2013年11月23日土曜日

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン 名古屋公演 演奏会 評

2013年11月23日 土曜日
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)

曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 歌劇「フィデリオ」序曲 op.72b
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第4番 op.60
(休憩)
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第3番 op.55

管弦楽:ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン
指揮:パーヴォ=ヤルヴィ

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンは、2013年11月から12月に掛けてアジアツアーを行い、全てベートーフェンの曲目であるプログラムを二種類用意し、札幌・名古屋・武蔵野(東京都)・横浜・ソウル(大韓民国)にて歌劇・演奏会を開催する。

歌劇については、横浜みなとみらいホールで歌劇「フィデリオ」を演奏会形式で2公演上演する。これ以外の公演は全て演奏会であり、この名古屋公演と同一のプログラムである。演奏会は札幌・名古屋・武蔵野で1公演ずつとソウルで2公演開催される。

6月のマーラー室内管弦楽団のような、軽井沢と名古屋のみという程まで変わった形態ではないが、東京23区内での公演を一切行わない点に注目される。なお、約700名規模の中規模ホールでの公演は、アジアツアーを通してこの名古屋公演が唯一のものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。着席場所は、やや後方中央である。客の入りは八割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。

ベートーフェンはやはり最も素晴らしい作曲家であるため、楽譜通りきちっと演奏すれば、それだけで満足度の高い演奏会にすることができる。それなのに、そのようには決してしないヒネクレタ奴らが、本国ドイツにいたりする。上岡敏之率いるヴッパータール交響楽団、彼らが演奏するベートーフェンの第三交響曲は、日本では確か唯一松本市音楽文化ホールのみで演奏されたが、みんなが速く演奏する所を遅く、みんなが遅く演奏する所を速くする見事な演奏で驚嘆させられた。

2013年11月23日、再びヒネクレタ鮮烈なベートーフェンを演奏する集団を聴いた。ブレーメンの音楽隊だ。ブレーメンに行くロバでもイヌでもネコでもニワトリでもない、ブレーメンから来たドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンである。

パーヴォ=ヤルヴィは楽団員に苛烈な要求を繰り返す。まるでロバに対して虐待する飼い主のように。しかし楽団員はヤルヴィの指示に対して鮮烈に応えるのみならず、実に楽しそうに弾いている。特にヴィオラ首席の体をブンブン動かして音を作り出している様子といったら。

室内管弦楽団とは思えないパワフルな音づくりだ。二つのMCO、あの水戸室内管弦楽団やマーラー室内管弦楽団以上に力強い迫力で迫ってくる。その迫力は、フル-オーケストラを軽々と上回る。

交響曲第4番、この曲を「2人の北欧神話の巨人の間にはさまれたギリシアの乙女」などと評したロベルト=シューマンよ、君は何と言う過ちを犯したのだ。パーヴォの手に掛かるとこの曲は、可憐なイメージを覆し、苛烈なまでに躍動する硬派なリズムを刻みまくる曲となる。まるで「春の祭典」のような難曲と化す。

冒頭の序奏を実に繊細に弾いているのを見て安心していると、可憐なはずの「ギリシャの乙女」はその狂暴なまでの本性を剥き出しにしてくるのだ。なんと緊密なリズム感なのだろう。特に弦楽セクションは、死に物狂いのパッションを出してリズムを刻んでいく。クラリネットもその重要な役割を見事に果たし、ティンパニはクレッシェンドの閃光を炸裂させる。

比較するのは野暮な話だが、これはこれはオルフェオ-レコードの大看板とも言うべき、あのカルロス=クライバーと名盤と並び称される秀演だ。

後半の交響曲第3番、管楽セクションがパワーアップし、高く保ったテンションはそのままに、より完成度を上げて迫ってくる。「英雄」などという表題はどこかにうっちゃっておこう。純音楽的に傑出した演奏だ。死に物狂いに白熱する躍動感だけではない、叙情的に攻めるところは実に繊細に歌わせ、波をうねらせる。音量の大小、緩急の付け方は非常に大きい。第四楽章の冒頭の僅かな長さのフレーズでさえ、アッチェレランドをスパッと仕掛ける。曲のどこのフレーズをどのように見せていくか、その辺りのメリハリが実に巧みで、パーヴォの構成力の見事さが光る。

とにもかくにも、ベートーフェンに新たな生命を吹き込む演奏である。ピリオド楽器とかモダン楽器とか、ピリオド奏法とかモダン奏法とか、そんなものはどうでも良い。結果的に出てくる音、出てくる響きが全てである。その音、その響きが鮮烈で唖然とするしかない。

この11月、ヴィーン-フィルにもベルリン-フィルにもアムステルダム-コンセルトヘボウにも聴きに行けなかったが、行く必要はなかった。こんなことを言ったらこっぴどく叱られるかも知れないが、これほどまでに前衛的で戦闘的で叙情的で熱情的な演奏は、チケット4万円のヴィーンやベルリンやアムステルダムの輩には出来るはずがない。

アンコールは、ブラームスのマジャール舞曲第1番と、シベリウスの「悲しいワルツ」。プログラム本番と同様の見事な演奏であると同時に、「悲しいワルツ」ではpが五つほどつく程までの弱奏で攻めたりもする。しらかわホールならでは弱い弱奏なのだろうか。世界最高のベートーフェンを味わえた、土曜日の午後であった。