2017年3月26日日曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Lucia di Lammermoor’ (26th March 2017) review 新国立劇場 歌劇「ランメルモールのルチア」 感想

2017年3月26日 日曜日
Sunday 26th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)

Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji

armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti

新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月26日に催された第五回目千秋楽の公演に対するものである。

着席位置は一階正面上手側である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。

私にとっては、3月20日の公演とは打って変わって、総じて素晴らしい公演になった。

ソリストの出来について述べる。

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti

鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、結果的に素晴らしかったとは言えるが、手放しでの賛辞ではない。

Olga Peretyatko オルガ=ペレチャッコは、3月20日公演と比べたら断然良い出来に思える。音域が変化する場所で自然な遷移にならなかったり、不自然さを感じさせたり、音程に甘さを感じさせた箇所もあり、何よりもルチア役に求められる中低音領域の弱さは気になる。ベルカントの歌い手として売りにするのは疑問を呈せざるを得ない。しかしながら、高音域スイートポイントの美声とコントロール、勢いで観客を力づくでノックアウトした感じである。

それでも、第三幕で一回目に倒れる直前の、ルチア役とアルモニカとによるフーガの場面はほぼ完璧だったと言えるし、第二幕六重唱の箇所でのアクセントは的確であるし、第三幕で最低限掛けるべき装飾音も、美声と勢いとで乗り切った。

3月20日公演では気になったヴィブラートも、今日は美声の印象が強い。

Olga Peretyatko の苦手とする部分は、結果的に、得意の高音部の美声と勢いとで糊塗することに、成功したか。是非はともかく、まあいいや!って感じではある。

Edgardo: Ismael Jordi

勢いで観客をノックアウトした Olga Peretyatko とは対照的に、的確な声で攻めたのは、エドガルド役の Ismael Jordi イスマエル=ホルディ(新国立劇場の表記ではイスマエル=ジョルディです)でしょう。

終始特に音域上で得意不得意を感じさせない、堅実な技巧を感じさせる。

Enrico: Artur Rucinski

エンリーコ役の Artur Rucinski アルトゥール=ルチンスキーも、要所で堅実な技巧を見せる。印象的な箇所は、第二幕六重唱の部分で掛けるアクセントで、ペレチャッコと同様に的確であった。

日本人ソリストについて述べる。

Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
教師として、威厳と貫禄を感じさせた。

Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka

両者とも、要所で十分な声量をもって劇場内の空間を満たし、外国人ソリスト頼みにせず、歌劇の緊張感を保った。

東フィルの金管楽器陣も、3月20日公演とは格段に違う高い水準の演奏である。もちろん、綺麗な弱奏が欲しいと感じさせる箇所もあるが、一方で第三幕冒頭部での的確な響きなど、聴かせる部分もあった。

本日の公演を通して、いろいろ突っ込み所はあるものの、総じて満足出来る公演で、スタオベも当然と納得する公演であった。

2017年3月25日土曜日

Schiff András, recital, (25th March 2017), review シフ=アンドラーシュ 与野公演 評

2017年3月25日 土曜日
Saturday 25th March 2017
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per pianoforte n.17(16) K.570
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n.31 op.110
Franz Joseph Haydn: Sonata per pianoforte Hob. XVI:51
Franz Peter Schubert: Sonata per pianoforte n.20 D.959

pianoforte: Schiff András

マジャールのピアニスト、シフ=アンドラーシュは、2016年3月17日から25日に掛けて日本ツアーを実施し、リサイタルを、いずみホール(大阪市)、神奈川県立音楽堂(横浜市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)(2公演)、彩の国さいたま芸術劇場(埼玉県与野市)にて、計5公演開催する。理想的な音響となる中小規模ホールでの公演は、いずみホールと彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールの二か所だけである。

この評は、日本ツアー千秋楽である3月25日彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホールでの公演に対する評である。

着席位置は正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、極めて良好だった。

使用ピアノは、 Bösendorfer MODEL280VC である。ピアノの配置は、通常は上手側に真っ直ぐ向けられているものを、舞台奥側に15度ほど偏心させた。移動用の車輪は奏者に対して踏ん張るようにしてロックされた(通常はピアノの中心に向けてロックされる)。

休憩はなく、あたかも、一曲を一楽章とし、四曲をもって一つの曲にする意図を感じさせた。楽章間はアタッカ風に処理され、曲間も10秒も経過せずに次の曲が始められた。

彩の国さいたま芸術劇場の音楽ホールはやはり素晴らしく、モーツァルトやハイドンについてもマトモに響く。タケミツメモリアルでは、こうはいかなかっただろう。

感想は敢えて短く示そう。

シフの解釈は、引き算の解釈のように思える。これ見よがしのギアチェンジを行うことなく、自然な運びの中で、繊細に考えられた一音一音を奏でていく感じである。

私は、曲の刹那刹那を楽しむようなアプローチで臨んだ。Beethoven op.110 の第二楽章のある場面が、心に響く。

Bösendorfer MODEL280VC は、強奏部でもスタインウェイのような鋭い響きにならないところが、シフの解釈と曲想とに合致している印象を持つ。

機嫌が良かったのか、アンコールは何と7曲である。タケミツメモリアルでも、そのくらいの量のアンコールであったそうだ。シューベルトD.946から第一曲、J.S.バッハの「インヴェンション」1番 BWV772、同8番 BWV779、ベートーヴェン「6つのパガテル」から第6曲 op.126、シューベルトD.946から第三曲、J.S.バッハ パルティータ第四番から第五曲 サラバンド、最後はマジャールの作曲家 バルトーク=ベーラの「マジャールの旋律による三つのロンド」から第一曲であった。

2017年3月20日月曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Lucia di Lammermoor’ (20th March 2017) review 新国立劇場 歌劇「ランメルモールのルチア」 感想

2017年3月20日 月曜日
Monday 20th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir

Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji

armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti

新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月20日に催された第三回目の公演に対するものである。

着席位置は二階正面最前列ほぼ中央である。要するに、天皇陛下が座る座席と考えて差し支えない。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、狂乱の場で咳が止まらなくなった観客がいたのは不運としか言いようがない。。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。

私にとっては、全般的に不完全燃焼となる結果と終わった。理由は複合的である。呪われた公演と言ってもよい。

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti (ルチア役 オルガ=ペレチャッコ)の不出来。

鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、第一幕終了の時点でその実力に疑問符が付き、第二幕で彼女の実力は大してないことを確信した。

第一幕では音程が不安定である。高音はバッチリ決める割りには、装飾を掛ける部分は曖昧に誤魔化されたような印象だ。第二幕で分かったことは、高音部は魅力的で、後半の六重唱の箇所等では活きるが、Lucia 役に求められる全ての音域で、きちんとした声が出せず、高い水準の歌にはならないことである。比較的低めの音が苦手な事が露呈している。

第一幕での装飾を掛ける箇所は、 Olga Peretyatko の苦手とする音域なのだろう、それで装飾を掛けられない状態となったと推察する。第二幕では、低めの音については声量が感じられず、高音部にクライマックスをもってきて大声量で圧倒させる策で観客を誤魔化そうとするが、日本の観客を舐めるなと言いたい。最初の低めの音で、50ではなく80の声を出すこと、その上でクライマックスで120の声を出すというのでなければ、手抜きと見られても仕方あるまい。

ヴィブラートは目立ち、時折不自然に感じられる箇所もあるが、まあギリギリ許容範囲と言えるか。清らかな声であるとは言い難い。得意なはずの高音ではあるが、第三幕で二回ほどある最後の決め音の高音では、地味な低い声で終わり、 Olga Peretyatko のスイートポイント声域の狭さが、超高音部・低音部ともに露呈した結果となった。

その彼女も、「狂乱の場」に於ける、ハルモニカのみを伴奏とし、静寂な中でフーガ形式を用いながらの聴かせ所は素晴らしかったが、その場面は下手側バルコニーから連続的・継続的に聴こえてきた咳によって台無しにされた。この公演は呪われていたとしか思えない。

また、 Olga Peretyatko による「狂乱の場」は、特に前半部では眠気に誘われる程のもので、狂っている感は極めて希薄である。

総じて、 Olga Peretyatko は得意とする音域でこそ、豊かな声量で観客を魅了したが、ルチア役で求められる全ての音域できちんとした声量や技巧を表現できたとは言えず、全般的に高い水準での歌唱を披露したとは言えない。人気はあるのかもしれないけど、騒がれるほどの実力のある歌い手ではない。

Gioachino Rossini によるベルカントの定義は、「自然で美しい声」「声域の高低にわたって均質な声質」「注意深い訓練によって、高度に華麗な音楽を苦もなく発声できること」と言われているが、 Olga Peretyatko はいずれも満たしていない。「ベルカントの新女王」との新国立劇場による宣伝は詐欺としか言いようがなく、その見識は強く非難されて然るべきである。

全音域できちんとした声を出せず、技巧面で弱い歌い手はいらない。Olga Peretyatko にGioachino Rossini など噴飯ものである。

曲の最初に戻そう。冒頭から少し経過部分での、Normanno役の菅野敬+合唱団+東フィルにより構成される場面であるが、菅野敬は声量がなく、東フィルの管弦楽と合唱団とがバラバラに音を出しまくっており、冒頭部から緊張感をなくす展開となった。

その東フィルの金管楽器陣は総崩れの状態と言って良い。バレエ公演で聴かれるような、音が抜けた場面はなかったのだろうけど、ただ音符を吹いているだけで、この「ランメルモールのルチア」に求められる響きを全く出しておらず、弦楽木管から浮きまくった不愉快な響きであり、一々気に障る響きである。出番の少ない第三幕ではそれほどでもなかったが、第一幕・第二幕では、金管楽器が登場するたびに私はイライラしまくっていた。

先月の「セヴィージャの理髪師」で、Gioachino Rossini と Marc Minkowski が求める響きを的確に出していた オーケストラ-アンサンブル-金沢 に遠く及ばない東フィルの金管楽器陣であり、今時、地方オケでさえも実現するアンサンブルを実現できない東フィルが、国を代表する歌劇場のオケピットに堂々と入っているのは、日本の恥であるとさえ思う。

もう一度、3月26日の公演に臨席する。立ち直りを期待したい。

2017年3月19日日曜日

新国立劇場バレエ団「ベートーヴェン-ソナタ」雑感

二度とも後方中央ブロックで観劇できたのは、本当に幸せな気持ちだった。二度観て良かったなと思える事は、一度見てるだけに、二回目で見えるものが見えてくる事である。一度目は、純舞踊的な要素で観て、二度目は物語を踏まえながら観劇出来た。

振り付けの中村恩恵さんは、三人の女性プリンシパルの特徴を捉え十二分に活かした振り付けを行なったように思える。

ジュリエッタ役の米沢唯ちゃんはテクニックを活かした踊りを披露しつつ「無邪気に、いつの間にかお乗り換え」♪

ベートーヴェンからガレンベルク伯爵役の木下嘉人さんの肩の上に乗って、拍手を受けてご結婚である♬

この過程があまりに無邪気で、何の罪の意識を感じていない無邪気さがいかに残虐なものであることを示した🎶🎶

ここは、わる〜い女の要素が全くない、どこまでもいい子ちゃんの米沢唯ちゃんだからこそ、その無邪気さが活きる。わる〜い女の本島美和りんだと、真実味がなくなるのだ!(←本島美和さんにこっぴどく怒られるぞ!!)

小野絢子さんは、ベートーヴェンと愛し合っているのに引き裂かれるアントニア役で、似合っているし、本島美和さんは「わる〜い女」役がハマりまくっている妖艶さで魅了される。

本当に三人のプリンシパルの特質を活かした中村恩恵さんの振り付けは凄い。

私のツボにハマったのは、op.59-3で家族が出てくる場面で、クスクス笑いまくっていた。全般的に観客の皆さん、真面目に観ていらっしゃったようだけど♪

終盤部での、op.132の曲想を活かした構成は素晴らしいと思えた。

来シーズンは新国立劇場バレエ団はこのような演目はない。残念でならない。

「ベートーヴェン-ソナタ」の再演を強く望むものである。

2017年3月11日土曜日

NDR Sinfonieorchester Hamburg, Krzysztof Urbański, Shoji Sayaka, Nagoya perfomance, (11th March 2017), review 北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) 名古屋公演 (2017年) 評

2017年3月11日 土曜日
Saturday 11th March 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Михаил Иванович Глинка / Mikhail Ivanovich Glinka: “Руслан и Людмила” / “Ruslan e Ludmilla” Ouverture
Сергей Сергеевич Прокофьев / Sergei Sergeevich Prokofiev: Concerto per violino e orchestra n.1 op.19
(休憩)
Antonín Leopold Dvořák: Sinfonia n.9 ‘Z nového světa’ op.95 B.178

violino: 庄司紗矢香 / Shoji Sayaka
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Krzysztof Urbański (指揮:クシシュトフ=ウルバンスキ)

北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2017年3月に日本ツアーを実施し、東京・仙台・名古屋・川崎・福岡・大阪にて演奏会を開催する。この評は、2017年3月11日名古屋公演に対するものである。なお、マトモな音響のホールで聴けるのは、この愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演と、アクロス福岡での公演のみである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方下手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは中央後方の木管のすぐ上手側に付けた。ティンパニ他打楽器は中央最後方、ハープは上手側の位置につく。

着席位置は二階正面上手側、客の入りは8割程であろうか、三階席と二階バルコニー席の舞台真横に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、生理現象とはもうせ、咳が目立ったのは残念である。

一曲目の「ルスランとリュドミラ」序曲は音取りモードのため、ノーコメントだ。二曲目から本気モードとなる。

二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストは庄司紗矢香である。いつも通りの素晴らしい演奏だ。

もちろん、ソロ公演で上演される中小規模のホールで味わえる強い音圧を望むのは無理難題だけど、それでも、刹那刹那で求められる音色は説得力がある。熱狂ではなく、その曲が求めている音色を深く考え、高い技量で実現させていく方向性の演奏である。繊細さを求める路線は、指揮のウルバンスキと相性が良いと思われた。

ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第2番から、アンダンテであった。

後半は、ドヴォルジャークの交響曲第9番、いわゆる「新世界」交響曲である。メジャー中のメジャー作品で、正直余り気乗りはしない曲目であるが、いい意味で裏切られる。

総じて言うと、ウルバンスキが構築したガラス細工を、NDRの完璧な管弦楽(特に管楽)で構築する試みである。この試みは見事に結実したと言って良い。

第二楽章は本当に見事で、繊細さが活きまくる演奏だ。前半部にある、弦楽の弱奏で攻める箇所と、その箇所に至るまで承前起後の部分の繊細な扱い方には、感嘆させられる。ウルバンスキにより微細な点まで響きを組み立て、この場面に至るまでの過程は、驚くべき解釈だ。

随所に出てくる、長めに掛けるフェルマータやパウゼも、構成上のアクセントとなる。それにしても、あんなに長くフェルマータを掛けて、全くブレないNDRの管楽は驚異的である。曲の冒頭の溜めは観客の注意を惹き起こす。

一番大切な、第四楽章最後の部分(もちろん、曲の終結部だ)で、あれ程までのフェルマータを掛けるのは冒険的と言えるが、極めて安定した演奏で酔わせてくれる。ウルバンスキの要求に応えるには、あのレベルでないといけないのだから、管弦楽は大変だけど、見事に達成する。

熱狂路線では決してないし、大管弦楽の演奏にド迫力を求める向きとは正反対の路線だ。その路線の観客からは、否定的な感想が述べられるだろう。

しかし、Krzysztof Urbański は、極めて細部に渡ってよく考えられた解釈で、彼の個性を明確に示し、NDR 北ドイツ放送響は繊細な演奏でその高い技量を活かした。オーボエもクラリネットもファゴットもフルートもピッコロもホルンも、その高い技量があって初めて実現した演奏である。Bravi !!

アンコールは、ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」第一集 第8番であった。