2014年8月16日 土曜日 19:00~ / Saturday, 16 August 2014 19h00
東京芸術劇場 プレイハウス(東京)/ Tokyo Metropolitan Theatre(Tokyo, Japan) Playhouse
演者:
勅使川原三郎 (Teshigawara Saburo)
オーレリー=デュポン (Aurélie Dupont)
佐東利穂子 (Sato Rihoko)
鰐川枝里 (Wanikawa Eri)
加藤梨花 (Kato Rika)
構成・振り付け・美術・照明:勅使川原三郎 (Teshigawara Saburo)
勅使川原三郎が振り付けを行うコンテンポラリー-ダンス「睡眠」は、8月14日から23日までにかけて東京(東京芸術劇場 プレイハウス)にて5公演、名古屋(愛知県芸術劇場)にて1公演、兵庫県西宮市(兵庫県立芸術文化センター)にて1公演、計7公演に渡って繰り広げられる。これらの公演が世界初演となる。この投稿をしている段階で、まだ公演が残っており、ネタばれに注意されたい。
この評は、東京芸術劇場8月16日夜(19時00分開始)の公演に対するものである。
着席位置は一階ど真ん中から僅かに後方僅かに上手側である。左右後方・バルコニー席は空席がある状態であり、観客の入りは七割くらいであろうか。連続した咳のノイズがあったものの、観客の鑑賞態度は概ね良好であった。
全体的な印象として、コンテンポラリー-ダンスの身体表現の語彙がこれ程まであるとは思わず、驚愕するところがある。勅使川原三郎が60歳前後とは思えないほど激しく見える表現は、そう言った身体表現の語彙の豊かさに裏付けられている。もちろんクラシック-バレエの派手な大技は若さがいるのだろうけど、そういった大技を使わず、しかし小技を駆使しているとも全く感じさせず、自由自在な表現でかつ速い動きで魅了していく。
KARASの躍動感溢れる演技にも目を見張る。佐東利穂子、鰐川枝里、加藤梨花の躍動感は、出番の多寡はあれ、いずれも素晴らしいものだ。長時間のソロも存在感がある踊りで見事だ。ラストのソロも佐東利穂子がしっかりと決める。
正直に言うと、どちらかと言うとオーレリーの静的な演技よりも、彼女たちの動的な演技の方が楽しめた。このような発言を、パリ-オペラ座のエトワールに対してすると怒られそうだが(♪)、私の好みはそう言った激しい動きが好みなのだから、そのような感想にならざるを得ない。
照明・舞台装置は、総じて幾何学的で、直線的で、四角形的だ。曲線を描いた舞台装置は、後半に出てくる祭壇らしき物体の土台部分のみであり、他は全て直線である。
照明光は白色と電球色とを適宜用いたもので、その光線の指向性の扱い方が上手だ。照明が当たる場所は綿密に考えられていて、特に上からの光は四角形に当たるようになっており、その場所の選定やタイミングが絶妙である。前半部では、強い白色光を下手側から浴びせて、オーレリーの腕の動きに残像が残り軌跡が目に焼きつくようになっている(この効果がどうして生じたかについては謎である)し、後半部では、客席の電灯をごく僅かに点灯させる場面もあり、舞台との一体感をも感じさせられる。
吊り下げ物のバトン-テクニックも幾何学的で構成の綿密さが伺えた。適度な反射度を備えた透明なアクリル板、椅子、行灯凧の骨組みのようなもの、舞台上の物体は恐らく全てバトンに吊り下げられており、適宜上下させて舞台を区切ったり、アクリル板を回して灯台のように光を反射させたりする。特に後半部に見せるバトン-テクニックは、一斉に上下させたり、一定の時間差をもって幾何学的に上下させたりするところが実に効果的だ。もちろん、バトン-テクニック自体は電子計算機に入力して制御するものであるので、手作業の操作が見事だと言うわけではないが、そのようなバトン-テクニックをどの場面でどのように、どのタイミングでどのスピードで行うかの構成がよく考えられている。
舞踊を単に支える域の照明・舞台装置ではなく、双方ともが絶妙に噛み合った形で相乗効果を上げている。
全般的に難解な印象は感じさせず、動きの躍動感により純ダンス的な要素に注目させられるもので、その上に照明・舞台装置の妙もあり、これらは見事に統一体となって「睡眠」が作り上げられている。コンテンポラリー-ダンスの場合、いつも題名は公演が始まる前に頭の中から放り出して置くのが私の在り方であるが、今回は常に題名である「睡眠」を意識させられる点も面白い。
勅使川原作品を観劇したのは初めてであったが、ただただ魅了されたお盆休みの夜であった。