2014年12月7日 日曜日/ Sunday 7th December 2014
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
Yokohama Minato Mirai Hall (Yokohama, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: ‘Die Geschöpfe des Prometheus’ ouverture op.43 (「プロメテウスの創造物」序曲)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Karol Beffa: Concerto per violino e orchestra(world premier/世界初演/国際音楽祭NIPPON委嘱作品)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.1 op.21
ヴァイオリン:諏訪内晶子 (Suwanai Akiko)
管弦楽:ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン(Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)
指揮:パーヴォ=ヤルヴィ (Paavo Järvi)
ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンは、2014年12月1日から14日までアジアツアーを行い、大邱・ソウル・北九州・横浜・名古屋・東京にて計10公演の演奏会を開催する。全ての公演の指揮者はパーヴォ=ヤルヴィである。諏訪内晶子との共演は、12月6日から8日までの、北九州・横浜・名古屋公演の3公演となる。
この12月7日の演奏会は、諏訪内晶子が芸術監督を務める「第3回国際音楽祭NIPPON」の一環としての演奏会でもある。フランスの作曲家、カロフ=ベッファのヴァイオリン協奏曲については、国際音楽祭NIPPONによる委嘱作品であり、世界初演となる。この協奏曲は、横浜公演のみの演奏となる。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。ティンパニはバロック-ティンパニではなく、モダン-ティンパニ、Beethovenの1番でもバロック-ティンパニは登場しなかった。昨年11月の三井住友海上しらかわホールでのスタイルとは違い、その点は残念である。着席場所は、ヴァイオリン協奏曲の演奏を考慮し前方シフトを掛け、やや前方中央である。客の入りは当日券が70枚出たとの話であるので、ほぼ満席か。観客の鑑賞態度は極めて良好であった。
第一曲目の「プロメテウスの創造物」序曲は、みなとみらいホールに馴染んでいない響きで、演奏は平凡である。
第二曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、予想通りの展開でサプライズはない。技術的には高水準の演奏であるが、何か大切な物が足りない。まず響きがみなとみらいホールに馴染んでいない。どこかスイートスポットを外れたかのような響きであり、やや前方の席を確保したのにも関わらず、あまり音圧が感じられない。それとニュアンスが掛らず、平板なヴァイオリンの演奏である。庄司紗矢香のようなニュアンスを伴った構成力はなく、アリーナ=イブラギモヴァのような激しさもなく、とにもかくにも面白くない。昨日聴いたばかりのDresdner Kapellsolistenのコンサート-ミストレスSusanne Brannyのようなささやかなニュアンスすら掛からない。これでは、ドイツの地方歌劇場のコンサート-ミストレスですら及ばない。ニュアンスを掛けた構成力がないのか、ニュアンスを掛ける事自体が嫌いなのか、詳細な事情は不明であるが、いずれにしても諏訪内晶子の古典物は、ほぼ全滅であろう。諏訪内晶子はドイツではとても通用しない。
諏訪内晶子の出来は、曲想に左右される、というか、左右され過ぎである。演奏者のニュアンスに依存しない、作曲の段階で楽譜通りにそのまま演奏しても面白い構成の曲でなければ、諏訪内晶子の音楽は成立しないのだ。
休憩後はベッファのヴァイオリン協奏曲、これは諏訪内晶子の高度なテクニックと集中力とが見事に噛み合った素晴らしい出来となった。前半とは違い、諏訪内晶子もドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの管弦楽も、みなとみらいの響きを見事に捉えた素晴らしい響きとなる。第二楽章前半部の、下手に演奏すると退屈になりがちな部分に於いても緊迫感が途切れない演奏で説得力を持つ。カンマーフィルハーモニーの管弦楽は全員のパッションが凄まじく、一人ひとりが諏訪内晶子と同格に対決する形だ。特に打楽器は見事にアクセントを決めてくる。
ベッファのヴァイオリン協奏曲により、諏訪内晶子は活かされた。諏訪内晶子はコンテンポラリーに強い。どうして北九州でも名古屋でもベッファでなくメンデルスゾーンを演奏したのか、理解に苦しむ。北九州でも名古屋でもプログラムは保守反動的だ。国際音楽祭NIPPONの趣旨の中で、イントロダクション-エデュケーションの項目の中に「“現代作曲家への委嘱”・・・同時代で同じ音楽家として活躍する諏訪内晶子が、旬の作曲家に音楽祭委嘱作品を依頼し、その魅力を紹介していきます」とある。どうして横浜だけなのか。どうして名古屋ではやらないのか。どうして北九州ではやらないのか。諏訪内晶子芸術監督は、地方の聴衆を「現代音楽など理解できない」と馬鹿にしているとしか思えない。少なくとも名古屋の観客は決して保守的ではなく、むしろその逆であり、名古屋フィルハーモニー交響楽団の先駆的プログラムにより、日本のどこの都市よりも、現代音楽を受け入れる力を聴衆は得ている。わざわざ苦手のメンデルスゾーンではなく、得意の現代音楽で攻められるのに、どうしてしなかったのかは、理解に苦しむ。そのような事を、山の奥地のど田舎である長野県松本市に住む私に言われて恥ずかしいとは思わないのか、と強く言いたい。
第四曲目のBeethovenの1番は、先述したようにバロック-ティンパニを用いたものではなかったが、大胆なニュアンスをうまく構築した演奏で、昨年11月の三井住友海上しらかわホールでの名演を思い起こすかのような演奏であった。