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2017年7月22日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 448th Subscription Concert, review 第448回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2017年7月22日 土曜日
Saturday 22nd July 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Ouverture ‘Don Giovanni’ KV527
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra KV622
(休憩)
José Pablo Moncayo García: ‘Huapango’
Jesús Arturo Márquez Navarro: Danzón no 2
Alberto Evaristo Ginastera: Estancia (Quatro Danzas del Ballet) op.8a

clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Alondra de la Parra

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、アレッサンドロ=カルボナーレをソリストに、アロンドラ=デ-ラ-パーラを指揮者に迎えて、2016年7月21日・22日に愛知県芸術劇場で、第448回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、特に後半は、メヒコの作曲家モンカーヨ・マルケス、アルヘンティーナの作曲家ヒナステラを充て、中南米音楽に接する貴重な機会を齎している。メヒコの美人指揮者、アロンドラ=デ-ラ-パーラの意向も含まれているだろう。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央から上手側に掛けて、打楽器は最後方中央のティンパニの他は下手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方わずかに下手側、客の入りは8割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、きわめて良好だった。

「ドン-ジョバンニ」序曲の時点で、Alondra de la Parra の棒に名フィルがテンション高く反応する。熱量が高く面白い。

モーツァルトのクラリネット協奏曲は、カルボナーレのソロは見事ではあるが、中弱音を多用したために、ホールの大きさも相まって自己主張は抑えめとなる。むしろ、Alondra de la Parra 率いる管弦楽の方が、第一楽章後半部などで見せる熱量の高い演奏を見せ、カルボナーレとは対照的である点が興味深い。

(余談だが、2016年11月にカルボナーレはカメラータ-ザルツブルクと同じ曲で松本市音楽文化ホールにて共演していたが、その時はカルボナーレがかなりリードしているようにも思えた。ホール規模による印象の差なのか?「カメラータ」とフルオーケストラとの差なのか?)

カルボナーレのソリスト-アンコールは、チャーリー=パーカーの「チェロキー」にちなむ「クラリネット-ロギア」である。モーツァルトの演奏とは打って変わって、カルボナーレがその技巧を惜しみなく注ぎ込み、ホール全体によく響かせる演奏で、とても楽しい。まるで、このアンコールを吹くためにモーツァルトのソロを引き受けたのではないかと思えるほどである。中南米の曲目で固めた後半につなげるような、ヨーロッパからアメリカに飛んだ選曲も素晴らしい。
なお、その光景は、指揮台に座った Alondra de la Parra がスマホで動画撮影し、直後の休憩時に即instagramに投稿している。

後半は、いよいよお待ちかねの中南米音楽である。

まずは、Moncayo ‘Huapango’ モンカーヨの「ウアパンゴ」だ。曲の進行とともに管弦楽が噛み合い始め、管楽弱音ソロで決める場面もキッチリ決まる。私の個人的なポイントは、何と言っても、ヴァイオリンの強烈なウネリを掛けた強奏で、その絶妙かつ強いニュアンスを効かせた強い響きは効果的だ。この場面を愛知県芸術劇場コンサートホールの響きで聴けたのは幸せである。名フィル始まって以来のヴァイオリンの強烈な響きではないだろうか?その旋律を追いかけるトランペットも素晴らしい。

次は、Márquez ‘Danzón’ no 2 マルケスの「ダンソン」第2番である。メヒコの太陽の強烈さは影も深い、印象を持つ。

最後はGinastera: Estancia ヒナステラのバレエ音楽「エスタンシア」組曲版である。どうしても、Damza Final (Malambo) の強烈な旋律が全てを持っていってしまう。名フィルの総力を挙げ、愛知県芸術劇場コンサートホールの響きを知り尽くし、現代音楽で鍛え上げられた弦管打全てが絡み合う名演である。牛の鳴き声を表現しているかと思われる管楽の挿入も見事で、題名の通り、アルヘンティーナの農場を思わせる光景だ。打楽の二連音のアクセントも強めに入る好みの展開である。まさに、愛知県芸術劇場コンサートホール改修工事前の、お別れにふさわしい幕切れだ。シャイな名古屋の観客がスタオベやり始める展開である。

アンコールは、マランボの繰り返しである。これが前代未聞のアンコールとなる。Alondra de la Parra から観客に対して指示が出る。立ち上がろう!手拍子しよう!体を左右に振って踊ろう!(管弦楽も体を左右に振りだしている)しまいには、打楽二連音のアクセントの箇所でジャンプ指令まで出た。まあ、手拍子レベルならあり得る展開であるが、ジャンプまでさせるとはねえ。アロンドラも指揮台の上で楽し気にジャンプしている。日本のクラシック音楽演奏会史に残る伝説的なアンコールであった。

Alondra de la Parra は、管弦楽を情熱的にさせる音楽面での確かな充実ぶりはもちろんのこと、観客を楽しませるエンターテイメントの面でも素晴らしい才覚を発揮した。ソリスト-アンコール中の動画撮影と即時instagram 投稿、アンコールでの観客関与、サラリと前代未聞の仕掛けを実現させていく。メヒコ美女だからこそ、日本の演奏会のスタイルを変えていけるのかもしれない。

Alondra de la Parra は、実はバレエ好きで、名古屋滞在中に English National Ballet の’Coppélia’ 公演を観劇していたりする。instagramを覗くと、Alondra自身がバーレッスンをしている写真もある。この伝説的なアンコールには、彼女のバレエとの関わりをも背景にあるように思える。(余談ではあるが、新国立劇場バレエ団に彼女を指揮者として呼んで、Ginastera の ‘Estancia’ 全幕を上演したら面白いだろなと、頭に浮かんでくる。)

愛知県芸術劇場コンサートホールは、2017年8月から一年以上にわたって改修工事に入る。この第448回定期演奏会は、名フィルにとって改修工事前の最後の演奏会であった。愛知県芸術劇場コンサートホールの響きを十全に活かした響き、革新的な演奏会の在り方の提起、メヒコからの旋風がこの美しいホールに吹き込まれた、画期的な演奏会となった。

2017年6月3日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 446th Subscription Concert, review 第446回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2017年6月3日 土曜日
Saturday 3rd June 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
吉松隆/ Yoshimatsu Takashi: 「鳥は静かに…」 / ‘And Birds are Still...’ op.72
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Concerto per violino e orchestra op.35
(休憩)
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: Sinfonia n.12 op.112 ≪1917-й год≫ 「1917年」

violino: Noah Bendix-Balgley (ノア=ベンディックス-バルグリー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 川瀬賢太郎 / Kawase Kentaro

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、米国生まれのノア=ベンディックス-バルグリー(ヴァイオリン)をソリストに、川瀬賢太郎を指揮者に迎えて、2017年6月2日・3日に愛知県芸術劇場で、第446回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を別とすれば、吉松隆による1998年の作品「鳥は静かに…」、ドミトリー=ショスタコーヴィチの交響曲第12番と、近現代音楽から構成されている。バランスが取れた曲目と言えるかもしれない。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は中央最後方下手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、時折ノイズはあったものの、概ね良好であった。

「鳥は静かに...」は、弦楽のみによる神経を通わした演奏である。

二曲目のチャイコフスキーによるヴァイオリン協奏曲は、一言で言うと面白かった。

ヴァイオリンのNoah Bendix-Balgley は、特に第一楽章前半では遅めのテンポで朗々と奏でるような方向性の演奏で、少し小技を用いてニュアンスを掛けてはいるものの、眠くなりがちのように思えた。しかし、ヴァイオリンが休み管弦楽のみで最強奏全速前進し始めた箇所は、目が覚め、ここからが Noah と川瀬賢太郎とによる共謀作業が始める。Noah のカデンツァは、朗々とした美しい響きで、王道を歩む演奏だ。

第二楽章では、極限まで弱い響きにしたりするし。第三楽章冒頭で、Noah がリタルダンドを掛けるニュアンスはバッチリ効いた。第一楽章とは逆に、管弦楽だけで極端に遅いテンポにした箇所もあり、ニヤケてしまう。

一方で、Noah と川瀬賢太郎とによる構成はよく考えられており、ソリストと管弦楽との響きのバランスも取れており、記憶に留められない程の数々の仕掛けにより、個性溢れるチャイコフスキーを実現した。

好き嫌いが分かれそうな演奏であり、ブーイングとこれに対抗するブラヴォーが飛び交うかと期待、、じゃなかった、心配をしたが、観客の反応は思ったよりも暖かい反応で、その意味では、つまらなかった(←コラ

後半は、ショスタコーヴィッチの交響曲第12番である。前常任指揮者である Martyn Brabbins による、現代音楽の演奏により鍛え上げられた、名フィルの総力を結集した演奏である。弦管打全てが的確に絡み合い、全奏者が一致団結して成し遂げる演奏である。もちろん、どんな強奏になっても美しい響きを保つ管楽の力には注目させられるけど、弦楽も士気に溢れるパッションを出し、打楽もショスタコーヴィッチの求める躍動感を見事に表出する。全管弦楽が一体となったハーモニーの美しさが、どんなに速く強く演奏する箇所でも、常に保たれる。フル-オーケストラの威力を存分に堪能した演奏であった。

#名フィル446

2016年9月19日月曜日

Aichi Prefectural Art Theater, Opera ‘Die Zauberflöte’ review 愛知県芸術劇場 歌劇「魔笛」 感想

2016年9月19日 月曜日
Monday 19th September 2016
愛知県芸術劇場 (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater (Nagoya, Japan)

演目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Opera ‘Die Zauberflöte K.620
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 歌劇「魔笛」

Sarastro: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Regina della Notte: 高橋維 / Takahashi Yui
Tamino: 鈴木准 / Suzuki Jun
Pamina: 森谷真理 / Moriya Mari
Papageno: 宮本益光 / Miyamoto Masumitsu
Papagena: 醍醐園佳 / Daigo Sonoka
dama1: 北原瑠美 / Kitahara Rumi
dama2: 磯地美樹 / Isochi Miki
dama3: 丸山奈津美 / Maruyama Natsumi
oratore del tempio / sacerdote1: 小森輝彦 Komori Teruhiko
Monostatos: 青柳素晴 / Aoyagi Motoharu
sacerdote2: 高田正人 / Takada Masato
armigero1: 渡邉公威 / Watanabe Koi
armigero2: 小田桐貴樹 / Otagiri Takaki
ballerina: 佐東利穂子 / Sato Rihoko

Coro: Aichi Prefectural Art Theater Chorus (合唱:愛知県芸術劇場合唱団)
ballerini: 東京バレエ団 / The Tokyo Ballet

Director: 勅使川原三郎 / Teshigawara Saburo
Set design: 勅使川原三郎 / Teshigawara Saburo
Costumes design: 勅使川原三郎 / Teshigawara Saburo
Lighting design: 勅使川原三郎 / Teshigawara Saburo

orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 山口浩史
direttore: Gaetano d’Espinosa (指揮:ガエタノ=デスピノーサ)

愛知県芸術劇場は「あいちトリエンナーレ2016」の一環として、2016年9月17日と19日の日程で、ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルトの歌劇「魔笛」を2公演開催した。この評は2016年9月19日に催された第二回目千秋楽の公演に対するものである。

着席位置は一階前方中央である。観客の入りは8割くらいか?観客の鑑賞態度は極めて良好だった。

勅使川原三郎の舞台は、シンプルで、白と黒と金色を基調とし、これら以外の色彩は限定した美しいものである。大きな金色の輪をダンサーたちが回すシーンには目を奪われた。愛知県芸術劇場の奥行きが深い広い舞台をフルに活かし、パミーナとパミーノが舞台奥に退出する場面などで活きた。衣装は諧謔の要素を満たす絶妙なもので、モノスタトゥス・童子たち始め思わず笑ってしまう程だった。

ソリストの出来について述べる。

パミーナ役の森谷真理さんは圧巻の素晴らしさで、終始圧倒的な存在感を示した。声量、ニュアンス、ともに完璧である。「ああ、私には分かる、消え失せたことが」のアリアを含め、強い声、弱い声を問わず、その声を聴くだけで涙腺が潤む。文句なしで一番である!Brava!

「ダンサー」役の佐東利穂子さんは、一番最初に動き出し、終始ダンスの面で魅了させるだけでなく、ナレーターが見事だった。声にある種の威厳があり、観客に緊張感を持たせ、物語を進行させた。カラス-アスパラスでの実験がこの大舞台で結実している。

歌い手皆さん士気溢れるものがあった。

その中でも、パパゲーノ役の宮本益光さんは、歌の面も見事であるが、何よりも本人そのまんまの性格と思うほど、諧謔に満ちた演技で魅了された。首吊り未遂の遣り取り始め、全てが役者で実に素晴らしい。

三人の侍女たちも盛り上げた。侍女1(北原瑠美さん)と侍女2・3と分かれる部分もバッチリ決まっていた。合唱団も素晴らしい。

また、名フィルの管弦楽は歌を活かすもので、ガエタノ=デスピノーザの見事な構成力を伺われた。名フィルはオケピットに入る事が少なく、松本でのサイトウキネンでよく見られるような、管弦楽の自己主張が強過ぎて歌を殺すような懸念もあったが、これは私の杞憂に過ぎず、全く無用な懸念だった。

#あいちトリエンナーレ #あいちトリエンナーレ2016 #名フィル

2016年5月21日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 435th Subscription Concert, review 第435回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2016年5月21日 土曜日
Saturday 21st May 2016
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: сюита из балета ‘Золотой век’ op.22 (Интродукция, Полька, Танец)(バレエ組曲「黄金時代」から「序奏」,「ポルカ」,「踊り」)
Альфре́д Га́рриевич Шни́тке / Alfred Schnittke : Concerto per viola e orchestra
(休憩)
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: Sinfonia n.6 op.54

viola: Andrea Burger (アンドレア=ブルガー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Дми́трий Ильи́ч Лисс / Dmitri Liss (指揮:ドミトリ=リス)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、スイス連邦生まれのアンドレア=ブルガー(ヴィオラ)をソリストに、ドミトリー=リスを指揮者に迎えて、2016年5月20日・21日に愛知県芸術劇場で、第435回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、ドミトリー=ショスタコーヴィチのバレエ組曲と交響曲、シュニトケが1985年に作曲したヴィオラ協奏曲と、ロシアの近現代音楽から構成されている。今シーズンのプログラムの白眉であることは間違いない。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手方につく。木管パートは後方中央、ホルンは木管後方の中央に位置し、その後ろにティンパニがつく。他の金管は後方上手、ティンパニ以外の打楽器群が後方下手側につく。

なお、第二曲目のシュニトケ、ヴィオラ協奏曲はヴァイオリンは登場せず、そのスペースにチェンバロ・足踏みオルガン・ピアノ・ハープが置かれる。

着席位置は一階正面後方中央、客の入りは8割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、概ね良好だったものの、シュニトケのヴィオラ協奏曲にて、最後の音符を奏でた直後に余韻を壊すフライング拍手があったのは、同じ聴衆として極めて遺憾である。

今回は、総じて難曲揃いであるが、素晴らしい演奏だった。

第一曲目の「黄金時代」は、冒頭のフルートによる鋭い響きに引き寄せられる。弦が少し戸惑っているように感じられたが、曲の進行ともに管楽打楽と噛み合ってくる。

第二曲目のシュニトケによるヴィオラ協奏曲は、素人受けはしづらい曲想で、終始緊張感を要するが、ヴィオラ-ソリストのアンドレア=ブルガーはこの難曲を、1990年生まれの若手とは思えない程の完成度を持って演奏する。音量は問題ないし、この曲を理解した上で、ソロで攻めるべき箇所や他楽器との絡み合いの箇所を計算し、気を衒わない見事な正統派の演奏だ。一方で、名フィルの管弦楽も綺麗な弱奏でソリストを支えたり、管楽打楽で攻めるべき箇所は攻めたりと、的確な演奏である。にしても、現代音楽なのに、チェンバロとヴィオラ-ソロとの組み合わせで聴かせるポイントがあるのは意外だ。

後半はショスタコーヴィチの交響曲第6番。管楽打楽の聴きどころでしっかり決めてくるし、弦楽も負けずに響かせるし、弦管打、それに愛知県芸術劇場コンサートホールの音響全てが見事に絡みあった完璧な演奏だ。

何よりも、一番長大な第一楽章が素晴らしいのが効いている。下手すると眠気を誘いそうな楽想であるが、天井やオルガンを見上げてウットリしているうちに終わっちゃった感じである。リスの的確な構成力が緊張感を持続させ、管弦楽がこれに応えて、ソリスティックな聴きどころを担当する管楽打楽が決まりまくったからか。

いつものように、この曲も予習せずに初聴で臨んだが、第一楽章で秘かにイイなと思った箇所は、低弦の弱奏に支えられて第一フルートがずっと奏でているところに、第二フルートが鳥の鳴き声のように入ってくるところ。Beethovenの第6交響曲「田園」を意識しているのか?まあ、多分違うと思うけど・・・。

それにしてもこれ程までの内容でショスタコーヴィチを演奏してしまうのだから、間も無く実施される愛知芸文の改修工事時期を外して、年間プログラムをショスタコーヴィチだけで構成することもできるだろうとも思う。無謀承知の発言であるが。

名フィルはトップの指揮者がマーティン=ブラビンズから交代した事により、プログラムが保守化した。中日新聞社放送芸能部の某記者すら自らの責務を放棄して、この保守化に与したが、しかしこの第435回定期演奏会は例外的に挑戦的なプログラムで攻めた、最も良心的な演目だった。こういったプログラムを演奏し紹介し、観客を啓蒙するのは、管弦楽団の重要な社会的責務であるし、聴衆の立場からも応えないといけないと、私は思っている。

観客は、現在自分の好きな音楽を聴きたがるもの、専門知識を有し提起する力がある、その地域の管弦楽団が啓蒙しなければ、観客も管弦楽団も、その地域の文化も進歩しない。このようなプログラムは、これからも比率を増やして継続されるよう、要望したい。

2015年7月25日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 426th Subscription Concert, review 第426回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年7月25日 土曜日
Saturday 25th July 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Николай Римский-Корсаков / Nikolai Rimsky-Korsakov: Каприччио на испанские темы / Capriccio spagnolo (エスパーニャ奇想曲)
Моде́ст Му́соргский / Modest Mussorgsky (orchestrated by Александр Раскатов / Alexander Raskatov): Песни и пляски смерти / Canti e danze della morte (死の歌と踊り) (Japan Premiere / 日本初演)
(休憩)
藤倉大 / Fujikura Dai: 歌曲集「世界にあてたわたしの手紙」/ “My Letter to the World” (World Premiere / 世界初演)
Моде́ст Му́соргский / Modest Mussorgsky (orchestrated by Maurice Ravel): Картинки с выставки / Quadri da un'esposizione (展覧会の絵)

baritono: Simon Bailey (バリトン:サイモン=ベイリー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins (指揮:マーティン=ブラビンズ)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、サイモン=ベイリー(バリトン)をソリストに迎えて、2015年7月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第426回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリンと並ぶモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、金管は後方中央から上手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。

着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズがあったものの、概ね極めて良好であった。

第一曲目の「エスパーニャ奇想曲」は後半になって全てがうまく響きが噛み合ってくる。その勢いで第二曲目の「死の歌と踊り」に入る。

ムソルグスキーの「死の歌と踊り」は、アレクサンドル=ラスカトフの編曲によるもので、ラスカトフ編曲版は日本初演である。先進的な企画を打ち出すブラビンズ+名フィルならではの企画だ。上手側にエレキギターがある一方で、下手側にはチェンバロがある点が凄い♪

バリトンのベイリーは美しい声で愛知県芸術劇場コンサートホールを満たす。十分な声量で大きなホールを響かせる。管弦楽とのバランスも見事で、ベイリーを見事に引き立たせる。特に第二楽章に相当するセレナーデからが素晴らしい。

第三曲は藤倉大の作品で、管弦楽編曲版は世界初演である。管弦楽編曲版を作成した動機で、ピアノ版でピアニストが酷い演奏をしたからと公言するのはいかがなものか?聴く立場としては複雑な心境となる。

演奏自体は、ベイリーと名フィルの絶妙なバランスが効いて、これまた見事な出来である。

最後の曲目、「展覧会の絵」は最高の出来だ!何をやりたいのか明確になっていて、その路線を実現させようとする士気に漲った演奏だ。欲を言うと・・・の要素が皆無な訳ではないけれど、特定の楽器や特定のソリスティックな何かに頼らない演奏である事が何よりも大切な事である。ティンパニ砲発射〜、金管砲炸裂〜だけでは、響きにならず、音楽にならない。全般的に誰もが高いレベルで精緻な演奏をパッションを込めて行う事が大切なのだと改めて思い知らされる。

冒頭のトランペットからプレッシャーに負けずに決めて、曲の中間部では弦楽がニュアンス豊かに精緻さを伴って攻めてくる。「キエフの大門」では、モッサリしない程度のゆっくりとしたテンポで、ゼネラルパウゼをやり過ぎない程度に長めに取りながら、堂々と演奏する。

ブラビンズの構成力は盤石であり、その上で管弦楽全員で勝負をかけ、勝利した。大管弦楽の醍醐味を味わえる演奏であった。

2015年6月20日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 425th Subscription Concert, review 第425回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年6月20日 土曜日
Saturday 20th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Maurice Ravel: “Valses nobles et sentimentales” (高雅にして感傷的なワルツ)
Camille Saint-Saëns: Concerto per violino e orchestra n.3 op.61
(休憩)
Maurice Ravel: “Alborada del gracioso” (道化師の朝の歌)
Claude Debussy (arr. Michael Jarrell): Douze Études pour piano- 9. pour les notes répétées- 10. pour les sonorités opposées- 12. pour les accords (「12のピアノ練習曲」より、第9番「反復音のために」、第10番「対比的な響きのために」、第12番「和音のために」)
Maurice Ravel: “Boléro” (ボレロ)

violino: Miura Fumiaki (三浦文彰)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Thierry Fischer(ティエリー=フィッシャー)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月19日・20日に愛知県芸術劇場で、第425回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ティンパニ・ホルンは後方中央、ハープ・サキソフォン系や小太鼓・大太鼓等のパーカッションは後方下手側の位置につく。

私の着席位置は一階正面上手側後方、客の入りはほぼ満席である。ティエリー=フィッシャー人気なのか、ボレロ人気なのか?観客の鑑賞態度は、細かなノイズがあったものの、概ね極めて良好であった。

個人的にこの演奏会の白眉は、サン-サーンスのヴァイオリン協奏曲第三番である。ヴァイオリンのソリストである三浦文彰は、初めて聴くが、第一音から凄い!まるでヴィオラのような太く低い音色から始まる。

冒頭のみならず、三浦文彰のヴァイオリンは、惹きつけるべき箇所での一音が素晴らしいし、ホールを朗々とした響きで満たせる。愛知芸文の大きなコンサートホールをこれ程までの響きで満たせる奏者は、世界的にも少ない。第二楽章では緊張感を途切れさせない見事な演奏だ。第三楽章も同様に完成度が高い演奏であるが、ヴァイオリン-ソロから第一ヴァイオリンとのユニゾンに移行する場面は、変わり者の あきらにゃん のお気に入りの箇所である♪

管弦楽も、ヴァイオリン協奏曲モードに抑えることなく、ごく普通に交響曲を演奏するかのようなノリであるが、三浦文彰のヴァイオリンが良く響いているからこそ、そのようなノリで行けるのだろう。そのような状況下でバランスも良く取られ、これまた完成度が高い。

有名なメンデルスゾーンでもなくチャイコフスキーでもない、演奏機会が極めて少ないサン-サーンスの協奏曲で、これ程観客を惹きつける三浦文彰のヴァイオリンは、只者ではない。彼は庄司紗矢香の次の世代を担えるようになるだろう。

後半、「道化師の朝の歌」は中ほどのファゴットのソロが素晴らしい。ドビュッシーの12のピアノ練習曲も完成度が高い出来だ。「ボレロ」は二台目の小太鼓の攻め方や木管・サキソフォン系が特に良かった。サキソフォン系は、愛知芸文の響きを信じて、スッと音を引っ込める奏法を採ったようにも見受けられた。

ティエリー=フィッシャーは、全般的に管楽を際立たせるアプローチで、華麗な音色であった。

2015年5月23日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 424th Subscription Concert, review 第424回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年5月23日 土曜日
Saturday 23nd May 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Felix Mendelssohn Bartholdy: Ouverture da concerto in re maggiore per orchestra “Calma di mare e viaggio felice” op.27(演奏会用序曲:静かな海と
楽しい航海)
Gondai Atsuhiko (権代敦彦): Berceuse(子守歌)
(休憩)
Robert Alexander Schumann: Sinfonia n. 3

mezzo soprano: Fujii Miyuki (藤井美雪)
pianoforte: Noda Kiyotaka (野田清隆)
Coro dei bambini: Nagoya Children's Choir (児童合唱:名古屋少年少女合唱団)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Kawase Kentaro(川瀬賢太郎)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月23日・24日に愛知県芸術劇場で、第424回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。管打楽はホルンを含めて後方中央の位置に着く。

着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは9割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、極めて良好で権代敦彦の「子守歌」の後での静寂も完璧に守られた。

二曲目の、権代敦彦作の「子守歌」は、誰が上手だとか、そう言う次元で分析する曲ではない。強いて言えば、児童合唱が効いたのか。管弦楽が奏でる旋律に乗る箇所はあったのだろうか?管弦楽の助けが得られない故に、高度な自律性を要し、バラバラに声を発する箇所もあり、明らかに難曲だったが、名古屋少年少女合唱団は見事に表現した。この曲は合唱の役割が大きいが、十二分に果たしている。

もちろん児童合唱だけでなく、全ての出演者が高い士気をもって演奏する。ソリスト・合唱・管弦楽が三位一体となって、噛み合っている。

安直な表現ではあるが、涙腺が決壊しそうになる表現で、演奏中「子守歌」の題名は全く意識しなかった。単に娘を学校で殺された一つの悲劇だけではない、どこか普遍性を帯びる性格を有している。これをどう言語化する術はないが、誰かの親で無ければ、入り込めない世界では、決してなかった。

繊細に響きをコントロールさせて演奏が終わった後の静寂も守られたのは幸せな事であった。指揮者の合図があるまで反応を示さない、当たり前な事が、どれだけ素晴らしい結末を迎えるのか、改めて実感する。

現代音楽かつ暗いテーマのこの曲を取り上げるのは、興行面では冒険だったとは思うが、この曲を演奏したこと自体が快挙であり、このような高い水準での演奏を実現した事が驚異である。この「子守歌」を取り上げた名フィルの企画力に感謝の言葉しかない。

後半は、シューマンの交響曲第3番、グスタフ=マーラーの編曲によるものとのことだ。全般的に各楽章とも、小さく始まり、大きくパッションを伴いながら終わる形である。響きは管楽優位に感じられた。

2015年1月31日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 420th Subscription Concert, review 第420回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年1月31日 土曜日
Saturday 31st January 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Richard Georg Strauss: Serenata in mi bemolle maggiore per 13 strumenti a fiato op.7 (13管楽器のためのセレナード)
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
(休憩)
Richard Wagner: La Valchiria, Atto Primo(「ヴァルキューレ」より第一幕)

soprano: Susan Bullock
tenore: Richard Berkeley-Steele
basso: Kotetsu Kazuhiro (小鉄和弘)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、スーザン=ブロック(ソプラノ)・リチャード=バークレー-スティール(テノール)・小鉄和広(バス)をソリストに迎えて、2015年1月30日・31日に愛知県芸術劇場で、第420回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは上手側の位置につく。なお、一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は管楽器奏者のみが立って指揮者を半円形に囲っての演奏であり、二曲目の「シンプル-シンフォニー」はチェロ以外の弦楽奏者は立ち、チェロ奏者は特製の台の上に着席しつつも、顔の高さを他の立って演奏する奏者と同一レベルになるようにしての演奏となる。

着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズや楽章間のパラパラ拍手があったものの、概ね極めて良好であった。

一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は、最初固さが目立ったものの、曲が進行するに連れ本来の響きが出て来る演奏だ。

二曲目との間は、舞台装置設営のため少々時間が掛る。チェロ奏者が乗る特製の台の設営光景がみられる。

二曲目のブリテンによる「シンプル-シンフォニー」は、私としてはこの演奏会の白眉である。ヴァーグナー嫌いの私にとって、そもそも後半の曲目は「ついで」であるし、お目当てはこの「シンプル-シンフォニー」であった。また、昨年12月に、中日新聞社放送芸能部長谷義隆により、マーティン=ブラビンスによるプログラムの前衛路線が徹底的に侮辱された事情もあり、ブラビンス支持を示威する事も重要な目的の一つである。

ブリテンの「シンプル-シンフォニー」は完璧と言って良い。一音一音の響きはビシッと決めた構成力に裏打ちされている。あらゆる響きがこうであるべき所に確実に決めていく。この曲の対照的な目玉と言ってよい、ピッチカートのみで構成されている第二楽章は、ピッチカートでこれ程までの表現が出来るものかと驚愕させられるし、重々しいサラバンドである第三楽章も緊張感が途切れない高度に集中した演奏だ。

全般的に、繊細に演奏する箇所とワイルドに演奏する箇所との使い分けが的確でありながら、実に繊細にワイルドな箇所を描いている。どの場面もニュアンス豊かで、かつ迫力を感じられる。テンポの扱いは正攻法で奇を衒ったものではないが、逆に言えばブラビンスの盤石な構成力によりこの曲が活気づいている。要するに完璧な演奏だと言うことだ。

約16分の長さの曲であり、決して長大な大曲ではないが、演奏会の最後の曲としてもふさわしい内容を持つ曲で、決して題名から連想させるような「軽い曲」などではない。

逆に「シンプル」であるからこそ、弦楽合奏の精緻さ・パッションの強さ・ニュアンスの豊かさが強く問われる曲である。この難曲を、ブラビンスの堅固な構成力に裏打ちされた指揮による導きと、名フィルの奏者による緻密かつパッションを伴った演奏と、愛知県芸術劇場コンサートホールの豊かな残響とが三位一体となり、絶妙に絡み合った名演である。これはもう最高の出来だ!Bravi!!

二年前くらいまでは、名フィルの弦は弱いと言われてきたが、本当に信じられない。私が名フィルを初めて聴いたのは昨年7月の第415回定期演奏会からであるが、厚みのある迫力ある響きで楽しませてくれる。マーティン=ブラビンスが常任指揮者になってから、弦の響きが変わったと聞くが、本当だとしたらブラビンスの功績は実に大きい。2015/16シーズンでブラビンスが名フィルの常任指揮者の地位を辞するのが、本当に残念でならない。

後半のヴァーグナーについては、私の歌劇に臨む態度やら、ヴァーグナーに対する態度やらがあるため、敢えて評の対象から外す事とする。本音を許していただければ、後半は後半はU.K.の作曲家による、あまり演奏されない大作を演奏してほしかったところだ。

2015年1月17日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, Concert Shirakawa Series Vol.24, review 第24回しらかわシリーズ 名古屋フィルハーモニー交響楽団 演奏会 評

2015年1月17日 土曜日/ Saturday 17th January 2015
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
Shirakawa Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Concerto per violino e orchestra n.4 Hob.VIIa-4
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n. 96 Hob.I-96
(休憩)
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n. 102 Hob.I-102

Violino: Rainer Honeck(ライナー=ホーネック)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Rainer Honeck(ライナー=ホーネック)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、ライナー=ホーネックをソリストに迎えて、2015年1月17日に三井住友海上しらかわホールで、第24回しらかわシリーズ演奏会を開催した。

プログラムは、全てハイドンの作品である。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管後方下手側の位置につく。

着席位置は、一階席の理想的な場所が確保出来なかったこともあり、二階正面中央僅かに下手寄りとした。客の入りは八割強か?二階後方隅に空席が目立った。

一曲目のヴァイオリン協奏曲第4番、管弦楽はクリアな音色でしっかり盛り立てる。一方ホーネックの音色は混濁気味で(特に第一楽章)、私の好みではない。何度もしらかわホールで演奏しているはずなので、響きについては熟知しているはずだけど、どうしてなのだろう?

二曲目の交響曲第96番は、第二・第三楽章が素晴らしい。第一楽章で弱めだった弦も含めて統一感のある響きである。管楽のアクセントはよく効いている。ティンパニはホーネックの指示により弱められたか?中核のクラリネットがしっかり決めている。ホルンの音色は柔らかい。

後半は交響曲第102番である。特定の誰かというよりは、みんなでビシッと合わせた見事な演奏だ。序盤だけ固さが見られたけど、それ以外は狙い済ましたように決めて来る。第二・第三楽章は精緻さの点でも完成度がより高く感じられる。

アンコールは、ハイドンの「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」より「第五ソナタ アダージョ」(弦楽合奏版)である。考えられる限りの繊細さを伴って演奏される。心を洗われる気持ちになる演奏であった。

2014年12月24日水曜日

中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆 に対する公開書簡

 中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆へ

  主文

 長谷義隆に対し、放送芸能部からの異動希望を人事当局に出されるよう、私は勧告する。また長谷義隆に対し、この異動が発令される際に文化部への異動がなされないように、異動希望を人事当局に出されることを私は勧告する。

  理由

 中日新聞社2014年12月22日(月曜日)夕刊にて、長谷義隆は名古屋フィルハーモニー交響楽団に対する侮辱的・嘲笑的・挑戦的発言を「回顧2014」に投稿した。

 名古屋フィルハーモニー交響楽団(以下「名フィル」という)は、Thierry Fischer・Martyn Brabbins、両常任指揮者の尽力により、現代曲を果敢に取り上げてきた。いわゆる「名曲」よりも技術的な困難さの度合いを深めた現代曲に対し、名フィル奏者は自身の持つ技量を高めてこれに臨み、観客に感銘を与えるまでの演奏を為し、喝采を浴びてきた。

 名フィルは、先進的意欲的なプログラムを消化し、名古屋の観客を啓蒙した。第415回定期演奏会にて取り上げた、Witold Lutosławski作曲の「管弦楽のための協奏曲」、第417回定期演奏会にて取り上げたKalevi Aho作曲の「トロンボーン協奏曲」の二例を上げれば十分であろう。特にKalevi Ahoの作品は日本初演であり、彼の当該曲を日本のどこよりも早くこの名古屋で演奏し、作曲家Kalevi Ahoの真価を日本に知らしめた。

 そのような名フィルの営みを、「さて、リーダー格の名古屋フィルハーモニー交響楽団は今年始めた豊田定期公演や小林研一郎指揮のマーラー交響曲第二番「復活」などでは喝采を浴びたが、肝心の定期演奏会は聴衆ニーズから離れた選曲が多く定期会員の漸減に歯止めがかかっていない。切り口の斬新さより、名曲を感動的に演奏する原点に立ち返る必要がありそうだ。」と評するのは、名フィルによるこれまでの先進的意欲的な努力を嘲笑する卑劣漢の行為である。

 長谷義隆は、名古屋の文芸を破壊したいのか!大阪市長の橋下徹が文楽を敵視するのと同じように、先進的意欲的な方向性を攻撃し、名古屋の文芸に反動的な影響を与え、もって名古屋の文芸に打撃を与えたいのか!

 先進的意欲的な方向性で挑戦しているのであれば、これを説明し、解説し、案内することにより読者を啓蒙し、もって名古屋の聴衆の前衛となって導き、奏者・評者・読者が三位一体となって前に向かって歩み続ける、その助けとなるのが、中日新聞社文化担当記者の責務である。長谷義隆は、その責務を放棄しただけではない。読者に反動的影響力を与え、反啓蒙の作用を齎し、名古屋の文芸に対する有害な破壊行為を為した。長谷義隆は、名古屋の文芸に対するテロリストである。

 ついでに言及するが、「名古屋で定期演奏するNHK交響楽団、京都市交響楽団などの外来オーケストラと聴き比べると、名古屋勢の物足りなさは浮き彫りになる。合奏力は上がっているものの、総じて奏者個々の個人技が見劣りする。」とは、単なる事実誤認であるだろう。あれほどまでの水準で現代曲の演奏を見せつけられて、そのような評しか出せないのは、長谷義隆が何も聴いていない事を露呈したに過ぎない。NHK交響楽団や京都市交響楽団と比較する事に意味があるとは思えないし、百歩譲ってその評の通りであれば、名古屋市や愛知県、トヨタ自動車に補助金を出させて、金の力で実力のある奏者をごっそり雇い、引き抜けばいい。長谷義隆の評の矛先が間違っているのだ。名フィルが限られた予算の中で、これ程までの水準で演奏が実現されている事をまずは評価すべきで、この行為を為さない長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者として怠慢の謗りを免れない。

 長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者としての適格性に著しく欠け、その任に堪え得ない。よって長谷義隆に対し中日新聞社放送芸能部・文化部からの転身を、私は勧告する。

  付記

 この書簡は公開書簡である。ウェブサイト@OOKI_Akira twitter Archive(http://ookiakira.blogspot.jp/)上に2014年12月24日の日付にて掲載している。また、長谷義隆から返信があった場合には、特に意志が明示されない限り、@OOKI_Akira twitter Archiveに掲載する。

 長谷義隆に対し、敬称を付す意志はない。卑劣漢であり、名古屋の文芸に対するテロリストである長谷義隆に、いかなる敬意を持てないからである。なお、当然の事ながら私は、長谷義隆より同様の取り扱いをされることを受け入れる。

                   松本にて 2014年12月24日
                    (署 名)

2014年10月25日土曜日

第417回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2014年10月25日 土曜日

愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)

曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第1番 op.21
カレヴィ=アホ (Kalevi Aho) トロンボーン協奏曲(日本初演)
(休憩)
藤倉大:「バニツァ グルーヴ!」(Banitza Groove! )
ドミトリー=ショスタコーヴィチ 交響曲第1番 op.10

トロンボーン:ヨルゲン=ファン=ライエン(Jörgen van Rijen)
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団 (Nagoya Philharmonic Orchestra)
指揮:マーティン=ブラビンス (Martyn Brabbins)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、ヨルゲン=ファン=ライエンをソリストに迎えて、2014年10月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第417回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

プログラムは、現代スオミ(フィンランド)を代表する作曲家であるカレヴィ=アホ(Kalevi Aho)の日本初演となるトロンボーン協奏曲、ショスタコーヴィチを蛇蝎のごとく嫌っている藤倉大の現代作品「バニツァ グルーヴ!」、その藤倉大がアナフィラキシーショックを引き起こし死亡するとされるショスタコーヴィチの交響曲第1番により構成される先鋭的なもので、音楽を聴く気のない人物をフィルターに掛け、真に音楽好きな者のみを相手とするもので、それ自体が傑出したものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管・金管パートは後方中央、ティンパニは後方中央で、ティンパニ奏者以外の担当するパーカッションは後方下手側である。

着席位置は一階正面後方上手側、客の入りは8割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であるが、曲の終了と勘違いした拍手があった。ショスタコーヴィチのブラボーは、あと二秒遅らせて欲しい。

演奏会の白眉は、やはり二曲目のカレヴィ=アホのトロンボーン協奏曲である。Rijenのソロはもちろんだが、管弦楽が素晴らしい。下支えの弱奏が実に綺麗で見事で、弦管打揃って精緻な響きを随所で実現し、カレヴィ=アホの世界を作り出している。特に、終幕間近の最強奏に持っていく箇所の、精緻さを伴った迫力は、愛知県芸術劇場の見事な響きもフルに活かした、素晴らしい響きである。独奏者だけでは成り立たないこの曲を、名フィルは重要な役割を十二分に果たしている。

他の三曲も、良い意味で手堅くまとめた演奏だ。とても素晴らしい水準の演奏で、特にショスタコーヴィチでは大管弦楽の迫力を味わえる。名フィルの弦楽の響きは弱めだと言われるが、その弦楽もよく響いていたし、ショスタコーヴィチで各ソロを担当した首席の演奏も見事だ。ブラビンスは通例左右対向配置であるが、通例通りだったらチェロのソロも正面に響いただろう。オルガン横の下手側に、チェロのソロは響いたか?

演奏会終了後に、「ポストリュード」という名の、アフター-ミニコンサートがある。ソリスト-アンコールとも言える。

ライブで録音して時間差を置いて再生できる機器を用いながらの、ソロ-トロンボーンの演奏だけど、ついさっき出したライブの音との合奏となる♪

ポストリュードの際に、12列中央に席を移したのは大正解である。スピーカーを左右に配置しほぼ正三角形の頂点に位置する。

Rijenがライブで的確な演奏をしているからこそ、「合奏」が活きてくる見事なポストリュードであった。