2015年4月29日 水曜日
Wednesday 29th April 2015
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
Karuizawa Ohga Hall (Karuizawa, Nagano prefecture, Japan)
曲目:
Georges Bizet: L'Arlésienne, Suite n.1 e n.2(アルルの女、第一・第二組曲)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Sinfonia n.5 op.64
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra(東京フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Andrea Battistoni (アンドレア=バッティストーニ)
東京フィルハーモニー交響楽団は、2015年4月29日に軽井沢大賀ホールで、軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会を開催した。指揮は、この四月に首席客演指揮者に就任したばかりのアンドレア=バッティストーニであり、就任後初の演奏会となる。このプログラムでの演奏会は、この軽井沢大賀ホールに於ける演奏会のみであり、東京を含め他の演奏会はない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスは最上手側を占める。木管パート・ホルン以外の金管パートは後方中央、ホルン・ハープ・パーカッションは後方下手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方中央、ほぼ満席である。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
前半の「アルルの女」組曲について、第一組曲の出来は良いとは言えない。第一楽章から響きの一体感が十分ではない。個々の楽器の演奏は良く響いていても、管弦楽全体としての響きがバラバラで、どの楽器を際立たせたいのか、その意図が不明だった。また、軽井沢大賀ホールのデッドな響きに苦しめられていた。弦楽が強く弾けば生々しい響きになるし、弱く弾くと他の楽器にかき消されてしまい、ホールの響きを味方につける事が出来ない。大賀典雄は、松本市音楽文化ホールのような豊かな残響を嫌っていたのだと思う。直撃音がきちんと来ることは想定しているが、柔らかく艶のある響きには決してならない。
しかしながら、第二組曲では管弦楽全体としての響きが統一性を持ち始めた。第四楽章は圧巻の出来である。
後半はチャイコフスキーの交響曲第五番だ。冒頭部から全てが噛み合い、完成度の高い演奏を予感させる。木管のソロも美しく響き、これを支える他楽器の支援も考えられている。バッティストーニのテンポの変動は、実はさりげないけど、その加減が絶妙だ。全般的に速めで躍動感に満ちているので、テンポの変動をやり過ぎる必要がないのだろう。大胆なテンポの変動は、曲の終了部のみである。なので、決してやり過ぎにはならない。管弦楽がついていくのは大変だろうが、見事にバッティストーニの意図を反映させていく。
私がゾクゾクしたのは、第四楽章冒頭の、高音弦から低音弦への受け渡しの箇所である。繊細に攻めるべきところは繊細に攻めている。第四楽章で弦管打がこれほどまで噛み合った演奏はなかなか聴けない。スリル感・ワイルド感溢れる響きだが、決して崩壊せず緊張感を保っている。ソリスティックな演奏箇所の見事さや、金管楽器の威力に頼らない演奏でもあるが、やはり弦楽がしっかりしているからであろう。弦楽が吠えることができるからこそ、木管・金管も活きてくるのだと思う。
アンコールはチャイコフスキーの弦楽セレナーデから第二楽章と、プログラムにもある「アルルの女」第二組曲第四楽章である。弦楽セレナーデでは弦楽の繊細さをアピールし、ファランドールでは弦管打全体での躍動感ある響きで華やかに終了する。
軽井沢大賀ホールはデッドな響きで艶はなく、ナマナマしく響き、私にとって決して好きな響きのホールではないが、「アルルの女」第一組曲を除いては、小容積の中規模ホールならではの密度ある響きを活かした演奏会であった。
2015年4月29日水曜日
2015年3月14日土曜日
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra, Nagoya performance, review 東京都交響楽団 名古屋公演 評
2015年3月14日 土曜日
Saturday 14th March 2015
愛知県芸術劇場 コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Richard Wagner: ‘Tristano e Isotta’ ‘Preludio e Morte di Isotta’ 「トリ
スタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」
(休憩)
Anton Bruckner: Sinfonia n. 4 (versione 1878-1880, Leopold Nowak)
orchestra: Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra(東京都交響楽団)
direttore: Eliahu Inbal / エリアフ=インバル
東京都交響楽団は、エリアフ=インバルの指揮の下、2015年3月14日・15日に名古屋・福岡ツアーを行っている。東京都交響楽団創立50周年を記念するしてのものである。2015年3月18日に、東京文化会館にて開催される、第784回定期演奏会と同一のプログラムである。
この評は、名古屋公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ハープは下手側、ティンパニは後方中央である。
着席位置は一階後方中央、客の入りは7割くらいか?正面席は三階まで埋まっているが、バルコニー席に空席が目立ち、特に三階部は顕著である。鑑賞態度は概ね極めて良好だった。
全般を通して、何をしたいのかが意図が伝わってくる演奏だ。細かい点で突っ込み所がない訳ではないが、そう言った意図なりパッションが伝わる演奏は、やはり私の心を納得させるものがある。
都響の素晴らしいところは、目指すべき地点をみんなで共有しているところである。その瞬間にどのような響きを出すのか、その意図が共有されているのだ。スタープレイヤーの個人技に頼らず、全員の一体感で攻める点が素晴らしい。みんながパッションを抱いているのがよく感じられるのだ。インバルはそのパッションを的確に交通整理する。その透徹なまでの見通しの良さ、構築力に感嘆させられる。
今日の演奏を聴くまで、ブルックナーは解釈の余地が狭く、下手に独自色を出してはいけないのだと思っていた。インバルは許容範囲を超えているはずなのに、このようなアプローチがあり得るのだと、強い説得力を感じた。
第一楽章で見せたアッチェレランドでゾクゾクさせられるスリルを感じる。純音楽的アプローチでこのような大胆な路線を見せられるが、全く反発心が起こらない。
全面降伏である。インバルの構築力だけではなく、インバルの意図を全楽団員が理解し、細かく設定された様式に的確に則りながらも、強い自発性で表現したからである。
インバルのブルックナーはブルックナーではないが、しかしこれも立派なブルックナーだ。
ブルックナーの4番が、あんなにドキドキする曲だとは思わなかった!題名通りに「ロマンティック」に演奏したらツマラナくなってしまうかも♪そんな新鮮な印象を受ける、愛知県での東京都交響楽団だった。
Saturday 14th March 2015
愛知県芸術劇場 コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Richard Wagner: ‘Tristano e Isotta’ ‘Preludio e Morte di Isotta’ 「トリ
スタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」
(休憩)
Anton Bruckner: Sinfonia n. 4 (versione 1878-1880, Leopold Nowak)
orchestra: Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra(東京都交響楽団)
direttore: Eliahu Inbal / エリアフ=インバル
東京都交響楽団は、エリアフ=インバルの指揮の下、2015年3月14日・15日に名古屋・福岡ツアーを行っている。東京都交響楽団創立50周年を記念するしてのものである。2015年3月18日に、東京文化会館にて開催される、第784回定期演奏会と同一のプログラムである。
この評は、名古屋公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ハープは下手側、ティンパニは後方中央である。
着席位置は一階後方中央、客の入りは7割くらいか?正面席は三階まで埋まっているが、バルコニー席に空席が目立ち、特に三階部は顕著である。鑑賞態度は概ね極めて良好だった。
全般を通して、何をしたいのかが意図が伝わってくる演奏だ。細かい点で突っ込み所がない訳ではないが、そう言った意図なりパッションが伝わる演奏は、やはり私の心を納得させるものがある。
都響の素晴らしいところは、目指すべき地点をみんなで共有しているところである。その瞬間にどのような響きを出すのか、その意図が共有されているのだ。スタープレイヤーの個人技に頼らず、全員の一体感で攻める点が素晴らしい。みんながパッションを抱いているのがよく感じられるのだ。インバルはそのパッションを的確に交通整理する。その透徹なまでの見通しの良さ、構築力に感嘆させられる。
今日の演奏を聴くまで、ブルックナーは解釈の余地が狭く、下手に独自色を出してはいけないのだと思っていた。インバルは許容範囲を超えているはずなのに、このようなアプローチがあり得るのだと、強い説得力を感じた。
第一楽章で見せたアッチェレランドでゾクゾクさせられるスリルを感じる。純音楽的アプローチでこのような大胆な路線を見せられるが、全く反発心が起こらない。
全面降伏である。インバルの構築力だけではなく、インバルの意図を全楽団員が理解し、細かく設定された様式に的確に則りながらも、強い自発性で表現したからである。
インバルのブルックナーはブルックナーではないが、しかしこれも立派なブルックナーだ。
ブルックナーの4番が、あんなにドキドキする曲だとは思わなかった!題名通りに「ロマンティック」に演奏したらツマラナくなってしまうかも♪そんな新鮮な印象を受ける、愛知県での東京都交響楽団だった。
2015年3月7日土曜日
Dance Archive in Japan 2015 評
新国立劇場 中劇場(東京)
第一部
「機械は生きている」(1948年)
【振付・音楽】石井 漠
【演奏】加藤訓子(打楽器)
【出演】石井 登 ほか
「マスク」(1923年)
【振付】石井 漠
【音楽】アレクサンドル=スクリャービン
【出演】石井かほる
「恐怖の踊り」(1932年)
【振付】執行正俊
【音楽】マヌエル=デ-ファリャ『恋は魔術師』より
【出演】小林洋壱
「釣り人」(1939年)
【振付】檜 健次
【音楽】宇賀神味津男
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】片岡通人
「スカラ座のまり使い」(1935年)(3つのバージョンでの上演)
【振付】江口隆哉
【音楽】フランツ=シューベルト『スケルツォ』D593
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】1. 木原浩太 2. 西川箕乃助 3. 佐藤一哉・堀登
第二部
「体(たい)」(1961年)
【振付】石井みどり
【音楽】イーゴリ=ストラヴィンスキー『春の祭典』
【装置・衣裳】前田哲彦
【出演】酒井はな・佐々木大 他
ダンス-アーカイブ in Japan 2015は新国立劇場中劇場に於いて、2015年3月7日から8日にかけ2公演上演される。この評は、一回目3月7日の公演に対するものである。
第一部について、私の感覚はいつもの通りに変わっていると思うが、「釣り人」や「スカラ座のまり使い」の日本舞踊バージョンが興味深かった。「スカラ座」の方は、日本舞踊の時間的デフォルメ感覚が歌舞伎の影響を受けているのかなあと思わされる。殺陣の場面で、いい子ちゃんの主役が見得を切っている間に、どうして悪役はやっつけないの?とついつい感じてしまう時間感覚が似ているのだなあっと。常日頃、悪事ばかり企んでいるからかもしれないが♪
最初の演目である「機械は生きている」は、純ダンス的要素とは別に、その当時の日本のメカニカルな要素の強い工場が浮かび上がってくる。半導体工場やロボットばかりの自動車工場とは違う、なんて言うか、歯車とプレス機械に囲まれた1930年代の工場に連れて行かれた感覚だ。妙に同時代的感覚に支配されてくる。
第二部は「体」、「春の祭典」であるが、別の題名を付けているのは意味がある。
酒井はな さんは華やかな踊りで、新国立劇場バレエ団現役時代に見て置きたかったなあと・・。もちろん華やかさだけでなくて、言語化することを意図して見てはいないのでどのように表現するべきかわからないのだけれど、私にとっては完璧で、新国立劇場バレエ団時代に見ていたらファンになっちゃっていたかも♪「こうもり」のベラ役とか面白そうだなと思ったり♪♪
「体」はソリストの出演場面は少なく、群舞が中心になるが、前半部で女性群舞が一斉にシャープに決める場面は、私としては密かにテンションが上がるところ。そのテンションを保って終わったような感じか。舞台は、新国立劇場中劇場独特の構造を活かし、主舞台とその前方の前舞台(オケピットの場所に相当)を用い、長方形状に奥行きのある広さであるが、その空間を十分に活かし躍動感を感じさせる。
酒井はな さんがラストの場面で生贄にされる乙女の踊りをするのかと想定していたが、全く違うストーリー展開で、生贄が倒れるどころか、酒井はな さんが笑みを浮かべて、凱歌を上げるような終わり方は意外過ぎて、つい苦笑してしまったが、ここに「春の祭典」とはしなかった意味があるのだな。
Dance Archive in Japan 2015、財政面でいろいろと厳しいのだろうが、Archiveの中の作品をArchiveの中に閉じ込めて死蔵したままにしておくのではなく、生の実演の形で生きた形にするという点で、国立の劇場としての使命を果たしている。この事業は続けていって欲しいと願う。
第一部
「機械は生きている」(1948年)
【振付・音楽】石井 漠
【演奏】加藤訓子(打楽器)
【出演】石井 登 ほか
「マスク」(1923年)
【振付】石井 漠
【音楽】アレクサンドル=スクリャービン
【出演】石井かほる
「恐怖の踊り」(1932年)
【振付】執行正俊
【音楽】マヌエル=デ-ファリャ『恋は魔術師』より
【出演】小林洋壱
「釣り人」(1939年)
【振付】檜 健次
【音楽】宇賀神味津男
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】片岡通人
「スカラ座のまり使い」(1935年)(3つのバージョンでの上演)
【振付】江口隆哉
【音楽】フランツ=シューベルト『スケルツォ』D593
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】1. 木原浩太 2. 西川箕乃助 3. 佐藤一哉・堀登
第二部
「体(たい)」(1961年)
【振付】石井みどり
【音楽】イーゴリ=ストラヴィンスキー『春の祭典』
【装置・衣裳】前田哲彦
【出演】酒井はな・佐々木大 他
ダンス-アーカイブ in Japan 2015は新国立劇場中劇場に於いて、2015年3月7日から8日にかけ2公演上演される。この評は、一回目3月7日の公演に対するものである。
第一部について、私の感覚はいつもの通りに変わっていると思うが、「釣り人」や「スカラ座のまり使い」の日本舞踊バージョンが興味深かった。「スカラ座」の方は、日本舞踊の時間的デフォルメ感覚が歌舞伎の影響を受けているのかなあと思わされる。殺陣の場面で、いい子ちゃんの主役が見得を切っている間に、どうして悪役はやっつけないの?とついつい感じてしまう時間感覚が似ているのだなあっと。常日頃、悪事ばかり企んでいるからかもしれないが♪
最初の演目である「機械は生きている」は、純ダンス的要素とは別に、その当時の日本のメカニカルな要素の強い工場が浮かび上がってくる。半導体工場やロボットばかりの自動車工場とは違う、なんて言うか、歯車とプレス機械に囲まれた1930年代の工場に連れて行かれた感覚だ。妙に同時代的感覚に支配されてくる。
第二部は「体」、「春の祭典」であるが、別の題名を付けているのは意味がある。
酒井はな さんは華やかな踊りで、新国立劇場バレエ団現役時代に見て置きたかったなあと・・。もちろん華やかさだけでなくて、言語化することを意図して見てはいないのでどのように表現するべきかわからないのだけれど、私にとっては完璧で、新国立劇場バレエ団時代に見ていたらファンになっちゃっていたかも♪「こうもり」のベラ役とか面白そうだなと思ったり♪♪
「体」はソリストの出演場面は少なく、群舞が中心になるが、前半部で女性群舞が一斉にシャープに決める場面は、私としては密かにテンションが上がるところ。そのテンションを保って終わったような感じか。舞台は、新国立劇場中劇場独特の構造を活かし、主舞台とその前方の前舞台(オケピットの場所に相当)を用い、長方形状に奥行きのある広さであるが、その空間を十分に活かし躍動感を感じさせる。
酒井はな さんがラストの場面で生贄にされる乙女の踊りをするのかと想定していたが、全く違うストーリー展開で、生贄が倒れるどころか、酒井はな さんが笑みを浮かべて、凱歌を上げるような終わり方は意外過ぎて、つい苦笑してしまったが、ここに「春の祭典」とはしなかった意味があるのだな。
Dance Archive in Japan 2015、財政面でいろいろと厳しいのだろうが、Archiveの中の作品をArchiveの中に閉じ込めて死蔵したままにしておくのではなく、生の実演の形で生きた形にするという点で、国立の劇場としての使命を果たしている。この事業は続けていって欲しいと願う。
2015年3月1日日曜日
ボストン美術館 華麗なるジャポニズム展 印象派を魅了した日本の美
名古屋ボストン美術館 2015年3月1日 日曜日
2014年6月28日から、世田谷美術館(東京)・京都市美術館(京都府京都市)と続いて、2015年1月2日から5月10日までは名古屋ボストン美術館でこの展覧会が開催されている。
東京:大阪:名古屋の美術展観客動員数は、10:5:3であるそうだが、そのような状況の上に展示期間は名古屋が一番長く、良好な環境で鑑賞できることを期待し、混雑が予想される会期始め・会期末にならない中間の3月1日に行くこととした。前日には、トゥールーズ-キャピトル管弦楽団の名古屋公演が愛知県芸術劇場コンサートホールであったので、ちょうど良い。
2014年9月にボストン美術館に行った私にとっては、この展覧会に行くことによって、昨年9月にボストンにはなかった作品を見ることが出来るとの計算も働いた。
余裕を持って時間を確保さえすれば、一番の目玉であるであるクロード=モネ作の「ラ-ジャポネーズ」(目録番号26)ですら、独り占めする時間があるほどだ。狙いは当たった。
一年近くに渡って、作品がボストンを離れ日本ツアーを行っているが、それはボストン美術館の展示室が不足気味で、特に日本の作品の展示室が著しく少ないためである。決して気前が良い訳ではないだろう。浮世絵を紹介するための展示室は実質第280号室のみ、十万点以上の日本作品コレクションを持っているとされるのに、これでは作品は収蔵庫の中にしか入れられない。印象派の作品についても、メトロポリタン美術館ほどではないとしても、かなり充実しているので、それなりの作品を長期間出しても、ボストン美術館の展示室に支障はないのだ。
今回の展覧会は、日本趣味、女性、シティ-ライフ、自然、風景と五つに分けて、作品を紹介している。
以下、私なりの注目作品と、感想を述べる。
1.日本趣味
最初の六点の葛飾北斎・歌川広重の作品からして良いものを出してくる。
目録番号1: 葛飾北斎「富嶽三十六景 武州千住」
目録番号2: 歌川広重「東海道五拾三次内 三島 朝霧」
目録番号3: 歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
目録番号4: 歌川広重「名所江戸風景 亀戸梅屋舗」
目録番号5: 歌川広重「名所江戸風景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」
目録番号6: 歌川広重「名所江戸風景 浅草田甫酉の町詣」
こうした作品を見ていると、日本の浮世絵がいかにグラデーションを要所のみに用いていて、色彩も鮮やかでありながらシンプルで、これらの結果、グラデーションを用いている箇所でさえ輪郭の明瞭感が強調されるのだなと思う。
2.女性
目録番号23: クロード=モネ「ラ=ジャポネーズ」
女性は当時のモネの妻、カミーユ=モネである。内掛の図柄は謡曲「紅葉狩」ではないかとの説を解説板で出しており、そうだとすると、内掛の腰から下にある武者が、美女のふりして油断させて武者の命を狙おうとしていた鬼女を成敗する事となるようで、そうなるとカミーユは鬼女となってしまうのだが、どうせモネ一家はそんな経緯など知らずにこの内掛を使ってのだろう。武者が立体的に見える瞬間もあって、実に精緻に描かれていたのだなあと思い知らされる。
目録番号25: 鳥橋斎栄里「(近江八景 石山秋月)丁小屋内 雛鶴つるし つるの」
目録番号26: 菊川英山「風流近江八景 石山」
目録番号28: エドマンド=チャールズ=ターベル「夢想(キャサリン-フィン)」
目録番号29: フランク=ウェストン=ベンソン「装飾的頭像」
3.シティ-ライフ
(特になし)
4.自然
目録番号88: チャールズ=キャリル=コールマン「つつじと林檎の花のある静物」
目録番号94: アンリ=マティス「花瓶の花」
5.風景
目録番号109: 歌川広重「東海道五拾三次内 岡崎 矢矧之橋」
目録番号131: 歌川広重「名所江戸風景 鉄炮洲稲荷橋湊神社」
目録番号137: 歌川広重「名所江戸風景 神田明神曙之景」
目録番号138: ジョン=ラファージ「ヒルサイド-スタデイ(二本の木)」
目録137と138は、138が137の影響を受けていると示す展示方法である。ラファージは広重の空と全く同様に空を描いているが、どうもしっくりこない。浮世絵の影響を受けてばかりで、ラファージ自らの消化が足りない印象を受ける。
目録番号139: 歌川広重「名所江戸風景 愛宕下藪小路」
目録番号140: カミーユ=ピサロ「雪に映える朝日、エラニー-シュル-エプト」
目録139と140は、140が139の影響を受けていると示す展示方法である。
140の作品を見せられても、浮世絵の影響を受けていると素人が見破る事は困難であろう。浮世絵から得た物をピサロ自身の中で消化し、ピサロ自身の様式に落とし込む事に成功している。
目録番号143: 歌川広重「東海道五拾三次内 四日市 三重川」
目録番号144: クロード=モネ「トルーヴィルの海岸」
目録番号145: 歌川広重「東海道五拾三次内 鞠子 名物茶屋」
目録番号146: クロード=モネ「積み藁(日没)」
上記四点の作品も、それぞれ下の作品が上の作品の影響を受けていると示す展示方法である。モネの作品を見ていると、いかに浮世絵の要素を消化して、それぞれの画家の様式に落とし込む事が大切かが良く分かる。モネ・ピサロは優れた例である。日本の流儀をそのまま西洋に移植するのは、その逆がそうであるように、やはり無理があり、良い作品にはならない。影響を受けつつも、自らの様式を確立して表現する事が如何に重要かを思い知らされる。
目録番号147: クロード=モネ「睡蓮の池」
目録番号148: クロード=モネ「睡蓮」
睡蓮の作を二点ボストンから旅出させた。これらの作品を出しても、ボストン美術館の展示室を埋める作品はいくらでもあるのだ。良いことなの悪いことなのかは分からないが。
印象派・浮世絵が好きな方は、名古屋駅から電車で5分の金山駅前にある、名古屋ボストン美術館に行って、この展覧会をご覧になることを進めたい。休憩を含めずに三時間あれば余裕だろう。名フィルの演奏会とセットに訪問するのもいいのかも知れない。
2014年6月28日から、世田谷美術館(東京)・京都市美術館(京都府京都市)と続いて、2015年1月2日から5月10日までは名古屋ボストン美術館でこの展覧会が開催されている。
東京:大阪:名古屋の美術展観客動員数は、10:5:3であるそうだが、そのような状況の上に展示期間は名古屋が一番長く、良好な環境で鑑賞できることを期待し、混雑が予想される会期始め・会期末にならない中間の3月1日に行くこととした。前日には、トゥールーズ-キャピトル管弦楽団の名古屋公演が愛知県芸術劇場コンサートホールであったので、ちょうど良い。
2014年9月にボストン美術館に行った私にとっては、この展覧会に行くことによって、昨年9月にボストンにはなかった作品を見ることが出来るとの計算も働いた。
余裕を持って時間を確保さえすれば、一番の目玉であるであるクロード=モネ作の「ラ-ジャポネーズ」(目録番号26)ですら、独り占めする時間があるほどだ。狙いは当たった。
一年近くに渡って、作品がボストンを離れ日本ツアーを行っているが、それはボストン美術館の展示室が不足気味で、特に日本の作品の展示室が著しく少ないためである。決して気前が良い訳ではないだろう。浮世絵を紹介するための展示室は実質第280号室のみ、十万点以上の日本作品コレクションを持っているとされるのに、これでは作品は収蔵庫の中にしか入れられない。印象派の作品についても、メトロポリタン美術館ほどではないとしても、かなり充実しているので、それなりの作品を長期間出しても、ボストン美術館の展示室に支障はないのだ。
今回の展覧会は、日本趣味、女性、シティ-ライフ、自然、風景と五つに分けて、作品を紹介している。
以下、私なりの注目作品と、感想を述べる。
1.日本趣味
最初の六点の葛飾北斎・歌川広重の作品からして良いものを出してくる。
目録番号1: 葛飾北斎「富嶽三十六景 武州千住」
目録番号2: 歌川広重「東海道五拾三次内 三島 朝霧」
目録番号3: 歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
目録番号4: 歌川広重「名所江戸風景 亀戸梅屋舗」
目録番号5: 歌川広重「名所江戸風景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」
目録番号6: 歌川広重「名所江戸風景 浅草田甫酉の町詣」
こうした作品を見ていると、日本の浮世絵がいかにグラデーションを要所のみに用いていて、色彩も鮮やかでありながらシンプルで、これらの結果、グラデーションを用いている箇所でさえ輪郭の明瞭感が強調されるのだなと思う。
2.女性
目録番号23: クロード=モネ「ラ=ジャポネーズ」
女性は当時のモネの妻、カミーユ=モネである。内掛の図柄は謡曲「紅葉狩」ではないかとの説を解説板で出しており、そうだとすると、内掛の腰から下にある武者が、美女のふりして油断させて武者の命を狙おうとしていた鬼女を成敗する事となるようで、そうなるとカミーユは鬼女となってしまうのだが、どうせモネ一家はそんな経緯など知らずにこの内掛を使ってのだろう。武者が立体的に見える瞬間もあって、実に精緻に描かれていたのだなあと思い知らされる。
目録番号25: 鳥橋斎栄里「(近江八景 石山秋月)丁小屋内 雛鶴つるし つるの」
目録番号26: 菊川英山「風流近江八景 石山」
目録番号28: エドマンド=チャールズ=ターベル「夢想(キャサリン-フィン)」
目録番号29: フランク=ウェストン=ベンソン「装飾的頭像」
3.シティ-ライフ
(特になし)
4.自然
目録番号88: チャールズ=キャリル=コールマン「つつじと林檎の花のある静物」
目録番号94: アンリ=マティス「花瓶の花」
5.風景
目録番号109: 歌川広重「東海道五拾三次内 岡崎 矢矧之橋」
目録番号131: 歌川広重「名所江戸風景 鉄炮洲稲荷橋湊神社」
目録番号137: 歌川広重「名所江戸風景 神田明神曙之景」
目録番号138: ジョン=ラファージ「ヒルサイド-スタデイ(二本の木)」
目録137と138は、138が137の影響を受けていると示す展示方法である。ラファージは広重の空と全く同様に空を描いているが、どうもしっくりこない。浮世絵の影響を受けてばかりで、ラファージ自らの消化が足りない印象を受ける。
目録番号139: 歌川広重「名所江戸風景 愛宕下藪小路」
目録番号140: カミーユ=ピサロ「雪に映える朝日、エラニー-シュル-エプト」
目録139と140は、140が139の影響を受けていると示す展示方法である。
140の作品を見せられても、浮世絵の影響を受けていると素人が見破る事は困難であろう。浮世絵から得た物をピサロ自身の中で消化し、ピサロ自身の様式に落とし込む事に成功している。
目録番号143: 歌川広重「東海道五拾三次内 四日市 三重川」
目録番号144: クロード=モネ「トルーヴィルの海岸」
目録番号145: 歌川広重「東海道五拾三次内 鞠子 名物茶屋」
目録番号146: クロード=モネ「積み藁(日没)」
上記四点の作品も、それぞれ下の作品が上の作品の影響を受けていると示す展示方法である。モネの作品を見ていると、いかに浮世絵の要素を消化して、それぞれの画家の様式に落とし込む事が大切かが良く分かる。モネ・ピサロは優れた例である。日本の流儀をそのまま西洋に移植するのは、その逆がそうであるように、やはり無理があり、良い作品にはならない。影響を受けつつも、自らの様式を確立して表現する事が如何に重要かを思い知らされる。
目録番号147: クロード=モネ「睡蓮の池」
目録番号148: クロード=モネ「睡蓮」
睡蓮の作を二点ボストンから旅出させた。これらの作品を出しても、ボストン美術館の展示室を埋める作品はいくらでもあるのだ。良いことなの悪いことなのかは分からないが。
印象派・浮世絵が好きな方は、名古屋駅から電車で5分の金山駅前にある、名古屋ボストン美術館に行って、この展覧会をご覧になることを進めたい。休憩を含めずに三時間あれば余裕だろう。名フィルの演奏会とセットに訪問するのもいいのかも知れない。
2015年2月28日土曜日
Orchestre National du Capitole de Toulouse, Nagoya performance, review トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団 名古屋公演 評
2015年2月28日 土曜日
Saturday 28th February 2015
愛知県芸術劇場 コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Frédéric Chopin: Concerto per pianoforte e orchestra n.1 op.11
(休憩)
Николай Римский-Корсаков / Nikolai Rimsky-Korsakov: suite sinfonica 'Shahrazād' op.35 (シェエラザード)
pianoforte: Юлианна Андреевна Авдеева / Yulianna Avdeeva / ユリアンナ=アヴデーエワ
orchestra: Orchestre National du Capitole de Toulouse (トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団)
direttore: Сохиты Таймуразы фырт Тугъан / Tugan Sokhiev / トゥガン=ソヒエフ
トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団は、ユリアンナ=アヴデーエワをソリストに迎え、音楽監督であるトゥガン=ソヒエフの指揮の下、来日公演を行っている。2015年2月20日から3月2日まで、大阪・東京・広島・福岡・金沢・名古屋・仙台・川崎にて計8公演の日程である。
この評は、六回目の名古屋公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ハープは下手側に置かれている。
着席位置は二階中央上手側、客の入りは7割位か。二階バルコニー・三階席に空席が目立つ。観客の鑑賞態度は、前半部にビニールのおとを鳴らしていた人物がいた以外は、良好であった。
前半はユリアンナ=アヴデーエワのピアノは繊細かつ品のある演奏である。テンポはやや遅めであり、一音一音を掘り起こす意図もあるのだろう。感情は抑制的で、知的なアプローチで、マリア=ジョアウ=ピレシュと似ているか否かは知らないが、文字に書き起こして見ると似ているのかもしれない。響きは違うと思うけど。いずれにしても、Brava!
ユリアンナのリサイタルを聴くとするならば、600-800席クラスの中規模ホールで聴きたい。繊細さで攻めるタイプなので、大ホールでは基本的に無理がある。
一方で、ユリアンナと管弦楽とのコンビネーションの点では、検討不足と感じられる所がある。ユリアンナが繊細に弾いている所で、第一楽章でのあのホルンの出しゃばったソロはどうなのか?ここのホルンも繊細な響きを志向し、うまくサポートしてユリアンナとの統一感を感じさせる響きを実現して欲しかった。
後半は「シェエラザード」。ベルリン-フィル級の個人技で攻める方向ではないものの、全体としての完成度は高い。弦は、低弦に注目させられ、第一・第二楽章での精緻かつ迫力あるコントラバスに耳を奪われる。また、全般的にチェロのソロが素晴らしい。
第二楽章では、オーボエ→クラリネットと続くソロが、最高に素晴らしい。個人技を見せつけた、後半部の白眉である。奏者の自発性溢れるニュアンスも込められ、これ以上何を求めようか?
弦楽は第三楽章が良かった。第四楽章は、愛知芸文で大管弦楽を聴く醍醐味を感じさせる完成度の高い出来で、難破する場面でテンポをタメる小技の相乗効果も、見事に決まっていた。
ソヒエフの指揮は、奇を衒う所はなく、テンポを一瞬遅くする小技を何箇所か使う程度であるが、やり過ぎないので、実に効果的なアクセントとなる。ソヒエフならではのオケの構築力を感じさせる演奏会であった。
アンコールは、ユリアンナのソリスト-アンコールは、ショパンのワルツop.42、終了時は二曲あり、ビゼー歌劇「カルメン」から第三幕への間奏曲と、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」からトレパックであった。
Saturday 28th February 2015
愛知県芸術劇場 コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Frédéric Chopin: Concerto per pianoforte e orchestra n.1 op.11
(休憩)
Николай Римский-Корсаков / Nikolai Rimsky-Korsakov: suite sinfonica 'Shahrazād' op.35 (シェエラザード)
pianoforte: Юлианна Андреевна Авдеева / Yulianna Avdeeva / ユリアンナ=アヴデーエワ
orchestra: Orchestre National du Capitole de Toulouse (トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団)
direttore: Сохиты Таймуразы фырт Тугъан / Tugan Sokhiev / トゥガン=ソヒエフ
トゥールーズ-キャピトル国立管弦楽団は、ユリアンナ=アヴデーエワをソリストに迎え、音楽監督であるトゥガン=ソヒエフの指揮の下、来日公演を行っている。2015年2月20日から3月2日まで、大阪・東京・広島・福岡・金沢・名古屋・仙台・川崎にて計8公演の日程である。
この評は、六回目の名古屋公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ハープは下手側に置かれている。
着席位置は二階中央上手側、客の入りは7割位か。二階バルコニー・三階席に空席が目立つ。観客の鑑賞態度は、前半部にビニールのおとを鳴らしていた人物がいた以外は、良好であった。
前半はユリアンナ=アヴデーエワのピアノは繊細かつ品のある演奏である。テンポはやや遅めであり、一音一音を掘り起こす意図もあるのだろう。感情は抑制的で、知的なアプローチで、マリア=ジョアウ=ピレシュと似ているか否かは知らないが、文字に書き起こして見ると似ているのかもしれない。響きは違うと思うけど。いずれにしても、Brava!
ユリアンナのリサイタルを聴くとするならば、600-800席クラスの中規模ホールで聴きたい。繊細さで攻めるタイプなので、大ホールでは基本的に無理がある。
一方で、ユリアンナと管弦楽とのコンビネーションの点では、検討不足と感じられる所がある。ユリアンナが繊細に弾いている所で、第一楽章でのあのホルンの出しゃばったソロはどうなのか?ここのホルンも繊細な響きを志向し、うまくサポートしてユリアンナとの統一感を感じさせる響きを実現して欲しかった。
後半は「シェエラザード」。ベルリン-フィル級の個人技で攻める方向ではないものの、全体としての完成度は高い。弦は、低弦に注目させられ、第一・第二楽章での精緻かつ迫力あるコントラバスに耳を奪われる。また、全般的にチェロのソロが素晴らしい。
第二楽章では、オーボエ→クラリネットと続くソロが、最高に素晴らしい。個人技を見せつけた、後半部の白眉である。奏者の自発性溢れるニュアンスも込められ、これ以上何を求めようか?
弦楽は第三楽章が良かった。第四楽章は、愛知芸文で大管弦楽を聴く醍醐味を感じさせる完成度の高い出来で、難破する場面でテンポをタメる小技の相乗効果も、見事に決まっていた。
ソヒエフの指揮は、奇を衒う所はなく、テンポを一瞬遅くする小技を何箇所か使う程度であるが、やり過ぎないので、実に効果的なアクセントとなる。ソヒエフならではのオケの構築力を感じさせる演奏会であった。
アンコールは、ユリアンナのソリスト-アンコールは、ショパンのワルツop.42、終了時は二曲あり、ビゼー歌劇「カルメン」から第三幕への間奏曲と、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」からトレパックであった。
2015年2月22日日曜日
National Ballet of Japan ‘la Bayadère’ (February 2015) review 新国立劇場バレエ団「ラ-バヤデール」(2015年2月) 評
新国立劇場バレエ団「ラ-バヤデール」(2015年2月) 評
2015年2月22日 日曜日
Sunday 22nd February 2015
新国立劇場(東京)
New National Theatre, Tokyo (NNTT) (Tokyo, Japan)
compagnia di balletto: National Ballet of Japan (新国立劇場バレエ団)
Nikiya: Yonezawa Yui (米沢唯)
Solor: Fukuoka Yudai (福岡雄大)
Gamzatti: Nagata Kayo (長田佳世)
Bronze Idol: Okumura Kosuke (奥村康祐)
Music: Leon MINKUS
Music Arranged by: John LANCHBERY
Choreography: Marius PETIPA
Production: MAKI Asami (牧阿佐美)
orchestra: Tokyo Symphony Orchestra (東京交響楽団)
direttore: Олексій Баклан/ Alexei BAKLAN (指揮:アレクセイ=バクラン)
新国立劇場バレエ団は、2月17日から2月22日までに‘la Bayadère’を計4公演、新国立劇場で上演する。
この評は、千秋楽2月22日の公演に対するものである。
着席位置は前方やや上手側。観客の入りはほぼ満席である。観客の鑑賞態度は、一階前方席で私語が若干あったものの、概ね極めて良好だった。
いつものように、贔屓にしている米沢唯ちゃんから。
本日は主役のニキヤ役、体調は万全ではなかったような気もするが(私が神経過敏だっただけで、妄想かも知れない)、それでも第一幕・第三幕は素晴らしい演技を披露した。技巧を披露する方向性ではなく、演技の完成度を高める方向性で攻めたように思える。
特に第一幕では、哀愁を帯びた演技で、緩徐なテンポ設定の下、ニュアンス豊かに踊る。逢瀬の場面でも、嬉しそうな要素は希薄で、むしろ、この恋が実りそうもない事を予感させるような、悲しい表情だ。身分違いの恋であり、心の奥底に破滅への不安がある、そのような心境を見事に表現している。第一幕は特に純ダンス技術的にも完璧で、物語に心を寄せる事が出来る。
一方、第三幕では完成度の高い演技の方向で、死の世界を強調するニキヤである。どこか冷たく美しい第三幕での唯ちゃんニキヤだ。
米沢唯ちゃんは、どちらかと言うと身体能力の高さが強調され、もちろんその点は最大の強みなのだろうけど、体調が仮に万全な状態で無かったのだとしても、ここまで演技を形にできる。もともとの身体能力が高いからなのだろう。今回の「ラ-バヤデール」で唯ちゃんは大化けしたような気がする。「白鳥の湖」の(オディール役だけでなく)オデット役も、これまで以上のレベルで魅せてくれるのではないかと、予感する。
ソロル役の福岡雄大さんは身体能力見せ付けの方に走ったような感もあるのは、私の気のせいか?私は男性ダンサーはろくすっぽ見ていないのだけれど(ごめんなさい)、しかし身体能力見せ付け系は、それはそれで私は好きである♪
今日は関西から大挙応援団が来ているからか、関西出身ダンサーへの声援が凄い♪
ガムザッティ役の長田佳世さんは、第二幕ニキヤのソロの場面で、ソロルは私のものよと見せ付けたりはしない感じである。佳世さんガムザッティは、一見怖いようだが根は悪人ではない感じで、「パゴダの王子」のエピーヌ皇后の時と同じ路線のような気がする。佳世さんは、不倫をしたら即バレるタイプで♪、悪事が露呈するとすぐ動揺するエピーヌ皇后だったけど、今回のガムザッティでも、悪人になり切れないような印象を与える点が共通しているような・・・。佳世さんはそんな風に悪役を表現したいのかな?私の妄想かもしれないが。
そんな佳世さんは、「ソロルは私のものよ♪」と見せ付ける唯ちゃんとは対照的な印象を持った。唯ちゃんは、自身が中央で踊っていない場合であっても仕掛けをする事があるけど、佳世さんはしないのだよな。本島美和さんはどうだったのだろう・・・。昨日やはり行くべきだった。
第三幕の「影の王国」、ソリスト三人で踊っている姿を見て一番好きなのは、細田千晶さん、指先まで綺麗に決まっている。
群舞は全般的に、2/19の時より精度が高く、完成度を増した印象を持つ。ジャンペの踊りで、特に感じる。なお、あきらにゃん好みの美貌の関晶帆さんは、うれしい事に群舞の前方に位置する時間が長めだ♪目の保養になるなあっと、晶帆たんばっかり見惚れているなんて事は、ないない(まあ、時間的な比率は2~3割程度、そのくらいの不真面目さは許してくださいな)♪♪
2月19日の公演と同じ総括となってしまうが、全体的にソリストもコールドも管弦楽も、士気の高さを感じさせる出来で、非常に高いレベルの舞台芸術を実現させた。特に群舞は、千秋楽で一気に進化した。たった四公演であるのが残念である。
2015年2月22日 日曜日
Sunday 22nd February 2015
新国立劇場(東京)
New National Theatre, Tokyo (NNTT) (Tokyo, Japan)
compagnia di balletto: National Ballet of Japan (新国立劇場バレエ団)
Nikiya: Yonezawa Yui (米沢唯)
Solor: Fukuoka Yudai (福岡雄大)
Gamzatti: Nagata Kayo (長田佳世)
Bronze Idol: Okumura Kosuke (奥村康祐)
Music: Leon MINKUS
Music Arranged by: John LANCHBERY
Choreography: Marius PETIPA
Production: MAKI Asami (牧阿佐美)
orchestra: Tokyo Symphony Orchestra (東京交響楽団)
direttore: Олексій Баклан/ Alexei BAKLAN (指揮:アレクセイ=バクラン)
新国立劇場バレエ団は、2月17日から2月22日までに‘la Bayadère’を計4公演、新国立劇場で上演する。
この評は、千秋楽2月22日の公演に対するものである。
着席位置は前方やや上手側。観客の入りはほぼ満席である。観客の鑑賞態度は、一階前方席で私語が若干あったものの、概ね極めて良好だった。
いつものように、贔屓にしている米沢唯ちゃんから。
本日は主役のニキヤ役、体調は万全ではなかったような気もするが(私が神経過敏だっただけで、妄想かも知れない)、それでも第一幕・第三幕は素晴らしい演技を披露した。技巧を披露する方向性ではなく、演技の完成度を高める方向性で攻めたように思える。
特に第一幕では、哀愁を帯びた演技で、緩徐なテンポ設定の下、ニュアンス豊かに踊る。逢瀬の場面でも、嬉しそうな要素は希薄で、むしろ、この恋が実りそうもない事を予感させるような、悲しい表情だ。身分違いの恋であり、心の奥底に破滅への不安がある、そのような心境を見事に表現している。第一幕は特に純ダンス技術的にも完璧で、物語に心を寄せる事が出来る。
一方、第三幕では完成度の高い演技の方向で、死の世界を強調するニキヤである。どこか冷たく美しい第三幕での唯ちゃんニキヤだ。
米沢唯ちゃんは、どちらかと言うと身体能力の高さが強調され、もちろんその点は最大の強みなのだろうけど、体調が仮に万全な状態で無かったのだとしても、ここまで演技を形にできる。もともとの身体能力が高いからなのだろう。今回の「ラ-バヤデール」で唯ちゃんは大化けしたような気がする。「白鳥の湖」の(オディール役だけでなく)オデット役も、これまで以上のレベルで魅せてくれるのではないかと、予感する。
ソロル役の福岡雄大さんは身体能力見せ付けの方に走ったような感もあるのは、私の気のせいか?私は男性ダンサーはろくすっぽ見ていないのだけれど(ごめんなさい)、しかし身体能力見せ付け系は、それはそれで私は好きである♪
今日は関西から大挙応援団が来ているからか、関西出身ダンサーへの声援が凄い♪
ガムザッティ役の長田佳世さんは、第二幕ニキヤのソロの場面で、ソロルは私のものよと見せ付けたりはしない感じである。佳世さんガムザッティは、一見怖いようだが根は悪人ではない感じで、「パゴダの王子」のエピーヌ皇后の時と同じ路線のような気がする。佳世さんは、不倫をしたら即バレるタイプで♪、悪事が露呈するとすぐ動揺するエピーヌ皇后だったけど、今回のガムザッティでも、悪人になり切れないような印象を与える点が共通しているような・・・。佳世さんはそんな風に悪役を表現したいのかな?私の妄想かもしれないが。
そんな佳世さんは、「ソロルは私のものよ♪」と見せ付ける唯ちゃんとは対照的な印象を持った。唯ちゃんは、自身が中央で踊っていない場合であっても仕掛けをする事があるけど、佳世さんはしないのだよな。本島美和さんはどうだったのだろう・・・。昨日やはり行くべきだった。
第三幕の「影の王国」、ソリスト三人で踊っている姿を見て一番好きなのは、細田千晶さん、指先まで綺麗に決まっている。
群舞は全般的に、2/19の時より精度が高く、完成度を増した印象を持つ。ジャンペの踊りで、特に感じる。なお、あきらにゃん好みの美貌の関晶帆さんは、うれしい事に群舞の前方に位置する時間が長めだ♪目の保養になるなあっと、晶帆たんばっかり見惚れているなんて事は、ないない(まあ、時間的な比率は2~3割程度、そのくらいの不真面目さは許してくださいな)♪♪
2月19日の公演と同じ総括となってしまうが、全体的にソリストもコールドも管弦楽も、士気の高さを感じさせる出来で、非常に高いレベルの舞台芸術を実現させた。特に群舞は、千秋楽で一気に進化した。たった四公演であるのが残念である。
2015年2月19日木曜日
National Ballet of Japan ‘la Bayadère’ (February 2015) review 新国立劇場バレエ団「ラ-バヤデール」(2015年2月) 評
2015年2月19日 木曜日
Thursday 19th February 2015
新国立劇場(東京)
New National Theatre, Tokyo (NNTT) (Tokyo, Japan)
compagnia di balletto: National Ballet of Japan (新国立劇場バレエ団)
Nikiya: ONO Ayako (小野絢子)
Solor: Вадим Мунтагиров / Vadim MUNTAGIROV (The Royal Ballet, Coventgarden)
Gamzatti: YONEZAWA Yui (米沢唯)
Bronze Idol: YAHATA Akimitsu (八幡顕光)
Music: Leon MINKUS
Music Arranged by: John LANCHBERY
Choreography: Marius PETIPA
Production: MAKI Asami (牧阿佐美)
orchestra: Tokyo Symphony Orchestra (東京交響楽団)
direttore: Олексій Баклан/ Alexei BAKLAN (指揮:アレクセイ=バクラン)
新国立劇場バレエ団は、2月17日から2月22日までに‘la Bayadère’を計4公演、新国立劇場で上演する。
この評は、二回目2月19日の公演に対するものである。
着席位置はかなり前方やや下手側。観客の入りはほぼ満席である。学校団体鑑賞があり女子中学生が多く鑑賞していたが、物音一つ立てず(夢中になったいか寝ていたかはともかく)鑑賞態度は非常に良好であった。きっと大部分はバレエの魅力を理解して帰途についたかと思われる。その他の客も、反応は平日マチネでもありシャイであったが、極めて良好だった。
まずは、あきらにゃんが贔屓にしている米沢唯ちゃんから♪
唯ちゃんはお嬢様顔だし、優しそうな顔をしているし、どう考えてもいい子にしか見えないし、悪い事なんて一切しません!って感じであるはずなのですけど・・・。
実は、唯ちゃん、カマトトぶっていただけだったらしい♪実に恐ろしいガムザッティである。気品あるお嬢様がその方面に走り出すと、じつに怖い。ソロルをみごと略奪して、第一幕の最後、唯ちゃんは勝ち誇った表情をしている。
第二幕はガムザッティが中心人物となり、唯ちゃんの見せ場が多い。いつも通り、唯ちゃんは盤石な出来である。リフトされても全くぶれないし、静止技も綺麗に決まっている。
ニキヤのソロの場面で、ソロルは私のものよ♪とニキヤに見せつける唯ちゃんの表情は最高の出来で、むひゃむひゃな気分になってくる。獲物を狙う蛇のような唯ちゃんの視線にドキッとしたり・・・。あんな感じで狙われたら、どうしよう・・・♪♪
大僧正役のマイレーン=トレウバエフは、ロシア人ならではの顔立ちを上手く活かして、嫉妬に燃える表情を的確に表す。
寺田亜沙子さんの「つぼの踊り」は、視線の使い方がとても可愛い!子役の二人の踊りも素晴らしい。
主役ニキヤ役の小野絢子さんは、第三幕が圧巻である。第三幕になってから技術的にもキレが出てきて完成度も高く、悲しみの表現は全幕通して万全であり、あれ以上のレベルのニキヤは、世界的レベルでも味わうのは難しいだろう!Brava!!
ソロル役の、ヴァディム=ムンタギロフは実に美しく、完成度高く踊る。「眠り」の時と同様に、ゲストとは思えないほど馴染んでいる。ノーブルな雰囲気は彼ならではのもので、金の力でコヴェントガーデンから引き抜くべきだ♪純ダンス的な美しさは惹きつけられるが、どう考えても王子様♪ソロルって戦士の設定だったっけ?の感じとはなる。まあ、戦士らしさが欲しかったら、ワイルドなダンサーをパリ国立歌劇場辺りから呼べよの話しになってしまうだろう。そもそも、ソロルは戦士でなく、王子様の設定であっても全く差し支えないのだとも思わせる。
群舞は、特に第三幕で、本当に素晴らしいものを見せてくれる!。あの坂を降りてくるシーンは、誰か一人でも緊張感が解けて場面を見失うと、致命傷となるし、時間的長さを含めると、群舞にとって最も難しいシーンの一つだろうなと思うが、時間的にも空間的にもキチッと合って精度が高く、美しく踊れている。もちろん、そのような技術的な精度だけではなく、その他の面でどのように言語化するべきかわからないのだけれど、新国立劇場バレエ団全体のレベルが高いのだなと思わせる。
指揮のバクランは管弦楽を巧みに導き、東京交響楽団は完成度の高い出来でこれに応える。東フィルの楽団員とは技術的レベルはもちろんのこと、士気が違うのだろう。もちろん、東京交響楽団の方が圧倒的に上だ。管楽は全般的にしっかり鳴らすし、弦楽ソロの完成度も高い。ミューザから離れて、このまま座付きオケになって欲しい。バレエは総合芸術、東フィルのように管弦楽が「義務で伴奏しに来た」ようでは困る。管弦楽は「伴奏」であってはならない。本気を出してくれないと、バレエは成立しない。
全体的にソリストもコールドも管弦楽も、士気の高さを感じさせる出来で、非常に高いレベルの舞台芸術を実現させた。たった四公演であるのが残念である。ソワレ、週末公演と比べると、平日マチネであり観客はおとなしめではあるが、それぞれの観客に感銘を与えることが出来た公演と確信している。
Thursday 19th February 2015
新国立劇場(東京)
New National Theatre, Tokyo (NNTT) (Tokyo, Japan)
compagnia di balletto: National Ballet of Japan (新国立劇場バレエ団)
Nikiya: ONO Ayako (小野絢子)
Solor: Вадим Мунтагиров / Vadim MUNTAGIROV (The Royal Ballet, Coventgarden)
Gamzatti: YONEZAWA Yui (米沢唯)
Bronze Idol: YAHATA Akimitsu (八幡顕光)
Music: Leon MINKUS
Music Arranged by: John LANCHBERY
Choreography: Marius PETIPA
Production: MAKI Asami (牧阿佐美)
orchestra: Tokyo Symphony Orchestra (東京交響楽団)
direttore: Олексій Баклан/ Alexei BAKLAN (指揮:アレクセイ=バクラン)
新国立劇場バレエ団は、2月17日から2月22日までに‘la Bayadère’を計4公演、新国立劇場で上演する。
この評は、二回目2月19日の公演に対するものである。
着席位置はかなり前方やや下手側。観客の入りはほぼ満席である。学校団体鑑賞があり女子中学生が多く鑑賞していたが、物音一つ立てず(夢中になったいか寝ていたかはともかく)鑑賞態度は非常に良好であった。きっと大部分はバレエの魅力を理解して帰途についたかと思われる。その他の客も、反応は平日マチネでもありシャイであったが、極めて良好だった。
まずは、あきらにゃんが贔屓にしている米沢唯ちゃんから♪
唯ちゃんはお嬢様顔だし、優しそうな顔をしているし、どう考えてもいい子にしか見えないし、悪い事なんて一切しません!って感じであるはずなのですけど・・・。
実は、唯ちゃん、カマトトぶっていただけだったらしい♪実に恐ろしいガムザッティである。気品あるお嬢様がその方面に走り出すと、じつに怖い。ソロルをみごと略奪して、第一幕の最後、唯ちゃんは勝ち誇った表情をしている。
第二幕はガムザッティが中心人物となり、唯ちゃんの見せ場が多い。いつも通り、唯ちゃんは盤石な出来である。リフトされても全くぶれないし、静止技も綺麗に決まっている。
ニキヤのソロの場面で、ソロルは私のものよ♪とニキヤに見せつける唯ちゃんの表情は最高の出来で、むひゃむひゃな気分になってくる。獲物を狙う蛇のような唯ちゃんの視線にドキッとしたり・・・。あんな感じで狙われたら、どうしよう・・・♪♪
大僧正役のマイレーン=トレウバエフは、ロシア人ならではの顔立ちを上手く活かして、嫉妬に燃える表情を的確に表す。
寺田亜沙子さんの「つぼの踊り」は、視線の使い方がとても可愛い!子役の二人の踊りも素晴らしい。
主役ニキヤ役の小野絢子さんは、第三幕が圧巻である。第三幕になってから技術的にもキレが出てきて完成度も高く、悲しみの表現は全幕通して万全であり、あれ以上のレベルのニキヤは、世界的レベルでも味わうのは難しいだろう!Brava!!
ソロル役の、ヴァディム=ムンタギロフは実に美しく、完成度高く踊る。「眠り」の時と同様に、ゲストとは思えないほど馴染んでいる。ノーブルな雰囲気は彼ならではのもので、金の力でコヴェントガーデンから引き抜くべきだ♪純ダンス的な美しさは惹きつけられるが、どう考えても王子様♪ソロルって戦士の設定だったっけ?の感じとはなる。まあ、戦士らしさが欲しかったら、ワイルドなダンサーをパリ国立歌劇場辺りから呼べよの話しになってしまうだろう。そもそも、ソロルは戦士でなく、王子様の設定であっても全く差し支えないのだとも思わせる。
群舞は、特に第三幕で、本当に素晴らしいものを見せてくれる!。あの坂を降りてくるシーンは、誰か一人でも緊張感が解けて場面を見失うと、致命傷となるし、時間的長さを含めると、群舞にとって最も難しいシーンの一つだろうなと思うが、時間的にも空間的にもキチッと合って精度が高く、美しく踊れている。もちろん、そのような技術的な精度だけではなく、その他の面でどのように言語化するべきかわからないのだけれど、新国立劇場バレエ団全体のレベルが高いのだなと思わせる。
指揮のバクランは管弦楽を巧みに導き、東京交響楽団は完成度の高い出来でこれに応える。東フィルの楽団員とは技術的レベルはもちろんのこと、士気が違うのだろう。もちろん、東京交響楽団の方が圧倒的に上だ。管楽は全般的にしっかり鳴らすし、弦楽ソロの完成度も高い。ミューザから離れて、このまま座付きオケになって欲しい。バレエは総合芸術、東フィルのように管弦楽が「義務で伴奏しに来た」ようでは困る。管弦楽は「伴奏」であってはならない。本気を出してくれないと、バレエは成立しない。
全体的にソリストもコールドも管弦楽も、士気の高さを感じさせる出来で、非常に高いレベルの舞台芸術を実現させた。たった四公演であるのが残念である。ソワレ、週末公演と比べると、平日マチネであり観客はおとなしめではあるが、それぞれの観客に感銘を与えることが出来た公演と確信している。
2015年2月15日日曜日
Orchestra Ensemble Kanazawa, Peer Gynt , the 361st Subscription Concert, review 第361回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 「ペール=ギュント」 評
2015年2月15日 日曜日
Sunday 15th February 2015
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Edvard Hagerup Grieg: Peer Gynt op.23 (ペール=ギュント)
Solveig: Tachikawa Kiyoko (soprano) (立川清子)
Peer Gynt : Takahashi Yosuke (baritono) (高橋洋介)
Anitra: Aida Masumi (mezzosoprano) (相田麻純)
Three Witches: Yoshida Waka, Shibata Sakiko, Hayashi Yoko (山の魔女たち:吉田和夏、柴田紗貴子、林よう子)
Thief and Receiver: Muramatsu Koya, Iguchi Toru (泥棒と密売人:村松恒矢、井口達)
narratore: Kazari Issei (語り:風李一成)
coro: Orchestra Ensemble Kanazawa Chorus (オーケストラ-アンサンブル-金沢合唱団)
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
maestro del Coro: Saikawa Yuki (合唱指導:犀川裕紀)
maestro dei solisti: Amanuma Yuuko (独唱指導:天沼裕子)
direttore: Kristjan Järvi (指揮:クリスティアン=ヤルヴィ)
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、立川清子(ソプラノ)・高橋洋介(バリトン)・相田麻純(メゾソプラノ)等をソリストに迎えて、2015年2月15日に石川県立音楽堂で、グリーク作、劇音楽「ペール=ギュント」全曲演奏会を第361回定期演奏会として開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。兄パーヴォとは全く違う弦楽配置である。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは後方下手側の位置につく。歌い手はソリストを含め最後方中央、語り手のみ指揮者の横だ。
着席位置は一階正面中央上手側、客の入りは八割程であろうか、二階バルコニーに空席が目立ち、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、ごく少数の人たちによる鈴音やビニールの音によって、あまり良くない印象を持つ。なぜか、最も静謐な雰囲気を必要とする立川清子のソロがある場面で、雑音が目立った。特に最後の「ソルヴェイグの子守唄」では、一階後方上手側の観客が継続的にビニールの音を立て続けていた。また、演奏開始後・休憩後の演奏開始後、それぞれ数分から十分の間、天井からパチパチトタン屋根に雨が当たるような音が聞こえ、弱奏部でかなり雰囲気を阻害したのは残念である。
演奏について述べる。
クリスティアン=ヤルヴィは的確な構成力により、メリハリを効かせた演奏を実現させる。歌い手を優先させるところと、トゥッティで迫力ある演奏で攻めるところとの使い分けが見事だ。OEKの演奏も、クリスティアンの意図を反映させ、パッションを込めたり、精緻に演奏したり、強奏部も弱奏部も的確な響きでニュアンス豊かに演奏する。第二幕最後の、鐘の音のバンダの効果は大きいし、第四幕冒頭の「朝」のフルートも決まるし、クリスティアンはOEKの実力を十全に引き出す。さすがである。
歌い手については、やはりソルヴェイグ役の立川清子がダントツである。魑魅魍魎だらけの役の中で、ソルヴェイグだけが清楚な雰囲気を保つ異質な役であり、その成否がこの演奏会を大きく左右する一因となるプレッシャーが掛かるが、高いレベルでその責務を果たしている。石川県立音楽堂の響きをしっかり把握し、余裕を感じさせる声量がニュアンスを豊かにし、気品ある圧倒的な存在感を観客に示す。第四幕の「ソルヴェイグの歌」、第五幕最後の「ソルヴェイグの子守り歌」、いずれも大事な場面を決めていく。Brava!!
ソルヴェイグ役と山の魔女たち役の四人は、いずれも新国立劇場オペラ研修所の13・14
期生である。13期生の三人については、2013年7月にPMFガラコンサートでも聴いたが、その時も立川清子が二歩抜きんでていた。若手の歌い手が育ちつつあるのは嬉しいことである。
ペール=ギュント役の高橋洋介は、後半が好調で素晴らしい。他のソリストも良い出来で、穴がなかったように思える。第五幕に於ける合唱団も見事だ。「ソルヴェイグの子守り歌」のバンダの弱唱が実に効果的である。
重ねて言及するが、クリスティアンとOEKの管弦楽による歌い手のサポートは実に素晴らしい。一つ例を挙げれば、あの立川清子のソルヴェイグのソロの活かし方だ。指揮・管弦楽・歌い手・語り手全てがうまく絡み合い、総力を挙げて見事な「ペール=ギュント」を描き出した、演奏会であった。
Sunday 15th February 2015
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Edvard Hagerup Grieg: Peer Gynt op.23 (ペール=ギュント)
Solveig: Tachikawa Kiyoko (soprano) (立川清子)
Peer Gynt : Takahashi Yosuke (baritono) (高橋洋介)
Anitra: Aida Masumi (mezzosoprano) (相田麻純)
Three Witches: Yoshida Waka, Shibata Sakiko, Hayashi Yoko (山の魔女たち:吉田和夏、柴田紗貴子、林よう子)
Thief and Receiver: Muramatsu Koya, Iguchi Toru (泥棒と密売人:村松恒矢、井口達)
narratore: Kazari Issei (語り:風李一成)
coro: Orchestra Ensemble Kanazawa Chorus (オーケストラ-アンサンブル-金沢合唱団)
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
maestro del Coro: Saikawa Yuki (合唱指導:犀川裕紀)
maestro dei solisti: Amanuma Yuuko (独唱指導:天沼裕子)
direttore: Kristjan Järvi (指揮:クリスティアン=ヤルヴィ)
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、立川清子(ソプラノ)・高橋洋介(バリトン)・相田麻純(メゾソプラノ)等をソリストに迎えて、2015年2月15日に石川県立音楽堂で、グリーク作、劇音楽「ペール=ギュント」全曲演奏会を第361回定期演奏会として開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。兄パーヴォとは全く違う弦楽配置である。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは後方下手側の位置につく。歌い手はソリストを含め最後方中央、語り手のみ指揮者の横だ。
着席位置は一階正面中央上手側、客の入りは八割程であろうか、二階バルコニーに空席が目立ち、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、ごく少数の人たちによる鈴音やビニールの音によって、あまり良くない印象を持つ。なぜか、最も静謐な雰囲気を必要とする立川清子のソロがある場面で、雑音が目立った。特に最後の「ソルヴェイグの子守唄」では、一階後方上手側の観客が継続的にビニールの音を立て続けていた。また、演奏開始後・休憩後の演奏開始後、それぞれ数分から十分の間、天井からパチパチトタン屋根に雨が当たるような音が聞こえ、弱奏部でかなり雰囲気を阻害したのは残念である。
演奏について述べる。
クリスティアン=ヤルヴィは的確な構成力により、メリハリを効かせた演奏を実現させる。歌い手を優先させるところと、トゥッティで迫力ある演奏で攻めるところとの使い分けが見事だ。OEKの演奏も、クリスティアンの意図を反映させ、パッションを込めたり、精緻に演奏したり、強奏部も弱奏部も的確な響きでニュアンス豊かに演奏する。第二幕最後の、鐘の音のバンダの効果は大きいし、第四幕冒頭の「朝」のフルートも決まるし、クリスティアンはOEKの実力を十全に引き出す。さすがである。
歌い手については、やはりソルヴェイグ役の立川清子がダントツである。魑魅魍魎だらけの役の中で、ソルヴェイグだけが清楚な雰囲気を保つ異質な役であり、その成否がこの演奏会を大きく左右する一因となるプレッシャーが掛かるが、高いレベルでその責務を果たしている。石川県立音楽堂の響きをしっかり把握し、余裕を感じさせる声量がニュアンスを豊かにし、気品ある圧倒的な存在感を観客に示す。第四幕の「ソルヴェイグの歌」、第五幕最後の「ソルヴェイグの子守り歌」、いずれも大事な場面を決めていく。Brava!!
ソルヴェイグ役と山の魔女たち役の四人は、いずれも新国立劇場オペラ研修所の13・14
期生である。13期生の三人については、2013年7月にPMFガラコンサートでも聴いたが、その時も立川清子が二歩抜きんでていた。若手の歌い手が育ちつつあるのは嬉しいことである。
ペール=ギュント役の高橋洋介は、後半が好調で素晴らしい。他のソリストも良い出来で、穴がなかったように思える。第五幕に於ける合唱団も見事だ。「ソルヴェイグの子守り歌」のバンダの弱唱が実に効果的である。
重ねて言及するが、クリスティアンとOEKの管弦楽による歌い手のサポートは実に素晴らしい。一つ例を挙げれば、あの立川清子のソルヴェイグのソロの活かし方だ。指揮・管弦楽・歌い手・語り手全てがうまく絡み合い、総力を挙げて見事な「ペール=ギュント」を描き出した、演奏会であった。
2015年2月14日土曜日
Kioi Sinfonietta Tokyo, the 98th Subscription Concert, review 第98回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評
2015年2月14日 土曜日
Saturday 14th February 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Variazioni Goldberg BWV.988 (ゴルドベルク変奏曲)
(arranged for strings by Дмитрий Ситковецкий)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Serenata per archi op.48 (弦楽セレナーデ)
violino: Дмитрий Ситковецкий / Dmitry Sitkovetsky /ドミトリー=シトコヴェツキー
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Дмитрий Ситковецкий / Dmitry Sitkovetsky /ドミトリー=シトコヴェツキー
紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ドミトリー=シトコヴェツキーをソリスト兼指揮者に迎えて、2015年2月13日・14日に東京-紀尾井ホールで、第98回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ゴルドベルク変奏曲はチェンバロがあり、上手側後方の位置につく。
着席位置は一階正面後方僅かに上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、ゴルドベルク変奏曲の冒頭のみ鈴の音が目立ったが、他は概ね良好であり、二曲目の弦楽セレナーデは、紀尾井シンフォニエッタを私が聴き始めて以来の極めて良好なものであった。
ゴルドベルク変奏曲BWV.988は、冒頭固さが見られたものの、曲の進行とともに完成度を高める。全般的に節度あるパッションで表現する。トゥッティで演奏する場面、首席奏者がメインで他が伴奏する場面、シトコヴェツキーのソロのみが前面に立つ場面、この曲の持つ様々な表情を、その場その場で適切な音色を考え抜いた演奏で、バッハの曲想を活かした、素晴らしい演奏だ。
後半はチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。節度を保ち、涙腺ウルウル要素が過剰にならない方向性であるが、シトコヴェツキーの見通しの良い構成力が光る、いい意味で中庸な表現である。派手さはないが、この場面ではこの響きでという必然が理解でき、奏者に示せている。一方でKSTは、シトコヴェツキーの意図を的確に理解し、実際の響きにその精緻さで実現される演奏である。好みはともかく、この路線のスタイルでは完璧な出来であった。
アンコールは、J.S.バッハ作管弦楽組曲第3番BWV1068より第2曲アリア、これも完璧な演奏でシトコヴェツキーとKSTとの相性の良さを実感させるものであった。
Saturday 14th February 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Variazioni Goldberg BWV.988 (ゴルドベルク変奏曲)
(arranged for strings by Дмитрий Ситковецкий)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Serenata per archi op.48 (弦楽セレナーデ)
violino: Дмитрий Ситковецкий / Dmitry Sitkovetsky /ドミトリー=シトコヴェツキー
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Дмитрий Ситковецкий / Dmitry Sitkovetsky /ドミトリー=シトコヴェツキー
紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ドミトリー=シトコヴェツキーをソリスト兼指揮者に迎えて、2015年2月13日・14日に東京-紀尾井ホールで、第98回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ゴルドベルク変奏曲はチェンバロがあり、上手側後方の位置につく。
着席位置は一階正面後方僅かに上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、ゴルドベルク変奏曲の冒頭のみ鈴の音が目立ったが、他は概ね良好であり、二曲目の弦楽セレナーデは、紀尾井シンフォニエッタを私が聴き始めて以来の極めて良好なものであった。
ゴルドベルク変奏曲BWV.988は、冒頭固さが見られたものの、曲の進行とともに完成度を高める。全般的に節度あるパッションで表現する。トゥッティで演奏する場面、首席奏者がメインで他が伴奏する場面、シトコヴェツキーのソロのみが前面に立つ場面、この曲の持つ様々な表情を、その場その場で適切な音色を考え抜いた演奏で、バッハの曲想を活かした、素晴らしい演奏だ。
後半はチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。節度を保ち、涙腺ウルウル要素が過剰にならない方向性であるが、シトコヴェツキーの見通しの良い構成力が光る、いい意味で中庸な表現である。派手さはないが、この場面ではこの響きでという必然が理解でき、奏者に示せている。一方でKSTは、シトコヴェツキーの意図を的確に理解し、実際の響きにその精緻さで実現される演奏である。好みはともかく、この路線のスタイルでは完璧な出来であった。
アンコールは、J.S.バッハ作管弦楽組曲第3番BWV1068より第2曲アリア、これも完璧な演奏でシトコヴェツキーとKSTとの相性の良さを実感させるものであった。
2015年1月31日土曜日
Nagoya Philharmonic Orchestra, the 420th Subscription Concert, review 第420回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2015年1月31日 土曜日
Saturday 31st January 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Richard Georg Strauss: Serenata in mi bemolle maggiore per 13 strumenti a fiato op.7 (13管楽器のためのセレナード)
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
(休憩)
Richard Wagner: La Valchiria, Atto Primo(「ヴァルキューレ」より第一幕)
soprano: Susan Bullock
tenore: Richard Berkeley-Steele
basso: Kotetsu Kazuhiro (小鉄和弘)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、スーザン=ブロック(ソプラノ)・リチャード=バークレー-スティール(テノール)・小鉄和広(バス)をソリストに迎えて、2015年1月30日・31日に愛知県芸術劇場で、第420回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは上手側の位置につく。なお、一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は管楽器奏者のみが立って指揮者を半円形に囲っての演奏であり、二曲目の「シンプル-シンフォニー」はチェロ以外の弦楽奏者は立ち、チェロ奏者は特製の台の上に着席しつつも、顔の高さを他の立って演奏する奏者と同一レベルになるようにしての演奏となる。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズや楽章間のパラパラ拍手があったものの、概ね極めて良好であった。
一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は、最初固さが目立ったものの、曲が進行するに連れ本来の響きが出て来る演奏だ。
二曲目との間は、舞台装置設営のため少々時間が掛る。チェロ奏者が乗る特製の台の設営光景がみられる。
二曲目のブリテンによる「シンプル-シンフォニー」は、私としてはこの演奏会の白眉である。ヴァーグナー嫌いの私にとって、そもそも後半の曲目は「ついで」であるし、お目当てはこの「シンプル-シンフォニー」であった。また、昨年12月に、中日新聞社放送芸能部長谷義隆により、マーティン=ブラビンスによるプログラムの前衛路線が徹底的に侮辱された事情もあり、ブラビンス支持を示威する事も重要な目的の一つである。
ブリテンの「シンプル-シンフォニー」は完璧と言って良い。一音一音の響きはビシッと決めた構成力に裏打ちされている。あらゆる響きがこうであるべき所に確実に決めていく。この曲の対照的な目玉と言ってよい、ピッチカートのみで構成されている第二楽章は、ピッチカートでこれ程までの表現が出来るものかと驚愕させられるし、重々しいサラバンドである第三楽章も緊張感が途切れない高度に集中した演奏だ。
全般的に、繊細に演奏する箇所とワイルドに演奏する箇所との使い分けが的確でありながら、実に繊細にワイルドな箇所を描いている。どの場面もニュアンス豊かで、かつ迫力を感じられる。テンポの扱いは正攻法で奇を衒ったものではないが、逆に言えばブラビンスの盤石な構成力によりこの曲が活気づいている。要するに完璧な演奏だと言うことだ。
約16分の長さの曲であり、決して長大な大曲ではないが、演奏会の最後の曲としてもふさわしい内容を持つ曲で、決して題名から連想させるような「軽い曲」などではない。
逆に「シンプル」であるからこそ、弦楽合奏の精緻さ・パッションの強さ・ニュアンスの豊かさが強く問われる曲である。この難曲を、ブラビンスの堅固な構成力に裏打ちされた指揮による導きと、名フィルの奏者による緻密かつパッションを伴った演奏と、愛知県芸術劇場コンサートホールの豊かな残響とが三位一体となり、絶妙に絡み合った名演である。これはもう最高の出来だ!Bravi!!
二年前くらいまでは、名フィルの弦は弱いと言われてきたが、本当に信じられない。私が名フィルを初めて聴いたのは昨年7月の第415回定期演奏会からであるが、厚みのある迫力ある響きで楽しませてくれる。マーティン=ブラビンスが常任指揮者になってから、弦の響きが変わったと聞くが、本当だとしたらブラビンスの功績は実に大きい。2015/16シーズンでブラビンスが名フィルの常任指揮者の地位を辞するのが、本当に残念でならない。
後半のヴァーグナーについては、私の歌劇に臨む態度やら、ヴァーグナーに対する態度やらがあるため、敢えて評の対象から外す事とする。本音を許していただければ、後半は後半はU.K.の作曲家による、あまり演奏されない大作を演奏してほしかったところだ。
Saturday 31st January 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Richard Georg Strauss: Serenata in mi bemolle maggiore per 13 strumenti a fiato op.7 (13管楽器のためのセレナード)
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
(休憩)
Richard Wagner: La Valchiria, Atto Primo(「ヴァルキューレ」より第一幕)
soprano: Susan Bullock
tenore: Richard Berkeley-Steele
basso: Kotetsu Kazuhiro (小鉄和弘)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、スーザン=ブロック(ソプラノ)・リチャード=バークレー-スティール(テノール)・小鉄和広(バス)をソリストに迎えて、2015年1月30日・31日に愛知県芸術劇場で、第420回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは上手側の位置につく。なお、一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は管楽器奏者のみが立って指揮者を半円形に囲っての演奏であり、二曲目の「シンプル-シンフォニー」はチェロ以外の弦楽奏者は立ち、チェロ奏者は特製の台の上に着席しつつも、顔の高さを他の立って演奏する奏者と同一レベルになるようにしての演奏となる。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズや楽章間のパラパラ拍手があったものの、概ね極めて良好であった。
一曲目の「13管楽器のためのセレナード」は、最初固さが目立ったものの、曲が進行するに連れ本来の響きが出て来る演奏だ。
二曲目との間は、舞台装置設営のため少々時間が掛る。チェロ奏者が乗る特製の台の設営光景がみられる。
二曲目のブリテンによる「シンプル-シンフォニー」は、私としてはこの演奏会の白眉である。ヴァーグナー嫌いの私にとって、そもそも後半の曲目は「ついで」であるし、お目当てはこの「シンプル-シンフォニー」であった。また、昨年12月に、中日新聞社放送芸能部長谷義隆により、マーティン=ブラビンスによるプログラムの前衛路線が徹底的に侮辱された事情もあり、ブラビンス支持を示威する事も重要な目的の一つである。
ブリテンの「シンプル-シンフォニー」は完璧と言って良い。一音一音の響きはビシッと決めた構成力に裏打ちされている。あらゆる響きがこうであるべき所に確実に決めていく。この曲の対照的な目玉と言ってよい、ピッチカートのみで構成されている第二楽章は、ピッチカートでこれ程までの表現が出来るものかと驚愕させられるし、重々しいサラバンドである第三楽章も緊張感が途切れない高度に集中した演奏だ。
全般的に、繊細に演奏する箇所とワイルドに演奏する箇所との使い分けが的確でありながら、実に繊細にワイルドな箇所を描いている。どの場面もニュアンス豊かで、かつ迫力を感じられる。テンポの扱いは正攻法で奇を衒ったものではないが、逆に言えばブラビンスの盤石な構成力によりこの曲が活気づいている。要するに完璧な演奏だと言うことだ。
約16分の長さの曲であり、決して長大な大曲ではないが、演奏会の最後の曲としてもふさわしい内容を持つ曲で、決して題名から連想させるような「軽い曲」などではない。
逆に「シンプル」であるからこそ、弦楽合奏の精緻さ・パッションの強さ・ニュアンスの豊かさが強く問われる曲である。この難曲を、ブラビンスの堅固な構成力に裏打ちされた指揮による導きと、名フィルの奏者による緻密かつパッションを伴った演奏と、愛知県芸術劇場コンサートホールの豊かな残響とが三位一体となり、絶妙に絡み合った名演である。これはもう最高の出来だ!Bravi!!
二年前くらいまでは、名フィルの弦は弱いと言われてきたが、本当に信じられない。私が名フィルを初めて聴いたのは昨年7月の第415回定期演奏会からであるが、厚みのある迫力ある響きで楽しませてくれる。マーティン=ブラビンスが常任指揮者になってから、弦の響きが変わったと聞くが、本当だとしたらブラビンスの功績は実に大きい。2015/16シーズンでブラビンスが名フィルの常任指揮者の地位を辞するのが、本当に残念でならない。
後半のヴァーグナーについては、私の歌劇に臨む態度やら、ヴァーグナーに対する態度やらがあるため、敢えて評の対象から外す事とする。本音を許していただければ、後半は後半はU.K.の作曲家による、あまり演奏されない大作を演奏してほしかったところだ。
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