2013年11月2日土曜日

チェコ-フィルハーモニー管弦楽団 宮崎公演 評

2013年11月2日 土曜日
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)

曲目:
ミハイル=グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン:ヴァイオリン協奏曲 op.61
(休憩)
ヨハネス=ブラームス:交響曲第1番 op.68

ヴァイオリン:イザベル=ファウスト
管弦楽:チェコ-フィルハーモニー管弦楽団
指揮:イルジー=ビエロフラーヴェク

チェコ-フィルハーモニー管弦楽団(以下「チェコ-フィル」)は首席指揮者イルジー=ビエロフラーヴェクとともに、2013年10月27日から11月4日までに掛けて、京都・松戸(千葉県)・東京(2公演)・宮崎・川崎・名古屋にて、計7公演の来日公演を実施する。共演者は、ヴァイオリンはイザベル=ファウストとヨーゼフ=シュパチェック(チェコ-フィルのコンサートマスター)の二人、ヴァイオリン-チェロはナレク=アフナジャリャン、ピアノは河村尚子である。

イザベル=ファウストは、チェコ-フィルとの二公演の他、横浜フィリアホール(横浜市)と彩の国さいたま芸術劇場(埼玉県与野市)でのリサイタルがある。

イザベル=ファウストとの共演は、10月31日の東京サントリーホールとの公演と本公演の二公演のみとなる。

サントリーホールの音響には問題があり過ぎ、例え週末の公演であったとしてもとても聴くに耐えるホールではない。宮崎県立芸術劇場を選ぶのは当然の選択である。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラの配置で、コントラバスは中央最後方に八台一列に並ぶ、モダン-オーケストラとしては珍しい形態だ。木管パートは後方中央でコントラバスの前、ホルンは後方下手側、その他の金管は後方上手側の位置につく。

着席場所は、ど真ん中より僅かに前方かつ下手側である。客の入りは7割ほど。観客の鑑賞態度はかなり良好である。

「ルスランとリュドミラ」序曲は、普通の出来である。

二曲目、ベートーフェンのヴァイオリン協奏曲のソリストはイザベル=ファウストである。イザベルが調子に乗り出したのは、第一楽章カデンツァからだ。カデンツァはティンパニも加わったものであるが、今年6月15日に開催された軽井沢大賀ホールでのクリスティアン=テツラフ+マーラー室内管弦楽団とも違うカデンツァのように思えたが、気のせいか。

イザベルはニュアンスを前面に出した演奏で、第二楽章も良いし、第三楽章では、ここでこうくるかと唸らせる一音もある。特に技巧的な聴きどころをゆっくりと絶妙なるニュアンスを効かせてくる点が素晴らしい。パワーを前面に出さないニュアンス指向の奏者が、大管弦楽相手にこれだけやれるだけ見事なものだ。

理想を言えば、テツラフのように800席前後の音響の良い中規模ホールでの開催であれば、イザベルにとっては最も適した状況ではあったのだろうけど。

ソリスト-アンコールは一曲あるが、飛行機に乗り遅れそうな状況だったため記録できなかった。

休憩後の後半は、ブラームスの第一交響曲である。最初がゆっくり目である他は、普通のペースで、小刻みなテンポの変動はなく、堂々とした演奏といったところか。

ヴァイオリンの圧倒的な強みを軸にしている演奏だ。管楽器は、超絶技巧の持ち主の技量ではないけれど、それでも要所要所で確実に決めている。フルートの存在感が映えている。金管は控えめな響きではあるが、第四楽章の始めの部分での、ホルンとトランペット(?)との掛け合いの部分がきれいに決まるなど、地味に溶けあう演奏になっていたように思う。

ヴァイオリン以外は自己主張はあまりなく、一つの管弦楽としてのまとまりを重視した演奏なのであろうか。全員がベルリン-フィルハーモニーほどの超絶技巧の持ち主でない条件下で、何故かそのような技量などどうでもよいと思わせる方向性での音作りを、イルジー=ビエロフラーヴェクが実現させている。各奏者の技量を把握し、実力以上というか、実力をフルに活かす演奏を構築した点が、目立ちはしないがビエロフラーヴェクの指揮者としての力量を感じる。

アンコールは三曲あり、おそらく10月30日のサントリーホールでの公演の時と一緒であろう。ブラームスのハンガリー舞曲5番が第一曲目である。第二曲目はスメタナの歌劇「売られた花嫁」序曲であるが、各楽器がソリスティック(と言うのが適切であるのかは不明であるが)に出るべき箇所でパッションを強く出す印象的な演奏で、傑出した演奏である。この二曲目で観客を熱狂させた後で、第三曲目では「ふるさと」で締める。反則と言っても良いアンコール選曲の絶妙さを持って、予想外のスタンディングオベーションで演奏会を終える。最後に一人だけ呼び出される、イルジー=ビエロフラーヴェクのうれしそうな顔が印象的であった。