から30歳代の若い女性の姿が多い。「ヤマカズ」人気によるものか成田達輝人気によるものかは不明である。演奏会前のプレトークには山田和樹が登場する。内容は、JPOがこの4月1日より目出度く「公益財団法人」に移行できたこと。この演奏会は「公益財団法人」に移行できたことを祝う意味があり、祝典的要素を持つこと。配布されたプログラムに「創立指揮者 渡邉暁雄」の文言を復活させたこと。渡邉暁雄が行った先駆的施策を引き継ぎ、9月13日に協奏曲を主体とした「コンツェルト-シリーズ」演奏会を行うことである。

「大学祝典序曲」は、出だしこそ管弦楽は固めであったが、次第に安定感を増していく演奏である。結尾部は強く綺麗な響きでまとまる。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、ややゆっくり目のテンポである。ソリストの成田達輝は若干詰めを欠いている部分はあるが、決めるべきところでは何故か、ちゃんと決めている。第二楽章・第三楽章の出来は良い。最も注目させられる点は、ソリストと管弦楽とのバランスは非常に良くかんがえられている点である。ソリストを引き立たせるところと木管ソロを引き立たせるところの切り替えは見事である。成田達輝をサポートする山田和樹の管弦楽に対する指示は実に的確で、成田達輝の実力を150%際立たせることに成功している。

休憩後の三曲目、いよいよ「オルガン付き」である。タケミツメモリアルのオルガンは、スイス連邦チューリッヒ近郊メンネドルフに本拠を置く、クーン社製であり、日本には兵庫県宝塚市にあるヴェガホールを皮切りに、タケミツメモリアルの他、大阪シンフォニーホール、川崎ミューザホール、川口リリカホール、群馬県安中市の新島学園高等学校に導入され、計6台となる。タケミツメモリアルは日本導入第5台目である。

http://www.operacity.jp/concert/facilities/ch/organ/index.php

第一部後半からオルガンが登場する。オルガンの響きは管弦楽と溶け合わせるようなアプローチを取っている。クーン社のオルガンの音色は柔らかいが、涙腺を潤ませる程のロマンチックな響きではなく、音楽そのものに集中しやすい音色だ。

管弦楽は序盤に固さが見られたが、山田和樹の明晰な指揮により適切に導かれ、テンションが高まっていくのが非常に良く分かる演奏である。JPOがいかなる箇所に於いても、ベルリン-フィル程の完璧な表現力を発揮している訳では決してないが、それでも金管ソロの演技が実に的確に決まるなど、失敗のリスクを冒して跳んだトリプルアクセルを見事に決めたかのような箇所もある。山田和樹が10の指示を出すと、期待以上の13の結果でフィードバックされ、パッションがさらに込められていく素晴らしい熱演である。JPOの実力を150%は引き出したのではないだろか。

一方でタケミツメモリアルの残響の良さも十二分に計算され、テンションを強く掛けた引き締まった演奏である一方で、バランスも良く保たれ、素晴らしいホール、明晰で鋭い指揮、パッションに溢れた演奏者が三位一体となった、優れた演奏である。

アンコールは、シベリウスを紹介したJPO創立指揮者-渡邉暁雄に因んで、「フィンランディア」となる。熱気が収まらない中での「フィンランディア」は、完成度の面で序盤から隙がなく、これまた素晴らしい演奏であった。

注1: http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/news.cgi#712

2013年4月6日土曜日

18世紀管弦楽団 東京公演 評

2013年4月6日 土曜日
すみだトリフォニーホール (東京)

曲目:
フランツ=ペーター=シューベルト 交響曲第7(8)番「未完成」 D759
(休憩)
フェリックス=メンデルスゾーン-バルトルディ 交響曲第3番 「スコットランド」op.56 (現行版)

管弦楽:18世紀管弦楽団
指揮:フランス=ブリュッヘン

すみだトリフォニーホールでは、2013年4月4日から4月15日までにわたり、フランス=ブリュッヘンを指揮者に迎え、18世紀管弦楽団と三公演、新日本フィルハーモニー交響楽団(NJP)と一公演、演奏会を開催する。この評は、第三回目、4月6日に開催された公演に対してのものである。なお、この公演を持ってブリュッヘン指揮による18世紀管弦楽団の日本に於ける公演は最後となる。ブリュッヘン指揮による日本に於ける最終公演は、4月15日NJPとの公演となる。

ブリュッヘンは車椅子に乗せられて搭乗する。指揮は椅子に腰かけて行う。管弦楽は、左右対向配置であるのか?ヴァイオリンとヴィオラの区別がつきにくく判別できない。コントラバスは舞台下手側に位置する。

まずは「未完成」である。テンポは非常にゆっくりしている。第一楽章と第二楽章とのテンポの違いはあまりない。ブリュッヘンにとっては、Allegro moderatoとAndante con motoとの区別はどうでも良いもののようらしい。また、テンポ面でのメリハリはあまりつけていない。シューベルトの不器用な部分を裸にするような演奏でもある。

ヴィヴィッドさに欠けた演奏ではあるが、ゆっくりでなければ見えてこないものもあるとは思う。例えば、第一楽章主題展開部の終わりごろのティンパニの響きを挙げることができる。

あれだけ遅いテンポでタイミングを狂わさないで演奏する管楽セクションが凄いか。特に、第一楽章第一主題での、ホルンを異常に延ばした指揮者の意図を見事に表現していた。

休憩後の「スコットランド」は、玉石混淆の不思議な感じ。弦楽のメロディーの入りがモゾモゾして不明瞭な印象を受ける一方で、とてもニュアンスに満ちた演奏をする部分がある。断続的に表れる素晴らしい演奏をする所を評価する人たちには良いのかも知れないが、全体的な完成度と言う点では疑問点をつけざるを得ない演奏である。テンポの変化はあまりなく、要所でギアを入れ替えるような変化もない。

アンコールは、J.S.バッハのカンタータ第107番「汝何を悲しまんとするや」BWV107と、ヨーゼフ=シュトラウスのポルカ-マズルカ「とんぼ」op.204である。

この「とんぼ」だけは素晴らしく、ブリュッヘン指揮18世紀管弦楽団の日本に於ける最後の演奏にふさわしい演奏である。カルロス=クライバー指揮のような、キリッキリッと舞い上がる「とんぼ」では決してないけれど、優雅に舞う「とんぼ」で、現在のブリュッヘンにとっては、案外このようなヴィンナーワルツの方が向いているのではないかと思わせる意外な発見をもしてしまう。

3月30日、彩の国さいたま芸術劇場でのBCJ演奏会でもらったチラシをきっかけにして、引退間近のフランス=ブリュッヘンに対する好奇心、あるいは怖いもの見たさで行ってみたところであるが、総じて友人たちに勧められる演奏ではない。ゆっくりでなければ見えてこないものも確かにあるが、あまりに生気が感じられない。人間は変わっていくものだとは思うが、良く言えば「巨匠風」になってしまい、約20年前に購入したハイドン交響曲集のCDでは感じられる若々しさは、現在のブリュッヘンにはない。

ブリュッヘンに臨む観客は、百回に一回あるかないかのレベルで実に静かで、集中力のある聴き方をしていたが、終演後のスタンディング-オベーションには疑問を感じる。サイトウ-キネンで小澤信者が見せるのと同じような、実際の演奏の質とは関連性の薄い評価を観客の側が行うのは、望ましくない。いい所がある演奏ではあるが、優れた演奏と言えるかは疑問であり、ましてスタンディング-オベーションを行うほどの傑出した演奏であるとは決して言えない。それでも、あのような演奏が好みの人たちは確かにいて、熱心に聴いているのだから、私の度量が狭いだけなのかも知れないが・・・。