2016年10月2日日曜日

Amsterdam Baroque Orchestra, Osaka Concert, (1st October 2016), review アムステルダム-バロック管弦楽団 大阪演奏会 評

2016年10月1日 土曜日
Saturday 1st October 2016
いずみホール (大阪府大阪市)
Izumi Hall (Osaka, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Suite per orchestra n.3 BWV1068 (管弦楽組曲第3番)
Johann Sebastian Bach: Concerto per violino BWV1045 (シンフォニア)
Johann Sebastian Bach: Concerto brandeburghese n.4 BWV1049 (ブランデンブルク協奏曲第4番)
(休憩)
Johann Sebastian Bach: Concerto brandeburghese n.3 BWV1048 (ブランデンブルク協奏曲第3番)
Johann Sebastian Bach: 1. Sinfonia (cantata ‘Am Abend aber desselbigen Sabbats’ BWV42) (カンタータ「この同じ安息日の夕べ」から第一楽章 シンフォニア)
Johann Sebastian Bach: Suite per orchestra n.4 BWV1069 (管弦楽組曲第4番)

clavicembalo: Ton Koopman
orchestra: Amsterdam Baroque Orchestra(アムステルダム-バロック管弦楽団)
direttore: Ton Koopman / トン=コープマン

アムステルダム-バロック管弦楽団(ABO)は、指揮者トン=コープマンとともに日本・韓国ツアーを行い、日本に於いては演奏会を、いずみホール(大阪市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)、計2公演行う。日本に於けるプログラムは全て同一である。

理想的な音響となる中規模ホールでの公演は、いずみホールでの公演だけである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。木管パートは後方中央、ティンパニはその上手側、ナチュラル-トランペットはティンパニの前方、リコーダー-ソロは指揮者のすぐ上手側の位置につく。チェンバロは客席に鍵盤を見せるように配置され、舞台奥に向けて演奏しながら指揮をできるようにしてある。

ティンパニはバロックティンパニのように見受けられたが、残響が少なく鋭く鳴らすタイプではなく、自己残響が長めのタイプである。

着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは8割程で、発売開始直後の売れ行きが良好の割には完売に至らなかった。観客の鑑賞態度は、曲によって若干のフラ拍の感があったが、極めて良好だった。

前半は、いずみホールに馴染んでいない要素もあった。個々の奏者は素晴らしいが、管弦楽全体として、いずみホールの残響に慣れていない感じがあり、輪郭がボヤけている箇所もあった。しかし、プログラムの進行と共に馴染んでいった。また、馴染んでいない前半部に於いても、弦楽のノン-ヴィブラートの響きや、(奏法が極めて難しい)ナチュラル-トランペットが自然な演奏を見せたところ(これ自体が超絶技巧!)が素晴らしい。

前半最後のBWV1049まで進んで、管弦楽全体として響きがまとまって来た。コンサートミストレスが見せた、ハチドリぶんぶんの場面は楽しく聴かせてもらう。また、ちょっと控えめな音量にして攻めた小技も見事に効かせる。本当にノン-ヴィブラートが美しくて大好きだ!どうしてヴィブラートの概念なんて発明されちゃったのだろうね♪二人のリコーダー-ソロも素晴らしい演奏だ。

後半は、弦・チェンバロ・管・打、全てがガッシリと絡み合った素晴らしい演奏を見せた。チェンバロを響かせつつ、かと言って管弦楽が萎縮せず、自分たちの響きを出し切った。

チェンバロは音量を出せず、その響きを出すには管弦楽は控えめな音量を要するが、その制約の下での最善を尽くしたと言って良い。

チェンバロを活かすべき箇所はチェンバロの音色が響くように、逆に管弦楽が前に出るべき箇所はビシッと鳴らす。いずみホールの優れた音響も自分たちのものにして十全に活用する。プログラム最後のBWV1069は、鉄壁な演奏で終わる。

アンコールは、静と動、プログラムの曲の中からのそれぞれのハイライトを一曲ずつ披露する。BWV1068 の第二楽章(いわゆる Air)と、BWV1069 の第五楽章であった。アンコールまでも聴衆が何を求めているかよく考えられた、素晴らしい演奏会であった。

2016年9月19日月曜日

Aichi Prefectural Art Theater, Opera ‘Die Zauberflöte’ review 愛知県芸術劇場 歌劇「魔笛」 感想

2016年9月19日 月曜日
Monday 19th September 2016
愛知県芸術劇場 (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater (Nagoya, Japan)

演目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Opera ‘Die Zauberflöte K.620
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 歌劇「魔笛」

Sarastro: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Regina della Notte: 高橋維 / Takahashi Yui
Tamino: 鈴木准 / Suzuki Jun
Pamina: 森谷真理 / Moriya Mari
Papageno: 宮本益光 / Miyamoto Masumitsu
Papagena: 醍醐園佳 / Daigo Sonoka
dama1: 北原瑠美 / Kitahara Rumi
dama2: 磯地美樹 / Isochi Miki
dama3: 丸山奈津美 / Maruyama Natsumi
oratore del tempio / sacerdote1: 小森輝彦 Komori Teruhiko
Monostatos: 青柳素晴 / Aoyagi Motoharu
sacerdote2: 高田正人 / Takada Masato
armigero1: 渡邉公威 / Watanabe Koi
armigero2: 小田桐貴樹 / Otagiri Takaki
ballerina: 佐東利穂子 / Sato Rihoko

Coro: Aichi Prefectural Art Theater Chorus (合唱:愛知県芸術劇場合唱団)
ballerini: 東京バレエ団 / The Tokyo Ballet

Director: 勅使川原三郎 / Teshigawara Saburo
Set design: 勅使川原三郎 / Teshigawara Saburo
Costumes design: 勅使川原三郎 / Teshigawara Saburo
Lighting design: 勅使川原三郎 / Teshigawara Saburo

orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 山口浩史
direttore: Gaetano d’Espinosa (指揮:ガエタノ=デスピノーサ)

愛知県芸術劇場は「あいちトリエンナーレ2016」の一環として、2016年9月17日と19日の日程で、ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルトの歌劇「魔笛」を2公演開催した。この評は2016年9月19日に催された第二回目千秋楽の公演に対するものである。

着席位置は一階前方中央である。観客の入りは8割くらいか?観客の鑑賞態度は極めて良好だった。

勅使川原三郎の舞台は、シンプルで、白と黒と金色を基調とし、これら以外の色彩は限定した美しいものである。大きな金色の輪をダンサーたちが回すシーンには目を奪われた。愛知県芸術劇場の奥行きが深い広い舞台をフルに活かし、パミーナとパミーノが舞台奥に退出する場面などで活きた。衣装は諧謔の要素を満たす絶妙なもので、モノスタトゥス・童子たち始め思わず笑ってしまう程だった。

ソリストの出来について述べる。

パミーナ役の森谷真理さんは圧巻の素晴らしさで、終始圧倒的な存在感を示した。声量、ニュアンス、ともに完璧である。「ああ、私には分かる、消え失せたことが」のアリアを含め、強い声、弱い声を問わず、その声を聴くだけで涙腺が潤む。文句なしで一番である!Brava!

「ダンサー」役の佐東利穂子さんは、一番最初に動き出し、終始ダンスの面で魅了させるだけでなく、ナレーターが見事だった。声にある種の威厳があり、観客に緊張感を持たせ、物語を進行させた。カラス-アスパラスでの実験がこの大舞台で結実している。

歌い手皆さん士気溢れるものがあった。

その中でも、パパゲーノ役の宮本益光さんは、歌の面も見事であるが、何よりも本人そのまんまの性格と思うほど、諧謔に満ちた演技で魅了された。首吊り未遂の遣り取り始め、全てが役者で実に素晴らしい。

三人の侍女たちも盛り上げた。侍女1(北原瑠美さん)と侍女2・3と分かれる部分もバッチリ決まっていた。合唱団も素晴らしい。

また、名フィルの管弦楽は歌を活かすもので、ガエタノ=デスピノーザの見事な構成力を伺われた。名フィルはオケピットに入る事が少なく、松本でのサイトウキネンでよく見られるような、管弦楽の自己主張が強過ぎて歌を殺すような懸念もあったが、これは私の杞憂に過ぎず、全く無用な懸念だった。

#あいちトリエンナーレ #あいちトリエンナーレ2016 #名フィル

2016年9月11日日曜日

国立劇場小劇場、文楽「一谷嫰軍記」・「寿式三番叟」感想

今日(2016年9月11日)は国立劇場小劇場にて、文楽「一谷嫰軍記」の通しと、国立劇場50周年を祝う「寿式三番叟」を、11時00分から20時17分まで九時間を超える長丁場で味わい尽くしました。

「一谷嫰軍記」一段目を観た感想は、一言で言うと、女の人は強い。悪い男どもを、チャンバラで、あるいは弓矢で、見事に成敗していきます!

「一谷嫰軍記」を通しで観劇する意味は、二段目「須磨浦の段」を観れたところにあると思います。三段目の「熊谷桜・熊谷陣屋」は、リアルに起こった「須磨浦の段」の回想であるし、「須磨浦の段」が無ければ活きません。やはり、通しで上演し、通しで観劇するのが基本だと思います。演者・観客とも本当に大変だけど。「須磨浦の段」は、それこそ単独で見取りで成立すると思いました。遠近法を用いた表現方法も見られましたし。演劇として面白いですし、涙腺もウルウルしますし。

一方で、二段目と三段目の間に上演された「寿式三番叟」は、前半下手側に待機していた二体の人形が、後半凄いダンスを繰り広げます。踊り疲れ怠ける演出が入るほどの速いテンポと激しさ!これを人形でやるのが凄い。人形遣いの方、本当に凄い!人形が扇を反転させまくりながらの舞踊は、舞踊公演をご覧になっている方も、鮮やかな印象を与えるものです。単なる祝祭演目ではない、人形劇の一面をみせつけるものでした。

9時間を超過する長い演目ゆえ、チケットの区分けは、一段目・二段目と、「寿式三番叟」・三段目と別れておりましたが、後半の「寿式三番叟」・三段目はチケット完売し、満員御礼の札が出ておりました♪

2016年9月10日土曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa, Iwaki Hiroyuki Memorial Concert, review オーケストラ-アンサンブル-金沢 岩城宏之メモリアルコンサート〈没後10年〉 評

2016年9月10日 土曜日
Saturday 10th September 2016
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)

曲目:
György Ligeti: Lux Aeterna (a cappella)
Samuel Barber: Concerto per violino e orchestra, op. 14
Gabriel Fauré: Requiem, op. 48

violino: Abigail Young (アビゲイル=ヤング)
soprano: 吉原圭子 / Yoshihara Keiko
baritono: 与那城敬 / Yonashiro Kei

coro: 東京混声合唱団 / Philharmonic Chorus of Tokyo
orchestra: オーケストラ-アンサンブル-金沢 / Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)

maestro del Coro: 根本卓也 / Nemoto Takuya
direttore: 山田和樹 / Yamada Kazuki

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、吉原圭子(ソプラノ)・与那城敬(バリトン)・東京混声合唱団を迎えて、2015年9月10日に石川県立音楽堂で、岩城宏之メモリアルコンサートを開催した。東京では翌11日にすみだトリフォニーホールにて開催される。

管弦楽配置は、バーバーのヴァイオリン協奏曲では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方さらに上手側の位置につく。

フォーレのレクイエムでは、ヴィオラを8人まで増強する異例の態勢で、指揮者のすぐ前に位置するハープを挟んで、中央下手・上手を占める。ヴァイオリンは下手側で、第二ヴァイオリン首席の江原さんが(美人だからすぐわかる♪)第一ヴァイオリン第3プルト客席側に座る、これまた異例の事態である!チェロは最上手側となる。合唱団は舞台後方、バリトンは指揮者のすぐ下手側、ソプラノはオルガンの高い位置に登場した。

着席位置は一階正面中央やや上手側、客の入りは八割程であろうか。観客の鑑賞態度は、妨害電波発生装置が付いているのにも関わらず、二度携帯着信音がなった。演奏に大きな影響を与えなかったのは幸いであったが。

演奏について述べる。

バーバーのヴァイオリン協奏曲は、特に第二楽章が素晴らしい。管弦楽の弱音が緊張感を保ちながら、アビゲイルのヴァイオリンがニュアンス豊かに奏でた。管楽も華やかに決まったが、弦楽を無視して派手に決めた感はなく、必然性を感じさせるものである。アビゲイルのソロと弦楽管楽打楽が何をすべきか、深く理解している演奏だ。東京公演では、この曲の代わりにベト2を演奏するが、バーバーを演奏せずに保守化路線に日和るのは残念である。

フォーレのレクイエムは、東京混声合唱団に関しては、もう一歩出ても良かったなと思える箇所があるものの、一体感ある管弦楽の力で、このレクイエムの魅力を実感出来る演奏だ。

特に前半部は、下手側にも進出したヴィオラが完璧なリードを見せる。このレクイエムはヴィオラの出来でほとんど決まってしまう事を実感したが、実に見事なヴィオラのニュアンス溢れる音色だ。前面に出るヴィオラを含め、チェロ・コントラバスも含めて、低弦の深い響きが祈りの空間を支配する。また、金管の弱音も的確な響きだ。山田和樹の指揮により、ソプラノ-ソロも上手く引き立たせた。
#oekjp

2016年8月22日月曜日

Saito Kinen Orchestra, Fabio Luisi , Ozawa Seiji, 22nd August 2016 Concert, review サイトウ-キネン-オーケストラ+ファビオ=ルイージ+小澤征爾 2016年8月22日演奏会 感想

2016年8月22日 月曜日
Monday 22nd August 2016
長野県松本文化会館 (長野県松本市)
Nagano-ken Matsumoto Bunka Kaikan (Nagano Prefectural Matsumoto Theater) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Arthur Honegger: Sinfonia n.3
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92

orchestra: Saito Kinen Orchestra(サイトウ-キネン-オーケストラ)
direttore: Fabio Luisi (Honegger)(指揮:ファビオ=ルイージ), 小澤征爾/Ozawa Seiji (Beethoven)

ファビオ=ルイージを指揮者に迎えて、サイトウ-キネン-フェスティバルの小澤征爾総監督も指揮するこの演奏会は、2016年8月18日・22日に長野県松本文化会館にて開催された。この評は、2016年8月22日第二公演に対する者である。

管弦楽配置は、記録を失念した。着席位置は二階最後方上手側、チケットは完売していたはずだが、当日関係者席解放があったせいか、僅かに当日券が出た。観客の鑑賞態度は覚えていない。

ルイージのオネゲルは、序盤固さがあったようにも思えたが(曲想によるかもしれないが)、曲の進行に連れて本領を発揮した印象がある。高弦が鋭い響きを出し、管楽が見事である。終盤のチェロ・ピッコロ・ヴァイオリン・ティンパニの四重奏が素晴らしい表現を見せる。

小澤征爾指揮の Beethoven 交響曲第7番は、私にとっては感銘を受ける演奏とは言いがたかった。

演奏は、ミクロの濃厚な表現で攻めている方向性で、相変わらずの生真面目ぶりである。第一楽章では木管が崩壊するなど、名手とは思えない出来の箇所もあったが、持ち直した。日本人主体の弦楽と、外国人主体の管楽との間にテンションの差を感じる演奏ではある。部分について言えば、第一楽章終盤・第二楽章冒頭・第四楽章終盤近くの低弦は、実に深い響きであり見事であったが、管楽は普通に素晴らしい程度の演奏である。

弦楽は小澤征爾の我儘に実に的確に答えていた。しかしながら、15-11-10-8-6もの巨大な弦楽配置はどうなのだろう?著しく弦楽に重きを置きすぎ、管楽が軽く聴こえ、バランスが悪すぎる。ていうか、そもそもベト7を音響の悪い2000名規模のホールで大編成の弦楽で演奏することは正しいことなのだろうか?

私は弦楽が好きであり、弦楽が吠えなければ、いくら管楽が吠えてもいい音楽にはならないと思っているし、弦楽に重きを置く演奏は大好きである。その私がこのような感想を持ったくらいである。

小澤征爾は、作曲者の想定したバランスから踏み外して、弦楽バズーカ砲を用いたキワモノ路線を走ったとも言える。一方、細部の濃厚な表現でカバーしているとは言え、構成全般として天才的な面白みはなく、何年も前からの小澤征爾の生真面目ぶりは変わっていない。

小澤征爾と言えば、横綱級とされる指揮者のはずである。しかしながら、まるで横綱が邪道な技で平幕力士を打ち負かした取り組みを見たような気分である。生気がない時代遅れな演奏で、正々堂々と正門から討ち入る感じがない。横綱相撲をしている感じがないのだ。

当初ブラームスの交響曲第4番の予定だったのをこの曲に変更したのであるが、この曲に変更した時点で松本市音楽文化ホールのような中規模ホールに変えるのが本来の筋だと思う(チケット払い戻しが生じ現実的な方法でないことは承知である)。

私は思う。Beethoven はこのような形態の演奏を想定したのだろうか?2000名規模の巨大ホールで演奏することを想定したのだろうか?15-11-10-8-6もの巨大な弦楽編成で演奏することを想定したのだろうか?小澤征爾がやっていることは、19世紀的ロマンチズムに過剰に傾倒し、Beethoven本来の生気に満ちた音楽を軽視しているのではないかと。これは21世紀の現代に披露する演奏会であるのだろうかと。

どう考えても、チョン=ミョンフンが東京フィルハーモニー管弦楽団を率いて軽井沢大賀ホールで演奏した内容に、遠く及ばない演奏である。「一流の指揮者」「一流の奏者」、日本の最も優秀な奏者を揃えてこの演奏はないだろう。まあ、そこが音楽の難しさだと思うが。

私は小澤征爾が好きで聴きに行ったのではなく、たまたま松本で演奏するので実況見分しに行く気分で、この演奏会に臨席している。征爾君が好きでスタンディング-オベーションをする人たちのことを否定するつもりはない。しかし、私にはそのような気持ちにはなれなかった。演奏終了後に、私はすぐにホワイエに退却した。

2016年8月21日日曜日

Saito Kinen Orchestra, Fabio Luisi , 21st August 2016 Concert, review サイトウ-キネン-オーケストラ+ファビオ=ルイージ 2016年8月21日演奏会 感想

2016年8月21日 日曜日
Sunday 21st August 2016
長野県松本文化会館 (長野県松本市)
Nagano-ken Matsumoto Bunka Kaikan (Nagano Prefectural Matsumoto Theater) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Gustav Mahler: Sinfonia n.2

orchestra: Saito Kinen Orchestra(サイトウ-キネン-オーケストラ)
direttore: Fabio Luisi (指揮:ファビオ=ルイージ)

ファビオ=ルイージを指揮者に迎えて、2015年8月19日・21日に長野県松本文化会館にて開催された。

管弦楽配置は、失念した。着席位置は19日は二階正面中央下手側、21日は二階正面やや上手側最前方、チケットは僅かに完売には至らなかった。

この公演については二公演とも臨席した。19日公演と21日公演とでは大きな差が出た。

8月19日公演は、どこか精彩を欠いていた。音響劣悪な長野県松本文化会館で、演奏者の意図が伝えることの難しさを感じた。また、上手いオケが感銘を与える演奏をするのは難しいことも実感した。

前半部分は、余り良く練られていない感じがあった。前半部で低弦がマトモに響いたのは、第一楽章終盤部のみであった。曲冒頭の、低弦の貧しい響きは、愛知芸文の響きがスタンダードな私にとっては、堪え難かった。第三楽章冒頭のティンパニ、残響消しの術が見事に失敗して、汚い音になったのは残念である。あと、ソプラノのソロが出る直前のフルートとトランペットの音は、あまりに大き過ぎ、繊細さに掛けていた。弱音を多用する試みは、この貧しい響きの長野県松本文化会館では無謀である。意図が伝わらず、つまらなく響くから。愛知芸文だったら、観客に伝わるだろうけど。

全般的に、個々に傑出した表現は見られるけど、第五楽章前半は良かったと思うけど・・。

二人のソロの歌い手は、単独だと綺麗な中弱音で聴かせてくれるけど、オケが強めに入ってくると、声が引き立たない。サイトウキネン、歌モノは苦手なのかなあと思わせる。

中部フィルによる しらかわホール におけるマーラーの第四交響曲を聴いた後のような満足感が得られなかったのか、考えさせられる。ホールにしても管弦楽にしても、小さければ小さいほど良くて、大きなモノはダメなのだろうか?ある種の まとまり感 があるのかないのか?どこか統合されていないのか?長野県松本文化会館が悪いのか?大きいから全てが上手くいかないのか?私にはサッパリ分からないけど、不完全燃焼状態が強かった。

8月21日の演奏は、19日のこれとは全く別物であった。

弦管打全てが絡みあった感が強く、弦が強く響くと全てが締まる。音の洪水で攻める点だけでなく、弦のゾクッとさせられる鋭い響きを始めとしたニュアンスが効いて、二階席の私の席にも届いた。これぞ、サイトウキネン!合唱も管弦楽に負けずにハーモニーを構成していた。まとまり感が違っていた。一番強調するべき事は、全員が第一楽章冒頭から緊張感に満ち、弛緩した響きがなかった。前半も充実した演奏で、そこが19日とは違っていた。

長野県松本文化会館にはシャンデリアがないので、天井を向いたり、敢えて目を瞑る箇所が多かった。どれほど素晴らしい演奏だったかを示す、私にとっての証左だ。その音にとにかく浸りたい時、私は視覚情報をカットする。この場面の多さが、演奏の傑出した見事さを示す!

どんなに一流の指揮者や奏者を揃え、万全のリハーサルを組んでも、演奏は生物、どうなる事か分からない怖さと面白さを、今回のファビオ=ルイージ+サイトウキネンの「復活」で思い知らされた。

2016年7月24日日曜日

Noism 劇的舞踊vol.3「ラ・バヤデール-幻の国」 静岡公演 感想

2016年7月24日 日曜日 静岡芸術劇場

(キャスト・スタッフは末尾に掲載)

一階前方僅かに上手側。

まずは、開演前の案内アナウンスであるが、独特のオドロオドロしさを伴う男の人の声であるが、本当に素晴らしい。開演前のオドロオドロしさを感じさせる音楽と、完璧にあっていた。

毒蛇を仕掛けたのは、お美しい梶田留以ちゃんの仕業?(たまいみき さんかも知れないけど。でも、留以ちゃんの持ってた壺だったような?)佐和子さんを見る眼がこわいよ〜。

石原悠子さんは愛知公演に引き続いて面白さを感じる。「壺の踊り」の後で拍手あり。真面目過ぎる東京・名古屋とは違う反応である。静岡の観客の反応いいなあ。

中川賢さんはダメ男ぶりを発揮した♪もちろん、踊りも完璧だ。

井関佐和子さんは、終始愛を感じさせる演技であるが、幻想の場面での、病的でありながら慈愛に満ちた表情を見て(阿片でキメタ、ダメ男の願望だろうけど)、涙腺が潤む。

前半部だったか、佐和子さんと賢さんとが呼吸を吸って吐くシーン、音がばっちり観客席に響く。401席の静岡芸術劇場ならではの光景だ。

俳優部門も全員素晴らしいが、たまいみき さんのセリフが、力んでいた愛知芸術劇場公演とは打って変わって、今日は威厳がありながらも自然に聴こえた。ホームの劇場であることもさりながら、適切な規模の劇場であるからだろう。観客との親近感が、声の自然な響きを引き出したのだろうか?

静岡芸術劇場は、最前列だと確実にダンサーの汗を浴びる程の近さだ。近いだけに、全ての踊り、全ての演技が迫ってくる。随所で涙腺が潤む状態だった。幻想の女性たちが迫る場面は、美しさと臨場感とを併せ持っていた。この独特な場面は、KAATでも実現出来なかったと思う。

演出の金森穣さんは、アフタートークで「記憶と慰霊」を念頭に入れていたとの事である。

Cast
カリオン族
ミラン:井関佐和子、ヨンファ:梶田留以
踊り子:飯田利奈子・西岡ひなの・西澤真耶・鳥羽絢美
メンガイ族
バートル:中川賢、アルダル:チェン=リンイ、兵士:リン=シーピン、少年:田中須和子
マランシュ族
フイシェン:たきいみき、 侍女:浅海侑加・深井響子・秋山沙和・牧野彩季
ポーヤン(フイシェンの侍女/ヤンパオ居留民のスパイ):石原悠子
馬賊
タイラン:吉﨑裕哉、 シンニー:池ヶ谷奏
馬賊の男:佐藤琢哉・上田尚弘・髙木眞慈
オロル人
ガルシン:奥野晃士
ヤンパオ人
ムラカミ:貴島豪、 看護師:石原悠子

演出:金森穣
脚本:平田オリザ
振付:Noism1
音楽:L.ミンクス《ラ・バヤデール》、笠松泰洋
空間:田根剛(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)
衣裳:宮前義之(ISSEY MIYAKE)
木工美術:近藤正樹
舞踊家:Noism1 & Noism2
俳優:奥野晃士、貴島豪、たきいみき(SPAC ‒ 静岡県舞台芸術センター)

舞台監督:夏目雅也
舞台:中井尋央、高橋克也、川口眞人、尾﨑聡
照明デザイン:伊藤雅一(RYU)、金森穣
照明:伊藤雅一(RYU)、葭田野浩介(RYU)、伊藤英行
音響:佐藤哲郎
衣裳製作:ISSEY MIYAKE INC.
衣裳管理:山田志麻、居城地谷
トレーナー:國分義之(郡山健康科学専門学校)
テクニカルアドバイザー:關秀哉(RYU)
PR協力:市川靖子
特設サイト制作:ビークル・プラス
特設サイトインタビュー取材・執筆:尾上そら
写真撮影:遠藤龍
ビジュアルデザイン:阿部太一(GOKIGEN)

2016年7月10日日曜日

Camerata de Lausanne, Nagoya perfomance, (10th July 2016), review カメラータ-ドゥ-ローザンヌ 名古屋公演 評

2016年7月10日 日曜日
Sunday 10th July 2016
宗次ホール (愛知府名古屋市)
Munetsugu Hall (Kyoto, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Concerto per due violini BWV1043
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: Due pezzi per ottetto d'archi, op. 11 (弦楽八重奏のための2つの小品)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Сладкая греза op.39-21 (甘い夢)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Waltz e Scherzo op.34
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Воспоминание о дорогом месте op.42 2.Scherzo, 3.Mélodie(なつかしい土地の思い出)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Serenata per archi op.48

orchestra: Camerata de Lausanne

カメラータ-ドゥ-ローザンヌは2016年7月3日から11日までにかけて日本ツアーを行い、仙台で1公演、東京で3公演、神奈川県藤沢市で1公演、名古屋で1公演、計6公演が開催される。この評は、五番目の公演である名古屋公演に対してのものである。

弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。

着席位置は二階正面後方上手側、観客の入りは、7割程か。同じ時刻で名フィルの演奏会があり、観客が割れてしまったか?観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、僅かに拍手とブラヴォーが早かったように思える。スピーカーのスウィッチを切り忘れたような音が終始響いていたのは残念だった。

男性は黒、女性は赤で統一された衣装で登場する。ピエール=アモイヤルの門下等の繋がりで結成されているからか、奏者は彼以外は若手に見える。

全般的に終始素晴らしい演奏であるが、ショスタコーヴィチのop.11、チャイコフスキーの弦楽セレナーデ、アンコールのニーノ=ロータが特に素晴らしい。

響きが若々しく、一方でニュアンスに富み、低弦も豊かに響いた。ショスタコーヴィチはヴィオラが豊かに鋭く響かせているのが効いている。ショスタコーヴィチが初期の作品からその天才ぶりを発揮したのが良く分かる。

その後のチャイコフスキーの小品集は、「甘い夢」でアンドレイ=バラーノフのソリスティックな、パガニーニ的テクニックの披露を聴けるのは楽しいけれど、ショスタコーヴィチがチャイコフスキーを馬鹿にしまくっていたのが良く分かってしまう選曲ではあると言っては、怒られるか?

しかし、後半の弦楽セレナーデは、同じチャイコフスキーとは思えないアプローチである。テンポは全般的に速めで、メリハリを付けた緊張感を絶やさない演奏だ。チャイコフスキーの甘い演奏が嫌いな人に聴かせたい演奏である。ヴィオラ・チェロが表に出る部分はしっかり聴かせてくれる。一方で、ニュアンスも豊かだ。テンポの揺らぎはバッチリ決めてくる。小技に効かせ方が絶妙である。第四楽章だったか、チェロが主旋律を弾いている際の、ヴァイオリンが音量を的確に調節したニュアンスの効果は絶大だった。正統派のチャイコフスキーではないのだろうけど、小技の掛け方がいい意味で職人的に絶妙に計算されているのだろう。本当に新鮮で面白いチャイコフスキーだ。絶賛するしかない。

アンコールは、J.S.バッハの「アリア」と、ニーノ=ロータの「弦楽のための協奏曲」から第四楽章である。ニーノ=ロータの作品は、あたかもショスタコーヴィチに対するアプローチで、ニーノ=ロータが映画音楽だけの作品家ではない、純音楽の作曲家として非凡な才覚を持っている事を認識させられる演奏である。奏者の若さが的確に導かれ、全員の才覚が花開く、傑出したニーノ=ロータであった。

2016年7月9日土曜日

Михаи́л Васи́льевич Плетнёв / Mikhail Pletnev, recital, (9th July 2016), review ミハイル=プレトニョフ 豊田公演 評

2016年7月9日 土曜日
Saturday 9th July 2016
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach (arr. Liszt Ferenc): Preludio e fuga BWV543/S.462-1
Edvard Hagerup Grieg: Sonata per pianoforte op.7
Edvard Hagerup Grieg: Ballade i form av variasjoner over en norsk folketone op.24 (ノルウェー民謡による変奏曲形式のバラード)
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per pianoforte n.9 K.311
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per pianoforte n.14 K.457
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per pianoforte n.15(18) K.533/494

pianoforte: Михаи́л Васи́льевич Плетнёв / Mikhail Pletnev

ロシア連邦のピアニスト、ミハイル=プレトニョフは、2016年7月1日から9日に掛けて日本ツアーを実施し、リサイタルを、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)(2公演)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)、青山音楽記念館(京都市)、東京文化会館(東京)、豊田市コンサートホール(愛知県豊田市)にて、計6公演開催する。プログラムは全て同一である。理想的な音響となる中小規模ホールでの公演は、青山音楽記念館と豊田市コンサートホールの二か所だけである。

この評は、日本ツアー千秋楽である7月9日豊田市コンサートホールでの公演に対する評である。

着席位置は正面やや前方上手側、観客の入りは7割弱か。観客の鑑賞態度は、概ね良好だったが、肝腎な箇所でノイズが入る場面もあった。

プレトニョフのピアノは、構成がよく考えられており、正統派の路線で攻めている。ピアノは SHIGERU KAWAI を用いている。強奏部がストレートに響くと言うよりは、独特な透明感で来るような印象を持つ。大規模ホール独特では向かないかもしれない。

グリークにしてもモーツァルトにしても、プレトニョフによる深い分析を経て決定された響きで、観客に示されるように思える。モーツァルトには「軽やかさ」の要素は希薄で、その分、プレトニョフの神経を通わせた要素が入り込んでいたのかと。

わずかにグリークの方が、プレトニョフとの相性は良かったか。

アンコールは、リストの「愛の夢」と「小人の踊り」であった。

2016年7月2日土曜日

Kioi Sinfonietta Tokyo, Concert, (2nd July 2016), review 紀尾井シンフォニエッタ東京 豊田演奏会 評

2016年7月2日 土曜日
Saturday 2nd July 2016
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)

曲目:
Antonín Dvořák: Česká suita op.39 B.93
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per corno e orchestra n.1 KV412 (movimenti 1 e 3)
(Movimento 2) Nino Rota: Andante sostenuto per il Concerto per Corno KV412 di Mozart (1959)
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.3 op.55

corno: Radek Baborák / ラデク=バボラーク
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Radek Baborák / ラデク=バボラーク

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ラデク=バボラークをソリスト・指揮者に迎えて、2016年7月2日に豊田市コンサートホールで、演奏会を開催した。本拠地である紀尾井ホールでは演奏されなかった。この演奏会が、「紀尾井シンフォニエッタ東京」の名での最後の演奏会となる。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方上手側、ティンパニ・トランペットは後方下手側の位置につく。金管・打楽器は、本拠地の紀尾井ホールでの公演とは逆の位置である。

着席位置は一階正面やや前方上手側、観客の入りは8割程で空席が目立つ。観客の鑑賞態度は、若干ノイズがあったものの、概ね良好であった。

本日のメンバーは、レギュラーメンバーではない奏者が多かったようにも思える。コンサート-ミストレスは野口千代光さんである。

本拠地ではないということもあり、響きの検討が生煮え状態と感じたり、オーボエの響きに「若さ」が感じられる箇所が無きにしも非ずで、バボラークのホルンももっと豊かな表現が可能かなと思える箇所もあったが、全般的には曲が進むに連れて馴染んだ感がある。

私に取っての好みの箇所は、モーツァルトのバボラークとオーボエのやり取り(第二楽章であり、ロータによる作曲部分)と、第三楽章に於けるバボラークの弱音を披露するソロの箇所である。

Beethoven の3番は、冒頭部分は宇野功芳の真似かと一瞬思えたほどの遅さで焦ったが、以下はマトモな解釈ではある。全般的に遅めのテンポで堂々とした演奏である。いつもとは違うメンバーと思われるホルンにもう少し頑張って欲しかった箇所があると思うのは欲張りか?

アンコールは、前半のバボラークのソリスト-アンコールは、彼自身の作曲による「アルペン-ファンタジー」、演奏会終了時のアンコールは、ドヴォルジャークの「我が母の教えたまいし歌」であった。