ラベル 指揮_エリアフ=インバル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 指揮_エリアフ=インバル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年3月14日土曜日

Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra, Nagoya performance, review 東京都交響楽団 名古屋公演 評

2015年3月14日 土曜日
Saturday 14th March 2015
愛知県芸術劇場 コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Richard Wagner: ‘Tristano e Isotta’ ‘Preludio e Morte di Isotta’ 「トリ
スタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」
(休憩)
Anton Bruckner: Sinfonia n. 4 (versione 1878-1880, Leopold Nowak)

orchestra: Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra(東京都交響楽団)
direttore: Eliahu Inbal / エリアフ=インバル

東京都交響楽団は、エリアフ=インバルの指揮の下、2015年3月14日・15日に名古屋・福岡ツアーを行っている。東京都交響楽団創立50周年を記念するしてのものである。2015年3月18日に、東京文化会館にて開催される、第784回定期演奏会と同一のプログラムである。

この評は、名古屋公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ハープは下手側、ティンパニは後方中央である。

着席位置は一階後方中央、客の入りは7割くらいか?正面席は三階まで埋まっているが、バルコニー席に空席が目立ち、特に三階部は顕著である。鑑賞態度は概ね極めて良好だった。

全般を通して、何をしたいのかが意図が伝わってくる演奏だ。細かい点で突っ込み所がない訳ではないが、そう言った意図なりパッションが伝わる演奏は、やはり私の心を納得させるものがある。

都響の素晴らしいところは、目指すべき地点をみんなで共有しているところである。その瞬間にどのような響きを出すのか、その意図が共有されているのだ。スタープレイヤーの個人技に頼らず、全員の一体感で攻める点が素晴らしい。みんながパッションを抱いているのがよく感じられるのだ。インバルはそのパッションを的確に交通整理する。その透徹なまでの見通しの良さ、構築力に感嘆させられる。

今日の演奏を聴くまで、ブルックナーは解釈の余地が狭く、下手に独自色を出してはいけないのだと思っていた。インバルは許容範囲を超えているはずなのに、このようなアプローチがあり得るのだと、強い説得力を感じた。

第一楽章で見せたアッチェレランドでゾクゾクさせられるスリルを感じる。純音楽的アプローチでこのような大胆な路線を見せられるが、全く反発心が起こらない。

全面降伏である。インバルの構築力だけではなく、インバルの意図を全楽団員が理解し、細かく設定された様式に的確に則りながらも、強い自発性で表現したからである。

インバルのブルックナーはブルックナーではないが、しかしこれも立派なブルックナーだ。

ブルックナーの4番が、あんなにドキドキする曲だとは思わなかった!題名通りに「ロマンティック」に演奏したらツマラナくなってしまうかも♪そんな新鮮な印象を受ける、愛知県での東京都交響楽団だった。

2013年5月12日日曜日

東京都交響楽団 福井公演 演奏会評

2013年5月12日 日曜日
福井県立音楽堂(ハーモニーホールふくい) (福井県福井市)

曲目:
カール=マリア=フォン-ヴェーバー 歌劇「オベロン」序曲
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ロココ風の主題による変奏曲 op.33
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第5番 op.64

ヴァイオリン-チェロ:宮田大
管弦楽:東京都交響楽団(TMSO)
指揮:エリアフ=インバル

このプログラムは、5月13日にフェスティバルホール(大阪市)の公演と同一であるが、音響面では圧倒的に福井県立音楽堂が優れており、当然のことながら本公演を選択する。

着席位置は、前方中央である。

チャイコフスキー「ロココの主題による変奏曲」、奇を衒わない演奏であるが、宮田大のチェロは緩徐楽章的変奏部が特に素晴らしい。管弦楽とのバランスも保たれた、よく考えられた演奏だ。もっとも、宮田大が2012年1月の水戸室内管弦楽団演奏会で見せたような凄みは、残念ながらあまり感じられなかった。水戸芸術館のような中規模ホールでの演奏と、福井県立音楽堂のような大きなホールとではやはり違ってきてしまうのだろうか。やはりチェロ協奏曲は、中規模ホールで室内管弦楽団規模の演奏との共演でなければ、十分に楽しむことはできないのか。

休憩後のチャイコフスキー交響曲第5番については、チャイコフスキーの第五交響曲、弦楽が先頭を切っていた演奏だ。と書いたのはちょっと皮肉がこめられており、金管パートが精彩を欠いたのは事実である。確かに弦楽器は非常に良い出来である。特にヴァイオリンは怒涛のようにうねりを伴う強烈さがあり、お膳立てを十二分に整えている。後は、金管が弦楽と真っ向勝負し、弦楽の響きに負けない、強く華やかな音で観客を圧倒するところであるが、その部分が達成されているとは言い難い。金管が乗っていないのだ。特にトランペットの調子が良くない。楽章間の取り扱いは、全楽章間休みなしのアタッカである。前の楽章の残響が消えたら、次の楽章が即続く形態である。福井県立音楽堂の残響は、このような場面で効果を発揮する。第三楽章まではインバルの個性はあまり表れなかったが、最終第四楽章で化けの皮が剥がれる。テンポの取り扱い方は個性的でありながら、観客に受け入れし易い点は見事である。

アンコールは、ソリスト=アンコールはサン-サーンスの「白鳥」、最後のアンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第1番であった。