2017年1月21日 土曜日
Saturday 21st January 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Ottorino Respighi: Concerto gregoriano per violino e orchestra(「グレゴリオ風の協奏曲」)
(休憩)
Ottorino Respighi: Vetrate di chiesa, quattro impressioni sinfoniche (「教会のステンドグラス」)
Ottorino Respighi: Feste romane, poema sinfonico per orchestra (交響詩「ローマの祭り」)
violino: Албена Данаилова / Albena Danailova (アルベナ=ダナイローヴァ)
orchestra: NHK Symphony Orchestra(NHK交響楽団)
direttore: Jesús López-Cobos (指揮:ヘスス=ロペス-コボス)
NHK交響楽団は、ブルガリア生まれのアルベナ=ダナイローヴァ(ヴァイオリン)をソリストに、エスパーニャ生まれのヘスス=ロペス-コボスを指揮者に迎えて、2016年1月18・19日にサントリーホール(東京)・21日に愛知県芸術劇場コンサートホール・22日にNHK大阪ホールにて、第1854回定期演奏会を開催した。この評は、第三回目、愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演に対してのものである。
今回のプログラムは、全てオットリーノ=レスピーギによる作品となる。この作曲家のみの曲目で地方公演を行う事でも注目される公演である。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側に位置する。木管は中央後方、ホルンは後方僅かに下手側、その他の金管は上手側、ティンパニは中央最後方、その他のパーカッションは下手側、マンドリンは、パーカッションの手前かつ中央寄りに位置する。
着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。N響は地方に於いて絶大な人気を集めているが、完売とならなかったのは、全てレスピーギの作品である事が影響しているのか?観客の鑑賞態度については、概ね極めて良好である。
一曲目の「グレゴリオ風の協奏曲」、ヴァイオリンのソロを担当したダナイローヴァは、青いドレスをお召しになり、モデルのような容姿のトンデモない美女である。コンサートミストレスの職にあるからか、かなり正統的なアプローチである。愛知芸文の響きを的確に味方につけ、カデンツァも見事で、管弦楽とのコンビネーションも的確だ。いい意味で職人的に音楽を作り上げていく方向性である。しかしながら、曲想が曲想なだけに、盛り上がりはしにくい。
ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第3番 BWV1005 から ラルゴ であった。サントリーホールでのアンコールと同一と思われる。
三曲目の「ローマの祭り」は完璧と言って良い。オルガン前やや下手側に位置する三人のトランペットからして完璧な響きで、まるで一人でふいているかのようなアンサンブルだ。
弦楽は、大音量で攻めるアプローチではないが、縦の線が完璧に合った弱音で聴衆を魅了させた。弱い音量しか出せないマンドリンの響きを引き立たせる一方で、輝かしい金管の響きと比較して不足はなかった。二年前と比べて、充実した弦楽となっている。
管楽は、ソリスティックな演奏箇所はほぼ完璧に決まり、この曲目の難曲ぶりを踏まえれば、これ以上を望む事は不可能と言える。打楽も完璧である。
ヘスス=ロペス-コボスの指揮は、テンポを大きく揺らすようなことをせず、正統的なアプローチで、管弦楽全体の響きを精緻に考慮した構成であった。この演奏の真価は、FM放送では分かりにくく、実演を聴かなければ認識し難いものである。今日の管弦楽に粗野な響きは一切ない。指揮者・管弦楽・愛知県芸術劇場コンサートホールとが三位一体となって作り上げられた完璧な響きで、N響が本拠地としているNHKホールやサントリーホールでは実現できないサウンドが実現した。
繰り返すが、今回の第1854回定期演奏会は、全てレスピーギの作品であり、この曲目を取り上げた事は勿論のこと、この定期演奏会のプログラムで名古屋・大阪にて公演した試みは高く評価できる。
また、「ローマの祭り」と言う、大管弦楽にとって大きな挑戦を強いられるこの難曲を、これ程までの完璧なレベルで実現されたことに敬意を表する。
二年ぶりのN響演奏会は、輝かしい管弦楽の響きとともに終わった。
2017年1月21日土曜日
2013年11月24日日曜日
NHK交響楽団 横浜定期演奏会 評
2013年11月24日 日曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
アナトーリ=リャードフ 交響詩「魔法をかけられた湖」 op.62
ドミートリイ=ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.129
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第5番 op.64
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:トゥガン=ソヒエフ
NHK交響楽団は、諏訪内晶子をソリストに、トゥガン=ソヒエフを指揮者に迎えて、2013年11月20日・21日に東京-サントリーホールで、第1768回定期演奏会を開催した。同じプログラムで11月23日に足利市民会館(栃木県)、24日に横浜みなとみらいホールで演奏会を行った。この評は、最終日11月24日横浜みなとみらいホールでの公演に対してのものである。
諏訪内晶子は1972年生まれの、言うまでもなく、少なくとも日本ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。あまりに有名であり、説明の必要はなかろう。
指揮のトゥガン=ソヒエフは、当時のソヴィエト社会主義共和国連邦、北オセチア自治共和国生まれ。現在は、トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団、ベルリン-ドイツ交響楽団の首席指揮者である。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→(までは覚えていたが、チェロとヴィオラの配置は忘れた。多分、ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラだったかと)のモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側である。弦楽奏者は、第五プルトであっても雛壇を使わない。ロシア人指揮者ならではのやり方であろうか。
着席位置は正面中央上手側、観客の入りは八割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であったが、私の隣席で曲の途中でパンフレットを弄んでいたのが気になった。
第一曲の「魔法をかけられた湖」、最初からとてもN響とは思えない精緻な音で、観客の心を掴む。表面の皮膚以外は、ベルリンフィルの奏者の組織を移植しているのではないかと思えてしまうほど、信じられない程の精緻さで、準=メルクルですらこのような音は引き出せていない。静寂な湖のほとりに一人で佇みながら、何かが起こりそうな不安をも感じさせるような、不思議な演奏である。
第二曲のショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番は、とても優れた演奏である。諏訪内晶子はリズムの刻みも、朗々と流れるような響きも、キッチリと演奏し、技巧的要素の強い現代曲が強い彼女ならではの完成度の高い演奏である。管弦楽の音に乗っかり、この曲に対してはとても適切な協調的なアプローチで寄り添いつつも、管弦楽を一歩上回る響きで伝わってくる。二重奏的な掛けあいはコントラバスともホルンとも決まりまくっているが、特にホルンとの二重奏は、ホルン-ソロの卓越した演奏とも相まって強い感銘を受ける。曲想上ソリストの自由は制限される性格が強い曲であるが、終了直前のカデンツァは唯一ソリストの自由度が高い部分であり、そこではテンポを自由に揺るがせるが自然なものであり、絶品である。
諏訪内晶子の新しいレパートリーの披露は成功裏に終える。管弦楽の精緻な響きはさらにパワーアップされ、プロコフィエルの「古典」交響曲を演奏しているかのような新古典主義を思わせるような響きとまでなり、さらにテンションを高める演奏である。
休憩後、第三曲目のチャイコフスキー第五交響曲は、盛り上がって当然の曲であるし、事実盛り上がっているし、ソヒエフも小技を利かしていて良い演奏ではあるが、まあ普通に良い演奏と言うところであろうか。私にとってはなんと言うか、何と無く中途半端な感じである。クラリネット・ファゴットの自己主張が私にとっては弱いし、最終楽章コーダでトランペットの音程が乱れたようにも思えたし、どこか白熱戦に今ひとつなりきれてなくて、一方で響きは前半ほどの精緻さが消えている。いつものN響に戻ったのであろうか。昨日のドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの鮮烈な演奏を聴いたばかりであり、N響にとっては酷な環境ではあったのだろうけど。
と言う訳で、九か月振りに諏訪内晶子の演奏を聴けて、かつ諏訪内晶子とソヒエフの意図を緻密に表現しきったN響に感銘を受けた演奏会だったと、総括しておこう。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
アナトーリ=リャードフ 交響詩「魔法をかけられた湖」 op.62
ドミートリイ=ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.129
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第5番 op.64
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:トゥガン=ソヒエフ
NHK交響楽団は、諏訪内晶子をソリストに、トゥガン=ソヒエフを指揮者に迎えて、2013年11月20日・21日に東京-サントリーホールで、第1768回定期演奏会を開催した。同じプログラムで11月23日に足利市民会館(栃木県)、24日に横浜みなとみらいホールで演奏会を行った。この評は、最終日11月24日横浜みなとみらいホールでの公演に対してのものである。
諏訪内晶子は1972年生まれの、言うまでもなく、少なくとも日本ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。あまりに有名であり、説明の必要はなかろう。
指揮のトゥガン=ソヒエフは、当時のソヴィエト社会主義共和国連邦、北オセチア自治共和国生まれ。現在は、トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団、ベルリン-ドイツ交響楽団の首席指揮者である。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→(までは覚えていたが、チェロとヴィオラの配置は忘れた。多分、ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラだったかと)のモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側である。弦楽奏者は、第五プルトであっても雛壇を使わない。ロシア人指揮者ならではのやり方であろうか。
着席位置は正面中央上手側、観客の入りは八割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であったが、私の隣席で曲の途中でパンフレットを弄んでいたのが気になった。
第一曲の「魔法をかけられた湖」、最初からとてもN響とは思えない精緻な音で、観客の心を掴む。表面の皮膚以外は、ベルリンフィルの奏者の組織を移植しているのではないかと思えてしまうほど、信じられない程の精緻さで、準=メルクルですらこのような音は引き出せていない。静寂な湖のほとりに一人で佇みながら、何かが起こりそうな不安をも感じさせるような、不思議な演奏である。
第二曲のショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番は、とても優れた演奏である。諏訪内晶子はリズムの刻みも、朗々と流れるような響きも、キッチリと演奏し、技巧的要素の強い現代曲が強い彼女ならではの完成度の高い演奏である。管弦楽の音に乗っかり、この曲に対してはとても適切な協調的なアプローチで寄り添いつつも、管弦楽を一歩上回る響きで伝わってくる。二重奏的な掛けあいはコントラバスともホルンとも決まりまくっているが、特にホルンとの二重奏は、ホルン-ソロの卓越した演奏とも相まって強い感銘を受ける。曲想上ソリストの自由は制限される性格が強い曲であるが、終了直前のカデンツァは唯一ソリストの自由度が高い部分であり、そこではテンポを自由に揺るがせるが自然なものであり、絶品である。
諏訪内晶子の新しいレパートリーの披露は成功裏に終える。管弦楽の精緻な響きはさらにパワーアップされ、プロコフィエルの「古典」交響曲を演奏しているかのような新古典主義を思わせるような響きとまでなり、さらにテンションを高める演奏である。
休憩後、第三曲目のチャイコフスキー第五交響曲は、盛り上がって当然の曲であるし、事実盛り上がっているし、ソヒエフも小技を利かしていて良い演奏ではあるが、まあ普通に良い演奏と言うところであろうか。私にとってはなんと言うか、何と無く中途半端な感じである。クラリネット・ファゴットの自己主張が私にとっては弱いし、最終楽章コーダでトランペットの音程が乱れたようにも思えたし、どこか白熱戦に今ひとつなりきれてなくて、一方で響きは前半ほどの精緻さが消えている。いつものN響に戻ったのであろうか。昨日のドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの鮮烈な演奏を聴いたばかりであり、N響にとっては酷な環境ではあったのだろうけど。
と言う訳で、九か月振りに諏訪内晶子の演奏を聴けて、かつ諏訪内晶子とソヒエフの意図を緻密に表現しきったN響に感銘を受けた演奏会だったと、総括しておこう。
2013年5月4日土曜日
NHK交響楽団 軽井沢公演 演奏会評
2013年5月4日 土曜日
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
曲目:
ジャン=シベリウス 「カレリア」組曲 op.11
ジャン=シベリウス 「四つの伝説曲」より「トゥオネラの白鳥」 op.22-2
ジャン=シベリウス 交響詩「フィンランディア」 op.26
(休憩)
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第7番 op.92
管弦楽:NHK交響楽団(N響)
指揮:広上淳一
軽井沢大賀ホール(芸術監督:ダニエル=ハーディング)では、4月27日から5月6日までに掛けて「軽井沢大賀ホール2013 春の音楽祭」としてクラシック音楽を中心に7公演を企画しており、その5番目の演奏会として開催されたものである。
昨年の明らかなミスが目立った軽井沢公演とは違い、完成度の高い演奏である。やはりN響は凄い。あの広上淳一の、言うこと聞いているとおかしな方向に進んでいきそうな指揮を、実にN響は良い方向に転換している。管楽器も実に良くきまっていて、昨日のTPOの下手くそな金管楽器とは全く違う出来に、こうでなくてはいけないとの思いを新たにする。
「トゥオネラの白鳥」では、第一ヴァイオリンが、恐怖の第七プルトまであった理由は謎である。この曲だけ第一ヴァイオリンを特別に増強させた広上淳一の意図は不明である。「フィンランディア」では前半、弦楽が濁り、広上の不用意な指揮に管弦楽がちょっと戸惑ったと感じられるところがあった。
休憩後のベートーフェン交響曲第7番は、前半のシベリウスをさらにパワーアップして、弦楽も管楽も素晴らしい出来で、とても完成度の高い演奏だ。緩急の付け方も申し分なく、フルオーケストラかつ軽井沢大賀ホールならではの凝縮された音圧を活かした演奏であり、文句の付けようがない。この曲を説得力を伴って演奏することは、実は難しい曲であるが、あの広上のダンスをしているとしか思えない指揮から、このようなキチっとした演奏が導き出されたのは、不思議としか言いようがない。きっと、N響のメンバーたちは、本気にしては行けないところは賢明に無視し、言う事を聞くべき部分のみ指揮者の指示に従っていたのだろう。そのN響の選択眼が素晴らしかったと言うべきか。
アンコールは、シベリウスの「悲しいワルツ」であった。
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
曲目:
ジャン=シベリウス 「カレリア」組曲 op.11
ジャン=シベリウス 「四つの伝説曲」より「トゥオネラの白鳥」 op.22-2
ジャン=シベリウス 交響詩「フィンランディア」 op.26
(休憩)
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第7番 op.92
管弦楽:NHK交響楽団(N響)
指揮:広上淳一
軽井沢大賀ホール(芸術監督:ダニエル=ハーディング)では、4月27日から5月6日までに掛けて「軽井沢大賀ホール2013 春の音楽祭」としてクラシック音楽を中心に7公演を企画しており、その5番目の演奏会として開催されたものである。
昨年の明らかなミスが目立った軽井沢公演とは違い、完成度の高い演奏である。やはりN響は凄い。あの広上淳一の、言うこと聞いているとおかしな方向に進んでいきそうな指揮を、実にN響は良い方向に転換している。管楽器も実に良くきまっていて、昨日のTPOの下手くそな金管楽器とは全く違う出来に、こうでなくてはいけないとの思いを新たにする。
「トゥオネラの白鳥」では、第一ヴァイオリンが、恐怖の第七プルトまであった理由は謎である。この曲だけ第一ヴァイオリンを特別に増強させた広上淳一の意図は不明である。「フィンランディア」では前半、弦楽が濁り、広上の不用意な指揮に管弦楽がちょっと戸惑ったと感じられるところがあった。
休憩後のベートーフェン交響曲第7番は、前半のシベリウスをさらにパワーアップして、弦楽も管楽も素晴らしい出来で、とても完成度の高い演奏だ。緩急の付け方も申し分なく、フルオーケストラかつ軽井沢大賀ホールならではの凝縮された音圧を活かした演奏であり、文句の付けようがない。この曲を説得力を伴って演奏することは、実は難しい曲であるが、あの広上のダンスをしているとしか思えない指揮から、このようなキチっとした演奏が導き出されたのは、不思議としか言いようがない。きっと、N響のメンバーたちは、本気にしては行けないところは賢明に無視し、言う事を聞くべき部分のみ指揮者の指示に従っていたのだろう。そのN響の選択眼が素晴らしかったと言うべきか。
アンコールは、シベリウスの「悲しいワルツ」であった。
2013年3月9日土曜日
NHK交響楽団 宮崎公演 評
2013年3月9日 土曜日
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
曲目:
コダーイ=ゾルターン ガランタ舞曲
セルゲイ=プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.63
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:ギル=シャハム
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:ディエゴ=マルテス
NHK交響楽団は、2013年3月7日から3月11日までにわたり、ディエゴ=マテウスを指揮者に迎え、東京で一公演、九州の三都市(宮崎・大分・福岡)で各一公演、同じ曲目にて演奏会を開催する。NHK交響楽団の定期演奏会としては位置付けられていない。この評は、第二回目、3月9日に開催された宮崎公演に対してのものである。
約二カ月前にチケットを入手したが、娯楽の少ない宮崎であるせいか人気が凄く、少ない選択肢の中から3階バルコニー上手側後方の席とした。響きは申し分ない。宮崎県立芸術劇場は、豊潤な響きと言うよりはややすっきりした印象の響きである。日本の僻地宮崎にこのような良いホールであることは、奇跡としかいいようがない。
ディエゴ=マテウスの演奏を聴いたのは、2012年1月1日、ヴェネツィア-フェニーチェ大劇場での新年演奏会以来二度目である。縦の線をビシっと揃えたチャイコフスキー第5交響曲の印象があり、ANAのマイレージ特典を使用し、宮崎に乗り込んだ。フェニーチェ大劇場での演奏については、2012年1月のタイムラインで投稿済みである。
ガランタ舞曲は普通の出来。
二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲である。ギム=シャハムのヴァイオリンは弱めであるが、管弦楽と溶け込むように調和しているようで、さりげなく自己主張している。諏訪内晶子のような強く豊潤な響きではなく、パワーがある訳では決してないが、それでも何故かよく聴こえる不思議なソロだ。シャハムはチェロセクションの前に出たり、ヴァイオリン奏者の前に行ったりし、まるで弦楽四重奏でも演奏しているかのように間近で聴きあいながら弾いている。指揮者の立場は??まあ、あまり深く考えなくても良いかと♪管弦楽との調和は完璧で、マテウスの力量が伺える。管弦楽は弱奏がとてもきれいで明瞭な響きだ。ティンパニの弱奏が良いアクセントを与えている。
ソリスト-アンコールは、J.S.バッハの無伴奏パルティータから第3番ガヴォットで、とても完成度の高い素晴らしい演奏だ。ギム=シャハムは、どちらかと言うと700席規模の中規模ホールでリサイタルを行うと、一番の響きで聴ける奏者のような気がする。その点はヒラリー=ハーンと似ている。
休憩後のチャイコフスキー第4交響曲は、作為を入れない、曲を率直に解釈した演奏である。やはり響きがとても明晰できれいに響く演奏である。ミスがないと言えば嘘になるが、縦の線をビシッと合わせるマテウスの意図は強く感じる。気がついて見ると、感情が高ぶる部分でさえも、音の雑さがない。
フェニーチェ大劇場管弦楽団との第5交響曲では、ヴァイオリンと言った高弦が強かったが、今回のN響では低弦が強いのが面白い。チャイコフスキーの演奏ではよくありがちなエモーショナルな展開ではなく、あくまで古典的な様式美を追求するような演奏である。
アンコールは、ブラームスによるハンガリー舞曲第5番であった。
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
曲目:
コダーイ=ゾルターン ガランタ舞曲
セルゲイ=プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.63
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:ギル=シャハム
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:ディエゴ=マルテス
NHK交響楽団は、2013年3月7日から3月11日までにわたり、ディエゴ=マテウスを指揮者に迎え、東京で一公演、九州の三都市(宮崎・大分・福岡)で各一公演、同じ曲目にて演奏会を開催する。NHK交響楽団の定期演奏会としては位置付けられていない。この評は、第二回目、3月9日に開催された宮崎公演に対してのものである。
約二カ月前にチケットを入手したが、娯楽の少ない宮崎であるせいか人気が凄く、少ない選択肢の中から3階バルコニー上手側後方の席とした。響きは申し分ない。宮崎県立芸術劇場は、豊潤な響きと言うよりはややすっきりした印象の響きである。日本の僻地宮崎にこのような良いホールであることは、奇跡としかいいようがない。
ディエゴ=マテウスの演奏を聴いたのは、2012年1月1日、ヴェネツィア-フェニーチェ大劇場での新年演奏会以来二度目である。縦の線をビシっと揃えたチャイコフスキー第5交響曲の印象があり、ANAのマイレージ特典を使用し、宮崎に乗り込んだ。フェニーチェ大劇場での演奏については、2012年1月のタイムラインで投稿済みである。
ガランタ舞曲は普通の出来。
二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲である。ギム=シャハムのヴァイオリンは弱めであるが、管弦楽と溶け込むように調和しているようで、さりげなく自己主張している。諏訪内晶子のような強く豊潤な響きではなく、パワーがある訳では決してないが、それでも何故かよく聴こえる不思議なソロだ。シャハムはチェロセクションの前に出たり、ヴァイオリン奏者の前に行ったりし、まるで弦楽四重奏でも演奏しているかのように間近で聴きあいながら弾いている。指揮者の立場は??まあ、あまり深く考えなくても良いかと♪管弦楽との調和は完璧で、マテウスの力量が伺える。管弦楽は弱奏がとてもきれいで明瞭な響きだ。ティンパニの弱奏が良いアクセントを与えている。
ソリスト-アンコールは、J.S.バッハの無伴奏パルティータから第3番ガヴォットで、とても完成度の高い素晴らしい演奏だ。ギム=シャハムは、どちらかと言うと700席規模の中規模ホールでリサイタルを行うと、一番の響きで聴ける奏者のような気がする。その点はヒラリー=ハーンと似ている。
休憩後のチャイコフスキー第4交響曲は、作為を入れない、曲を率直に解釈した演奏である。やはり響きがとても明晰できれいに響く演奏である。ミスがないと言えば嘘になるが、縦の線をビシッと合わせるマテウスの意図は強く感じる。気がついて見ると、感情が高ぶる部分でさえも、音の雑さがない。
フェニーチェ大劇場管弦楽団との第5交響曲では、ヴァイオリンと言った高弦が強かったが、今回のN響では低弦が強いのが面白い。チャイコフスキーの演奏ではよくありがちなエモーショナルな展開ではなく、あくまで古典的な様式美を追求するような演奏である。
アンコールは、ブラームスによるハンガリー舞曲第5番であった。
2013年2月23日土曜日
NHK交響楽団 横浜公演 評
2013年2月23日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
リスト=フェレンツ 交響詩「前奏曲」 S.97/R.414
リスト=フェレンツ ピアノ協奏曲第1番 S.124/R.455
(休憩)
シャルル=カミーユ=サン-サーンス 交響曲第3番 「オルガン付き」op.78
ピアノ:ヘルベルト=シュフ
オルガン:新山恵理
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:準=メルクル
NHK交響楽団は、2013年2月20日から2月24日までにわたり、準=メルクルを指揮者に迎え、東京で二公演、横浜・名古屋で各一公演、同じ曲目にて演奏会を開催する。東京での二公演は第1750回NHK交響楽団定期演奏会として既に開催された。この評は、第三回目、2月23日に開催された横浜公演に対してのものである。
「前奏曲」が始まる。前日にグルノーブル-ルーブル宮音楽隊(MDLG)の演奏会を聴いたせいか、大管弦楽の精度と言うものはこの程度のものなのだなと、やはりどうしても思ってしまう。ミンコフスキとMDLGは罪深い♪
それでも、この「前奏曲」からして響きに色彩感が溢れているのはなぜだろう。何も知らずに聴いてみると、フランスの管弦楽団かと勘違いしてしまう程の色彩感だ。さすがは日本を代表するN響の力なのか、それともメルクル-マジックであるのか。
二曲目のピアノ協奏曲である。独奏はヘルベルト=シュフ。ピアノはまずは若干弱めで始まるが、シュフはだんだん興に乗り始め、即興的な危険な演奏を繰り広げていく。崩壊するかしないかのギリギリの線を攻めていき、大柄な体格だけど繊細そうな見掛け通りの、儚く危うい魅力に溢れた演奏だ。まさに天才肌の演奏である。この演奏を支えたメルクル+N響も素晴らしい。
シュフのアンコール曲は、リストの「ラ-カンパネラ」。どうも東京公演とは違ったアンコールだったようだ。ソロ演奏となって誰にも配慮する必要がなくなった事もあり、さらに危険度を増した峻烈な演奏だ。こういった危険な演奏をするピアニストは、私が知る限り日本人ではいないのだよなあ。
休憩後の三曲目、いよいよ「オルガン付き」である。横浜みなとみらいホールのオルガンは、米国マサチューセッツ州に本拠を置くC.B.フィスク社製である。この2013年に立教大学新座キャンパス聖パウロ礼拝堂に二台目のオルガンが導入されるまでは、日本で唯一のC.B.フィスク社のオルガンだ。歴史の浅い米国のオルガンは、どのような音がするのだろう。
第一部後半からオルガンが登場する。オルガンの響きは管弦楽と溶け合わせるようなアプローチを取っている。よってオルガンの音量は控えめであるが、フィスク社のオルガンの音色は極めて柔らかく、私の涙腺を共鳴させるものだ。この音色は反則である。泣き出しそうになるのを必死にこらえる。六日前の福井で、鈴木雅明の奴がシュッケ社のオルガンを硬質な響きで大きく響かせたのを思い出して、これとは対照的な柔らかな響きにちょっと感極まってしまったのだ。
歴史の浅い米国で、まるでオーストリアで制作されたかのような柔らかな響きを実現してしまった事に驚愕とさせられる。
一方、管弦楽も冒頭から精緻な演奏が始まる。オルガンのみを売り物とする演奏でなく、管弦楽自体が表現力がさらに増した演奏だ。管弦楽とオルガンとが対立的ではなく、あたかも一心同体のような響きになるよう、計算された見事な演奏である。
準=メルクルの指揮はエネルギッシュではあるがとても明晰な指揮をする。ミンコフスキにしろメルクルにしろ、完成度の高い演奏を仕掛ける指揮者の棒さばきは、無駄がない。
二月の土曜日に、必ず横浜みなとみらいホールに来るという偉業(?)は達成された。当面、みなとみらいに行く予定はない。この二月の演奏会に、なぜか幽霊は出なかったのはどうしてだろう。奏者の三メートル左から音が聞こえてくる、怪奇現象が起こるホールのはずだったのだが。N響は、やはり本拠地以外で聴くのがいいのだなあ。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
リスト=フェレンツ 交響詩「前奏曲」 S.97/R.414
リスト=フェレンツ ピアノ協奏曲第1番 S.124/R.455
(休憩)
シャルル=カミーユ=サン-サーンス 交響曲第3番 「オルガン付き」op.78
ピアノ:ヘルベルト=シュフ
オルガン:新山恵理
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:準=メルクル
NHK交響楽団は、2013年2月20日から2月24日までにわたり、準=メルクルを指揮者に迎え、東京で二公演、横浜・名古屋で各一公演、同じ曲目にて演奏会を開催する。東京での二公演は第1750回NHK交響楽団定期演奏会として既に開催された。この評は、第三回目、2月23日に開催された横浜公演に対してのものである。
「前奏曲」が始まる。前日にグルノーブル-ルーブル宮音楽隊(MDLG)の演奏会を聴いたせいか、大管弦楽の精度と言うものはこの程度のものなのだなと、やはりどうしても思ってしまう。ミンコフスキとMDLGは罪深い♪
それでも、この「前奏曲」からして響きに色彩感が溢れているのはなぜだろう。何も知らずに聴いてみると、フランスの管弦楽団かと勘違いしてしまう程の色彩感だ。さすがは日本を代表するN響の力なのか、それともメルクル-マジックであるのか。
二曲目のピアノ協奏曲である。独奏はヘルベルト=シュフ。ピアノはまずは若干弱めで始まるが、シュフはだんだん興に乗り始め、即興的な危険な演奏を繰り広げていく。崩壊するかしないかのギリギリの線を攻めていき、大柄な体格だけど繊細そうな見掛け通りの、儚く危うい魅力に溢れた演奏だ。まさに天才肌の演奏である。この演奏を支えたメルクル+N響も素晴らしい。
シュフのアンコール曲は、リストの「ラ-カンパネラ」。どうも東京公演とは違ったアンコールだったようだ。ソロ演奏となって誰にも配慮する必要がなくなった事もあり、さらに危険度を増した峻烈な演奏だ。こういった危険な演奏をするピアニストは、私が知る限り日本人ではいないのだよなあ。
休憩後の三曲目、いよいよ「オルガン付き」である。横浜みなとみらいホールのオルガンは、米国マサチューセッツ州に本拠を置くC.B.フィスク社製である。この2013年に立教大学新座キャンパス聖パウロ礼拝堂に二台目のオルガンが導入されるまでは、日本で唯一のC.B.フィスク社のオルガンだ。歴史の浅い米国のオルガンは、どのような音がするのだろう。
第一部後半からオルガンが登場する。オルガンの響きは管弦楽と溶け合わせるようなアプローチを取っている。よってオルガンの音量は控えめであるが、フィスク社のオルガンの音色は極めて柔らかく、私の涙腺を共鳴させるものだ。この音色は反則である。泣き出しそうになるのを必死にこらえる。六日前の福井で、鈴木雅明の奴がシュッケ社のオルガンを硬質な響きで大きく響かせたのを思い出して、これとは対照的な柔らかな響きにちょっと感極まってしまったのだ。
歴史の浅い米国で、まるでオーストリアで制作されたかのような柔らかな響きを実現してしまった事に驚愕とさせられる。
一方、管弦楽も冒頭から精緻な演奏が始まる。オルガンのみを売り物とする演奏でなく、管弦楽自体が表現力がさらに増した演奏だ。管弦楽とオルガンとが対立的ではなく、あたかも一心同体のような響きになるよう、計算された見事な演奏である。
準=メルクルの指揮はエネルギッシュではあるがとても明晰な指揮をする。ミンコフスキにしろメルクルにしろ、完成度の高い演奏を仕掛ける指揮者の棒さばきは、無駄がない。
二月の土曜日に、必ず横浜みなとみらいホールに来るという偉業(?)は達成された。当面、みなとみらいに行く予定はない。この二月の演奏会に、なぜか幽霊は出なかったのはどうしてだろう。奏者の三メートル左から音が聞こえてくる、怪奇現象が起こるホールのはずだったのだが。N響は、やはり本拠地以外で聴くのがいいのだなあ。
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