2013年11月17日日曜日

マグダレーナ=コジェナ、プリヴァーテ-ムジケ 演奏会評

2013年11月17日 日曜日
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)

曲目:
演奏会のテーマ:愛の手紙

フィリッポ=ヴィターリ:美しき瞳よ
シジスモンド=ディンディア:酷いアマリッリ
ジウリオ=カッチーニ:聞きたまえ、エウテルペ、甘い歌を
ルイ=ドゥ-ブリセーニョ:カラヴァンダ-チャコーナ(※)
タルキニオ=メルラ:今は眠る時ですよ(子守歌による宗教的カンツォネッタ)
ガスパル=サンス:カナリオス(※)
シジスモンド=ディンディア:穏やかな春風がもどり
ビアジオ=マリーニ:星とともに空に
ジョヴァンニ=パオロ=フォスカリーニ:パッサメッゾ(※)
クラウディオ=モンテヴェルディ:苦悩はとても甘く
ジョヴァンニ=ジロダモ=カプスベルガー:トッカータ-アルペジアータ(※)
ジョヴァンニ=ジロダモ=カプスベルガー:わたしのアウリッラ
シジスモンド=ディンディア:ああどうしたら?もの悲しい哀れな姿でもあなたが好き
ジョヴァンニ=ジロダモ=カプスベルガー:幸いなるかな、羊飼いたちよ
ジョヴァンニ=パオロ=フォスカリーニ:シャコンヌ(※)
バルバラ=ストロッツィ:恋するヘラクレイトス
ガスパル=サンス:曲芸師(※)
タルキニオ=メルラ:そう思う者はとんでもない
クラウディオ=モンテヴェルディ:ちょっと高慢なあの眼差し
(※:古楽アンサンブルのみ)

メゾ-ソプラノ:マグダレーナ=コジェナ
古楽アンサンブル:プリヴァーテ-ムジケ
 ギター:ピエール=ピツル(リーダー)
 コラショーネ:ダニエル=ピルツ
 ギター:ヒュー=ジェームス=サンディランズ
 テオルボ:ヘスス=フェルナンデス=バエナ
 ヴィオローネ:リチャード=リー=マイロン
 パーカッション:マルク=クロス
 リローネ:フランシスコ=ホセ=モンテロ=マルティネス

1973年にチェコ(当時はチェコスロヴァキア)国ブルノ市で生まれたマグダレーナ=コジェナは、この11月にアジア-ツアーを行い、上海・香港・東京(タケミツメモリアル及び王子ホール)・名古屋・ソウルにて演奏会を開催する。この評は、11月17日に開催された名古屋公演に対してのものである。なお、最も理想的な環境である、十分な残響が保たれた中規模ホールでの開催は、このアジア-ツアーで名古屋公演が唯一のものである。

プリヴァーテ-ムジケはPrivate Musickeの表記で示すのがよりその本質を示すのであろうか。1998年に創設された古楽アンサンブルである。

演奏者は、舞台下手側からヴィオローネ→リローネ→ギター→パーカッション→歌い手(マグダレーナ=コジェナ)→ギター→テオルボ→コラショーネの順に、半円状に配置される。

ヴィオローネとリローネは、それぞれヴィオール属弦楽器のコントラバスとチェロに相当する楽器であり、テオルボとコラショーネは、それぞれ低弦リュートと通常のリュートと位置付ければ、モダン楽器との連想がし易いか。弦が下手側、中央にギターとパーカッション、リュートが上手側と考えて差し支えない。

着席位置は正面後方中央、観客の入りは8割程。観客の鑑賞態度は良好であったが、特に拍手のタイミングが完全に曲が終わってから為されていて、その点で好感が持てる。いずれの曲も、終わりが分からず、拍手をして良いか不安だから、このような結果にもなるのだろうけど、狙ってやっているのか。マグダレーナがニコッとしたら、拍手をしても良いらしい。

マグダレーナは濃いピンク色のワンピース姿で裸足で歌う。田舎の若い娘のようでもある。演奏会は、下手側の扉から入場する所から演奏しながら始められる。調性の合う複数の曲をまとめて演奏する形で進められる。

歌なしの曲で始まり、そのまま歌ありの曲に入っていく展開もある。曲は世俗的な内容で、軽やかな調子の曲が多い。スペイン邸宅の庭で、ギターにより恋の歌を弾き語りしているかのような雰囲気でもあるし、南米のフォルクローレ、あるいは、歌が上手なジャズシンガーのバラードを聴いているような気分にもなる。何百年も前のポピュラー音楽を、21世紀に蘇られたというべきなのか。

マグダレーナの調子はとても良い。第一曲目でしらかわホールの響きを掴み取り、もうその次の曲からは完成度の高い響きで観客の心を掴んでいく。アンサンブルに巧く乗っかった響きでありつつも協調的であったり、舞台前方に出て来てメゾソプラノならではの、ちょっとカルメンチックな迫力を出して歌ったりもする。そうかと思えば若い娘役のソプラノのように軽い声質で歌ったり、曲に応じてメリハリを自由自在に効かせ、実に気持ち良い。

プリヴァーテ-ムジケはヴィオール属の楽器だったりリュート系だったりするので、音量が小さいが、しらかわホールの残響の効いた響きにより、弱い音でも的確に響いてくる。そのような小さな音量の中でも、こちらの方もメリハリを的確に効かせ、あたかもマグダレーナの専属楽団を思われるような、一体感を感じさせる響きだ。パーカッションの音には、アフリカ音楽のような「原始的」な響きが感じられるところもあり、音楽の本質は案外普遍的なのだなと思わせたりする。

プログラムの全19曲は、休憩なしで演奏された。もちろんチューニングは必要なので、小休止くらいはあるのだが、休憩で緊張感がブレイクされることもなく、休憩なしの狙いは達成されていると考える。

アンコールは三曲あり、カプスベルガーのGia Risi、ディンディアのSfete Frrmate、フレスコバルディのSe L’aura Spiraである。マグダレーナは指を鳴らすのも上手で、曲を見事に導入させたりする。

日本ではなかなか聴けない古楽アンサンブルを背景に見事な歌声を味わう事ができ、五百年昔の音楽でありながら新鮮な響きでとても見事な演奏であり、幸せな気分になる演奏会だった。