2014年6月4日水曜日

デヴィッド=ビントレー監督の退任と、政府・新国立劇場のあるべき役割


デヴィッド=ビントレー新国立劇場舞踏部門芸術監督の記事を紹介し、考えた事を述べたい。彼はこの8月で惜しまれながらその職を辞することとなる。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/classic/clnews/02/20140523-OYT8T50246.html?from=tw

「日本で古典への愛情がものすごく深いことが、前に進む妨げになっていないでしょうか。ダンサーは時代を反映することが出来る。それをしないと150年前の作品を再現するだけになる」との発言は重い。大原永子次期監督が選んだ2014/2015シーズンの演目は19世紀バレエばかりで、現代作品の演目はほとんどない。

19世紀バレエの演目をやるなと言うわけではないが(むしろ一定比率で上演するべき)、このような演目ばかりを上演することが国立の劇場としての使命ではない。(様々な問題を抱えているとはいえ)日本には民間のバレエカンパニーがあり、採算をも重視しなければならないこのようなバレエカンパニーが19世紀バレエばかりになるのはやむを得ない。国立の劇場が為すべき役割はもっと広範である。

(少なくとも日本では)観客が見込めない現代作品を取り上げ、発信することは民間カンパニーでは不可能であり、日本国政府が担わなければならない役割の一つである。潤沢な資金を新国立劇場に拠出し、現代バレエ作品の発信に寄与しなければならない。

大原永子次期監督は、「歴史と伝統を持つクラシック・バレエを大切にしなければならない」(The Atre 2014年5月号 6頁)と発言している。しかし、2014/2015シーズンの演目を正当化している意図を持つ彼女の「クラシック」の概念は狭量であり、19世紀バレエ以外は「クラシック」ではないと宣言しているとしか思えない。

言うまでもなくバレエは何百年の歴史を有するものであり、チャイコフスキーに代表される19世紀バレエ作品だけが「クラシック」バレエ作品ではない。18世紀のバレエは無価値なのか?チャイコでなければ「クラシック」ではないのか?

2014年5月26日にNHK-FMにて、マルク=ミンコフスキ指揮ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団演奏で、グルック作曲バレエ音楽「ドン-ファン」が流れたが、このような18世紀以前のバレエ作品に光を当てるのも、日本国政府・新国立劇場の役割の一つであろう。

演目の「バランスが大事です」、このビントレー監督の遺言を大原永子次期監督は深く認識し、2015/2016シーズンの演目に反映するべきであろう。