2013年7月6日土曜日

第87回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 演奏会評

2013年7月6日 土曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)

曲目:
細川俊夫 室内オーケストラのための「開花II」
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ピアノ協奏曲第3番 op.37
(休憩)
フランツ=シューベルト 交響曲第8(9)番「大交響曲」 D944

ピアノ:小菅優
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:準=メルクル

MCOは、準=メルクルを指揮者に迎えて、2013年7月6日・7日に水戸で、8日に東京で、第87回定期演奏会を開催した。この評は、第一日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方上手側、その他の金管・ティンパニは後方下手側の位置につく。

着席位置は正面前方中央、客の入りはほぼ満員である。

演奏会場に入ると、いつもよりも舞台上の照明が暗い。プログラムには紙片が挟まっており、プログラム本編に先立ってモーツァルトのディヴェルティメントK.136(125a)から第二楽章を演奏する事が予告されている。この5月に亡くなられた楽団員で、コンサートミストレスの役割を果たすことも多かった潮田益子に対する追悼演奏である。

定刻となり、最小限の照明の下で楽団員のみが入場し、その後演奏に支障がない程度に抑えた照度となる。安芸晶子をコンサートミストレスとしての演奏だ。最初の一音を聴くだけで、改めてMCOの技量の高さを認識させられる。一音一音がとても綺麗で、淀みが全くなく清冽な演奏だ。演奏終了直前に照明が落とされ、最小限の照明の下で楽団員が去る。演奏前後に拍手をする者はない。追悼演奏が終わる。

照明が通常の明るさとなり、プログラム本編となる。水戸芸術館での慣習のとおり、楽団員登場の場面から盛大な拍手で迎える。

第一曲目は細川俊夫の「開花II」であり、日本初演だ。コンサートマスターは、久しぶりにMCOに登場した川崎洋介である。作曲者臨席の下での演奏だ。冒頭部からの、蓮の花がゆっくりと開花していく情景であろうか、限りなく無音に近い音からの長いクレッシェンドに、その完璧なまでの美しい響きに魅了される。弱音部でのニュアンスが特に冴えわたり、極めて精緻な演奏だ。目隠ししてこの音楽を聴くと、ヴァイオリンやフルートを用いた音色とは決して思えない。西洋の楽器でこれほどまでに仏教的、東洋的な音が出せるのかと、驚嘆につぐ驚嘆に満ちた演奏である。

二曲目はベートーフェンのピアノ協奏曲第3番、コンサートミストレスは渡辺實和子である。正直なところ、ベートーフェンの場合小菅の個性が発揮されるところは相対的に少ないようにも思えるが、それでも小菅の危うさを秘める繊細さが随所に出てくる演奏だ。カデンツァでのテンポの揺らぎ、第二楽章での繊細な演奏が小菅らしいところである。第三楽章ではちょっと遊び心も出たかな、と思えるのは気のせいであろうか。

休憩後の三曲目は、シューベルトの「大交響曲」だ。コンサートマスターは豊嶋泰嗣である。端正なスタイルを保持するのが通例のメルクルとしては、態度がいつもと違う。第一楽章からかなり速めなテンポであり、これはどんなものかと一瞬疑問に感じるが、スタッカートをどちらかというと重視しており、その躍動感が強い説得力を持つ。やや弦楽重視であるが管楽を要所要所で際立たせている。下手側に位置しているトランペットとトロンボーンが、繊細さを伴いつつも的確な自己主張を行っていて素晴らしい。ホルン・オーボエは敢えて抑えられていたのだろうか?第二楽章では、メルクルが指示したと思われるニュアンスが実に効果的である。

「開花II」で見せた演奏から正反対の方向性で、メルクルは鬼と化す。最終楽章で、あれだけスピードが速めでありながら、体全体を用いたボーイングで、弦楽の音の細かく強く刻むよう要求する。近年のMCO演奏会では見られなかった、なりふり構わない凄惨な白兵戦と化す。それでもMCOは驚異的なまでに的確にスタッカートを実現する。ただただ圧巻である。

終演後、心地良い疲労感に満ちた表情を弦楽セクションの人たちがしている。限界を極めた達成感に満ちた表情だ。今回の演奏会は、追悼演奏から始まり、一曲目から重量級の曲目で構成されていた。もうこれ以上の演奏は不可能であることは、誰の目にも明らかだ。アンコールはなし。極めて充実した内容の演奏会であった。