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2017年1月15日日曜日

Mito Chamber Orchestra, the 98th Subscription Concert, review 第98回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2017年1月15日 日曜日
Sunday 15th January 2017
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia concertante per violino, viola e orchestra
K.364
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.1 op.21

violino: 竹澤恭子 / Takezawa Kyoko
viola: 川本嘉子 / Kawamoto Yoshiko
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 小澤征爾 / Ozawa Seiji

水戸室内管弦楽団(MCO)は小澤征爾を指揮者、ヴァイオリン-ソリストに竹澤恭子、ヴィオラ-ソリストを川本嘉子として、2017年1月13日・15日に水戸芸術館で、17日に神奈川県川崎市にあるミューザ川崎シンフォニーホールで、第98回定期演奏会を開催する。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

小澤征爾の指揮は、Beethoven のみである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンはMozartでは後方中央下手側、Beethovenでは後方上手側の位置につく。ティンパニはバロック-ティンパニを使用した。

着席位置は一階正面最後方わずかに下手側、チケットは補助席を含めて完売した。

コンサートマスター/ミストレスは、Mozartは渡辺實和子、Beethovenは豊嶋泰嗣が担当した。

指揮者なしではの演奏であるモーツァルトの協奏交響曲は、竹澤恭子の仕掛けが目立った。ソロの部分だけ遅くしたり、ニュアンスを掛けたりして面白い。川本嘉子のヴィオラもよく響き、ヴァイオリンと対等に、この協奏交響曲を構築する。室内管弦楽団かつ中規模ホールならではの素晴らしい演奏だった。この響きは、2000席を超すミューザ川崎では臨めない。ちゃんと本拠地である水戸芸術館まで来た聴衆こそが味わえる至福である。

ホルンがもう少し管弦楽に溶け込むアプローチだと、私のモロ好みであるが、これは贅沢な望みであろうか。

演奏中、下手側の楽屋への扉が少し開いていたが、小澤征爾が座って聴いていたのであろう。

後半は、小澤征爾が指揮者として登場する。厳しい厳しい、禁欲的な演奏だ。私の好みのヴィヴィッドな演奏とは対極に位置する演奏であるが、全曲に渡り感銘を受けた。

私が特に感銘を受けた箇所は、第四楽章の、繊細にして厳しくニュアンスを掛けた冒頭や、第三楽章の、敢えて厳しく抑制して進行させる展開がバッチリハマる。

特に第一楽章では、オーボエの Philippe Tondre / フィリップ=トーンドゥルの妙技が味わえる。川崎の聴衆は味わえない贅沢な時間だ。

室内管弦楽団かつ中規模ホールならではの特質が十全に活きる。大規模ホールでの演奏のような無理は一切ない。

私は常々、Beethoven や Schubert 辺りまでは、室内管弦楽団かつ中規模ホールで演奏するべきと思っているが、今日の水戸室内管弦楽団の演奏会は正にこの私の確信を裏打ちするものであった。

2016年6月4日土曜日

Mito Chamber Orchestra, the 96th Subscription Concert, review 第96回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2016年6月4日 土曜日
Saturday 4st June 2016
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.83 Hob.I-83 ‘La poule’ (めんどり)
Niccolò Paganini: Quartetto per Chitarra, Violino, Viola e Violoncello n.15
(休憩)
Max Bruch: ‘Kol Nidrei’ (コル=ニドライ)
Franz Peter Schubert: Sinfonia n.5 D485

viola: Юрий Абрамович Башмет / Yuri Bashmet
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: Юрий Абрамович Башмет / Yuri Bashmet

水戸室内管弦楽団(MCO)は、ユーリ=バシュメットを指揮者兼ヴィオラ-ソリストに迎えて、2016年6月4日・5日に水戸芸術館で、第96回定期演奏会を開催する。この評は、第一日目の公演に対してのものである。

二曲目のパガニーニ、三曲目のブルッフは、ヴィオラと弦楽のために編曲されている。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。管楽パートは後方中央の位置につく。

着席位置は一階正面後方わずかに上手側、観客の入りは、7割程か?。左右両翼及び背後席に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、極めて良好だった。

コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは渡辺實和子、パガニーニは小栗まち絵、ブルッフとシューベルトは豊嶋泰嗣が担当した。

ハイドンは、かなり真面目な解釈である。

パガニーニは、原曲をロシア人(モスクワ-ソロイスツのバラショフとカッツによる)が編曲したものであるからか、ヴィオラの哀愁漂う音色もあって、「白鳥の湖」第二幕を観劇しているかの雰囲気になる。カラッとした明るい雰囲気はなく、ジェノヴァ生まれの作曲家の原曲とはとても思えない。少なくとも編曲後は、あまり技巧面は表に出て来ない。原曲の雰囲気とは異なるのだろうか?

バシュメットのヴィオラは、基本的に弱めであるがその割りに通る響きであり、大規模ホールで聴かせる感じではない。水戸芸術館で聴けて良かったという感じである。第二楽章以降は、バシュメットのヴィオラがかなり響き始め、独特の哀愁漂う響きで魅了される。

管弦楽は、どこでどのように振る舞うべきか完璧に把握しており、バシュメットを立てるべき箇所では的確に支えると同時に、管弦楽が出るべき箇所では、曲全体を踏まえて良く考えられた形で自己主張を強めてくる。ソリストと管弦楽との音色の差があり、その対比が面白い。

最後のシューベルトD485は、全般的にかなりロマン派のような演奏である。鋭い響きで惹きつける事はせず、遅めのテンポの中でニュアンスをつける形態である。

私は、この曲はメリハリをつけまくった速めのテンポが好みであるが、この好みとは対照的でありながら、説得力のある演奏である。特に第二楽章をあの遅さでありながら、緊張感を失わずに観客の耳を集中させるMCOの演奏は、これは本当に見事なものだ。ヴィヴィッドな路線とは正反対のものであるが、このような演奏であれば、夢を見ているような心地で聴く事が出来る。

アンコールはなかった。

2015年11月22日日曜日

Mito Chamber Orchestra, the 94th Subscription Concert, Toyota performance, review 水戸室内管弦楽団 第94回定期演奏会 豊田公演 評

2015年11月22日 土曜日
Sunday 22nd November 2015
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551

pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi

水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催した。この評は、第三日目の豊田市コンサートホールでの公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面僅かに後方上手側、観客の入りは、8割強か?岐阜にて同時にバッハ-コレギウム-ジャパンの演奏会があったのは不幸で、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ハイドンの最終楽章で長めのパウゼを掛けた箇所で拍手が出てしまった。やっちもうたなあ。

コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。

一曲目のハイドン交響曲第102番は、序盤こそホールのアウェイ感があったものの、いつの間にか初めてであるはずのホールに馴染んでいる。やはり響きが水戸芸術館と違い、美しい。最終楽章で、パウゼを長く取る箇所で拍手が出てしまったので、もう一箇所長くパウゼを取る場面では、昨日の公演よりも短めにしている。

二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃えて始まる。そこから夢見るような時間が始まるが、響きはより美しい。

ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。ここまでは昨日と変わりないが、ホールが変わり、ピアノがよく響き、埋没しがちな昨日の公演と違い、ピアノと管弦楽とのバランスが絶妙である。

特に第二楽章は、ひたすら響きに溺れる。天井を向き恍惚とした表情で美しい響きのシャワーを浴びる。

そこには、ピアノと管弦楽との間の、「何か折り合いをつけた」と言うのとは全く違う、自然な絡み合いがある。ピアノと管弦楽とホールとの、美しい三位一体が実現されている。

児玉桃も本当に気持ち良く弾けたのだろう、アンコールが披露され、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が演奏されて休憩となる。

三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、昨日のガチガチに固い、正直聴いていて苦痛な演奏とは打って変わっている。

管弦楽のパッションがホールに美しく響き、その響きが管弦楽と観客のテンションを上げていく。

昨日より柔軟なテンポ設定のように感じられる。ピリオド派の活き活き路線ではないのだが、ホールが広上淳一の意図を実現させていくのだ。

管弦楽が奏でる一音一音が実に美しい。弦楽も、管楽も、伸びやかに心地よく響いてくる。バロック-ティンパニも良く聴こえる。

一つ一つの響きが説得力を持ってくる。そこにモーツァルトがいる。そこに水戸室内管弦楽団の響きがある。

管弦楽の自発性も活きまくり、終盤のホルンの大胆で美しい響きが最後の効果的なアクセントを与え、恍惚とした気持ちで天井を向いて最後の一音を聴く。音が鳴り止む。両側バルコニーからのbravoの声が響く。

大人しい水戸芸術館の観客とは違う反応に続き、熱い拍手が送られる。

初めてのホールなのに、本拠地での公演を圧倒的に上回る内容だ。ホールの響きは重要だ。奏者のパッションを美しく響かせる残響は、西洋古典音楽の命である。

演奏者・観客・ホールが三位一体となって、今日の演奏会を作り上げた。

豊田市コンサートホール、万歳!水戸室内管弦楽団、万歳!

2015年11月21日土曜日

Mito Chamber Orchestra, the 94th Subscription Concert, review 第94回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2015年11月21日 土曜日
Saturday 21st November 2015
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551

pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi

水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催する。この評は、第二日目の公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方上手側、観客の入りは、正面席は補助席を用いた程の、かなりの入りである。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ピアノ協奏曲で出た話し声は何だったのだろう?指揮者から思わず出た声だと信じたいが。

コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。

一曲目のハイドン交響曲第102番は、精度よりは躍動感を志向しているが、楽しい演奏だ。最終楽章では、パウゼを長く取るなど、広上淳一の独自の解釈をも入れてくる。濃厚な響きであるが、愉悦感がある演奏だ。

二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃え、水戸芸術館の音響にぴったりあった響きでニュアンスをつけて、管弦楽が始まる。これがモーツァルトなんだ、これが水戸室内管弦楽団なんだ、と思わせる、幸せな時間だ。

ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。

控えめな表現のソリストと、元気いっぱいの管弦楽とで、折り合いをつけた形のコンビネーションである。

三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、好みが分かれる演奏だ。正直に申し上げると、私の好みではない。

全般的に遅めのテンポで、かつテンポの変動をかなり制限し、その基盤の上に濃厚に演奏するスタイルだ。ピリオド派の活き活きとした演奏のアンチテーゼを示したいのだろうか?

管弦楽は、広上淳一の意図をくみ取り、パッションを込めて演奏する。管弦楽は実に見事である。

しかしながら、愉悦感は全くない。およそ広上淳一らしくない展開で、一曲目で感じられた愉悦感が消え去り、聴いていて疲れる演奏である。

あれだけの演奏を管弦楽はしているのだから、曲を活かすも殺すも広上淳一次第の状況であるが、果たしてこれがモーツァルトであるのか?そう問われれば、私にとっては否だ。

どんなに見事な演奏をしても、単にクソ真面目なだけで、そこに巧みな構成を与えなければ、何らの説得力を持ち得ず、そこには音楽の悦びはない。もう少し、指揮者から何らかの工夫を注ぎ込む事は出来なかったのか?

アンコールはなかった。

2014年10月5日日曜日

第91回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2014年10月5日 土曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)

曲目:
ヨーゼフ=ハイドン 交響曲第103番「太鼓連打」 Hob.I-103
ヴィトルト=ルトスワフスキ オーボエ・ハープと室内管弦楽のための二重協奏曲
(休憩)
クロード=ドビュッシー:バレエ音楽「おもちゃ箱」

オーボエ:ハインツ=ホリガー (Heinz Holliger)
ハープ:シャンタル=マテュー (Chantal Mathieu)
語り:柳家花緑

管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:ハインツ=ホリガー (Heinz Holliger)

MCOは、ハインツ=ホリガーを指揮者に迎えて、2014年10月4日・5日に水戸で、第91回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方下手側の位置につく。

なお二曲目のルトスワフスキは、弦楽が下手側から高音→低音の順に半円状に並び、背後にパーカッション、囲まれたスペースの下手側にハープ、上手側にオーボエが入る。

着席位置は正面中央やや後方やや下手寄り、客の入りは9割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、飴の包みビニールの音が気になった。

第1曲目、ハイドンはゲネラル-パウゼをかなり長めに取ったり、いきなり音量を変えて驚かしたりと、やや作為的ではある。それでも強奏部の響きは素晴らしく、曲の終盤にクライマックスを持ってくる。

第2曲目のルトスワフスキの協奏曲は、極めて素晴らしい。ホリガーのオーボエは炸裂するし、マテューのハープも鋭い。もちろんパーカッションも弦楽も言うまでもなく、ビシッと決めていて、水戸室内管弦楽団らしい完成度の高い演奏だ。テンポ設定もハイドンとは違い、自然に任せたもので、ルトスワフスキの意図そのままを実現させた感じである。水戸室内管弦楽団の現代音楽、久しぶりに聴いたが、こういった曲目はどんどん取り上げて欲しい。

第3曲目はドビュッシーのバレエ音楽「おもちゃ箱」、管弦楽が繊細に響きをコントロールしており、何もかもが夢の世界を思わせる、極めて傑出した演奏だ。神経を通わせてフランス音楽ならではの色彩感を伴う響き実現し、この響きが夢の世界、「おもちゃ箱」の世界にいざなってくれる。特別な作為を加える事なく、ただただ響きを繊細に産み出し、適度な緊張感を伴いつつも、弦管打全ての響きを心を一つにして、ドビュッシーが考えた情景を実現させる。

何年か前の、小澤征爾指揮による「マ-メール-ロワ」の名演を彷彿とさせるもので、言葉が出ない最高の演奏である。アンコールはない。とにかく幸せな気持ちに満たされる演奏会であった。

2013年10月5日土曜日

第88回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 演奏会評

2013年10月5日 土曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)

曲目:
アントニーン=レイハ 演奏会用序曲 op.24
アントニオ=ロゼッティ 二つのホルンのための協奏曲 MurrayC56Q
ジャック=イベール 「ディヴェルティスマン」
(休憩)
ヨーゼフ=ハイドン 交響曲第101番「時計」 Hob.I-101

ホルン:ラデク=バボラーク、アンドレイ=ズスト
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:ラデク=バボラーク

MCOは、ラデク=バボラークを指揮者に迎えて、2013年10月5日・6日に水戸で、第88回定期演奏会を開催した。この評は、第一日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方上手側、その他の金管・ティンパニは後方下手側の位置につく。

着席位置は正面やや前方やや上手寄り、客の入りは9割5分である。観客の鑑賞態度は、携帯電話のマナモードの音が一回あったが大きな影響は与えず、その要素を除けばかなり良好であった。楽曲の解説は、家業の都合で退職された元水戸芸術館学芸員の矢澤孝樹さんで、正面後方の席で臨席している。

第1曲目、レイハの「演奏会用序曲」は、ゼネラルパウゼで残響感を強調する場面があって面白い。

第2曲目のロゼッティの協奏曲は、ヨーゼフ=ハイドン作とされていたもの。バボラークとズストのホルンは柔らかい音色でかつユニゾンもしっかり揃っている。ソリストが先頭に立って走るというよりは、ソリストと管弦楽とが協調し盛り上げていくアプローチである。もっとも、残念ながらもともとの曲想が曲想なだけに、観客に強い印象を与えるものではない。

第3曲目のイベールのディヴェルティメント、最高に楽しい!もちろん、弦管打鍵全て非の打ち所がない完璧な演奏に支えられている。特に第五曲・第六曲は、スリリングな要素を持つ曲を演奏させたら無敵のMCOならではの完璧な演奏である。確か元ヴィーン-フィルのローランド=アルトマンさん、ホイッスルも特技なのですね

休憩後のハイドンの交響曲「時計」、第一・第三楽章は、ゆっくり目で一定のテンポで、濃厚なニュアンスで攻める。遅いテンポであることで見えてくるものはあるが、テンポが一定であることもあり躍動感があるわけではないので、好みは分かれるだろう。正直私が好みの展開ではない。

バボラークが冒険したのは第二・第四楽章だ。第二楽章はチクタクが気迫となる展開部の強い表現が印象的である。特に一回目の展開部は本当に見事だ。バボラークの指揮者としての構成力を思い知らされる。

第四楽章はスリリングな展開でドキドキさせて終わらせる。MCOの最も良い特質が出てくる展開で演奏会を締めくくる。

アンコールはなかった。

2013年7月6日土曜日

第87回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 演奏会評

2013年7月6日 土曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)

曲目:
細川俊夫 室内オーケストラのための「開花II」
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ピアノ協奏曲第3番 op.37
(休憩)
フランツ=シューベルト 交響曲第8(9)番「大交響曲」 D944

ピアノ:小菅優
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:準=メルクル

MCOは、準=メルクルを指揮者に迎えて、2013年7月6日・7日に水戸で、8日に東京で、第87回定期演奏会を開催した。この評は、第一日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方上手側、その他の金管・ティンパニは後方下手側の位置につく。

着席位置は正面前方中央、客の入りはほぼ満員である。

演奏会場に入ると、いつもよりも舞台上の照明が暗い。プログラムには紙片が挟まっており、プログラム本編に先立ってモーツァルトのディヴェルティメントK.136(125a)から第二楽章を演奏する事が予告されている。この5月に亡くなられた楽団員で、コンサートミストレスの役割を果たすことも多かった潮田益子に対する追悼演奏である。

定刻となり、最小限の照明の下で楽団員のみが入場し、その後演奏に支障がない程度に抑えた照度となる。安芸晶子をコンサートミストレスとしての演奏だ。最初の一音を聴くだけで、改めてMCOの技量の高さを認識させられる。一音一音がとても綺麗で、淀みが全くなく清冽な演奏だ。演奏終了直前に照明が落とされ、最小限の照明の下で楽団員が去る。演奏前後に拍手をする者はない。追悼演奏が終わる。

照明が通常の明るさとなり、プログラム本編となる。水戸芸術館での慣習のとおり、楽団員登場の場面から盛大な拍手で迎える。

第一曲目は細川俊夫の「開花II」であり、日本初演だ。コンサートマスターは、久しぶりにMCOに登場した川崎洋介である。作曲者臨席の下での演奏だ。冒頭部からの、蓮の花がゆっくりと開花していく情景であろうか、限りなく無音に近い音からの長いクレッシェンドに、その完璧なまでの美しい響きに魅了される。弱音部でのニュアンスが特に冴えわたり、極めて精緻な演奏だ。目隠ししてこの音楽を聴くと、ヴァイオリンやフルートを用いた音色とは決して思えない。西洋の楽器でこれほどまでに仏教的、東洋的な音が出せるのかと、驚嘆につぐ驚嘆に満ちた演奏である。

二曲目はベートーフェンのピアノ協奏曲第3番、コンサートミストレスは渡辺實和子である。正直なところ、ベートーフェンの場合小菅の個性が発揮されるところは相対的に少ないようにも思えるが、それでも小菅の危うさを秘める繊細さが随所に出てくる演奏だ。カデンツァでのテンポの揺らぎ、第二楽章での繊細な演奏が小菅らしいところである。第三楽章ではちょっと遊び心も出たかな、と思えるのは気のせいであろうか。

休憩後の三曲目は、シューベルトの「大交響曲」だ。コンサートマスターは豊嶋泰嗣である。端正なスタイルを保持するのが通例のメルクルとしては、態度がいつもと違う。第一楽章からかなり速めなテンポであり、これはどんなものかと一瞬疑問に感じるが、スタッカートをどちらかというと重視しており、その躍動感が強い説得力を持つ。やや弦楽重視であるが管楽を要所要所で際立たせている。下手側に位置しているトランペットとトロンボーンが、繊細さを伴いつつも的確な自己主張を行っていて素晴らしい。ホルン・オーボエは敢えて抑えられていたのだろうか?第二楽章では、メルクルが指示したと思われるニュアンスが実に効果的である。

「開花II」で見せた演奏から正反対の方向性で、メルクルは鬼と化す。最終楽章で、あれだけスピードが速めでありながら、体全体を用いたボーイングで、弦楽の音の細かく強く刻むよう要求する。近年のMCO演奏会では見られなかった、なりふり構わない凄惨な白兵戦と化す。それでもMCOは驚異的なまでに的確にスタッカートを実現する。ただただ圧巻である。

終演後、心地良い疲労感に満ちた表情を弦楽セクションの人たちがしている。限界を極めた達成感に満ちた表情だ。今回の演奏会は、追悼演奏から始まり、一曲目から重量級の曲目で構成されていた。もうこれ以上の演奏は不可能であることは、誰の目にも明らかだ。アンコールはなし。極めて充実した内容の演奏会であった。

2013年1月13日日曜日

第86回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2013年1月13日 日曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)

曲目:
アントニン=レオポルト=ドヴォルザーク 弦楽セレナーデ op.22
エドワード=ベンジャミン=ブリテン ノクターン op.60
 (休憩)
フランツ=ペーター=シューベルト 交響曲第6(7)番 D589

テノール:西村悟(ブリテン ノクターン)

ファゴット-ソロ(ブリテン ノクターン第2曲):マーク=ゴールドバーグ
ハープ-ソロ(ブリテン ノクターン第3曲):吉野直子
ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第4曲):ラデク=バボラーク
ティンパニ-ソロ(ブリテン ノクターン第5曲):ローランド=アルトマン
イングリッシュ-ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第6曲):フィリップ=トーンドゥル
フルート-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):工藤重典
クラリネット-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):スコット=アンドリュース

管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:大野和士

第86回水戸室内管弦楽団定期演奏会は、1月13日・1月14日両日にわたり二公演開催された。この評は、第一日目1月13日の公演に対してのものである。

第一曲目の「弦楽セレナーデ」は、メリハリがキッチリつけられた、良く考えられた演奏である。楽章が進むに連れ熱を帯びる演奏であり、ある楽器がどこで出てきてどこで他の楽器のサポートに回るかが良く分かる演奏だ。弱奏部でさえも、もちろん音量は小さくはなるが、なぜか力強く聴こえてくる。

第二曲目、ブリテンのノクターンは、この演奏会の白眉である。第1曲の「詩人の唇の上に私は眠った」の部分は、西村悟と管弦楽のみで、普通の演奏であるが、第2曲「ファゴットのオブリガート」から本気モードになり始める。これ以降全曲に渡り、西村悟は水戸芸術館の響きを自在に使って、力強さと軽妙さとを的確に使い分ける、素晴らしい歌唱を見せる。

第4曲「ホルンのオブリガート」では、ホルン-ソロのラデク=バボラークが非常に見事だ。犬の鳴き声、鶯の鳴き声、猫の鳴き声が出てくる曲であるが、西村悟とラデク=バボラークの響きが完璧に調和が取れており、また軽妙な曲調を掌中に入れて楽しい雰囲気だ。まるで、モーツァルトの二重協奏曲を完璧な独奏で聴いている気分になる。

一転第5曲「ティンパニのオブリガート」では、フランス革命時の虐殺事件を扱う題材となる。ティンパニ-ソロのローランド=アルトマンも完璧な出来だ。題材が持つ重さや恐怖心を見事に表現している。

残念ながら、第7曲、工藤重典のフルート-ソロは音が曖昧に聴こえ、違和感を覚えた。これが、私がフルートの性質を理解していないからかもしれないし、工藤重典が使っているフルートの癖を承知でそのような音を出しているのかもしれないし、指揮者の指示であるのかも知れないが、これまで聴いてきた工藤重典のフルートとはどうも異質である。

最近、サイトウ-キネンにしても水戸室内管弦楽団にしても、工藤重典の出番が減ってきているのとは関係あるのだろうか、工藤重典の体調の問題でもあるのではないかと心配してしまう。同じ違和感は、休憩後のシューベルト第6交響曲第1・2楽章でも感じられた。彼のフルートは、スタッカートになっていなかった。

第三曲目のシューベルト第6交響曲は、極めて濃厚な味付けで、おそらく好き嫌いが分かれる演奏である。このズンッ、ズンッ、と言ったようなスタッカートを基調とした交響曲は、やはり軽妙かつリズミカルにやってくれた方が私の好みではある。

ところが、まるでベートーフェンの交響曲を演奏するかのような、あるいは同じハ長調の曲でも「ザ-グレート」を弾いているかのような気合の入れようである。小澤征爾+水戸室内管弦楽団でよく在りがちな展開で、ただ大野和士の場合はこれをもうちょっとひねった形となるのだろうか、その「ちょっとひねった」ところが面白いと言えば面白い。

例えば、第三楽章のトリオではテンポを落とさず、一方で第四楽章序奏の部分ではテンポを揺るがすなどの部分に、大野の独特な部分がある。

アンコールは、フォーレ組曲「ドリー」から第1曲「子守歌」であった。