2016年4月16日土曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Werther’ review 新国立劇場 歌劇「ヴェルター」(ウェルテル) 感想

2016年4月16日 土曜日
Saturday 16th April 2016
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Jules Massenet: Opera ‘Werther'
ジュール=マスネ 歌劇「ヴェルター」(ウェルテル)

Werther: Dmitry Korchak (ディミトリー=コルチャック)
Charlotte: Elena Maximova (エレーナ=マクシモワ)
Albert: Adrian Eröd(アドリアン=エレート)
Sophie: Sunakawa Ryoko (砂川涼子)
le Bailli: Kubota Masumi (久保田真澄)
Schmidt: Murakami Kota (村上公太)
Johann: Mogiguchi Kenji (森口賢二)

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir

Director: Nicolas Joel (演出:ニコラ=ジョエル)
Set design: Emmanuelle Favre(装置:エマニュエル=ファーヴル)
Costumes design: Katia Duflot (衣裳:カティア=デュフロ)
Lighting design: Vinicio Cheli (照明:ヴィニチオ=ケリ)
Stage Maneger: Onita Masahiko (舞台監督:大仁田雅彦)

orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: Misawa Fminori (合唱指導:三澤洋史)
direttore: Emmanuel Plasson (指揮:エマニュエル=プラッソン)

新国立劇場は、2016年4月3日から4月16日までの日程で、ジュール=マスネ歌劇「ヴェルター」を5公演開催した。この評は2016年4月16日に催された第五回目千秋楽の公演に対するものである。

当初予定されていた、指揮のマルコ=アルミリアート・ミシェル=プラッソン、ベアトリス役のマルチェッロ=ジョルダーニは、負傷・病気のため降板した。

着席位置は一階前方やや下手側である。観客の入りは9割ほどか。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好だった。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は特段ない、正統的なものだ。背景の映像はプロジェクターを用いたものと思われるが、事前に新国立劇場会員誌「テアトレ」で予告された背景映像とは異なったものとなったのは残念だ。

ソリストの出来について述べる。

Werther役の Dmitry Korchak は、第一幕、第三幕オシアンの詩の朗読の場面、Charlotte 役の Elena Maximova は第三幕のWertherとの場面が特に素晴らしい。Albert 役の Adrian Eröd は全般に渡り期待する水準を満たし、Sophie 役の 砂川涼子 も特に第三幕での Charlotte との場面は素晴らしく健闘した。

管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団であったが、バレエ公演でこのくらい元気良く上手に演奏してくれたらと思える程ではあるが、歌劇公演としての演奏のあり方としては疑問を持たざるを得ない箇所も見受けられた。演奏のあり方が、タケミツメモリアルでの演奏会のようだった。

特に第一幕・第二幕で、管楽の無神経な響きによって歌が損なわれた。歌の響きに対してどのような響きで対処するかが見えていない。これは各奏者が考えるべき点か、指揮者の無能ぶりにより齎された点かは不明である。

第一幕終盤シャルロッテとヴェルターの段は、もう少し考えるべきだろう。

特に第二幕では、管弦楽をなくして、歌い手のアカペラだけでやった方がマシと思える程だ。歌が綺麗に響く時は、ピットからの音がない時だったり、教会から漏れ伝わる弱いオルガンの音の場面だったりした。

歌の個別が良くても、管弦楽個別が良くても、なんとなくシックリ来ない感じが強い。全体的な響きの組み立てがうまくいっていない。

今日わかった事は、新国立劇場はピットからの音がかなり大きく響き渡り、その結果、歌い手が爆音量対応で無ければ管弦楽に負けてしまう点である。地元の まつもと市民芸術館 では、管弦楽はうまい具合にすっぽ抜けた響きとなり、結果的に歌が活きてくるが、新国立劇場ではそうならない。新国立劇場の音響は、バレエ公演向けとしては抜群に素晴らしいが、オペラ公演としてはダメダメの部類だろう。

オペラに関して、二国問題の勝者はいなかった。佐々木忠次の狂気じみた2000席超構想をぶっ潰したのは良かったとして、現状の1814席は誰得だったのだろう。過剰に響く管弦楽により歌い手に爆音量を要求する劇場となってしまった。1000席前後の規模にし、オケを室内管弦楽団の規模として座付きとしていれば、砂川涼子や Elena Maximova の歌が活きた場面はもっとたくさんあったのではないだろうか。新国立劇場設立のグランド-デザインが誤っていた事については、日本の音楽界を挙げた反省が必要かと思われる。

2016年4月10日日曜日

Wihan Quartet, Nagoya perfomance, (10th April 2016), review ウィハン弦楽四重奏団 名古屋公演 評

2016年4月10日 日曜日
Sunday 10th April 2016
宗次ホール (愛知府名古屋市)
Munetsugu Hall (Kyoto, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Quartetto n.67 op.64-5 Hob.III-63
Leoš Janáček: Quartetto n.1
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Quartetto n.15 op.132

Quartetto d'archi: Wihan Quartet
violino 1: Leoš Čepický
violino 2: Jan Schulmeister
viola: Jakub Čepický
violoncello: Aleš Kaspřík

チェコ人により構成されるウィハン-クァルテットは、2016年3月から4月に掛けて日本ツアーを実施し、福岡・横浜・東京(3会場で計3公演)・大阪・広島・武豊(愛知県)・名古屋にて演奏会を開催した。この評は、最終公演である名古屋公演に対するものである。

着席位置は秘密。およそ7割程の入りか?観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。

一曲目のハイドンから深い音色で聴かせてくれるが、面白いのは二曲目のヤナーチェクである。どのように弾いてそのような音を出しているのか不明だが、特殊な音色が出て来たり、現代音楽チックな部分もあったりする。

最後のBeethovenは、第三楽章・第五楽章が特に素晴らしい。第三楽章は繊細であり、第五楽章は心臓の鼓動が高鳴る演奏だ。それにしても、全曲に渡り正統派の解釈であり、誰が何をするか、よく考えられた演奏である。深い音色が宗次ホールと実によくマッチしている。

アンコールは二曲あり、いずれもドヴォルジャークである。一曲目は弦楽四重奏曲第12番第四楽章であるが、終盤の二人のヴァイオリンが微妙にテンポを速めながらきっちりユニゾンを決めた響きは実に素晴らしい。二曲目は、弦楽四重奏のための「糸杉」から「自然はまどろみの夢の中に」で心を落ち着かせるものである。

弦楽四重奏の表現力を改めて思い知る。100以上の奏者を集めてデカくやる意味って、どこにあるのでしょうね。

2016年4月9日土曜日

国立文楽劇場「妹背山婦女庭訓」感想

2016年4月9日に、国立文楽劇場にて「妹背山婦女庭訓」を通しで観劇しました。11:00から21:04までの長丁場です。

当日は散り始めておりましたが、国立文楽劇場前の二本の桜がまだまだ咲いておりました。うまく撮影すれば、まだまだ葉桜になっていないように誤魔化せるレベルです。

第一部での「妹山背山の段」は桜の季節の背景です。ギリギリとはいえ、桜が完全に散る前に来れて良かったです。この段は、二時間近くに渡る場面です。雛鳥の首を整える定家の仕草に涙腺が緩みました。この段では、出語り床を上手・下手両側に設置しています。雛鳥は下手側、久我之助は上手側、その間は人の行き来ができない国境の川です。雛鳥側の太夫・三味線を下手側に置く珍しい形態でした。

後半の第二部では、橘姫とお三輪とで藤原淡海(偽名:求馬)を取り合う、よくありがちな場面です。かなり積極的なお三輪に同感される方は多いでしょう。橘姫よりもお三輪の方が、興味深い描かれ方をしています。

四段目、終盤の、お三輪 が鱶七に殺害される場面は圧巻でした。人形劇でこれ程までの表現が出来る事に、いつも感歎します。10時間もの長丁場も、ここ場面で疲れが吹き飛びました。

それにしても、この10時間で五人の命が失われました。暗殺が1件、自害が3件、「大義」のための殺害が1件です。今の時代に生きていて良かったと思います。。外国人の観客もいらっしゃいましたが、このような江戸時代の日本の価値観は、理解し難いでしょうね

2016年4月3日日曜日

Alina Rinatovna Igragimova (3rd April 2016), review アリーナ=イブラギモヴァ 名古屋公演 評

2016年4月3日 日曜日
Sunday 3rd April 2016
電気文化会館コンサートホール (愛知県名古屋市)
Denki Bunka Kaikan Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Heinrich von Biber: Passacaglia
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.2 BWV 1004
(休憩)
Eugène Ysaÿe: Sonata per violino solo n.3 op.27/3
Bartók Béla: Sonata per violino solo Sz.117

violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova

アリーナ=イブラギモヴァは、2016年3月24日から4月9日に掛けて日本・韓国ツアーを行い、セドリック=ティベルギアンとともにモーツァルトのヴァイオリン-ソナタの演奏会を、王子ホール(東京)で、無伴奏のプログラムの演奏会を多摩(東京都)・所沢(埼玉県)・ソウル(大韓民国)・名古屋・西宮(兵庫県)で、キアロスクーロ=カルテットの一員としての演奏会を東京・西宮で、計9公演実施する。

この評は、4月3日電気文化会館に於ける、無伴奏プログラム公演に対する評である。

着席位置はやや前方正面中央、観客の入りは7割程か。観客の鑑賞態度は、多少ノイズはあったものの、拍手のタイミングも的確であり、概ね極めて良好だった。

全般的に、全ての曲目で極めて高い水準の演奏である。

前半のバッハ BWV1004 は私が見ている限り、ヴィブラートを掛けずに演奏する。掴みの部分で聴かせる深い音色、綺麗な弱音に耳を奪われる。解釈もよく考えられ、アリーナ独自の解釈を入れつつも、バッハの音楽を壊す箇所は全くない。

それにしても、アリーナがバッハを弾くと、どうしてヴィブラートの概念が生まれたのか、疑問が生じてくる。弦に接した指を動かす必要などなかったし、これからも永久にない。ノン-ヴィブラートだからあれだけ深い音色が出せるのであれば、ヴァイオリンの教科書からヴィブラートの概念は追放するべきではないか?

そんな暴論を公に開陳しないではいられなくなる。(後半のイザイとバルトークでは、ヴィブラートをかけていた)

後半は、やはりバルトークである。技巧を駆使する難曲であるが、高い水準でクリアする事は当然として、単にスリリングな展開を楽しませるだけでなく、弱音の綺麗さ、音色の深さで心に染み渡る演奏だ。

鋭く弾いているのだけれど、柔らかさを感じさせるのは、響きの深さによるものなのだろうか?

アンコールは、バッハの無伴奏ソナタ第2番 BWV1003 からアンダンテである。優しい響きで、安らかな気持ちで地上に出てね、娑婆に帰ってね、と言われているかのような演奏だった。

2016年2月21日日曜日

Noism "Carmen" 2016年2月 横浜公演 感想

2016年2月20/21日と、神奈川芸術劇場(KAAT)にて、Noism 「カルメン」を観劇しました。

Noism は新潟市の劇場施設 りゅーとぴあ の座付き舞踊演劇カンパニーです。

Noism の演目は、一度だけでは分からない事も、二度観ると見えてくるものがあります。二回行って良かったと思います。

あの有名なビゼーによるオペラのカルメンの音楽を用いてはおりますが、ストーリーは大幅に変えております。そもそもオペラ前の原作にはなかったミカエラが、このNoism版では極めて重要な位置を占めています。ここまでミカエラの心情を表現したのは、物語の強い核になり素晴らしいものがあります。

また、歌舞伎・文楽の手法をかなり取り入れているように思えます。

第一幕で、門外の警備の情景と、門内のタバコ工場の場面の転換は、複数(5つ?)繋げたパーテーションをダンサーの手で一気に回して行いますが、やっている事は歌舞伎に於ける回り舞台そのものです。

また、第二幕でのガルシア登場の場は、学者役が大夫になって、パントマイムをしているダンサーの台詞を言います。ダンサーを人形に置き換えれば、やっている事はまさしく文楽です。そもそも舞台を張り出して、学者の部屋のようにしている時点で、文楽の出語り床そのものです。

その他舞台装置に関して言えば、パーテーションの使い方が実に絶妙でした。

このカルメンには亡霊たちが登場しますが、東海道四谷怪談的でもあり、オペラ「ドン-ジョバンニ」の騎士長が迫る場面のように思いました。

もちろん、Noismの皆さん、みんな踊れるし演じられるしで、舞踊と言うよりは演劇を楽しめた感じです♪

2016年2月18日木曜日

Janine Jansen + Itamar Golan, recital, (18th February 2016), review ジャニーヌ=ヤンセン + イタマール=ゴラン 名古屋公演 評

2016年2月18日 木曜日
Thursday 18th February 2016
電気文化会館コンサートホール (愛知県名古屋市)
Denki Bunka Kaikan Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Johannes Brahms: Sonata per violino e pianoforte n.2 op.100
Bartók Béla: Sonata per violino e pianoforte n.2 Sz.76
(休憩)
Bartók Béla: Dansuri populare românești Sz.56 (ルーマニア民族舞曲)
Fritz Kreisler: Marche Miniature Viennoise (ヴィーン風小行進曲)
Fritz Kreisler: Liebesleid (愛の悲しみ)
Fritz Kreisler: syncopation (シンコペーション)
Manuel de Falla (arr. Fritz Kreisler): Danza Española nº 1 (La vida breve) (エスパーニャ舞曲第1番 (歌劇「はかなき人生」より))
Manuel de Falla: Siete canciones populares españolas (7つのエスパーニャ民謡より)

violino: Janine Jansen
pianoforte: Itamar Golan

「7つのエスパーニャ民謡より」で演奏された曲目は、1. ムーア人の衣装 2. 子守唄 3. 歌 4. ポーロ 5. アストゥリアス地方の歌 6. ホタ である。

ジャニーヌ=ヤンセンは、2016年2月16日から22日に掛けて、イタマール=ゴランとともにリサイタルを、ファリアホール(横浜)、紀尾井ホール(東京)、電気文化会館(名古屋)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)、東京文化会館(東京)にて行う。電気文化会館に於いては、ブラームス・バルトークのほか、クライスラー・ファジャを演奏するプログラムとなる。

この評は、2月18日電気文化会館の公演に対する評である。

着席位置はやや前方正面中央、観客の入りは9割程か。観客の鑑賞態度は、若干ノイズはあったものの、余韻を損なう拍手はなく、概ね極めて良好だった。

前半は、バルトークのVnソナタ2番が素晴らしい。目を見張る出来だ。ゴランも同格に張り合うし、ジャニーヌはよく考えて構築し、求められている響きを的確に出す。鋭く弾いていても太さがある響きが伴うからか、優し目な響きに聴こえるかな♪

後半はバルトーク・クライスラー・ファジャの曲で、乱暴に言うとポピュラー路線である。全般的にジャニーヌのしっとりとした音色で色付けされている。ファジャだからと言ってエスパーニャ色そのまんまには、決してしない。通俗的な曲目もジャニーヌに掛かるとこのようになるんだ!と言った感じになり、ジャニーヌ色に染まると違って聴こえてくるのだなあと感じられる。

しかし、最大の聴かせどころは、アンコール一曲目のルトスワフスキの「スピト」だ。バリバリの現代音楽を鋭く聴かせてくれ、テンションが上がりまくる。前半最後にバルトークのVnソナタ2番を持ってくるなど、アンコールを含めて、プログラムの構成が巧みだ。

ルトスワフスキで興奮した気持ちを鎮めるかのような、アンコール二曲目のフォーレ「夢のあとに」も素晴らしい。穏やかな気分で帰ってぐっすり眠ってね、と言った雰囲気がいいのだよな。そんなジャニーヌたん、loveだよ!!背が高くてモデルみたいな美女だし、また来てね♪♪

2016年2月13日土曜日

Kioi Sinfonietta Tokyo, the 103th Subscription Concert, review 第103回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評

2016年2月13日 土曜日
Saturday 13th February 2016
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: divertimento n.1 K136
Richard Strauss: Concerto per corno e orchestra n.2
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per corno e orchestra n.3 K447
Richard Strauss: Metamorphosen

violino: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
corno: Stefan Dohr / シュテファン=ドール
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ライナー=ホーネックを指揮者に、ホルン奏者のシュテファン=ドールをソリストに迎えて、2016年2月12日・13日に東京-紀尾井ホールで、第103回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

ライナー=ホーネックは、ディヴェルティメントとメタモルフォーゼンはコンサート=マスター、二曲あるホルン協奏曲は指揮を担当する。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管とティンパニは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方僅かに上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、時折ノイズが発生したものの、概ね極めて良好で、メタモルフォーゼンの後の静寂も(時報がなっちゃったけど)守られた。

第一曲目の「ディヴェルティメント」は第三楽章がヴィヴィッドな感じで私の好みである。

第二曲目はリヒャルト=シュトラウスのホルン協奏曲第2番である。ホルン-ソロはシュテファン=ドールだ。

この曲を私が聴くのは初めてであり、リヒャルト=シュトラウスの書法に慣れていないからそのように感じられたのかもしれないが、第一楽章ではドールが紀尾井ホールの響きにマッチせず苦しめられているように思えて、加えて管弦楽が控え目な設定であったこともあり、バラバラな印象を持つ。

しかし第二楽章で、木管の見せ場からさり気なくホルンが入って来るところは素晴らしい。

シュテファン=ドールが本領を発揮し出すのは、休憩後に演奏されたモーツァルトのホルン協奏曲第3番である。弱めな響きの管弦楽と完全にマッチしており、弱音のコントロールが見事で、管弦楽と同じ方向を向いた演奏が、見事に当たる。よく考えられて構成された演奏である。

しかし、シュテファン=ドールの本領はアンコールでさらに発揮される。曲目はメシアンの「峡谷から星たちへ・・」第二部第6章「恒星の叫び声」である。

協奏曲のソリストとして、あるいはアウェイである紀尾井ホールの奏者として課せられた制約から逃れ、自由を得て、伸びやかな明るい響きの演奏だ。

紀尾井ホールの響きを完全に掌握した上で、全てが絶妙に絡み合い、何らの制約なく、やりたい放題に超絶技巧を披露し、私のテンションが上がりまくる。「メタモルフォーゼン」の前で興奮しちゃって良いのかと、罪の意識を持ちながら。

最後の曲は、リヒャルト=シュトラウスのメタモルフォーゼンである。

緻密に考えられ、個々の奏者の技量が的確に発揮され、純音楽的なメリハリがありながらも、感情過多になり過ぎない(私にとっては、涙腺が潤むか潤まないかのギリギリの線だった)重さを感じさせる見事な演奏である。

この曲を、紀尾井ホールのような中規模ホールで聴くことに幸せを感じる。23人の弦楽奏者それぞれが独立しており、一人ひとりの弦楽が意味を持つこの曲は、やはり大ホールでは限界がある。大ホールフルオケばかりの東京で、機会は少ないけれども、紀尾井ホールで、紀尾井シンフォニエッタ東京の演奏で聴けるのは、奇蹟的な幸運だ。

この曲の最後では、祈る気持ちになる。天井のシャンデリアに視線を向け、あるいは目を瞑り、視覚的な情報をカットして響きに心を傾ける。曲が終わり、観客は静寂を保つ。ちょうど16時になり時報がなってしまうのは不幸だったが、祈りの時間が確保される。ホーネックが終了の合図を出したのか、観客から拍手が湧き上がり始める。曲が終わったらしい。名演が終わった。そろそろ私も目を開き、拍手をし始めよう。

2016年1月30日土曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa, the 372nd Subscription Concert, review 第372回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評

2016年1月30日 土曜日
Saturday 30th January 2016
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)

曲目:
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
Frédéric Chopin: Variations on "La ci darem la mano" op.2
(休憩)
Frédéric Chopin: Concert Londo "Krakowiak" op.14
Felix Mendelssohn Bartholdy: Sinfonia n.5 op.107

pianoforte: Alexander Krichel
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: Matthias Bamert

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、ピアノにアレクサンダー=クリッヒェル、指揮にマティアス=バーメルトを迎えて、2016年1月30日に石川県立音楽堂で、第372回定期演奏会を開催した。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの上手方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは最後方中央の位置につく。

着席位置は一階正面中央わずかに上手側、客の入りは八割程であろうか、チケット完売には至らなかった。

演奏について述べる。

一曲目のシンプル-シンフォニーは、第三楽章・第四楽章が素晴らしい。第二楽章のピッチカートは、中規模ホールだとよく響いて素晴らしい演奏になったろう。

ショパンの、事実上の一楽章形式のピアノ協奏曲が二曲披露される。

ピアノのアレクサンダー=クリッヒェルはハンブルク生まれ。強い音も軽やかさを失わない響きで魅了される。 管弦楽のサポートは絶妙に考えられ、ピアノが休んで管弦楽が強く出るべき箇所の鋭さも見事で、構築力のある組み立てである。

ショパンがモーツァルトの影響を受けた事を伺わせるピアノの軽やかな響きは、これら事実上のピアノ協奏曲には必須な要素だが、これをどんな強い音でも失わせないアレクサンダー=クリッヒェルは素晴らしい!アンコールはクリッヒェル自身の作による「ララバイ」であったが、弱音が綺麗であった。

後半は、メンデルスゾーンの交響曲第5番である。冒頭の金管の鮮やかな響きと(終始金管の調子は良かったように思える)弦楽の弱いけど細さを感じさせない響きとの対比から惹き寄せられる。全般的に奇を衒わない正統派の演奏であるが、もう少し派手にやったら名演の域に達したかもしれない。アンコールはモーツァルトの「カッサシオン」KV65 からアンダンテであった。 #oekjp

2016年1月10日日曜日

新国立劇場バレエ団 ニューイヤーバレエ (2016年1月) 雑感

2015年最後の公演をパリ国立オペラ バレエで終え、今年初めての公演は、新国立劇場バレエ団の「ニューイヤーバレエ」でありました。

1月9・10日の二回だけの公演であり、いずれもチケットは完売したかと思われます。

三部構成に分かれます。

第一部はジョージ=バランシンの「セレナーデ」、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」op.48の音楽に乗せた演目です。

第二部は、貝川鐵夫(新国立劇場バレエ団ファースト-ソリスト)の振り付けによるFoliaの他、バレエ-ガラ形式で、「パリの炎」「海賊」「タランテラ」の演目です。

第三部は、アレクサンドル=グラズノフの「ライムンダ」第三幕です。

以下、1月9日公演、1月10日公演と分けて、感想を記載します。

(2016年1月9日公演)

第一部の「セレナーデ」は、細田千晶さんが私にとって一番好みの踊りでした。あと、本島美和さんがスカートを空気抵抗を使って落とす場面が印象的です。バランシンの演目は積極的に取り上げて欲しいです。

第二部は、米沢唯ちゃんの「タランテラ」を完璧な踊りで可愛いく仕上げてきました😊あと、ファリアの池田さんらしき踊りが印象に残りました。

第三部の「ライムンダ」は、小野絢子さんのオーラで盛り上げました。

チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」は、室内管弦楽団の規模で、やはり松本市音楽文化ホールや紀尾井ホールといったような、響きの優れた中規模ホールでやって欲しい曲目です。それでも、特に10日公演での新国立劇場に於ける東フィルは、巨大劇場の割にはよくやっていると思います。

ど素人の放言と受け止めて頂きたいですが😅、細田千晶さんのファースト-ソリスト、池田武志さんのソリスト昇格は確実だと思っています。

池田さんの場合は、今シーズン2階級特進しても良かったのだろうけど、花純さんのように主役起用ではなかったから、1階級ずつにしただけなのでしょうね。

細田千晶さんは、現行ソリスト階級陣の中で、明らかに抜きん出ています。踊りの完成度と、これがもたらす踊りの美しさの点で。彼女が昇格しなくて他のソリストが昇格したら、ちょっと抗議活動ものかな😜(←コラッ😅😅)

(2016年1月10日公演)

第一部「セレナーデ」。二回目となると、身を委ねるように観ることができるようになります。今日は涙腺が決壊しそうになりました。主要メンバーだけでなく、群舞まで士気の高さが感じられる踊りをしているからなのでしょう。

「セレナーデ」はプロセニアム制限を掛ける事なく、12mそのまんま使っているのも、いいのだと思います。舞台装置使っていると、地方公演考慮して12mフルに使っていないようであるので。

10日公演はほぼ中央の席で観劇でき、その場所ならではの視点で観ることがができましたが、後半部で、本島美和さんが菅野英男さん(?)の背後に回って、鳥の羽ばたきの仕草をしたあとに、寺田亜沙子さんから略奪していくように見えた場面では、さすが、わる〜い女の美和りん だなと思いました😜😁😊

第2部について。

「海賊」の長田佳世さんは、女性ソロの柔らかい浮遊感溢れる跳躍と、最後の後方上手側から前方下手側に来るところが綺麗に決まっておりました。これらの箇所については、9日のキャストであった木村優里さんにとって、素晴らしい手本になる箇所かと考えます。

「タランテラ」の小野絢子さんは、米沢唯ちゃんとは別種の可愛さです。タンバリンを持ち出した直後のソロは管弦楽と揃えることに焦点を絞り、見事に決まりました。雄大さんも素晴らしかったです。

第3部終了。10日公演の「ライムンダ」は米沢唯ちゃん!一つ一つの所作が完璧でした。昨日の親しみやすい可愛さから、貫禄のあるお姫様に変身しておりました😊

作品としての「ライムンダ」はどうかと思うけど(第三幕は結婚式の舞踊だけという、どうしようもない内容!)、ここまでの内容で打ち出してくる新国立劇場バレエ団のダンサーたちは凄いです!

というわけで、今年は、新国立劇場バレエ団、ニューイヤーバレエ、連続二公演で幕を開けました。早速の素晴らしい公演で、意気揚々と松本に帰っております😊😊

2015年11月25日水曜日

Sinfonia Lahti, Matsumoto performance, review ラハティ交響楽団 松本公演 評

2015年11月25日 水曜日
Wednesday 25th November 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Jean Sibelius: “Finlandia” op.26
Jean Sibelius: Concerto per violino e orchestra op.47
(休憩)
Jean Sibelius: Sinfonia n.2 op.43

violino: Petteri Iivonen
orchestra: Sinfonia Lahti
direttore: Okko Kamu

ラハティ交響楽団は、スオミ共和国の首都ヘルシンキから、北北東に100kmの地に位置するラハティ市に本拠を置く。

2015年11月に、ラハティ交響楽団は、オッコ=カムを指揮者に、ペッテリ=イーヴォネンをソリストに迎えて、日本ツアーを行う。全てシベリウスの作品を演奏する。松本・札幌はフィンランディア+ヴァイオリン協奏曲+交響曲第2番のプログラムである。東京では、シベリウスの全ての交響曲とヴァイオリン協奏曲を披露する。なぜか、札幌公演のみソリストは神尾真由子であった(代役ではなく、当初からの予定)。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、打楽器群とホルンは後方下手側、その他の金管パートは後方上手側の位置につく

着席位置は一階正面やや後方僅かに上手側、観客の入りは、7割程であろうか。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。

一曲目の「フィンランディア」は音取り的要素もあり、アウェイ感が感じられるところもある。

二曲目のヴァイオリン協奏曲からは、ソリスト・管弦楽ともホールの響きを完璧に掴み始める。

ソリストのイーヴォネンはかなり個性的な演奏だ。技術を誇示するようなタイプではなく、彼独自で解釈した曲想を披露する。誰とも似ていないシベリウスを、彼は産み出す。

技術的に彼より巧い奏者はいるのだろうけど、彼の個性の代わりを務められる奏者は、どこにもいない。音量は小さめであるが、巧みに響かせる。独特の深い音色を駆使しニュアンスで攻めるタイプである。良く響く693席の中規模音楽堂である松本市音楽文化ホールだからこそ、彼の演奏が活きてくる。ヴァイオリン協奏曲というものは、中規模音楽堂を想定して書かれたものなのだと、強く確信する。タケミツメモリアルのような大規模音楽堂では、まず音量が重要になってくるので、彼には不向きなのかも知れない。

音量が必ずしも大きくないタイプのイーヴォネンを、楽団員は巧みに盛りたてる。ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロとも、素晴らしく美しい弱音を響かせる。だからこそ、イーヴォネンを引き立たせる事ができるのだ。バランスを良く考えても、美しい弱音が生み出せない管弦楽では、イーヴォネンを引き立たせる事はできない。

イーヴォネンとカムと管弦楽は、あたかも一つの家族のような感じで演奏を繰り広げる。ソリスト・指揮者・管弦楽の三者が目指すべき音楽を共有しており、その場面でどのように演奏してどのような響きを出すべきなのか、一音一音誰もが熟知している。イーヴォネンは、いい意味でシベリウスホールの座付きソリストのようだ。外からお客さんとして招かれたソリストというのではなく、ずっとラハティ交響楽団と一緒に演奏して来たようなソリストのように感じられる。おらが交響楽団のソリストを盛りたてようと、管弦楽がサポートしているような、暖かな関係性が目の前にある。これ程まで自然な感じで見事にソリストをサポートする管弦楽は、見た事がない。

ソリストアンコールは、バッハの無伴奏を二曲披露した。BWV1004からアルマンドとBWV1005からアレグロ-アッサイであった。

休憩の後は、第二交響曲だ。

前にこの曲を別の楽団で聴いた時に、この曲への愛を失ってしまい、2番やるなら5番やってくれよと正直思ったところではあるが、冒頭から説得力のある響きで、第二交響曲への愛を取り戻す。

やはり弦楽は素晴らしい技量で、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロとも随所で美しい響きを出してくる。弦楽の実力は間違いなく世界屈指のものだ。シベリウスの2番は、弦楽が強いと本当に活きてくる。

管楽については、意地悪な耳で聴くと超絶技巧の持ち主は少ないけれど、一定の力は保持している。第二楽章のファゴットは実に見事であるし、他の管楽も要所要所では決めてくる。

ある特定の管楽器奏者の名人芸に頼るのではなく、管弦楽全体で作り上げる意志を強く感じる。どこで何をしなければならないかを、楽団員全員が一音一音全て理解している事が感じられ、好感が持てる。

オッコ=カムの指揮は、奇を衒う事はせず、かといって平凡ではなく適度にエッジを利かした巧みな構成力により、ラハティ交響楽団が持つ個性を維持し、ラハティ交響楽団を適切な方向に導いている。他の管弦楽団では聴けない響きを、カムとラハティ交響楽団は産み出してくるのだ。これほどまでに強い個性を持つ管弦楽団も、珍しい。

アンコールは、全てシベリウスの作品で、「悲しいワルツ」「ミュゼット」「鶴のいる風景」の三曲であった。「悲しいワルツ」では、某エストニア人指揮者のような極端な弱音を用いない、至極真っ当な演奏で魅了されし、他の二曲も弦楽とクラリネットとの見事な対比を味わう事が出来るものであった。

観客の反応はかなり熱狂的で、スタンディングオベーションを伴って演奏会を終了した。