2015年11月22日日曜日

Mito Chamber Orchestra, the 94th Subscription Concert, Toyota performance, review 水戸室内管弦楽団 第94回定期演奏会 豊田公演 評

2015年11月22日 土曜日
Sunday 22nd November 2015
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551

pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi

水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催した。この評は、第三日目の豊田市コンサートホールでの公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面僅かに後方上手側、観客の入りは、8割強か?岐阜にて同時にバッハ-コレギウム-ジャパンの演奏会があったのは不幸で、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ハイドンの最終楽章で長めのパウゼを掛けた箇所で拍手が出てしまった。やっちもうたなあ。

コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。

一曲目のハイドン交響曲第102番は、序盤こそホールのアウェイ感があったものの、いつの間にか初めてであるはずのホールに馴染んでいる。やはり響きが水戸芸術館と違い、美しい。最終楽章で、パウゼを長く取る箇所で拍手が出てしまったので、もう一箇所長くパウゼを取る場面では、昨日の公演よりも短めにしている。

二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃えて始まる。そこから夢見るような時間が始まるが、響きはより美しい。

ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。ここまでは昨日と変わりないが、ホールが変わり、ピアノがよく響き、埋没しがちな昨日の公演と違い、ピアノと管弦楽とのバランスが絶妙である。

特に第二楽章は、ひたすら響きに溺れる。天井を向き恍惚とした表情で美しい響きのシャワーを浴びる。

そこには、ピアノと管弦楽との間の、「何か折り合いをつけた」と言うのとは全く違う、自然な絡み合いがある。ピアノと管弦楽とホールとの、美しい三位一体が実現されている。

児玉桃も本当に気持ち良く弾けたのだろう、アンコールが披露され、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が演奏されて休憩となる。

三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、昨日のガチガチに固い、正直聴いていて苦痛な演奏とは打って変わっている。

管弦楽のパッションがホールに美しく響き、その響きが管弦楽と観客のテンションを上げていく。

昨日より柔軟なテンポ設定のように感じられる。ピリオド派の活き活き路線ではないのだが、ホールが広上淳一の意図を実現させていくのだ。

管弦楽が奏でる一音一音が実に美しい。弦楽も、管楽も、伸びやかに心地よく響いてくる。バロック-ティンパニも良く聴こえる。

一つ一つの響きが説得力を持ってくる。そこにモーツァルトがいる。そこに水戸室内管弦楽団の響きがある。

管弦楽の自発性も活きまくり、終盤のホルンの大胆で美しい響きが最後の効果的なアクセントを与え、恍惚とした気持ちで天井を向いて最後の一音を聴く。音が鳴り止む。両側バルコニーからのbravoの声が響く。

大人しい水戸芸術館の観客とは違う反応に続き、熱い拍手が送られる。

初めてのホールなのに、本拠地での公演を圧倒的に上回る内容だ。ホールの響きは重要だ。奏者のパッションを美しく響かせる残響は、西洋古典音楽の命である。

演奏者・観客・ホールが三位一体となって、今日の演奏会を作り上げた。

豊田市コンサートホール、万歳!水戸室内管弦楽団、万歳!

2015年11月21日土曜日

Mito Chamber Orchestra, the 94th Subscription Concert, review 第94回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2015年11月21日 土曜日
Saturday 21st November 2015
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551

pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi

水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催する。この評は、第二日目の公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方上手側、観客の入りは、正面席は補助席を用いた程の、かなりの入りである。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ピアノ協奏曲で出た話し声は何だったのだろう?指揮者から思わず出た声だと信じたいが。

コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。

一曲目のハイドン交響曲第102番は、精度よりは躍動感を志向しているが、楽しい演奏だ。最終楽章では、パウゼを長く取るなど、広上淳一の独自の解釈をも入れてくる。濃厚な響きであるが、愉悦感がある演奏だ。

二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃え、水戸芸術館の音響にぴったりあった響きでニュアンスをつけて、管弦楽が始まる。これがモーツァルトなんだ、これが水戸室内管弦楽団なんだ、と思わせる、幸せな時間だ。

ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。

控えめな表現のソリストと、元気いっぱいの管弦楽とで、折り合いをつけた形のコンビネーションである。

三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、好みが分かれる演奏だ。正直に申し上げると、私の好みではない。

全般的に遅めのテンポで、かつテンポの変動をかなり制限し、その基盤の上に濃厚に演奏するスタイルだ。ピリオド派の活き活きとした演奏のアンチテーゼを示したいのだろうか?

管弦楽は、広上淳一の意図をくみ取り、パッションを込めて演奏する。管弦楽は実に見事である。

しかしながら、愉悦感は全くない。およそ広上淳一らしくない展開で、一曲目で感じられた愉悦感が消え去り、聴いていて疲れる演奏である。

あれだけの演奏を管弦楽はしているのだから、曲を活かすも殺すも広上淳一次第の状況であるが、果たしてこれがモーツァルトであるのか?そう問われれば、私にとっては否だ。

どんなに見事な演奏をしても、単にクソ真面目なだけで、そこに巧みな構成を与えなければ、何らの説得力を持ち得ず、そこには音楽の悦びはない。もう少し、指揮者から何らかの工夫を注ぎ込む事は出来なかったのか?

アンコールはなかった。

2015年11月14日土曜日

Christian Tetzlaff, Sonate e partite per violino solo di Johann Sebastian Bach, Tokyo performance (14th November 2015), review クリスティアン=テツラフ バッハ無伴奏 東京公演 感想

2015年11月14日 土曜日
Saturday 14th November 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.1 BWV1001
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.1 BWV1002
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.2 BWV1003
(休憩)
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.2 BWV1004
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.3 BWV1005
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.3 BWV1006

violino: Christian Tetzlaff

クリスティアン=テツラフは、2015年11月14日、バッハ無伴奏ソナタ・パルティータ
全曲演奏会を、紀尾井ホールにて行った。

着席位置は後方正面わずかに下手側、チケットは完売した。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、一階後方上手側から、何かを叩くような音が持続的に聞こえる箇所があった。そのノイズは微かな音量であるが、持続的に確実に聞こえたため、BWV1004を聴くに当たって相当なダメージがあった。

ほぼ普段着による衣装で、無伴奏を135分に渡り弾き続ける事を考慮した、動きやすさを重視したと思われる衣装である。

紀尾井ホールの響きを熟知し、全般に渡り明るく強い音色である。BWV1003・1004が特に素晴らしい。構成・ニュアンスともに高い完成度である。バッハという事もあるのか、テツラフ節は控えめであった。休憩が30分しかなかったが、最後のBWV1006に至るまで力尽きる事はなかった。

アンコールは、パリでの大量殺戮事件を踏まえ、フランスの人々のためにBWV1003からアンダンテ楽章が捧げられた。

2015年11月10日火曜日

Maria João Pires + Julien Libeer , recital in Matsumoto, review マリア=ジョアウ=ピレシュ + ジュリアン=リベール リサイタル 感想

2015年11月10日 火曜日
Tuesday 10th November 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Franz Schubert: Allegro per pianoforte a 4 mani “Lebensstürme” D947 op.144(人生の嵐)
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n. 31 op.110 (Pires)
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n. 30 op.109 (Libeer)
Franz Schubert: Fantasia per pianoforte a quattro mani D940 op.103

pianoforte: Maria João Pires + Julien Libeer

マリア=ジョアウ=ピレシュは、2015年10月から11月に掛けて来日し、多数の演奏会を上演する。アントニオ=メネセスとの共演の他、若手ピアニストの教育事業の一環としての共演もあり、形態は多彩である。松本市音楽文化ホールでの公演は、ジュリアン=リベールとの共演となる。Schubertは四手のためのピアノ曲のため、両人で演奏し、Beethovenはop.110はピレシュ、op.109はリベール単独での演奏となる。

着席位置は後方やや上手側、客席の入りは6割程であった。観客の鑑賞態度は、前半に電子音のノイズ(補聴器?)が小さな音であったものの、持続的に鳴り響いていたのが残念だった。また、演奏内容に比して観客のテンションが低かった。

本日のピアノは、マリア=ジョアウ=ピレシュの出演に関わらず、(ヤマハじゃなくて)スタインウェイである。松本市音楽文化ホールでかなりの確率で使われる、ツヤ消し黒のスタインウェイである。松本市音楽文化ホール、ヤマハのピアノ、なかったっけ?それとも、使用頻度が低くて、状態が悪かったのか?あと、リベール氏も出演するために、ヤマハを使用する義務が免除されたのか?

一曲目のシューベルト D947 から素晴らしい演奏である。松本市音楽文化ホールの長い残響を伴う響きは、序盤で適切に把握される。

Beethoven op.110 は、マリア=ジョアウ=ピレシュによる演奏である。言葉でその素晴らしさを表現するのは難しいが、構成が良く考えられ計算されているのは当たり前として、繊細で上品で、深い響きで魅了される。弱音も含めて緊張感を伴う。単に綺麗な響きという訳ではない、霊感を感じさせるものだ。

ジュリアン=リベール単独で、Beethoven の op.109 最初はクリアな音色で攻めて来たが、次第に曲に没入していく演奏だ。若いのにop.109の難曲をそこまで弾けただけ素晴らしい。さすが、マリア=ジョアウ=ピレシュの生徒だ。

最後の、シューベルトの幻想曲 D940 は、マリア=ジョアウ=ピレシュが高音側の担当だ。どの音も深みはあり、どんなに激しい曲想の箇所でも決して上品さを失わない。低音側のリベールとの相性も完璧である。

Schubert も Beethoven も、曲を深く解釈した演奏であり、どこにもハッタリだとか、これ見よがしの見せ付けの要素は、どこにもない。激しく演奏する場面には、必ずその必然性が感じられる。だからこそ、上品さが保たれ、深みを感じさせる演奏になるのだろう。

アンコールは、クルタークの「シューベルトのへのオマージュ」であった。

2015年11月8日日曜日

Ballet Nacional de España, Osaka performance (November 2015), review / スペイン国立バレエ団 大阪公演(2015年11月) 感想

昨日・今日と、大阪のフェスティバルホールに行きまして、エスパーニャ国立バレエ団 (BNE / Ballet Nacional de España) (スペイン国立バレエ団)の公演を二公演、観劇しました。

11/7公演は、「ファルーカ」「ビバ-ナバーラ」「ボレロ」、ここで休憩を置いて後半は、「セビージャ組曲」の演目。

11/8公演は、「マントンのソレア」「ボレロ」、ここで休憩を置いて「セビージャ組曲」の演目でした。

「バレエ団」という名称ではありますが、皆さんが想像されるような「白鳥の湖」のような古典演目も、先日、新国立劇場バレエ団が上演した「ホフマン物語」のような、物語系演目も、キリアンのようなコンテンポラリー-ダンスも、演じません。

バレエと言っても、バレエ-フラメンコ、要するにフラメンコです。普通のバレエは、CNDエスパーニャ国立ダンスカンパニーで演じます。ダンスカンパニーの方は、昨年、名古屋・横浜で上演したので、記憶に残っている方も多いでしょう。

どうしてこのような逆転現象が起きたのですって?まあ、歴史的経緯なり、大人の事情なのではないでしょうか??

しかしながら、BNEのダンサーの多くは、普通のバレエの素養を持っています。振り付けはどう考えても、バレエのものとしか思えない箇所が多いです。もちろん、どの演目も足踏みのフラメンコの要素は保っています。フラメンコとバレエを融合させたと言うのが、私の理解です。

やはり、「ボレロ」と「セビージャ組曲」の二つは、このBNEの鉄壁演目です。

「ボレロ」は男性ソロと女性群舞・男性群舞とで構成され、二回目の繰り返しからずっと男性ソロが踊り続けます。両日とも、セルヒオ=ベルナルでした。

セルヒオの踊りはとにかく優美で、緩やかなテンポの所作が完璧なテンポ感でしなやかに決まっております。また、シャープに決めるべき箇所も決して優美さを失わない点が凄いです。演技力を重視するバレエファンの方は多いですが、純舞踊的技術の完璧さは、やはり大事です。

日本のバレエ団に於ける男性ダンサーの課題は、如何に優美さと躍動感とを高い次元で両立させるかにあるような気がします。

セルヒオは、まさに両方満たしています。多分、BNEの看板ダンサーなのではないでしょうか。

やはりこの「ボレロ」はBNEしかできない演目です。普通のバレエとフラメンコ双方の高度技術が必要なのと、セルヒオ=ベルナルの存在です。足踏みの音は、お立ち台版では実現不可能でしょう。衣装は赤と黒だけを用いたシンプルなものですが、とても美しいです。女性の方は、上半身裸であるセルヒオの肉体美にメロメロになられた事でしょう♪

後半は「セビージャ組曲」も、BNEの総力を結集した演目です。

「エスペランサ」の場面と思われる箇所の、白い女性ダンサーソロは、日替わりでした。

11/7公演のミリアム=メンドーサさんは、リフトされた状態での揺るぎの無さはもちろんのこと、終始様式美を完璧に保っておりました。このようにあるべき という所で完璧に美しく踊っております。

11/8公演のインマクラーダ=サンチェスさんは、11/7の「ビバ-ナバーラ」の時は私の心に入って行きませんでしたが、今日は素晴らしかったです。

「バイラオール」での六人の男性群舞はシャープで迫力がありました。

「夢の散歩道」の官能的な場面を経て、最後の「歓喜」の場面はいつまでも続いて欲しいほどです。ソロなしの26人による群舞は、フォーメーションが巧みでお祭りを思わせるものでありました。終盤部分をアレンジしたアンコールもあり、巧みな構成に驚愕します。
BNEの「ボレロ」と「セビージャ組曲」は、何度観ても飽きないでしょう!

新旧合わせて、初めてのフェスティバルホールは、気持ちを高揚させて終わりました。

2015年10月24日土曜日

Gidon Kremer & Kremerata Baltica, Nagoya performance, review ギドン=クレーメル + クレメラータ-バルティカ 名古屋公演 評

2015年10月24日 土曜日
Saturday 24th October 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Александр Раскатов / Alexander Raskatov: After “The Seasons”
Phillip Glass: Concerto per violino e orchestra “American Four Seasons”
(休憩)
梅林茂 / Umebayashi Shigeru: “Japanese Four Seasons” for violin and string orchestra
Astor Piazzolla: “Las Estaciones” (ブエノスアイレスの四季)

violino: Gidon Kremer (ギドン=クレーメル)
orchestra: Kremerata Baltica
direttore: Gidon Kremer (指揮:ギドン=クレーメル)

クレメラータ-バルティカは、創設者であるギドン=クレーメルがソリスト兼指揮者となって日本ツアーを率いた。日本での公演は、サントリーホール(東京)、神奈川県立音楽堂(神奈川県横浜市)、愛知県芸術劇場(愛知県名古屋市)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)の四箇所であり、いずれも大きめの会場ではあったが、間違いなく愛知県芸術劇場が最も理想的な会場である事は言うまでもない。

弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置であった。

着席位置は二階階正面下手側、客の入りは6割程であろうか、三階席に空席が目立った。観客の鑑賞態度については、概ね良好だった。

ギドン=クレーメルはクレメラータ-バルティカという室内管弦楽団規模の弦楽アンサンブルを創設したことは正解だったと思う。クレーメルとのバランスが自然に取れているし、特に後半では鋭い響きを的確に響かせている。愛知芸文は少し大きいかとも前半思ったが、後半でその認識は覆った。

クレーメルの構成は的確で、かつ繊細に奏でている。音量が特別あるわけではないが、求心力がある。今日はチケット購入時の制約により下手側の席であったが、クレーメルとチェロのソロとの掛け合いを正面から観るのと同然の形となったのは、幸せだった。

クレーメルはやはり大家である。ソロの場面での弱音でさえ感じられる求心力や、クレメラータ-バルティカとの完璧に取られたバランス、この場所ではこのように演奏するべきとの計算とそのように導く統率力、こう言った箇所で大家だと感じられる。

三曲目では、日本の作曲家である梅林茂による「日本の四季」であるが、彼に作曲を依頼し、ドイツでの世界初演から一カ月足らずで名古屋で披露した事を高く評価したい。名古屋フィルハーモニー交響楽団では、小泉和裕次期音楽監督がこれまで行われてきた現代音楽の演奏事業をほぼ全面的に放棄したが、クレーメルと遠いバルト海の楽団がやってくれた事に感謝する。

ピアソジャの「ブエノスアイレスの四季」は、両者の得意とする場面が最も出た演奏だ。故意に出す耳障りな音色、アップ-ボウで繰り出す鋭い音色、クレーメル頼りではないクレメラータ-バルティカの自発性が、ピアソジャの四季を活き活きとさせた。

いつの時代の演奏であれ、残響は音楽と一体不可分なものだ。強く弾き切る箇所でこの事を強く感じる。今回の日本ツアーでは四箇所での公演であるが、愛知県芸術劇場以外の開場は全てアウトだ。マトモなホールで、精緻な室内管弦楽団の演奏を聴けたのは幸せな事である。

それにしても、梅林茂の「日本の四季」と言った作品は、日本のオケが委嘱して日本で世界初演するべきものである。クレーメルとバルト海のオケにより委嘱されドイツで初演されたことを、日本のオケを始めとする音楽関係者は、日本在住者として(日本国籍を持っている者は日本人として)、恥じるべきだ!

作曲された作品は、演奏されなければ生かされないし、演奏されなければ、そこで現代音楽は終わってしまう。一定規模の都市に存在する演奏団体側は、この点の責務を有している。特に名フィル関係者(次期音楽監督及び観客)や、名フィルの保守反動路線の論陣を張った名古屋の文芸の破壊者である長谷義隆をはじめとする中日新聞放送芸能部の連中には、この事をよくよく理解してもらいたい。日本の音楽文化に関わる問題だから!

2015年10月10日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 428th Subscription Concert, review 第428回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年10月10日 土曜日
Saturday 10th October 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Guillaume Lekeu: Adagio per orchestra da camera op.3 (弦楽のためのアダージョ)
Alban Berg: Concerto per violino e orchestra “Alla memoria di un angelo” (ある天使の想い出に)
(休憩)
Johannes Brahms: Sinfonia n.4 op.98

violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova (アリーナ=イブラギモヴァ)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Christian Arming (指揮:クリスティアン=アルミンク)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、アリーナ=イブラギモヴァ(ヴァイオリン)をソリストに迎えて、2015年10月9日・10日に愛知県芸術劇場で、第428回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、記録をし忘れている。

着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、ベルクの協奏曲終了時に、指揮者が明確な合図を出す前にフライングの拍手があり、余韻を害した。

アリーナ=イブラギモヴァは、特に第二楽章前半部が素晴らしい。彼女以外の奏者が少なくなればなるほど、彼女は活き活きとしてくる。名フィルの管弦楽も丁寧に演奏していたが、アリーナはリサイタル向けの奏者だとの印象を持った。決して大ホールで大勢の観客を相手にするべき奏者ではない。アリーナ=イブラギモヴァのような、大ホールで演奏させるべきでない奏者の例は、ヒラリー=ハーンを挙げる事が出来る。アリーナが電気文化会館でリサイタルを行う理由が良くわかる。ベルクの協奏曲は、しらかわホールでやっていたら、かなり違った成果が得られただろう。

アリーナ=イブラギモヴァは、音量で攻めるタイプではない。音量的には多分小さいのだろうけど、なぜか響いて、かつ音色の深さで攻めるタイプである事が分かった。いくら愛知芸文でも、大ホールでは無理がある。尚且つあれだけの大管弦楽相手であの曲想では、成果は限定的にならざるを得ない。

後半のブラームス4番は、特に弦楽のパッションが入りまくっており、管楽(特にフルートは素晴らしい)との響きも綺麗にブレンドされ、速めのテンポで躍動感もあり、かつ端正な印象を持つ、素晴らしい演奏であった。若干の、わざとらしさが無いわけでは無く、その点で評価が分かれるかも知れないが。

アルミンクを見捨てた新日フィルは、今頃深く後悔しているであろう。やはり、弦楽が吠えると全てがしっくりし、管楽の装飾と絶妙にブレンドして、パッションと美しさとを兼ね備えた響きが迫ってくる。

3.11の時、福島第一原発があのような事故を起こした状態で、日本在住者でないアルミンクが避難したのは正当な行為だ。それを日本からの逃亡とみなし、追い出した狭量な観客に満たされた東京に戻る必要はない。あれだけキチンとした響きを作り上げる指揮者を追い出した東京は、どうかしている。

2015年10月6日火曜日

Alina Rinatovna Igragimova + Cédric Tiberghien, (6th October 2015), review アリーナ=イブラギモヴァ + セドリック=ティベルギアン 名古屋公演 評

2015年10月6日 火曜日
Tuesday 6th October 2015
電気文化会館コンサートホール (愛知県名古屋市)
Denki Bunka Kaikan Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.25 K.301
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.5 K.10
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.41 K.481
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.35 K.379
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.15 K.30
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.9 K.14
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.28 K.304

violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova
pianoforte: Cédric Tiberghien

アリーナ=イブラギモヴァは、10月1日から6日に掛けて、セドリック=ティベルギアンとともにモーツァルトのヴァイオリン-ソナタの演奏会を、王子ホール(東京)、電気文化会館(名古屋)にて行う。王子ホールに於いては、五回の演奏会で全曲を演奏する形を取り、この10月では第一から第三のプログラムを演奏した。電気文化会館に於いては、王子ホールでは10月1日に演奏された第一のプログラムのみの公演となる。

この評は、10月6日電気文化会館の公演に対する評である。

着席位置は後方正面中央、観客の入りは9割程か。観客の鑑賞態度は、概ね良好だった。

やはり、アリーナは弱奏を実に深い音色で響かせる。モーツァルトなのに、誤解を恐れずに言えば、どこかロマン派風に、シューベルトの歌曲を聴いているかのように思える箇所もあった。

アリーナの調子は第一曲目からして素晴らしいものがあった。中三日の休息の効果は絶大で、3日の王子ホールでの疲れが目立った公演とは見違える程である。電気文化会館の響きの素晴らしさが、アリーナを的確に援護した。

アリーナの深い音色は、東京の王子ホールでは実現出来ないものだ。電気文化会館でのアリーナは、モーツァルトなので頻度は少ないが、強奏部では伸びやかに激しさを出していたし、弱奏部では深みを伴う音色で響かせいた。

ピアノのティベルギアンも出るべき所は主張して、モーツァルトの比較的ピアノを重視したソナタの真価を表現していた。アリーナとのコンビネーションや、よく考えられた構成も素晴らしく、魅了させられた。

K14 は初期の作品であるが、非常に面白かった。初期のモーツァルトであれだけ深みを出したり、星のようなキラキラした音色を実現させたり、諧謔の要素も盛り込んだりと、様々な意味で興味深い演奏だった。

最後の K304 は、アリーナは控えめでピアノを際立たせる解釈であったが、特にメヌエットが実に深みのある音色で、感銘を受けた。あんなメヌエットがあるんだと、信じ難く、かつ素晴らしい時間でただただ陶酔していた。

アンコールはK296の第二楽章で、 K304 で到達した深みのある音色で魅了させられた。アリーナの真価は、電気文化会館で無ければ分からない。アリーナの真実を知っているのは、東京の観客ではなく、名古屋の観客なのだ!

2015年10月4日日曜日

Batsheva Dance Company, להקת מחול בת-שבע, Yokohama perfomance, review バットシェバ舞踊団 横浜公演 評

2015年10月4日 日曜日
Sunday 4th October 2015
神奈川県民ホール (神奈川県横浜市)
Kanagawa Kenmin Hall (Yokohama, Japan)

演目:
「Decadance - デカダンス- דקהדאנס 」

なお日本公演に於ける「デカダンス」は、下記の演目から抜粋・構成された作品である。
Z/na (1995), Anaphase (1993), Mabul (1992), Naharin's Virus (2001), Zachacha (1998), Sadeh21 (2011), Telophaza (2006), Three (2005), MAX (2007)

ダンスカンパニー:להקת מחול בת-שבע / Batsheva Dance Company / バットシェバ舞踊団

芸術監督:Ohad Naharin (オハッド=ハナリン)

バットシェバ舞踊団は、2015年10月4日から11日まで日本ツアーを実施し、上記演目を、神奈川県民ホール・愛知県芸術劇場・北九州芸術劇場でそれぞれ1公演、計3公演上演する。

この評は、2015年10月4日、神奈川県民ホールに於ける公演に対するものである。

着席位置は一階ず前方中央。観客の入りは一・二階席はほぼ埋まっていたが、三階席は閉鎖していた模様だ。観客の鑑賞態度は概ね良好であった。

名古屋・北九州公演に臨む観客方へ。開場したら、出来るだけ早く自席に着席することをお勧めする。女性は、オシャレして行くと、何かいい事あるかもしれない♪赤い服を着る必要は無いけどね。残念ながら、男性の観客にはいい事は起こらないと思われる♪

(以下、ネタバレ注意。名古屋・北九州公演をご覧になる方は、ご注意願いたい)

昨年11・12月の、CNDスペイン国立ダンスカンパニー「マイナス16」を見た方には、その続編のように思うかもしれない。

コンテンポラリー-ダンスではあるが、純舞踊的路線だけで攻めるだけでなく、物語性を濃厚に感じられる箇所もあり、承前起後の処理も巧みなので、楽しく観る事が出来る。

私の踊り手の好みは、11人が舞台最前列に出て来る演目のセンターを踊った、青緑色?エメラルドグリーン?の衣装の女性である。その演目で、そのダンサーに目を奪われたため、以降よく注目してみた。終盤間近の演目でも、そのダンサーが不規則な動きを始めて、導入部から展開部に移行する画期となる箇所があった。

男性については、後半部の二人の絡み合いが良かった。

多人数で群舞になる際に、微妙に個性の差異が出て来る所が面白い。一方で、千手観音のシーン等、きっちりユニゾンで決めるべき箇所は、ビシッと決めてくる点が印象的だ。

後半の「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」の演目は、「デカダンス」のデカ(=10)と掛けているのだろうか?10の演目からの抜き出し(実際は9の演目数であるが・・・)と言う意味と、事前情報では聞いていたが・・・?

最後の演目「Welcome」にて、開演時刻前のパフォーマンスが回帰し、終了するのは巧みである。オハッド=ナハリンは、開演時刻前にパフォーマンスを実施するのが好きなのか?それにしても、そのパフォーマンスが回帰する構成になっていたとは!

単に純舞踊的路線で攻めるだけでなく、物語性を持つコンテンポラリー-ダンスは少ないと思われるが、バットシェバ舞踊団のダンサーは全員で見事に物語演じた。最後の「Welcome」は、まさしくそんなバットシェバ舞踊団にふさわしい終わり方であった。

2015年10月3日土曜日

Alina Rinatovna Igragimova + Cédric Tiberghien, (3nd October 2015), review アリーナ=イブラギモヴァ + セドリック=ティベルギアン 東京公演 評

2015年10月3日 土曜日
Saturday 3rd October 2015
王子ホール (東京)
Oji Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.40 K.454
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.12 K.27
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.24 K.296
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.43 K.547
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.16 K.31
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per violino e pianoforte n.30 K.306

violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova
pianoforte: Cédric Tiberghien

アリーナ=イブラギモヴァは、10月1日から6日に掛けて、セドリック=ティベルギアンとともに、モーツァルトのヴァイオリン-ソナタの演奏会を、王子ホール(東京)、電気文化会館(名古屋)にて行う。王子ホールに於いては、五回の演奏会で全曲を演奏する形を取り、この10月では第一から第三のプログラムを演奏する。なお、第一のプログラムのみ、10月6日に電気文化会館にて演奏される。

この評は、10月3日第三プログラムの公演に対する評である。

着席位置は後方正面ほぼ中央、観客の入りは9割5分ほど。観客の鑑賞態度は、時々唸り声が聞こえてきたような気もするが、概ね極めて良好であった。

やはり最後のK.306が一番素晴らしい。

それでも、演奏会全般に渡って、アリーナとセドリックとの二人のコンビネーションは完璧で、どこで誰を前面に立たせるか、二人でどのような響きにブレンドするかの点は、よく考えられている。Mozartのヴァイオリン-ソナタはピアノも同格で主張しなければならないが、セドリックによる的確かつ見事なピアノの演奏により、素晴らしいMozartになる。

劣悪な王子ホールの響きであるが、アリーナはその劣悪な響きを克服する術と力を持っている。セドリックとのコンビネーションの巧みさと合わせ、ピアノとよく調和させた響きを、アリーナは実現させる。

東京の人たちには、アリーナはまろやかで優しい響きの奏者だと思われていると思うけど、それはアリーナが激しく弾くと王子ホールが響きを減衰させて、結果優しい響きになってしまうからである。名古屋の電気文化会館で演奏すれば、アリーナのヴァイオリンは、もっと豊かに、もっと鋭く響くはずだ。激しく鋭い響きこそアリーナの持ち味と考える私としては、きちんと響くホールで演奏して欲しいと思うところであり、紀尾井ホール以外にマトモな中小規模のホールがない東京の聴衆は不幸だと思う。

アリーナには連日かつ別プログラムの疲れが見受けられたが、それでも、最後のK.306は圧巻である。一曲だけでも、王子ホールの響かない特性と折り合いをつけ、あのレベルでやってくれただけで十分だ。

演奏会終了は開始時刻から150分後であり、総演奏時間は120分前後か?これだけ演奏者に負担が大きいプログラムであったのにも関わらず、アンコールを一曲演奏してくれた。K.14の第一楽章であった。