2013年11月30日土曜日

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン 歌劇「フィデリオ」 評

2013年11月30日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)

演目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 歌劇「フィデリオ」 op.72 (演奏会形式)

レオノーレ(フィデリオ):エミリー=マギー
フロレスタン:ブルクハルト=フリッツ
ドン-ピツァロ:トム=フォックス(当初予定されたファルク=シュトゥルックマンの代役)
ロッコ:ディミトリー=イヴァシュチェンコ
ドン-フェルナンド:デトレフ=ロート
マルツェリーネ:ゴルダ=シュルツ(当初予定されたクリスティーナ=ランドシャーマーの代役)
ヤッキーノ:ユリアン=プレガルディエン
語り部:ヴォルフ=カーラー

合唱:東京音楽大学合唱団

管弦楽:ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン
指揮:パーヴォ=ヤルヴィ

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンは、2013年11月から12月に掛けてアジアツアーを行い、全てベートーフェンの曲目であるプログラムを二種類(歌劇・演奏会用にそれぞれ一種類)用意し、横浜で歌劇、札幌・名古屋・武蔵野(東京都)・ソウル(大韓民国)にて演奏会を開催する。

歌劇については、横浜みなとみらいホールで歌劇「フィデリオ」を演奏会形式で2公演上演する。この評は、二回目11月30日横浜みなとみらいホールでの公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。

着席場所は、一階中央上手側である。客の入りは8割5分程である。観客の鑑賞態度は概ね良好であったが、前方中央席で演奏途中での退席があった。

このドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン独特の慣習として、舞台上でのチューニングは行わない。楽章の間ではもちろんの事、曲の間であっても行わない。唯一ティンパニだけがこっそりと音程をチェックし調整している。

この「フィデリオ」は演奏会形式であり、舞台上に舞台装置はない。管弦楽の譜面台には、歌劇用のランプが備え付けられている。照明は白熱電球の明暗のみであり、着色光は用いていない。歌の間の芝居はなく、その代わりに「四年後のロッコ」を演じる語り部がいる。語り部の位置は固定されず、歌い手同様に舞台前方を歩く形態となる。拍手は終幕時のみを期待する設定であり、歌唱が終わり残響がなくなったところで間髪を入れずに語りを入れる事によって拍手が起きないようにコントロールしている。それでも、レオノーレが「人間の屑!何をしているつもり?かかってきなさい。希望は捨てないわ、最後に星が出る」のソロ-アリアを歌った後で拍手が出る。

序曲は、名古屋でのベートーフェン交響曲第4番第3番の公演の第一曲目でも演奏されたが、693席の中規模ホールでの凝縮された響きとは異なり、やはり2020席の大きなホールでの響きは違う。音圧は拡散される。

歌劇と言う事もあり、管弦楽は今日はおとなしく猫を被っている。軽めと言うよりは柔和な音色で、その柔和さはヴィーン-フィルを超え、室内管弦楽団ならではの綺麗な音色がベースとなる。もちろんパーヴォ=ヤルヴィならではの変幻自在なテンポに柔軟に対処し、パーヴォとの一体感を感じさせる見事な演奏である。

歌い手について述べる。総じて穴がない見事なソリスト揃いで、この事自体が滅多にないことだ。代役を含めて実力あるソリストを揃えている。全ては完璧な状態から出発している。

第一幕から、マルツェリーナ役のゴルダ=シュルツのよく通る軽快な表現が見事である。元彼のヤッキーノの口説きをかわして、指揮者のパーヴォの所に寄り添って「困っているから助けて」と言っているかのような演技も相まって、実に楽しい。およそ代役とは思えない見事な出来で、出番が多い第一幕に花を添える。

ロッコ役のディミトリー=イヴァシュチェンコは、バスとはとても思えない透明感のある声で、知らないで聴いているとテノールのようにすら感じるほどだ。ごく普通の平凡な看守
長から英雄的な行動を取るところまで、見事に演じる。

フロレスタン役のブルクハルト=フリッツは第二幕からの登場となるが、第二幕開始直後のソロ-アリアから観客の心を掴む。副主役としての役割を十二分に演じ、エミリー=マギーと相まってクライマックスに向けて観客をリードしていく。

主役レオノーレ(フィデリオ)役のエミリー=マギーは、みなとみらいホールの特性に悩まされたであろう。このホールは、レオノーレ役の音域との相性が悪く、なかなか共鳴しないし、共鳴したとしても綺麗に響かない。それでも、知らないでいるとメゾ-ソプラノと思えるような、重量感のある迫力に満ちたレオノーレを見事に演じ、主役としての責任を果たす。みなとみらいホールの音響特性を踏まえると、よくぞここまで演じ切ったと言える。なお、歌い手としてはエミリーのみが楽譜を持っての演技・歌唱であったが、この「フィデリオ」公演にはプロンプターは存在しない事を考慮する必要はあるだろう。

語り部はドイツ語によるものであり、特に第二幕でテンションが上がったか。語り部のテキストは、今年亡くなったドイツの文学者ヴァルター=イェンスによるものである。日本語の字幕で見ただけの判断ではあるが、通俗的な4年後のロッコと本場面での英雄的なロッコとの対比を踏まえつつ、実に格調高くイデアを掲げているものだ。

歌い手と管弦楽との関係性は、必ずしも歌い手重視と言うわけではない。歌い手を表に出すと言うよりは、歌い手・管弦楽を含めて表に出るべきと考えた楽器を表に出した感じである。例えば、オーボエを表に出す時は歌い手は控えめに歌う感じだ。

この点については、公開ゲネプロ時の質疑応答の際に、「演奏を重ねるうちに発見したことはあるか」の質問に対して、「ベートーベンの交響曲を演奏するときに、フィデリオにおいて作曲者は歌にオーケストラのどのパートの役割を歌わせたかったか、働きを持たせたかったか考えさせられる」とパーヴォが答えていたところからも読み取れるところである。
(この辺りの事情については、彩加さん(@p0pular0708)による2013年11月26日16時40分頃(日本時間)からのツイートに依拠している。公開ゲネプロ情報の提供について、この場でも厚く御礼申し上げる。)

歌い手が一人の時はこのように控えめなところもあるが、このような場面から三重唱・四重唱へ積み重なっていく流れや、その三重唱・四重唱自体は極めて素晴らしい。単に管弦楽を一歩上回る形で巧く乗っかった素晴らしい歌唱で、大変気持ちよく響いているというだけの話ではなく、その三重唱・四重唱の場面場面で誰を表に出すのかを細かく考慮している。ドイツ語が分かる方にとっては、一番強調されている歌声の意味が容易に読み取れるようになっているように思われる。

合唱は東京音楽大学合唱団であるが、団員は学生なのであろうか。しかしながら、およそ学生とは思えない。東京オペラシンガーズ同様の高い完成度であり、その声量だけでなく、場面場面に応じたコントロールが適切であり、ソロ二人の出番もあったがこれもまた見事である。第二幕では抱擁しあう演技までをも行い、その場面から終幕に向けてのクライマックスに向けて傑出した実力を発揮していく。

大団円はソリスト・合唱・管弦楽全てがパッションに満ちつつも、全ての構成要素が室内楽を聴いているかのように一体感を持って見事に絡み合い、美しく響かせて終わる。これ程までの大団円を聴くと、ベルリン-フィル、ヴィーン-フィルですら実現は難しいと思わざるを得ない。全てが完璧に終わった。行った、聴いた、勝った!!

2013年11月24日日曜日

NHK交響楽団 横浜定期演奏会 評

2013年11月24日 日曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)

曲目:
アナトーリ=リャードフ 交響詩「魔法をかけられた湖」 op.62
ドミートリイ=ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.129
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第5番 op.64

ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:トゥガン=ソヒエフ

NHK交響楽団は、諏訪内晶子をソリストに、トゥガン=ソヒエフを指揮者に迎えて、2013年11月20日・21日に東京-サントリーホールで、第1768回定期演奏会を開催した。同じプログラムで11月23日に足利市民会館(栃木県)、24日に横浜みなとみらいホールで演奏会を行った。この評は、最終日11月24日横浜みなとみらいホールでの公演に対してのものである。

諏訪内晶子は1972年生まれの、言うまでもなく、少なくとも日本ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。あまりに有名であり、説明の必要はなかろう。

指揮のトゥガン=ソヒエフは、当時のソヴィエト社会主義共和国連邦、北オセチア自治共和国生まれ。現在は、トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団、ベルリン-ドイツ交響楽団の首席指揮者である。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→(までは覚えていたが、チェロとヴィオラの配置は忘れた。多分、ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラだったかと)のモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側である。弦楽奏者は、第五プルトであっても雛壇を使わない。ロシア人指揮者ならではのやり方であろうか。

着席位置は正面中央上手側、観客の入りは八割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であったが、私の隣席で曲の途中でパンフレットを弄んでいたのが気になった。

第一曲の「魔法をかけられた湖」、最初からとてもN響とは思えない精緻な音で、観客の心を掴む。表面の皮膚以外は、ベルリンフィルの奏者の組織を移植しているのではないかと思えてしまうほど、信じられない程の精緻さで、準=メルクルですらこのような音は引き出せていない。静寂な湖のほとりに一人で佇みながら、何かが起こりそうな不安をも感じさせるような、不思議な演奏である。

第二曲のショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番は、とても優れた演奏である。諏訪内晶子はリズムの刻みも、朗々と流れるような響きも、キッチリと演奏し、技巧的要素の強い現代曲が強い彼女ならではの完成度の高い演奏である。管弦楽の音に乗っかり、この曲に対してはとても適切な協調的なアプローチで寄り添いつつも、管弦楽を一歩上回る響きで伝わってくる。二重奏的な掛けあいはコントラバスともホルンとも決まりまくっているが、特にホルンとの二重奏は、ホルン-ソロの卓越した演奏とも相まって強い感銘を受ける。曲想上ソリストの自由は制限される性格が強い曲であるが、終了直前のカデンツァは唯一ソリストの自由度が高い部分であり、そこではテンポを自由に揺るがせるが自然なものであり、絶品である。

諏訪内晶子の新しいレパートリーの披露は成功裏に終える。管弦楽の精緻な響きはさらにパワーアップされ、プロコフィエルの「古典」交響曲を演奏しているかのような新古典主義を思わせるような響きとまでなり、さらにテンションを高める演奏である。

休憩後、第三曲目のチャイコフスキー第五交響曲は、盛り上がって当然の曲であるし、事実盛り上がっているし、ソヒエフも小技を利かしていて良い演奏ではあるが、まあ普通に良い演奏と言うところであろうか。私にとってはなんと言うか、何と無く中途半端な感じである。クラリネット・ファゴットの自己主張が私にとっては弱いし、最終楽章コーダでトランペットの音程が乱れたようにも思えたし、どこか白熱戦に今ひとつなりきれてなくて、一方で響きは前半ほどの精緻さが消えている。いつものN響に戻ったのであろうか。昨日のドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの鮮烈な演奏を聴いたばかりであり、N響にとっては酷な環境ではあったのだろうけど。

と言う訳で、九か月振りに諏訪内晶子の演奏を聴けて、かつ諏訪内晶子とソヒエフの意図を緻密に表現しきったN響に感銘を受けた演奏会だったと、総括しておこう。

2013年11月23日土曜日

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン 名古屋公演 演奏会 評

2013年11月23日 土曜日
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)

曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 歌劇「フィデリオ」序曲 op.72b
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第4番 op.60
(休憩)
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第3番 op.55

管弦楽:ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン
指揮:パーヴォ=ヤルヴィ

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンは、2013年11月から12月に掛けてアジアツアーを行い、全てベートーフェンの曲目であるプログラムを二種類用意し、札幌・名古屋・武蔵野(東京都)・横浜・ソウル(大韓民国)にて歌劇・演奏会を開催する。

歌劇については、横浜みなとみらいホールで歌劇「フィデリオ」を演奏会形式で2公演上演する。これ以外の公演は全て演奏会であり、この名古屋公演と同一のプログラムである。演奏会は札幌・名古屋・武蔵野で1公演ずつとソウルで2公演開催される。

6月のマーラー室内管弦楽団のような、軽井沢と名古屋のみという程まで変わった形態ではないが、東京23区内での公演を一切行わない点に注目される。なお、約700名規模の中規模ホールでの公演は、アジアツアーを通してこの名古屋公演が唯一のものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。着席場所は、やや後方中央である。客の入りは八割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。

ベートーフェンはやはり最も素晴らしい作曲家であるため、楽譜通りきちっと演奏すれば、それだけで満足度の高い演奏会にすることができる。それなのに、そのようには決してしないヒネクレタ奴らが、本国ドイツにいたりする。上岡敏之率いるヴッパータール交響楽団、彼らが演奏するベートーフェンの第三交響曲は、日本では確か唯一松本市音楽文化ホールのみで演奏されたが、みんなが速く演奏する所を遅く、みんなが遅く演奏する所を速くする見事な演奏で驚嘆させられた。

2013年11月23日、再びヒネクレタ鮮烈なベートーフェンを演奏する集団を聴いた。ブレーメンの音楽隊だ。ブレーメンに行くロバでもイヌでもネコでもニワトリでもない、ブレーメンから来たドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンである。

パーヴォ=ヤルヴィは楽団員に苛烈な要求を繰り返す。まるでロバに対して虐待する飼い主のように。しかし楽団員はヤルヴィの指示に対して鮮烈に応えるのみならず、実に楽しそうに弾いている。特にヴィオラ首席の体をブンブン動かして音を作り出している様子といったら。

室内管弦楽団とは思えないパワフルな音づくりだ。二つのMCO、あの水戸室内管弦楽団やマーラー室内管弦楽団以上に力強い迫力で迫ってくる。その迫力は、フル-オーケストラを軽々と上回る。

交響曲第4番、この曲を「2人の北欧神話の巨人の間にはさまれたギリシアの乙女」などと評したロベルト=シューマンよ、君は何と言う過ちを犯したのだ。パーヴォの手に掛かるとこの曲は、可憐なイメージを覆し、苛烈なまでに躍動する硬派なリズムを刻みまくる曲となる。まるで「春の祭典」のような難曲と化す。

冒頭の序奏を実に繊細に弾いているのを見て安心していると、可憐なはずの「ギリシャの乙女」はその狂暴なまでの本性を剥き出しにしてくるのだ。なんと緊密なリズム感なのだろう。特に弦楽セクションは、死に物狂いのパッションを出してリズムを刻んでいく。クラリネットもその重要な役割を見事に果たし、ティンパニはクレッシェンドの閃光を炸裂させる。

比較するのは野暮な話だが、これはこれはオルフェオ-レコードの大看板とも言うべき、あのカルロス=クライバーと名盤と並び称される秀演だ。

後半の交響曲第3番、管楽セクションがパワーアップし、高く保ったテンションはそのままに、より完成度を上げて迫ってくる。「英雄」などという表題はどこかにうっちゃっておこう。純音楽的に傑出した演奏だ。死に物狂いに白熱する躍動感だけではない、叙情的に攻めるところは実に繊細に歌わせ、波をうねらせる。音量の大小、緩急の付け方は非常に大きい。第四楽章の冒頭の僅かな長さのフレーズでさえ、アッチェレランドをスパッと仕掛ける。曲のどこのフレーズをどのように見せていくか、その辺りのメリハリが実に巧みで、パーヴォの構成力の見事さが光る。

とにもかくにも、ベートーフェンに新たな生命を吹き込む演奏である。ピリオド楽器とかモダン楽器とか、ピリオド奏法とかモダン奏法とか、そんなものはどうでも良い。結果的に出てくる音、出てくる響きが全てである。その音、その響きが鮮烈で唖然とするしかない。

この11月、ヴィーン-フィルにもベルリン-フィルにもアムステルダム-コンセルトヘボウにも聴きに行けなかったが、行く必要はなかった。こんなことを言ったらこっぴどく叱られるかも知れないが、これほどまでに前衛的で戦闘的で叙情的で熱情的な演奏は、チケット4万円のヴィーンやベルリンやアムステルダムの輩には出来るはずがない。

アンコールは、ブラームスのマジャール舞曲第1番と、シベリウスの「悲しいワルツ」。プログラム本番と同様の見事な演奏であると同時に、「悲しいワルツ」ではpが五つほどつく程までの弱奏で攻めたりもする。しらかわホールならでは弱い弱奏なのだろうか。世界最高のベートーフェンを味わえた、土曜日の午後であった。

2013年11月21日木曜日

エマニュエル=パユ+ジャン-ギアン=ケラス+マリー-ピエール=ラングラメ 演奏会評

2013年11月21日 木曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
演奏会のテーマ「ザ-フレンチ-コレクション in 松本」
マックス=ブルッフ 「トリオのための8つの小品」より 第1番、第2番、第5番
ロベルト=シューマン 「幻想小品集」 op.73 (フルートとハープのみ)
ハンス=ヴェルナー=ヘンツェ 「墓碑銘」 (チェロのみ)
セルゲイ=プロコフィエフ 「10の小品」より 第7曲「前奏曲」 op.12-7 (ハープのみ)
ヨハネス=ブラームス 「2つの歌曲」 op.91
(休憩)
ヨゼフ=ヨンゲン 「トリオのための2つの小品」 op.80
クロード=ドビュッシー チェロとピアノのためのソナタ (チェロとハープのみ)(ピアノパートはハープによる演奏)
エリオット=カーター 「スクリーヴォ-イン-ヴェント」(「風に書く」) (フルートのみ)
モーリス=ラヴェル ソナチネ (フルートとハープとチェロのために独自に編曲)

フルート:エマニュエル=パユ
ヴァイオリン-チェロ:ジャン-ギアン=ケラス
ハープ:マリー-ピエール=ラングラメ

エマニュエル=パユはスイス連邦ジュネーブ生まれの、ベルリン-フィルハーモニーのフルート首席奏者である。ベルリン-フィルハーモニーが来日公演が11月20日で終わり、その翌日の演奏会である。

ジャン-ギアン=ケラスはカナダ国モントリオール生まれのチェリストで、この11月に来日ツアーを実施しており、無伴奏チェロ-ソナタ演奏会を東京・横浜・名古屋・西宮(兵庫県)で行うと同時に、室内楽を唯一この松本で演奏する。

マリー-ピエール=ラングラメはフランス共和国グルノーブル生まれの、ベルリンフィルハーモニーのハープ首席奏者である。ベルリン-フィルハーモニー来日公演での彼女の出番も、昨日で終わったのであろうか。

この三人がどうして松本のみで揃って演奏する事となったのかは、謎である。宣伝文句は、「パユ&ケラス&ラングラメ スーパースターが織り成す 美しき一夜限りの夢のトリオ」となっているが、この三人が揃って演奏するのは確かに松本のみであり、「一夜限り」と言うのは間違いない。

演奏会のテーマ「ザ-フレンチ-コレクション in 松本」となっているものの、ドイツ・ロシア・米国ものもあり、「フレンチ-コレクション」と言うのは「フランス語が母語の奏者をコレクション」したという意味なのか?まあ、演奏が良ければどうでもいいけど。

着席場所は、後方下手側である。客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であり、拍手のタイミングが適切であった。

全般的に、三人の奏者それぞれが適切な自己主張をし、特に後半のヨンゲン・ドビュッシー・カーターの三曲については、パッションが自然に込められており、かつ完成度が高い演奏であり、非常に優れた演奏である。

ベルリン-フィルの演奏会に忙しい二人は、特にパユが譜面を注視しているのが目立ったが、それでもフルートの見せ場ではその技巧を見せつけ、特にカーターのソロは秀逸である。

ラングラメは、特に後半の出来が良い。

それにしてもケラスのチェロは絶品である。パワーがあることは当然だとしても、一音一音の響きが絶品である。高音部の軽やかさから低音部の深い音まで、ニュアンスで攻めると言うよりは、一音一音の音色で攻めると言うのが良いのだろうか。

お相手は、フルートとハープ、どちらも華やかな楽器だ。チェロの見せ場とあれば、この二つの楽器をバックに従えて朗々とした響きで観客を見事に弾きつける。決して、通奏低音の下支え的でもなく、伴奏的でもない、堂々と主役を演じられる所に、ケラスの傑出した才能が感じられる。間違いなく、世界最高のチェリストの一人である。

アンコールは、イベールの「二つの間奏曲」である。

終演後のサイン会場は、松本にしては異常に賑わい、女性の比率が高かったが、パユ派とケラス派、または両方の肉食派が並んでいたのか。ベルリン-フィルの来日公演直後であり、リハーサルの時間も長くは取れない中でも、これほどまでの内容で演奏できると言うのは、さすがベルリン-フィルの首席奏者と思い知らされる演奏会であった。

2013年11月17日日曜日

マグダレーナ=コジェナ、プリヴァーテ-ムジケ 演奏会評

2013年11月17日 日曜日
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)

曲目:
演奏会のテーマ:愛の手紙

フィリッポ=ヴィターリ:美しき瞳よ
シジスモンド=ディンディア:酷いアマリッリ
ジウリオ=カッチーニ:聞きたまえ、エウテルペ、甘い歌を
ルイ=ドゥ-ブリセーニョ:カラヴァンダ-チャコーナ(※)
タルキニオ=メルラ:今は眠る時ですよ(子守歌による宗教的カンツォネッタ)
ガスパル=サンス:カナリオス(※)
シジスモンド=ディンディア:穏やかな春風がもどり
ビアジオ=マリーニ:星とともに空に
ジョヴァンニ=パオロ=フォスカリーニ:パッサメッゾ(※)
クラウディオ=モンテヴェルディ:苦悩はとても甘く
ジョヴァンニ=ジロダモ=カプスベルガー:トッカータ-アルペジアータ(※)
ジョヴァンニ=ジロダモ=カプスベルガー:わたしのアウリッラ
シジスモンド=ディンディア:ああどうしたら?もの悲しい哀れな姿でもあなたが好き
ジョヴァンニ=ジロダモ=カプスベルガー:幸いなるかな、羊飼いたちよ
ジョヴァンニ=パオロ=フォスカリーニ:シャコンヌ(※)
バルバラ=ストロッツィ:恋するヘラクレイトス
ガスパル=サンス:曲芸師(※)
タルキニオ=メルラ:そう思う者はとんでもない
クラウディオ=モンテヴェルディ:ちょっと高慢なあの眼差し
(※:古楽アンサンブルのみ)

メゾ-ソプラノ:マグダレーナ=コジェナ
古楽アンサンブル:プリヴァーテ-ムジケ
 ギター:ピエール=ピツル(リーダー)
 コラショーネ:ダニエル=ピルツ
 ギター:ヒュー=ジェームス=サンディランズ
 テオルボ:ヘスス=フェルナンデス=バエナ
 ヴィオローネ:リチャード=リー=マイロン
 パーカッション:マルク=クロス
 リローネ:フランシスコ=ホセ=モンテロ=マルティネス

1973年にチェコ(当時はチェコスロヴァキア)国ブルノ市で生まれたマグダレーナ=コジェナは、この11月にアジア-ツアーを行い、上海・香港・東京(タケミツメモリアル及び王子ホール)・名古屋・ソウルにて演奏会を開催する。この評は、11月17日に開催された名古屋公演に対してのものである。なお、最も理想的な環境である、十分な残響が保たれた中規模ホールでの開催は、このアジア-ツアーで名古屋公演が唯一のものである。

プリヴァーテ-ムジケはPrivate Musickeの表記で示すのがよりその本質を示すのであろうか。1998年に創設された古楽アンサンブルである。

演奏者は、舞台下手側からヴィオローネ→リローネ→ギター→パーカッション→歌い手(マグダレーナ=コジェナ)→ギター→テオルボ→コラショーネの順に、半円状に配置される。

ヴィオローネとリローネは、それぞれヴィオール属弦楽器のコントラバスとチェロに相当する楽器であり、テオルボとコラショーネは、それぞれ低弦リュートと通常のリュートと位置付ければ、モダン楽器との連想がし易いか。弦が下手側、中央にギターとパーカッション、リュートが上手側と考えて差し支えない。

着席位置は正面後方中央、観客の入りは8割程。観客の鑑賞態度は良好であったが、特に拍手のタイミングが完全に曲が終わってから為されていて、その点で好感が持てる。いずれの曲も、終わりが分からず、拍手をして良いか不安だから、このような結果にもなるのだろうけど、狙ってやっているのか。マグダレーナがニコッとしたら、拍手をしても良いらしい。

マグダレーナは濃いピンク色のワンピース姿で裸足で歌う。田舎の若い娘のようでもある。演奏会は、下手側の扉から入場する所から演奏しながら始められる。調性の合う複数の曲をまとめて演奏する形で進められる。

歌なしの曲で始まり、そのまま歌ありの曲に入っていく展開もある。曲は世俗的な内容で、軽やかな調子の曲が多い。スペイン邸宅の庭で、ギターにより恋の歌を弾き語りしているかのような雰囲気でもあるし、南米のフォルクローレ、あるいは、歌が上手なジャズシンガーのバラードを聴いているような気分にもなる。何百年も前のポピュラー音楽を、21世紀に蘇られたというべきなのか。

マグダレーナの調子はとても良い。第一曲目でしらかわホールの響きを掴み取り、もうその次の曲からは完成度の高い響きで観客の心を掴んでいく。アンサンブルに巧く乗っかった響きでありつつも協調的であったり、舞台前方に出て来てメゾソプラノならではの、ちょっとカルメンチックな迫力を出して歌ったりもする。そうかと思えば若い娘役のソプラノのように軽い声質で歌ったり、曲に応じてメリハリを自由自在に効かせ、実に気持ち良い。

プリヴァーテ-ムジケはヴィオール属の楽器だったりリュート系だったりするので、音量が小さいが、しらかわホールの残響の効いた響きにより、弱い音でも的確に響いてくる。そのような小さな音量の中でも、こちらの方もメリハリを的確に効かせ、あたかもマグダレーナの専属楽団を思われるような、一体感を感じさせる響きだ。パーカッションの音には、アフリカ音楽のような「原始的」な響きが感じられるところもあり、音楽の本質は案外普遍的なのだなと思わせたりする。

プログラムの全19曲は、休憩なしで演奏された。もちろんチューニングは必要なので、小休止くらいはあるのだが、休憩で緊張感がブレイクされることもなく、休憩なしの狙いは達成されていると考える。

アンコールは三曲あり、カプスベルガーのGia Risi、ディンディアのSfete Frrmate、フレスコバルディのSe L’aura Spiraである。マグダレーナは指を鳴らすのも上手で、曲を見事に導入させたりする。

日本ではなかなか聴けない古楽アンサンブルを背景に見事な歌声を味わう事ができ、五百年昔の音楽でありながら新鮮な響きでとても見事な演奏であり、幸せな気分になる演奏会だった。

2013年11月16日土曜日

第92回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 演奏会評

2013年11月16日 土曜日
紀尾井ホール (東京)

曲目:
フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ 弦楽のためのシンフォニア第7番
ロベルト=シューマン ピアノ協奏曲 op.54
(休憩)
フランツ=シューベルト 交響曲第5番 D485

ピアノ:ペーター=レーゼル
管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京
 ゲスト-コンサートマスター:アントン=バラホフスキー
指揮:イェルク-ペーター=ヴァイグレ

紀尾井シンフォニエッタ東京は、ペーター=レーゼルをソリストに、イェルク-ペーター=ヴァイグレを指揮者に迎えて、2013年11月15日・16日に東京-紀尾井ホールで、第92回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

1945年にドレスデンで生まれたペーターレーゼルは、この11月に来日し、全て紀尾井ホールにて計4公演に臨む。その内容は、11月7日に室内楽、11月9日にソロ-リサイタル、11月15・16日に紀尾井シンフォニエッタ第92回定期演奏会のソリストとしての公演である。

指揮のイェルク-ペーター=ヴァイグレは旧東ドイツ出身の指揮者でクルト=マズアに師事した。歌劇場・合唱の指揮の経験も豊富であるようだ。ゲスト-コンサートマスターのアントン=バラホフスキーはロシア連邦ノボシビルスク生まれで、現在バイエルン放送交響楽団の第一コンサートマスターである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。

着席位置は正面後方中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は良好であった。

第一曲目はメンデルスゾーンの「弦楽のためのシンフォニア第7番」である。冒頭弦の響きの細さが気にはなるが、しり上がりに良くなっていき、第四楽章では熱を帯びる演奏となる。第四楽章では、12-13歳の作品とは思えないメンデルスゾーンの天才ぶりを再現させる。

第二曲目、シューマンのピアノ協奏曲は、ソリストと管弦楽とは協調的な方向性であり、ソリストを立てる方向性の音の響きである。ペーター=レーゼルのピアノは、ユジャ=ワンやマルタ=アルゲリッチとは対極にあるのだろう。ダイナミックレンジを敢えて拡げず、奏者による装飾を敢えてつけず、楽譜を深く読み込み解釈したらこうなるのだろうという説得力がある。テンポの変動は、11月9日のピアノ-ソロ-リサイタルの時よりはつけている形だ。

欲を言えば、クラリネットにもう少し朗々とした響きがあれば、第一楽章のピアノとクラリネットとの二重奏が活きたかも知れない。特に、個人的に印象的なのは第二楽章である。

ソリスト-アンコールは、シューマンの「子どもの情景」より「トロイメライ」であった。

休憩後の第三曲目は、シューベルトの第五交響曲である。冒頭の弦の響きはやはり細い。指揮者の指示によるものであろうか。あまり強い自己主張がない演奏で、室内管弦楽団ならではの精緻さ、あるいは技巧的な完璧さを活かしたかと言えば若干の疑問が残る、まあまあ普通の演奏ではある。どの音符も失敗すれば目立つプレッシャーを与えられる木管は良い出来で、フルート、オーボエとも良いアクセントを与えている。ホルンの響きも、よく管弦楽に溶け込ませていた。

2013年11月9日土曜日

ペーター=レーゼル ピアノ-リサイタル 評

2013年11月9日 土曜日
紀尾井ホール (東京)

曲目:
フランツ=シューベルト 「楽興の時」 op.94 D780
ヨハネス=ブラームス 「2つのラプソディ」 op.79
(休憩)
カール=マリア=フォン=ヴェーバー 「舞踏への勧誘」 op.65
ロベルト=シューマン ピアノ-ソナタ第1番 op.11

ピアノ:ペーター=レーゼル

1945年にドレスデンで生まれたペーターレーゼルは、この11月に来日し、全て紀尾井ホールにて計4公演に臨む。その内容は、11月7日に室内楽、11月9日にソロ-リサイタル、11月15・16日に紀尾井シンフォニエッタ第92回定期演奏会のソリストとしての公演である。この評は、11月9日に開催されたソロ-リサイタルに対するものである。

着席位置は、一階ど真ん中より少し後方かつ上手側である。客の入りは八割くらいであろうか。聴衆の鑑賞態度は概ね良好であったが、アンコール一曲目で小銭入れを弄び、コインの音がしたのが気になった。「舞踏への勧誘」でフライング拍手があったが、これは作品の特質上やむを得ないところがある。まあ、演奏者の明確な合図があるまでは拍手をしないというルールが確立されていれば、避けられた話ではあるが。

全般的には、古典的な様式、と言うのが不適切であるのならば、硬質な堅固さを伴った、過剰な感情を排しつつもロマン主義をほのかに感じさせる演奏と言ったらいいか。技巧を見せつける訳でもなく(念のために申し上げれば、技巧面では完璧で問題は全くない)、派手に演出をする訳でもなく、ただただ楽譜を深く理解しその結果自ずから生じてくる音を弾いていくというスタイルである。

後半はややドラマティックな表現とはなるが、その基調にかわりはない。

特に個人的に好みは、「楽興の時」第五・第六楽章と、「2つのラプソディ」、「舞踏への勧誘」、三曲のアンコールである。アンコールの曲目は、ブラームスの「幻想曲集」より第1曲奇想曲 op.116-1、シューベルトの「即興曲集」より第2番 D935 より第2番 op.192-2 D935、ブラームスの「ワルツ」 op.39-15であった。

2013年11月8日金曜日

第517回 新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 演奏会評

2013年11月8日 金曜日
すみだトリフォニーホール (東京)

曲目:
グスタフ=マーラー 交響曲第7番「夜の歌」

管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団(NJP)
指揮:ダニエル=ハーディング

新日本フィルハーモニー交響楽団は、ダニエル=ハーディングを指揮者に迎えて、2013年11月8日・9日に、第517回定期演奏会を開催した。この評は、第一日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、ダニエル=ハーディングのいつもの配置である。木管パートは後方中央、ホルンは意外にも後方上手側、その他の金管は後方中央の位置につく。マンドリン・ハープは後方下手側である。

着席位置は一階正面中央下手側、客の入りは8割くらいである。観客の鑑賞態度は第一部前半では拍手のタイミングが若干早かったものの、かなり良好であった。第二部では極めて良好であった。

なお、ほぼ同じ時刻かつ同じ曲目で、エリアフ=インバル指揮東京都交響楽団演奏会も実施されており、この意味でも注目されていた。

管楽器は失敗を恐れず、とにもかくにも響かせる。成功するかしないかは度外視して、ダニエル=ハーディングの意図を実現しようと努力が感じられる。弦楽器はいつものNJPらしく細い響きである。

第一楽章の最後の場面や、第五楽章は、全ての楽器の精度が確保され、ハーディングのしなやかな表現が見事に実現されている。弦楽器が重要な位置を占めながら、その弦の響きが細い中での、第三楽章の組み立てが良く出来ている。ハーディングの構築力が活きている。第509回定期演奏会に於ける、マーラー第六交響曲の時とは違って、ホルンの響きがきれいであり、また要所でヴィオラ・チェロがよく響かせている。

総じて、わざとらしくはない演奏で端正さを保つ意図が感じられ、NJPはその技量の中で実現に向けて努力し、特に第五楽章でその努力が実り、説得力のある演奏となった。

2013年11月3日日曜日

イザベル=ファウスト ヴァイオリン-リサイタル 評

2013年11月3日 日曜日
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)

曲目:
第一部
ヨハン=セバスティアン=バッハ:ソナタ第1番 BWV 1001
ヨハン=セバスティアン=バッハ:パルティータ第1番 BWV 1002
ヨハン=セバスティアン=バッハ:ソナタ第2番 BWV 1003
(事実上の休憩)
第二部
ヨハン=セバスティアン=バッハ:パルティータ第3番 BWV 1006
ヨハン=セバスティアン=バッハ:ソナタ第3番 BWV 1005
ヨハン=セバスティアン=バッハ:パルティータ第2番 BWV 1004

ヴァイオリン:イザベル=ファウスト

着席場所は、ど真ん中より僅かに上手側である。チケットは完売している。観客の鑑賞態度は第一部前半では拍手のタイミングが若干早かったものの、かなり良好であった。第二部では極めて良好であった。

ヨハン=セバスティアン=バッハの無伴奏ヴァイオリン作品全曲演奏会である。チケットは第一部と第二部をそれぞれ別売りもしていた。

今回の来日公演で、イザベル=ファウストはこの公演の他、10月31日に東京、11月2日に宮崎でチェコ-フィルハーモニー管弦楽団との、ベートーフェン作ヴァイオリン協奏曲のソリストとして出演している。また、10月27日には横浜フィリアホール(横浜市)でリサイタルを行っているが、違う曲目をプログラムとしているため、バッハの無伴奏ヴァイオリン作品全曲演奏会はこの公演が唯一のものである。

第一部。
期待通りの高水準の演奏で始まる。チェコ-フィルハーモニー管弦楽団との共演で見せたニュアンスに富んだ演奏がそのままソロ-リサイタルに反映される。604席規模の、彩の国さいたま芸術劇場の残響との相性も完璧である。

第二曲目、パルティータ第1番BWV1002後半辺りから、単に高水準の優れた演奏というだけでない高い次元へ没入する。イザベル=ファウストにサンタ-チェチーリアが乗り移り、いと高きところとの媒介者となる。

速い楽章での、超絶技巧に裏打ちされた集中力漲る演奏というだけではない。緩徐部のニュアンスは絶品だ。伸びやかと言うだけではない、その瞬間瞬間に霊感が宿るフェルマータ。ソナタ第2番BWV1003を聴いている時、ホールの空間に聖霊が漂うのを見た。イザベルを媒介者として、主と聖霊と観客との三位一体が実現していた。

まさしく、バッハの無伴奏演奏で至高の演奏だ。

第二部
比較するのは無粋であるが、ヒラリー=ハーンを超える演奏となるのが確実視される中で、第二部が始まる。

ここからイザベルに疲れが明らかに出始めた。75分間の事実上の休憩の際に、日本ツアーで溜まった疲労がどっと出てきてしまったのだろうか。BWV1003で聴かせてくれたニュアンスは消えてしまう。つま先立ちから踵を落とす音が響いてくる。気迫を込めているものの、肉体がついていけない。完璧なる技術にも綻びが目立ち始める。高音の不用意な音は、恐らく楽譜には載っていない音だろう。

ヴァイオリンの無伴奏は、約90分くらいの実演奏時間でとどめ、かつアンコールはやらないものらしい。昨日は宮崎でベートーフェンの協奏曲をやり、今日の朝の飛行機で(ビジネスクラスがある便がありかつ宮崎の公演後与野の公演に間にあう便は、朝しかない)宮崎から与野に移動してこのリサイタルの準備を行い、本番となる。

第三曲目BWV1004の第四楽章を終えた時点で、演奏時間は135分、ここからシャコンヌに入る。ベストの状態では決してないが、最後の気力でシャコンヌを成立させていく。前四楽章よりも状態は良くなっている。

曲が終わり静寂が訪れる。観客も誰ひとり不適切な行動をせず、一分近くもの沈黙を守る。イザベルが合図をし、暖かい拍手でプログラムを終える。長い旅を一緒に終えた達成感を共有したのだ。

150分もの長時間の演奏であったのにも関わらず、アンコールが一曲演奏される。ピゼンデルの無伴奏ヴァイオリン-ソナタから第1楽章である。

今回は冒険的なプログラムであるが、チケットは完売となり、第一部後半での傑出した演奏を聴く事が出来た。今回のプログラムがどのような経緯で決まったのかは不明であるが、彩の国さいたま芸術劇場側の主導によるものであるのならば、このような冒険的な精神は維持してほしい。

しかしながら、バッハの無伴奏ヴァイオリン作品全曲を行うに当たっては、興行上はなかなか難しいところではあるが、150分もの無伴奏である事を踏まえると、二日に分ける演奏形態が望ましいようにも思える。例としては、アンジェラ=ヒューイットは名古屋にて、「フーガの技法」をこの10月20日・22日に分けて全曲演奏を行った。「フーガの技法」はそれぞれ休憩後の後半に置き、前半は関連性のある別の曲目であったが、この形態は参考になるかと思われる。

また、ヒラリー=ハーンがこの5月に日本ツアーをした際に、シャコンヌを前半の最後に置いた意味が良く分かった。興に乗りかつ疲労が出ないタイミングでのシャコンヌは、雑多なプログラムではあったが、シャコンヌを演奏するタイミングとしては正解の一つであったのだ。

2013年11月2日土曜日

チェコ-フィルハーモニー管弦楽団 宮崎公演 評

2013年11月2日 土曜日
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)

曲目:
ミハイル=グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン:ヴァイオリン協奏曲 op.61
(休憩)
ヨハネス=ブラームス:交響曲第1番 op.68

ヴァイオリン:イザベル=ファウスト
管弦楽:チェコ-フィルハーモニー管弦楽団
指揮:イルジー=ビエロフラーヴェク

チェコ-フィルハーモニー管弦楽団(以下「チェコ-フィル」)は首席指揮者イルジー=ビエロフラーヴェクとともに、2013年10月27日から11月4日までに掛けて、京都・松戸(千葉県)・東京(2公演)・宮崎・川崎・名古屋にて、計7公演の来日公演を実施する。共演者は、ヴァイオリンはイザベル=ファウストとヨーゼフ=シュパチェック(チェコ-フィルのコンサートマスター)の二人、ヴァイオリン-チェロはナレク=アフナジャリャン、ピアノは河村尚子である。

イザベル=ファウストは、チェコ-フィルとの二公演の他、横浜フィリアホール(横浜市)と彩の国さいたま芸術劇場(埼玉県与野市)でのリサイタルがある。

イザベル=ファウストとの共演は、10月31日の東京サントリーホールとの公演と本公演の二公演のみとなる。

サントリーホールの音響には問題があり過ぎ、例え週末の公演であったとしてもとても聴くに耐えるホールではない。宮崎県立芸術劇場を選ぶのは当然の選択である。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラの配置で、コントラバスは中央最後方に八台一列に並ぶ、モダン-オーケストラとしては珍しい形態だ。木管パートは後方中央でコントラバスの前、ホルンは後方下手側、その他の金管は後方上手側の位置につく。

着席場所は、ど真ん中より僅かに前方かつ下手側である。客の入りは7割ほど。観客の鑑賞態度はかなり良好である。

「ルスランとリュドミラ」序曲は、普通の出来である。

二曲目、ベートーフェンのヴァイオリン協奏曲のソリストはイザベル=ファウストである。イザベルが調子に乗り出したのは、第一楽章カデンツァからだ。カデンツァはティンパニも加わったものであるが、今年6月15日に開催された軽井沢大賀ホールでのクリスティアン=テツラフ+マーラー室内管弦楽団とも違うカデンツァのように思えたが、気のせいか。

イザベルはニュアンスを前面に出した演奏で、第二楽章も良いし、第三楽章では、ここでこうくるかと唸らせる一音もある。特に技巧的な聴きどころをゆっくりと絶妙なるニュアンスを効かせてくる点が素晴らしい。パワーを前面に出さないニュアンス指向の奏者が、大管弦楽相手にこれだけやれるだけ見事なものだ。

理想を言えば、テツラフのように800席前後の音響の良い中規模ホールでの開催であれば、イザベルにとっては最も適した状況ではあったのだろうけど。

ソリスト-アンコールは一曲あるが、飛行機に乗り遅れそうな状況だったため記録できなかった。

休憩後の後半は、ブラームスの第一交響曲である。最初がゆっくり目である他は、普通のペースで、小刻みなテンポの変動はなく、堂々とした演奏といったところか。

ヴァイオリンの圧倒的な強みを軸にしている演奏だ。管楽器は、超絶技巧の持ち主の技量ではないけれど、それでも要所要所で確実に決めている。フルートの存在感が映えている。金管は控えめな響きではあるが、第四楽章の始めの部分での、ホルンとトランペット(?)との掛け合いの部分がきれいに決まるなど、地味に溶けあう演奏になっていたように思う。

ヴァイオリン以外は自己主張はあまりなく、一つの管弦楽としてのまとまりを重視した演奏なのであろうか。全員がベルリン-フィルハーモニーほどの超絶技巧の持ち主でない条件下で、何故かそのような技量などどうでもよいと思わせる方向性での音作りを、イルジー=ビエロフラーヴェクが実現させている。各奏者の技量を把握し、実力以上というか、実力をフルに活かす演奏を構築した点が、目立ちはしないがビエロフラーヴェクの指揮者としての力量を感じる。

アンコールは三曲あり、おそらく10月30日のサントリーホールでの公演の時と一緒であろう。ブラームスのハンガリー舞曲5番が第一曲目である。第二曲目はスメタナの歌劇「売られた花嫁」序曲であるが、各楽器がソリスティック(と言うのが適切であるのかは不明であるが)に出るべき箇所でパッションを強く出す印象的な演奏で、傑出した演奏である。この二曲目で観客を熱狂させた後で、第三曲目では「ふるさと」で締める。反則と言っても良いアンコール選曲の絶妙さを持って、予想外のスタンディングオベーションで演奏会を終える。最後に一人だけ呼び出される、イルジー=ビエロフラーヴェクのうれしそうな顔が印象的であった。