2013年11月3日日曜日

イザベル=ファウスト ヴァイオリン-リサイタル 評

2013年11月3日 日曜日
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)

曲目:
第一部
ヨハン=セバスティアン=バッハ:ソナタ第1番 BWV 1001
ヨハン=セバスティアン=バッハ:パルティータ第1番 BWV 1002
ヨハン=セバスティアン=バッハ:ソナタ第2番 BWV 1003
(事実上の休憩)
第二部
ヨハン=セバスティアン=バッハ:パルティータ第3番 BWV 1006
ヨハン=セバスティアン=バッハ:ソナタ第3番 BWV 1005
ヨハン=セバスティアン=バッハ:パルティータ第2番 BWV 1004

ヴァイオリン:イザベル=ファウスト

着席場所は、ど真ん中より僅かに上手側である。チケットは完売している。観客の鑑賞態度は第一部前半では拍手のタイミングが若干早かったものの、かなり良好であった。第二部では極めて良好であった。

ヨハン=セバスティアン=バッハの無伴奏ヴァイオリン作品全曲演奏会である。チケットは第一部と第二部をそれぞれ別売りもしていた。

今回の来日公演で、イザベル=ファウストはこの公演の他、10月31日に東京、11月2日に宮崎でチェコ-フィルハーモニー管弦楽団との、ベートーフェン作ヴァイオリン協奏曲のソリストとして出演している。また、10月27日には横浜フィリアホール(横浜市)でリサイタルを行っているが、違う曲目をプログラムとしているため、バッハの無伴奏ヴァイオリン作品全曲演奏会はこの公演が唯一のものである。

第一部。
期待通りの高水準の演奏で始まる。チェコ-フィルハーモニー管弦楽団との共演で見せたニュアンスに富んだ演奏がそのままソロ-リサイタルに反映される。604席規模の、彩の国さいたま芸術劇場の残響との相性も完璧である。

第二曲目、パルティータ第1番BWV1002後半辺りから、単に高水準の優れた演奏というだけでない高い次元へ没入する。イザベル=ファウストにサンタ-チェチーリアが乗り移り、いと高きところとの媒介者となる。

速い楽章での、超絶技巧に裏打ちされた集中力漲る演奏というだけではない。緩徐部のニュアンスは絶品だ。伸びやかと言うだけではない、その瞬間瞬間に霊感が宿るフェルマータ。ソナタ第2番BWV1003を聴いている時、ホールの空間に聖霊が漂うのを見た。イザベルを媒介者として、主と聖霊と観客との三位一体が実現していた。

まさしく、バッハの無伴奏演奏で至高の演奏だ。

第二部
比較するのは無粋であるが、ヒラリー=ハーンを超える演奏となるのが確実視される中で、第二部が始まる。

ここからイザベルに疲れが明らかに出始めた。75分間の事実上の休憩の際に、日本ツアーで溜まった疲労がどっと出てきてしまったのだろうか。BWV1003で聴かせてくれたニュアンスは消えてしまう。つま先立ちから踵を落とす音が響いてくる。気迫を込めているものの、肉体がついていけない。完璧なる技術にも綻びが目立ち始める。高音の不用意な音は、恐らく楽譜には載っていない音だろう。

ヴァイオリンの無伴奏は、約90分くらいの実演奏時間でとどめ、かつアンコールはやらないものらしい。昨日は宮崎でベートーフェンの協奏曲をやり、今日の朝の飛行機で(ビジネスクラスがある便がありかつ宮崎の公演後与野の公演に間にあう便は、朝しかない)宮崎から与野に移動してこのリサイタルの準備を行い、本番となる。

第三曲目BWV1004の第四楽章を終えた時点で、演奏時間は135分、ここからシャコンヌに入る。ベストの状態では決してないが、最後の気力でシャコンヌを成立させていく。前四楽章よりも状態は良くなっている。

曲が終わり静寂が訪れる。観客も誰ひとり不適切な行動をせず、一分近くもの沈黙を守る。イザベルが合図をし、暖かい拍手でプログラムを終える。長い旅を一緒に終えた達成感を共有したのだ。

150分もの長時間の演奏であったのにも関わらず、アンコールが一曲演奏される。ピゼンデルの無伴奏ヴァイオリン-ソナタから第1楽章である。

今回は冒険的なプログラムであるが、チケットは完売となり、第一部後半での傑出した演奏を聴く事が出来た。今回のプログラムがどのような経緯で決まったのかは不明であるが、彩の国さいたま芸術劇場側の主導によるものであるのならば、このような冒険的な精神は維持してほしい。

しかしながら、バッハの無伴奏ヴァイオリン作品全曲を行うに当たっては、興行上はなかなか難しいところではあるが、150分もの無伴奏である事を踏まえると、二日に分ける演奏形態が望ましいようにも思える。例としては、アンジェラ=ヒューイットは名古屋にて、「フーガの技法」をこの10月20日・22日に分けて全曲演奏を行った。「フーガの技法」はそれぞれ休憩後の後半に置き、前半は関連性のある別の曲目であったが、この形態は参考になるかと思われる。

また、ヒラリー=ハーンがこの5月に日本ツアーをした際に、シャコンヌを前半の最後に置いた意味が良く分かった。興に乗りかつ疲労が出ないタイミングでのシャコンヌは、雑多なプログラムではあったが、シャコンヌを演奏するタイミングとしては正解の一つであったのだ。