2014年2月5日水曜日

佐村河内守のゴーストライター事件

佐村河内守氏のゴーストライター事件について、特段の感想はない。まあ、「佐村河内守作曲工房作」とでもしていれば良かったのか?

かなり小まめにドサ周りをする全国規模での公演をするなど、最近調子にのって流行っているなあとは思っていたが、そうなるとなおさらその演奏会に行く気を無くす性格の持ち主なので、彼の作品の演奏会に行ったことはない。何かのリサイタルで10曲やる内の1曲くらい入っている分にはいいのだろうけど。

昨年の8月頃であろうか、私が山田和樹万歳、小澤征爾引退しろなどと、常日頃からtwitterでお行儀の悪い発言を繰り返していたためか(笑)、よく分からない人物にちょっと絡まれ、特定の指揮者の私生活についてあれこれ非難していながら音楽関係者らしく、匿名とは言え私よりもお行儀の悪い放言をしていて大丈夫なのかと心配してはいたが、その人物が佐村河内守は実は耳が聞こえるだとかかんとか、根拠不明の発言をしていた。耳が聞こえる云々は噂としては流れていたらしいが、ゴーストライターとはねえ。。

彼はあまりに音楽以外のところで売り込みが過ぎているように思える。そういう「物語」は、どうも私との親和性に欠ける。広島出身で言えば細川俊夫も同じ話になってしまうし。でも、細川俊夫が広島出身だなんて、わざわざインチキヴィキペディアで調べて初めてそうなんだと認識するもので、そんなことを念頭に入れて聴いている聴衆などどこにもいないだろう。

また、耳が聞こえなくなった事を持ってベートーフェンの再来やら何やら言われると、興ざめしてしまう。「見かけは可憐で実は凶暴なギリシャの乙女」である交響曲第4番、小さいながらも卓越した構築力で作成された交響曲第8番、この二曲を聴いただけでも、ベートーフェンの偉大さに恐れを抱いて、「再来」やらなにやらとの言葉を使うなんて絶対無理だと思ってしまうのに。せめてショスタコーヴィチレベルの作曲家に対して、そういった表現は用いてほしいと強く思う。

それにしても、どうして流行り始めたのか私には謎だったが、NHKスペシャルで佐村河内守の「物語」を全国規模でばら撒いたためだったのか。テレビシオン恐るべし。その恐るべき有害性!

私は、松本のサイトウキネンや水戸での水戸室内管弦楽団演奏会で、細川俊夫や権代敦彦と言った作曲家の曲を聴いてきた。日本に於ける現代作曲家で取り上げるべきなのは、この二人だ。人生は短く有限だ。時間を無駄に使わないように、アンテナの感度を鋭くし、吟味を慎重にしていくべきことを、改めて肝に銘じることにしよう。