2015年11月8日日曜日

Ballet Nacional de España, Osaka performance (November 2015), review / スペイン国立バレエ団 大阪公演(2015年11月) 感想

昨日・今日と、大阪のフェスティバルホールに行きまして、エスパーニャ国立バレエ団 (BNE / Ballet Nacional de España) (スペイン国立バレエ団)の公演を二公演、観劇しました。

11/7公演は、「ファルーカ」「ビバ-ナバーラ」「ボレロ」、ここで休憩を置いて後半は、「セビージャ組曲」の演目。

11/8公演は、「マントンのソレア」「ボレロ」、ここで休憩を置いて「セビージャ組曲」の演目でした。

「バレエ団」という名称ではありますが、皆さんが想像されるような「白鳥の湖」のような古典演目も、先日、新国立劇場バレエ団が上演した「ホフマン物語」のような、物語系演目も、キリアンのようなコンテンポラリー-ダンスも、演じません。

バレエと言っても、バレエ-フラメンコ、要するにフラメンコです。普通のバレエは、CNDエスパーニャ国立ダンスカンパニーで演じます。ダンスカンパニーの方は、昨年、名古屋・横浜で上演したので、記憶に残っている方も多いでしょう。

どうしてこのような逆転現象が起きたのですって?まあ、歴史的経緯なり、大人の事情なのではないでしょうか??

しかしながら、BNEのダンサーの多くは、普通のバレエの素養を持っています。振り付けはどう考えても、バレエのものとしか思えない箇所が多いです。もちろん、どの演目も足踏みのフラメンコの要素は保っています。フラメンコとバレエを融合させたと言うのが、私の理解です。

やはり、「ボレロ」と「セビージャ組曲」の二つは、このBNEの鉄壁演目です。

「ボレロ」は男性ソロと女性群舞・男性群舞とで構成され、二回目の繰り返しからずっと男性ソロが踊り続けます。両日とも、セルヒオ=ベルナルでした。

セルヒオの踊りはとにかく優美で、緩やかなテンポの所作が完璧なテンポ感でしなやかに決まっております。また、シャープに決めるべき箇所も決して優美さを失わない点が凄いです。演技力を重視するバレエファンの方は多いですが、純舞踊的技術の完璧さは、やはり大事です。

日本のバレエ団に於ける男性ダンサーの課題は、如何に優美さと躍動感とを高い次元で両立させるかにあるような気がします。

セルヒオは、まさに両方満たしています。多分、BNEの看板ダンサーなのではないでしょうか。

やはりこの「ボレロ」はBNEしかできない演目です。普通のバレエとフラメンコ双方の高度技術が必要なのと、セルヒオ=ベルナルの存在です。足踏みの音は、お立ち台版では実現不可能でしょう。衣装は赤と黒だけを用いたシンプルなものですが、とても美しいです。女性の方は、上半身裸であるセルヒオの肉体美にメロメロになられた事でしょう♪

後半は「セビージャ組曲」も、BNEの総力を結集した演目です。

「エスペランサ」の場面と思われる箇所の、白い女性ダンサーソロは、日替わりでした。

11/7公演のミリアム=メンドーサさんは、リフトされた状態での揺るぎの無さはもちろんのこと、終始様式美を完璧に保っておりました。このようにあるべき という所で完璧に美しく踊っております。

11/8公演のインマクラーダ=サンチェスさんは、11/7の「ビバ-ナバーラ」の時は私の心に入って行きませんでしたが、今日は素晴らしかったです。

「バイラオール」での六人の男性群舞はシャープで迫力がありました。

「夢の散歩道」の官能的な場面を経て、最後の「歓喜」の場面はいつまでも続いて欲しいほどです。ソロなしの26人による群舞は、フォーメーションが巧みでお祭りを思わせるものでありました。終盤部分をアレンジしたアンコールもあり、巧みな構成に驚愕します。
BNEの「ボレロ」と「セビージャ組曲」は、何度観ても飽きないでしょう!

新旧合わせて、初めてのフェスティバルホールは、気持ちを高揚させて終わりました。

2015年10月24日土曜日

Gidon Kremer & Kremerata Baltica, Nagoya performance, review ギドン=クレーメル + クレメラータ-バルティカ 名古屋公演 評

2015年10月24日 土曜日
Saturday 24th October 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Александр Раскатов / Alexander Raskatov: After “The Seasons”
Phillip Glass: Concerto per violino e orchestra “American Four Seasons”
(休憩)
梅林茂 / Umebayashi Shigeru: “Japanese Four Seasons” for violin and string orchestra
Astor Piazzolla: “Las Estaciones” (ブエノスアイレスの四季)

violino: Gidon Kremer (ギドン=クレーメル)
orchestra: Kremerata Baltica
direttore: Gidon Kremer (指揮:ギドン=クレーメル)

クレメラータ-バルティカは、創設者であるギドン=クレーメルがソリスト兼指揮者となって日本ツアーを率いた。日本での公演は、サントリーホール(東京)、神奈川県立音楽堂(神奈川県横浜市)、愛知県芸術劇場(愛知県名古屋市)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)の四箇所であり、いずれも大きめの会場ではあったが、間違いなく愛知県芸術劇場が最も理想的な会場である事は言うまでもない。

弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置であった。

着席位置は二階階正面下手側、客の入りは6割程であろうか、三階席に空席が目立った。観客の鑑賞態度については、概ね良好だった。

ギドン=クレーメルはクレメラータ-バルティカという室内管弦楽団規模の弦楽アンサンブルを創設したことは正解だったと思う。クレーメルとのバランスが自然に取れているし、特に後半では鋭い響きを的確に響かせている。愛知芸文は少し大きいかとも前半思ったが、後半でその認識は覆った。

クレーメルの構成は的確で、かつ繊細に奏でている。音量が特別あるわけではないが、求心力がある。今日はチケット購入時の制約により下手側の席であったが、クレーメルとチェロのソロとの掛け合いを正面から観るのと同然の形となったのは、幸せだった。

クレーメルはやはり大家である。ソロの場面での弱音でさえ感じられる求心力や、クレメラータ-バルティカとの完璧に取られたバランス、この場所ではこのように演奏するべきとの計算とそのように導く統率力、こう言った箇所で大家だと感じられる。

三曲目では、日本の作曲家である梅林茂による「日本の四季」であるが、彼に作曲を依頼し、ドイツでの世界初演から一カ月足らずで名古屋で披露した事を高く評価したい。名古屋フィルハーモニー交響楽団では、小泉和裕次期音楽監督がこれまで行われてきた現代音楽の演奏事業をほぼ全面的に放棄したが、クレーメルと遠いバルト海の楽団がやってくれた事に感謝する。

ピアソジャの「ブエノスアイレスの四季」は、両者の得意とする場面が最も出た演奏だ。故意に出す耳障りな音色、アップ-ボウで繰り出す鋭い音色、クレーメル頼りではないクレメラータ-バルティカの自発性が、ピアソジャの四季を活き活きとさせた。

いつの時代の演奏であれ、残響は音楽と一体不可分なものだ。強く弾き切る箇所でこの事を強く感じる。今回の日本ツアーでは四箇所での公演であるが、愛知県芸術劇場以外の開場は全てアウトだ。マトモなホールで、精緻な室内管弦楽団の演奏を聴けたのは幸せな事である。

それにしても、梅林茂の「日本の四季」と言った作品は、日本のオケが委嘱して日本で世界初演するべきものである。クレーメルとバルト海のオケにより委嘱されドイツで初演されたことを、日本のオケを始めとする音楽関係者は、日本在住者として(日本国籍を持っている者は日本人として)、恥じるべきだ!

作曲された作品は、演奏されなければ生かされないし、演奏されなければ、そこで現代音楽は終わってしまう。一定規模の都市に存在する演奏団体側は、この点の責務を有している。特に名フィル関係者(次期音楽監督及び観客)や、名フィルの保守反動路線の論陣を張った名古屋の文芸の破壊者である長谷義隆をはじめとする中日新聞放送芸能部の連中には、この事をよくよく理解してもらいたい。日本の音楽文化に関わる問題だから!

2015年10月10日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 428th Subscription Concert, review 第428回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年10月10日 土曜日
Saturday 10th October 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Guillaume Lekeu: Adagio per orchestra da camera op.3 (弦楽のためのアダージョ)
Alban Berg: Concerto per violino e orchestra “Alla memoria di un angelo” (ある天使の想い出に)
(休憩)
Johannes Brahms: Sinfonia n.4 op.98

violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova (アリーナ=イブラギモヴァ)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Christian Arming (指揮:クリスティアン=アルミンク)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、アリーナ=イブラギモヴァ(ヴァイオリン)をソリストに迎えて、2015年10月9日・10日に愛知県芸術劇場で、第428回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、記録をし忘れている。

着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、ベルクの協奏曲終了時に、指揮者が明確な合図を出す前にフライングの拍手があり、余韻を害した。

アリーナ=イブラギモヴァは、特に第二楽章前半部が素晴らしい。彼女以外の奏者が少なくなればなるほど、彼女は活き活きとしてくる。名フィルの管弦楽も丁寧に演奏していたが、アリーナはリサイタル向けの奏者だとの印象を持った。決して大ホールで大勢の観客を相手にするべき奏者ではない。アリーナ=イブラギモヴァのような、大ホールで演奏させるべきでない奏者の例は、ヒラリー=ハーンを挙げる事が出来る。アリーナが電気文化会館でリサイタルを行う理由が良くわかる。ベルクの協奏曲は、しらかわホールでやっていたら、かなり違った成果が得られただろう。

アリーナ=イブラギモヴァは、音量で攻めるタイプではない。音量的には多分小さいのだろうけど、なぜか響いて、かつ音色の深さで攻めるタイプである事が分かった。いくら愛知芸文でも、大ホールでは無理がある。尚且つあれだけの大管弦楽相手であの曲想では、成果は限定的にならざるを得ない。

後半のブラームス4番は、特に弦楽のパッションが入りまくっており、管楽(特にフルートは素晴らしい)との響きも綺麗にブレンドされ、速めのテンポで躍動感もあり、かつ端正な印象を持つ、素晴らしい演奏であった。若干の、わざとらしさが無いわけでは無く、その点で評価が分かれるかも知れないが。

アルミンクを見捨てた新日フィルは、今頃深く後悔しているであろう。やはり、弦楽が吠えると全てがしっくりし、管楽の装飾と絶妙にブレンドして、パッションと美しさとを兼ね備えた響きが迫ってくる。

3.11の時、福島第一原発があのような事故を起こした状態で、日本在住者でないアルミンクが避難したのは正当な行為だ。それを日本からの逃亡とみなし、追い出した狭量な観客に満たされた東京に戻る必要はない。あれだけキチンとした響きを作り上げる指揮者を追い出した東京は、どうかしている。

2015年10月6日火曜日

Alina Rinatovna Igragimova + Cédric Tiberghien, (6th October 2015), review アリーナ=イブラギモヴァ + セドリック=ティベルギアン 名古屋公演 評

2015年10月6日 火曜日
Tuesday 6th October 2015
電気文化会館コンサートホール (愛知県名古屋市)
Denki Bunka Kaikan Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.25 K.301
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.5 K.10
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.41 K.481
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.35 K.379
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.15 K.30
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.9 K.14
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.28 K.304

violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova
pianoforte: Cédric Tiberghien

アリーナ=イブラギモヴァは、10月1日から6日に掛けて、セドリック=ティベルギアンとともにモーツァルトのヴァイオリン-ソナタの演奏会を、王子ホール(東京)、電気文化会館(名古屋)にて行う。王子ホールに於いては、五回の演奏会で全曲を演奏する形を取り、この10月では第一から第三のプログラムを演奏した。電気文化会館に於いては、王子ホールでは10月1日に演奏された第一のプログラムのみの公演となる。

この評は、10月6日電気文化会館の公演に対する評である。

着席位置は後方正面中央、観客の入りは9割程か。観客の鑑賞態度は、概ね良好だった。

やはり、アリーナは弱奏を実に深い音色で響かせる。モーツァルトなのに、誤解を恐れずに言えば、どこかロマン派風に、シューベルトの歌曲を聴いているかのように思える箇所もあった。

アリーナの調子は第一曲目からして素晴らしいものがあった。中三日の休息の効果は絶大で、3日の王子ホールでの疲れが目立った公演とは見違える程である。電気文化会館の響きの素晴らしさが、アリーナを的確に援護した。

アリーナの深い音色は、東京の王子ホールでは実現出来ないものだ。電気文化会館でのアリーナは、モーツァルトなので頻度は少ないが、強奏部では伸びやかに激しさを出していたし、弱奏部では深みを伴う音色で響かせいた。

ピアノのティベルギアンも出るべき所は主張して、モーツァルトの比較的ピアノを重視したソナタの真価を表現していた。アリーナとのコンビネーションや、よく考えられた構成も素晴らしく、魅了させられた。

K14 は初期の作品であるが、非常に面白かった。初期のモーツァルトであれだけ深みを出したり、星のようなキラキラした音色を実現させたり、諧謔の要素も盛り込んだりと、様々な意味で興味深い演奏だった。

最後の K304 は、アリーナは控えめでピアノを際立たせる解釈であったが、特にメヌエットが実に深みのある音色で、感銘を受けた。あんなメヌエットがあるんだと、信じ難く、かつ素晴らしい時間でただただ陶酔していた。

アンコールはK296の第二楽章で、 K304 で到達した深みのある音色で魅了させられた。アリーナの真価は、電気文化会館で無ければ分からない。アリーナの真実を知っているのは、東京の観客ではなく、名古屋の観客なのだ!

2015年10月4日日曜日

Batsheva Dance Company, להקת מחול בת-שבע, Yokohama perfomance, review バットシェバ舞踊団 横浜公演 評

2015年10月4日 日曜日
Sunday 4th October 2015
神奈川県民ホール (神奈川県横浜市)
Kanagawa Kenmin Hall (Yokohama, Japan)

演目:
「Decadance - デカダンス- דקהדאנס 」

なお日本公演に於ける「デカダンス」は、下記の演目から抜粋・構成された作品である。
Z/na (1995), Anaphase (1993), Mabul (1992), Naharin's Virus (2001), Zachacha (1998), Sadeh21 (2011), Telophaza (2006), Three (2005), MAX (2007)

ダンスカンパニー:להקת מחול בת-שבע / Batsheva Dance Company / バットシェバ舞踊団

芸術監督:Ohad Naharin (オハッド=ハナリン)

バットシェバ舞踊団は、2015年10月4日から11日まで日本ツアーを実施し、上記演目を、神奈川県民ホール・愛知県芸術劇場・北九州芸術劇場でそれぞれ1公演、計3公演上演する。

この評は、2015年10月4日、神奈川県民ホールに於ける公演に対するものである。

着席位置は一階ず前方中央。観客の入りは一・二階席はほぼ埋まっていたが、三階席は閉鎖していた模様だ。観客の鑑賞態度は概ね良好であった。

名古屋・北九州公演に臨む観客方へ。開場したら、出来るだけ早く自席に着席することをお勧めする。女性は、オシャレして行くと、何かいい事あるかもしれない♪赤い服を着る必要は無いけどね。残念ながら、男性の観客にはいい事は起こらないと思われる♪

(以下、ネタバレ注意。名古屋・北九州公演をご覧になる方は、ご注意願いたい)

昨年11・12月の、CNDスペイン国立ダンスカンパニー「マイナス16」を見た方には、その続編のように思うかもしれない。

コンテンポラリー-ダンスではあるが、純舞踊的路線だけで攻めるだけでなく、物語性を濃厚に感じられる箇所もあり、承前起後の処理も巧みなので、楽しく観る事が出来る。

私の踊り手の好みは、11人が舞台最前列に出て来る演目のセンターを踊った、青緑色?エメラルドグリーン?の衣装の女性である。その演目で、そのダンサーに目を奪われたため、以降よく注目してみた。終盤間近の演目でも、そのダンサーが不規則な動きを始めて、導入部から展開部に移行する画期となる箇所があった。

男性については、後半部の二人の絡み合いが良かった。

多人数で群舞になる際に、微妙に個性の差異が出て来る所が面白い。一方で、千手観音のシーン等、きっちりユニゾンで決めるべき箇所は、ビシッと決めてくる点が印象的だ。

後半の「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」の演目は、「デカダンス」のデカ(=10)と掛けているのだろうか?10の演目からの抜き出し(実際は9の演目数であるが・・・)と言う意味と、事前情報では聞いていたが・・・?

最後の演目「Welcome」にて、開演時刻前のパフォーマンスが回帰し、終了するのは巧みである。オハッド=ナハリンは、開演時刻前にパフォーマンスを実施するのが好きなのか?それにしても、そのパフォーマンスが回帰する構成になっていたとは!

単に純舞踊的路線で攻めるだけでなく、物語性を持つコンテンポラリー-ダンスは少ないと思われるが、バットシェバ舞踊団のダンサーは全員で見事に物語演じた。最後の「Welcome」は、まさしくそんなバットシェバ舞踊団にふさわしい終わり方であった。

2015年10月3日土曜日

Alina Rinatovna Igragimova + Cédric Tiberghien, (3nd October 2015), review アリーナ=イブラギモヴァ + セドリック=ティベルギアン 東京公演 評

2015年10月3日 土曜日
Saturday 3rd October 2015
王子ホール (東京)
Oji Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.40 K.454
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.12 K.27
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.24 K.296
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.43 K.547
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.16 K.31
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.30 K.306

violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova
pianoforte: Cédric Tiberghien

アリーナ=イブラギモヴァは、10月1日から6日に掛けて、セドリック=ティベルギアンとともに、モーツァルトのヴァイオリン-ソナタの演奏会を、王子ホール(東京)、電気文化会館(名古屋)にて行う。王子ホールに於いては、五回の演奏会で全曲を演奏する形を取り、この10月では第一から第三のプログラムを演奏する。なお、第一のプログラムのみ、10月6日に電気文化会館にて演奏される。

この評は、10月3日第三プログラムの公演に対する評である。

着席位置は後方正面ほぼ中央、観客の入りは9割5分ほど。観客の鑑賞態度は、時々唸り声が聞こえてきたような気もするが、概ね極めて良好であった。

やはり最後のK.306が一番素晴らしい。

それでも、演奏会全般に渡って、アリーナとセドリックとの二人のコンビネーションは完璧で、どこで誰を前面に立たせるか、二人でどのような響きにブレンドするかの点は、よく考えられている。Mozartのヴァイオリン-ソナタはピアノも同格で主張しなければならないが、セドリックによる的確かつ見事なピアノの演奏により、素晴らしいMozartになる。

劣悪な王子ホールの響きであるが、アリーナはその劣悪な響きを克服する術と力を持っている。セドリックとのコンビネーションの巧みさと合わせ、ピアノとよく調和させた響きを、アリーナは実現させる。

東京の人たちには、アリーナはまろやかで優しい響きの奏者だと思われていると思うけど、それはアリーナが激しく弾くと王子ホールが響きを減衰させて、結果優しい響きになってしまうからである。名古屋の電気文化会館で演奏すれば、アリーナのヴァイオリンは、もっと豊かに、もっと鋭く響くはずだ。激しく鋭い響きこそアリーナの持ち味と考える私としては、きちんと響くホールで演奏して欲しいと思うところであり、紀尾井ホール以外にマトモな中小規模のホールがない東京の聴衆は不幸だと思う。

アリーナには連日かつ別プログラムの疲れが見受けられたが、それでも、最後のK.306は圧巻である。一曲だけでも、王子ホールの響かない特性と折り合いをつけ、あのレベルでやってくれただけで十分だ。

演奏会終了は開始時刻から150分後であり、総演奏時間は120分前後か?これだけ演奏者に負担が大きいプログラムであったのにも関わらず、アンコールを一曲演奏してくれた。K.14の第一楽章であった。

2015年9月27日日曜日

Hagen Quartett, Kyoto perfomance, (27th September 2015), review ハーゲン-クァルテット 京都公演 評

2015年9月27日 日曜日
Sunday 27th September 2015
青山音楽記念館 (京都府京都市)
Aoyama Music Memorial Hall (Kyoto, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Quartetto n.17 K.458
Wolfgang Amadeus Mozart: Quartetto n.18 K.464
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Quartetto n.19 K.465

Quartetto d'archi: Hagen Quartett
violino 1: Lukas Hagen
violino 2: Rainer Schmidt
viola: Veronika Hagen
violoncello: Clemens Hagen

ハーゲン-クァルテットは、2015年9月から10月に掛けて日本ツアーを実施し、川崎・京都・大阪・東京にて演奏会を開催する。この評は、京都公演に対するものである。

着席位置は前方正面ほぼ中央、チケットは完売した。青山音楽記念館であるからか、観客の鑑賞態度は、極めて良好であった。

全般的にヴァイオリンに不規則に瑕疵があり、技術的にいっぱいいっぱいなのではないかと感じられる箇所もあったので、その点に神経質な方は向かない。

一方で低弦は充実しており、特にチェロのクレメンス=ハーゲンは目覚ましい演奏で聴かせてくれる。響きの説得力が他の三人と格段に違っている。たまたま僅かに下手側の席だったので、クレメンスばかり注目していた。上手側に上手な奏者が座った感じだ。

全般的な解釈は、もちろん鋭さを前面に出している所もあるが、基本的にマトモで真面目な解釈であり、あまり遊び心は感じられない。何が要因かは不明だが、どこかα波が出ている所もある。きちんととした演奏が繰り広げられているのに、眠くなってきてしまうのだ。特に17番で。18番第三楽章終盤のチェロが長いソロを仕掛け、ヴィオラ→ヴァイオリンとフーガで繋げていく所で目が覚める。あのチェロのソロは本当に見事だ。

やはり生真面目な解釈であり、面白い演奏になるか否か、曲想に左右される感がある。決して軽い響きのウキウキとするような、ヴィヴィッドな響きを目指してはいない。モーツァルトに対して、これは正解なのかは、私にはわからない。17から19番については、ヴィヴィッドに演奏してはいけないのかも知れないし。私の好みは後半の19番だった。

アンコールは、モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番、K.387から第一楽章であった。

2015年9月26日土曜日

Aichi Chamber Orchestra, the 15th Subscription Concert, review 愛知室内オーケストラ 第15回 定期演奏会 評

2015年9月26日 土曜日
Saturday 26th September 2015
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
Shirakawa Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Carl August Nielsen: Suite op.1 FS.6 (組曲)
Carl August Nielsen: Concerto per clarinetto e orchestra op.57 FS.129
(休憩)
Jean Sibelius: “La Tempesta” Suite n.2 op.109-3 (「嵐」第二組曲)
Einojuhani Rautavaara: “Cantus Arcticus” op.61 (鳥の協奏曲)

clarinetto: 芹澤美帆 / Serizawa Miho
orchestra: Aichi Chamber Orchestra(愛知室内オーケストラ)
direttore: 新田ユリ / Nitta Yuri

愛知室内オーケストラは、2015年9月26日に三井住友海上しらかわホールで、第15回定期演奏会を開催した。クラリネット独奏は同オーケストラのクラリネット奏者である芹澤美帆、指揮は新田ユリである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、小太鼓は後方中央、ハープ・チェレスタ・その他のパーカッションは下手側の位置につく。

着席位置は一階正面やや後方中央、観客の入りは六割程である。観客の鑑賞態度は、寝息が聞こえてくる時間帯もあったが、拍手開始のタイミングは適切であり、非常に良好だったと言える。

新田ユリの構成力がしっかりしており、奇を衒わずに何をどうするべきかを明確にした導きに、管弦楽が見事に応えた演奏である。

全般的に弦がしっかりしていて、ニュアンス豊かに、要所を確実に決めてくる。特にニルセン「組曲」第三楽章の強いヴァイオリンの響きや、「鳥の協奏曲」でのチェロのソロが素晴らしい。また、シベリウスは弦楽重視の感もあったが、弦楽が充実していると曲全体が充実して聴こえてくる。

クラリネット協奏曲の芹澤美帆のクラリネットは、曲の進行に連れてノリノリになり、カデンツァその他の難しいそうな見せ場が素晴らしい。

最後のラウタヴァーラの「鳥の協奏曲」は、管弦楽全ての総力が的確に絡み合う見事な演奏である。最初のフルートから決まっていて、これを引き継ぐ管楽、厚みのある弦楽が加わって、ラウタヴァーラの曲を形作る。「鳥の協奏曲」であり、名の通りに鳥の鳴き声がバンダで聴こえたかのように思ったが、実の所は謎である。鳥の鳴き声をステージマネージャーが流したのか。下手側側廊から、舞台袖から、舞台背後の廊下から鳴らしているようにも聴こえる。まさしく舞台上には存在しない鳥がソリストの協奏曲であるが、しらかわホールを知り尽くした構成で魅了された。この作品が聴けただけでも感謝である!。1928年生まれのスオミの作曲家の真価を見事に日本に示した。

アンコールはシベリウスの「舞踏間奏曲」で、センスの良い選曲に加え、熱意のある演奏でこの演奏会を終えた。

2015年9月12日土曜日

Kioi Sinfonietta Tokyo, the 101st Subscription Concert, review 第101回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評

2015年9月12日 土曜日
Saturday 12th September 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Ludwig van Beethoven: Musica per “König Stephan” di Kotzebue (ouverture) op.117 (劇音楽「イシュトヴァーン王」序曲)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Concerto per violino e orchestra op.35
(休憩)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Sinfonia n.5 op.107

violino: Антон Бараховский / Anton Barakhovsky / アントン=バラホフスキー
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Takács-Nagy Gábor / タカーチ-ナジ=ガーボル

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、タカーチ-ナジ=ガーボルを指揮者に、アントン=バラホフスキーをソリストに迎えて、2015年9月11日・12日に東京-紀尾井ホールで、第101回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方僅かに上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、基本的には極めて良好だったが、飴の包み紙の音があったり、拍手が早すぎたりした。音が消えた瞬間に拍手をすることが、いわゆるフラブラである事を認識していない人が少数でもいると厳しい。オペラでもバレエでもないのだから、指揮者が合図をしてから拍手はして欲しい。

アントン=バラホフスキーのヴァイオリン-ソロは、大小の揺らぎを上手く活かしている。大きな周期で、あるいは短い時間内でテンポを変えてくるが、違和感は全く感じないもので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を面白いものにさせる。第三楽章冒頭のソロは、バラホフスキーのソロの白眉である。要所で出てくる木管も適切な響きであり、チェロの出番も効果的で、タカーチ-ナジによりよく準備されているのが伺える。

後半はメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」である。タカーチ-ナジは、引いたかと思わせて一気に押し寄せる、起伏のある波のような演奏で攻めるか一方、必要とあれば響きを繊細にコントロールする。KSTも綺麗な弱音で、あるいは豊かなニュアンスを伴って演奏し、タカーチ-ナジの構成力とこれを実現させるKSTとが、がっちり絡み合う相性の良さが結実する見事な演奏だ。

演奏会終了時のアンコールとして、タカーチ-ナジは、エストニアの作曲家 Arvo Pärt (アルヴォ=ペルト)の「フラトレス」を選んだ。2015年9月11日に80歳の誕生日を迎えたばかりの作曲者の作品は、KSTの繊細さを極めた演奏で活かされた。曲は演奏されなければ活かされない。KSTの特質を把握し、80歳になったばかりのタイミングで現代音楽を紹介した、タカーチ-ナジの見識を最後に示し、名演に満たされた演奏会を終えた。

2015年9月2日水曜日

Matthias Görne, Winterreise, recital review マティアス=ゲルネ 「冬の旅」 リサイタル 感想

2015年9月2日 水曜日
Wednesday 2nd September 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Franz Schubert: Winterreise D911 (冬の旅)

baritono: Matthias Görne / マティアス=ゲルネ
pianoforte: Markus Hinterhäuser / マルクス=ヒンターホイザー

サイトウ-キネン-フェスティバルは、今年も2015年8月9日から9月15日までに掛けて、松本市を中心に長野県内で歌劇・大管弦楽演奏会・室内楽演奏会・ジャズ演奏会・教育プログラムを繰り広げる。その一環として、9月2日にマティアス=ゲルネ 「冬の旅」リサイタルが、松本市音楽文化ホールにて上演された。

なお、「セイジ-オザワ松本フェスティバル」の名称は、そもそもその名称への変更自体に正当性がなく、松本市民の私としては承認できないため、今後も一切用いず、従前通り「サイトウ-キネン-フェスティバル」の名称を用いる。

着席位置は後方中央側、客席の入りは8割程であった。後方三列は殆ど当日券の枠となった。音響の良い後方席に空席が目立ったのは、主催者側の切符の売り方に問題があるのだろう。観客の鑑賞態度は、かなり良好であった。

序盤、松本市音楽文化ホールの響きに戸惑っているようにも思える。このホールでの弱唱部から強唱へ移り変わる場面でのコントロールはは難しそうであったが、5.菩提樹 辺りで弱唱部がよくなり、14. 霜おく頭 辺りからは松本市音楽文化ホールの響きを完全に会得し、盤石な出来で曲を終える。

14. 霜おく頭 からはピアノとの相性も格段に良くなり、そのまま終曲まで緊張感を保って行った。特に、21. 宿 23. 幻の太陽 は圧巻の響きであった。もちろん圧巻と言っても、大声量で圧倒したと言う意味ではない。弱唱の良く通る響きの美しさ、あらゆる声量の場面や声量が移り変わる場面での響きの完成度の高さと言う点で、圧倒したのだ。最後の24. 辻音楽師 が最高の出来だった事は言うまでもない。

私はゲルネが内省的だったのか、精神的だったのかは知らない。内省的やら精神的やら、私にとっては定義不明で意味不明の言葉だけれど、曲がその要素を求めているのであれば、響きになって出てくるものだと思っている。

その演奏がいい音楽か否かは、全て響きによって決定する。私にとって納得できる響きであれば、間違いなく素晴らしい演奏だ。響きが全てと書くと、外見ばかり拘っていると誤解する人もいるだろうが、そのような事はない。内面的な要素が仮に必要であれば、その要素も響きとなって出てくるからである。

マティアス=ゲルネの歌唱は、特に後半部分は、曲に対する深い理解に基づいて響きを形作っている。あれだけ弱い音量でありながら、陶酔して聴ける演奏は珍しい。また、マルクス=ヒンターホイザーのピアノも、前半は歌唱よりも響きがちな部分があったものの、後半はピッタリ寄り添っており、歌唱に入るまえのソロの部分の演奏も優れたものである。

総合的に素晴らしい演奏であり、決して盛り上がる性格の曲ではなかったが、暖かな長い拍手とともに、演奏会を終えた。