2015年7月25日 土曜日
Saturday 25th July 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Николай Римский-Корсаков / Nikolai Rimsky-Korsakov: Каприччио на испанские темы / Capriccio spagnolo (エスパーニャ奇想曲)
Моде́ст Му́соргский / Modest Mussorgsky (orchestrated by Александр Раскатов / Alexander Raskatov): Песни и пляски смерти / Canti e danze della morte (死の歌と踊り) (Japan Premiere / 日本初演)
(休憩)
藤倉大 / Fujikura Dai: 歌曲集「世界にあてたわたしの手紙」/ “My Letter to the World” (World Premiere / 世界初演)
Моде́ст Му́соргский / Modest Mussorgsky (orchestrated by Maurice Ravel): Картинки с выставки / Quadri da un'esposizione (展覧会の絵)
baritono: Simon Bailey (バリトン:サイモン=ベイリー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins (指揮:マーティン=ブラビンズ)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、サイモン=ベイリー(バリトン)をソリストに迎えて、2015年7月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第426回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリンと並ぶモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、金管は後方中央から上手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズがあったものの、概ね極めて良好であった。
第一曲目の「エスパーニャ奇想曲」は後半になって全てがうまく響きが噛み合ってくる。その勢いで第二曲目の「死の歌と踊り」に入る。
ムソルグスキーの「死の歌と踊り」は、アレクサンドル=ラスカトフの編曲によるもので、ラスカトフ編曲版は日本初演である。先進的な企画を打ち出すブラビンズ+名フィルならではの企画だ。上手側にエレキギターがある一方で、下手側にはチェンバロがある点が凄い♪
バリトンのベイリーは美しい声で愛知県芸術劇場コンサートホールを満たす。十分な声量で大きなホールを響かせる。管弦楽とのバランスも見事で、ベイリーを見事に引き立たせる。特に第二楽章に相当するセレナーデからが素晴らしい。
第三曲は藤倉大の作品で、管弦楽編曲版は世界初演である。管弦楽編曲版を作成した動機で、ピアノ版でピアニストが酷い演奏をしたからと公言するのはいかがなものか?聴く立場としては複雑な心境となる。
演奏自体は、ベイリーと名フィルの絶妙なバランスが効いて、これまた見事な出来である。
最後の曲目、「展覧会の絵」は最高の出来だ!何をやりたいのか明確になっていて、その路線を実現させようとする士気に漲った演奏だ。欲を言うと・・・の要素が皆無な訳ではないけれど、特定の楽器や特定のソリスティックな何かに頼らない演奏である事が何よりも大切な事である。ティンパニ砲発射〜、金管砲炸裂〜だけでは、響きにならず、音楽にならない。全般的に誰もが高いレベルで精緻な演奏をパッションを込めて行う事が大切なのだと改めて思い知らされる。
冒頭のトランペットからプレッシャーに負けずに決めて、曲の中間部では弦楽がニュアンス豊かに精緻さを伴って攻めてくる。「キエフの大門」では、モッサリしない程度のゆっくりとしたテンポで、ゼネラルパウゼをやり過ぎない程度に長めに取りながら、堂々と演奏する。
ブラビンズの構成力は盤石であり、その上で管弦楽全員で勝負をかけ、勝利した。大管弦楽の醍醐味を味わえる演奏であった。
2015年7月25日土曜日
2015年1月31日土曜日
Nagoya Philharmonic Orchestra, the 420th Subscription Concert, review 第420回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2015年1月31日 土曜日
Saturday 31st January 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Richard Georg Strauss: Serenata in mi bemolle maggiore per 13 strumenti a fiato op.7 (13管楽器のためのセレナード)
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
(休憩)
Richard Wagner: La Valchiria, Atto Primo(「ヴァルキューレ」より第一幕)
soprano: Susan Bullock
tenore: Richard Berkeley-Steele
basso: Kotetsu Kazuhiro (小鉄和弘)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、スーザン=ブロック(ソプラノ)・リチャード=バークレー-スティール(テノール)・小鉄和広(バス)をソリストに迎えて、2015年1月30日・31日に愛知県芸術劇場で、第420回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは上手側の位置につく。なお、一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は管楽器奏者のみが立って指揮者を半円形に囲っての演奏であり、二曲目の「シンプル-シンフォニー」はチェロ以外の弦楽奏者は立ち、チェロ奏者は特製の台の上に着席しつつも、顔の高さを他の立って演奏する奏者と同一レベルになるようにしての演奏となる。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズや楽章間のパラパラ拍手があったものの、概ね極めて良好であった。
一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は、最初固さが目立ったものの、曲が進行するに連れ本来の響きが出て来る演奏だ。
二曲目との間は、舞台装置設営のため少々時間が掛る。チェロ奏者が乗る特製の台の設営光景がみられる。
二曲目のブリテンによる「シンプル-シンフォニー」は、私としてはこの演奏会の白眉である。ヴァーグナー嫌いの私にとって、そもそも後半の曲目は「ついで」であるし、お目当てはこの「シンプル-シンフォニー」であった。また、昨年12月に、中日新聞社放送芸能部長谷義隆により、マーティン=ブラビンスによるプログラムの前衛路線が徹底的に侮辱された事情もあり、ブラビンス支持を示威する事も重要な目的の一つである。
ブリテンの「シンプル-シンフォニー」は完璧と言って良い。一音一音の響きはビシッと決めた構成力に裏打ちされている。あらゆる響きがこうであるべき所に確実に決めていく。この曲の対照的な目玉と言ってよい、ピッチカートのみで構成されている第二楽章は、ピッチカートでこれ程までの表現が出来るものかと驚愕させられるし、重々しいサラバンドである第三楽章も緊張感が途切れない高度に集中した演奏だ。
全般的に、繊細に演奏する箇所とワイルドに演奏する箇所との使い分けが的確でありながら、実に繊細にワイルドな箇所を描いている。どの場面もニュアンス豊かで、かつ迫力を感じられる。テンポの扱いは正攻法で奇を衒ったものではないが、逆に言えばブラビンスの盤石な構成力によりこの曲が活気づいている。要するに完璧な演奏だと言うことだ。
約16分の長さの曲であり、決して長大な大曲ではないが、演奏会の最後の曲としてもふさわしい内容を持つ曲で、決して題名から連想させるような「軽い曲」などではない。
逆に「シンプル」であるからこそ、弦楽合奏の精緻さ・パッションの強さ・ニュアンスの豊かさが強く問われる曲である。この難曲を、ブラビンスの堅固な構成力に裏打ちされた指揮による導きと、名フィルの奏者による緻密かつパッションを伴った演奏と、愛知県芸術劇場コンサートホールの豊かな残響とが三位一体となり、絶妙に絡み合った名演である。これはもう最高の出来だ!Bravi!!
二年前くらいまでは、名フィルの弦は弱いと言われてきたが、本当に信じられない。私が名フィルを初めて聴いたのは昨年7月の第415回定期演奏会からであるが、厚みのある迫力ある響きで楽しませてくれる。マーティン=ブラビンスが常任指揮者になってから、弦の響きが変わったと聞くが、本当だとしたらブラビンスの功績は実に大きい。2015/16シーズンでブラビンスが名フィルの常任指揮者の地位を辞するのが、本当に残念でならない。
後半のヴァーグナーについては、私の歌劇に臨む態度やら、ヴァーグナーに対する態度やらがあるため、敢えて評の対象から外す事とする。本音を許していただければ、後半は後半はU.K.の作曲家による、あまり演奏されない大作を演奏してほしかったところだ。
Saturday 31st January 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Richard Georg Strauss: Serenata in mi bemolle maggiore per 13 strumenti a fiato op.7 (13管楽器のためのセレナード)
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
(休憩)
Richard Wagner: La Valchiria, Atto Primo(「ヴァルキューレ」より第一幕)
soprano: Susan Bullock
tenore: Richard Berkeley-Steele
basso: Kotetsu Kazuhiro (小鉄和弘)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、スーザン=ブロック(ソプラノ)・リチャード=バークレー-スティール(テノール)・小鉄和広(バス)をソリストに迎えて、2015年1月30日・31日に愛知県芸術劇場で、第420回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは上手側の位置につく。なお、一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は管楽器奏者のみが立って指揮者を半円形に囲っての演奏であり、二曲目の「シンプル-シンフォニー」はチェロ以外の弦楽奏者は立ち、チェロ奏者は特製の台の上に着席しつつも、顔の高さを他の立って演奏する奏者と同一レベルになるようにしての演奏となる。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズや楽章間のパラパラ拍手があったものの、概ね極めて良好であった。
一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は、最初固さが目立ったものの、曲が進行するに連れ本来の響きが出て来る演奏だ。
二曲目との間は、舞台装置設営のため少々時間が掛る。チェロ奏者が乗る特製の台の設営光景がみられる。
二曲目のブリテンによる「シンプル-シンフォニー」は、私としてはこの演奏会の白眉である。ヴァーグナー嫌いの私にとって、そもそも後半の曲目は「ついで」であるし、お目当てはこの「シンプル-シンフォニー」であった。また、昨年12月に、中日新聞社放送芸能部長谷義隆により、マーティン=ブラビンスによるプログラムの前衛路線が徹底的に侮辱された事情もあり、ブラビンス支持を示威する事も重要な目的の一つである。
ブリテンの「シンプル-シンフォニー」は完璧と言って良い。一音一音の響きはビシッと決めた構成力に裏打ちされている。あらゆる響きがこうであるべき所に確実に決めていく。この曲の対照的な目玉と言ってよい、ピッチカートのみで構成されている第二楽章は、ピッチカートでこれ程までの表現が出来るものかと驚愕させられるし、重々しいサラバンドである第三楽章も緊張感が途切れない高度に集中した演奏だ。
全般的に、繊細に演奏する箇所とワイルドに演奏する箇所との使い分けが的確でありながら、実に繊細にワイルドな箇所を描いている。どの場面もニュアンス豊かで、かつ迫力を感じられる。テンポの扱いは正攻法で奇を衒ったものではないが、逆に言えばブラビンスの盤石な構成力によりこの曲が活気づいている。要するに完璧な演奏だと言うことだ。
約16分の長さの曲であり、決して長大な大曲ではないが、演奏会の最後の曲としてもふさわしい内容を持つ曲で、決して題名から連想させるような「軽い曲」などではない。
逆に「シンプル」であるからこそ、弦楽合奏の精緻さ・パッションの強さ・ニュアンスの豊かさが強く問われる曲である。この難曲を、ブラビンスの堅固な構成力に裏打ちされた指揮による導きと、名フィルの奏者による緻密かつパッションを伴った演奏と、愛知県芸術劇場コンサートホールの豊かな残響とが三位一体となり、絶妙に絡み合った名演である。これはもう最高の出来だ!Bravi!!
二年前くらいまでは、名フィルの弦は弱いと言われてきたが、本当に信じられない。私が名フィルを初めて聴いたのは昨年7月の第415回定期演奏会からであるが、厚みのある迫力ある響きで楽しませてくれる。マーティン=ブラビンスが常任指揮者になってから、弦の響きが変わったと聞くが、本当だとしたらブラビンスの功績は実に大きい。2015/16シーズンでブラビンスが名フィルの常任指揮者の地位を辞するのが、本当に残念でならない。
後半のヴァーグナーについては、私の歌劇に臨む態度やら、ヴァーグナーに対する態度やらがあるため、敢えて評の対象から外す事とする。本音を許していただければ、後半は後半はU.K.の作曲家による、あまり演奏されない大作を演奏してほしかったところだ。
2014年10月25日土曜日
第417回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2014年10月25日 土曜日
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第1番 op.21
カレヴィ=アホ (Kalevi Aho) トロンボーン協奏曲(日本初演)
(休憩)
藤倉大:「バニツァ グルーヴ!」(Banitza Groove! )
ドミトリー=ショスタコーヴィチ 交響曲第1番 op.10
トロンボーン:ヨルゲン=ファン=ライエン(Jörgen van Rijen)
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団 (Nagoya Philharmonic Orchestra)
指揮:マーティン=ブラビンス (Martyn Brabbins)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、ヨルゲン=ファン=ライエンをソリストに迎えて、2014年10月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第417回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
プログラムは、現代スオミ(フィンランド)を代表する作曲家であるカレヴィ=アホ(Kalevi Aho)の日本初演となるトロンボーン協奏曲、ショスタコーヴィチを蛇蝎のごとく嫌っている藤倉大の現代作品「バニツァ グルーヴ!」、その藤倉大がアナフィラキシーショックを引き起こし死亡するとされるショスタコーヴィチの交響曲第1番により構成される先鋭的なもので、音楽を聴く気のない人物をフィルターに掛け、真に音楽好きな者のみを相手とするもので、それ自体が傑出したものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管・金管パートは後方中央、ティンパニは後方中央で、ティンパニ奏者以外の担当するパーカッションは後方下手側である。
着席位置は一階正面後方上手側、客の入りは8割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であるが、曲の終了と勘違いした拍手があった。ショスタコーヴィチのブラボーは、あと二秒遅らせて欲しい。
演奏会の白眉は、やはり二曲目のカレヴィ=アホのトロンボーン協奏曲である。Rijenのソロはもちろんだが、管弦楽が素晴らしい。下支えの弱奏が実に綺麗で見事で、弦管打揃って精緻な響きを随所で実現し、カレヴィ=アホの世界を作り出している。特に、終幕間近の最強奏に持っていく箇所の、精緻さを伴った迫力は、愛知県芸術劇場の見事な響きもフルに活かした、素晴らしい響きである。独奏者だけでは成り立たないこの曲を、名フィルは重要な役割を十二分に果たしている。
他の三曲も、良い意味で手堅くまとめた演奏だ。とても素晴らしい水準の演奏で、特にショスタコーヴィチでは大管弦楽の迫力を味わえる。名フィルの弦楽の響きは弱めだと言われるが、その弦楽もよく響いていたし、ショスタコーヴィチで各ソロを担当した首席の演奏も見事だ。ブラビンスは通例左右対向配置であるが、通例通りだったらチェロのソロも正面に響いただろう。オルガン横の下手側に、チェロのソロは響いたか?
演奏会終了後に、「ポストリュード」という名の、アフター-ミニコンサートがある。ソリスト-アンコールとも言える。
ライブで録音して時間差を置いて再生できる機器を用いながらの、ソロ-トロンボーンの演奏だけど、ついさっき出したライブの音との合奏となる♪
ポストリュードの際に、12列中央に席を移したのは大正解である。スピーカーを左右に配置しほぼ正三角形の頂点に位置する。
Rijenがライブで的確な演奏をしているからこそ、「合奏」が活きてくる見事なポストリュードであった。
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第1番 op.21
カレヴィ=アホ (Kalevi Aho) トロンボーン協奏曲(日本初演)
(休憩)
藤倉大:「バニツァ グルーヴ!」(Banitza Groove! )
ドミトリー=ショスタコーヴィチ 交響曲第1番 op.10
トロンボーン:ヨルゲン=ファン=ライエン(Jörgen van Rijen)
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団 (Nagoya Philharmonic Orchestra)
指揮:マーティン=ブラビンス (Martyn Brabbins)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、ヨルゲン=ファン=ライエンをソリストに迎えて、2014年10月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第417回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
プログラムは、現代スオミ(フィンランド)を代表する作曲家であるカレヴィ=アホ(Kalevi Aho)の日本初演となるトロンボーン協奏曲、ショスタコーヴィチを蛇蝎のごとく嫌っている藤倉大の現代作品「バニツァ グルーヴ!」、その藤倉大がアナフィラキシーショックを引き起こし死亡するとされるショスタコーヴィチの交響曲第1番により構成される先鋭的なもので、音楽を聴く気のない人物をフィルターに掛け、真に音楽好きな者のみを相手とするもので、それ自体が傑出したものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管・金管パートは後方中央、ティンパニは後方中央で、ティンパニ奏者以外の担当するパーカッションは後方下手側である。
着席位置は一階正面後方上手側、客の入りは8割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であるが、曲の終了と勘違いした拍手があった。ショスタコーヴィチのブラボーは、あと二秒遅らせて欲しい。
演奏会の白眉は、やはり二曲目のカレヴィ=アホのトロンボーン協奏曲である。Rijenのソロはもちろんだが、管弦楽が素晴らしい。下支えの弱奏が実に綺麗で見事で、弦管打揃って精緻な響きを随所で実現し、カレヴィ=アホの世界を作り出している。特に、終幕間近の最強奏に持っていく箇所の、精緻さを伴った迫力は、愛知県芸術劇場の見事な響きもフルに活かした、素晴らしい響きである。独奏者だけでは成り立たないこの曲を、名フィルは重要な役割を十二分に果たしている。
他の三曲も、良い意味で手堅くまとめた演奏だ。とても素晴らしい水準の演奏で、特にショスタコーヴィチでは大管弦楽の迫力を味わえる。名フィルの弦楽の響きは弱めだと言われるが、その弦楽もよく響いていたし、ショスタコーヴィチで各ソロを担当した首席の演奏も見事だ。ブラビンスは通例左右対向配置であるが、通例通りだったらチェロのソロも正面に響いただろう。オルガン横の下手側に、チェロのソロは響いたか?
演奏会終了後に、「ポストリュード」という名の、アフター-ミニコンサートがある。ソリスト-アンコールとも言える。
ライブで録音して時間差を置いて再生できる機器を用いながらの、ソロ-トロンボーンの演奏だけど、ついさっき出したライブの音との合奏となる♪
ポストリュードの際に、12列中央に席を移したのは大正解である。スピーカーを左右に配置しほぼ正三角形の頂点に位置する。
Rijenがライブで的確な演奏をしているからこそ、「合奏」が活きてくる見事なポストリュードであった。
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