中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆へ
主文
長谷義隆に対し、放送芸能部からの異動希望を人事当局に出されるよう、私は勧告する。また長谷義隆に対し、この異動が発令される際に文化部への異動がなされないように、異動希望を人事当局に出されることを私は勧告する。
理由
中日新聞社2014年12月22日(月曜日)夕刊にて、長谷義隆は名古屋フィルハーモニー交響楽団に対する侮辱的・嘲笑的・挑戦的発言を「回顧2014」に投稿した。
名古屋フィルハーモニー交響楽団(以下「名フィル」という)は、Thierry Fischer・Martyn Brabbins、両常任指揮者の尽力により、現代曲を果敢に取り上げてきた。いわゆる「名曲」よりも技術的な困難さの度合いを深めた現代曲に対し、名フィル奏者は自身の持つ技量を高めてこれに臨み、観客に感銘を与えるまでの演奏を為し、喝采を浴びてきた。
名フィルは、先進的意欲的なプログラムを消化し、名古屋の観客を啓蒙した。第415回定期演奏会にて取り上げた、Witold Lutosławski作曲の「管弦楽のための協奏曲」、第417回定期演奏会にて取り上げたKalevi Aho作曲の「トロンボーン協奏曲」の二例を上げれば十分であろう。特にKalevi Ahoの作品は日本初演であり、彼の当該曲を日本のどこよりも早くこの名古屋で演奏し、作曲家Kalevi Ahoの真価を日本に知らしめた。
そのような名フィルの営みを、「さて、リーダー格の名古屋フィルハーモニー交響楽団は今年始めた豊田定期公演や小林研一郎指揮のマーラー交響曲第二番「復活」などでは喝采を浴びたが、肝心の定期演奏会は聴衆ニーズから離れた選曲が多く定期会員の漸減に歯止めがかかっていない。切り口の斬新さより、名曲を感動的に演奏する原点に立ち返る必要がありそうだ。」と評するのは、名フィルによるこれまでの先進的意欲的な努力を嘲笑する卑劣漢の行為である。
長谷義隆は、名古屋の文芸を破壊したいのか!大阪市長の橋下徹が文楽を敵視するのと同じように、先進的意欲的な方向性を攻撃し、名古屋の文芸に反動的な影響を与え、もって名古屋の文芸に打撃を与えたいのか!
先進的意欲的な方向性で挑戦しているのであれば、これを説明し、解説し、案内することにより読者を啓蒙し、もって名古屋の聴衆の前衛となって導き、奏者・評者・読者が三位一体となって前に向かって歩み続ける、その助けとなるのが、中日新聞社文化担当記者の責務である。長谷義隆は、その責務を放棄しただけではない。読者に反動的影響力を与え、反啓蒙の作用を齎し、名古屋の文芸に対する有害な破壊行為を為した。長谷義隆は、名古屋の文芸に対するテロリストである。
ついでに言及するが、「名古屋で定期演奏するNHK交響楽団、京都市交響楽団などの外来オーケストラと聴き比べると、名古屋勢の物足りなさは浮き彫りになる。合奏力は上がっているものの、総じて奏者個々の個人技が見劣りする。」とは、単なる事実誤認であるだろう。あれほどまでの水準で現代曲の演奏を見せつけられて、そのような評しか出せないのは、長谷義隆が何も聴いていない事を露呈したに過ぎない。NHK交響楽団や京都市交響楽団と比較する事に意味があるとは思えないし、百歩譲ってその評の通りであれば、名古屋市や愛知県、トヨタ自動車に補助金を出させて、金の力で実力のある奏者をごっそり雇い、引き抜けばいい。長谷義隆の評の矛先が間違っているのだ。名フィルが限られた予算の中で、これ程までの水準で演奏が実現されている事をまずは評価すべきで、この行為を為さない長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者として怠慢の謗りを免れない。
長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者としての適格性に著しく欠け、その任に堪え得ない。よって長谷義隆に対し中日新聞社放送芸能部・文化部からの転身を、私は勧告する。
付記
この書簡は公開書簡である。ウェブサイト@OOKI_Akira twitter Archive(http://ookiakira.blogspot.jp/)上に2014年12月24日の日付にて掲載している。また、長谷義隆から返信があった場合には、特に意志が明示されない限り、@OOKI_Akira twitter Archiveに掲載する。
長谷義隆に対し、敬称を付す意志はない。卑劣漢であり、名古屋の文芸に対するテロリストである長谷義隆に、いかなる敬意を持てないからである。なお、当然の事ながら私は、長谷義隆より同様の取り扱いをされることを受け入れる。
松本にて 2014年12月24日
(署 名)