2017年3月11日 土曜日
Saturday 11th March 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Михаил Иванович Глинка / Mikhail Ivanovich Glinka: “Руслан и Людмила” / “Ruslan e Ludmilla” Ouverture
Сергей Сергеевич Прокофьев / Sergei Sergeevich Prokofiev: Concerto per violino e orchestra n.1 op.19
(休憩)
Antonín Leopold Dvořák: Sinfonia n.9 ‘Z nového světa’ op.95 B.178
violino: 庄司紗矢香 / Shoji Sayaka
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Krzysztof Urbański (指揮:クシシュトフ=ウルバンスキ)
北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2017年3月に日本ツアーを実施し、東京・仙台・名古屋・川崎・福岡・大阪にて演奏会を開催する。この評は、2017年3月11日名古屋公演に対するものである。なお、マトモな音響のホールで聴けるのは、この愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演と、アクロス福岡での公演のみである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方下手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは中央後方の木管のすぐ上手側に付けた。ティンパニ他打楽器は中央最後方、ハープは上手側の位置につく。
着席位置は二階正面上手側、客の入りは8割程であろうか、三階席と二階バルコニー席の舞台真横に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、生理現象とはもうせ、咳が目立ったのは残念である。
一曲目の「ルスランとリュドミラ」序曲は音取りモードのため、ノーコメントだ。二曲目から本気モードとなる。
二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストは庄司紗矢香である。いつも通りの素晴らしい演奏だ。
もちろん、ソロ公演で上演される中小規模のホールで味わえる強い音圧を望むのは無理難題だけど、それでも、刹那刹那で求められる音色は説得力がある。熱狂ではなく、その曲が求めている音色を深く考え、高い技量で実現させていく方向性の演奏である。繊細さを求める路線は、指揮のウルバンスキと相性が良いと思われた。
ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第2番から、アンダンテであった。
後半は、ドヴォルジャークの交響曲第9番、いわゆる「新世界」交響曲である。メジャー中のメジャー作品で、正直余り気乗りはしない曲目であるが、いい意味で裏切られる。
総じて言うと、ウルバンスキが構築したガラス細工を、NDRの完璧な管弦楽(特に管楽)で構築する試みである。この試みは見事に結実したと言って良い。
第二楽章は本当に見事で、繊細さが活きまくる演奏だ。前半部にある、弦楽の弱奏で攻める箇所と、その箇所に至るまで承前起後の部分の繊細な扱い方には、感嘆させられる。ウルバンスキにより微細な点まで響きを組み立て、この場面に至るまでの過程は、驚くべき解釈だ。
随所に出てくる、長めに掛けるフェルマータやパウゼも、構成上のアクセントとなる。それにしても、あんなに長くフェルマータを掛けて、全くブレないNDRの管楽は驚異的である。曲の冒頭の溜めは観客の注意を惹き起こす。
一番大切な、第四楽章最後の部分(もちろん、曲の終結部だ)で、あれ程までのフェルマータを掛けるのは冒険的と言えるが、極めて安定した演奏で酔わせてくれる。ウルバンスキの要求に応えるには、あのレベルでないといけないのだから、管弦楽は大変だけど、見事に達成する。
熱狂路線では決してないし、大管弦楽の演奏にド迫力を求める向きとは正反対の路線だ。その路線の観客からは、否定的な感想が述べられるだろう。
しかし、Krzysztof Urbański は、極めて細部に渡ってよく考えられた解釈で、彼の個性を明確に示し、NDR 北ドイツ放送響は繊細な演奏でその高い技量を活かした。オーボエもクラリネットもファゴットもフルートもピッコロもホルンも、その高い技量があって初めて実現した演奏である。Bravi !!
アンコールは、ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」第一集 第8番であった。
2017年3月11日土曜日
2016年6月1日水曜日
Shoji Sayaka, recital, (1st June 2016), review 庄司紗矢香 無伴奏リサイタル 名古屋公演 評
2016年6月1日 水曜日
Wednesday 1st june 2016
電気文化会館コンサートホール (愛知県名古屋市)
Denki Bunka Kaikan Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach (arr. Jean-Frédéric Neuburger): Fantasia e fuga BWV542
Bartók Béla: Sonata per violino solo Sz.117
(休憩)
Hosokawa Toshio / 細川俊夫: ‘Exstasis’ (脱自)
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.2 BWV 1004
violino: 庄司紗矢香 / Shoji Sayaka
庄司紗矢香は、2016年5月26日から6月7日に掛けて日本ツアーを行い、無伴奏リサイタルを、美深町文化会館(北海道中川郡美深町)、川口総合文化センター(埼玉県川口市)、神奈川県立音楽堂(横浜市)、北広島市芸術文化ホール(北海道北広島市)、電気文化会館(名古屋市)、JMSアステール-プラザ(広島市)、松江市総合文化センター(島根県松江市)、紀尾井ホール(東京)、計8箇所にて上演する。プログラムは全て同一である。
この評は、2016年6月1日電気文化会館の公演に対する評である。
着席位置はやや後方正面中央、チケットは完売した。観客の鑑賞態度は、概して極めて良好だった。
二曲目のバルトークは少し優しく聴こえる。三楽章・四楽章で、すりガラスのような音色を使っている箇所もある。響きはかなり豊かに響かせている。ピッチカートは敢えて尖らせていない感じがある。今日の席は後方で、残響が豊かに聴こえる事もあるのか。全般的に、響きの鋭さと言うよりは、響きの豊かさを追求した印象を持つ。その意味では、アリーナ=イブラギモヴァとは対照的かなあ。
圧巻なのは後半である。
後半の細川俊夫の新作 'Exstasis' とBWV1004との組み合わせは、言葉で言い表わすことが出来ない。Exstasisは巫女、BWV1004はただただ主と人とのお取りなし、あるいは、主と人との対話である。
細川俊夫の新作 'Exstasis' は、作曲の段階で、ヴァイオリンの擦弦楽器としての表現の限界を極めたと言える。庄司紗矢香は、作曲者の極めて高い期待を演奏面で傑出したレベルで実現する。ヴァイオリンの四本の弦で、これ程までの音色が出せるのかと、信じがたい気持ちになる。この演奏会の中で、最も鋭い響きを選択する箇所がある一方で、震えるような音色を聴くと、庄司紗矢香はまさに巫女になって脱自の状態にあったのではないか、と思えるような演奏である。
(本当にトランスしちゃったら演奏不能だと思うけど)それだけに、この巫女のような、トランス状態になって人間界から飛び出すような表現は、重い挑戦だったに相違ない。精神的な負担が大きい曲で、演奏出来る奏者は限られるだろう。技巧面・精神面、両面での卓越した強さが求められる。庄司紗矢香がどれだけの強さを持っていることか!
庄司紗矢香は、実演を聴けば誰でも分かる事であるが、 'Exstasis' の後にバッハのBWV1004を持ってくると言う暴挙を為した。こんな、技巧面でも精神面でもとてつもない強靭さを要するプログラムなど、誰がどう考えても無謀である。結論から言うとこの暴挙は大きな成果を持って成功したと断言出来る。トランスする世界から、主と人との対話の世界への移行であった。
BWV1004に於いて、庄司紗矢香は何か特別な技巧を示すことはしないし、「鋭い」表現を為した訳でもない。テンポは遅めである。彼女は明らかに、鋭さとか技巧の誇示と言ったものを求めなかった。と言うよりは、こんな世界の、人間界の世界の約束事など、どうでもよかったのだろう。
どう考えても、これは主と人との取りなしの場であった。全ての響きなりニュアンスがそのようであった。作為は不要であり、霊感だけがそこにあったと言える。このような表現はしたくはないが、「精神的な響き」と言うものがあるのだとすれば、まさしくこのような演奏こそ該当する。
なので、これはピリオド非ピリオドの様式面だとか、どんな技巧を使ったかとか、テンポの設定がどうであるとか、そんな指標であれこれ言うのでなしに、今そこにある響き、主と人との対話の刹那刹那を感じ取る演奏だ。
まあ、細川俊夫さんの 'Exstasis' でエクシタシーに達した状態でBMW1004を聴き出した私の頭がトランス状態で逝っちゃってただけだろう、って言う批判はあるかもしれない。
それにしたって、ではどうしてそのような暴挙とも言うべき後半のプログラムにしたのか?ワザワザそんなプログラミングをしたのには当然意図があるだろう。後半のプログラム全て、BWV1004を含めた全てが、 'Exstasis' 「脱自」であったのだ。どのように聴くのかは、もちろん観客の自由だけれども、この演奏会の後半は、身も心もエクシタシーに達してトランス状態になって聴くのが、観客にとって幸せな気持ちになれるのではないか。このように私は強く思う。
Wednesday 1st june 2016
電気文化会館コンサートホール (愛知県名古屋市)
Denki Bunka Kaikan Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach (arr. Jean-Frédéric Neuburger): Fantasia e fuga BWV542
Bartók Béla: Sonata per violino solo Sz.117
(休憩)
Hosokawa Toshio / 細川俊夫: ‘Exstasis’ (脱自)
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.2 BWV 1004
violino: 庄司紗矢香 / Shoji Sayaka
庄司紗矢香は、2016年5月26日から6月7日に掛けて日本ツアーを行い、無伴奏リサイタルを、美深町文化会館(北海道中川郡美深町)、川口総合文化センター(埼玉県川口市)、神奈川県立音楽堂(横浜市)、北広島市芸術文化ホール(北海道北広島市)、電気文化会館(名古屋市)、JMSアステール-プラザ(広島市)、松江市総合文化センター(島根県松江市)、紀尾井ホール(東京)、計8箇所にて上演する。プログラムは全て同一である。
この評は、2016年6月1日電気文化会館の公演に対する評である。
着席位置はやや後方正面中央、チケットは完売した。観客の鑑賞態度は、概して極めて良好だった。
二曲目のバルトークは少し優しく聴こえる。三楽章・四楽章で、すりガラスのような音色を使っている箇所もある。響きはかなり豊かに響かせている。ピッチカートは敢えて尖らせていない感じがある。今日の席は後方で、残響が豊かに聴こえる事もあるのか。全般的に、響きの鋭さと言うよりは、響きの豊かさを追求した印象を持つ。その意味では、アリーナ=イブラギモヴァとは対照的かなあ。
圧巻なのは後半である。
後半の細川俊夫の新作 'Exstasis' とBWV1004との組み合わせは、言葉で言い表わすことが出来ない。Exstasisは巫女、BWV1004はただただ主と人とのお取りなし、あるいは、主と人との対話である。
細川俊夫の新作 'Exstasis' は、作曲の段階で、ヴァイオリンの擦弦楽器としての表現の限界を極めたと言える。庄司紗矢香は、作曲者の極めて高い期待を演奏面で傑出したレベルで実現する。ヴァイオリンの四本の弦で、これ程までの音色が出せるのかと、信じがたい気持ちになる。この演奏会の中で、最も鋭い響きを選択する箇所がある一方で、震えるような音色を聴くと、庄司紗矢香はまさに巫女になって脱自の状態にあったのではないか、と思えるような演奏である。
(本当にトランスしちゃったら演奏不能だと思うけど)それだけに、この巫女のような、トランス状態になって人間界から飛び出すような表現は、重い挑戦だったに相違ない。精神的な負担が大きい曲で、演奏出来る奏者は限られるだろう。技巧面・精神面、両面での卓越した強さが求められる。庄司紗矢香がどれだけの強さを持っていることか!
庄司紗矢香は、実演を聴けば誰でも分かる事であるが、 'Exstasis' の後にバッハのBWV1004を持ってくると言う暴挙を為した。こんな、技巧面でも精神面でもとてつもない強靭さを要するプログラムなど、誰がどう考えても無謀である。結論から言うとこの暴挙は大きな成果を持って成功したと断言出来る。トランスする世界から、主と人との対話の世界への移行であった。
BWV1004に於いて、庄司紗矢香は何か特別な技巧を示すことはしないし、「鋭い」表現を為した訳でもない。テンポは遅めである。彼女は明らかに、鋭さとか技巧の誇示と言ったものを求めなかった。と言うよりは、こんな世界の、人間界の世界の約束事など、どうでもよかったのだろう。
どう考えても、これは主と人との取りなしの場であった。全ての響きなりニュアンスがそのようであった。作為は不要であり、霊感だけがそこにあったと言える。このような表現はしたくはないが、「精神的な響き」と言うものがあるのだとすれば、まさしくこのような演奏こそ該当する。
なので、これはピリオド非ピリオドの様式面だとか、どんな技巧を使ったかとか、テンポの設定がどうであるとか、そんな指標であれこれ言うのでなしに、今そこにある響き、主と人との対話の刹那刹那を感じ取る演奏だ。
まあ、細川俊夫さんの 'Exstasis' でエクシタシーに達した状態でBMW1004を聴き出した私の頭がトランス状態で逝っちゃってただけだろう、って言う批判はあるかもしれない。
それにしたって、ではどうしてそのような暴挙とも言うべき後半のプログラムにしたのか?ワザワザそんなプログラミングをしたのには当然意図があるだろう。後半のプログラム全て、BWV1004を含めた全てが、 'Exstasis' 「脱自」であったのだ。どのように聴くのかは、もちろん観客の自由だけれども、この演奏会の後半は、身も心もエクシタシーに達してトランス状態になって聴くのが、観客にとって幸せな気持ちになれるのではないか。このように私は強く思う。
2014年11月2日日曜日
新ダヴィッド同盟 演奏会 評 New "Davidsbundler" Concert review
2014年11月2日 日曜日/ Sunday 2nd November 2014
水戸芸術館 (茨城県水戸市)(Mito, Japan)
曲目:
フランツ=シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番 D898
コダーイ=ゾルターン:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 op.7
(休憩)
ヨハネス=ブラームス:ピアノ五重奏曲 op.34
弦楽四重奏:新ダヴィッド同盟 (New "Davidsbundler" )
第一ヴァイオリン:庄司紗矢香(Shoji Sayaka)
第二ヴァイオリン:佐藤俊介(Sato Shunsuke)
ヴィオラ:磯村和英(Isomura Kazuhide)
ピアノ:小菅優 (Kosuge Yu)
ゲスト奏者(guest):
ヴァイオリン-チェロ:クライヴ=グリーンスミス(Clive Greensmith)
新ダヴィッド同盟は、10月31日・11月2日に別のプログラムを一公演ずつ、計2公演、水戸芸術館にて演奏会を開催する。チェロの石坂団十郎は今回は出演せず、代わりにクライヴ=グリーンスミスが担当する。コダーイのヴァイオリンは、佐藤俊介の演奏となる。
着席位置は正面最前方上手側で生々しい響きとなる。観客の入りはほぼ満席で、補助席使用となった。チケットが完売となったか否かは不明である。
第一曲目のシューベルト、ピアノ三重奏曲からテンションが掛かった全開の演奏だ。庄司紗矢香が時々楽しそうな表情も見せている。
二曲目のコダーイは、金曜日の同じ演目だ。金曜日と同様に素晴らしく、間違った拍手なしで無事終わる♪
今日の公演全般的に、如何にグリーンスミスのチェロがどれだけ盛り立てたかが良く分かる。単なる下支えだけでない厚みのある響きで、チェロが先頭に立つ場面ではニュアンス豊かに奏でる。当然の事ながらグリーンスミスだけでなく、庄司紗矢香を筆頭とする全ての奏者が素晴らしく演奏していることはいうまでもない。
三曲目のブラームスのピアノ五重奏曲が、パッションを強調した白熱した演奏のように感じられたのは、金曜日の後方の席から最前方の席に移動を強いられたからかもしれない。鋭い響きで先鋭的に攻める演奏で私の好みである(優しい演奏が好みの人たちには厳しいだろう)。
最前方上手側の席で、どうしても響きが溶け合わないのは残念であるが、庄司紗矢香たんの表情を観察するのは実に楽しい。三曲目では、かわいい系の顔立ちの紗矢香たんが凛々しい表情で時々椅子から腰を離して演奏していて、顔立ちとのギャップに惹きつけられてしまう♪♪
アンコールは金曜日の演奏と同じく、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲より第三楽章であった。
水戸芸術館 (茨城県水戸市)(Mito, Japan)
曲目:
フランツ=シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番 D898
コダーイ=ゾルターン:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 op.7
(休憩)
ヨハネス=ブラームス:ピアノ五重奏曲 op.34
弦楽四重奏:新ダヴィッド同盟 (New "Davidsbundler" )
第一ヴァイオリン:庄司紗矢香(Shoji Sayaka)
第二ヴァイオリン:佐藤俊介(Sato Shunsuke)
ヴィオラ:磯村和英(Isomura Kazuhide)
ピアノ:小菅優 (Kosuge Yu)
ゲスト奏者(guest):
ヴァイオリン-チェロ:クライヴ=グリーンスミス(Clive Greensmith)
新ダヴィッド同盟は、10月31日・11月2日に別のプログラムを一公演ずつ、計2公演、水戸芸術館にて演奏会を開催する。チェロの石坂団十郎は今回は出演せず、代わりにクライヴ=グリーンスミスが担当する。コダーイのヴァイオリンは、佐藤俊介の演奏となる。
着席位置は正面最前方上手側で生々しい響きとなる。観客の入りはほぼ満席で、補助席使用となった。チケットが完売となったか否かは不明である。
第一曲目のシューベルト、ピアノ三重奏曲からテンションが掛かった全開の演奏だ。庄司紗矢香が時々楽しそうな表情も見せている。
二曲目のコダーイは、金曜日の同じ演目だ。金曜日と同様に素晴らしく、間違った拍手なしで無事終わる♪
今日の公演全般的に、如何にグリーンスミスのチェロがどれだけ盛り立てたかが良く分かる。単なる下支えだけでない厚みのある響きで、チェロが先頭に立つ場面ではニュアンス豊かに奏でる。当然の事ながらグリーンスミスだけでなく、庄司紗矢香を筆頭とする全ての奏者が素晴らしく演奏していることはいうまでもない。
三曲目のブラームスのピアノ五重奏曲が、パッションを強調した白熱した演奏のように感じられたのは、金曜日の後方の席から最前方の席に移動を強いられたからかもしれない。鋭い響きで先鋭的に攻める演奏で私の好みである(優しい演奏が好みの人たちには厳しいだろう)。
最前方上手側の席で、どうしても響きが溶け合わないのは残念であるが、庄司紗矢香たんの表情を観察するのは実に楽しい。三曲目では、かわいい系の顔立ちの紗矢香たんが凛々しい表情で時々椅子から腰を離して演奏していて、顔立ちとのギャップに惹きつけられてしまう♪♪
アンコールは金曜日の演奏と同じく、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲より第三楽章であった。
2014年10月31日金曜日
新ダヴィッド同盟 演奏会 評 New "Davidsbundler" Concert review
2014年10月31日 金曜日/ Friday 31st October 2014
水戸芸術館 (茨城県水戸市)(Mito, Japan)
曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番 K.478
コダーイ=ゾルターン:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 op.7
(休憩)
セザール=フランク:ピアノ五重奏曲
弦楽四重奏:新ダヴィッド同盟 (New "Davidsbundler" )
第一ヴァイオリン:庄司紗矢香(Shoji Sayaka)
第二ヴァイオリン:佐藤俊介(Sato Shunsuke)
ヴィオラ:磯村和英(Isomura Kazuhide)
ピアノ:小菅優 (Kosuge Yu)
ゲスト奏者(guest):
ヴァイオリン-チェロ:クライヴ=グリーンスミス(Clive Greensmith)
新ダヴィッド同盟は、10月31日・11月2日に別のプログラムを一公演ずつ、計2公演、水戸芸術館にて演奏会を開催する。チェロの石坂団十郎は今回は出演せず、代わりにクライヴ=グリーンスミスが担当する。コダーイのヴァイオリンは、佐藤俊介の演奏となる。
着席位置は正面後方上手側、観客の入りは7割程である。左右・舞台背面に空席が目立っている。弦楽五重奏かつ地方での公演となると、庄司紗矢香出演とはいっても集客には苦労するのだろうか。
前半のモーツァルトは、まあ普通の演奏である。水戸芸術館のデッドな響きでは、モーツァルトは厳しいのかもしれない。二曲目のコダーイは素晴らしい。チェロのグリーンスミスがソロの場面でニュアンスを効かせた音色に惹きつけられる。ヴァイオリンが盛り立てるのは当然だけど、あれだけチェロが響くと盛りあがるなあ。
後半はフランクのピアノ五重奏曲。もう言葉を失うほどの名演である。冒頭、小菅優の気だるいピアノが素晴らしい。これに(当時の先鋭的な女流作曲家だったらしい)オーギュスタ=オルメスにフランクが抱いた情欲を表す鋭い弦楽との対比からして、全観客を惹きつける!
曲の進行とともに、「気だるさ」と「情欲」との対比の展開となっていくが、的確に描き分けている演奏だ。ドラマティックな展開である一方で、決して溺れず、パッションを全開に出した一瞬後には、実に気だるい表現になったりする。
もちろん、純音楽的にも庄司紗矢香を筆頭とする奏者は、全てが完璧な技巧で表現する。例えば、庄司紗矢香と佐藤俊介とのユニゾンは完璧に合っており、完璧に合っているからこその厚みのある響きを実現させる。
個々の技術は完璧で、全奏者それぞれがニュアンスに富んだ表現でよく響かせる。あのデッドな響きの水戸芸術館で、あれ程まで響かせるのだ。
一方で個々の技巧だけに決して頼らず、五重奏団としての統一体として完璧な響きを考え抜き実現させる。吉田秀和さんが生きていらっしゃったら、どんなに喜んだだろう。
いつもはそれぞれが別々の活動を繰り広げつつ、二年ぶりに集まったと言うのに、まるでアルカント-カルテットのような世界第一級の常設楽団のように精緻な響きを実現させている。もう手放しで賞賛するのみ。無理して松本から来て良かった!
アンコールは、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲より第三楽章であった。
水戸芸術館 (茨城県水戸市)(Mito, Japan)
曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番 K.478
コダーイ=ゾルターン:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 op.7
(休憩)
セザール=フランク:ピアノ五重奏曲
弦楽四重奏:新ダヴィッド同盟 (New "Davidsbundler" )
第一ヴァイオリン:庄司紗矢香(Shoji Sayaka)
第二ヴァイオリン:佐藤俊介(Sato Shunsuke)
ヴィオラ:磯村和英(Isomura Kazuhide)
ピアノ:小菅優 (Kosuge Yu)
ゲスト奏者(guest):
ヴァイオリン-チェロ:クライヴ=グリーンスミス(Clive Greensmith)
新ダヴィッド同盟は、10月31日・11月2日に別のプログラムを一公演ずつ、計2公演、水戸芸術館にて演奏会を開催する。チェロの石坂団十郎は今回は出演せず、代わりにクライヴ=グリーンスミスが担当する。コダーイのヴァイオリンは、佐藤俊介の演奏となる。
着席位置は正面後方上手側、観客の入りは7割程である。左右・舞台背面に空席が目立っている。弦楽五重奏かつ地方での公演となると、庄司紗矢香出演とはいっても集客には苦労するのだろうか。
前半のモーツァルトは、まあ普通の演奏である。水戸芸術館のデッドな響きでは、モーツァルトは厳しいのかもしれない。二曲目のコダーイは素晴らしい。チェロのグリーンスミスがソロの場面でニュアンスを効かせた音色に惹きつけられる。ヴァイオリンが盛り立てるのは当然だけど、あれだけチェロが響くと盛りあがるなあ。
後半はフランクのピアノ五重奏曲。もう言葉を失うほどの名演である。冒頭、小菅優の気だるいピアノが素晴らしい。これに(当時の先鋭的な女流作曲家だったらしい)オーギュスタ=オルメスにフランクが抱いた情欲を表す鋭い弦楽との対比からして、全観客を惹きつける!
曲の進行とともに、「気だるさ」と「情欲」との対比の展開となっていくが、的確に描き分けている演奏だ。ドラマティックな展開である一方で、決して溺れず、パッションを全開に出した一瞬後には、実に気だるい表現になったりする。
もちろん、純音楽的にも庄司紗矢香を筆頭とする奏者は、全てが完璧な技巧で表現する。例えば、庄司紗矢香と佐藤俊介とのユニゾンは完璧に合っており、完璧に合っているからこその厚みのある響きを実現させる。
個々の技術は完璧で、全奏者それぞれがニュアンスに富んだ表現でよく響かせる。あのデッドな響きの水戸芸術館で、あれ程まで響かせるのだ。
一方で個々の技巧だけに決して頼らず、五重奏団としての統一体として完璧な響きを考え抜き実現させる。吉田秀和さんが生きていらっしゃったら、どんなに喜んだだろう。
いつもはそれぞれが別々の活動を繰り広げつつ、二年ぶりに集まったと言うのに、まるでアルカント-カルテットのような世界第一級の常設楽団のように精緻な響きを実現させている。もう手放しで賞賛するのみ。無理して松本から来て良かった!
アンコールは、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲より第三楽章であった。
2014年4月13日日曜日
庄司紗矢香+メナヘム=プレスラー デュオ-リサイタル 松本公演 評
2014年4月13日 日曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ K.454
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲 op.162 D.574
(休憩)
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 op.137-1 D.384
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番「雨の歌」 op.78
ヴァイオリン:庄司紗矢香
ピアノ:メナヘム=プレスラー
庄司紗矢香とメナヘム=プレスラーは、2014年4月1日から4月13日までに掛けて日本ツアーを行い、高崎(群馬県)・美深町(北海道中川郡、何とまあ、北海道は旭川の北の名寄の北の小さな町に登場したのだ!)・宇都宮・大阪・東京・鎌倉(神奈川県)・松本にて計7公演開催した。この評は、第七回目(最終回)4月13日松本市音楽文化ホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく世界的にトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎えた。今日は、松本で桜が開花し満開に近づきつつある事を踏まえたのか、桜色のドレスで観客の目を惹きつける。
メナヘム=プレスラーは1923年にドイツ、マクレブルク生まれで、昨年12月に90歳に達した。庄司紗矢香とは約60年の年の差で、祖父と孫のように思える。メナヘム=プレスラーは大変小柄な方で、あの庄司紗矢香よりも背が低い程だ。
着席位置は正面中央やや上手側、観客の入りは九割程で、チケットは完売には至らなかったようだ。観客の鑑賞態度は、致命傷にはならない程度に携帯電話の着信音があったものの、拍手のタイミングは余韻が消えた後に為され、またアタッカ気味に進められる曲の進行を妨げる動きもなく、その意味では大変良好であった。
曲を知っている人たちにとってはご存じの通り、聴衆に対しても集中力を要する曲目で、その全てが聴衆を眠らせる魔力を持った曲である。
二人とも目指した方向性は、技巧を見せつけるものではなく、如何に曲を鋭く解釈しニュアンスを豊かにして新たな生命を吹き込むか、と言ったところにある。
完成度は全般的にプログラムの進行とともに上がっていく。リピートがある部分では、二回目の方がより良い出来となっていく。
二人の関係性は、時にヴァイオリンが表に出たり、ピアノが表に出たり、二人で一緒に奏でたりと、かなり明確に区別している。二人とも弱音がとても豊かである。集中力に満ち、ニュアンスに富み、何気ないフレーズからすら新たな命が吹き込まれる名演である。特に最後のブラームスは完璧と言って良い。
プレスラーのピアノは、さすがに90歳であり肉体的に技巧を極める路線では決してないが、何をしたいのかが明確で、優しい響きで淡々と進めているようで、どこか深みが感じられる演奏である。
庄司紗矢香のヴァイオリンから発せられるニュアンスからは、新たな解釈が生まれる。紗矢香の素晴らしいところは、他の誰もが特に意識することなく通り過ぎる場面であっても、新しい世界を構築していく力があるところだ。間違いなく日本人の中で圧倒的な差を持ってトップに君臨するヴァイオリニストであるし、世界的にも彼女のような存在は(いたとしても)稀だろう。
アンコールは四曲あり、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、ショパンの夜想曲第20番(プレスラーのソロ)、ブラームスの「愛のワルツ」、ショパンのマズルカ(op.17-4)(プレスラーのソロ)であった。
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ K.454
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲 op.162 D.574
(休憩)
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 op.137-1 D.384
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番「雨の歌」 op.78
ヴァイオリン:庄司紗矢香
ピアノ:メナヘム=プレスラー
庄司紗矢香とメナヘム=プレスラーは、2014年4月1日から4月13日までに掛けて日本ツアーを行い、高崎(群馬県)・美深町(北海道中川郡、何とまあ、北海道は旭川の北の名寄の北の小さな町に登場したのだ!)・宇都宮・大阪・東京・鎌倉(神奈川県)・松本にて計7公演開催した。この評は、第七回目(最終回)4月13日松本市音楽文化ホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく世界的にトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎えた。今日は、松本で桜が開花し満開に近づきつつある事を踏まえたのか、桜色のドレスで観客の目を惹きつける。
メナヘム=プレスラーは1923年にドイツ、マクレブルク生まれで、昨年12月に90歳に達した。庄司紗矢香とは約60年の年の差で、祖父と孫のように思える。メナヘム=プレスラーは大変小柄な方で、あの庄司紗矢香よりも背が低い程だ。
着席位置は正面中央やや上手側、観客の入りは九割程で、チケットは完売には至らなかったようだ。観客の鑑賞態度は、致命傷にはならない程度に携帯電話の着信音があったものの、拍手のタイミングは余韻が消えた後に為され、またアタッカ気味に進められる曲の進行を妨げる動きもなく、その意味では大変良好であった。
曲を知っている人たちにとってはご存じの通り、聴衆に対しても集中力を要する曲目で、その全てが聴衆を眠らせる魔力を持った曲である。
二人とも目指した方向性は、技巧を見せつけるものではなく、如何に曲を鋭く解釈しニュアンスを豊かにして新たな生命を吹き込むか、と言ったところにある。
完成度は全般的にプログラムの進行とともに上がっていく。リピートがある部分では、二回目の方がより良い出来となっていく。
二人の関係性は、時にヴァイオリンが表に出たり、ピアノが表に出たり、二人で一緒に奏でたりと、かなり明確に区別している。二人とも弱音がとても豊かである。集中力に満ち、ニュアンスに富み、何気ないフレーズからすら新たな命が吹き込まれる名演である。特に最後のブラームスは完璧と言って良い。
プレスラーのピアノは、さすがに90歳であり肉体的に技巧を極める路線では決してないが、何をしたいのかが明確で、優しい響きで淡々と進めているようで、どこか深みが感じられる演奏である。
庄司紗矢香のヴァイオリンから発せられるニュアンスからは、新たな解釈が生まれる。紗矢香の素晴らしいところは、他の誰もが特に意識することなく通り過ぎる場面であっても、新しい世界を構築していく力があるところだ。間違いなく日本人の中で圧倒的な差を持ってトップに君臨するヴァイオリニストであるし、世界的にも彼女のような存在は(いたとしても)稀だろう。
アンコールは四曲あり、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、ショパンの夜想曲第20番(プレスラーのソロ)、ブラームスの「愛のワルツ」、ショパンのマズルカ(op.17-4)(プレスラーのソロ)であった。
2014年1月25日土曜日
庄司紗矢香+サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団 大阪公演 評
2014年1月25日 土曜日
ザ-シンフォニーホール (大阪府大阪市)
曲目:
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 op.35
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団(Санкт-Петербургская Филармония им. Шостаковича)
指揮:ユーリ=テミルカーノフ
サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団は、庄司紗矢香(ヴァイオリン)、エリソ=ヴィクサラーゼ(ピアノ)をソリストに、ユーリ=テミルカーノフに率いられて、2014年1月24日から2月1日までに掛けて日本ツアーを行い、東京・大阪・横浜・名古屋・福岡にて計7公演開催する。庄司紗矢香は1月25日に大阪、1月26日に横浜、1月30日に名古屋にてソリストとして登場する。庄司紗矢香がザ-シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、愛知県立芸術劇場と言った、音響に定評のあるホールのみに登場するのは深い意味がありそうだ。この評は、第二回目1月25日大阪市ザ-シンフォニーホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく日本人ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎える。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置である。舞台後方には舞台下手側からコントラバス→木管楽器とその後ろにティンパニ→金管楽器の順である。ホルンのみ下手側に位置する事もなく、金管楽器は全て舞台上手側に位置する点が今日深い。ロシアの管弦楽団らしく、ティンパニのみが雛壇に乗っており、他は全て同一平面上での演奏である。
着席位置は正面後方下手側、観客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はとても優れた演奏である。ターコイズブルーのドレスを着た庄司紗矢香は、ソロの場面で見せるニュアンスが豊かで、特にテンポの独特かつ巧妙な揺るがせ方が抜群である。これは本当に名状しがたいもので、短い間に微妙に揺るがせ、彫りの深い表情を見せるのだ。
対する管弦楽も、前日のマーラー第2番「復活」の際には乱れていたらしいアンサンブルもキッチリ決まっている。
管弦楽のみの部分ではテンポが速めであるが、庄司紗矢香に引き継がれると、何の違和感なしにテンポがゆっくり目となって、彼女が構築する独自の世界に引き込まれるのが面白い。
庄司紗矢香と管弦楽とのバランスも良く考え抜かれている。これほどまでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を生で接したのは初めてだ。
ソリスト-アンコールは、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」op.6である。庄司紗矢香の構築する深い表現が味わえるアンコールである。
後半のチャイコフスキーの交響曲第4番は、アンサンブルはあっているし、個々の技量も完璧だし、綺麗に響いているし、で、テミルカーノフの意図通りの演奏である。随所に出てくる金管ソロをゆっくり吹かせたり、テンポを特に第二楽章で揺るがせたのが特徴か。大雑把だけどとにもかくにも爆演系でノックアウトさせるというものではなく、良くも悪くも「ロシア」的ではない。「ロシア」的でないという点では、あまり面白くない。
アンコールは、何故かエルガーの「愛のあいさつ」。て、ところがやはりロシアらしくないなあ。メインディッシュは庄司紗矢香と言うところか、彼女の30歳とは思えない彫りの深い表現を味わうことが出来た、演奏会であった。
ザ-シンフォニーホール (大阪府大阪市)
曲目:
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 op.35
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団(Санкт-Петербургская Филармония им. Шостаковича)
指揮:ユーリ=テミルカーノフ
サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団は、庄司紗矢香(ヴァイオリン)、エリソ=ヴィクサラーゼ(ピアノ)をソリストに、ユーリ=テミルカーノフに率いられて、2014年1月24日から2月1日までに掛けて日本ツアーを行い、東京・大阪・横浜・名古屋・福岡にて計7公演開催する。庄司紗矢香は1月25日に大阪、1月26日に横浜、1月30日に名古屋にてソリストとして登場する。庄司紗矢香がザ-シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、愛知県立芸術劇場と言った、音響に定評のあるホールのみに登場するのは深い意味がありそうだ。この評は、第二回目1月25日大阪市ザ-シンフォニーホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく日本人ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎える。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置である。舞台後方には舞台下手側からコントラバス→木管楽器とその後ろにティンパニ→金管楽器の順である。ホルンのみ下手側に位置する事もなく、金管楽器は全て舞台上手側に位置する点が今日深い。ロシアの管弦楽団らしく、ティンパニのみが雛壇に乗っており、他は全て同一平面上での演奏である。
着席位置は正面後方下手側、観客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はとても優れた演奏である。ターコイズブルーのドレスを着た庄司紗矢香は、ソロの場面で見せるニュアンスが豊かで、特にテンポの独特かつ巧妙な揺るがせ方が抜群である。これは本当に名状しがたいもので、短い間に微妙に揺るがせ、彫りの深い表情を見せるのだ。
対する管弦楽も、前日のマーラー第2番「復活」の際には乱れていたらしいアンサンブルもキッチリ決まっている。
管弦楽のみの部分ではテンポが速めであるが、庄司紗矢香に引き継がれると、何の違和感なしにテンポがゆっくり目となって、彼女が構築する独自の世界に引き込まれるのが面白い。
庄司紗矢香と管弦楽とのバランスも良く考え抜かれている。これほどまでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を生で接したのは初めてだ。
ソリスト-アンコールは、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」op.6である。庄司紗矢香の構築する深い表現が味わえるアンコールである。
後半のチャイコフスキーの交響曲第4番は、アンサンブルはあっているし、個々の技量も完璧だし、綺麗に響いているし、で、テミルカーノフの意図通りの演奏である。随所に出てくる金管ソロをゆっくり吹かせたり、テンポを特に第二楽章で揺るがせたのが特徴か。大雑把だけどとにもかくにも爆演系でノックアウトさせるというものではなく、良くも悪くも「ロシア」的ではない。「ロシア」的でないという点では、あまり面白くない。
アンコールは、何故かエルガーの「愛のあいさつ」。て、ところがやはりロシアらしくないなあ。メインディッシュは庄司紗矢香と言うところか、彼女の30歳とは思えない彫りの深い表現を味わうことが出来た、演奏会であった。
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