2016年10月30日日曜日

新国立劇場バレエ団「ロメオとジュリエッタ」2016年10月29/30日公演 感想

新国立劇場バレエ団は「ロメオとジュリエッタ」にて2016/17シーズンの開幕を迎えました。29日は小野絢子さん、30日の本日は米沢唯ちゃんの主演です。両方とも素晴らしい舞台です。

ジュリエッタ役の他、卑劣漢ティボルト役も、菅野英男さん、中家正博さんともに素晴らしいです。ティボルトのやっていることは卑劣漢だけど、死の間際に見せる執念には感情を揺さぶられます。その直後の、キュピレット夫人役の本島美和さんの怒りと慟哭の場面も同様です。

あきらにゃんが贔屓にしている米沢唯ちゃんについては、まずはイタズラ好きな少女を伸びやかな踊りを伴いながら演じて観客を魅了させ、第一幕のバルコニーの場や、第三幕のパリスと脱け殻の状態で踊る箇所(能面のような表情で感情の空白を表現していた)で、涙腺が緩みました。ワディム=ムンタギロフさんとのコンビも盤石です。何気ない場面でも、抜群の技術がなければ崩れる繊細な役だと思いますが、その点もさすがです。主に祈った後での決意の場面も、心を動かされます。

「ロメオとジュリエッタ」は、バレエ作品の中では数少ない、気軽な気持ちで観れない演目です。各幕毎に死人が出て、合計11名が殺され、自死します。観客側にもしっかりした気持ちの強さを求められますが、それでも観に行って良かったと心から思える作品です。

あと、11月2日〜5日まで一公演ずつ、計四公演上演されます。2・4日は小野絢子さん、3・5日は米沢唯ちゃんの主演日です。両キャストが理想ですが、どちらか片方でも観劇されることを強くお勧めします。私は3・5日と、あと二公演観劇します。これ程の幸せな体験は、そうそうありません。

2016年10月22日土曜日

国立劇場 歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」第一部 感想

今日は、国立劇場にて歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の第一部を観劇しました。国立劇場開場50周年記念事業の目玉として、三部に分けて「仮名手本忠臣蔵」を上演する企画の、第一弾となります。10月公演では四段目まで、大雑把に言えば、塩冶判官が切腹するまでの場面となります。

あぜくら会に入会し、頑張ってチケ取りしましたため、とちり中央席確保しての観劇となりました!

開演10分前に、エヘン口上人形が出てきて、配役を述べて行きますが、これは聞いておいた方がいいでしょう。この口上自体がと言うよりは、後になって「エヘン」がキーワードになるからです。

私にとって印象に残った箇所は、まずは二段目の「桃井館力弥使者の場」で、小浪と力弥とのウブっぷりが素晴らしい。小浪役の中村米吉は本当に可愛いい娘に化けていて、実は男であることを知らなければ惚れてしまいそうです!

三段目の「門前の場」は諧謔の場面で笑える箇所です。加古川本蔵を謀殺するべく練習する場面で、「エヘンと言ったら、何もかも打ち捨てバッサリ」の場面では、大受けしてしまいました♪詳細は、本番を観ましょうね♪♪

四段目で塩冶判官切腹後の焼香の場面では、香りが客席まで漂って来ます。四段目の空気感は、月並みな言い方だけど、やはり緊迫するものです。私にとって涙腺が決壊しそうになった場面は、切腹の場面ではなく、最後に家来たちが去り、大星由良之助が一人になった場面でありました。誰もいなくなって、冷静さを保っていた感情をはじめて露わにする由良之助の姿に、心を動かされずにはいられません。

今回の国立劇場のプロダクションでは、カットされる事が多い場面も上演されているとのこと、これ故に、この「仮名手本忠臣蔵」の構成の巧みさを思い知らされます。シリアスな場面だけでなく、小浪と力弥との初々しい恋の場面や、「エヘンと言ったら、何もかも打ち捨てバッサリ」の場面と言ったような諧謔を挿入して、観客を惹きつけています。国立劇場開場50周年記念に相応しい、名作の真価を味わいました。

2016年10月9日日曜日

Israel Galván, ’SOLO’, Nagoya perfomance, review イスラエル=ガルバン 「SOLO」 名古屋公演 感想

2016年10月8・9日 土・日曜日
Saturday 8th October 2016
Sunday 9th October 2016
愛知県芸術劇場小ホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater, The Mini Theater (Nagoya, Japan)

演目:「SOLO」(2007年初演)
ダンサー:イスラエル=ガルバン(Israel Galván, 1973年, Sevilla, Andulucía, España生まれ)

イスラエル=ガルバンは、2016年10月7日から16日まで「あいちトリエンナーレ2016」に招聘され、上記演目を愛知県芸術劇場小ホールにて10月7日から9日まで一公演ずつ、計3公演上演した。
この演目とは別に、10月15・16日に、名古屋市芸術創造センターにて「FLA.CO.MEN」をも上演している。
一都市で二演目以上の公演を実施するのは異例のようで、キュレーターの熱意・力量の賜物と思われる。また、イスラエル=ガルバンは「あいちトリエンナーレ2016」での公演のためだけに本拠地から旅行し、名古屋以外の都市での公演を行わなかった。
担当キュレーターは、愛知県芸術劇場シニアプロデューサーの唐津絵理さんである。
「あいちトリエンナーレ2016」パフォーミングアーツ部門で、一番最初に出演が決まったのが、イスラエル=ガルバンであったとのことである。

この感想は、2016年10月8・9日の、第二・第三公演に対するものである。なお、私はフラメンコその他ダンスの知識はなく、私の感じたことをそのまま記したものである。小学生の感想文レベルであることをお許し願いたい。

愛知県芸術劇場の小ホールは、舞台・客席の配置を自由に変えられる構造を有している。関東圏で言えば、新国立劇場小劇場が類似した構造を有している。今回は、出演者・スタッフのみにしか見えないスペースが全くない設定で、観客席の数は269席の設定である。

ホワイエと同一の高さの床面(以下「ホワイエ床面」という)を基調にしており、舞台はホワイエ床面から約30cm程かさ上げされている。座席は三面に配置されている。
下手側・上手側には、それぞれ2列11+12=23席の席が配置される。1列目はホワイエ床面、2列目はかさ上げされている。
正面席は、1列目から7列目の舞台左右端よりも中央側は段階的に床面を下げられ、一番前の席の床面はホワイエ床面の-20cmくらいであろうか。よって、一番前の席と舞台との床面の差はおよそ50cm程である。舞台左右端よりも外側については、1列目から7列目までホワイエ床面である。8列目以降は、ロールバック式客席(20席×5列=100席)となる。
舞台からホワイエ床面に降りると、舞台左右沿い・1列目から7列目席の外側両側通路・7列目と8列目の席の間の通路が・全て同じ高さで構成される。まるでこの’SOLO’のために作られたかのような、構造である。

舞台の上は、フラメンコ靴で床面を傷めないようにするためであろうか、黒い板が張られている。幕は一切用いられない。照明は白熱色の電球を用い、上演中全く同一の照度を保つ。スポットライトも用いられない。BGMもない。よって、イスラエル=ガルバンの身一つで、足踏みしたり、声を出したり、体を叩いたりして音を出さなければならない。後半になって、一部残響増幅装置を用いる箇所があるが、これも音自体はイスラエルが出し、その音を増幅させず、長く残響させるだけの装置であると私には思える。

ホールの扉が閉まった後、上手側から登場し、上手側席の奥方を通過して、舞台最後方中央に立つ。これが最初のポジションである。ここから、手を叩き始めて演技が始まる。前述したとおり、フラメンコ靴を床に叩いたり、声を出したり、体を叩いたりしてリズムを刻み、踊る。言葉にすれば、それだけの事である。

何の技法を用いているのかは、知識のない私には言えない。

振りは、8日公演と9日公演とで、全て違っていると言って過言ではない。
公演開始X分後に客席に降りて観客を構ったり、後半の時点で残響増幅装置を用いた踊りを開始したり、45分後になったら舞台下手側からのホワイエ床面を客席後方に向かい、7列目から8列目の間で下手側から上手側に移動して客席パフォーマンスを行い上手側を舞台奥方端まで進み、舞台に上がって中央まで進み、最初のポジションで「どうもありがと」と言って終演するという骨格だけは決まっているが、その間に何を踊るのかは、その時のイスラエルの気分次第と言うところか。

踊りの内容は、’FLA.CO.MEN’をご覧になった観客に分かるように説明すると、舞台・客席とも暗転した中をイスラエルが一周する直前に、舞台下手側で一人で踊っている場面があるが、そのシーンを45分続けると説明すれば、大きな間違いはないと思う。’FLA.CO.MEN’は、他の六人との音楽家も同格にイスラエルとわたり合う総合芸術であるのに対し、’SOLO’は100%イスラエルのダンスでありリズムであり歌であり、舞台が近くて観客との緊密な一体感の下で演じられる演目であり、性質が全く違う。頭の切り替えが必要となる。

8日の公演では、フラメンコの様式に則っている方向性に感じられた。闘牛とも大きな鳥とも想像させるポーズが多かった。「あん、あん、あんあん・・・」とちょっと官能的な声でリズムを取ったりもする。客席に降りては、観客の前50cmでタップダンスのような踊りを披露したり、観客の手を叩いたりする。好奇心旺盛で楽しそうな表情をしている観客がいたりする一方で、唖然とした表情の観客がいたりして、面白い。そのような観客との相互作用がある性質があるので、観客も試される演目でもある。まあ試されると言ったって、目の前にある踊りを純粋に楽しめばいいだけのことであるけど。
舞台下手から上手へ、上手から下手へと動く場面も多く、その場面では、正面から向かってくるイスラエルを上手側・下手側席の客も味わえる。
楽しく、心臓の鼓動が高まるからなのか、時間はあっという間に過ぎ去り、20分ちょっとで終わってしまったような気持ちで、もっと楽しい時間を過ごしたい気持ちになる。一日目からもあったそうであるが、手拍子付きスタンディングオベーションで終えた。終演後は、登場時とは逆に下手側から去る。カーテンコールは下手側から出入りした。

終演後のアフタートークでは、愛知県芸術劇場小ホールは、気持ちの良い音が出るとの、イスラエルのコメントがあった。舞台が上下方向に可動であり、舞台床には空洞があるため、足踏みした音がよく響くのも要因の一つであったのか。

9日の千秋楽は、何もかもかなぐり捨て、フラメンコの様式に則っているというよりは、より自由な方向性に舵をとったように見えた。以下、その時の私がtwitterに記した感想を書こう。

「今日のIstael は大胆不敵!Israelが狂った!Israelが暴走した。今日のIsrael は言葉に尽くせない凶暴な何かだ!舞踊ファンで今日名古屋にいなかった方は、一生後悔するだろう!まさしく大名演!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場。あんなに凄く凶暴なダンスはない。こんな名演は数年に一度観れたら、聴けたらいいものだ。何もかもかなぐり捨て、獰猛な本能を観客に見せつけた!日本に於ける今年のダンス部門のダントツトップ公演決定である!心臓の鼓動が収まらない!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場、千秋楽。あんな凶暴なダンスを見せつけられて狂わない観客はいない!今日観た観客の中で、心臓発作で死ぬ者が50名は出る!名古屋中の循環器専門医師たちよ、覚悟するがいい!今日はIsraelを観劇した観客の波状攻撃を受けるだろう!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場、千秋楽。「アン、アン、アンアン・・・」と事情を知らない人たちが聞いたら妖しいシャウトしながら金山駅のホームを歩きそうになる。新幹線の車内でやってしまいそうで怖い。頼む、警察に通報しないでくれ!!」

我ながら、どう考えても狂った感想である。8日の演技とは、冒頭の手を叩く場面から空気感が違っていた。尋常ではない、どこか凶暴さを感じさせる雰囲気の下で、手拍子が進められていく。一回目の観客とのコミュニケーションの時間では、最前列の観客とは、Holaとあいさつを交わし握手する程のテンションの高さだ。8日の観客は、楽しそうに笑っていたが、今日の観客は笑い方が変である。何か、気持ちが高揚しているけど、可笑しいから笑うが、しかし高揚した気持ちが勝って変な笑い方になるのだ。
イスラエルは、歌って踊っている間にパッションが抑えられなくなったのか、シャウトまでし始める。後半、残響増幅装置を使っている場面では、舞台奥にある壁を叩きだした。まさに暴走と言って差し支えない。凶暴なダンスであり、獰猛な本性を露わにした、まさに名演である。

終演の合図とともに熱狂的な拍手+スタンディングオベーションが発生する。観客の中に、足で床を叩く人物まで現れ始め、空洞のある床構造故に、これが良く響き、手拍子+足拍子付きの総立ち状態となる。最後は、最前列の観客との連続握手があり、熱狂的な観客から、思わず出てしまったであろうカスティージャ語で「Gracias!! Muchas Gracias!!」と叫び声が上がる。その後下手側扉にイスラエルが去り、公演を終えた。

インターネット上に ’SOLO’ の上演記録がアップされているが、この名古屋公演の熱狂的な演技を再現したものにはなっていない。出回っている記録の10倍は素晴らしい内容だったと、自信をもって言うことができる。

一週間後に同じ名古屋で上演された、 ’FLA.CO.MEN’ に関しては下記リンク先ブログ「la dolce vita」を参照願いたい。私も15・16日公演の両方に臨席したが、私が思ったことについても的確に記述されていり、いちいち私が述べる必要もないだろう。
http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2016/10/1015flacomen-0a.html

2016年10月2日日曜日

Amsterdam Baroque Orchestra, Osaka Concert, (1st October 2016), review アムステルダム-バロック管弦楽団 大阪演奏会 評

2016年10月1日 土曜日
Saturday 1st October 2016
いずみホール (大阪府大阪市)
Izumi Hall (Osaka, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Suite per orchestra n.3 BWV1068 (管弦楽組曲第3番)
Johann Sebastian Bach: Concerto per violino BWV1045 (シンフォニア)
Johann Sebastian Bach: Concerto brandeburghese n.4 BWV1049 (ブランデンブルク協奏曲第4番)
(休憩)
Johann Sebastian Bach: Concerto brandeburghese n.3 BWV1048 (ブランデンブルク協奏曲第3番)
Johann Sebastian Bach: 1. Sinfonia (cantata ‘Am Abend aber desselbigen Sabbats’ BWV42) (カンタータ「この同じ安息日の夕べ」から第一楽章 シンフォニア)
Johann Sebastian Bach: Suite per orchestra n.4 BWV1069 (管弦楽組曲第4番)

clavicembalo: Ton Koopman
orchestra: Amsterdam Baroque Orchestra(アムステルダム-バロック管弦楽団)
direttore: Ton Koopman / トン=コープマン

アムステルダム-バロック管弦楽団(ABO)は、指揮者トン=コープマンとともに日本・韓国ツアーを行い、日本に於いては演奏会を、いずみホール(大阪市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)、計2公演行う。日本に於けるプログラムは全て同一である。

理想的な音響となる中規模ホールでの公演は、いずみホールでの公演だけである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。木管パートは後方中央、ティンパニはその上手側、ナチュラル-トランペットはティンパニの前方、リコーダー-ソロは指揮者のすぐ上手側の位置につく。チェンバロは客席に鍵盤を見せるように配置され、舞台奥に向けて演奏しながら指揮をできるようにしてある。

ティンパニはバロックティンパニのように見受けられたが、残響が少なく鋭く鳴らすタイプではなく、自己残響が長めのタイプである。

着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは8割程で、発売開始直後の売れ行きが良好の割には完売に至らなかった。観客の鑑賞態度は、曲によって若干のフラ拍の感があったが、極めて良好だった。

前半は、いずみホールに馴染んでいない要素もあった。個々の奏者は素晴らしいが、管弦楽全体として、いずみホールの残響に慣れていない感じがあり、輪郭がボヤけている箇所もあった。しかし、プログラムの進行と共に馴染んでいった。また、馴染んでいない前半部に於いても、弦楽のノン-ヴィブラートの響きや、(奏法が極めて難しい)ナチュラル-トランペットが自然な演奏を見せたところ(これ自体が超絶技巧!)が素晴らしい。

前半最後のBWV1049まで進んで、管弦楽全体として響きがまとまって来た。コンサートミストレスが見せた、ハチドリぶんぶんの場面は楽しく聴かせてもらう。また、ちょっと控えめな音量にして攻めた小技も見事に効かせる。本当にノン-ヴィブラートが美しくて大好きだ!どうしてヴィブラートの概念なんて発明されちゃったのだろうね♪二人のリコーダー-ソロも素晴らしい演奏だ。

後半は、弦・チェンバロ・管・打、全てがガッシリと絡み合った素晴らしい演奏を見せた。チェンバロを響かせつつ、かと言って管弦楽が萎縮せず、自分たちの響きを出し切った。

チェンバロは音量を出せず、その響きを出すには管弦楽は控えめな音量を要するが、その制約の下での最善を尽くしたと言って良い。

チェンバロを活かすべき箇所はチェンバロの音色が響くように、逆に管弦楽が前に出るべき箇所はビシッと鳴らす。いずみホールの優れた音響も自分たちのものにして十全に活用する。プログラム最後のBWV1069は、鉄壁な演奏で終わる。

アンコールは、静と動、プログラムの曲の中からのそれぞれのハイライトを一曲ずつ披露する。BWV1068 の第二楽章(いわゆる Air)と、BWV1069 の第五楽章であった。アンコールまでも聴衆が何を求めているかよく考えられた、素晴らしい演奏会であった。