2016年4月3日 日曜日
Sunday 3rd April 2016
電気文化会館コンサートホール (愛知県名古屋市)
Denki Bunka Kaikan Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Heinrich von Biber: Passacaglia
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.2 BWV 1004
(休憩)
Eugène Ysaÿe: Sonata per violino solo n.3 op.27/3
Bartók Béla: Sonata per violino solo Sz.117
violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova
アリーナ=イブラギモヴァは、2016年3月24日から4月9日に掛けて日本・韓国ツアーを行い、セドリック=ティベルギアンとともにモーツァルトのヴァイオリン-ソナタの演奏会を、王子ホール(東京)で、無伴奏のプログラムの演奏会を多摩(東京都)・所沢(埼玉県)・ソウル(大韓民国)・名古屋・西宮(兵庫県)で、キアロスクーロ=カルテットの一員としての演奏会を東京・西宮で、計9公演実施する。
この評は、4月3日電気文化会館に於ける、無伴奏プログラム公演に対する評である。
着席位置はやや前方正面中央、観客の入りは7割程か。観客の鑑賞態度は、多少ノイズはあったものの、拍手のタイミングも的確であり、概ね極めて良好だった。
全般的に、全ての曲目で極めて高い水準の演奏である。
前半のバッハ BWV1004 は私が見ている限り、ヴィブラートを掛けずに演奏する。掴みの部分で聴かせる深い音色、綺麗な弱音に耳を奪われる。解釈もよく考えられ、アリーナ独自の解釈を入れつつも、バッハの音楽を壊す箇所は全くない。
それにしても、アリーナがバッハを弾くと、どうしてヴィブラートの概念が生まれたのか、疑問が生じてくる。弦に接した指を動かす必要などなかったし、これからも永久にない。ノン-ヴィブラートだからあれだけ深い音色が出せるのであれば、ヴァイオリンの教科書からヴィブラートの概念は追放するべきではないか?
そんな暴論を公に開陳しないではいられなくなる。(後半のイザイとバルトークでは、ヴィブラートをかけていた)
後半は、やはりバルトークである。技巧を駆使する難曲であるが、高い水準でクリアする事は当然として、単にスリリングな展開を楽しませるだけでなく、弱音の綺麗さ、音色の深さで心に染み渡る演奏だ。
鋭く弾いているのだけれど、柔らかさを感じさせるのは、響きの深さによるものなのだろうか?
アンコールは、バッハの無伴奏ソナタ第2番 BWV1003 からアンダンテである。優しい響きで、安らかな気持ちで地上に出てね、娑婆に帰ってね、と言われているかのような演奏だった。