2015年1月31日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 420th Subscription Concert, review 第420回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年1月31日 土曜日
Saturday 31st January 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Richard Georg Strauss: Serenata in mi bemolle maggiore per 13 strumenti a fiato op.7 (13管楽器のためのセレナード)
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
(休憩)
Richard Wagner: La Valchiria, Atto Primo(「ヴァルキューレ」より第一幕)

soprano: Susan Bullock
tenore: Richard Berkeley-Steele
basso: Kotetsu Kazuhiro (小鉄和弘)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、スーザン=ブロック(ソプラノ)・リチャード=バークレー-スティール(テノール)・小鉄和広(バス)をソリストに迎えて、2015年1月30日・31日に愛知県芸術劇場で、第420回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは上手側の位置につく。なお、一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は管楽器奏者のみが立って指揮者を半円形に囲っての演奏であり、二曲目の「シンプル-シンフォニー」はチェロ以外の弦楽奏者は立ち、チェロ奏者は特製の台の上に着席しつつも、顔の高さを他の立って演奏する奏者と同一レベルになるようにしての演奏となる。

着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズや楽章間のパラパラ拍手があったものの、概ね極めて良好であった。

一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は、最初固さが目立ったものの、曲が進行するに連れ本来の響きが出て来る演奏だ。

二曲目との間は、舞台装置設営のため少々時間が掛る。チェロ奏者が乗る特製の台の設営光景がみられる。

二曲目のブリテンによる「シンプル-シンフォニー」は、私としてはこの演奏会の白眉である。ヴァーグナー嫌いの私にとって、そもそも後半の曲目は「ついで」であるし、お目当てはこの「シンプル-シンフォニー」であった。また、昨年12月に、中日新聞社放送芸能部長谷義隆により、マーティン=ブラビンスによるプログラムの前衛路線が徹底的に侮辱された事情もあり、ブラビンス支持を示威する事も重要な目的の一つである。

ブリテンの「シンプル-シンフォニー」は完璧と言って良い。一音一音の響きはビシッと決めた構成力に裏打ちされている。あらゆる響きがこうであるべき所に確実に決めていく。この曲の対照的な目玉と言ってよい、ピッチカートのみで構成されている第二楽章は、ピッチカートでこれ程までの表現が出来るものかと驚愕させられるし、重々しいサラバンドである第三楽章も緊張感が途切れない高度に集中した演奏だ。

全般的に、繊細に演奏する箇所とワイルドに演奏する箇所との使い分けが的確でありながら、実に繊細にワイルドな箇所を描いている。どの場面もニュアンス豊かで、かつ迫力を感じられる。テンポの扱いは正攻法で奇を衒ったものではないが、逆に言えばブラビンスの盤石な構成力によりこの曲が活気づいている。要するに完璧な演奏だと言うことだ。

約16分の長さの曲であり、決して長大な大曲ではないが、演奏会の最後の曲としてもふさわしい内容を持つ曲で、決して題名から連想させるような「軽い曲」などではない。

逆に「シンプル」であるからこそ、弦楽合奏の精緻さ・パッションの強さ・ニュアンスの豊かさが強く問われる曲である。この難曲を、ブラビンスの堅固な構成力に裏打ちされた指揮による導きと、名フィルの奏者による緻密かつパッションを伴った演奏と、愛知県芸術劇場コンサートホールの豊かな残響とが三位一体となり、絶妙に絡み合った名演である。これはもう最高の出来だ!Bravi!!

二年前くらいまでは、名フィルの弦は弱いと言われてきたが、本当に信じられない。私が名フィルを初めて聴いたのは昨年7月の第415回定期演奏会からであるが、厚みのある迫力ある響きで楽しませてくれる。マーティン=ブラビンスが常任指揮者になってから、弦の響きが変わったと聞くが、本当だとしたらブラビンスの功績は実に大きい。2015/16シーズンでブラビンスが名フィルの常任指揮者の地位を辞するのが、本当に残念でならない。

後半のヴァーグナーについては、私の歌劇に臨む態度やら、ヴァーグナーに対する態度やらがあるため、敢えて評の対象から外す事とする。本音を許していただければ、後半は後半はU.K.の作曲家による、あまり演奏されない大作を演奏してほしかったところだ。

2015年1月24日土曜日

国立劇場おきなわ 組踊公演「辺戸の大主」 評

2015年1月24日 土曜日
国立劇場おきなわ (沖縄県浦添市)

【第一部】
琉球舞踊
「松竹梅鶴亀」:名嘉正光・新屋敷孝子・赤嶺光子・ 金城由美子・藤戸絹代
「獅子舞」:諸喜田千華・知念みさ子・上間悦子・宮平友子
「取納奉行」:喜納かおり
「鳩間節」:宮城茂雄
「打組むんじゅる」:奥原めぐみ・喜屋武まゆみ
「金細工」:金城保子・松田恵・中村知子

【第二部】
組踊「辺戸の大主」(へどのうぬふし)

辺戸の大主:真境名正憲    
辺戸の大主の妻:高江洲清勝   
辺戸の比屋:嘉手苅林一
辺戸の子:親泊久玄
孫(娘):名嘉正光・伊野波盛人・佐辺良和・岸本隼人・大浜暢明・田口博章・仲村圭央・佐喜眞一輝
孫(若衆):呉屋智・金城真次
孫(二才):宇座仁一・川満香多

構成振付・立方指導:宮城能鳳
舞踊指導補佐:新垣悟

地謡
歌・三線/上間宏敏・上地正隆・上原陸三
箏/安慶名久美子
笛/我那覇常允
胡弓/川平賀道
太鼓/神山常夫
地謡指導:西江喜春

初めて琉球舞踊を見るべく、那覇まで飛んで、那覇市を僅かに外れた北隣の浦添市にある、国立劇場おきなわに行きます。

着席位置は、一階中央前方、前から三番目の席でほぼ真ん中の特等席と言って良い理想的な位置です。中央部は舞台から客席側に張り出しています。その張り出した場所でも演舞を行うので、張り出し舞台の左右は避けるべきでしょう。

観客の鑑賞態度は、まあ私語が多いです。沖縄ですから♪ヤマトの音楽会の感覚で行ったら、ウソ!と言いたくなるレベルです。

拍手は独特のマナーがあり、踊りが終わって舞台下手側に向かっている最中に行います。その段階では、時謡(管弦楽+歌い手)は続いておりますが、まあ、そういう慣習なので。「郷に入ったら郷に従え」なので、ヤマトの私があれこれ言うべきものではありません。

第一部では、琉球舞踊を六つ程演舞します。女性が中心です。舞台上手側に時謡が付き、踊り手は原則踊りに専念しますが、「打組むんじゅる」ではほんの少し歌を歌います。時謡の歌い手は男声のみですので、女声を入れたい場合は、踊り手が歌うしかありません。「取納奉行」をソロで踊った喜納かおりさんは、娘役に相応しくカワイイです♪

休憩後が、いよいよ組踊「辺戸の大主」です。冒頭、若々しいけど芸術監督があらすじを説明してくれます。

時謡は舞台奥の背景半透明スクリーンの後方につきます。踊り手は女性役を含めて、全て男性になります。歌舞伎と一緒です。

もともと民俗芸能として「長者の大主」という演目があったそうで、これを組踊化したものとのこと、辺戸の大主が120歳になったので、子供の辺戸の比屋(90歳)と辺戸の子(70歳)が相談して、子や孫達を集め、踊ってお祝いをするというものです。とてもあり得ない年齢設定ですが、子孫繁栄といった当時の琉球社会の理想像を示したものだそうです(公演前に講演会を実施していて、そこで説明されていました)。

ストーリーはそれだけで、踊りの前に踊り手を指名して踊ってあげなさいと比屋が言ったり、お祝いの盃を交わしたりした後、踊るだけです♪

ひ孫たちが分担して様々な踊りを披露し、ひ孫たちが全員で踊り、最後に大主・比屋・子も加わり、舞台から退場して演技を終えます。

なんじゃそれって感じのストーリーなので、かなり舞踊の要素に寄った総合芸術です。

様式に従って如何に繊細に踊るか、小道具を的確に用いるかが問われる舞踊と思いました。手先の表現や、扇を一気に広げる音をビシッと決めるような所が、見どころ・聴きどころでしょうか。

琉球舞踊は、バレエ・ダンスとの親和性も大きいです。リフトや32回転フェッテといったような技巧はありませんが、物事の本質にそう大きな違いはないでしょう。

沖縄は遠いですし、なかなか行ける所ではありませんが、観光で沖縄に行く機会があれば、琉球舞踊の鑑賞を是非お勧めしたいです。

2015年1月18日日曜日

'DANCE to the Future -Third Steps-' review 評

2015年1月18日 日曜日 / Sunday, 18th January 2015
新国立劇場 小劇場(東京)/ New National Theatre, Tokyo (NNTT) (Tokyo, Japan)

Ballet Company: National Ballet of Japan(新国立劇場バレエ団)

演目:
Blossom smile 「はなわらう」
Choreography: Homan Naoya / 振り付け:宝満直也
Dancers: Fukuoka Yudai, Yonezawa Yui, Okuda Kasumi, Soutome Haruka, Asaeda Naoko, Ishiyama Saori, Fulford Karin, Bonkohara Mina
踊り手(階級順→あいうえお順):福岡雄大、米沢唯、奥田花純、五月女遥、朝枝尚子、石山沙央理、フルフォード佳林、盆子原美奈

Moon on the water 「水面の月」
Choreography: Hirose Aoi / 振り付け:広瀬碧
Dancers: Kawaguchi Ai, Hirose Aoi
踊り手(階級順→あいうえお順):川口藍、広瀬碧

Chacona
Choreography: Kaikawa Tetsuo / 振り付け:貝川鐡夫
Dancers: Okumura Kosuke, Horiguchi Jun, Wajima Takuya, Tanaka Shuntaro
踊り手(階級順→あいうえお順):奥村康祐、堀口純、輪島拓也、田中俊太朗

Revelation
Choreography: Hirayama Motoko / 振り付け:平山素子
Dancer: Motojima Miwa/ 踊り手:本島美和

(休憩)

The Lost Two in Desert
Choreography: Takahashi Kazuki / 振り付け:髙橋一輝
Dancers: Takahashi Kazuki, Bonkohara Mina
踊り手(階級順→あいうえお順):髙橋一輝、盆子原美奈

Andante behind closed curtain
Choreography: Майден Тлеубаев Минтаевич/ Maylen Tleubaev /振り付け:マイレン=トレウバエフ
Dancer: Yukawa Mamiko/ 踊り手:湯川麻美子

Phases
Choreography: Fukukda Keigo / 振り付け:福田圭吾
Dancers: Sugano Hideo, Terada Asako, Soutome Haruka, Matuo Takako, Ishiyama Saori, Narita Haruka
踊り手(階級順→あいうえお順):菅野英男、寺田亜沙子、五月女遥、丸尾孝子、石山沙央理、成田遥

Dancer Concerto
Choreography: Oguchi Kuniaki / 振り付け:小口邦明
Dancers: Hosoda Chiaki, Oguchi Kuniaki, Koshiba Fukunobu, Hayashida Shohei, Hara Kenta, Wako Ai, Shibata Tomoyo, Harada Maiko
踊り手(階級順→あいうえお順):細田千晶、小口邦明、小柴富久修、林田翔平、原健太、若生愛、柴田知世、原田舞子

新国立劇場バレエ団は、1月16日から1月18日までに‘DANCE to the Future -Third Steps-'を計3公演、新国立劇場で上演した。平山素子によるRevelationを除き、新国立劇場バレエ団所属のダンサーが振り付けを行った作品である。Third Stepsの名の通り、2012/13シーズンより毎年行われており、今回が三回目となる。

この評は、千秋楽1月18日の公演に対するものである。

着席位置は前方下手側。ほぼ満席である。鑑賞態度は非常に良好であった。

「はなわらう」は、ソリスト二人+群舞の形態だ。米沢唯ちゃんは、今回は可愛い系の踊りで楽しそうだ。

ChaconaはJ.S.バッハのパルティータ第二番シャコンヌBWV1004であるが、ノン-ヴィブラート系っぽい音源である。アリーナ=イブラギモヴァの演奏か否かは不明だ。誰がどう見ても大技と思えるものは、男性ダンサーが堀口純を遠心力で浮かせて速い回転でスピンを掛ける技である。小劇場の狭い舞台なものだから、かなり驚く。

RevelationとAndante behind closed curtainは、椅子を用いたソロのダンスで、舞踊と言うよりはむしろ演劇であろう。写真だけ見せて新国立劇場の演劇公演だと言っても、ダンサーの顔を知らない人であれば誰もが信じる。むしろ舞踊公演と信じる方が難しい。本島美和と湯川麻美子が的確に演じている。

PhasesとDancer Concertoは群舞の要素が強い。Chaconaと同様にクラシック音楽の曲目を用いていて、さすがバレエダンサーだけあって、クラシック好きが多いのだと認識させられる。

全般的に、予想以上に素晴らしい振り付けである。もちろん、キリアンやフォーサイスのレベルまではいかないが、八つの演目の内のいくらかは好みの演目が見つかるだろう。

DANCE to the Futureは前の芸術監督であるデヴィッド=ビントレーが始めた企画であるが、この企画の素晴らしい点は、階級が何であろうと、主演の機会が与えられるところにある。プリンシパルでもアーティストでも関係ない。一輝君が振り付けして美奈ちゃんに「一緒に踊ろう♪」と誘って美奈ちゃんがOKを出せば、成立するのだ。The Lost Two in Desertは髙橋一輝と盆子原美奈、「水面の月」は広瀬碧と川口藍、川口藍がファースト-アーティストであり残りの三人はアーティスト、しかし主演である。その気になれば誰でも主役になれる可能性があるこの企画は、特にファースト-アーティスト・アーティストのダンサーの士気を高め、バレエ団全体の活性化につながるものと考えられる。舞台が近かったせいもあるのか、いつもの群舞よりパッションが込められていたような気がしたのは、私の気のせいか。この企画は国立の劇場の使命として続けていって欲しい。

2015年1月17日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, Concert Shirakawa Series Vol.24, review 第24回しらかわシリーズ 名古屋フィルハーモニー交響楽団 演奏会 評

2015年1月17日 土曜日/ Saturday 17th January 2015
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
Shirakawa Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Concerto per violino e orchestra n.4 Hob.VIIa-4
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n. 96 Hob.I-96
(休憩)
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n. 102 Hob.I-102

Violino: Rainer Honeck(ライナー=ホーネック)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Rainer Honeck(ライナー=ホーネック)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、ライナー=ホーネックをソリストに迎えて、2015年1月17日に三井住友海上しらかわホールで、第24回しらかわシリーズ演奏会を開催した。

プログラムは、全てハイドンの作品である。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管後方下手側の位置につく。

着席位置は、一階席の理想的な場所が確保出来なかったこともあり、二階正面中央僅かに下手寄りとした。客の入りは八割強か?二階後方隅に空席が目立った。

一曲目のヴァイオリン協奏曲第4番、管弦楽はクリアな音色でしっかり盛り立てる。一方ホーネックの音色は混濁気味で(特に第一楽章)、私の好みではない。何度もしらかわホールで演奏しているはずなので、響きについては熟知しているはずだけど、どうしてなのだろう?

二曲目の交響曲第96番は、第二・第三楽章が素晴らしい。第一楽章で弱めだった弦も含めて統一感のある響きである。管楽のアクセントはよく効いている。ティンパニはホーネックの指示により弱められたか?中核のクラリネットがしっかり決めている。ホルンの音色は柔らかい。

後半は交響曲第102番である。特定の誰かというよりは、みんなでビシッと合わせた見事な演奏だ。序盤だけ固さが見られたけど、それ以外は狙い済ましたように決めて来る。第二・第三楽章は精緻さの点でも完成度がより高く感じられる。

アンコールは、ハイドンの「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」より「第五ソナタ アダージョ」(弦楽合奏版)である。考えられる限りの繊細さを伴って演奏される。心を洗われる気持ちになる演奏であった。

2014年12月24日水曜日

中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆 に対する公開書簡

 中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆へ

  主文

 長谷義隆に対し、放送芸能部からの異動希望を人事当局に出されるよう、私は勧告する。また長谷義隆に対し、この異動が発令される際に文化部への異動がなされないように、異動希望を人事当局に出されることを私は勧告する。

  理由

 中日新聞社2014年12月22日(月曜日)夕刊にて、長谷義隆は名古屋フィルハーモニー交響楽団に対する侮辱的・嘲笑的・挑戦的発言を「回顧2014」に投稿した。

 名古屋フィルハーモニー交響楽団(以下「名フィル」という)は、Thierry Fischer・Martyn Brabbins、両常任指揮者の尽力により、現代曲を果敢に取り上げてきた。いわゆる「名曲」よりも技術的な困難さの度合いを深めた現代曲に対し、名フィル奏者は自身の持つ技量を高めてこれに臨み、観客に感銘を与えるまでの演奏を為し、喝采を浴びてきた。

 名フィルは、先進的意欲的なプログラムを消化し、名古屋の観客を啓蒙した。第415回定期演奏会にて取り上げた、Witold Lutosławski作曲の「管弦楽のための協奏曲」、第417回定期演奏会にて取り上げたKalevi Aho作曲の「トロンボーン協奏曲」の二例を上げれば十分であろう。特にKalevi Ahoの作品は日本初演であり、彼の当該曲を日本のどこよりも早くこの名古屋で演奏し、作曲家Kalevi Ahoの真価を日本に知らしめた。

 そのような名フィルの営みを、「さて、リーダー格の名古屋フィルハーモニー交響楽団は今年始めた豊田定期公演や小林研一郎指揮のマーラー交響曲第二番「復活」などでは喝采を浴びたが、肝心の定期演奏会は聴衆ニーズから離れた選曲が多く定期会員の漸減に歯止めがかかっていない。切り口の斬新さより、名曲を感動的に演奏する原点に立ち返る必要がありそうだ。」と評するのは、名フィルによるこれまでの先進的意欲的な努力を嘲笑する卑劣漢の行為である。

 長谷義隆は、名古屋の文芸を破壊したいのか!大阪市長の橋下徹が文楽を敵視するのと同じように、先進的意欲的な方向性を攻撃し、名古屋の文芸に反動的な影響を与え、もって名古屋の文芸に打撃を与えたいのか!

 先進的意欲的な方向性で挑戦しているのであれば、これを説明し、解説し、案内することにより読者を啓蒙し、もって名古屋の聴衆の前衛となって導き、奏者・評者・読者が三位一体となって前に向かって歩み続ける、その助けとなるのが、中日新聞社文化担当記者の責務である。長谷義隆は、その責務を放棄しただけではない。読者に反動的影響力を与え、反啓蒙の作用を齎し、名古屋の文芸に対する有害な破壊行為を為した。長谷義隆は、名古屋の文芸に対するテロリストである。

 ついでに言及するが、「名古屋で定期演奏するNHK交響楽団、京都市交響楽団などの外来オーケストラと聴き比べると、名古屋勢の物足りなさは浮き彫りになる。合奏力は上がっているものの、総じて奏者個々の個人技が見劣りする。」とは、単なる事実誤認であるだろう。あれほどまでの水準で現代曲の演奏を見せつけられて、そのような評しか出せないのは、長谷義隆が何も聴いていない事を露呈したに過ぎない。NHK交響楽団や京都市交響楽団と比較する事に意味があるとは思えないし、百歩譲ってその評の通りであれば、名古屋市や愛知県、トヨタ自動車に補助金を出させて、金の力で実力のある奏者をごっそり雇い、引き抜けばいい。長谷義隆の評の矛先が間違っているのだ。名フィルが限られた予算の中で、これ程までの水準で演奏が実現されている事をまずは評価すべきで、この行為を為さない長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者として怠慢の謗りを免れない。

 長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者としての適格性に著しく欠け、その任に堪え得ない。よって長谷義隆に対し中日新聞社放送芸能部・文化部からの転身を、私は勧告する。

  付記

 この書簡は公開書簡である。ウェブサイト@OOKI_Akira twitter Archive(http://ookiakira.blogspot.jp/)上に2014年12月24日の日付にて掲載している。また、長谷義隆から返信があった場合には、特に意志が明示されない限り、@OOKI_Akira twitter Archiveに掲載する。

 長谷義隆に対し、敬称を付す意志はない。卑劣漢であり、名古屋の文芸に対するテロリストである長谷義隆に、いかなる敬意を持てないからである。なお、当然の事ながら私は、長谷義隆より同様の取り扱いをされることを受け入れる。

                   松本にて 2014年12月24日
                    (署 名)

2014年12月21日日曜日

国立劇場 通し狂言「伊賀越道中双六」 評


今日は国立劇場で25年ぶりに歌舞伎を見る。国立劇場も25年ぶり、高等学校時代に何かの校外学習っぽいもので行って以来だ。高等学校時代に何を観たのかはさっぱり思い出せない。楽しめたのかつまらなかったのかさえ、良く分からない状態だ。

文楽は「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」を見てきたが、歌舞伎については何も見ていなかった。新国立劇場「シンデレラ」公演は寺田亜沙子さん主演の日であったが、なぜかチケットを確保しておらず、あわてて確保しようとしたら、私にとっての理想的な席が埋まってしまったのだ。

そうこうしているうちに、NBSと紛らわしい独立行政法人日本芸術文化振興会から、誘惑メールが来た。「伊賀越道中双六」を通しでやる。44年ぶりに三州岡崎をやる。東京駅100周年記念Suicaには関心がなかったものの、限定物に弱いあきらにゃん、舞台がこなれ千秋楽が近づく21日に行くことを決め、チケット取得を決意、見事に、わずかに前方・ど真ん中の最高の席を入手した!

通しとは言え休憩を除けば、総上演時間は三時間程なので、気軽に見ることができる。

冒頭では、やはり私は文楽向きではないかとも懸念したが、股五郎役中村錦之助の見事な悪役により目が覚める。和田行家暗殺大成功♪この時の私、顔を見られていたらニタニタ、気味の悪い笑みを浮かべていたに相違ない。

第三幕「藤川新関」の場面は、お袖(中村米吉)が本当に艶やかで目を奪われる。本当に女性よりも女性らしく、歌舞伎の女形とはこういうことかと認識させられる。美女だし所作が本当に女性そのものだ。

助平役の中村又五郎も、その間抜けな役柄を見事に演じる。

この第三幕、和田志津馬(尾上菊之助)が旅券(通行手形)は奪取するわ、他人名義の旅券での国境(関所)を通過するわ、密出境したらブービートラップが鳴って国境警察官が到着するわ、国境警察官を気絶させて強行突破大成功するわ、という内容の、とんでもない犯罪アクションである。一方、間抜けな助平は旅券を奪われ、密出境に失敗して、国境警察官に逮捕される♪歌舞伎、面白過ぎです♪♪法務省入国管理局から抗議が来てもおかしくない内容でありますね(むふふ)♪♪

第四幕の「岡崎」の場面は、派手さはなく難しい場面ではあるが、まあまあの内容か。

大詰の仇討ちの場面は圧巻、最後のとどめを刺す場面では涙腺がちょっと潤む(←ここで潤むのかよ!)

主役の中村吉右衛門はもちろん、中村歌六、中村又五郎、尾上菊之助、中村米吉、悪役の中村錦之助が素晴らしく、私の四半世紀ぶりの歌舞伎公演は成功裏に終わったのでありました。。


(国立劇場での鑑賞事情について↓)

国立文楽劇場は舞台上方に字幕が出ますが、国立劇場にはそのような設備はありません。しかし、高等学校時代に古典が全くダメダメ状態であった私でも大丈夫でしたので、誰でも楽しめると思います。

あらすじは、チラシの裏レベルで大丈夫です。セリフも、私でさえ七割は内容が分かりましたから、筋を追うに当たっては支障ありません。

間違ってもイヤホンガイドなんて使わないでくださいね。単なる鑑賞の邪魔だから。イヤホンガイドやるくらいだったら、字幕を付けるべきだと思うけど、どうしてしないのだろう。

バルセロナにあるリセウ大劇場にあるような、座席背面の字幕で英語を表示させる必要もあるように思います。歌舞伎座や明治座とは違い、ちゃんとした通しをやるのですから、日本語が分からない外国人も含めて誰もが楽しめる環境になるといいのかなと、思っています。

2014年12月20日土曜日

新国立劇場バレエ団「シンデレラ」 評(仮)

2014年12月20日、新国立劇場バレエ団の「シンデレラ」、昼夜二公演観てきました。正式な形での長文評は書く時間がない状態なので、twitter投稿に若干変更した内容ですが、略式で投稿します。

12/20昼「シンデレラ」NNTT。第一幕終了。四季の精で好みの出来だったのは、細田千晶さんの冬の精。井倉さんがシンデレラで引退したかった理由は、第一幕終盤からも良く分かる。では、第二幕に。

第二幕最後の、シンデレラの衣装の早替えは、どうやっているのか?にしても、アシュトンは天才だわ。あれ以上の振り付けは不可能だろう。諧謔の要素と華麗の要素の組み合わせが絶妙で、構成力に富んでいる。終戦直後の1940年代の振り付けとはとても思えない現代性も併せ持っているし。

12/20昼NNTT「シンデレラ」は終了。今日の小野絢子さんは完璧な出来かな。体調がいいのか、回転を要する演技もキチッと決めていた。

福岡雄大くんは、ガチムチ王子で優美さの欠片も感じられなかった「眠れる森の美女」の時よりずっと素晴らしい。奥田花純ちゃんが少し体調悪い気味に見えたのは気のせいか?八幡さんの道化は期待通り。義理の姉たちは本当に楽しい♪では、米沢唯ちゃんの夜公演に・・・・。。

12/20夜「シンデレラ」NNTT、第一幕終了。米沢唯ちゃん、ドヤ顔やっているし♪かわいいにゃあ♪♪四季の精、秋の精の五月女遥さんが良かったように思えたのは、私の独断か。

12/20新国立劇場バレエ団「シンデレラ」マチソワ終了。絢子さん→唯ちゃんだけでなく、ファースト・セカンドとキャストが変わってもそれぞれが個性を出していて、総じて差がなく高いレベルで演じられた。私にとって、物足りない思いはまるでなかった。幸せなマチソワ体験♪

12/20新国立劇場バレエ団「シンデレラ」マチソワ終了。どちらかと言うと、ソワレの方がやんちゃで面白かったかな。観客のノリもソワレの方があったか?非公然バラバラ組織「唯ちゃん親衛隊」の仕業かもしれないが♪

米沢唯ちゃんシンデレラは、灰被りの方がずっとかわいいのだよな。お姫様メイクしない方がずっといい♪絢子さんよりもやんちゃなところも好きだし。様式美を極めた「眠り」とは正反対の方向性ですが、どっち方面でもいいです♪それにしても、あのスカーフ肩に巻いたドヤ顔には笑ってしまった♪

2014年12月7日日曜日

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン 横浜公演 演奏会 評 Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen, Yokohama performance, review

2014年12月7日 日曜日/ Sunday 7th December 2014
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
Yokohama Minato Mirai Hall (Yokohama, Japan)

曲目:
Ludwig van Beethoven: ‘Die Geschöpfe des Prometheus’ ouverture op.43 (「プロメテウスの創造物」序曲)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Karol Beffa: Concerto per violino e orchestra(world premier/世界初演/国際音楽祭NIPPON委嘱作品)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.1 op.21

ヴァイオリン:諏訪内晶子 (Suwanai Akiko)
管弦楽:ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン(Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)
指揮:パーヴォ=ヤルヴィ (Paavo Järvi)

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンは、2014年12月1日から14日までアジアツアーを行い、大邱・ソウル・北九州・横浜・名古屋・東京にて計10公演の演奏会を開催する。全ての公演の指揮者はパーヴォ=ヤルヴィである。諏訪内晶子との共演は、12月6日から8日までの、北九州・横浜・名古屋公演の3公演となる。

この12月7日の演奏会は、諏訪内晶子が芸術監督を務める「第3回国際音楽祭NIPPON」の一環としての演奏会でもある。フランスの作曲家、カロフ=ベッファのヴァイオリン協奏曲については、国際音楽祭NIPPONによる委嘱作品であり、世界初演となる。この協奏曲は、横浜公演のみの演奏となる。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。ティンパニはバロック-ティンパニではなく、モダン-ティンパニ、Beethovenの1番でもバロック-ティンパニは登場しなかった。昨年11月の三井住友海上しらかわホールでのスタイルとは違い、その点は残念である。着席場所は、ヴァイオリン協奏曲の演奏を考慮し前方シフトを掛け、やや前方中央である。客の入りは当日券が70枚出たとの話であるので、ほぼ満席か。観客の鑑賞態度は極めて良好であった。

第一曲目の「プロメテウスの創造物」序曲は、みなとみらいホールに馴染んでいない響きで、演奏は平凡である。

第二曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、予想通りの展開でサプライズはない。技術的には高水準の演奏であるが、何か大切な物が足りない。まず響きがみなとみらいホールに馴染んでいない。どこかスイートスポットを外れたかのような響きであり、やや前方の席を確保したのにも関わらず、あまり音圧が感じられない。それとニュアンスが掛らず、平板なヴァイオリンの演奏である。庄司紗矢香のようなニュアンスを伴った構成力はなく、アリーナ=イブラギモヴァのような激しさもなく、とにもかくにも面白くない。昨日聴いたばかりのDresdner Kapellsolistenのコンサート-ミストレスSusanne Brannyのようなささやかなニュアンスすら掛からない。これでは、ドイツの地方歌劇場のコンサート-ミストレスですら及ばない。ニュアンスを掛けた構成力がないのか、ニュアンスを掛ける事自体が嫌いなのか、詳細な事情は不明であるが、いずれにしても諏訪内晶子の古典物は、ほぼ全滅であろう。諏訪内晶子はドイツではとても通用しない。

諏訪内晶子の出来は、曲想に左右される、というか、左右され過ぎである。演奏者のニュアンスに依存しない、作曲の段階で楽譜通りにそのまま演奏しても面白い構成の曲でなければ、諏訪内晶子の音楽は成立しないのだ。

休憩後はベッファのヴァイオリン協奏曲、これは諏訪内晶子の高度なテクニックと集中力とが見事に噛み合った素晴らしい出来となった。前半とは違い、諏訪内晶子もドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの管弦楽も、みなとみらいの響きを見事に捉えた素晴らしい響きとなる。第二楽章前半部の、下手に演奏すると退屈になりがちな部分に於いても緊迫感が途切れない演奏で説得力を持つ。カンマーフィルハーモニーの管弦楽は全員のパッションが凄まじく、一人ひとりが諏訪内晶子と同格に対決する形だ。特に打楽器は見事にアクセントを決めてくる。

ベッファのヴァイオリン協奏曲により、諏訪内晶子は活かされた。諏訪内晶子はコンテンポラリーに強い。どうして北九州でも名古屋でもベッファでなくメンデルスゾーンを演奏したのか、理解に苦しむ。北九州でも名古屋でもプログラムは保守反動的だ。国際音楽祭NIPPONの趣旨の中で、イントロダクション-エデュケーションの項目の中に「“現代作曲家への委嘱”・・・同時代で同じ音楽家として活躍する諏訪内晶子が、旬の作曲家に音楽祭委嘱作品を依頼し、その魅力を紹介していきます」とある。どうして横浜だけなのか。どうして名古屋ではやらないのか。どうして北九州ではやらないのか。諏訪内晶子芸術監督は、地方の聴衆を「現代音楽など理解できない」と馬鹿にしているとしか思えない。少なくとも名古屋の観客は決して保守的ではなく、むしろその逆であり、名古屋フィルハーモニー交響楽団の先駆的プログラムにより、日本のどこの都市よりも、現代音楽を受け入れる力を聴衆は得ている。わざわざ苦手のメンデルスゾーンではなく、得意の現代音楽で攻められるのに、どうしてしなかったのかは、理解に苦しむ。そのような事を、山の奥地のど田舎である長野県松本市に住む私に言われて恥ずかしいとは思わないのか、と強く言いたい。

第四曲目のBeethovenの1番は、先述したようにバロック-ティンパニを用いたものではなかったが、大胆なニュアンスをうまく構築した演奏で、昨年11月の三井住友海上しらかわホールでの名演を思い起こすかのような演奏であった。

2014年12月6日土曜日

ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団 松本公演 評 Dresdner Kapellsolisten, Matsumoto performance, review

2014年12月6日 土曜日/ Saturday 6th December 2014
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Auditorium) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Divertimento n.1 K.136
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.2 op.19
(休憩)
Arcangelo Corelli: Concerto grosso ‘fatto per la notte di Natale’ op.6-8(クリスマス協奏曲)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia concertante per violino, viola e orchestra K.364

ヴァイオリン:Susanne Branny
ヴィオラ:Stephan Pätzold
ピアノ:横山幸雄 (Yokoyama Yukio)
管弦楽:ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団(Dresdner Kapellsolisten)
指揮:Helmut Branny

ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団は、2014年11月29日から12月7日まで日本ツアーを行い、東京(非公開を含め3公演)・大阪狭山(大阪府)・岡山・福山(広島県)・松本・大阪にて計8公演の演奏会を開催する。全ての公演の指揮者はヘルムート=ブラニーである。松本公演以外の共演者は全て森麻季(ソプラノ)であるが、松本公演のみ横山幸雄のピアノとなった理由は不明である。ピアニストだったら、小菅優さんとか児玉桃さんとか、日本人でもマトモなピアニスト沢山いるのに!

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側の位置につく。チェロ以外は全て着席せずに演奏する。着席場所は、後方上手側である。客の入りは6割程である。観客の鑑賞態度はビニールの音がした事はあったが、概ね良好であった。恐らく空調ノイズ(あるいは補聴器ノイズ?)が前半は許容範囲を超える音量であったが、後半は大幅に改善された(不満が全くない訳ではないが、受忍できる程度)。

一曲目のK.136は音取りを行うような印象である。今回の日本ツアーでは、唯一の中規模ホールかつ残響が豊かなホールであり、少し戸惑っている感じもなくもない。

二曲目はBeethovenのピアノ協奏曲第2番、ソリストの横山幸雄は鍵盤をガンガン叩きつける乱雑な演奏をするかと、ブーイングの可能性をも視野に入れて対応する程の戦闘態勢で聴き始めたが、予想よりはマトモである♪しかし淡白だ。淡白で本性が出てなかったのが良かったのか。カデンツァの音の多いところではムニャムニャ気味に聴こえるし、個性やパッションを出している訳でもない。個性やパッションが無いのが個性であるのだとするならば、まあ仕方がないことだ。残響が長いホールでもちゃんと弾く奏者は沢山いるので、残響の長さを言い訳にすることは出来ない。単なる技量の問題であるだろう。ソリスト-アンコールはベートーヴェンのピアノ-ソナタ第17番第二楽章であったが、強奏部では馬脚が出て、雑だと感じる。まあ、横山幸雄はお目当ての楽団に無理矢理セットされていただけで、管弦楽の奏者か指揮のブラニー氏に矯正されたのか、本性を出したら危険との本人の自覚があったためなのか、無難に演奏してあまり邪魔しなかっただけ良しとする。お義理の小さな拍手を送っておく。感激して大きな拍手をしている方もいるが、数多くの演奏を聴ける環境でもなく、致し方のないことだ。

休憩後の三曲目のコレルリは、チェンバロとのバランスを取りつつもよく響かせた演奏であるが、曲想もあり、ちょっと眠くなりがちにもなる。

最後の、モーツァルトの協奏交響曲K.364は絶品である。コンサート-ミストレスがヴァイオリンのソリストであるが、スザンヌ=ブラニーの演奏は見事だ。ホール中をたっぷり朗々と響かせ、技術的には完璧であるし、さりげないテンポ変動のニュアンスを違和感なくビシッと効かせる構成力もある。終始管弦楽をリードする力もある。いつでも一流のソリストとして独立出来るだけの実力が感じられる。ドイツ的美女の、凛とした強さと美しさを想像させるような演奏であり、今日の演奏会の一番の立役者だ。

ヴィオラのStephan Pätzoldは、第二楽章に於けるスザンヌ=ブラニーとの掛け合いが、ニュアンスに富んだ表現で素晴らしい。

その他、管弦楽も実力者ぞろいで、ホルンは安定した素晴らしい完成度を誇る。木管も随所でアクセントを決め、協奏交響曲を引き締めていく。松本市音楽文化ホールの残響感もキッチリ把握し、完璧な豊かな響きで観客を圧倒する。

アンコールは、日本では良くありがちな「ふるさと」であるが、木管が吠えまくりニュアンス出しまくりの名演である。これは歌うのはもったいない。木管の音色を楽しむ事とした。

さすがドイツ、ソリストを外部から呼ばなくても、地方歌劇場の管弦楽団がこれ程まで演奏会の場で高いレベルで勝負できるのだ。彼らを全員出国禁止にして、新国立劇場に一人年収1億円で強制契約させ、何なら一人2億円でもいいから日本に留まらせるべきだろう♪これだけの奏者が歌劇場専属で演奏しているドイツがただただ羨ましい。

2014年11月30日日曜日

エスパーニャ国立ダンスカンパニー 名古屋公演 評 Compañía Nacional de Danza de España, Nagoya perfomance, review

2014年11月30日 日曜日 / Sunday, 30th November 2014
愛知県芸術劇場(愛知県名古屋市)/ Aichi Prefectural Arts Theater (Nagoya, Japan)

演目:
'Sub': Itzik Galili (2009)
'Falling Angels': Jirí Kylián (1989) 「堕ちた天使」
(休憩)
'Herman Schmerman': William Forsythe (1992) 「ヘルマン=シュメルマン」
part of 'Les Enfants du Paradis': José Carlos Martínez (2008) 「天井桟敷の人々」より
(休憩)
'Minus 16': Ohad Naharin (1999) 「マイナス16」

ダンスカンパニー:エスパーニャ国立ダンスカンパニー (Compañía Nacional de Danza de España)

芸術監督:ホセ=カルロス=マルティネス (José Carlos Martínez)

エスパーニャ国立ダンスカンパニーは、2014年11月30日から12月6日まで日本ツアーを実施し、上記演目を、愛知県芸術劇場で1公演、神奈川芸術劇場(神奈川県横浜市)で2公演、計3公演上演する。

この評は、2014年11月30日、愛知県芸術劇場に於ける公演に対するものである。

着席位置は一階やや前方やや上手側。前方上手側から変調する電子音のノイズが常時あった(補聴器?)。観客の鑑賞態度については、「天井桟敷の人々」で私語があったものの、概ね良好、「Minus 16」に於ける公演参加態度は極めて良好であった。

私の好みは、キリアン振り付けの「堕ちた天使」と、フォーサイス振り付けの「ヘルマン=シュメルマン」である。物語系はちょっと苦手なので、「天井桟敷の人々」はコメントしない事とする。なお、「天井桟敷の人々」に出演する予定であったホセ=カルロス=マルティネス芸術監督は、肩の負傷のため出演せず、エステバン=ベルランガ(プリンシパル)が代役を務めた。

「堕ちた天使」に於けるキリアンは天才だ。8人の女性ダンサーは不思議に美しく見えるし、タイミングのズラし方が絶妙だし。照明技法もある意味単純だけど、効果は絶大だ。

女性ダンサーはコンテンポラリー系であるのか、クラシックダンサーと比べてがっしりしているのだけれど、がっしりしているだけに強く踊ると美しく見えるのか。細身の女性がタイプの私にとって(♪)、その辺りの作用は本当に不思議だ。ソロで回転技を見せてくれたのは誰だろう?回転技が入ると私のツボにハマるので、一番好みのタイプの演技となる。

一回目の休憩後は、フォーサイスの「ヘルマン=シュメルマン」が好きである。「堕ちた天使」とは対照的に、体が細いクラシック系の女性ダンサーに変わって、ウフフな気持ちになるし。いや、そんなウフフ要素は別としても、クラシックダンサーならではの精度が高く三人の女性ダンサーの統一感があり、背も高くて、手指の大きさを生かした、力強さを伴った美しさに、惹きつけられる。フォーサイスの振り付けの構成力も素晴らしい。11月9日に、Los Angeles Dance Projectによる、'Quintett'を見たばかりだけど、この「ヘルマン=シュメルマン」も見事な作品であるし、この作品に要求される、クラシックとコンテンポラリーの要素の統合を、CNDのダンサーは完璧に演じた。

最後の「マイナス16」は、開始前(休憩時)からパフォーマンスがあったり、観客参加型だったりする異色の作品である。最初の15人による群舞っぽいものは、男女取り混ぜているが、顔と体つきをよく見ないと、男女の区別がつかないほど統一感が取れている。その一方で時間差も完璧で、綺麗なウェーブを築き上げている。

この「マイナス16」は観客参加型の作品であり、ダンサーに「強制連行」される観客のノリにも左右される。名フィルの演奏会に通い詰める音楽系観客と比べると、名古屋の舞踊系観客は冷めてるように思えたけど(キリアンの作品の後でさえ、小さなbraveが一つ飛んだ程度♪)、舞台に「強制連行」された観客はノリノリ♪観客参加型で盛り上げる事を邪道系と言ってしまえばそれまでだけど、とっても楽しい。私も赤いトレーナー着て「強制連行」されて見たら良かった♪♪

休憩35分を含めて、2時間45分の上演時間ではあったが、私にとっては短過ぎる♪でも、あれだけパワー溢れる踊りを繰り広げたのですから、ダンサーはバテバテでしょう。

今シーズンは、私のホームバレエカンパニーである新国立劇場バレエ団がクラシック偏重ということもあり、外来公演はコンテンポラリー系に絞っているが、なかなか観ることが難しい演目を楽しむ事が出来た。公立の劇場ならではの、このような公演が増える事を期待したい。