2017年3月20日 月曜日
Monday 20th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir
Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji
armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti
新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月20日に催された第三回目の公演に対するものである。
着席位置は二階正面最前列ほぼ中央である。要するに、天皇陛下が座る座席と考えて差し支えない。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、狂乱の場で咳が止まらなくなった観客がいたのは不運としか言いようがない。。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。
私にとっては、全般的に不完全燃焼となる結果と終わった。理由は複合的である。呪われた公演と言ってもよい。
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti (ルチア役 オルガ=ペレチャッコ)の不出来。
鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、第一幕終了の時点でその実力に疑問符が付き、第二幕で彼女の実力は大してないことを確信した。
第一幕では音程が不安定である。高音はバッチリ決める割りには、装飾を掛ける部分は曖昧に誤魔化されたような印象だ。第二幕で分かったことは、高音部は魅力的で、後半の六重唱の箇所等では活きるが、Lucia 役に求められる全ての音域で、きちんとした声が出せず、高い水準の歌にはならないことである。比較的低めの音が苦手な事が露呈している。
第一幕での装飾を掛ける箇所は、 Olga Peretyatko の苦手とする音域なのだろう、それで装飾を掛けられない状態となったと推察する。第二幕では、低めの音については声量が感じられず、高音部にクライマックスをもってきて大声量で圧倒させる策で観客を誤魔化そうとするが、日本の観客を舐めるなと言いたい。最初の低めの音で、50ではなく80の声を出すこと、その上でクライマックスで120の声を出すというのでなければ、手抜きと見られても仕方あるまい。
ヴィブラートは目立ち、時折不自然に感じられる箇所もあるが、まあギリギリ許容範囲と言えるか。清らかな声であるとは言い難い。得意なはずの高音ではあるが、第三幕で二回ほどある最後の決め音の高音では、地味な低い声で終わり、 Olga Peretyatko のスイートポイント声域の狭さが、超高音部・低音部ともに露呈した結果となった。
その彼女も、「狂乱の場」に於ける、ハルモニカのみを伴奏とし、静寂な中でフーガ形式を用いながらの聴かせ所は素晴らしかったが、その場面は下手側バルコニーから連続的・継続的に聴こえてきた咳によって台無しにされた。この公演は呪われていたとしか思えない。
また、 Olga Peretyatko による「狂乱の場」は、特に前半部では眠気に誘われる程のもので、狂っている感は極めて希薄である。
総じて、 Olga Peretyatko は得意とする音域でこそ、豊かな声量で観客を魅了したが、ルチア役で求められる全ての音域できちんとした声量や技巧を表現できたとは言えず、全般的に高い水準での歌唱を披露したとは言えない。人気はあるのかもしれないけど、騒がれるほどの実力のある歌い手ではない。
Gioachino Rossini によるベルカントの定義は、「自然で美しい声」「声域の高低にわたって均質な声質」「注意深い訓練によって、高度に華麗な音楽を苦もなく発声できること」と言われているが、 Olga Peretyatko はいずれも満たしていない。「ベルカントの新女王」との新国立劇場による宣伝は詐欺としか言いようがなく、その見識は強く非難されて然るべきである。
全音域できちんとした声を出せず、技巧面で弱い歌い手はいらない。Olga Peretyatko にGioachino Rossini など噴飯ものである。
曲の最初に戻そう。冒頭から少し経過部分での、Normanno役の菅野敬+合唱団+東フィルにより構成される場面であるが、菅野敬は声量がなく、東フィルの管弦楽と合唱団とがバラバラに音を出しまくっており、冒頭部から緊張感をなくす展開となった。
その東フィルの金管楽器陣は総崩れの状態と言って良い。バレエ公演で聴かれるような、音が抜けた場面はなかったのだろうけど、ただ音符を吹いているだけで、この「ランメルモールのルチア」に求められる響きを全く出しておらず、弦楽木管から浮きまくった不愉快な響きであり、一々気に障る響きである。出番の少ない第三幕ではそれほどでもなかったが、第一幕・第二幕では、金管楽器が登場するたびに私はイライラしまくっていた。
先月の「セヴィージャの理髪師」で、Gioachino Rossini と Marc Minkowski が求める響きを的確に出していた オーケストラ-アンサンブル-金沢 に遠く及ばない東フィルの金管楽器陣であり、今時、地方オケでさえも実現するアンサンブルを実現できない東フィルが、国を代表する歌劇場のオケピットに堂々と入っているのは、日本の恥であるとさえ思う。
もう一度、3月26日の公演に臨席する。立ち直りを期待したい。