2013年12月5日 木曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
曲目:
ヨハン=セバスティアン=バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007
フランツ=シューベルト 「アルペジョーネ-ソナタ」 D821
(休憩)
ロベルト=シューマン 「民謡風の5つの小品集」 op.102
ベンジャミン=ブリテン:チェロ-ソナタ op.65
ヴァイオリン-チェロ:ミッシャ=マイスキー
ピアノ:リリー=マイスキー
1948年にラトヴィアの首都リガで生まれたミッシャ=マイスキーは、この11・12月に来日ツアーで広島交響楽団との協演に臨むほか、鎌倉・東京・札幌・松本・小金井(東京都)・名古屋にてリサイタルに臨む。ピアノを担当するリリー=マイスキーは、ミッシャ=マイスキーの娘である。
着席位置は、後方下手側である。客の入りはほぼ満席。聴衆の鑑賞態度は良好であった。
ミッシャ=マイスキーのチェロは、いかにも平和な家庭生活を送っているかのようだ。私がこのように言うときは、あまりいい意味ではないが、マルタ=アルゲリッチのピアノが嫌いだったり疲れるような人たちには、逆に向いているだろう。
基本的にテンポの変動が少なく、技術的には何ら問題なく、後先はよく考えているものの、かなり抑制的な表現である。疲れている人たちは眠ってしまうだろう。というか、眠くなるように曲を敢えて構成しているのかなと思えるところがある。
二曲目の「アルペジョーネ-ソナタ」に於けるリリー=マイスキーのピアノは、協演ではなく本当の伴奏であり、何もかも父親に任せた娘のように見え、このようなピアノを弾いて楽しいのかとリリーに疑問を呈したくなる程の出来である。父親を立てたと言えばそのようにも見えるが、これ程までピアノが控えめ過ぎる展開は私が聴いている限り初めてである。
最も、後半の進行に伴ってリリーのピアノは少しはパッションが入るようになる。ミッシャとリリーとの間の関係性は、親子だからなのかは分からないが、協調的なアプローチである。どちらかが冒険に飛び出す事はないし、何か仕掛けてスリリングな展開になる事もない。
協調的なアプローチが最もよく機能したのは、四曲目のブリテンに於ける一部楽章に見られる。現代音楽が最も面白い展開になるのは、予想外の楽しみである。
アンコールは四曲のように思えたが、掲示では五曲となっていた。どうも疲労がたまっているのかもしれない。カタルーニャ民謡(カザルス編曲)の「鳥の歌」、シチェドリンの「アルベニス風のスタイルで」、リヒャルト=シュトラウスの「朝に」、ファリャの「火祭りの踊り」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」である。
ファリャの「火祭りの踊り」は大変な盛り上がりであるが、どうもミッシャは速いテンポはあまり得意でないのだろうなと思わざるを得なかった。
圧巻なのは、「火祭りの踊り」ほど何故か盛り上がらなかったのだが、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」である。技術面での完璧さ、テンポの取り扱いの巧みさとこれに伴う曲想の豊かさ、パッションの高さの面で、この「ヴォカリーズ」だけは、まるで別の奏者が演奏しているかのように素晴らしいものである。特に、持続的な長いアッチェレランドを掛けていく展開部の曲想には圧倒される。ミッシャもリリーも、メランコリックな性格の描写というだけでなく、純音楽的な面でのパッションが最も入っているように思える。この「ヴォカリーズ」だけが別格の出来で、この演奏だけが、どうしてミッシャ=マイスキーが世界的に「巨匠」として君臨しているのかが理解できるものであった。