2014年12月7日 日曜日/ Sunday 7th December 2014
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
Yokohama Minato Mirai Hall (Yokohama, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: ‘Die Geschöpfe des Prometheus’ ouverture op.43 (「プロメテウスの創造物」序曲)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Karol Beffa: Concerto per violino e orchestra(world premier/世界初演/国際音楽祭NIPPON委嘱作品)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.1 op.21
ヴァイオリン:諏訪内晶子 (Suwanai Akiko)
管弦楽:ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン(Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)
指揮:パーヴォ=ヤルヴィ (Paavo Järvi)
ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンは、2014年12月1日から14日までアジアツアーを行い、大邱・ソウル・北九州・横浜・名古屋・東京にて計10公演の演奏会を開催する。全ての公演の指揮者はパーヴォ=ヤルヴィである。諏訪内晶子との共演は、12月6日から8日までの、北九州・横浜・名古屋公演の3公演となる。
この12月7日の演奏会は、諏訪内晶子が芸術監督を務める「第3回国際音楽祭NIPPON」の一環としての演奏会でもある。フランスの作曲家、カロフ=ベッファのヴァイオリン協奏曲については、国際音楽祭NIPPONによる委嘱作品であり、世界初演となる。この協奏曲は、横浜公演のみの演奏となる。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。ティンパニはバロック-ティンパニではなく、モダン-ティンパニ、Beethovenの1番でもバロック-ティンパニは登場しなかった。昨年11月の三井住友海上しらかわホールでのスタイルとは違い、その点は残念である。着席場所は、ヴァイオリン協奏曲の演奏を考慮し前方シフトを掛け、やや前方中央である。客の入りは当日券が70枚出たとの話であるので、ほぼ満席か。観客の鑑賞態度は極めて良好であった。
第一曲目の「プロメテウスの創造物」序曲は、みなとみらいホールに馴染んでいない響きで、演奏は平凡である。
第二曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、予想通りの展開でサプライズはない。技術的には高水準の演奏であるが、何か大切な物が足りない。まず響きがみなとみらいホールに馴染んでいない。どこかスイートスポットを外れたかのような響きであり、やや前方の席を確保したのにも関わらず、あまり音圧が感じられない。それとニュアンスが掛らず、平板なヴァイオリンの演奏である。庄司紗矢香のようなニュアンスを伴った構成力はなく、アリーナ=イブラギモヴァのような激しさもなく、とにもかくにも面白くない。昨日聴いたばかりのDresdner Kapellsolistenのコンサート-ミストレスSusanne Brannyのようなささやかなニュアンスすら掛からない。これでは、ドイツの地方歌劇場のコンサート-ミストレスですら及ばない。ニュアンスを掛けた構成力がないのか、ニュアンスを掛ける事自体が嫌いなのか、詳細な事情は不明であるが、いずれにしても諏訪内晶子の古典物は、ほぼ全滅であろう。諏訪内晶子はドイツではとても通用しない。
諏訪内晶子の出来は、曲想に左右される、というか、左右され過ぎである。演奏者のニュアンスに依存しない、作曲の段階で楽譜通りにそのまま演奏しても面白い構成の曲でなければ、諏訪内晶子の音楽は成立しないのだ。
休憩後はベッファのヴァイオリン協奏曲、これは諏訪内晶子の高度なテクニックと集中力とが見事に噛み合った素晴らしい出来となった。前半とは違い、諏訪内晶子もドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの管弦楽も、みなとみらいの響きを見事に捉えた素晴らしい響きとなる。第二楽章前半部の、下手に演奏すると退屈になりがちな部分に於いても緊迫感が途切れない演奏で説得力を持つ。カンマーフィルハーモニーの管弦楽は全員のパッションが凄まじく、一人ひとりが諏訪内晶子と同格に対決する形だ。特に打楽器は見事にアクセントを決めてくる。
ベッファのヴァイオリン協奏曲により、諏訪内晶子は活かされた。諏訪内晶子はコンテンポラリーに強い。どうして北九州でも名古屋でもベッファでなくメンデルスゾーンを演奏したのか、理解に苦しむ。北九州でも名古屋でもプログラムは保守反動的だ。国際音楽祭NIPPONの趣旨の中で、イントロダクション-エデュケーションの項目の中に「“現代作曲家への委嘱”・・・同時代で同じ音楽家として活躍する諏訪内晶子が、旬の作曲家に音楽祭委嘱作品を依頼し、その魅力を紹介していきます」とある。どうして横浜だけなのか。どうして名古屋ではやらないのか。どうして北九州ではやらないのか。諏訪内晶子芸術監督は、地方の聴衆を「現代音楽など理解できない」と馬鹿にしているとしか思えない。少なくとも名古屋の観客は決して保守的ではなく、むしろその逆であり、名古屋フィルハーモニー交響楽団の先駆的プログラムにより、日本のどこの都市よりも、現代音楽を受け入れる力を聴衆は得ている。わざわざ苦手のメンデルスゾーンではなく、得意の現代音楽で攻められるのに、どうしてしなかったのかは、理解に苦しむ。そのような事を、山の奥地のど田舎である長野県松本市に住む私に言われて恥ずかしいとは思わないのか、と強く言いたい。
第四曲目のBeethovenの1番は、先述したようにバロック-ティンパニを用いたものではなかったが、大胆なニュアンスをうまく構築した演奏で、昨年11月の三井住友海上しらかわホールでの名演を思い起こすかのような演奏であった。
2014年12月7日日曜日
2013年11月24日日曜日
NHK交響楽団 横浜定期演奏会 評
2013年11月24日 日曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
アナトーリ=リャードフ 交響詩「魔法をかけられた湖」 op.62
ドミートリイ=ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.129
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第5番 op.64
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:トゥガン=ソヒエフ
NHK交響楽団は、諏訪内晶子をソリストに、トゥガン=ソヒエフを指揮者に迎えて、2013年11月20日・21日に東京-サントリーホールで、第1768回定期演奏会を開催した。同じプログラムで11月23日に足利市民会館(栃木県)、24日に横浜みなとみらいホールで演奏会を行った。この評は、最終日11月24日横浜みなとみらいホールでの公演に対してのものである。
諏訪内晶子は1972年生まれの、言うまでもなく、少なくとも日本ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。あまりに有名であり、説明の必要はなかろう。
指揮のトゥガン=ソヒエフは、当時のソヴィエト社会主義共和国連邦、北オセチア自治共和国生まれ。現在は、トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団、ベルリン-ドイツ交響楽団の首席指揮者である。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→(までは覚えていたが、チェロとヴィオラの配置は忘れた。多分、ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラだったかと)のモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側である。弦楽奏者は、第五プルトであっても雛壇を使わない。ロシア人指揮者ならではのやり方であろうか。
着席位置は正面中央上手側、観客の入りは八割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であったが、私の隣席で曲の途中でパンフレットを弄んでいたのが気になった。
第一曲の「魔法をかけられた湖」、最初からとてもN響とは思えない精緻な音で、観客の心を掴む。表面の皮膚以外は、ベルリンフィルの奏者の組織を移植しているのではないかと思えてしまうほど、信じられない程の精緻さで、準=メルクルですらこのような音は引き出せていない。静寂な湖のほとりに一人で佇みながら、何かが起こりそうな不安をも感じさせるような、不思議な演奏である。
第二曲のショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番は、とても優れた演奏である。諏訪内晶子はリズムの刻みも、朗々と流れるような響きも、キッチリと演奏し、技巧的要素の強い現代曲が強い彼女ならではの完成度の高い演奏である。管弦楽の音に乗っかり、この曲に対してはとても適切な協調的なアプローチで寄り添いつつも、管弦楽を一歩上回る響きで伝わってくる。二重奏的な掛けあいはコントラバスともホルンとも決まりまくっているが、特にホルンとの二重奏は、ホルン-ソロの卓越した演奏とも相まって強い感銘を受ける。曲想上ソリストの自由は制限される性格が強い曲であるが、終了直前のカデンツァは唯一ソリストの自由度が高い部分であり、そこではテンポを自由に揺るがせるが自然なものであり、絶品である。
諏訪内晶子の新しいレパートリーの披露は成功裏に終える。管弦楽の精緻な響きはさらにパワーアップされ、プロコフィエルの「古典」交響曲を演奏しているかのような新古典主義を思わせるような響きとまでなり、さらにテンションを高める演奏である。
休憩後、第三曲目のチャイコフスキー第五交響曲は、盛り上がって当然の曲であるし、事実盛り上がっているし、ソヒエフも小技を利かしていて良い演奏ではあるが、まあ普通に良い演奏と言うところであろうか。私にとってはなんと言うか、何と無く中途半端な感じである。クラリネット・ファゴットの自己主張が私にとっては弱いし、最終楽章コーダでトランペットの音程が乱れたようにも思えたし、どこか白熱戦に今ひとつなりきれてなくて、一方で響きは前半ほどの精緻さが消えている。いつものN響に戻ったのであろうか。昨日のドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの鮮烈な演奏を聴いたばかりであり、N響にとっては酷な環境ではあったのだろうけど。
と言う訳で、九か月振りに諏訪内晶子の演奏を聴けて、かつ諏訪内晶子とソヒエフの意図を緻密に表現しきったN響に感銘を受けた演奏会だったと、総括しておこう。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
アナトーリ=リャードフ 交響詩「魔法をかけられた湖」 op.62
ドミートリイ=ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.129
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第5番 op.64
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:トゥガン=ソヒエフ
NHK交響楽団は、諏訪内晶子をソリストに、トゥガン=ソヒエフを指揮者に迎えて、2013年11月20日・21日に東京-サントリーホールで、第1768回定期演奏会を開催した。同じプログラムで11月23日に足利市民会館(栃木県)、24日に横浜みなとみらいホールで演奏会を行った。この評は、最終日11月24日横浜みなとみらいホールでの公演に対してのものである。
諏訪内晶子は1972年生まれの、言うまでもなく、少なくとも日本ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。あまりに有名であり、説明の必要はなかろう。
指揮のトゥガン=ソヒエフは、当時のソヴィエト社会主義共和国連邦、北オセチア自治共和国生まれ。現在は、トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団、ベルリン-ドイツ交響楽団の首席指揮者である。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→(までは覚えていたが、チェロとヴィオラの配置は忘れた。多分、ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラだったかと)のモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側である。弦楽奏者は、第五プルトであっても雛壇を使わない。ロシア人指揮者ならではのやり方であろうか。
着席位置は正面中央上手側、観客の入りは八割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であったが、私の隣席で曲の途中でパンフレットを弄んでいたのが気になった。
第一曲の「魔法をかけられた湖」、最初からとてもN響とは思えない精緻な音で、観客の心を掴む。表面の皮膚以外は、ベルリンフィルの奏者の組織を移植しているのではないかと思えてしまうほど、信じられない程の精緻さで、準=メルクルですらこのような音は引き出せていない。静寂な湖のほとりに一人で佇みながら、何かが起こりそうな不安をも感じさせるような、不思議な演奏である。
第二曲のショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番は、とても優れた演奏である。諏訪内晶子はリズムの刻みも、朗々と流れるような響きも、キッチリと演奏し、技巧的要素の強い現代曲が強い彼女ならではの完成度の高い演奏である。管弦楽の音に乗っかり、この曲に対してはとても適切な協調的なアプローチで寄り添いつつも、管弦楽を一歩上回る響きで伝わってくる。二重奏的な掛けあいはコントラバスともホルンとも決まりまくっているが、特にホルンとの二重奏は、ホルン-ソロの卓越した演奏とも相まって強い感銘を受ける。曲想上ソリストの自由は制限される性格が強い曲であるが、終了直前のカデンツァは唯一ソリストの自由度が高い部分であり、そこではテンポを自由に揺るがせるが自然なものであり、絶品である。
諏訪内晶子の新しいレパートリーの披露は成功裏に終える。管弦楽の精緻な響きはさらにパワーアップされ、プロコフィエルの「古典」交響曲を演奏しているかのような新古典主義を思わせるような響きとまでなり、さらにテンションを高める演奏である。
休憩後、第三曲目のチャイコフスキー第五交響曲は、盛り上がって当然の曲であるし、事実盛り上がっているし、ソヒエフも小技を利かしていて良い演奏ではあるが、まあ普通に良い演奏と言うところであろうか。私にとってはなんと言うか、何と無く中途半端な感じである。クラリネット・ファゴットの自己主張が私にとっては弱いし、最終楽章コーダでトランペットの音程が乱れたようにも思えたし、どこか白熱戦に今ひとつなりきれてなくて、一方で響きは前半ほどの精緻さが消えている。いつものN響に戻ったのであろうか。昨日のドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの鮮烈な演奏を聴いたばかりであり、N響にとっては酷な環境ではあったのだろうけど。
と言う訳で、九か月振りに諏訪内晶子の演奏を聴けて、かつ諏訪内晶子とソヒエフの意図を緻密に表現しきったN響に感銘を受けた演奏会だったと、総括しておこう。
2013年2月16日土曜日
諏訪内晶子・ピーテル=ヴィスペルウェイ・江口玲 演奏会評
2013年2月16日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
ヨハネス=ブラームス ピアノ-トリオ第1番 op.8
(休憩)
モーリス-ラヴェル ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ ピアノ-トリオ第1番 op.49
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ヴァイオリン-チェロ:ピーテル=ヴィスペルウェイ
ピアノ:江口玲
私の席:真ん中より上手側。
「国際音楽祭NIPPON」は諏訪内晶子を芸術監督としており、今年は横浜で3公演、仙台で1公演、開催される。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」初年第三回目の演奏会となる。ヴァイオリン-チェロのピーテル=ヴィスペルウェイはネーデルラント王国ハールレム生まれの50歳、ピアノ奏者である江口玲も同じく50歳になったばかりで、諏訪内より九歳年上の世代となる。
全体的に完成度の高い演奏であり、どこで誰を際立たせるか、よく配慮された演奏会である。奇を衒う解釈はなく、自然な流れの演奏である。江口玲のピアノは控えめであるが、そのようなピアノでも表に出てくる場合は、他の二つの弦楽器が巧くサポートしている。
ブラームスは地味な曲ではあるが、フーガ、ユニゾンがきれいに決まっていて、この曲の魅力を引き出している。
最も面白い演奏はラヴェルである。ピアノを配慮する必要がないせいか、ヴァイオリンとチェロのデュオがパッションを剥き出しにしている。他の二曲が、様々な制約の下どのように弾いていくかをよく考えている演奏であるのに対し、そのような制約がないのか、より自由に躍動しているかのような演奏だ。巨大なみなとみらいホールにいるとは思えない程の力強い響きをも実現させていた。
なお、この演奏会はNHK BSプレミアムで日本時間2013年3月27日朝6時から放送された。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
ヨハネス=ブラームス ピアノ-トリオ第1番 op.8
(休憩)
モーリス-ラヴェル ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ ピアノ-トリオ第1番 op.49
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ヴァイオリン-チェロ:ピーテル=ヴィスペルウェイ
ピアノ:江口玲
私の席:真ん中より上手側。
「国際音楽祭NIPPON」は諏訪内晶子を芸術監督としており、今年は横浜で3公演、仙台で1公演、開催される。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」初年第三回目の演奏会となる。ヴァイオリン-チェロのピーテル=ヴィスペルウェイはネーデルラント王国ハールレム生まれの50歳、ピアノ奏者である江口玲も同じく50歳になったばかりで、諏訪内より九歳年上の世代となる。
全体的に完成度の高い演奏であり、どこで誰を際立たせるか、よく配慮された演奏会である。奇を衒う解釈はなく、自然な流れの演奏である。江口玲のピアノは控えめであるが、そのようなピアノでも表に出てくる場合は、他の二つの弦楽器が巧くサポートしている。
ブラームスは地味な曲ではあるが、フーガ、ユニゾンがきれいに決まっていて、この曲の魅力を引き出している。
最も面白い演奏はラヴェルである。ピアノを配慮する必要がないせいか、ヴァイオリンとチェロのデュオがパッションを剥き出しにしている。他の二曲が、様々な制約の下どのように弾いていくかをよく考えている演奏であるのに対し、そのような制約がないのか、より自由に躍動しているかのような演奏だ。巨大なみなとみらいホールにいるとは思えない程の力強い響きをも実現させていた。
なお、この演奏会はNHK BSプレミアムで日本時間2013年3月27日朝6時から放送された。
2013年2月9日土曜日
フィルハーモニア管弦楽団 横浜公演 演奏会評
2013年2月9日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 劇付随音楽「シュテファン王」 op.117より 序曲
ジャン=シベリウス ヴァイオリン協奏曲op.47
(休憩)
ジャン=シベリウス 交響詩「ポホヨラの娘」 op.49
エサ-ペッカ=サロネン ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ-ペッカ=サロネン
フィルハーモニア管弦楽団は、2013年2月に来日公演を行い、この演奏会は8公演あるうちの7番目の演奏会である。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」の一環としてでも開催される。この音楽祭の芸術監督である諏訪内晶子は、ヴァイオリンのソリストとして二つの協奏曲に出演する。「国際音楽祭NIPPON」初年第二回目の演奏会であり、今年唯一の大管弦楽を伴う演奏会でもある。二曲目のヴァイオリン協奏曲は、エサ-ペッカ=サロネンの自作自演であり、日本における初演である。演奏順について、当初発表の予定から休憩前と後の曲目を入れ替えたものとなる。
管弦楽は左右対向配置ではなく、舞台下手側より第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロと、高弦から低弦に向け順番に下がる配置である。コントラバスはチェロの後ろ、舞台上手側に位置する。
当日の私の席は、ほぼ真ん中である。
第一曲目は「シュテファン王」である。フィルハーモニア管は予想以上にとても上手だ。木管のソロの部分も力強い響きを難なくこなしてしまう安心感がある。
第二曲目は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲である。諏訪内晶子のヴァイオリンは、鋭さはやや封印して、ディテールを重視した、ややゆっくり目な演奏である。朗々と流れる響きを主眼にしているのだろう。テンポを一気に変化させる個所は、かなり絞った印象だ。管弦楽との関係は対抗的と言うよりは、むしろ協調的で一緒に音楽を作り上げていく方向性か。ナイフのような切れ味の鋭さや、崩壊寸前のスリリングな展開を求める向きには、やや物足りなさが残るかもしれないが、これはこれで良い。
フィルハーモニア管は、背景になるべきところと前面に出るところとのメリハリがはっきりして見事な演奏だ。ヴァイオリン-ソロが前面に出る部分は、諏訪内晶子のヴァイオリンが引き立つよう精密に音量を調節しており、一方で管弦楽が前面に出るところでは、みなとみらいホールの響きを味方につけながら全開のパワーで観客に迫ってくる。エサ-ペッカ=サロネンの的確な指示があったのか、フィルハーモニア管弦楽団員の職人的な自発性によるものなのか、おそらくその両方によるものだと思うが、協奏曲に対して理想的なアプローチの一つである。
休憩後の第三曲目は「ポホヨラの娘」、弦も木管も金管もパーカッションもとても上手で、完成度の高い惚れ惚れとする演奏である。
第四曲目の、エサ=ペッカ=サロネン自作自演のヴァイオリン協奏曲は、40分はあるのではないかと感じさせる、思った以上の大作である。当日プログラムを変更したのは、やはり当たりである。スタンダードの曲目であるシベリウスとは違い、諏訪内晶子にも譜面が用意される。
この曲は、ソロでの技巧的な部分が多く、多大なプレッシャーをヴァイオリン-ソロに与える曲かとは思うが、諏訪内晶子は、特に弱奏部こその緊迫感を要する部分が素晴らしい。ちょっとした不協和音をソロで弱めに奏でる部分は、浅田真央がトリプルアクセルを飛ぶどころではない、静かではあるが張り詰めたスリルを感じるが、諏訪内晶子は見事に決めていく。彼女の弱奏部は、どういう訳か弱くない。芯があるというか、凛としたものがあるというか、いずれも嘘ではないのだが、朗々としている響きでありながら冷たいナイフを首筋に当てられている時のような心拍の鼓動を覚える、そんな瞬間を味わえる演奏である。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 劇付随音楽「シュテファン王」 op.117より 序曲
ジャン=シベリウス ヴァイオリン協奏曲op.47
(休憩)
ジャン=シベリウス 交響詩「ポホヨラの娘」 op.49
エサ-ペッカ=サロネン ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ-ペッカ=サロネン
フィルハーモニア管弦楽団は、2013年2月に来日公演を行い、この演奏会は8公演あるうちの7番目の演奏会である。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」の一環としてでも開催される。この音楽祭の芸術監督である諏訪内晶子は、ヴァイオリンのソリストとして二つの協奏曲に出演する。「国際音楽祭NIPPON」初年第二回目の演奏会であり、今年唯一の大管弦楽を伴う演奏会でもある。二曲目のヴァイオリン協奏曲は、エサ-ペッカ=サロネンの自作自演であり、日本における初演である。演奏順について、当初発表の予定から休憩前と後の曲目を入れ替えたものとなる。
管弦楽は左右対向配置ではなく、舞台下手側より第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロと、高弦から低弦に向け順番に下がる配置である。コントラバスはチェロの後ろ、舞台上手側に位置する。
当日の私の席は、ほぼ真ん中である。
第一曲目は「シュテファン王」である。フィルハーモニア管は予想以上にとても上手だ。木管のソロの部分も力強い響きを難なくこなしてしまう安心感がある。
第二曲目は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲である。諏訪内晶子のヴァイオリンは、鋭さはやや封印して、ディテールを重視した、ややゆっくり目な演奏である。朗々と流れる響きを主眼にしているのだろう。テンポを一気に変化させる個所は、かなり絞った印象だ。管弦楽との関係は対抗的と言うよりは、むしろ協調的で一緒に音楽を作り上げていく方向性か。ナイフのような切れ味の鋭さや、崩壊寸前のスリリングな展開を求める向きには、やや物足りなさが残るかもしれないが、これはこれで良い。
フィルハーモニア管は、背景になるべきところと前面に出るところとのメリハリがはっきりして見事な演奏だ。ヴァイオリン-ソロが前面に出る部分は、諏訪内晶子のヴァイオリンが引き立つよう精密に音量を調節しており、一方で管弦楽が前面に出るところでは、みなとみらいホールの響きを味方につけながら全開のパワーで観客に迫ってくる。エサ-ペッカ=サロネンの的確な指示があったのか、フィルハーモニア管弦楽団員の職人的な自発性によるものなのか、おそらくその両方によるものだと思うが、協奏曲に対して理想的なアプローチの一つである。
休憩後の第三曲目は「ポホヨラの娘」、弦も木管も金管もパーカッションもとても上手で、完成度の高い惚れ惚れとする演奏である。
第四曲目の、エサ=ペッカ=サロネン自作自演のヴァイオリン協奏曲は、40分はあるのではないかと感じさせる、思った以上の大作である。当日プログラムを変更したのは、やはり当たりである。スタンダードの曲目であるシベリウスとは違い、諏訪内晶子にも譜面が用意される。
この曲は、ソロでの技巧的な部分が多く、多大なプレッシャーをヴァイオリン-ソロに与える曲かとは思うが、諏訪内晶子は、特に弱奏部こその緊迫感を要する部分が素晴らしい。ちょっとした不協和音をソロで弱めに奏でる部分は、浅田真央がトリプルアクセルを飛ぶどころではない、静かではあるが張り詰めたスリルを感じるが、諏訪内晶子は見事に決めていく。彼女の弱奏部は、どういう訳か弱くない。芯があるというか、凛としたものがあるというか、いずれも嘘ではないのだが、朗々としている響きでありながら冷たいナイフを首筋に当てられている時のような心拍の鼓動を覚える、そんな瞬間を味わえる演奏である。
講演記録 「エサ-ペッカ=サロネン 自作を語る」
2013年2月9日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ-ペッカ=サロネン
フィルハーモニア管弦楽団横浜公演が2013年2月9日に開催されたが、その前にプレトークやらプレシンポジウムやら公開総稽古が実施された。
この公演自体が、「国際音楽祭NIPPON」の一環であり、この音楽祭の芸術監督である諏訪内晶子の強い意向があって開催されたものであろう。「現代音楽」をもっと大衆に広めたいとの意志が、諏訪内晶子の中にあることは間違いない。この公演で諏訪内晶子は、協奏曲のソロを二曲もやり、その内の一曲がエサ-ペッカ=サロネン作曲の「現代音楽」だ。極めてハードなプログラムであり、余程の意向がなければ、このような「無謀」なプログラムは組まないだろう。
この企画は、三部に分けて構成される。
第一部:エサ-ペッカ=サロネンによる単独の講演で、彼自身の「現代音楽」に対する見解及び、自作のヴァイオリン協奏曲の解説。
第二部:同じく現代音楽の作曲家である西村朗と、エサ-ペッカ=サロネンとの対談形式のシンポジウム
第三部:公開総稽古
以下、あくまで私の記憶の範囲であり、内容の正しさについては保証しない。誤った部分があれば指摘していただければ幸いである。
第一部.まずは、エサ-ペッカ=サロネンによる「現代音楽」に対する見解を述べる。作曲家の誰もが持つ願い・・・、自作が「永遠の音楽」になる願いを実現するために、これまで様々な作曲家が努力してきた。「現代音楽」家たちも「永遠の音楽」を実現させるため、「規則的なもの」「普遍的原理」があるのではないかと追及して来た。しかしながらその追求は「現代音楽」の要素以外の存在が否定され、その抑圧はスターリン時代に於けるソヴィエト連邦の音楽と本質的な性質は同じものであった。当然、「現代音楽」は行き詰った。「永遠の音楽」を実現させるための「規則的なもの」「普遍的原理」など存在しない。「永遠の音楽」を実現させるために必要なものは、「努力、努力、ひたすら努力あるのみ」とのこと。
その後、自作のヴァイオリン協奏曲についての解説となる。諏訪内晶子が登場し、あたかも映画の予告編のように、ヴァイオリン-ソロを弾いては、エサ-ペッカ=サロネンが解説するパターン。あまり語り過ぎない内容で、予習としては良い内容である。
第二部は、西村朗による基調講演っぽいちょっと長い独演から始まる。西村朗、話が巧いよなあ。作曲家だけでなく、講談師にもなれるし、大学教授にも即なれそうだ。話の掴みは、「永遠の音楽」を実現させるために、自身が作曲する前にまず「私は天才である」と唱えるとのこと。私が会場中で一番笑い過ぎていたかも知れない♪もちろん冗談だと思うけどね。ホントだったら、怖いと同時に面白過ぎだけど♪
で、西村朗の基調講演の内容は、以下のとおりである。「現代音楽」は破壊から始まった。ドイツのダルムシュタットを拠点として、まずはナチスドイツ=ドイツロマン派を破壊する活動を開始する。米国からの裏資金が出ていたとの噂もあり♪でもすぐ行き詰りを迎え、今度は「後退」を開始する。その「後退」は、これまでの足跡を踏まない、そのままの逆戻りするわけではない「後退」があり、現在に至る。一方で米国では「偶然性」を追求した結果、ピアノの蓋を開け閉めするだけの「4分33秒」にまで至る。
この後、エサ-ペッカ=サロネンとの対話の展開がある。「現代音楽」、どうせ一回演奏したくらいで観客が全部覚えられるはずがないから、観客を「引っかける」要素は必要だよね、などと、西村朗が発言しただなんて、そんな秘密はバラさないでおいてあげよう♪
シンポジウムでは、ピリオド派について下記の議論がなされていた。現在は音楽のフィールドが広がっている。世界中のいろんな地域から音楽が流通している。18世紀とは時代背景は全く違う。いまの人はマドンナを知っている。そのような中で、ピリオド楽器を用いたり、カツラを被って当時の格好を着用して、18世紀の音楽を単純に再現する意味はないとのこと。同じ理由で、アルフレット=ブレンデルが、ピリオド楽器ではなくモダン楽器を用いて演奏すると。
以下は私の意見である。なるほどね、エサ-ペッカ=サロネンは反ピリオド派ではないのだろうけど、非ピリオド派なのね。だから、ヴァイオリンパートの左右対向配置はやらないのだよね。ピリオド楽器を用いる事の意味は、私はあると思うけど。しかし、単純にピリオド楽器を用いるだけでは演奏する意味は全くない。ピリオド楽器であろうと、その演奏にパッションを込め、かつ適切な様式に沿って発露させなければならないのは、モダン楽器を用いる時と同じ。そうでなければ、ピリオド楽器による演奏を現代に甦らせることはできないし。
第三部は公開総稽古。まずは、諏訪内晶子付きで約1時間強。
この日私はホテルで眠れず、睡眠不足だったため、本番で覚醒させるために、故意に意識レベルを低下させていた。聴き過ぎるのも良くないので、寝ぼけながら聴いて置くのはその意味ではいいだろう。本番でなくてあくまで稽古、真面目に聴く必要はない。
やはり、エサ-ペッカ=サロネンのヴァイオリン協奏曲をメインに時間を取っている。第一楽章は通しで演奏しただけで、サロネンは満足の意を表明。他の楽章でちょこっと指示を出して細切れに演奏をしている。18列目辺りに座っているフィルハーモニア管の職員らしき者とサロネンとが会話しているのは、響きの確認であろうか。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、二楽章と三楽章をさらっとおさらいしただけである。響きのバランスは、この時点で精密に取れている。既に他会場で演奏済みだからかな。
休憩後、諏訪内晶子抜きで管弦楽のみの総稽古を20分くらい。ほとんど修正点はなく、思い出し稽古のようなものか。
本番については、別稿を参照してほしい。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ-ペッカ=サロネン
フィルハーモニア管弦楽団横浜公演が2013年2月9日に開催されたが、その前にプレトークやらプレシンポジウムやら公開総稽古が実施された。
この公演自体が、「国際音楽祭NIPPON」の一環であり、この音楽祭の芸術監督である諏訪内晶子の強い意向があって開催されたものであろう。「現代音楽」をもっと大衆に広めたいとの意志が、諏訪内晶子の中にあることは間違いない。この公演で諏訪内晶子は、協奏曲のソロを二曲もやり、その内の一曲がエサ-ペッカ=サロネン作曲の「現代音楽」だ。極めてハードなプログラムであり、余程の意向がなければ、このような「無謀」なプログラムは組まないだろう。
この企画は、三部に分けて構成される。
第一部:エサ-ペッカ=サロネンによる単独の講演で、彼自身の「現代音楽」に対する見解及び、自作のヴァイオリン協奏曲の解説。
第二部:同じく現代音楽の作曲家である西村朗と、エサ-ペッカ=サロネンとの対談形式のシンポジウム
第三部:公開総稽古
以下、あくまで私の記憶の範囲であり、内容の正しさについては保証しない。誤った部分があれば指摘していただければ幸いである。
第一部.まずは、エサ-ペッカ=サロネンによる「現代音楽」に対する見解を述べる。作曲家の誰もが持つ願い・・・、自作が「永遠の音楽」になる願いを実現するために、これまで様々な作曲家が努力してきた。「現代音楽」家たちも「永遠の音楽」を実現させるため、「規則的なもの」「普遍的原理」があるのではないかと追及して来た。しかしながらその追求は「現代音楽」の要素以外の存在が否定され、その抑圧はスターリン時代に於けるソヴィエト連邦の音楽と本質的な性質は同じものであった。当然、「現代音楽」は行き詰った。「永遠の音楽」を実現させるための「規則的なもの」「普遍的原理」など存在しない。「永遠の音楽」を実現させるために必要なものは、「努力、努力、ひたすら努力あるのみ」とのこと。
その後、自作のヴァイオリン協奏曲についての解説となる。諏訪内晶子が登場し、あたかも映画の予告編のように、ヴァイオリン-ソロを弾いては、エサ-ペッカ=サロネンが解説するパターン。あまり語り過ぎない内容で、予習としては良い内容である。
第二部は、西村朗による基調講演っぽいちょっと長い独演から始まる。西村朗、話が巧いよなあ。作曲家だけでなく、講談師にもなれるし、大学教授にも即なれそうだ。話の掴みは、「永遠の音楽」を実現させるために、自身が作曲する前にまず「私は天才である」と唱えるとのこと。私が会場中で一番笑い過ぎていたかも知れない♪もちろん冗談だと思うけどね。ホントだったら、怖いと同時に面白過ぎだけど♪
で、西村朗の基調講演の内容は、以下のとおりである。「現代音楽」は破壊から始まった。ドイツのダルムシュタットを拠点として、まずはナチスドイツ=ドイツロマン派を破壊する活動を開始する。米国からの裏資金が出ていたとの噂もあり♪でもすぐ行き詰りを迎え、今度は「後退」を開始する。その「後退」は、これまでの足跡を踏まない、そのままの逆戻りするわけではない「後退」があり、現在に至る。一方で米国では「偶然性」を追求した結果、ピアノの蓋を開け閉めするだけの「4分33秒」にまで至る。
この後、エサ-ペッカ=サロネンとの対話の展開がある。「現代音楽」、どうせ一回演奏したくらいで観客が全部覚えられるはずがないから、観客を「引っかける」要素は必要だよね、などと、西村朗が発言しただなんて、そんな秘密はバラさないでおいてあげよう♪
シンポジウムでは、ピリオド派について下記の議論がなされていた。現在は音楽のフィールドが広がっている。世界中のいろんな地域から音楽が流通している。18世紀とは時代背景は全く違う。いまの人はマドンナを知っている。そのような中で、ピリオド楽器を用いたり、カツラを被って当時の格好を着用して、18世紀の音楽を単純に再現する意味はないとのこと。同じ理由で、アルフレット=ブレンデルが、ピリオド楽器ではなくモダン楽器を用いて演奏すると。
以下は私の意見である。なるほどね、エサ-ペッカ=サロネンは反ピリオド派ではないのだろうけど、非ピリオド派なのね。だから、ヴァイオリンパートの左右対向配置はやらないのだよね。ピリオド楽器を用いる事の意味は、私はあると思うけど。しかし、単純にピリオド楽器を用いるだけでは演奏する意味は全くない。ピリオド楽器であろうと、その演奏にパッションを込め、かつ適切な様式に沿って発露させなければならないのは、モダン楽器を用いる時と同じ。そうでなければ、ピリオド楽器による演奏を現代に甦らせることはできないし。
第三部は公開総稽古。まずは、諏訪内晶子付きで約1時間強。
この日私はホテルで眠れず、睡眠不足だったため、本番で覚醒させるために、故意に意識レベルを低下させていた。聴き過ぎるのも良くないので、寝ぼけながら聴いて置くのはその意味ではいいだろう。本番でなくてあくまで稽古、真面目に聴く必要はない。
やはり、エサ-ペッカ=サロネンのヴァイオリン協奏曲をメインに時間を取っている。第一楽章は通しで演奏しただけで、サロネンは満足の意を表明。他の楽章でちょこっと指示を出して細切れに演奏をしている。18列目辺りに座っているフィルハーモニア管の職員らしき者とサロネンとが会話しているのは、響きの確認であろうか。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、二楽章と三楽章をさらっとおさらいしただけである。響きのバランスは、この時点で精密に取れている。既に他会場で演奏済みだからかな。
休憩後、諏訪内晶子抜きで管弦楽のみの総稽古を20分くらい。ほとんど修正点はなく、思い出し稽古のようなものか。
本番については、別稿を参照してほしい。
2013年2月2日土曜日
諏訪内晶子・レイフ=オヴェ=アンスネス 演奏会評
2013年2月2日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
フランツ=シューベルト ソナチネ第1番 D.384
バルトーク=ベーラ ヴァイオリン-ソナタ第2番 Sz.76
(休憩)
アントン=ヴェーベルン:ヴァイオリン&ピアノのための4つの小品 op.7
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ヴァイオリン-ソナタ第9番「クロイツェル」 op.47
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ピアノ:レイフ=オヴェ=アンスネス
「国際音楽祭NIPPON」は諏訪内晶子を芸術監督としており、今年は横浜で3公演、仙台で1公演、開催される。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」初年初回の演奏会となる。ピアノ奏者であるアンスネスはノルゲ(ノルウェー)出身で1970年生まれ、1972年生まれの諏訪内より若干年上である。
第一曲目のシューベルトは、諏訪内晶子らしい朗々とした響きが限られており、この演奏会の行方を心配させる程である。
しかしながら、第二曲目のバルトークでその懸念は一掃され、会場の雰囲気は一変する。第三曲目のヴェーベルン、第四曲目のベートーフェンに於いても同じように準備は入念になされている。
2020名収容する巨大なホールであり、室内楽を演奏するに当たってどのような響きになるか不透明な部分があった。ヒラリー=ハーンのヴァイオリンは明らかに音量不足であったし(2012年6月2日演奏会評参照)、神尾真由子では確実にアウトである。しかしながら、何年か前に長野県松本文化会館での演奏会にて、ゲルギエフもロンドン交響楽団も無気力演奏をしていた中で、たった一人だけ気迫を込めた演奏を諏訪内晶子がしていたのを知っている私としては、多分大丈夫だろうとは思っていた。
やはり、みなとみらいホールが大き過ぎるとは感じられる所は部分部分にはある。600~800名規模の小さめなホールであれば、あらゆる音量に対しても、もっと的確な響きにコントロールする事が可能であるとは確実に言える。松本市音楽文化ホールや軽井沢大賀ホール・水戸芸術館が演奏会場であれば、完璧を期する事ができると感じられる部分はある。
しかしながら、強奏部と、逆に最弱奏部に於いては、みなとみらいホールを味方につける事に成功している。バルトークでは、ロマ音楽の影響を強く受けたのだろうなという部分が実感できるとともにパッションが十二分に込められた素晴らしい演奏である。
休憩後のヴェーベルンは、全曲で10分満たない小品であるが精密で丁寧な演奏である。
ベートーフェンもヴァイオリンが表に出てくるところ、ピアノが表に出てくるところ、二人で親密に合わせて演奏するところでどのように処理するか明確な演奏である。諏訪内晶子はヴァイオリンを朗々と響かせて観客の心を掴んでいくが、ピアノのアンスネスもピアノが表になるところでちょっとテンポと音量をひねって新鮮な印象を残していく。長く緩やかなアッチェレランド掛けて、いつの間にかテンポが速くなっていたり、ちょっと長めにゼネラルパウゼを掛けてテンポを遅く再設定したりするが、全く不自然なところがない。ベートーフェンの曲に新たな生命を吹き込みながらも、完成度を高く保った立派な演奏である。
アンコールは、ヤナーチェクのヴァイオリン-ソナタ、第2楽章であった。
写真(編注:facebookに掲載。このブログでは写真の掲載はしない方針です)は、「国際音楽祭NIPPON」のチラシの中にある、諏訪内晶子芸術監督によるご挨拶(的な文)。天下のトヨタ自動車を味方につけるとは、諏訪内晶子、偉くなったなあ♪ウェブサイト見ると、来年は名古屋でもやるみたい。そりゃ、トヨタ自動車がスポンサーでは、名古屋開催は不可避だな。それにしても第一回目の主会場を横浜としたのは、横浜駅前に本社を置く某自動車会社への宣戦布告??まあ、私としては「音楽祭」云々はどうでも良くて、どんな形態であれ良い演奏が聴ければいいし、トヨタ車を買うこともないかと思いますが、このような機会を設けるのに重要な役割を果たしてくれましたトヨタ自動車様には、ただただ感謝申し上げる次第であります♪♪
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
フランツ=シューベルト ソナチネ第1番 D.384
バルトーク=ベーラ ヴァイオリン-ソナタ第2番 Sz.76
(休憩)
アントン=ヴェーベルン:ヴァイオリン&ピアノのための4つの小品 op.7
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ヴァイオリン-ソナタ第9番「クロイツェル」 op.47
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ピアノ:レイフ=オヴェ=アンスネス
「国際音楽祭NIPPON」は諏訪内晶子を芸術監督としており、今年は横浜で3公演、仙台で1公演、開催される。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」初年初回の演奏会となる。ピアノ奏者であるアンスネスはノルゲ(ノルウェー)出身で1970年生まれ、1972年生まれの諏訪内より若干年上である。
第一曲目のシューベルトは、諏訪内晶子らしい朗々とした響きが限られており、この演奏会の行方を心配させる程である。
しかしながら、第二曲目のバルトークでその懸念は一掃され、会場の雰囲気は一変する。第三曲目のヴェーベルン、第四曲目のベートーフェンに於いても同じように準備は入念になされている。
2020名収容する巨大なホールであり、室内楽を演奏するに当たってどのような響きになるか不透明な部分があった。ヒラリー=ハーンのヴァイオリンは明らかに音量不足であったし(2012年6月2日演奏会評参照)、神尾真由子では確実にアウトである。しかしながら、何年か前に長野県松本文化会館での演奏会にて、ゲルギエフもロンドン交響楽団も無気力演奏をしていた中で、たった一人だけ気迫を込めた演奏を諏訪内晶子がしていたのを知っている私としては、多分大丈夫だろうとは思っていた。
やはり、みなとみらいホールが大き過ぎるとは感じられる所は部分部分にはある。600~800名規模の小さめなホールであれば、あらゆる音量に対しても、もっと的確な響きにコントロールする事が可能であるとは確実に言える。松本市音楽文化ホールや軽井沢大賀ホール・水戸芸術館が演奏会場であれば、完璧を期する事ができると感じられる部分はある。
しかしながら、強奏部と、逆に最弱奏部に於いては、みなとみらいホールを味方につける事に成功している。バルトークでは、ロマ音楽の影響を強く受けたのだろうなという部分が実感できるとともにパッションが十二分に込められた素晴らしい演奏である。
休憩後のヴェーベルンは、全曲で10分満たない小品であるが精密で丁寧な演奏である。
ベートーフェンもヴァイオリンが表に出てくるところ、ピアノが表に出てくるところ、二人で親密に合わせて演奏するところでどのように処理するか明確な演奏である。諏訪内晶子はヴァイオリンを朗々と響かせて観客の心を掴んでいくが、ピアノのアンスネスもピアノが表になるところでちょっとテンポと音量をひねって新鮮な印象を残していく。長く緩やかなアッチェレランド掛けて、いつの間にかテンポが速くなっていたり、ちょっと長めにゼネラルパウゼを掛けてテンポを遅く再設定したりするが、全く不自然なところがない。ベートーフェンの曲に新たな生命を吹き込みながらも、完成度を高く保った立派な演奏である。
アンコールは、ヤナーチェクのヴァイオリン-ソナタ、第2楽章であった。
写真(編注:facebookに掲載。このブログでは写真の掲載はしない方針です)は、「国際音楽祭NIPPON」のチラシの中にある、諏訪内晶子芸術監督によるご挨拶(的な文)。天下のトヨタ自動車を味方につけるとは、諏訪内晶子、偉くなったなあ♪ウェブサイト見ると、来年は名古屋でもやるみたい。そりゃ、トヨタ自動車がスポンサーでは、名古屋開催は不可避だな。それにしても第一回目の主会場を横浜としたのは、横浜駅前に本社を置く某自動車会社への宣戦布告??まあ、私としては「音楽祭」云々はどうでも良くて、どんな形態であれ良い演奏が聴ければいいし、トヨタ車を買うこともないかと思いますが、このような機会を設けるのに重要な役割を果たしてくれましたトヨタ自動車様には、ただただ感謝申し上げる次第であります♪♪
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