2014年4月13日 日曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ K.454
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲 op.162 D.574
(休憩)
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 op.137-1 D.384
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番「雨の歌」 op.78
ヴァイオリン:庄司紗矢香
ピアノ:メナヘム=プレスラー
庄司紗矢香とメナヘム=プレスラーは、2014年4月1日から4月13日までに掛けて日本ツアーを行い、高崎(群馬県)・美深町(北海道中川郡、何とまあ、北海道は旭川の北の名寄の北の小さな町に登場したのだ!)・宇都宮・大阪・東京・鎌倉(神奈川県)・松本にて計7公演開催した。この評は、第七回目(最終回)4月13日松本市音楽文化ホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく世界的にトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎えた。今日は、松本で桜が開花し満開に近づきつつある事を踏まえたのか、桜色のドレスで観客の目を惹きつける。
メナヘム=プレスラーは1923年にドイツ、マクレブルク生まれで、昨年12月に90歳に達した。庄司紗矢香とは約60年の年の差で、祖父と孫のように思える。メナヘム=プレスラーは大変小柄な方で、あの庄司紗矢香よりも背が低い程だ。
着席位置は正面中央やや上手側、観客の入りは九割程で、チケットは完売には至らなかったようだ。観客の鑑賞態度は、致命傷にはならない程度に携帯電話の着信音があったものの、拍手のタイミングは余韻が消えた後に為され、またアタッカ気味に進められる曲の進行を妨げる動きもなく、その意味では大変良好であった。
曲を知っている人たちにとってはご存じの通り、聴衆に対しても集中力を要する曲目で、その全てが聴衆を眠らせる魔力を持った曲である。
二人とも目指した方向性は、技巧を見せつけるものではなく、如何に曲を鋭く解釈しニュアンスを豊かにして新たな生命を吹き込むか、と言ったところにある。
完成度は全般的にプログラムの進行とともに上がっていく。リピートがある部分では、二回目の方がより良い出来となっていく。
二人の関係性は、時にヴァイオリンが表に出たり、ピアノが表に出たり、二人で一緒に奏でたりと、かなり明確に区別している。二人とも弱音がとても豊かである。集中力に満ち、ニュアンスに富み、何気ないフレーズからすら新たな命が吹き込まれる名演である。特に最後のブラームスは完璧と言って良い。
プレスラーのピアノは、さすがに90歳であり肉体的に技巧を極める路線では決してないが、何をしたいのかが明確で、優しい響きで淡々と進めているようで、どこか深みが感じられる演奏である。
庄司紗矢香のヴァイオリンから発せられるニュアンスからは、新たな解釈が生まれる。紗矢香の素晴らしいところは、他の誰もが特に意識することなく通り過ぎる場面であっても、新しい世界を構築していく力があるところだ。間違いなく日本人の中で圧倒的な差を持ってトップに君臨するヴァイオリニストであるし、世界的にも彼女のような存在は(いたとしても)稀だろう。
アンコールは四曲あり、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、ショパンの夜想曲第20番(プレスラーのソロ)、ブラームスの「愛のワルツ」、ショパンのマズルカ(op.17-4)(プレスラーのソロ)であった。
2014年4月13日日曜日
2014年4月12日土曜日
第94回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評
2014年4月12日 土曜日
紀尾井ホール (東京)
曲目:
モーリス=ラヴェル 組曲「マ-メール-ロワ」
モーリス=ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」
コダーイ=ゾルターン 「ガランタ舞曲」
(休憩)
リヒャルト=シュトラウス 「町人貴族」 op.60 TrV228c
管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京
ゲスト-コンサートマスター:千々岩英一(パリ管弦楽団副コンサートマスター)
指揮:ペーター=チャバ
紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ペーター=チャバを指揮者に迎えて、2014年4月11日・12日に東京-紀尾井ホールで、第94回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
指揮のペーター=チャバは、マジャール系ではあるがルーマニアで生まれた指揮者である。ゲスト-コンサートマスターの千々岩英一は、パリ管弦楽団の副コンサートマスターである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。なお、「町人貴族」にあっては、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの順に配置換えし、第一プルトを半円形にして各パート二人ずつ配置し、その後ろに第二プルトを二人ずつ(計4人)配置している。
着席位置は正面後方中央、観客の入りは8割程か。観客の鑑賞態度は鈴の音が部分的に響く箇所はあったが、KSTの定期演奏会にしては良好の部類に入る。拍手のタイミングが適切である。
前半のラヴェル・コダーイは、弦楽の線が細く音圧が感じられない演奏である。
一番素晴らしいのは木管パートで、池田昭子のオーボエ、中川佳子のフルートはもちろんであるが、「ガランタ舞曲」で見せた鈴木豊人の長いソロには強く弾きつけられる。難波薫のピッコロは、私はもう少し強く鋭い響きが好みであるが、チャバの指示によって溶け込むようは響きになったのか?
ホルンは弱音で下支えする部分は素晴らしいが、「亡き王女のためのパヴァーヌ」冒頭のホルン-ソロはよく響いてはいるものの、生硬な響きでニュアンスが感じられない。松本に住んでいる私としては、ホルンはラデク=バボラークのように出来て当たり前で、彼のような柔らかくニュアンスに富んだ表現で観客の心を惹きつけるべきところである。「亡き王女のためのパヴァーヌ」終了後に一番最初にホルン首席を立たせたのは、納得しがたい。
休憩後の「町人貴族」で、弦楽は数を減らし、ゲスト-コンサートマスター千々岩英一を始め各弦楽パート首席によるソロも多いが、人数が減ったのにも関わらず前半よりも豊かな響きで音圧を感じさせる演奏だ。休憩前の木管の素晴らしさに弦楽が対抗できる状態となり、わざわざパリから千々岩英一を招いた意味がようやく明らかとなる。千々岩英一は、リヒャルト=シュトラウスならではの音色を朗々と掲示して管弦楽全体を導いていく。「町人貴族」では、故意に下手な奏者を演じるところもあるのだろうか、そのような場面は上品なオブラートに包んで演奏しているようにも思える。各弦楽パート首席のソロも素晴らしく、その室内楽的聴きどころを的確に演奏し、千々岩英一が提示したテンションを保持している。管弦楽全体で紀尾井ホールの響きを味方につけた演奏で完成度が高い演奏だ。
アンコールは、「町人貴族」の中から二分ほど抜粋しての演奏であった。
紀尾井ホール (東京)
曲目:
モーリス=ラヴェル 組曲「マ-メール-ロワ」
モーリス=ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」
コダーイ=ゾルターン 「ガランタ舞曲」
(休憩)
リヒャルト=シュトラウス 「町人貴族」 op.60 TrV228c
管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京
ゲスト-コンサートマスター:千々岩英一(パリ管弦楽団副コンサートマスター)
指揮:ペーター=チャバ
紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ペーター=チャバを指揮者に迎えて、2014年4月11日・12日に東京-紀尾井ホールで、第94回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
指揮のペーター=チャバは、マジャール系ではあるがルーマニアで生まれた指揮者である。ゲスト-コンサートマスターの千々岩英一は、パリ管弦楽団の副コンサートマスターである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。なお、「町人貴族」にあっては、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの順に配置換えし、第一プルトを半円形にして各パート二人ずつ配置し、その後ろに第二プルトを二人ずつ(計4人)配置している。
着席位置は正面後方中央、観客の入りは8割程か。観客の鑑賞態度は鈴の音が部分的に響く箇所はあったが、KSTの定期演奏会にしては良好の部類に入る。拍手のタイミングが適切である。
前半のラヴェル・コダーイは、弦楽の線が細く音圧が感じられない演奏である。
一番素晴らしいのは木管パートで、池田昭子のオーボエ、中川佳子のフルートはもちろんであるが、「ガランタ舞曲」で見せた鈴木豊人の長いソロには強く弾きつけられる。難波薫のピッコロは、私はもう少し強く鋭い響きが好みであるが、チャバの指示によって溶け込むようは響きになったのか?
ホルンは弱音で下支えする部分は素晴らしいが、「亡き王女のためのパヴァーヌ」冒頭のホルン-ソロはよく響いてはいるものの、生硬な響きでニュアンスが感じられない。松本に住んでいる私としては、ホルンはラデク=バボラークのように出来て当たり前で、彼のような柔らかくニュアンスに富んだ表現で観客の心を惹きつけるべきところである。「亡き王女のためのパヴァーヌ」終了後に一番最初にホルン首席を立たせたのは、納得しがたい。
休憩後の「町人貴族」で、弦楽は数を減らし、ゲスト-コンサートマスター千々岩英一を始め各弦楽パート首席によるソロも多いが、人数が減ったのにも関わらず前半よりも豊かな響きで音圧を感じさせる演奏だ。休憩前の木管の素晴らしさに弦楽が対抗できる状態となり、わざわざパリから千々岩英一を招いた意味がようやく明らかとなる。千々岩英一は、リヒャルト=シュトラウスならではの音色を朗々と掲示して管弦楽全体を導いていく。「町人貴族」では、故意に下手な奏者を演じるところもあるのだろうか、そのような場面は上品なオブラートに包んで演奏しているようにも思える。各弦楽パート首席のソロも素晴らしく、その室内楽的聴きどころを的確に演奏し、千々岩英一が提示したテンションを保持している。管弦楽全体で紀尾井ホールの響きを味方につけた演奏で完成度が高い演奏だ。
アンコールは、「町人貴族」の中から二分ほど抜粋しての演奏であった。
2014年3月30日日曜日
「メキシコ音楽の祭典」 管弦楽演奏会 評
2014年3月30日 日曜日
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
曲目:
シルベストレ=レブエルタス(Silvestre Revueltas Sánchez) 「センセマヤ」(ヘビ退治)
マルエル=マリア=ポンセ(Manuel María Ponce Cuéllar) ヴァイオリン協奏曲
(休憩)
カルロス=チャヴェス(Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez) ピアノ協奏曲 (日本初演)
シルベストレ=レブエルタス(Silvestre Revueltas Sánchez) 「マヤ族の夜」
ヴァイオリン:アドリアン=ユストゥス (Adrían Justus)
ピアノ:ゴンサロ=グティエレス (Gonzalo Gutiérrez)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(TPO)
指揮:ホセ=アレアン (José Areán)
公益財団法人東京オペラシティ財団は「メキシコ音楽の祭典」を企画し、2014年3月28日に東京オペラシティ-リサイタルホールで「室内楽の夕べ」(室内楽演奏会)、3月30日に大管弦楽演奏会を挙行した。この評は、3月30日に開催された大管弦楽演奏会に対するものである。
管弦楽こそ東京フィルハーモニー交響楽団(TPO)であり、日本で「現地調達」したものであるが、ソリスト・指揮者ともメヒコ(メキシコ)市生まれ、曲目もメヒコ出身の作曲家によるものである。
管弦楽配置は、モダン配置であることの記憶ははっきりしているが上手側のヴィオラ・ヴァイオリン-チェロの順番については記憶していない。コントラバスはチェロの後ろにつく。パーカッションは基本的に舞台下手側後方に位置している。
着席位置は一階正面中央僅かに上手側である。観客の入りは六割程であろうか、一階後方はガラガラの状況であり、わざわざメヒコ音楽を聴きに行く変わり者は少ない。当日の同じ時刻に、東京交響楽団演奏会がミューザ川崎にてあり、指揮者ユベール=スダーンの最後の指揮ということもあり、東京の大管弦楽イヴェントが重なったこともあるだろう。私がこの演奏会を選んだ動機は、カスティージャ(スペイン)語圏の音楽に対する好奇心の他、正直「怖いもの見たさ」的な好奇心も大なるものがあり、聴きに行くことをかなりあっさりと決断した事を覚えている。演奏会場が、聴覚的にも視覚的にも東京で最も素晴らしいホールであるタケミツメモリアルでもあるし・・・。観客の鑑賞態度はかなり良く、タケミツメモリアルの余韻が消えるまで待って拍手を送っていた。
演奏会が始まる前に、指揮台に楽譜らしきものを持ってくる、如何にもメヒコ美女らしき人物が登場し、ホセ=アレアンはずいぶんとお美しいアシスタントを確保しているものだなあと感心していたら、名前だけどこかで聞いたことがある政井マヤである。楽譜ではなくスピーチ原稿であった。どうもこの演奏会は、支倉常長遣欧使節団が現在のメヒコに立ち寄って400年であることを記念した「日本メヒコ交流年」行事の一つでもあり、政井マヤはメヒコ国チワワ州生まれの縁もあって親善大使としてご挨拶とのことだ。早く曲を聴きたくてうずうずしている中、ギリギリセーフの長さでスピーチを終える。
ソリストの様子について述べる。
ポンセ作曲ヴァイオリン協奏曲のソリストであるアドリアン=ユストゥスは線が細く、タケミツメモリアルの響きを味方につけられていない。管弦楽はかなり手加減していたが、眠くなる演奏となる。
チャベス作曲のピアノ協奏曲のソリストであるゴンサロ=グティエレスは、この1942年に初演された現代作品で、35分の長さではあるが音が多く、ソリストの負担が大きい曲を、完璧な技術で弾ききり、パッションも込められ、日本初演を鮮やかに飾った。
管弦楽について述べる。
TPOは第一曲目冒頭こそ硬さが目立ったが、出来不出来の激しいTPOの演奏を踏まえると、少なくとも年に三回レベルの素晴らしい演奏を披露した。おそらく、2014年ベスト演奏となる名演である。タケミツメモリアルの響きの特性を活かしきり、弦楽管楽打楽器全てがその役割を十二分に果たし、楽団員の能力を100%引き出した美しい響きの上に、メヒコの管弦楽団を想像させるパッションを相乗させた演奏であり、ホセ=アレアンの指揮、TPOの演奏、タケミツメモリアルの音響、それらが三位一体となって全てが巧く噛み合った演奏だ。最後の「マヤ族の夜」最終楽章とでもいうべき「魔術の夜」では、パーカッションセクションが卓越した完璧な演技で観客の興奮を最高潮に持っていき、プログラムを華麗に終える。
アンコールは前半終了時に、アドリアン=ユストゥスのソリストアンコールがあり、何故かパガニーニの「24のカプリース」より第21番、演奏会終了時のアンコールが1950年に生まれたメヒコの作曲家、アルトゥーロ=マルケス(Arturo Márquez Navarro)の「ダンソン第2番」である。
演奏会終了は、開始時刻から2時間50分を経過していた。30分を超える協奏曲が2曲あるなど、ボリュームたっぷりでありながら、極めて水準の高い内容でまとめ、しかも日本ではあまり知られていないメヒコの音楽を披露した意義深い演奏会であり、このような演奏会を実現させた日本・メヒコ両国の関係者、公益財団法人東京オペラシティ文化財団を高く評価したい。
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
曲目:
シルベストレ=レブエルタス(Silvestre Revueltas Sánchez) 「センセマヤ」(ヘビ退治)
マルエル=マリア=ポンセ(Manuel María Ponce Cuéllar) ヴァイオリン協奏曲
(休憩)
カルロス=チャヴェス(Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez) ピアノ協奏曲 (日本初演)
シルベストレ=レブエルタス(Silvestre Revueltas Sánchez) 「マヤ族の夜」
ヴァイオリン:アドリアン=ユストゥス (Adrían Justus)
ピアノ:ゴンサロ=グティエレス (Gonzalo Gutiérrez)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(TPO)
指揮:ホセ=アレアン (José Areán)
公益財団法人東京オペラシティ財団は「メキシコ音楽の祭典」を企画し、2014年3月28日に東京オペラシティ-リサイタルホールで「室内楽の夕べ」(室内楽演奏会)、3月30日に大管弦楽演奏会を挙行した。この評は、3月30日に開催された大管弦楽演奏会に対するものである。
管弦楽こそ東京フィルハーモニー交響楽団(TPO)であり、日本で「現地調達」したものであるが、ソリスト・指揮者ともメヒコ(メキシコ)市生まれ、曲目もメヒコ出身の作曲家によるものである。
管弦楽配置は、モダン配置であることの記憶ははっきりしているが上手側のヴィオラ・ヴァイオリン-チェロの順番については記憶していない。コントラバスはチェロの後ろにつく。パーカッションは基本的に舞台下手側後方に位置している。
着席位置は一階正面中央僅かに上手側である。観客の入りは六割程であろうか、一階後方はガラガラの状況であり、わざわざメヒコ音楽を聴きに行く変わり者は少ない。当日の同じ時刻に、東京交響楽団演奏会がミューザ川崎にてあり、指揮者ユベール=スダーンの最後の指揮ということもあり、東京の大管弦楽イヴェントが重なったこともあるだろう。私がこの演奏会を選んだ動機は、カスティージャ(スペイン)語圏の音楽に対する好奇心の他、正直「怖いもの見たさ」的な好奇心も大なるものがあり、聴きに行くことをかなりあっさりと決断した事を覚えている。演奏会場が、聴覚的にも視覚的にも東京で最も素晴らしいホールであるタケミツメモリアルでもあるし・・・。観客の鑑賞態度はかなり良く、タケミツメモリアルの余韻が消えるまで待って拍手を送っていた。
演奏会が始まる前に、指揮台に楽譜らしきものを持ってくる、如何にもメヒコ美女らしき人物が登場し、ホセ=アレアンはずいぶんとお美しいアシスタントを確保しているものだなあと感心していたら、名前だけどこかで聞いたことがある政井マヤである。楽譜ではなくスピーチ原稿であった。どうもこの演奏会は、支倉常長遣欧使節団が現在のメヒコに立ち寄って400年であることを記念した「日本メヒコ交流年」行事の一つでもあり、政井マヤはメヒコ国チワワ州生まれの縁もあって親善大使としてご挨拶とのことだ。早く曲を聴きたくてうずうずしている中、ギリギリセーフの長さでスピーチを終える。
ソリストの様子について述べる。
ポンセ作曲ヴァイオリン協奏曲のソリストであるアドリアン=ユストゥスは線が細く、タケミツメモリアルの響きを味方につけられていない。管弦楽はかなり手加減していたが、眠くなる演奏となる。
チャベス作曲のピアノ協奏曲のソリストであるゴンサロ=グティエレスは、この1942年に初演された現代作品で、35分の長さではあるが音が多く、ソリストの負担が大きい曲を、完璧な技術で弾ききり、パッションも込められ、日本初演を鮮やかに飾った。
管弦楽について述べる。
TPOは第一曲目冒頭こそ硬さが目立ったが、出来不出来の激しいTPOの演奏を踏まえると、少なくとも年に三回レベルの素晴らしい演奏を披露した。おそらく、2014年ベスト演奏となる名演である。タケミツメモリアルの響きの特性を活かしきり、弦楽管楽打楽器全てがその役割を十二分に果たし、楽団員の能力を100%引き出した美しい響きの上に、メヒコの管弦楽団を想像させるパッションを相乗させた演奏であり、ホセ=アレアンの指揮、TPOの演奏、タケミツメモリアルの音響、それらが三位一体となって全てが巧く噛み合った演奏だ。最後の「マヤ族の夜」最終楽章とでもいうべき「魔術の夜」では、パーカッションセクションが卓越した完璧な演技で観客の興奮を最高潮に持っていき、プログラムを華麗に終える。
アンコールは前半終了時に、アドリアン=ユストゥスのソリストアンコールがあり、何故かパガニーニの「24のカプリース」より第21番、演奏会終了時のアンコールが1950年に生まれたメヒコの作曲家、アルトゥーロ=マルケス(Arturo Márquez Navarro)の「ダンソン第2番」である。
演奏会終了は、開始時刻から2時間50分を経過していた。30分を超える協奏曲が2曲あるなど、ボリュームたっぷりでありながら、極めて水準の高い内容でまとめ、しかも日本ではあまり知られていないメヒコの音楽を披露した意義深い演奏会であり、このような演奏会を実現させた日本・メヒコ両国の関係者、公益財団法人東京オペラシティ文化財団を高く評価したい。
2014年2月5日水曜日
佐村河内守のゴーストライター事件
佐村河内守氏のゴーストライター事件について、特段の感想はない。まあ、「佐村河内守作曲工房作」とでもしていれば良かったのか?
かなり小まめにドサ周りをする全国規模での公演をするなど、最近調子にのって流行っているなあとは思っていたが、そうなるとなおさらその演奏会に行く気を無くす性格の持ち主なので、彼の作品の演奏会に行ったことはない。何かのリサイタルで10曲やる内の1曲くらい入っている分にはいいのだろうけど。
昨年の8月頃であろうか、私が山田和樹万歳、小澤征爾引退しろなどと、常日頃からtwitterでお行儀の悪い発言を繰り返していたためか(笑)、よく分からない人物にちょっと絡まれ、特定の指揮者の私生活についてあれこれ非難していながら音楽関係者らしく、匿名とは言え私よりもお行儀の悪い放言をしていて大丈夫なのかと心配してはいたが、その人物が佐村河内守は実は耳が聞こえるだとかかんとか、根拠不明の発言をしていた。耳が聞こえる云々は噂としては流れていたらしいが、ゴーストライターとはねえ。。
彼はあまりに音楽以外のところで売り込みが過ぎているように思える。そういう「物語」は、どうも私との親和性に欠ける。広島出身で言えば細川俊夫も同じ話になってしまうし。でも、細川俊夫が広島出身だなんて、わざわざインチキヴィキペディアで調べて初めてそうなんだと認識するもので、そんなことを念頭に入れて聴いている聴衆などどこにもいないだろう。
また、耳が聞こえなくなった事を持ってベートーフェンの再来やら何やら言われると、興ざめしてしまう。「見かけは可憐で実は凶暴なギリシャの乙女」である交響曲第4番、小さいながらも卓越した構築力で作成された交響曲第8番、この二曲を聴いただけでも、ベートーフェンの偉大さに恐れを抱いて、「再来」やらなにやらとの言葉を使うなんて絶対無理だと思ってしまうのに。せめてショスタコーヴィチレベルの作曲家に対して、そういった表現は用いてほしいと強く思う。
それにしても、どうして流行り始めたのか私には謎だったが、NHKスペシャルで佐村河内守の「物語」を全国規模でばら撒いたためだったのか。テレビシオン恐るべし。その恐るべき有害性!
私は、松本のサイトウキネンや水戸での水戸室内管弦楽団演奏会で、細川俊夫や権代敦彦と言った作曲家の曲を聴いてきた。日本に於ける現代作曲家で取り上げるべきなのは、この二人だ。人生は短く有限だ。時間を無駄に使わないように、アンテナの感度を鋭くし、吟味を慎重にしていくべきことを、改めて肝に銘じることにしよう。
かなり小まめにドサ周りをする全国規模での公演をするなど、最近調子にのって流行っているなあとは思っていたが、そうなるとなおさらその演奏会に行く気を無くす性格の持ち主なので、彼の作品の演奏会に行ったことはない。何かのリサイタルで10曲やる内の1曲くらい入っている分にはいいのだろうけど。
昨年の8月頃であろうか、私が山田和樹万歳、小澤征爾引退しろなどと、常日頃からtwitterでお行儀の悪い発言を繰り返していたためか(笑)、よく分からない人物にちょっと絡まれ、特定の指揮者の私生活についてあれこれ非難していながら音楽関係者らしく、匿名とは言え私よりもお行儀の悪い放言をしていて大丈夫なのかと心配してはいたが、その人物が佐村河内守は実は耳が聞こえるだとかかんとか、根拠不明の発言をしていた。耳が聞こえる云々は噂としては流れていたらしいが、ゴーストライターとはねえ。。
彼はあまりに音楽以外のところで売り込みが過ぎているように思える。そういう「物語」は、どうも私との親和性に欠ける。広島出身で言えば細川俊夫も同じ話になってしまうし。でも、細川俊夫が広島出身だなんて、わざわざインチキヴィキペディアで調べて初めてそうなんだと認識するもので、そんなことを念頭に入れて聴いている聴衆などどこにもいないだろう。
また、耳が聞こえなくなった事を持ってベートーフェンの再来やら何やら言われると、興ざめしてしまう。「見かけは可憐で実は凶暴なギリシャの乙女」である交響曲第4番、小さいながらも卓越した構築力で作成された交響曲第8番、この二曲を聴いただけでも、ベートーフェンの偉大さに恐れを抱いて、「再来」やらなにやらとの言葉を使うなんて絶対無理だと思ってしまうのに。せめてショスタコーヴィチレベルの作曲家に対して、そういった表現は用いてほしいと強く思う。
それにしても、どうして流行り始めたのか私には謎だったが、NHKスペシャルで佐村河内守の「物語」を全国規模でばら撒いたためだったのか。テレビシオン恐るべし。その恐るべき有害性!
私は、松本のサイトウキネンや水戸での水戸室内管弦楽団演奏会で、細川俊夫や権代敦彦と言った作曲家の曲を聴いてきた。日本に於ける現代作曲家で取り上げるべきなのは、この二人だ。人生は短く有限だ。時間を無駄に使わないように、アンテナの感度を鋭くし、吟味を慎重にしていくべきことを、改めて肝に銘じることにしよう。
2014年2月4日火曜日
日本共産党大阪府委員会 への電子メール
日本時間2014年2月4日22時17分頃、下記の電子メールを日本共産党大阪府委員会に対し送付したので、下記の通り公表する。
(以下文面)
日本共産党 大阪府委員会 御中
平素より、日本国のデモクラシーを支え、大阪の未来のために貢献する貴委員会に対し敬意を表します。
本日、貴委員会に関し懸念を抱かざるを得ないニュースを聞きました。
橋下徹大阪市長が辞職し再選挙に出馬する身勝手な行為に対し、「野党統一候補」の擁立を他党に対し提案し、これが実現しない場合は独自候補を擁立するとのニュースです。
衰えたとはいえ、橋下徹を落選させる事は容易なことではありません。「野党統一候補」として擁立するとしたら、前大阪市長である平松邦夫氏以外に考えられません。その平松邦夫氏は、出馬はしないと受け取ってよいと考えます。
となると、日本共産党による独自候補が橋下徹に挑む形となりますが、その独自候補が落選した場合、橋下徹は自身が信任されたと吹聴して自らの立場を強化する言動を繰り返し、非維新陣営にダメージを与える作戦に出る事は容易に予想されます。橋下徹が4年の任期を満了した際の選挙戦で、どのような悪い作用を与えるか、私には想像がつきません。
平松邦夫氏が動かない以上、今は下手に動く時期ではありません。維新の挑発に糞真面目に乗って、維新の望む通りのレールに乗る必要などこにもありません。
今回の橋下徹による身勝手な辞職・選挙戦に対し、非維新勢力として統一的な立場を維持する事により、橋下徹に餌を与えずレームダックの状態に陥りさせるとともに、2015年秋の市長選挙まで非維新勢力の力を蓄え、平松邦夫氏の返り咲きを期するべきと愚考いたします。
なにとぞ、日本共産党独自候補の擁立という無謀な戦術を用いられないよう、伏してお願いいたします。文楽を愛し、日本センチュリー交響楽団の素晴らしい技量を愛する、一長野県民の願いを聞き入れてください。どうか、よろしくお願いいたします。
(以下文面)
日本共産党 大阪府委員会 御中
平素より、日本国のデモクラシーを支え、大阪の未来のために貢献する貴委員会に対し敬意を表します。
本日、貴委員会に関し懸念を抱かざるを得ないニュースを聞きました。
橋下徹大阪市長が辞職し再選挙に出馬する身勝手な行為に対し、「野党統一候補」の擁立を他党に対し提案し、これが実現しない場合は独自候補を擁立するとのニュースです。
衰えたとはいえ、橋下徹を落選させる事は容易なことではありません。「野党統一候補」として擁立するとしたら、前大阪市長である平松邦夫氏以外に考えられません。その平松邦夫氏は、出馬はしないと受け取ってよいと考えます。
となると、日本共産党による独自候補が橋下徹に挑む形となりますが、その独自候補が落選した場合、橋下徹は自身が信任されたと吹聴して自らの立場を強化する言動を繰り返し、非維新陣営にダメージを与える作戦に出る事は容易に予想されます。橋下徹が4年の任期を満了した際の選挙戦で、どのような悪い作用を与えるか、私には想像がつきません。
平松邦夫氏が動かない以上、今は下手に動く時期ではありません。維新の挑発に糞真面目に乗って、維新の望む通りのレールに乗る必要などこにもありません。
今回の橋下徹による身勝手な辞職・選挙戦に対し、非維新勢力として統一的な立場を維持する事により、橋下徹に餌を与えずレームダックの状態に陥りさせるとともに、2015年秋の市長選挙まで非維新勢力の力を蓄え、平松邦夫氏の返り咲きを期するべきと愚考いたします。
なにとぞ、日本共産党独自候補の擁立という無謀な戦術を用いられないよう、伏してお願いいたします。文楽を愛し、日本センチュリー交響楽団の素晴らしい技量を愛する、一長野県民の願いを聞き入れてください。どうか、よろしくお願いいたします。
2014年2月1日土曜日
第346回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 演奏会 評
2014年2月1日 土曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ヤッコ=クーシスト 「ライカ」 op.24
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第6番「田園」 op.68
(休憩)
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第8番 op.93
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年2月1日、第346回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりで、1月26日に開催された第345回定期演奏会に引き続いてのものである。
コンサートミストレスは、アビゲイル=ヤングである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。第345回定期演奏会の時と変わりない。
着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは八割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある謎の状態は第345回の時と変わりなく、定期会員の客がサボったものと考えられる。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「ライカ」は2010年に初演されたばかりの現代曲である。ラルフ=ゴトーニと同じスオミの作曲家であるクーシストの作品だ。演奏自体は、次のベートーフェンを期待させる程の良い出来である。
二曲目、ベートーフェン第6番「田園」は、冒頭のテンポは速くもなく遅くもなく適切な始まり方であるが、弦がよく響かない。石川県立音楽堂の響きを味方にしていない演奏で、音圧が感じられない。一方木管パートは頑張っている印象がある。もちろんベルリン-フィルのような超絶技巧で攻める形ではないけれど、持っている力を出し切っている印象を与えるものだ。金管パートの調子はあまり良くない。特に第四楽章の場面ではやけにあっさりした印象を持つ。第五楽章冒頭でのホルン-ソロは音程が不安定であるが、その場面ではしっかりと決めてほしい。その他、第四楽章ではティンパニが決起を促すものの、他の楽器があまり呼応せず、浮いた存在になってしまっているのはかわいそうである。
弦楽セクションは、何故か第五楽章になるとやけに調子が良くなる。終盤に近いところでのチェロとファゴットとで奏でるフレーズも良く響いている。
部分的には良い点もあるが、やはり「田園」はベートーフェンの九つの交響曲の中で一番難しいのだなあと感じざるを得ない。満足できる演奏は、準=メルクル指揮による水戸室内管弦楽団による演奏のみだ。
三曲目のベートーフェンの第8番は、普通にしっかりとした演奏だ。「田園」でテンションが下がってしまった状態で聴くこととはなったが、この程度の演奏であれば不満はない。
アンコールはマルムスティン作曲(ヨハンソン編曲)「さよならは手紙で」であった。
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ヤッコ=クーシスト 「ライカ」 op.24
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第6番「田園」 op.68
(休憩)
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第8番 op.93
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年2月1日、第346回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりで、1月26日に開催された第345回定期演奏会に引き続いてのものである。
コンサートミストレスは、アビゲイル=ヤングである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。第345回定期演奏会の時と変わりない。
着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは八割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある謎の状態は第345回の時と変わりなく、定期会員の客がサボったものと考えられる。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「ライカ」は2010年に初演されたばかりの現代曲である。ラルフ=ゴトーニと同じスオミの作曲家であるクーシストの作品だ。演奏自体は、次のベートーフェンを期待させる程の良い出来である。
二曲目、ベートーフェン第6番「田園」は、冒頭のテンポは速くもなく遅くもなく適切な始まり方であるが、弦がよく響かない。石川県立音楽堂の響きを味方にしていない演奏で、音圧が感じられない。一方木管パートは頑張っている印象がある。もちろんベルリン-フィルのような超絶技巧で攻める形ではないけれど、持っている力を出し切っている印象を与えるものだ。金管パートの調子はあまり良くない。特に第四楽章の場面ではやけにあっさりした印象を持つ。第五楽章冒頭でのホルン-ソロは音程が不安定であるが、その場面ではしっかりと決めてほしい。その他、第四楽章ではティンパニが決起を促すものの、他の楽器があまり呼応せず、浮いた存在になってしまっているのはかわいそうである。
弦楽セクションは、何故か第五楽章になるとやけに調子が良くなる。終盤に近いところでのチェロとファゴットとで奏でるフレーズも良く響いている。
部分的には良い点もあるが、やはり「田園」はベートーフェンの九つの交響曲の中で一番難しいのだなあと感じざるを得ない。満足できる演奏は、準=メルクル指揮による水戸室内管弦楽団による演奏のみだ。
三曲目のベートーフェンの第8番は、普通にしっかりとした演奏だ。「田園」でテンションが下がってしまった状態で聴くこととはなったが、この程度の演奏であれば不満はない。
アンコールはマルムスティン作曲(ヨハンソン編曲)「さよならは手紙で」であった。
2014年1月26日日曜日
第345回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 演奏会 評
2014年1月26日 日曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 「コリオラン」序曲 op.62
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 三重協奏曲 op.56
(休憩)
カール=マリア=フォン-ヴェーバー 交響曲第1番 op.19
ヴァイオリン:マーク=ゴトーニ
ヴァイオリン-チェロ:水谷川優子(みやがわ ゆうこ)
ピアノ:ラルフ=ゴトーニ
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年1月26日、第345回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりである。ヴァイオリンのソリストであるマーク=ゴトーニはラルフ=ゴトーニの息子で、実に良く父親と似ている。チェロのソリストは、当初予定はヴォルグガング=メールホルンであったが、演奏会前日に体調を崩し、水谷川優子が代役として出演することとなった。彼女は、実はマーク=ゴトーニの妻である。予期せぬ形で、三重協奏曲はゴトーニ一家とOEKとの共演と言う形となる。
コンサートミストレスは、マーラー室内管弦楽団のコンサートミストレスとしても名高いアビゲイル=ヤングである。ティンパニは、関西フィルハーモニー管弦楽団首席奏者のエリック=パケラが担当だ。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。
着席位置は一階正面ど真ん中より僅かに上手側、観客の入りは六割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある状態だ。おそらく、定期会員の客がサボったものと考えられる。ひでえ輩だ。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「コリオラン」序曲は、既に用意されてあるピアノの前に立っての指揮だ。今日のOEKの演奏は実に完成度が高い。精緻さ・パッションいずれもがOEKの実力を100%発揮している素晴らしい演奏だ。もちろん最強奏のあとのゼネラルパウゼになり響く残響は、石川県立音楽堂ならではのもので、涙を誘う。実に素晴らしいホールであることも実感させられる。
二曲目の三重協奏曲は、弾き振りのラルフ=ゴトーニのピアノ、マーク=ゴトーニのヴァイオリンともに管弦楽を一歩上回る響きである。ラルフ=ゴトーニのピアノは実に上手で、響きについてよく考え練られ、とてもピアノを舞台後方に向け天板を外している演奏とは思えない。この点でシュテファン=ヴラダーを軽く圧倒するし、全般的な完成度も上だ。
水谷川優子のチェロは、特に第一楽章ではガチガチに固くなっていて、エンドピンを刺す場所を変えたりとかなり神経質な状況だ。チェロの音は鳴らず聞こえず、特に多くの音を速く演奏するフレーズでは何を弾いているかさっぱり分からない状況で、ヴォルグガング=メールホルンの不在を思い知らされる。それでも、第二楽章冒頭のチェロのソロ、第三楽章中盤の、長めのスタッカートで音を刻んでいく箇所に於いてはそれなりの音で聴けるものであり、急な代役としての最低限の責務は果たしたと言うべきか。
三曲目のヴェーバーの交響曲第1番は、マニア向けとしか言いようのない変わった曲である。しかしこの曲も演奏が素晴らしいと、作曲の巧拙などどうでも良くなる。ラルフ=ゴトーニの導きは的確で、この場面でどの楽器がどのように弾けば良いのかが明確で、精緻さを伴いつつもパッションを出している素晴らしい演奏だ。OEKの持っている力を100%活かし、石川県立音楽堂の響きを確実に掴んでいる。まるで二年のブランクを全く感じさせない、ずっと長い間常任指揮者として関わってきたかのような親密さすら感じる。指揮者と管弦楽との信頼関係が噛み合っているからこそのものだろう。曲の終了後にゴトーニが一番先に立たせたのは、フルートの岡本えり子である。
マルク=ミンコフスキとはタイプが違うのだろうけど、ラルフ=ゴトーニも間違いなく「響きの魔術師」だ。OEKに取って最も必要としている指揮者の一人であることは確実である。次期音楽監督は、ラルフ=ゴトーニか山田和樹のどちらかで決まりだろうし、そうしなけらばならない。
アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」、お国ものスオミの曲で幕を閉じた。
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 「コリオラン」序曲 op.62
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 三重協奏曲 op.56
(休憩)
カール=マリア=フォン-ヴェーバー 交響曲第1番 op.19
ヴァイオリン:マーク=ゴトーニ
ヴァイオリン-チェロ:水谷川優子(みやがわ ゆうこ)
ピアノ:ラルフ=ゴトーニ
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年1月26日、第345回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりである。ヴァイオリンのソリストであるマーク=ゴトーニはラルフ=ゴトーニの息子で、実に良く父親と似ている。チェロのソリストは、当初予定はヴォルグガング=メールホルンであったが、演奏会前日に体調を崩し、水谷川優子が代役として出演することとなった。彼女は、実はマーク=ゴトーニの妻である。予期せぬ形で、三重協奏曲はゴトーニ一家とOEKとの共演と言う形となる。
コンサートミストレスは、マーラー室内管弦楽団のコンサートミストレスとしても名高いアビゲイル=ヤングである。ティンパニは、関西フィルハーモニー管弦楽団首席奏者のエリック=パケラが担当だ。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。
着席位置は一階正面ど真ん中より僅かに上手側、観客の入りは六割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある状態だ。おそらく、定期会員の客がサボったものと考えられる。ひでえ輩だ。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「コリオラン」序曲は、既に用意されてあるピアノの前に立っての指揮だ。今日のOEKの演奏は実に完成度が高い。精緻さ・パッションいずれもがOEKの実力を100%発揮している素晴らしい演奏だ。もちろん最強奏のあとのゼネラルパウゼになり響く残響は、石川県立音楽堂ならではのもので、涙を誘う。実に素晴らしいホールであることも実感させられる。
二曲目の三重協奏曲は、弾き振りのラルフ=ゴトーニのピアノ、マーク=ゴトーニのヴァイオリンともに管弦楽を一歩上回る響きである。ラルフ=ゴトーニのピアノは実に上手で、響きについてよく考え練られ、とてもピアノを舞台後方に向け天板を外している演奏とは思えない。この点でシュテファン=ヴラダーを軽く圧倒するし、全般的な完成度も上だ。
水谷川優子のチェロは、特に第一楽章ではガチガチに固くなっていて、エンドピンを刺す場所を変えたりとかなり神経質な状況だ。チェロの音は鳴らず聞こえず、特に多くの音を速く演奏するフレーズでは何を弾いているかさっぱり分からない状況で、ヴォルグガング=メールホルンの不在を思い知らされる。それでも、第二楽章冒頭のチェロのソロ、第三楽章中盤の、長めのスタッカートで音を刻んでいく箇所に於いてはそれなりの音で聴けるものであり、急な代役としての最低限の責務は果たしたと言うべきか。
三曲目のヴェーバーの交響曲第1番は、マニア向けとしか言いようのない変わった曲である。しかしこの曲も演奏が素晴らしいと、作曲の巧拙などどうでも良くなる。ラルフ=ゴトーニの導きは的確で、この場面でどの楽器がどのように弾けば良いのかが明確で、精緻さを伴いつつもパッションを出している素晴らしい演奏だ。OEKの持っている力を100%活かし、石川県立音楽堂の響きを確実に掴んでいる。まるで二年のブランクを全く感じさせない、ずっと長い間常任指揮者として関わってきたかのような親密さすら感じる。指揮者と管弦楽との信頼関係が噛み合っているからこそのものだろう。曲の終了後にゴトーニが一番先に立たせたのは、フルートの岡本えり子である。
マルク=ミンコフスキとはタイプが違うのだろうけど、ラルフ=ゴトーニも間違いなく「響きの魔術師」だ。OEKに取って最も必要としている指揮者の一人であることは確実である。次期音楽監督は、ラルフ=ゴトーニか山田和樹のどちらかで決まりだろうし、そうしなけらばならない。
アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」、お国ものスオミの曲で幕を閉じた。
2014年1月25日土曜日
庄司紗矢香+サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団 大阪公演 評
2014年1月25日 土曜日
ザ-シンフォニーホール (大阪府大阪市)
曲目:
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 op.35
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団(Санкт-Петербургская Филармония им. Шостаковича)
指揮:ユーリ=テミルカーノフ
サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団は、庄司紗矢香(ヴァイオリン)、エリソ=ヴィクサラーゼ(ピアノ)をソリストに、ユーリ=テミルカーノフに率いられて、2014年1月24日から2月1日までに掛けて日本ツアーを行い、東京・大阪・横浜・名古屋・福岡にて計7公演開催する。庄司紗矢香は1月25日に大阪、1月26日に横浜、1月30日に名古屋にてソリストとして登場する。庄司紗矢香がザ-シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、愛知県立芸術劇場と言った、音響に定評のあるホールのみに登場するのは深い意味がありそうだ。この評は、第二回目1月25日大阪市ザ-シンフォニーホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく日本人ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎える。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置である。舞台後方には舞台下手側からコントラバス→木管楽器とその後ろにティンパニ→金管楽器の順である。ホルンのみ下手側に位置する事もなく、金管楽器は全て舞台上手側に位置する点が今日深い。ロシアの管弦楽団らしく、ティンパニのみが雛壇に乗っており、他は全て同一平面上での演奏である。
着席位置は正面後方下手側、観客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はとても優れた演奏である。ターコイズブルーのドレスを着た庄司紗矢香は、ソロの場面で見せるニュアンスが豊かで、特にテンポの独特かつ巧妙な揺るがせ方が抜群である。これは本当に名状しがたいもので、短い間に微妙に揺るがせ、彫りの深い表情を見せるのだ。
対する管弦楽も、前日のマーラー第2番「復活」の際には乱れていたらしいアンサンブルもキッチリ決まっている。
管弦楽のみの部分ではテンポが速めであるが、庄司紗矢香に引き継がれると、何の違和感なしにテンポがゆっくり目となって、彼女が構築する独自の世界に引き込まれるのが面白い。
庄司紗矢香と管弦楽とのバランスも良く考え抜かれている。これほどまでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を生で接したのは初めてだ。
ソリスト-アンコールは、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」op.6である。庄司紗矢香の構築する深い表現が味わえるアンコールである。
後半のチャイコフスキーの交響曲第4番は、アンサンブルはあっているし、個々の技量も完璧だし、綺麗に響いているし、で、テミルカーノフの意図通りの演奏である。随所に出てくる金管ソロをゆっくり吹かせたり、テンポを特に第二楽章で揺るがせたのが特徴か。大雑把だけどとにもかくにも爆演系でノックアウトさせるというものではなく、良くも悪くも「ロシア」的ではない。「ロシア」的でないという点では、あまり面白くない。
アンコールは、何故かエルガーの「愛のあいさつ」。て、ところがやはりロシアらしくないなあ。メインディッシュは庄司紗矢香と言うところか、彼女の30歳とは思えない彫りの深い表現を味わうことが出来た、演奏会であった。
ザ-シンフォニーホール (大阪府大阪市)
曲目:
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 op.35
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団(Санкт-Петербургская Филармония им. Шостаковича)
指揮:ユーリ=テミルカーノフ
サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団は、庄司紗矢香(ヴァイオリン)、エリソ=ヴィクサラーゼ(ピアノ)をソリストに、ユーリ=テミルカーノフに率いられて、2014年1月24日から2月1日までに掛けて日本ツアーを行い、東京・大阪・横浜・名古屋・福岡にて計7公演開催する。庄司紗矢香は1月25日に大阪、1月26日に横浜、1月30日に名古屋にてソリストとして登場する。庄司紗矢香がザ-シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、愛知県立芸術劇場と言った、音響に定評のあるホールのみに登場するのは深い意味がありそうだ。この評は、第二回目1月25日大阪市ザ-シンフォニーホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく日本人ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎える。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置である。舞台後方には舞台下手側からコントラバス→木管楽器とその後ろにティンパニ→金管楽器の順である。ホルンのみ下手側に位置する事もなく、金管楽器は全て舞台上手側に位置する点が今日深い。ロシアの管弦楽団らしく、ティンパニのみが雛壇に乗っており、他は全て同一平面上での演奏である。
着席位置は正面後方下手側、観客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はとても優れた演奏である。ターコイズブルーのドレスを着た庄司紗矢香は、ソロの場面で見せるニュアンスが豊かで、特にテンポの独特かつ巧妙な揺るがせ方が抜群である。これは本当に名状しがたいもので、短い間に微妙に揺るがせ、彫りの深い表情を見せるのだ。
対する管弦楽も、前日のマーラー第2番「復活」の際には乱れていたらしいアンサンブルもキッチリ決まっている。
管弦楽のみの部分ではテンポが速めであるが、庄司紗矢香に引き継がれると、何の違和感なしにテンポがゆっくり目となって、彼女が構築する独自の世界に引き込まれるのが面白い。
庄司紗矢香と管弦楽とのバランスも良く考え抜かれている。これほどまでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を生で接したのは初めてだ。
ソリスト-アンコールは、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」op.6である。庄司紗矢香の構築する深い表現が味わえるアンコールである。
後半のチャイコフスキーの交響曲第4番は、アンサンブルはあっているし、個々の技量も完璧だし、綺麗に響いているし、で、テミルカーノフの意図通りの演奏である。随所に出てくる金管ソロをゆっくり吹かせたり、テンポを特に第二楽章で揺るがせたのが特徴か。大雑把だけどとにもかくにも爆演系でノックアウトさせるというものではなく、良くも悪くも「ロシア」的ではない。「ロシア」的でないという点では、あまり面白くない。
アンコールは、何故かエルガーの「愛のあいさつ」。て、ところがやはりロシアらしくないなあ。メインディッシュは庄司紗矢香と言うところか、彼女の30歳とは思えない彫りの深い表現を味わうことが出来た、演奏会であった。
2014年1月19日日曜日
ラデク-バボラーク ホルン-リサイタル 評
2014年1月19日 日曜日
挙母市コンサートホール (愛知県挙母市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン ホルン-ソナタ op.17
ロベルト=シューマン アラベスク op.18 (※)
シャルル=ケクラン ホルン-ソナタ op.70
(休憩)
ロベルト=シューマン 「3つのロマンス」 op.94
フランシス=プーランク 即興曲第15番 「エディット=ピアフを讃えて」 (※)
ヤン=ズデニュク=バルトシュ 「エレジーとロンディーノ」
レフ=コーガン 〈CHABAD〉によるハシディック組曲
(※印は菊池洋子のソロ)
ホルン:ラデク=バボラーク
ピアノ:菊池洋子
着席位置は、一階ど真ん中より少し後方かつ上手側である。客の入りは七割くらいであろうか。聴衆の鑑賞態度は概ね良好であった。
ラデク=バボラークは全般的に渡り、いかなる場面でも完璧な音量、ニュアンスで、かつ柔和な響きで魅了させられる。テンポは中庸で、あまり変動は掛けない。
一方で菊池洋子のピアノは、特に前半は遠くにあるように聴こえる。私の列は17列目かつ上手側であるが、キチンと響かせていない形である。良く言えば、バボラークに遠慮した抑制的な演奏であるが、しかし「伴奏者」もパッションを出して「主役」に対抗し、「主役」に決起を促す役割はあるだろう。今日の菊池洋子は「貞淑な人妻」のような演奏で、あまり面白みがない。不倫をするかのような雰囲気を漂わせて「主役」に火をつけてもらいたかったところはある。
特に良かった演奏は、ケクランの「ホルン-ソナタ」、バルトシュの「エレジーとロンディーノ」であり、叙情的な曲で二人の演奏の方向性が似合っていたようには思う。
アンコールは5曲というか、一つの小品と一つの組曲の演奏で、曲目は、田中カレンの「魔法にかけられた森」から第二楽章、マイケル=ホーヴィット「サーカス組曲」から第一曲「行進曲」、第三曲「象」、第四曲「空中ブランコ」、第五曲「ピエロ」であった。
挙母市コンサートホール (愛知県挙母市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン ホルン-ソナタ op.17
ロベルト=シューマン アラベスク op.18 (※)
シャルル=ケクラン ホルン-ソナタ op.70
(休憩)
ロベルト=シューマン 「3つのロマンス」 op.94
フランシス=プーランク 即興曲第15番 「エディット=ピアフを讃えて」 (※)
ヤン=ズデニュク=バルトシュ 「エレジーとロンディーノ」
レフ=コーガン 〈CHABAD〉によるハシディック組曲
(※印は菊池洋子のソロ)
ホルン:ラデク=バボラーク
ピアノ:菊池洋子
着席位置は、一階ど真ん中より少し後方かつ上手側である。客の入りは七割くらいであろうか。聴衆の鑑賞態度は概ね良好であった。
ラデク=バボラークは全般的に渡り、いかなる場面でも完璧な音量、ニュアンスで、かつ柔和な響きで魅了させられる。テンポは中庸で、あまり変動は掛けない。
一方で菊池洋子のピアノは、特に前半は遠くにあるように聴こえる。私の列は17列目かつ上手側であるが、キチンと響かせていない形である。良く言えば、バボラークに遠慮した抑制的な演奏であるが、しかし「伴奏者」もパッションを出して「主役」に対抗し、「主役」に決起を促す役割はあるだろう。今日の菊池洋子は「貞淑な人妻」のような演奏で、あまり面白みがない。不倫をするかのような雰囲気を漂わせて「主役」に火をつけてもらいたかったところはある。
特に良かった演奏は、ケクランの「ホルン-ソナタ」、バルトシュの「エレジーとロンディーノ」であり、叙情的な曲で二人の演奏の方向性が似合っていたようには思う。
アンコールは5曲というか、一つの小品と一つの組曲の演奏で、曲目は、田中カレンの「魔法にかけられた森」から第二楽章、マイケル=ホーヴィット「サーカス組曲」から第一曲「行進曲」、第三曲「象」、第四曲「空中ブランコ」、第五曲「ピエロ」であった。
2014年1月13日月曜日
東京楽所 雅楽 「源氏物語~悠久の響宴」 評
2014年1月13日 月曜日
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
演目:
管絃
・盤渡調音取(ばんしきちょうねとり)
・青海波(せいがいは)
・越天楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんへん)
(休憩)
舞楽
・万歳楽(まんざいらく)
・落蹲(らくそん)
雅楽:東京楽所(とうきょうがくそ)
(舞人・演奏者の詳細は最後に掲載)
解説:多忠輝(おおのただあき) 進行:野原耕二
東京楽所 雅楽「源氏物語~悠久の響宴」は、1月11日に栃木県総合文化センター、1月13日に三井住友海上しらかわホールにて上演された。一部重複するプログラムで、1月19日にも東京オペラシティ-タケミツメモリアルでも上演される。
着席位置は、二階三列目ど真ん中より僅かに上手側である。客の入りは八割程であろうか。二階左右バルコニー席は閉鎖している。聴衆の鑑賞態度はかなり良好である。
休憩前の第一部は「管絃」であり、西洋音楽でいえば室内管弦楽団演奏会に相当するものである。舞台に管絃が座り演奏する形態だ。
16人による演奏であるが、笙はオルガンのように響き、弦楽器・管楽器・打楽器と西洋音楽の管弦楽と同様に構成されている。雅楽の楽器は思ったよりも大きな音量を出せる。しらかわホールのような中規模ホールでは、強い音圧でしっかりとした残響とともに響いてくる。栃木県総合文化センターでは絶対味わえないし、タケミツメモリアルは大きなホールであるため、残響はともかくここまで強い音圧では響かないだろう。理想的な環境での演奏だ。
恐らく西洋の楽器に持ち帰れば即アンサンブルとして名が知られるだろうと思えるほど、上手に演奏する。雅楽の様式による演奏であるため、テンポの変動はあまりない。「越天楽残楽三返」の「残楽」とは、ヨーゼフ=ハイドンの「告別」最終楽章のように、メロディーをフルメンバーで演奏した後、演奏を止める奏者が増えていき、最後は楽箏のみが残って演奏して終わる形式である。ハイドンの「告別」のように退席まではしないが、西洋音楽がこのような形式を編み出す何百年も前から、日本では「残楽」の形で演奏されている事に注目させられる。
休憩後の第二部は「舞楽」であり、室内管弦楽団を伴うカルテットまたはソロ-バレエに相当するか。管絃は舞台後方の一段高くなっているところに位置し、舞台は文字通り舞人のためだけのスペースとなる。
最後に掲載した(舞人・演奏者詳細)でも示した通り、舞人は休憩前は管絃として演奏をしている。
西洋音楽のように、バレリーナ・歌い手・管弦楽のような職務上の区別はなく、演奏も舞う事も要求されるのが雅楽である。
演奏自体は前半と同様の完成度の高いものであり、申し分ない。
「万歳楽」は四人の舞人による群舞である。左舞であり、遣唐使により唐の国を経由して(あくまで「経由」であり、唐由来ではなく、あるいはヴェトナム辺りの様式であるのかもしれない)入ってきた様式による舞いだ。衣装はどこか中国風である。
テンポが遅めである事もあるのだろうが、群舞の全ての振る舞いは、一糸乱れずとの文字通りとまでは言えないまでも、基本的には合っている。時間的な要素だけでなく、指先の角度と言った空間的な要素に於いても、ボリジョイ-バレエの群舞の精度と比較すれば抜群の精度を保ち、これほどまで合っていれば十分だ。彼らが専任のバレリーナでない事を踏まえれば驚異的であろう。
「落蹲」となると、題名の意味する通りに、いよいよ一人だけの舞いとなる。右舞であり、朝鮮半島を経由(これも、あくまで「経由」であり、朝鮮半島由来という意味ではない)して入ってきた様式による舞いである。面を被っての舞いだ。
多忠純によるこの舞いも見事なもので、テンポは遅めであるものの、その分「静」を強調しなければならず、静止する場面もある。その静止した場面で安定感ある静止をしているところに目を奪われる。ロシアのプリマクラスのバレリーナでも、このような安定感ある静止の演技は期待できない。また、たった一人で20分近くに渡り連続した舞踏を続けていく。もちろん高いジャンプやリフトを要求される性格のものではないが、その長い時間に渡って安定した演技を続けるのは驚異的な体力を要するだろう。
雅楽は日本固有のものだけではない。唐の国を経由した左舞、朝鮮半島を経由した右舞、中国風の衣装を見れば分かる通り、遠い大陸の音楽や舞を千年規模のスケールで継承している所にこそ、我々日本文化の誇る所である。そのような雅楽を見て、改めて日本人として私がどのように振る舞うべきなのか、改めて考えさせられるところもある。文楽と並び、日本が誇る総合舞台芸術であることを思い知らされた公演であった。
(舞人・演奏者詳細)
管絃
鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:笠井聖秀
鉦鼓:中村容子
楽琵琶:松井北斗 多忠純
楽箏:岩波孝昌 小原完基
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美
舞楽
舞人「万歳楽」:岩波孝昌 増山誠一 植原宏樹 小原完基
舞人「落蹲」:多忠純
鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:松井北斗
鉦鼓:中村容子
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
演目:
管絃
・盤渡調音取(ばんしきちょうねとり)
・青海波(せいがいは)
・越天楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんへん)
(休憩)
舞楽
・万歳楽(まんざいらく)
・落蹲(らくそん)
雅楽:東京楽所(とうきょうがくそ)
(舞人・演奏者の詳細は最後に掲載)
解説:多忠輝(おおのただあき) 進行:野原耕二
東京楽所 雅楽「源氏物語~悠久の響宴」は、1月11日に栃木県総合文化センター、1月13日に三井住友海上しらかわホールにて上演された。一部重複するプログラムで、1月19日にも東京オペラシティ-タケミツメモリアルでも上演される。
着席位置は、二階三列目ど真ん中より僅かに上手側である。客の入りは八割程であろうか。二階左右バルコニー席は閉鎖している。聴衆の鑑賞態度はかなり良好である。
休憩前の第一部は「管絃」であり、西洋音楽でいえば室内管弦楽団演奏会に相当するものである。舞台に管絃が座り演奏する形態だ。
16人による演奏であるが、笙はオルガンのように響き、弦楽器・管楽器・打楽器と西洋音楽の管弦楽と同様に構成されている。雅楽の楽器は思ったよりも大きな音量を出せる。しらかわホールのような中規模ホールでは、強い音圧でしっかりとした残響とともに響いてくる。栃木県総合文化センターでは絶対味わえないし、タケミツメモリアルは大きなホールであるため、残響はともかくここまで強い音圧では響かないだろう。理想的な環境での演奏だ。
恐らく西洋の楽器に持ち帰れば即アンサンブルとして名が知られるだろうと思えるほど、上手に演奏する。雅楽の様式による演奏であるため、テンポの変動はあまりない。「越天楽残楽三返」の「残楽」とは、ヨーゼフ=ハイドンの「告別」最終楽章のように、メロディーをフルメンバーで演奏した後、演奏を止める奏者が増えていき、最後は楽箏のみが残って演奏して終わる形式である。ハイドンの「告別」のように退席まではしないが、西洋音楽がこのような形式を編み出す何百年も前から、日本では「残楽」の形で演奏されている事に注目させられる。
休憩後の第二部は「舞楽」であり、室内管弦楽団を伴うカルテットまたはソロ-バレエに相当するか。管絃は舞台後方の一段高くなっているところに位置し、舞台は文字通り舞人のためだけのスペースとなる。
最後に掲載した(舞人・演奏者詳細)でも示した通り、舞人は休憩前は管絃として演奏をしている。
西洋音楽のように、バレリーナ・歌い手・管弦楽のような職務上の区別はなく、演奏も舞う事も要求されるのが雅楽である。
演奏自体は前半と同様の完成度の高いものであり、申し分ない。
「万歳楽」は四人の舞人による群舞である。左舞であり、遣唐使により唐の国を経由して(あくまで「経由」であり、唐由来ではなく、あるいはヴェトナム辺りの様式であるのかもしれない)入ってきた様式による舞いだ。衣装はどこか中国風である。
テンポが遅めである事もあるのだろうが、群舞の全ての振る舞いは、一糸乱れずとの文字通りとまでは言えないまでも、基本的には合っている。時間的な要素だけでなく、指先の角度と言った空間的な要素に於いても、ボリジョイ-バレエの群舞の精度と比較すれば抜群の精度を保ち、これほどまで合っていれば十分だ。彼らが専任のバレリーナでない事を踏まえれば驚異的であろう。
「落蹲」となると、題名の意味する通りに、いよいよ一人だけの舞いとなる。右舞であり、朝鮮半島を経由(これも、あくまで「経由」であり、朝鮮半島由来という意味ではない)して入ってきた様式による舞いである。面を被っての舞いだ。
多忠純によるこの舞いも見事なもので、テンポは遅めであるものの、その分「静」を強調しなければならず、静止する場面もある。その静止した場面で安定感ある静止をしているところに目を奪われる。ロシアのプリマクラスのバレリーナでも、このような安定感ある静止の演技は期待できない。また、たった一人で20分近くに渡り連続した舞踏を続けていく。もちろん高いジャンプやリフトを要求される性格のものではないが、その長い時間に渡って安定した演技を続けるのは驚異的な体力を要するだろう。
雅楽は日本固有のものだけではない。唐の国を経由した左舞、朝鮮半島を経由した右舞、中国風の衣装を見れば分かる通り、遠い大陸の音楽や舞を千年規模のスケールで継承している所にこそ、我々日本文化の誇る所である。そのような雅楽を見て、改めて日本人として私がどのように振る舞うべきなのか、改めて考えさせられるところもある。文楽と並び、日本が誇る総合舞台芸術であることを思い知らされた公演であった。
(舞人・演奏者詳細)
管絃
鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:笠井聖秀
鉦鼓:中村容子
楽琵琶:松井北斗 多忠純
楽箏:岩波孝昌 小原完基
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美
舞楽
舞人「万歳楽」:岩波孝昌 増山誠一 植原宏樹 小原完基
舞人「落蹲」:多忠純
鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:松井北斗
鉦鼓:中村容子
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美
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