2015年11月21日 土曜日
Saturday 21st November 2015
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)
曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551
pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi
水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催する。この評は、第二日目の公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方上手側、観客の入りは、正面席は補助席を用いた程の、かなりの入りである。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ピアノ協奏曲で出た話し声は何だったのだろう?指揮者から思わず出た声だと信じたいが。
コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。
一曲目のハイドン交響曲第102番は、精度よりは躍動感を志向しているが、楽しい演奏だ。最終楽章では、パウゼを長く取るなど、広上淳一の独自の解釈をも入れてくる。濃厚な響きであるが、愉悦感がある演奏だ。
二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃え、水戸芸術館の音響にぴったりあった響きでニュアンスをつけて、管弦楽が始まる。これがモーツァルトなんだ、これが水戸室内管弦楽団なんだ、と思わせる、幸せな時間だ。
ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。
控えめな表現のソリストと、元気いっぱいの管弦楽とで、折り合いをつけた形のコンビネーションである。
三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、好みが分かれる演奏だ。正直に申し上げると、私の好みではない。
全般的に遅めのテンポで、かつテンポの変動をかなり制限し、その基盤の上に濃厚に演奏するスタイルだ。ピリオド派の活き活きとした演奏のアンチテーゼを示したいのだろうか?
管弦楽は、広上淳一の意図をくみ取り、パッションを込めて演奏する。管弦楽は実に見事である。
しかしながら、愉悦感は全くない。およそ広上淳一らしくない展開で、一曲目で感じられた愉悦感が消え去り、聴いていて疲れる演奏である。
あれだけの演奏を管弦楽はしているのだから、曲を活かすも殺すも広上淳一次第の状況であるが、果たしてこれがモーツァルトであるのか?そう問われれば、私にとっては否だ。
どんなに見事な演奏をしても、単にクソ真面目なだけで、そこに巧みな構成を与えなければ、何らの説得力を持ち得ず、そこには音楽の悦びはない。もう少し、指揮者から何らかの工夫を注ぎ込む事は出来なかったのか?
アンコールはなかった。