2017年11月18日土曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa, the 395th Subscription Concert, review 第395回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評

2017年11月18日 土曜日
Saturday 18th Novemver 2017
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)

曲目:
Felix Mendelssohn Bartholdy: Konzert-Ouvertüre ‘Die Hebriden’(「フィンガルの洞窟」)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.18, KV456
Christian Jost: ‘Ghost Song’ für Streichorchester
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.39, KV543

pianoforte: Sophie-Mayuko Vetter
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: Michael Sanderling

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、ピアノ-ソロにソフィー-マユコ=フェッター、指揮にミヒャエル=ザンデルリンクを迎えて、2017年11月18日に石川県立音楽堂で、第395回定期演奏会を開催した。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、トランペットは後方上手、ティンパニはモーツァルト交響曲第39番ではバロック-ティンパニを用い最上手側の位置につく。

着席位置は一階正面わずかに後方上手側、客の入りは八割程であろうか、二階バルコニーに空席が目立った。観客の鑑賞態度は、ごく少数の人たちによるチラシ・プログラム弄りの音が目立ったが、フライングの拍手は一切なかった。

演奏について述べる。

モーツァルトのピアノ協奏曲第18番での、Sophie-Mayuko Vetter は、敢えて鳴らさない路線を選んだようだ。管弦楽に溶け込む独奏である。第二楽章でテンポを限界まで遅くした点に彼女の個性が発揮されたか?その箇所は良かった。

アンコールはスクリャービンの「二つの左手のための小品」からノクターンであったが、私にとっては、正直こちらの方が素晴らしかった。あまりモーツァルト向きのピアニストではないのかなあ。

ミヒャエル=ザンデルリンクによる響きの作り方は、どちらかと言うと管楽重視で、管楽を聴かせるために弦楽を敢えて抑える箇所もあった。テンポは中庸で特段の仕掛けはない。管楽は、全般的に的確な響きを出せた。

クリスティアン=ヨストの ‘Ghost Song’ は日本初演であった。半年前の2017年5月に、作曲家自身の指揮、ベルリン-ドイツ室内管弦楽団の演奏で世界初演された作品である。OEKの弦楽は幽霊を思わせる響きで聴衆の耳を惹きつけた。

#oekjp

2017年11月3日金曜日

Kioi Hall, Opera ‘L'Olimpiade’ (2017) review 紀尾井ホール 歌劇「オリンピーアデ」 感想

2017年11月3日 金曜日
Friday 3nd November 2017
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

演目:
Giovanni Battista Pergolesi: Opera ‘L'Olimpiade’
ジョヴァンニ=バッティスタ=ペルゴレージ 歌劇「オリンピーアデ」

Clistene: 吉田浩之 / Yoshida Hiroyuki
Aristea: 幸田浩子 / Kouda Hiroko
Argene: 林美智子 / Hayashi Michiko
Licida: 澤畑恵美 / Sawahata Emi
Megacle: 向野由美子 / Kono Yumiko
Aminta: 望月哲也 / Mochizuki Tetsuya
Alcandro: 彌勒忠史 / Miroku Tadashi

Production: 粟國淳/ Aguni Jun

orchestra: Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo(紀尾井ホール室内管弦楽団)
direttore: 河原忠之 / Kawahara Tadayuki

紀尾井ホールは、2017年11月3日・5日に、河原忠之の指揮・チェンバロによるジョヴァンニ=バッティスタ=ペルゴレージ作、歌劇「オリンピーアデ」を2公演開催する。日本に於けるバロックオペラの上演は珍しく、セミステージ形式ではあるものの、どのような実体か観劇してみることとした。

この評は、第一公演である2017年11月3日公演に対するものである。

着席位置は一階正面前方やや上手側である。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、時折謎の会話が聞こえていたりした。歌い手の音圧が強く感じられたため、大きな支障にはならなかったが。

一言で言えば、全員素晴らしい公演であった。序盤の固さは3分程で解消し、管弦楽は終始的確な響きを出している。歌い手も全員十二分な声量を持ち、観客全てに強い音圧と、それぞれの声質の個性でニュアンスを加えている。

全ての出演者に満足する歌劇公演は本当に少ない。本来の力を出し切れない体調の時もあるだろう。

そんな歌劇公演の中で、全員が作品への愛情を強く持ち、士気高く、紀尾井ホールの難しい音響(響くホールだから扱いが難しい。デッドな響きの多目的ホールなら、爆音系で攻めればいいだけだもんね)の中での響きの在り方を踏まえた歌と管弦楽を実現したことは、賞賛に値する。

全員素晴らしい中でも、クリステーネ役の吉田浩之は、高音美声系で君主・父親の威厳と慈愛を示す曲芸を達成し、アルカンドロ役の彌勒忠史は、カウンターテノールを感じさせない自然な美声で、第二幕第三幕の重要な部分の構築を果たした。

敢えて、この公演の白眉を挙げるとするならば、第三幕第二場のアルカンドロのアリア「このような状態で不幸な方は」’L’infelice in questo stato’ だろう。彌勒忠史の見事な声は弱唱の箇所もあるが、その箇所での彼のソロと管弦楽の弱奏とが完璧に噛み合っている。この「オリンピーアデ」公演の特質を最も顕著に表した箇所で、個々の歌い手の妙技だけに頼らない、アンサンブル全体としての統一感を感じさせる意図が最も活きた箇所である。

世界的に活躍しているメジャーな客寄せパンダを呼ばず、演出から指揮・歌い手・管弦楽まで、全員日本人でこれほどまでの水準の公演が出来るのを目の当たりにした。

滅多に取り上げられない、眠っている作品を、紀尾井ホールという的確な規模のホールで、高い水準での上演に成功した。紀尾井ホールのこのプロダクションに敬意を表したい。

2017年10月28日土曜日

Biwako Hall Center for Performing Arts, Shiga, Opera ‘Norma’ (2017) review 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 歌劇「ノルマ」 感想

2017年10月28日 土曜日
Saturday 28th October 2017
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール (滋賀県大津市)
Biwako Hall Center for Performing Arts, Shiga (Otsu, Japan)

演目:
Vincenzo Bellini: Opera ‘Norma’
ヴィンチェンツォ=ベッリーニ 歌劇「ノルマ」

Norma: Mariella Devia
Adalgisa: Laura Polverelli
Pollione: Ștefan Pop
Oroveso: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
Clotilde: 松浦麗 / Matsuura Rei
Flavio: 二塚直紀 / Nizuka Naoki
Coro: Biwako Hall Vocal Ensemble, Fujiwara Opera Chorus Group (合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、藤原歌劇団合唱部)

Production: 粟國淳/ Aguni Jun

orchestra: Tokyo Mitaka Philharmonia
maestro del Coro: 須藤桂司 / Sudo Keiji
direttore: 沼尻竜典 / Numajiri Ryusuke

滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールは、2017年10月28日に、沼尻竜典の指揮によるヴィンチェンツォ=ベッリーニ作、歌劇「ノルマ」を1公演開催した。この公演は、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール、日生劇場、川崎市スポーツ・文化総合センター、藤原歌劇団、東京フィルハーモニー交響楽団による共同制作によるもので、既に日生劇場で3公演、川崎市スポーツ・文化総合センターで1公演、上演されている。

本びわ湖公演・川崎公演には東京フィルハーモニー交響楽団は出演せず、指揮者である沼尻竜典の呼びかけにより設立されたトウキョウ-ミタカ-フィルハーモニアによる管弦楽である。

なお、この公演を最後に Mariella Devia は日本から引退する。

着席位置は一階正面前方やや上手側である。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。

総じて、冒頭部のみ固さが見られたが、第一幕中盤以降は、盤石の出来である。

Norma役 Mariella Devia は、充実した全盛期と同様とまでは行かないのだろうが、69歳とは思えぬ驚異的な歌唱を見せた。ヴィブラートは終始綺麗で、声質は清純さを保ち、乙女の役もお姫様の役も全く違和感がない。喉が温まれば、びわ湖ホールの巨大さに十二分に立ち向かえる声量を持つ。貫禄を見せつけ、嫉妬に狂う場面でも、品のある様式美を保っている。年齢故に、思い通りに100%やれたかどうかは別として、音符の一つ一つ、どのようにニュアンスを掛けるか、深く吟味されている。そのニュアンスは、随所で涙腺を潤すもので、舞台がボヤけて見えるほどだ。

私にとっては、最初で最後の Mariella Devia 、日本からの引退が信じられない。

Adalgisa役 Laura Polverelli は、充実した完成度で Mariella Devia に寄り添った。Pollione役の Ștefan Pop は伸びやかな声量で、軽薄さと Norma への罪の意識を的確に表現した。外国人ソリストとしての責務は、三人とも見事に果たしたと言える。

日本人ソリストたち、Oroveso: 伊藤貴之、Clotilde: 松浦麗、Flavio: 二塚直紀、いずれも素晴らしい。外国人ソリストに見事に調和する響きで魅了される。ソリスト全員素晴らしく、この Norma を卓越した公演とするのに貢献した。

また、びわ湖ホール声楽アンサンブル・藤原歌劇団合唱部による合唱は実に綺麗な響きで、日本人の合唱の実力の高さを示した。

沼尻竜典率いるトウキョウ-ミタカ-シンフォニアの管弦楽は、単に鳴らすことだけを考えたものではない、歌い手との響きを綿密に考慮した形跡を強く感じる見事なものである。歌と管弦楽とが、素晴らしく噛み合っており、ソリスト頼りでもない、歌い手頼りでもない、全体的なアンサンブルが見事に構成されたものであった。

演出は、舞台転換がないものでシンプルではあるが、回り舞台を効果的に用い、堅実に Norma の物語の基盤を構築した。

総じて、日本で実現される歌劇公演の中で、極めて質の高い公演であった。世界的なメジャー歌劇場のプロダクションに決して負けていない。Mariella Devia の日本最後の公演を見事に飾るものであった。

2017年9月23日土曜日

Konzerthaus Kammerorchester Berlin, Matsumoto perfomance (23rd September 2017), review ベルリン-コンツェルトハウス-室内オーケストラ 松本演奏会 評

2017年9月23日 土曜日
Saturday 23nd September 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:

Arcangelo Corelli: Concerto grosso in re maggiore op.6-4 (合奏協奏曲ニ長調)
Antonio Vivaldi: ‘L'estro armonico’ Concerto nº 12 op.3-12 RV265
Antonio Vivaldi: ‘L'estro armonico’ Concerto nº 6 op.3-6 RV356
Arcangelo Corelli: Concerto grosso fatto per la notte di Natale op.6-8(クリスマス協奏曲)
(休憩)
Jean Sibelius: Sarja viululle ja jousiorkesterille op.117 JS185 (ヴァイオリンと弦楽のための組曲)
Jean Sibelius: ‘Andante Festivo’ JS34
Edvard Hagerup Grieg:’ Fra Holbergs Tid’ op.40 (「ホルベアの時代から」)

violino: 日下紗矢子 / KUSAKA Sayako
orchestra: Konzerthaus Kammerorchester Berlin (ベルリン-コンツェルトハウス-室内オーケストラ)

ベルリン-コンツェルトハウス-室内オーケストラは、その母体であるベルリン-コンツェルトハウス管弦楽団のコンサートミストレスである日下紗矢子をリーダーとして2009年に結成された室内管弦楽団である。
2017年9月16日から23日までにかけて、フィリアホール(横浜市)・中新田バッハホール(宮城県加美郡加美町)・兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市、なぜか大ホールでの公演だった)岡崎市シビックセンター(愛知県岡崎市)・石橋文化ホール(福岡県久留米市)・松本市音楽文化ホールで、日本ツアーを開催した。今回は、管楽奏者はツアーに参加せず、弦楽とチェンバロ奏者のみによる来日公演である。

この評は、2017年9月23日、第六公演(千秋楽)松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。

弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→コントラバス→ヴァイオリン-チェロの配置で、第一ヴァイオリン4(日下紗矢子を含む)・第二ヴァイオリン3・ヴィオラ2・ヴァイオリン-チェロ2・コントラバス1の数である。前半にはチェンバロもあり、弦楽奏者に半円状に囲まれた中で、客席に背を向けての演奏であった。

着席位置は一階正面後方やや上手側、客の入りは残念ながら四割を切っていた。観客の鑑賞態度は素晴らしかったが、拍手のタイミングが早かった(誰か一人でもそういう奴がいると、そうなる)。もう3秒遅くしてもいいところだ。

演奏について述べる。

第一曲目のコレッリから「流す」要素がなく全力を尽くす演奏で好感が持てる。コレッリ・ヴィヴァルディはノンヴィブラートの演奏で、透明感のある響きを実現させる。テンポは要所で変化させ、全般的には早めで、ピリオド奏法の様式を取り入れているようにも思える。チェンバロの響きが伝わるように、弦楽奏者の音量もよく考えられている。

休憩後は一転して、イタリアから一気に北欧に飛び、シベリウスとグリーグのプログラムである。

滅多に演奏されることがないシベリウスの「ヴァイオリンと弦楽のための組曲」「アンダンテ-フェスティーヴォ」は、全般的に極めて高い水準であるこの演奏会の中でも、最も私の好みに合うものである。「組曲」は夏の高原にいるような雰囲気が感じられ、一方で「アンダンテ-フェスティーヴォ」は少し厳粛な雰囲気を持つ祝典にいるような感がする。

最後のグリーグ「ホルベアの時代より」は、今年のサイトウ-キネン-フェスティバルでも取り上げられており、同じ月の中でこの松本市内で二度演奏されるという異常事態となる。サイトウ-キネンは8-6-5-4-2の編成で長野県松本文化会館のデッドな会場に対応するべく、味付けを分厚く濃厚にして一本調子で乗り切ったような印象があるが、ベルリン-コンツェルトハウス-室内オーケストラでは、4-3-2-2-1と半分以下の規模だ。高い弦を弱めに引いて低弦を際立たせたりと、響きの良いホールでは表現に多様性が生じた点が印象的だ。

アンコールは、モーツァルトのディヴェルティメントK.136から第三楽章、チャイコフスキーの弦楽セレナーデOP.48 第二楽章であった。

(この演奏者での奏者は以下の通り)
violino: 日下紗矢子 / KUSAKA Sayako, Petr Matěják, Luisa Rönnebeck, Elias Schödel, Johannes Jahnel, Karoline Bestehorn, Christoph Kulicke
viola: Katja Plagens, Pei-Yi Wu
violoncello: Andreas Timm, David Drost
contrabbasso: Igor Prokopets
clavicembalo: Christine Kessler

2017年8月6日日曜日

びわ湖ホール オペラへの招待 サリヴァン作曲 コミック-オペラ 『ミカド』 感想

2017年8月5日 土曜日
2017年8月6日 日曜日
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール (滋賀県大津市)

演目:
アーサー=サリヴァン 歌劇「ミカド」(日本語版)

ミカド:松森 治
ナンキプー:二塚直紀
ココ:迎 肇聡
プーバー:竹内直紀
ピシュタッシュ:五島真澄
ヤムヤム:飯嶋幸子
ピッティシング:山際きみ佳
ピープボー:藤村江李奈
カティーシャ:吉川秋穂
貴族・市民:平尾 悠、溝越美詩、益田早織、吉川秋穂、川野貴之、島影聖人、増田貴寛、内山建人、宮城島 康 ほか

合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル

美術:増田寿子
照明:山本英明
衣裳:下斗米雪子
振付:佐藤ミツル
音響:押谷征仁(びわ湖ホール)
舞台監督:牧野 優(びわ湖ホール)

管弦楽:日本センチュリー交響楽団
指揮:園田隆一郎

滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールは、2017年8月5日から6日までの日程で、園田隆一郎の指揮による歌劇「ミカド」を2公演上演した。この他に、同年8月26日から27日までの日程で、新国立劇場にて2公演上演する。この評は2017年8月5日・6日に催された、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールでの公演に対するものである。

着席位置は二階正面上手側である。チケットは両公演とも完売となった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。

(以下ネタバレ注意)

演出は、日本語による上演ということもあり、最新の時事ネタをも取り混ぜたものである。レチタティーヴォにて、「防衛大臣は辞任した」の他、中身白紙の100万円ネタがあり、この作品で求められている風刺を実現させている。

背景は、いかにも外国人観光客向けのウェブサイトを連想させるもの。ほとんど大道具はなく、場面転換もなく、いかに低予算で楽しませるかを狙ったものである。

最初のプロジェクターマッピングで鉄道車両を載せてくるが、懐かしい165系を出したり、E5系ではなくJR北海道所有のH5系(紫帯)を出すなど、映像担当者は絶対テツ(鉄道マニア)だろ!と、ツッコミどころ満載である(笑)。

衣装についてはポップなもので、女性についてはカティーシャ以外は全員「コギャル」の攻めた設定だ。

ミカドは、「公然イチャつき禁止法」に違反すると死刑にするは、死刑囚であるはずのココを最高指導者にするは、破茶滅茶の設定である(笑)

歌い手について述べる。

基本的に男声に力量のあるソリストを配置したことが分かる。

事実上の主役ナンキプー役の二塚直紀は、伸びやかな声量でアクセントを付け、終始全歌い手をリードした。ココ役の迎肇聡も、十二分にある声量だけでなく、その演技力で観客を沸かした。ナンキプーとココと、最も重要な役が素晴らしく、この公演の成功に貢献した。

ミカド役の松森修、プーパー役の竹内直紀も、コミカルな演技と十分な声量で魅了された。

女声では、やはりカティーシャ役の吉川秋穂が圧巻の出来で、この役に必要な貫禄を見せつけた。このストーカー女がやらかさないと面白くならないが、その責を十二分に果たしたと言える。

第一幕での数名規模までの合唱は、二日目の方が良かったか。第二幕前半の五重唱は、両日とも素晴らしい。

歌と管弦楽とのバランスも的確に取られており、歌い手が活きるように、歌と管弦楽とのアンサンブルがよく考えられる。

びわ湖ホールでの公演では、プロセニアムの両脇に日本語、上方に英語の字幕があった。字幕を見ると演者を見なくなる作用もあり、字幕の功罪について述べると長くなるので差し控えるが、字幕を出すのであれば、英語をも出したことは評価に値する。

テアトロ-レアル(マドリード)・リセウ歌劇場(バルセロナ)・ハンブルグ州立歌劇場・チューリッヒ歌劇場でも、現地語に加えて英語字幕は実施されており、もはやグローバルスタンダード、当たり前と言えば当たり前であるが、日本では新国立劇場でも行なっていない事を、手間を掛けて実施した先駆的な試みである。新国立劇場でも、このびわ湖ホールの試みは見習うべき点ではないか。8月26日27日の新国立劇場での上演時でも、英語字幕を実現して欲しい。

ラストは、タコ焼きに阪神タイガースネタを出したり、ミカドはランニング姿になるなど、衝撃的な結末となった(笑)。

2017年7月22日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 448th Subscription Concert, review 第448回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2017年7月22日 土曜日
Saturday 22nd July 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Ouverture ‘Don Giovanni’ KV527
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra KV622
(休憩)
José Pablo Moncayo García: ‘Huapango’
Jesús Arturo Márquez Navarro: Danzón no 2
Alberto Evaristo Ginastera: Estancia (Quatro Danzas del Ballet) op.8a

clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Alondra de la Parra

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、アレッサンドロ=カルボナーレをソリストに、アロンドラ=デ-ラ-パーラを指揮者に迎えて、2016年7月21日・22日に愛知県芸術劇場で、第448回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、特に後半は、メヒコの作曲家モンカーヨ・マルケス、アルヘンティーナの作曲家ヒナステラを充て、中南米音楽に接する貴重な機会を齎している。メヒコの美人指揮者、アロンドラ=デ-ラ-パーラの意向も含まれているだろう。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央から上手側に掛けて、打楽器は最後方中央のティンパニの他は下手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方わずかに下手側、客の入りは8割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、きわめて良好だった。

「ドン-ジョバンニ」序曲の時点で、Alondra de la Parra の棒に名フィルがテンション高く反応する。熱量が高く面白い。

モーツァルトのクラリネット協奏曲は、カルボナーレのソロは見事ではあるが、中弱音を多用したために、ホールの大きさも相まって自己主張は抑えめとなる。むしろ、Alondra de la Parra 率いる管弦楽の方が、第一楽章後半部などで見せる熱量の高い演奏を見せ、カルボナーレとは対照的である点が興味深い。

(余談だが、2016年11月にカルボナーレはカメラータ-ザルツブルクと同じ曲で松本市音楽文化ホールにて共演していたが、その時はカルボナーレがかなりリードしているようにも思えた。ホール規模による印象の差なのか?「カメラータ」とフルオーケストラとの差なのか?)

カルボナーレのソリスト-アンコールは、チャーリー=パーカーの「チェロキー」にちなむ「クラリネット-ロギア」である。モーツァルトの演奏とは打って変わって、カルボナーレがその技巧を惜しみなく注ぎ込み、ホール全体によく響かせる演奏で、とても楽しい。まるで、このアンコールを吹くためにモーツァルトのソロを引き受けたのではないかと思えるほどである。中南米の曲目で固めた後半につなげるような、ヨーロッパからアメリカに飛んだ選曲も素晴らしい。
なお、その光景は、指揮台に座った Alondra de la Parra がスマホで動画撮影し、直後の休憩時に即instagramに投稿している。

後半は、いよいよお待ちかねの中南米音楽である。

まずは、Moncayo ‘Huapango’ モンカーヨの「ウアパンゴ」だ。曲の進行とともに管弦楽が噛み合い始め、管楽弱音ソロで決める場面もキッチリ決まる。私の個人的なポイントは、何と言っても、ヴァイオリンの強烈なウネリを掛けた強奏で、その絶妙かつ強いニュアンスを効かせた強い響きは効果的だ。この場面を愛知県芸術劇場コンサートホールの響きで聴けたのは幸せである。名フィル始まって以来のヴァイオリンの強烈な響きではないだろうか?その旋律を追いかけるトランペットも素晴らしい。

次は、Márquez ‘Danzón’ no 2 マルケスの「ダンソン」第2番である。メヒコの太陽の強烈さは影も深い、印象を持つ。

最後はGinastera: Estancia ヒナステラのバレエ音楽「エスタンシア」組曲版である。どうしても、Damza Final (Malambo) の強烈な旋律が全てを持っていってしまう。名フィルの総力を挙げ、愛知県芸術劇場コンサートホールの響きを知り尽くし、現代音楽で鍛え上げられた弦管打全てが絡み合う名演である。牛の鳴き声を表現しているかと思われる管楽の挿入も見事で、題名の通り、アルヘンティーナの農場を思わせる光景だ。打楽の二連音のアクセントも強めに入る好みの展開である。まさに、愛知県芸術劇場コンサートホール改修工事前の、お別れにふさわしい幕切れだ。シャイな名古屋の観客がスタオベやり始める展開である。

アンコールは、マランボの繰り返しである。これが前代未聞のアンコールとなる。Alondra de la Parra から観客に対して指示が出る。立ち上がろう!手拍子しよう!体を左右に振って踊ろう!(管弦楽も体を左右に振りだしている)しまいには、打楽二連音のアクセントの箇所でジャンプ指令まで出た。まあ、手拍子レベルならあり得る展開であるが、ジャンプまでさせるとはねえ。アロンドラも指揮台の上で楽し気にジャンプしている。日本のクラシック音楽演奏会史に残る伝説的なアンコールであった。

Alondra de la Parra は、管弦楽を情熱的にさせる音楽面での確かな充実ぶりはもちろんのこと、観客を楽しませるエンターテイメントの面でも素晴らしい才覚を発揮した。ソリスト-アンコール中の動画撮影と即時instagram 投稿、アンコールでの観客関与、サラリと前代未聞の仕掛けを実現させていく。メヒコ美女だからこそ、日本の演奏会のスタイルを変えていけるのかもしれない。

Alondra de la Parra は、実はバレエ好きで、名古屋滞在中に English National Ballet の’Coppélia’ 公演を観劇していたりする。instagramを覗くと、Alondra自身がバーレッスンをしている写真もある。この伝説的なアンコールには、彼女のバレエとの関わりをも背景にあるように思える。(余談ではあるが、新国立劇場バレエ団に彼女を指揮者として呼んで、Ginastera の ‘Estancia’ 全幕を上演したら面白いだろなと、頭に浮かんでくる。)

愛知県芸術劇場コンサートホールは、2017年8月から一年以上にわたって改修工事に入る。この第448回定期演奏会は、名フィルにとって改修工事前の最後の演奏会であった。愛知県芸術劇場コンサートホールの響きを十全に活かした響き、革新的な演奏会の在り方の提起、メヒコからの旋風がこの美しいホールに吹き込まれた、画期的な演奏会となった。

2017年7月21日金曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa, the 392nd Subscription Concert, review 第392回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評

2017年7月21日 金曜日
Friday 21st July 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Organ Inprovisation by Thierry Escaich
Franz Peter Schubert: Sinfonia n.7 D759 ‘Incompiuta’
Charles Camille Saint-Saëns: Concerto per violoncello e orchestra n.1 op.33
(休憩)
Thierry Escaich: Concerto per organo e orchestra n.3 'Quatre Visages du Temps' (「時の四つの顔」)

violoncello: Ľudovít Kanta
organo: Thierry Escaich

orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: 井上道義 / Inoue Michiyoshi

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、オルガンにティエリー=エスケシュを迎え、指揮は音楽監督の井上道義、チェロは首席奏者ルドヴィート=カンタが担当し、2017年7月18日から23日までに、石川県立音楽堂(金沢市)・那須野が原ハーモニーホール(栃木県大田原市)・松本市音楽文化ホール・ミューザ川崎シンフォニーホールで、第392回定期演奏会を開催する。

この評は、2017年7月21日、第三回目松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは両側端の位置につく。

着席位置は一階正面後方わずかに上手側、客の入りは四割程であろうか、空席が目立った。観客の鑑賞態度は、極めて素晴らしい。

演奏について述べる。

シューベルトの「未完成」は、低弦を中央後方に置き、通常弦楽の上手側となる位置に管楽を置く変態的な配置であったが、意味があったのかは疑問である。響きは豊かだが、構成は眠くなる感じである。

サン-サーンスのチェロ協奏曲は素晴らしい。チェロと管弦楽との一体感が、曲の進行とともに増してくる。696席の松本市音楽文化ホールならではのチェロの響きで、チェロのソロがこれだけ鳴るホールも少ない。カンタのチェロが情感を深くした第二楽章と思える箇所の、チェロと管弦楽との掛け合いは、同じ方向性を向いた、家族のような一体感を感じさせるものである。

エスケシュのオルガン協奏曲は、オルガンと管弦楽とがブレンドされ、誰が鳴らしているのか分からないほどの見事な演奏である。第二楽章の弦楽とオルガンとの一体感を感じさせる響きに惹きつけられる。一方で、両翼に配置した打楽は的確なアクセントを与える。楽器の構成がワールドワイドで楽しい。

サン-サーンスのチェロ協奏曲と、エスケシュの世界初演されたばかり(松本が第三公演!)のオルガン協奏曲を味わう事ができた、充実した演奏会であった。

#oekjp

2017年6月4日日曜日

Gustav Mahler Ensemble, Matsumoto Concert (2017), review グスタフ=マーラー-アンサンブル 松本公演 評

2017年6月4日 日曜日
Sunday 4th June 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244
ハイドン:弦楽四重奏曲 変ロ長調「日の出」作品76-4
J.シュトラウスⅡ:ジーフェリングのリラの花 〜喜歌劇『踊り子ファニー・エルスラー』より 
J.シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル「浮気心」op.319 
S.メルカダンテ フルート協奏曲 op.57 第三楽章
R.シュトルツ:ウィーンは夜が一番美しい 〜喜歌劇『春のパレード』より
(休憩)
W.A.モーツァルト:弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458「狩」
J.シュトラウスⅠ:ギャロップ「ため息」op.9
P.A. ジュナン 「ヴェニスの謝肉祭」 フルートと弦楽による
F.レハール:私の唇に熱き口づけを 〜喜歌劇『ジュディッタ』より

soprano: Monika Mosser / モニカ=モッシャー
violino 1: Alexander Burggasser / アレクサンダー=バーギャセル
violino 2: 大竹貴子 / Otake Takako
viola: Peter Sagaischek / ペーター=ザガイシェク
violoncello: Nikolaus Straka / ニコラス=ストラーカー
flauto: Matthias Schulz / マティアス=シュルツ

グスタフ=マーラー-アンサンブルは、2017年6月3日から5日までにかけて、日本ツアーを実施し、各務原(岐阜県)・松本・名古屋にて演奏会を開催する。この評は、第二公演2017年6月4日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。

メンバーは、ヴィーン交響楽団のコンサートマスターの他、ヴィーンフィル・フォルクスオーパー等の奏者などによって構成されている。大竹貴子は、名古屋近郊の出身でスズキメソードの教育を受けた後、現在、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団のアフェリエイト-プレイヤーである。

着席位置は一階正面後方やや上手側、観客の入りは半分弱。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。

全般的に、前半は、弦楽・管楽・ソプラノとの響きのバラバラ感があったが、後半は完成度の高い演奏を見せた。

モーツァルトの「狩」は、松本市音楽文化ホールの響きを活かした演奏で、端正な方向性を志向した演奏だ。管弦楽団の奏者を本職にしていて、かつアウェイの難しい響きのホールでの演奏を考えれば、素晴らしい演奏である。完成度の高い演奏を目指し、安全運転気味な要素はあったけど、と思うのは贅沢か?

「ヴェニスの謝肉祭」は、フルートの超絶技巧が活き、また弦楽の深みのある響きが出た点でも、この演奏会の白眉である。

「私の唇に熱き口づけを」では、ソプラノとフルート・弦楽のバランスがキチッと取られている。この松本市音楽文化ホールは、音量面では楽勝なホールであるが、美しく響かせるコントロールは難しい。この曲では、ソプラノの響きのコントロールが最も良く取られていた。ダンスも交えていて、もちろんバレエダンサーのような技巧を駆使したものではないけれど、明らかに何らかの舞踊教育を受けた事が分かるダンスであった。

アンコールは、ジーツェンスキーの「ヴィーン我が夢の街」、ビゼー「アルルの女」第二組曲よりメヌエット、ヨハン=シュトラウス(父)の「アンネン-ポルカ」の三曲であった。「アンネン-ポルカ」では、モニカ=モッシャーがシャンパーニュを放つは、グラスを落として割ってしまうわと、やりたい放題であった。

2017年6月3日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 446th Subscription Concert, review 第446回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2017年6月3日 土曜日
Saturday 3rd June 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
吉松隆/ Yoshimatsu Takashi: 「鳥は静かに…」 / ‘And Birds are Still...’ op.72
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Concerto per violino e orchestra op.35
(休憩)
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: Sinfonia n.12 op.112 ≪1917-й год≫ 「1917年」

violino: Noah Bendix-Balgley (ノア=ベンディックス-バルグリー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 川瀬賢太郎 / Kawase Kentaro

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、米国生まれのノア=ベンディックス-バルグリー(ヴァイオリン)をソリストに、川瀬賢太郎を指揮者に迎えて、2017年6月2日・3日に愛知県芸術劇場で、第446回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を別とすれば、吉松隆による1998年の作品「鳥は静かに…」、ドミトリー=ショスタコーヴィチの交響曲第12番と、近現代音楽から構成されている。バランスが取れた曲目と言えるかもしれない。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は中央最後方下手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、時折ノイズはあったものの、概ね良好であった。

「鳥は静かに...」は、弦楽のみによる神経を通わした演奏である。

二曲目のチャイコフスキーによるヴァイオリン協奏曲は、一言で言うと面白かった。

ヴァイオリンのNoah Bendix-Balgley は、特に第一楽章前半では遅めのテンポで朗々と奏でるような方向性の演奏で、少し小技を用いてニュアンスを掛けてはいるものの、眠くなりがちのように思えた。しかし、ヴァイオリンが休み管弦楽のみで最強奏全速前進し始めた箇所は、目が覚め、ここからが Noah と川瀬賢太郎とによる共謀作業が始める。Noah のカデンツァは、朗々とした美しい響きで、王道を歩む演奏だ。

第二楽章では、極限まで弱い響きにしたりするし。第三楽章冒頭で、Noah がリタルダンドを掛けるニュアンスはバッチリ効いた。第一楽章とは逆に、管弦楽だけで極端に遅いテンポにした箇所もあり、ニヤケてしまう。

一方で、Noah と川瀬賢太郎とによる構成はよく考えられており、ソリストと管弦楽との響きのバランスも取れており、記憶に留められない程の数々の仕掛けにより、個性溢れるチャイコフスキーを実現した。

好き嫌いが分かれそうな演奏であり、ブーイングとこれに対抗するブラヴォーが飛び交うかと期待、、じゃなかった、心配をしたが、観客の反応は思ったよりも暖かい反応で、その意味では、つまらなかった(←コラ

後半は、ショスタコーヴィッチの交響曲第12番である。前常任指揮者である Martyn Brabbins による、現代音楽の演奏により鍛え上げられた、名フィルの総力を結集した演奏である。弦管打全てが的確に絡み合い、全奏者が一致団結して成し遂げる演奏である。もちろん、どんな強奏になっても美しい響きを保つ管楽の力には注目させられるけど、弦楽も士気に溢れるパッションを出し、打楽もショスタコーヴィッチの求める躍動感を見事に表出する。全管弦楽が一体となったハーモニーの美しさが、どんなに速く強く演奏する箇所でも、常に保たれる。フル-オーケストラの威力を存分に堪能した演奏であった。

#名フィル446

2017年4月29日土曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Le nozze di Figaro’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「フィガロの結婚」 感想

2017年4月29日 土曜日
Saturday 29th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Opera ‘Le nozze di Figaro’ K.492
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」

Il Conte Almaviva: Pietro Spagnoli
La Contessa: Aga Mikolaj
Figaro: Adam Palka
Susanna: 中村恵理 / Nakamura Eri
Cherubino: Jana Kurucová
Marcellina: 竹本節子 / Takemoto Setsuko
Bartolo: 久保田真澄 / Kubota Masumi
Basilio: 小山陽次郎 / Oyama Yojiro
Don Curzio: 糸賀修平 / Itoga Shuhei
Antonio: 晴雅彦 / Hare Masahiko
Barbarina: 吉原圭子 / Yoshihara Keiko
due Fanciulle: 岩本麻里 / Iwamoto Mari, 小林昌代 Kobayashi Masayo

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)

Production: Andreas Homoki
Set design: Frank Philipp Schlössmann
Costumes design: Mechthild Seipel
Lighting design: Franck Evin

orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Constantin Trinks

新国立劇場は、2017年4月20日から29日までの日程で、コンスタンティン=トリンクスの指揮による歌劇「フィガロの結婚」を4公演開催した。この評は2017年4月29日に催された第四回目、千秋楽公演に対するものである。

着席位置は二階正面中央である。天皇陛下のお座りになる位置である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。

ソリストの出来について述べる。

4月23日の出来で最も素晴らしかったのは、ケルビーノ役の Jana Kurucová であったが、今日の公演では、ロジーナ役の Aga Mikolaj であった。

Aga Mikolaj は、4月23日公演では冒頭部の登場場面でのヴィブラートが気になったが、今日は特に美しく響いた。席の場所によるものかもしれない。

もちろん、ケルビーノ役の Jana Kurucová は今日も素晴らしい。また、マルチェリーナ役の竹本節子も、若い男に対する欲望と、母親としての慈愛を的確に表現した。

スザンナ役の中村恵理は、モーツァルトにしては重い声である。どうもソプラノを聴いた実感がない。メゾソプラノの Jana Kurucová の方が余程スザンナに向いているように思える私の感覚はおかしいか?

中村恵理を含め、他のソリストは、場面場面での出来不出来が激しいように思えた。

管弦楽については、やはり金管の実力が、モーツァルトやハイドンといったような、古典派だからこそ厳しく求められることを実感する。ホルンの出来は、素晴らしく溶け込んだハーモニーを構成したと思える箇所もあれば、ガタガタな場面でモーツァルトの意図を壊した場面もあり、モーツァルトの音楽が管弦楽奏者に求める残虐なまでの要求が露呈する結果となった。

2017年4月22日土曜日

Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo, the 106th Subscription Concert, review 第106回 紀尾井ホール室内管弦楽団 定期演奏会 評

2017年4月22日 土曜日
Saturday 22th April 2017
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: Concerto in Re
Johann Sebastian Bach: Concerto per due violini BWV1043
(休憩)
Franz Joseph Haydn: ‘Le sette ultime parole del nostro Redentore in croce’ Hob.XX/1A (十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉)

violino 1: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
violino 2: 千々岩英一 / Chijiiwa Eiichi
orchestra: Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo(紀尾井ホール室内管弦楽団)
direttore: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック

紀尾井ホール室内管弦楽団(KCO)(旧紀尾井シンフォニエッタ東京(KST))は、ライナー=ホーネック=バラホフスキーをソリスト/指揮者に迎えて、2017年4月21日・22日に東京-紀尾井ホールで、第106回定期演奏会を開催した。旧名称による本拠地での演奏から10ヶ月ぶりの演奏となる。ストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」やハイドン「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」と言った、滅多に演奏されない曲目を演奏するなど、新名称になって初めての演奏会として意欲的なプログラムとなっている。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管後方上手側、ティンパニは最後方中央の位置につく。

着席位置は一階正面後方僅かに上手側、曲目がマイナーであるためかチケットは完売せず、当日券を売り出していたが、9割程の入りはあったか。サボっている定期会員もいた。観客の鑑賞態度は、時折細かいノイズはあったが、概ね良好出会った。最後の曲目の拍手が、指揮者の明確な合図があってから為されれば、なお良かったが。

第一曲目のストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」は、上手側の低弦が印象に残る。ヴィオラのソロらしき箇所が素晴らしく響く。

前半のソリスト(?)アンコールは、ヨーゼフ=ヘルメスベルガー父による第二曲目BWV1043の第三楽章のカデンツァで、これは面白かった。

後半は、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」。

まず、この知られていない曲目を取り上げたこと自体が快挙である。この緩徐楽章ばかりの難曲を、奇を衒わず的確な響きで、緊張感に満ちた演奏を繰り広げる。

序奏の強い響きで惹きつけ、その後も弱奏・強奏とも繊細で美しい響きである。管楽の入る箇所での響きの構成も的確である。Rainer Honeck によりよく考えれた構成のもとで、管弦楽にその趣旨が行き渡り、精緻な響きで実現させていく。縦の線がよく合うことが、単なる技術の見せびらかしでなく、シンプルで誤魔化しの効かないこの難曲を活かしていくのに、どれ程貢献しているか!

モダン系による演奏としては、このアプローチは正解であると思える。曲目の性質上、ヴィヴィッド路線でと言う訳にも行かまい。ピリオド系だと、どのようなアプローチになるのだろう?とも思うけど。

この曲を、紀尾井ホールとそも座付きの管弦楽で聴けたのは、幸せな体験であった。音響が優れた中規模ホールで、技倆のある室内管弦楽団でなければ実現出来ない企画を高いレベルで達成した。

大管弦楽は沢山あるクセに、室内管弦楽団がたった一つしかないこの東京で、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」を、紀尾井ホールの企画力と、その企画を高いレベルで実現する紀尾井ホール室内管弦楽団の実力により披露した意義は極めて大きい。

名称を変更した後の、初回の定期演奏会を、まずは意義深く達成した演奏会であった。

2017年4月16日日曜日

Bach Collegium Japan, Passione secondo Matteo (J.S. Bach) Matsumoto Concert (2017), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「マタイ受難曲」松本演奏会 評

2017年4月16日 日曜日
Sunday 16th April 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244

soprano: Hannah Morrison
soprano: 松井亜希 / Matsui Aki
contralto: Robin Blaze
contralto: 青木洋也 / Aoki Hiroya
Evangelista: Benjamin Bruns
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Christian Immler
basso: 加耒徹 / Kaku Toru
coro e orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki

バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2017年4月13日から16日までにかけて、J.S.バッハの マタイ受難曲 演奏会を、名古屋・東京・与野(埼玉県)・松本にて開催した。この評は、千秋楽2017年4月16日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。

管弦楽配置は、ヴァイオリンとヴィオラは左右対称に配置し、通奏低音は中央に置く。ホールのオルガンは使わず、通奏低音奏者の後ろでポジティフオルガンを二台置いた。歌い手は管弦楽の後ろを取り囲むように配置し、福音史家は指揮者のすぐそばに、他のソロパートは、最後方中央から歌ったり、指揮者のそばだったり、管弦楽の中に混じる場所だったりと、場面に応じた場所での歌唱となる。

着席位置は一階正面後方ほぼ中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、曲終了直後のBravoは残念だった。連鎖反応で鈴木雅明さんが手を下ろしていないのに満場の拍手となってしまったのは残念だ。通常松本では、余韻は守られることが多いが、県外からの聴衆がやってしまったか?

やはり、福音史家 Evangelista役の Benjamin Bruns は世界最高だと思う。「マタイ受難曲」の福音史家役で、これだけの素晴らしさを見せつけられたら、彼以外の歌い手は考えられない。あまりの別格ぶりに唖然とするしかない。

声の美しさ、ニュアンスの付け方、ホールの響きを味方につける巧みさ、綿密に響きを計算する構築力、全部完璧である。

残響が豊かである故に綺麗な響きを作り上げるのが難しい、松本市音楽文化ホールの飽和点を的確に認識して最高音を設定し、ホールの残響を計算して大胆に踏み込み、美しい響きで実現させる技には感嘆するしかない。

通奏低音はエッジを効かせる箇所もあり、ニュアンスを楽しめた。後ろで短いソロを披露する歌い手の皆様も随所で見事である。

また、Christian Immler のソロの他、私の好みとしては青木洋也のただ一箇所の長いソロも聴き惚れる。

重ねて書くが、松本市音楽文化ホールのような響くホールは、響きのコントロールや組み立て方が難しい。BCJにとって初めての場所、で当日に臨んで戸惑われたかも知れないけれど、だんだん響きがホールと馴染んでくるのはさすがである。若松夏美さんのソロはじめ、管弦楽も素晴らしかった。

2017年4月15日土曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Otello’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「オテロ」 感想

2017年4月15日 土曜日
Saturday 15th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Giuseppe Verdi: Opera ‘Otello’
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「オテロ」

Otello: Carlo Ventre
Desdemona: Serena Farnocchia
Iago: Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov
Lodovico: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Cassio: 与儀巧 / Yogi Takumi
Emilia: 清水華澄 / Shimizu Kasumi
Roderigo: 村上敏明 / Murakami Toshiaki
Montano: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
un Araldo: Tang Jun Bo

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Setagaya Junior Chorus (児童合唱:世田谷ジュニア合唱団)

Production: Mario Martone
Set design: Margherita Palli
Costumes design: Ursula Patzak
Lighting design: 川口雅弘 / Kawaguchi Masahiro

orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Paolo Carignani

新国立劇場は、2017年4月9日から22日までの日程で、パオロ=カリニャーニの指揮による歌劇「オテロ」を5公演開催する。この評は2017年4月15日に催された第三回目の公演に対するものである。

着席位置は一階正面ど真ん中である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、特に前半は、一階席中央はノイズが目立った。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。50トンもの水を用い、ヴェネツィアの街を再現した舞台は美しい。舞台中央に置かれた寝室は、廻り舞台となっている。オケピット下手側には橋が架けられ、第一幕でのオテロ他の客席側からの登場の場面や、第三幕冒頭での幕をスノコまで上げないシーンで、舞台効果を発揮した。実に素晴らしい舞台装置である。

休憩は、第二幕と第三幕との間で一回だけ設けられた。以下、前半は第一幕・第二幕、後半は第三幕・第四幕を言う。

ソリストの出来について述べる。

題名役 Otello を演じた Carlo Ventre は、第一幕や第三幕冒頭、第三幕の Otello・Cassio・Iagoの三重唱の場面で、ニュアンスに乏しい単調な場面があった難点はあるが、概して声量はあり、第四幕は素晴らしい出来であった。

Desdemona を演じた Serena Farnocchia は、得意とする声域で伸びやかに歌う場面は比較的良いが、低めの声域では声量がなく、声が特別美しい訳でもなかった。それでも何故か第四幕では、一応決めたと言えるか?ソプラノを聴いた実感は、薄かった。

Iago役の Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov は、声量が新国立劇場の巨大さとマッチしていないのが残念である。1000席前後の中小規模の歌劇場であれば、良い方向で変わった結果が得られたかもしれない。第三幕での装飾音を決める場面の出来は、良くなかった。歌で決めるべき場面では確実に決めて欲しい。観客は演劇を観に来たのではなく、音楽を聴きに来ているのだから。

日本人キャストでは、前半で Cassio 役の与儀巧 / Yogi Takumi 、第四幕で Emilia 役の清水華澄 / Shimizu Kasumi 、総督大使役の 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu は素晴らしい。

総じて、美しい歌声を楽しむ感じではなく、第二幕終盤で Otello 役と Iago 役とで縦の線が乱れるなど、前半部では低調であった。

最も素晴らしかったのは管弦楽の東フィルであった。この「オテロ」では、管弦楽は煽る傾向にあったが、指揮者の要求に的確に応えたと言える。第三幕での総督大使到着の場面での、金管の精緻な演奏は見事であった。

2017年3月26日日曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Lucia di Lammermoor’ (26th March 2017) review 新国立劇場 歌劇「ランメルモールのルチア」 感想

2017年3月26日 日曜日
Sunday 26th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)

Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji

armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti

新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月26日に催された第五回目千秋楽の公演に対するものである。

着席位置は一階正面上手側である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。

私にとっては、3月20日の公演とは打って変わって、総じて素晴らしい公演になった。

ソリストの出来について述べる。

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti

鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、結果的に素晴らしかったとは言えるが、手放しでの賛辞ではない。

Olga Peretyatko オルガ=ペレチャッコは、3月20日公演と比べたら断然良い出来に思える。音域が変化する場所で自然な遷移にならなかったり、不自然さを感じさせたり、音程に甘さを感じさせた箇所もあり、何よりもルチア役に求められる中低音領域の弱さは気になる。ベルカントの歌い手として売りにするのは疑問を呈せざるを得ない。しかしながら、高音域スイートポイントの美声とコントロール、勢いで観客を力づくでノックアウトした感じである。

それでも、第三幕で一回目に倒れる直前の、ルチア役とアルモニカとによるフーガの場面はほぼ完璧だったと言えるし、第二幕六重唱の箇所でのアクセントは的確であるし、第三幕で最低限掛けるべき装飾音も、美声と勢いとで乗り切った。

3月20日公演では気になったヴィブラートも、今日は美声の印象が強い。

Olga Peretyatko の苦手とする部分は、結果的に、得意の高音部の美声と勢いとで糊塗することに、成功したか。是非はともかく、まあいいや!って感じではある。

Edgardo: Ismael Jordi

勢いで観客をノックアウトした Olga Peretyatko とは対照的に、的確な声で攻めたのは、エドガルド役の Ismael Jordi イスマエル=ホルディ(新国立劇場の表記ではイスマエル=ジョルディです)でしょう。

終始特に音域上で得意不得意を感じさせない、堅実な技巧を感じさせる。

Enrico: Artur Rucinski

エンリーコ役の Artur Rucinski アルトゥール=ルチンスキーも、要所で堅実な技巧を見せる。印象的な箇所は、第二幕六重唱の部分で掛けるアクセントで、ペレチャッコと同様に的確であった。

日本人ソリストについて述べる。

Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
教師として、威厳と貫禄を感じさせた。

Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka

両者とも、要所で十分な声量をもって劇場内の空間を満たし、外国人ソリスト頼みにせず、歌劇の緊張感を保った。

東フィルの金管楽器陣も、3月20日公演とは格段に違う高い水準の演奏である。もちろん、綺麗な弱奏が欲しいと感じさせる箇所もあるが、一方で第三幕冒頭部での的確な響きなど、聴かせる部分もあった。

本日の公演を通して、いろいろ突っ込み所はあるものの、総じて満足出来る公演で、スタオベも当然と納得する公演であった。

2017年3月25日土曜日

Schiff András, recital, (25th March 2017), review シフ=アンドラーシュ 与野公演 評

2017年3月25日 土曜日
Saturday 25th March 2017
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per pianoforte n.17(16) K.570
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n.31 op.110
Franz Joseph Haydn: Sonata per pianoforte Hob. XVI:51
Franz Peter Schubert: Sonata per pianoforte n.20 D.959

pianoforte: Schiff András

マジャールのピアニスト、シフ=アンドラーシュは、2016年3月17日から25日に掛けて日本ツアーを実施し、リサイタルを、いずみホール(大阪市)、神奈川県立音楽堂(横浜市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)(2公演)、彩の国さいたま芸術劇場(埼玉県与野市)にて、計5公演開催する。理想的な音響となる中小規模ホールでの公演は、いずみホールと彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールの二か所だけである。

この評は、日本ツアー千秋楽である3月25日彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホールでの公演に対する評である。

着席位置は正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、極めて良好だった。

使用ピアノは、 Bösendorfer MODEL280VC である。ピアノの配置は、通常は上手側に真っ直ぐ向けられているものを、舞台奥側に15度ほど偏心させた。移動用の車輪は奏者に対して踏ん張るようにしてロックされた(通常はピアノの中心に向けてロックされる)。

休憩はなく、あたかも、一曲を一楽章とし、四曲をもって一つの曲にする意図を感じさせた。楽章間はアタッカ風に処理され、曲間も10秒も経過せずに次の曲が始められた。

彩の国さいたま芸術劇場の音楽ホールはやはり素晴らしく、モーツァルトやハイドンについてもマトモに響く。タケミツメモリアルでは、こうはいかなかっただろう。

感想は敢えて短く示そう。

シフの解釈は、引き算の解釈のように思える。これ見よがしのギアチェンジを行うことなく、自然な運びの中で、繊細に考えられた一音一音を奏でていく感じである。

私は、曲の刹那刹那を楽しむようなアプローチで臨んだ。Beethoven op.110 の第二楽章のある場面が、心に響く。

Bösendorfer MODEL280VC は、強奏部でもスタインウェイのような鋭い響きにならないところが、シフの解釈と曲想とに合致している印象を持つ。

機嫌が良かったのか、アンコールは何と7曲である。タケミツメモリアルでも、そのくらいの量のアンコールであったそうだ。シューベルトD.946から第一曲、J.S.バッハの「インヴェンション」1番 BWV772、同8番 BWV779、ベートーヴェン「6つのパガテル」から第6曲 op.126、シューベルトD.946から第三曲、J.S.バッハ パルティータ第四番から第五曲 サラバンド、最後はマジャールの作曲家 バルトーク=ベーラの「マジャールの旋律による三つのロンド」から第一曲であった。

2017年3月20日月曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Lucia di Lammermoor’ (20th March 2017) review 新国立劇場 歌劇「ランメルモールのルチア」 感想

2017年3月20日 月曜日
Monday 20th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir

Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji

armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti

新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月20日に催された第三回目の公演に対するものである。

着席位置は二階正面最前列ほぼ中央である。要するに、天皇陛下が座る座席と考えて差し支えない。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、狂乱の場で咳が止まらなくなった観客がいたのは不運としか言いようがない。。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。

私にとっては、全般的に不完全燃焼となる結果と終わった。理由は複合的である。呪われた公演と言ってもよい。

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti (ルチア役 オルガ=ペレチャッコ)の不出来。

鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、第一幕終了の時点でその実力に疑問符が付き、第二幕で彼女の実力は大してないことを確信した。

第一幕では音程が不安定である。高音はバッチリ決める割りには、装飾を掛ける部分は曖昧に誤魔化されたような印象だ。第二幕で分かったことは、高音部は魅力的で、後半の六重唱の箇所等では活きるが、Lucia 役に求められる全ての音域で、きちんとした声が出せず、高い水準の歌にはならないことである。比較的低めの音が苦手な事が露呈している。

第一幕での装飾を掛ける箇所は、 Olga Peretyatko の苦手とする音域なのだろう、それで装飾を掛けられない状態となったと推察する。第二幕では、低めの音については声量が感じられず、高音部にクライマックスをもってきて大声量で圧倒させる策で観客を誤魔化そうとするが、日本の観客を舐めるなと言いたい。最初の低めの音で、50ではなく80の声を出すこと、その上でクライマックスで120の声を出すというのでなければ、手抜きと見られても仕方あるまい。

ヴィブラートは目立ち、時折不自然に感じられる箇所もあるが、まあギリギリ許容範囲と言えるか。清らかな声であるとは言い難い。得意なはずの高音ではあるが、第三幕で二回ほどある最後の決め音の高音では、地味な低い声で終わり、 Olga Peretyatko のスイートポイント声域の狭さが、超高音部・低音部ともに露呈した結果となった。

その彼女も、「狂乱の場」に於ける、ハルモニカのみを伴奏とし、静寂な中でフーガ形式を用いながらの聴かせ所は素晴らしかったが、その場面は下手側バルコニーから連続的・継続的に聴こえてきた咳によって台無しにされた。この公演は呪われていたとしか思えない。

また、 Olga Peretyatko による「狂乱の場」は、特に前半部では眠気に誘われる程のもので、狂っている感は極めて希薄である。

総じて、 Olga Peretyatko は得意とする音域でこそ、豊かな声量で観客を魅了したが、ルチア役で求められる全ての音域できちんとした声量や技巧を表現できたとは言えず、全般的に高い水準での歌唱を披露したとは言えない。人気はあるのかもしれないけど、騒がれるほどの実力のある歌い手ではない。

Gioachino Rossini によるベルカントの定義は、「自然で美しい声」「声域の高低にわたって均質な声質」「注意深い訓練によって、高度に華麗な音楽を苦もなく発声できること」と言われているが、 Olga Peretyatko はいずれも満たしていない。「ベルカントの新女王」との新国立劇場による宣伝は詐欺としか言いようがなく、その見識は強く非難されて然るべきである。

全音域できちんとした声を出せず、技巧面で弱い歌い手はいらない。Olga Peretyatko にGioachino Rossini など噴飯ものである。

曲の最初に戻そう。冒頭から少し経過部分での、Normanno役の菅野敬+合唱団+東フィルにより構成される場面であるが、菅野敬は声量がなく、東フィルの管弦楽と合唱団とがバラバラに音を出しまくっており、冒頭部から緊張感をなくす展開となった。

その東フィルの金管楽器陣は総崩れの状態と言って良い。バレエ公演で聴かれるような、音が抜けた場面はなかったのだろうけど、ただ音符を吹いているだけで、この「ランメルモールのルチア」に求められる響きを全く出しておらず、弦楽木管から浮きまくった不愉快な響きであり、一々気に障る響きである。出番の少ない第三幕ではそれほどでもなかったが、第一幕・第二幕では、金管楽器が登場するたびに私はイライラしまくっていた。

先月の「セヴィージャの理髪師」で、Gioachino Rossini と Marc Minkowski が求める響きを的確に出していた オーケストラ-アンサンブル-金沢 に遠く及ばない東フィルの金管楽器陣であり、今時、地方オケでさえも実現するアンサンブルを実現できない東フィルが、国を代表する歌劇場のオケピットに堂々と入っているのは、日本の恥であるとさえ思う。

もう一度、3月26日の公演に臨席する。立ち直りを期待したい。

2017年3月19日日曜日

新国立劇場バレエ団「ベートーヴェン-ソナタ」雑感

二度とも後方中央ブロックで観劇できたのは、本当に幸せな気持ちだった。二度観て良かったなと思える事は、一度見てるだけに、二回目で見えるものが見えてくる事である。一度目は、純舞踊的な要素で観て、二度目は物語を踏まえながら観劇出来た。

振り付けの中村恩恵さんは、三人の女性プリンシパルの特徴を捉え十二分に活かした振り付けを行なったように思える。

ジュリエッタ役の米沢唯ちゃんはテクニックを活かした踊りを披露しつつ「無邪気に、いつの間にかお乗り換え」♪

ベートーヴェンからガレンベルク伯爵役の木下嘉人さんの肩の上に乗って、拍手を受けてご結婚である♬

この過程があまりに無邪気で、何の罪の意識を感じていない無邪気さがいかに残虐なものであることを示した🎶🎶

ここは、わる〜い女の要素が全くない、どこまでもいい子ちゃんの米沢唯ちゃんだからこそ、その無邪気さが活きる。わる〜い女の本島美和りんだと、真実味がなくなるのだ!(←本島美和さんにこっぴどく怒られるぞ!!)

小野絢子さんは、ベートーヴェンと愛し合っているのに引き裂かれるアントニア役で、似合っているし、本島美和さんは「わる〜い女」役がハマりまくっている妖艶さで魅了される。

本当に三人のプリンシパルの特質を活かした中村恩恵さんの振り付けは凄い。

私のツボにハマったのは、op.59-3で家族が出てくる場面で、クスクス笑いまくっていた。全般的に観客の皆さん、真面目に観ていらっしゃったようだけど♪

終盤部での、op.132の曲想を活かした構成は素晴らしいと思えた。

来シーズンは新国立劇場バレエ団はこのような演目はない。残念でならない。

「ベートーヴェン-ソナタ」の再演を強く望むものである。

2017年3月11日土曜日

NDR Sinfonieorchester Hamburg, Krzysztof Urbański, Shoji Sayaka, Nagoya perfomance, (11th March 2017), review 北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) 名古屋公演 (2017年) 評

2017年3月11日 土曜日
Saturday 11th March 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Михаил Иванович Глинка / Mikhail Ivanovich Glinka: “Руслан и Людмила” / “Ruslan e Ludmilla” Ouverture
Сергей Сергеевич Прокофьев / Sergei Sergeevich Prokofiev: Concerto per violino e orchestra n.1 op.19
(休憩)
Antonín Leopold Dvořák: Sinfonia n.9 ‘Z nového světa’ op.95 B.178

violino: 庄司紗矢香 / Shoji Sayaka
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Krzysztof Urbański (指揮:クシシュトフ=ウルバンスキ)

北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2017年3月に日本ツアーを実施し、東京・仙台・名古屋・川崎・福岡・大阪にて演奏会を開催する。この評は、2017年3月11日名古屋公演に対するものである。なお、マトモな音響のホールで聴けるのは、この愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演と、アクロス福岡での公演のみである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方下手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは中央後方の木管のすぐ上手側に付けた。ティンパニ他打楽器は中央最後方、ハープは上手側の位置につく。

着席位置は二階正面上手側、客の入りは8割程であろうか、三階席と二階バルコニー席の舞台真横に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、生理現象とはもうせ、咳が目立ったのは残念である。

一曲目の「ルスランとリュドミラ」序曲は音取りモードのため、ノーコメントだ。二曲目から本気モードとなる。

二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストは庄司紗矢香である。いつも通りの素晴らしい演奏だ。

もちろん、ソロ公演で上演される中小規模のホールで味わえる強い音圧を望むのは無理難題だけど、それでも、刹那刹那で求められる音色は説得力がある。熱狂ではなく、その曲が求めている音色を深く考え、高い技量で実現させていく方向性の演奏である。繊細さを求める路線は、指揮のウルバンスキと相性が良いと思われた。

ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第2番から、アンダンテであった。

後半は、ドヴォルジャークの交響曲第9番、いわゆる「新世界」交響曲である。メジャー中のメジャー作品で、正直余り気乗りはしない曲目であるが、いい意味で裏切られる。

総じて言うと、ウルバンスキが構築したガラス細工を、NDRの完璧な管弦楽(特に管楽)で構築する試みである。この試みは見事に結実したと言って良い。

第二楽章は本当に見事で、繊細さが活きまくる演奏だ。前半部にある、弦楽の弱奏で攻める箇所と、その箇所に至るまで承前起後の部分の繊細な扱い方には、感嘆させられる。ウルバンスキにより微細な点まで響きを組み立て、この場面に至るまでの過程は、驚くべき解釈だ。

随所に出てくる、長めに掛けるフェルマータやパウゼも、構成上のアクセントとなる。それにしても、あんなに長くフェルマータを掛けて、全くブレないNDRの管楽は驚異的である。曲の冒頭の溜めは観客の注意を惹き起こす。

一番大切な、第四楽章最後の部分(もちろん、曲の終結部だ)で、あれ程までのフェルマータを掛けるのは冒険的と言えるが、極めて安定した演奏で酔わせてくれる。ウルバンスキの要求に応えるには、あのレベルでないといけないのだから、管弦楽は大変だけど、見事に達成する。

熱狂路線では決してないし、大管弦楽の演奏にド迫力を求める向きとは正反対の路線だ。その路線の観客からは、否定的な感想が述べられるだろう。

しかし、Krzysztof Urbański は、極めて細部に渡ってよく考えられた解釈で、彼の個性を明確に示し、NDR 北ドイツ放送響は繊細な演奏でその高い技量を活かした。オーボエもクラリネットもファゴットもフルートもピッコロもホルンも、その高い技量があって初めて実現した演奏である。Bravi !!

アンコールは、ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」第一集 第8番であった。

2017年2月19日日曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa, Il Barbiere di Siviglia , the 386th Subscription Concert, review 第386回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評

2017年2月19日 日曜日
Sunday 19th February 2017
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)

曲目:
Gioachino Rossini: Il Barbiere di Siviglia (「セヴィージャの理髪師」)

Il Conte d'Almaviva: David Portillo
Don Bartolo: Carlo Lepore
Rosina: Serena Malfi
Figaro: Andrzej Filończyk
Don Basilio: 後藤春馬 / Goto Kazuma
Berta: 小泉詠子 / Koizumi Eiko
Fiorello: 駒田敏章 / Kodama Toshiaki
Ambrogio: 山本悠尋 / Yamamoto Yukihiro
Un ufficiale: 濱野杜輝 / Hamano Toki

Coro: 金沢ロッシーニ特別合唱団 / Kanazawa Rossini Special Chorus

Stage Director: Ivan Alexandre

orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
maestro del Coro: 辻博之 / Tsuji Hiroyuki
direttore: Marc Minkowski

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、指揮にマルク=ミンコフスキを迎えて、2017年2月19日に石川県立音楽堂で、第386回定期演奏会として、ロッシーニの歌劇「セヴィージャの理髪師」を演奏会形式にて上演した。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は上手側の位置につく。

ピアノはフォルテピアノを用い、奏者が下手側を向くように上手側に配置し、蓋は取り外された。

着席位置は一階正面わずかに後方上手側、客の入りは九割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好だった。

演奏について述べる。

全般的に歌い手も充実している。新国立劇場で有りがちな、過剰なヴィブラートを掛けて汚く歌う歌い手は、誰一人いない。特に Almaviva伯爵役の David Portillo、Rosina役のSerena Malfi、Bartolo役の Carlo Lepore は完璧である。また、外国人ゲストのみならず、Berta役の小泉詠子 / Koizumi Eiko も第二幕にある唯一の見せ場で素晴らしいソロを披露した。

第一幕では、アルマヴィーラ伯爵(David Portillo)がオルガンバルコニーにいるロジーナ(Serena Malfi)、に対し、ギターと共に歌う場面が、私にとっての白眉である。ベルタがロジーナを捕まえる展開でさえなければ、盛大なBraviが飛びまくったに違いない。

第一幕は素晴らしかったが、やはり第二幕は圧巻である。これは、ソリスト・合唱・管弦楽・指揮のマルクと全てががっしり組み合わさった結果である。

変声で変装しているアルマヴィーラ公爵役の David Portillo が仕掛けると、ロジーナ役 Serena Malfi が完璧な「無駄な用心」で答える。

第一幕が進行するに従って固さが取れた管弦楽 Orchestra Ensemble Kanazawa も、独特の音色を決めてくるなど、進行に連れどんどん冴え渡ってきて最良の響きを出す。この場面でこの響き、と Marc Minkowski が求めていたであろう響きは実現されているに違いない。 Marc の期待に大いに答えたであろう!

ピアノはフォルテピアノを用い、 Gioachino Rossini の時代を再現するなど、企画面でも完璧な配慮が為されている。プロレスのようなマイク-パフォーマンスをさせてもらうが、新国立劇場よ、飯守泰次郎よ、君らにピットにフォルテピアノを入れる根性はあるか?金沢では実現してんだぜ!と言うところである。

大き過ぎる東京の劇場・音楽堂では実現出来ない、大ホール部門では全世界で間違いなく三本の指に入る、1560席の石川県立音楽堂の優れた音楽堂だからこそ、可能なプロダクションである。劇場で再現するとしたら、1100席規模のチューリッヒ歌劇場(Opernhaus Zürich)でなければ不可能であろう。スタインウェイのピアノを入れるロッシーニなど、考えられない。著名大劇場の真似事をやって1814席もの巨大な新国立劇場を建設した当時の日本オペラ界の見識は、厳しく指弾されて然るべきである。

この、Orchestra Ensemble Kanazawa による、 Marc Minkowski 指揮による 'Il Barbiere di Siviglia ' の公演は、巨大な劇場や音楽堂志向によって見捨てられた音楽的価値を拾い上げるものである。この金沢に於ける公演の意義は、単に一つの演奏会形式による歌劇公演の成功に収まらない。日本の音楽史上でも意義のある公演であった。

#oekjp

2017年2月12日日曜日

Sato Shunsuke + Kosuge Yu + Lorenzo Coppola, recital, (12th February 2017), review 佐藤俊介 + 小菅優 + ロレンツォ=コッポラ トリオ 「20世紀の作品群」 松本公演 評

2017年2月12日 日曜日
Sunday 12th February 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Darius Milhaud: Suite per violino, clarinetto e pianoforte op.157b
Maurice Ravel: Sonata per violino e pianoforte
Alban Berg: Quattro pezzi per clarinetto e pianoforte op.5
(休憩)
Արամ Խաչատրյան / Арам Ильич Хачатурян / Aram Il'ich Khachaturian: Trio per clarinetto, violino e pianoforte
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: ‘L'Histoire du soldat’ 「兵士の物語」

violino: 佐藤俊介Sato Shunsuke
pianoforte: 小菅優 Kosuge Yu
clarinetto: Lorenzo Coppola

佐藤俊介、小菅優、ロレンツォ=コッポラの三人によるトリオは、2017年2月10日から12日に掛けて、盛岡市民文化ホール(岩手県盛岡市)、彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール(埼玉県与野市)、松本市音楽文化ホール(長野県松本市)にて、リサイタル「20世紀の作品群」を計3公演開催した。プログラムは全て同一である。

この評は、千秋楽2017年2月12日松本市音楽文化ホールでの公演に対する評である。

着席位置は後方正面やや上手側、観客の入りは約5割である。メジャーな作曲家でなく、室内楽であり、松本市周辺の人口規模を考慮すると、これだけ集まっただけでも良しとするしかないか?観客の鑑賞態度は、概ね良好だった。

この演奏会の曲目は、ミヨー・ラヴェル・ベルク・ハチャトゥリアン・ストラヴィンスキーと、20世紀の曲目のみで構成されている。いずれも、第一次世界大戦前後に作曲されている。

クラリネットは、フランス式(技巧的な曲を吹きやすくした)とヴィーン式(弱音器をつけたような音を出せるようにした)の両方を用いた。ヴィーン式はベルクに対してのみ用いている。

総じて、挑戦的な曲目のどの曲も繊細に神経を通わし、ホールの響きを味方につけた素晴らしい演奏である。

名手が揃えば、完成度の高い演奏となるのは、当然と言えば当然と言えるが、それでもこの松本市音楽文化ホールは響くホール故に響かせ方が難しく、どのように観客に対して音圧を掛けるかは精密な計算が必要かと思われる。この難しいホールで、どの場面でも、弱音の綺麗さや強音の力強さ、明るい場面と暗い場面、いずれも場面でも完璧な響きで表現する。曲の構成も奇を衒わず、正統的なアプローチで攻める方向性である。

私の勝手な個人的な注目ポイントは、ラヴェルのヴァイオリン-ソナタで第一楽章終盤の、佐藤俊介が奏でたノンヴィブラートのヴァイオリンの響きだ。透明感のある、ピンと張り詰める響きの完璧さは、やはりテンションが上がる。

アンコールは、第一曲目である、ミヨーの「ヴァイオリン、クラリネットとピアノのための組曲」作品157bより 第4曲〈序奏と終曲〉の終曲部であった。

2017年2月11日土曜日

The Fujiwara Opera, Opera ‘Carmen’ (2017) review 藤原歌劇団 歌劇「カルメン」 感想

2017年2月11日 土曜日
Saturday 11th February 2017
愛知県芸術劇場 (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater (Nagoya, Japan)

演目:
Georges Bizet: Opera ‘Carmen’
ジョルジュ=ビゼー 歌劇「カルメン」

Carmen: Милијана Николић / Milijana Nikolic
Don José: 笛田博昭 / Fueda Hiroaki
Escamillo: 王立夫 / Wang Lifu
Micaëla: 伊藤晴 / Ito Hare
Zuniga: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
Moralès: 押川浩士 / Oshikawa Hiroshi
Le Dancaïre: 安東玄人 / Ando Gento
Le Remendado: 狩野武 / Karino Takeshi
Frasquita: 平野雅世 / Hirano Masayo
Mercédès: 米谷朋子 / Maiya Tomoko

ballerini: 平富恵スペイン舞踊団 / Yoshie Taira Spanish Dance Company

Coro: Fujiwara Opera Chorus Group(合唱:藤原歌劇団合唱部)
Coro dei bambini: The Little Singers of Tokyo (児童合唱:東京少年少女合唱隊)

Production: 岩田達宗
Set design: 増田寿子
Costumes design: 半田悦子
Lighting design: 大島祐夫

orchestra: Aichi Chamber Orchestra (管弦楽:愛知室内オーケストラ)
maestro del Coro: 須藤桂司
direttore: 山田和樹 / Yamada Kazuki

藤原歌劇団 / 日本オペラ振興会は、2017年2月3日から11日までの日程で、山田和樹の指揮による歌劇「カルメン」を4公演開催する。この評は2017年2月11日に催された第四回目(千秋楽)の公演に対するものである。版はギロー版を用いており、同時期に新国立劇場で上演されたレチタティーヴォを用いた版とは異なるものとなる。

着席位置は一階正面ほぼ真ん中である。観客の入りは8割程か?観客の鑑賞態度は、一階席に於いては序曲演奏中の私語が目立った。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。第四幕では、ホセの暴力性とカルメンの意志の強さを強調したものであり、ホセに二回カルメンを刺させることにより、ホセの強い殺意を表現する点は素晴らしい。舞踊はフラメンコ舞踊団を用いている。

ソリストの出来について述べる。

断トツに素晴らしいのは、ホセ役の笛田博昭である。愛知県芸術劇場の巨大な空間を自由自在に操れる声量はもちろんのこと、控えめなヴィブラート故に声に伸びやかさが感じられ、また綺麗な声質であり、ホセの純情さを見事に表す。一方で、ストーカー殺人者と化した第四幕での説得力も不思議な程に強く、終始この上演をリードする。よくぞ日本に留まってくれていると感謝の念を禁じ得ない。

ミカエラ役の伊藤晴も素晴らしい。かなりの程度、愛知県芸術劇場の空間に対応し、第三幕に於ける、ここぞという場面での強声は絶大なる効果を発揮する。第一幕・第三幕でのホセとの二重唱も、笛田博昭と見事に対抗でき、観客の涙腺を潤ませる。

カルメン役の Милијана Николић / Milijana Nikolic は、ムラが目立つ。全ての場面で愛知県芸術劇場の巨大な空間を支配する声ではない。また、自然な演技と言うよりは作為的な箇所が目立ち、特に第一幕では下品そのものである。そりゃ、カルメンが品のある女ではないから、その路線はあるのかもしれないけれど。また、長音部にてヴィブラートが過剰と感じられる箇所もある。わざわざ外国からソリストを招聘する意味はあるのだろうか?

エスカミージョ役の王立夫は、見栄えはともかくとして、声に魅了させられる要素がなく、カルメンが心変わりする説得力が全くない。主要キャストとして選定される理由は感じられない。

その他の歌い手としては、フラスキータ役の平野雅世、ダンカイロ役かレメンダード役(または両方)は素晴らしい。メルセデス役の米谷朋子は、妙にカッコいい女性である♪

舞踊は、フラメンコ舞踊団である平富恵スペイン舞踊団が担当する。第二幕でお立ち台にで踊るのは平富恵であろうか、お美しい。私の席からは、舞台前方中央に出てきたカルメン役に視界が奪われてしまったが。フラメンコ独特の足音は、控えめに出すことについては許可が出されたのだろうか?通常のバレエによるほぼ無音の足音とは違う雰囲気である。

全般的に、第一幕では愛知県芸術劇場の空間に慣れていないアウェー感が強く感じられる。しらかわホールで演奏する機会が多い愛知室内オーケストラにとって、この巨大な空間はやはり難儀するのであろう。第一幕ではモヤモヤする響きが目立ったが、それでも進行に連れてしっかりと響かせ、歌い手とのコンビネーションも良くなっていく。歌い手の溜めを長めに取る傾向が強く、笛田博昭の絶好調な声と合わせ、的確なアクセントを与える。

ホセ役笛田博昭のリードと、これに応えたミカエラ役伊藤晴の二人の功績がなければどうなっていただろうと思わせる点はあるものの、巨大劇場の悪条件の中で、一定の成果を挙げた公演であった。

なお、特筆すべき事柄として、第四幕の「知事のお出まし」の場面で、大村秀章 愛知県知事がサプライズ出演する。選挙間近でなかれば、こういうパフォーマンスは今の時代だからこそ大事になってきている。文化芸術に対する国(連邦)政府・地方自治体の責務を放棄しようとするポピュリズム政治屋が出現している今(例:トランプ米国大統領・橋下徹・松井一郎 大阪府知事)、オペラ公演へのサプライズ出演により、「愛知県は文化芸術を全県を挙げて支援する」というメッセージを発し、コミットメントを示した 大村秀章 愛知県知事 に敬意を表したい。

(お断り:団体名に用いている個人名について、英語表記は名姓順に表記している。その団体が用いている表記を採用したためであり、ラテン文字表記による日本人表記は姓名順であるべきとの私の考えを変更したものではない)

2017年1月22日日曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Carmen’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「カルメン」 感想

2017年1月22日 日曜日
Sunday 22nd January 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Georges Bizet: Opera ‘Carmen’
ジョルジュ=ビゼー 歌劇「カルメン」

Carmen: Еле́на Ю́рьевна Макси́мова / Elena Maximova
Don José: Massimo Giordano
Escamillo: Bretz Gábor
Micaëla: 砂川涼子 / Sunagawa Ryoko
Zuniga: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Moralès: 星野淳 / Hoshino Jun
Le Dancaïre: 北川辰彦 / Kitagawa Tatsuhiko
Le Remendado: 村上公太 / Murakami Kota
Frasquita: 日比野幸 / Hibino Miyuki
Mercédès: 金子美香 / Kaneko Mika

ballerini: National Ballet of Japan (新国立劇場バレエ団)

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir

Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji

orchestra: Tokyo Symphony Orchestra (管弦楽:東京交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Yves Abel

新国立劇場は、2017年1月19日から31日までの日程で、イヴ=アベルの指揮による歌劇「カルメン」を5公演開催する。この評は2017年1月22日に催された第二回目の公演に対するものである。

着席位置は二階正面後方やや下手側である。チケットは、一旦は完売したが、戻りチケットを当日券として売り出していた。観客の鑑賞態度は概ね良好である。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な正統的なものだ。また、大規模な舞台装置の転換はない。

この公演の最大の貢献者は、Yves Abel によって導かれた東京交響楽団の管弦楽である。出来不出来が激しく、誰が金管の担当であるのか戦々恐々の東フィルとは違い、安心して委ねられると言うのもあるが、弱奏でありながらキチンと響かせ、なおかつ歌い手を立てている。このアプローチを厳格に守った東京交響楽団と、この方向性を指示した Yves Abel に敬意を表する。そうでなかったら、この「カルメン」は悲惨な状況の下に終わっただろう。

ソリストの出来について述べる。

マトモだったのは、José 役の Massimo Giordano と、盗賊の首領役の日本人キャストだけだった。

Carmen 役の Еле́на Ю́рьевна Макси́мова / Elena Maximova は、Carmen 役にしては声質が軽く、声量がなく、José を誘惑する迫力に欠けていた。高い報酬を受け取る外国人ソリストとしての貢献があったかと言えば、否定する。

Escamillo エスカミージョ役の Bretz Gábor は、「闘牛士の歌」はダメダメで、何のためにマジャールから極東まで招いたのか、さっぱり分からない。外国人ソリストに対する目利きが、新国立劇場には欠如しているものと思われる。

ミカエラ Micaëla 役の 砂川涼子 / Sunagawa Ryoko は、第一幕では響きになっていなかったが、第三幕のソロでは、 José を想う情感を的確に表現していた。但し、 Yves Abel の指示により、砂川涼子のソロを最大限にサポートする、東京交響楽団のサポートが、この第三幕ソロに寄与した事を、言及せざるを得ない。管弦楽を煽るタイプの指揮者では、終わっていたであろう。

合唱は、Tokyo FM Boys Choir は素晴らしく、新国立劇場合唱団は、迫力よりは綺麗な響きを志向した方向性ではあったが、要所では十分な音圧で観客を魅了した。

全般的なアプローチは、あたかもMozartに対するかのようで、新国立劇場の1814席もの巨大劇場とはミスマッチの状況であった。

付記:
第二幕では、新国立劇場バレエ団のダンサーが出演しておりました。この公演での出演者は、寺井七海さん・丸尾孝子さん・玉井るい さん・関晶帆さん・山田歌子さん・廣田奈々さん・小柴富久修さん・八木進さんでした。案内の係に聞きました😊
廣田奈々さんは代役での出演です。

2017年1月21日土曜日

NHK Symphony Orchestra, the 1854th Subscription Concert, review 第1854回 NHK交響楽団 定期演奏会 評

2017年1月21日 土曜日
Saturday 21st January 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Ottorino Respighi: Concerto gregoriano per violino e orchestra(「グレゴリオ風の協奏曲」)
(休憩)
Ottorino Respighi: Vetrate di chiesa, quattro impressioni sinfoniche (「教会のステンドグラス」)
Ottorino Respighi: Feste romane, poema sinfonico per orchestra (交響詩「ローマの祭り」)

violino: Албена Данаилова / Albena Danailova (アルベナ=ダナイローヴァ)
orchestra: NHK Symphony Orchestra(NHK交響楽団)
direttore: Jesús López-Cobos (指揮:ヘスス=ロペス-コボス)

NHK交響楽団は、ブルガリア生まれのアルベナ=ダナイローヴァ(ヴァイオリン)をソリストに、エスパーニャ生まれのヘスス=ロペス-コボスを指揮者に迎えて、2016年1月18・19日にサントリーホール(東京)・21日に愛知県芸術劇場コンサートホール・22日にNHK大阪ホールにて、第1854回定期演奏会を開催した。この評は、第三回目、愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演に対してのものである。

今回のプログラムは、全てオットリーノ=レスピーギによる作品となる。この作曲家のみの曲目で地方公演を行う事でも注目される公演である。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側に位置する。木管は中央後方、ホルンは後方僅かに下手側、その他の金管は上手側、ティンパニは中央最後方、その他のパーカッションは下手側、マンドリンは、パーカッションの手前かつ中央寄りに位置する。

着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。N響は地方に於いて絶大な人気を集めているが、完売とならなかったのは、全てレスピーギの作品である事が影響しているのか?観客の鑑賞態度については、概ね極めて良好である。

一曲目の「グレゴリオ風の協奏曲」、ヴァイオリンのソロを担当したダナイローヴァは、青いドレスをお召しになり、モデルのような容姿のトンデモない美女である。コンサートミストレスの職にあるからか、かなり正統的なアプローチである。愛知芸文の響きを的確に味方につけ、カデンツァも見事で、管弦楽とのコンビネーションも的確だ。いい意味で職人的に音楽を作り上げていく方向性である。しかしながら、曲想が曲想なだけに、盛り上がりはしにくい。

ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第3番 BWV1005 から ラルゴ であった。サントリーホールでのアンコールと同一と思われる。

三曲目の「ローマの祭り」は完璧と言って良い。オルガン前やや下手側に位置する三人のトランペットからして完璧な響きで、まるで一人でふいているかのようなアンサンブルだ。

弦楽は、大音量で攻めるアプローチではないが、縦の線が完璧に合った弱音で聴衆を魅了させた。弱い音量しか出せないマンドリンの響きを引き立たせる一方で、輝かしい金管の響きと比較して不足はなかった。二年前と比べて、充実した弦楽となっている。

管楽は、ソリスティックな演奏箇所はほぼ完璧に決まり、この曲目の難曲ぶりを踏まえれば、これ以上を望む事は不可能と言える。打楽も完璧である。

ヘスス=ロペス-コボスの指揮は、テンポを大きく揺らすようなことをせず、正統的なアプローチで、管弦楽全体の響きを精緻に考慮した構成であった。この演奏の真価は、FM放送では分かりにくく、実演を聴かなければ認識し難いものである。今日の管弦楽に粗野な響きは一切ない。指揮者・管弦楽・愛知県芸術劇場コンサートホールとが三位一体となって作り上げられた完璧な響きで、N響が本拠地としているNHKホールやサントリーホールでは実現できないサウンドが実現した。

繰り返すが、今回の第1854回定期演奏会は、全てレスピーギの作品であり、この曲目を取り上げた事は勿論のこと、この定期演奏会のプログラムで名古屋・大阪にて公演した試みは高く評価できる。

また、「ローマの祭り」と言う、大管弦楽にとって大きな挑戦を強いられるこの難曲を、これ程までの完璧なレベルで実現されたことに敬意を表する。

二年ぶりのN響演奏会は、輝かしい管弦楽の響きとともに終わった。

2017年1月15日日曜日

Mito Chamber Orchestra, the 98th Subscription Concert, review 第98回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2017年1月15日 日曜日
Sunday 15th January 2017
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia concertante per violino, viola e orchestra
K.364
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.1 op.21

violino: 竹澤恭子 / Takezawa Kyoko
viola: 川本嘉子 / Kawamoto Yoshiko
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 小澤征爾 / Ozawa Seiji

水戸室内管弦楽団(MCO)は小澤征爾を指揮者、ヴァイオリン-ソリストに竹澤恭子、ヴィオラ-ソリストを川本嘉子として、2017年1月13日・15日に水戸芸術館で、17日に神奈川県川崎市にあるミューザ川崎シンフォニーホールで、第98回定期演奏会を開催する。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

小澤征爾の指揮は、Beethoven のみである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンはMozartでは後方中央下手側、Beethovenでは後方上手側の位置につく。ティンパニはバロック-ティンパニを使用した。

着席位置は一階正面最後方わずかに下手側、チケットは補助席を含めて完売した。

コンサートマスター/ミストレスは、Mozartは渡辺實和子、Beethovenは豊嶋泰嗣が担当した。

指揮者なしではの演奏であるモーツァルトの協奏交響曲は、竹澤恭子の仕掛けが目立った。ソロの部分だけ遅くしたり、ニュアンスを掛けたりして面白い。川本嘉子のヴィオラもよく響き、ヴァイオリンと対等に、この協奏交響曲を構築する。室内管弦楽団かつ中規模ホールならではの素晴らしい演奏だった。この響きは、2000席を超すミューザ川崎では臨めない。ちゃんと本拠地である水戸芸術館まで来た聴衆こそが味わえる至福である。

ホルンがもう少し管弦楽に溶け込むアプローチだと、私のモロ好みであるが、これは贅沢な望みであろうか。

演奏中、下手側の楽屋への扉が少し開いていたが、小澤征爾が座って聴いていたのであろう。

後半は、小澤征爾が指揮者として登場する。厳しい厳しい、禁欲的な演奏だ。私の好みのヴィヴィッドな演奏とは対極に位置する演奏であるが、全曲に渡り感銘を受けた。

私が特に感銘を受けた箇所は、第四楽章の、繊細にして厳しくニュアンスを掛けた冒頭や、第三楽章の、敢えて厳しく抑制して進行させる展開がバッチリハマる。

特に第一楽章では、オーボエの Philippe Tondre / フィリップ=トーンドゥルの妙技が味わえる。川崎の聴衆は味わえない贅沢な時間だ。

室内管弦楽団かつ中規模ホールならではの特質が十全に活きる。大規模ホールでの演奏のような無理は一切ない。

私は常々、Beethoven や Schubert 辺りまでは、室内管弦楽団かつ中規模ホールで演奏するべきと思っているが、今日の水戸室内管弦楽団の演奏会は正にこの私の確信を裏打ちするものであった。