2017年1月22日日曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Carmen’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「カルメン」 感想

2017年1月22日 日曜日
Sunday 22nd January 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Georges Bizet: Opera ‘Carmen’
ジョルジュ=ビゼー 歌劇「カルメン」

Carmen: Еле́на Ю́рьевна Макси́мова / Elena Maximova
Don José: Massimo Giordano
Escamillo: Bretz Gábor
Micaëla: 砂川涼子 / Sunagawa Ryoko
Zuniga: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Moralès: 星野淳 / Hoshino Jun
Le Dancaïre: 北川辰彦 / Kitagawa Tatsuhiko
Le Remendado: 村上公太 / Murakami Kota
Frasquita: 日比野幸 / Hibino Miyuki
Mercédès: 金子美香 / Kaneko Mika

ballerini: National Ballet of Japan (新国立劇場バレエ団)

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir

Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji

orchestra: Tokyo Symphony Orchestra (管弦楽:東京交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Yves Abel

新国立劇場は、2017年1月19日から31日までの日程で、イヴ=アベルの指揮による歌劇「カルメン」を5公演開催する。この評は2017年1月22日に催された第二回目の公演に対するものである。

着席位置は二階正面後方やや下手側である。チケットは、一旦は完売したが、戻りチケットを当日券として売り出していた。観客の鑑賞態度は概ね良好である。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な正統的なものだ。また、大規模な舞台装置の転換はない。

この公演の最大の貢献者は、Yves Abel によって導かれた東京交響楽団の管弦楽である。出来不出来が激しく、誰が金管の担当であるのか戦々恐々の東フィルとは違い、安心して委ねられると言うのもあるが、弱奏でありながらキチンと響かせ、なおかつ歌い手を立てている。このアプローチを厳格に守った東京交響楽団と、この方向性を指示した Yves Abel に敬意を表する。そうでなかったら、この「カルメン」は悲惨な状況の下に終わっただろう。

ソリストの出来について述べる。

マトモだったのは、José 役の Massimo Giordano と、盗賊の首領役の日本人キャストだけだった。

Carmen 役の Еле́на Ю́рьевна Макси́мова / Elena Maximova は、Carmen 役にしては声質が軽く、声量がなく、José を誘惑する迫力に欠けていた。高い報酬を受け取る外国人ソリストとしての貢献があったかと言えば、否定する。

Escamillo エスカミージョ役の Bretz Gábor は、「闘牛士の歌」はダメダメで、何のためにマジャールから極東まで招いたのか、さっぱり分からない。外国人ソリストに対する目利きが、新国立劇場には欠如しているものと思われる。

ミカエラ Micaëla 役の 砂川涼子 / Sunagawa Ryoko は、第一幕では響きになっていなかったが、第三幕のソロでは、 José を想う情感を的確に表現していた。但し、 Yves Abel の指示により、砂川涼子のソロを最大限にサポートする、東京交響楽団のサポートが、この第三幕ソロに寄与した事を、言及せざるを得ない。管弦楽を煽るタイプの指揮者では、終わっていたであろう。

合唱は、Tokyo FM Boys Choir は素晴らしく、新国立劇場合唱団は、迫力よりは綺麗な響きを志向した方向性ではあったが、要所では十分な音圧で観客を魅了した。

全般的なアプローチは、あたかもMozartに対するかのようで、新国立劇場の1814席もの巨大劇場とはミスマッチの状況であった。

付記:
第二幕では、新国立劇場バレエ団のダンサーが出演しておりました。この公演での出演者は、寺井七海さん・丸尾孝子さん・玉井るい さん・関晶帆さん・山田歌子さん・廣田奈々さん・小柴富久修さん・八木進さんでした。案内の係に聞きました😊
廣田奈々さんは代役での出演です。

2017年1月21日土曜日

NHK Symphony Orchestra, the 1854th Subscription Concert, review 第1854回 NHK交響楽団 定期演奏会 評

2017年1月21日 土曜日
Saturday 21st January 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Ottorino Respighi: Concerto gregoriano per violino e orchestra(「グレゴリオ風の協奏曲」)
(休憩)
Ottorino Respighi: Vetrate di chiesa, quattro impressioni sinfoniche (「教会のステンドグラス」)
Ottorino Respighi: Feste romane, poema sinfonico per orchestra (交響詩「ローマの祭り」)

violino: Албена Данаилова / Albena Danailova (アルベナ=ダナイローヴァ)
orchestra: NHK Symphony Orchestra(NHK交響楽団)
direttore: Jesús López-Cobos (指揮:ヘスス=ロペス-コボス)

NHK交響楽団は、ブルガリア生まれのアルベナ=ダナイローヴァ(ヴァイオリン)をソリストに、エスパーニャ生まれのヘスス=ロペス-コボスを指揮者に迎えて、2016年1月18・19日にサントリーホール(東京)・21日に愛知県芸術劇場コンサートホール・22日にNHK大阪ホールにて、第1854回定期演奏会を開催した。この評は、第三回目、愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演に対してのものである。

今回のプログラムは、全てオットリーノ=レスピーギによる作品となる。この作曲家のみの曲目で地方公演を行う事でも注目される公演である。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側に位置する。木管は中央後方、ホルンは後方僅かに下手側、その他の金管は上手側、ティンパニは中央最後方、その他のパーカッションは下手側、マンドリンは、パーカッションの手前かつ中央寄りに位置する。

着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。N響は地方に於いて絶大な人気を集めているが、完売とならなかったのは、全てレスピーギの作品である事が影響しているのか?観客の鑑賞態度については、概ね極めて良好である。

一曲目の「グレゴリオ風の協奏曲」、ヴァイオリンのソロを担当したダナイローヴァは、青いドレスをお召しになり、モデルのような容姿のトンデモない美女である。コンサートミストレスの職にあるからか、かなり正統的なアプローチである。愛知芸文の響きを的確に味方につけ、カデンツァも見事で、管弦楽とのコンビネーションも的確だ。いい意味で職人的に音楽を作り上げていく方向性である。しかしながら、曲想が曲想なだけに、盛り上がりはしにくい。

ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第3番 BWV1005 から ラルゴ であった。サントリーホールでのアンコールと同一と思われる。

三曲目の「ローマの祭り」は完璧と言って良い。オルガン前やや下手側に位置する三人のトランペットからして完璧な響きで、まるで一人でふいているかのようなアンサンブルだ。

弦楽は、大音量で攻めるアプローチではないが、縦の線が完璧に合った弱音で聴衆を魅了させた。弱い音量しか出せないマンドリンの響きを引き立たせる一方で、輝かしい金管の響きと比較して不足はなかった。二年前と比べて、充実した弦楽となっている。

管楽は、ソリスティックな演奏箇所はほぼ完璧に決まり、この曲目の難曲ぶりを踏まえれば、これ以上を望む事は不可能と言える。打楽も完璧である。

ヘスス=ロペス-コボスの指揮は、テンポを大きく揺らすようなことをせず、正統的なアプローチで、管弦楽全体の響きを精緻に考慮した構成であった。この演奏の真価は、FM放送では分かりにくく、実演を聴かなければ認識し難いものである。今日の管弦楽に粗野な響きは一切ない。指揮者・管弦楽・愛知県芸術劇場コンサートホールとが三位一体となって作り上げられた完璧な響きで、N響が本拠地としているNHKホールやサントリーホールでは実現できないサウンドが実現した。

繰り返すが、今回の第1854回定期演奏会は、全てレスピーギの作品であり、この曲目を取り上げた事は勿論のこと、この定期演奏会のプログラムで名古屋・大阪にて公演した試みは高く評価できる。

また、「ローマの祭り」と言う、大管弦楽にとって大きな挑戦を強いられるこの難曲を、これ程までの完璧なレベルで実現されたことに敬意を表する。

二年ぶりのN響演奏会は、輝かしい管弦楽の響きとともに終わった。

2017年1月15日日曜日

Mito Chamber Orchestra, the 98th Subscription Concert, review 第98回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評

2017年1月15日 日曜日
Sunday 15th January 2017
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia concertante per violino, viola e orchestra
K.364
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.1 op.21

violino: 竹澤恭子 / Takezawa Kyoko
viola: 川本嘉子 / Kawamoto Yoshiko
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 小澤征爾 / Ozawa Seiji

水戸室内管弦楽団(MCO)は小澤征爾を指揮者、ヴァイオリン-ソリストに竹澤恭子、ヴィオラ-ソリストを川本嘉子として、2017年1月13日・15日に水戸芸術館で、17日に神奈川県川崎市にあるミューザ川崎シンフォニーホールで、第98回定期演奏会を開催する。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

小澤征爾の指揮は、Beethoven のみである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンはMozartでは後方中央下手側、Beethovenでは後方上手側の位置につく。ティンパニはバロック-ティンパニを使用した。

着席位置は一階正面最後方わずかに下手側、チケットは補助席を含めて完売した。

コンサートマスター/ミストレスは、Mozartは渡辺實和子、Beethovenは豊嶋泰嗣が担当した。

指揮者なしではの演奏であるモーツァルトの協奏交響曲は、竹澤恭子の仕掛けが目立った。ソロの部分だけ遅くしたり、ニュアンスを掛けたりして面白い。川本嘉子のヴィオラもよく響き、ヴァイオリンと対等に、この協奏交響曲を構築する。室内管弦楽団かつ中規模ホールならではの素晴らしい演奏だった。この響きは、2000席を超すミューザ川崎では臨めない。ちゃんと本拠地である水戸芸術館まで来た聴衆こそが味わえる至福である。

ホルンがもう少し管弦楽に溶け込むアプローチだと、私のモロ好みであるが、これは贅沢な望みであろうか。

演奏中、下手側の楽屋への扉が少し開いていたが、小澤征爾が座って聴いていたのであろう。

後半は、小澤征爾が指揮者として登場する。厳しい厳しい、禁欲的な演奏だ。私の好みのヴィヴィッドな演奏とは対極に位置する演奏であるが、全曲に渡り感銘を受けた。

私が特に感銘を受けた箇所は、第四楽章の、繊細にして厳しくニュアンスを掛けた冒頭や、第三楽章の、敢えて厳しく抑制して進行させる展開がバッチリハマる。

特に第一楽章では、オーボエの Philippe Tondre / フィリップ=トーンドゥルの妙技が味わえる。川崎の聴衆は味わえない贅沢な時間だ。

室内管弦楽団かつ中規模ホールならではの特質が十全に活きる。大規模ホールでの演奏のような無理は一切ない。

私は常々、Beethoven や Schubert 辺りまでは、室内管弦楽団かつ中規模ホールで演奏するべきと思っているが、今日の水戸室内管弦楽団の演奏会は正にこの私の確信を裏打ちするものであった。

2016年12月31日土曜日

Opernhaus Zürich, Opera ‘Alcina’ (2016/17) review チューリッヒ歌劇場 歌劇「アルチーナ」 感想

2016年12月31日 土曜日
Saturday 31st December 2016
チューリッヒ歌劇場 (スイス連邦チューリッヒ市)
Opernhaus Zürich (Zürich, Confoederatio Helvetica)

演目:
Georg Friedrich Händel: Opera ‘Alcina’
ゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデル 歌劇「アルチーナ」

Alcina: Cecilia Bartoli
Ruggiero: Philippe Jaroussky
Morgana: Julie Fuchs
Bradamante: Varduhi Abrahamyan
Oronte: Fabio Trümpy
Melisso: Krzysztof Baczyk
Cupido: Barbara Goodman
Chorsolisten / 合唱ソロ: Soyoung Lee, Boguslaw Bidzinski, Ildo Song

Tänzer / ダンサー: Rouven Pabst, Nikita Korotkov, Amadeus Pawlica, Maxime Guenin, Steven Forster, Anatole Zangs

Producer: Christof Loy
Stage design: Johannes Leiacker
Costumes: Ursula Renzenbrink
Light-Design: Bernd Purkrabek
Choreography: Thomas Wilhelm
Dramaturgy: Kathrin Brunner

Solo-Violine: Hanna Weinmeister
Continuo / 通奏低音: Claudius Herrmann, Margret Köll, Sergio Ciomei, Enrico Maria Cacciari
orchestra: Orchestra La Scintilla
direttore: Giovanni Antonini

チューリッヒ歌劇場は、2016年12月31日から2017年1月10日までの日程で、ゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデルの歌劇「アルチーナ」を6公演開催した。この評は2016年12月31日に催されたリバイバル初演に対するものである。演出は2014年1月26日に初演されたものである。2014年は9公演開催されたため、この公演は通算第10公演目となる。

着席位置は一階前方中央わずかに下手側である。観客の入りはほぼ満席。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だった。

舞台は第一幕・第二幕は伝統的なものであり、第三幕は舞台装置の裏をハッキリ見せた、ある種現代的なものだ。第一幕での舞台装置は、第一幕は複雑で舞台を二層にし、奈落を用い装置ごと垂直移動させるものだ。上層舞台は3mから4mの高さに変化するのだろうか、プロセニアムの外の両脇2mまで一緒に動く。ある程度奈落の設備がなければ上演できないものである。よって、日本で上演する場合は、新国立劇場・滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール・富山市芸術文化ホール(オーバードホール)等、きちんとした奈落のある劇場でなければ上演が不可能であるが、日本の場合は舞台・観客数の規模が大きすぎるため、チューリッヒ歌劇場での公演の再現は不可能であると言えるだろう。

オケピットは極めて浅く、座った奏者の頭の高さが舞台の高さである。一部背の高い奏者の頭が5cm程、舞台上でに飛び出ていたりするが、視界面での影響はほぼない。しかし、指揮者の背後の席の方は、かなり視界が妨げられるだろう。

オケピットにも一列観客席を入れてある。その観客は、1mの距離なくピットの奏者のそばにいる。平土間5列目の観客は、実際には前から四列目であり、一列カットの平土間観客席である(「ドン-カルロ」では二列カットであった)。

ソリストの出来について述べる。

歌い手で最も素晴らしかったのは、間違いなくモルガーナ役のフランスのソプラノ Julie Fuchs である。声量は十二分にあり、声が綺麗で、ヴィブラートは長音にわずかに掛けただけなので、澄んだ音色だ。装飾音の部分の技巧は世界最高レベルの完成度で、正確なだけでなく、アクセントを掛けても清涼な音色・印象が変わらず、驚異的な余裕を感じさせる。第一幕終結部のアリアは圧巻の出来で、このアリアを聴けただけで、日本の山の中の松本から来たかいがあった。

他に、ルッジェーロ役のカウンターテノールの Philippe Jaroussky 、ブラガマンテ役のコントラルト Varduhi Abrahamyan 、オロンテ役の Fabio Trümpy 、メリッソ役の Krzystof Baczyk いずれも素晴らしい。声量・音圧・声の質、いずれも高い満足を観客に与え、演技も自然である。

ところが、題名役の Cecilia Bartoli であるが、彼女は単なる客寄せパンダであった。第一幕は特にひどく、声量が無いだけでなく、曇りのある声質故に伸びやかさもなく、ヴィブラートを掛けまくりの発声で声の綺麗さに欠け、モーツァルト以前のオペラには向かない。彼女だけ異質な声質であり、これはこれで、圧倒的な声量で劇場を支配し、その方向性で観客をノックアウトすれば、是非はともかく一つの路線であるとは思うが(私は決して賛同しない)、その路線をも取れなかった。第二幕・第三幕では、貫禄はあったが、この役に必要な声量・音圧は欠如していた。ただ、題名役のアリアは限定的ですので、致命傷にはならなかった。まあ、それにしても Cecilia の人気が凄いことと言ったら。チューリッヒの観客は、耳は肥えているはずだけど。

このオペラは、単独アリアの連続で、歌い手の力量が強く問われる厳しいオペラであるが、 Cecilia 以外の歌い手が素晴らしく、ソリストのほとんどを実力者で固めるチューリッヒ歌劇場のならではの完成度を実現した。

管弦楽は、Orchestra La Scintillaであるが、古楽器を用いたチューリッヒ歌劇場の座付き管弦楽と言って良く、モダン楽器主体の Philharmonia Zürich と並び、この歌劇場は二つの座付き管弦楽を持っている。世界最先端の歌劇場は、古楽系・モダン系の二つの座付きオケが不可欠であり、そうでなければ、充実したバロックオペラの上演は不可能だ。この点のチューリッヒ歌劇場の見識の高さは、もっと注目されて然るべきと考える。

コンサートミストレスは、 Philharmonia Zürich のコンサートミストレスである Hanna Weinmeister であるが、ヴァイオリンのソロは見事であった。同様に、チェロ(または相当する古楽器)のソロも、誰かは不明であるが、素晴らしかった。

終演後は、観客総立ちであった。このヘンデルのオペラにまで万全な体勢で上演する、チューリッヒ歌劇場の見識、体制を思い知らされた。

響きが十分に行き渡る限度である1100席規模に抑えた歌劇場で、舞台にきちんとした奈落があり、座付きオケに古楽系も揃え、その上で実力のあるソリストを確保して、高い水準のバロック-オペラ公演を実現させる。このような企画が日本に於いて行えるであろうか。

新国立劇場は1814席もの巨大劇場を作ってしまい、そのくせ、座付きオケ一つない状態である。一億二千七百万人もの人口規模を持つ日本国は、人口250万人規模のチューリッヒ周辺地域の州(カントン)政府に支えられたチューリッヒ歌劇場の企画一つできない、恥ずべき状況にあると言わざるを得ない。歌劇場に必要な機能とは何か、音楽とはどのようなものであるのか、そういった基本的な認識の差が、このような形で表出してしまうのだ。

(お断り:日本・韓国・中国・マジャール人、その他姓名順の表記と取る出演者の表記は、チューリッヒ歌劇場での表記の通り、名姓順とした。また、漢字・ハングル・キリル文字表記は省略した)

2016年12月1日木曜日

Hamburgische Staatsoper, Opera ‘Senza Sangue’ ‘A kékszakállú herceg vára’ (2016) review ハンブルク州立歌劇場 歌劇「無血で」・「青ひげ公の城」 感想

2016年11月30日 水曜日
Wednesday 30th November 2016
ハンブルク州立歌劇場 (ドイツ連邦共和国ハンブルク市)
Hamburgische Staatsoper (Hamburg, Bundesrepublik Deutschland)

演目:
Eötvös Péter: Opera ‘Senza Sangue’
エトヴェシュ=ペーテル 歌劇「無血で」
Bartók Béla: Opera ‘A kékszakállú herceg vára’ Sz.48 op.11
バルトーク=ベーラ 歌劇「青ひげ公の城」

‘Senza Sangue’
La donna: Angela Denoke
L'uomo: Sergei Leiferkus
‘A kékszakállú herceg vára’
Kékszakállú: Bálint Szabó
Judit: Claudia Mahnke

Director: Dmitri Tcherniakov
Set design: Dmitri Tcherniakov
Costume design: Elena Zaytseva
Lighting design: Gleb Filshtinsky
Dramaturgie: Johannes Blum
Video: Tieni Burkhalter

orchestra: Philharmonisches Staatsorchester Hamburg
direttore: 不明 (当初 Eötvös Péter の予定であったが、別のマジャール人指揮者に変更となった。

ハンブルク州立歌劇場は、2016年11月6日から11月30日までの日程で、マジャール人の作曲家・指揮者であるエトヴェシュ=ペーテルを指揮者に招いて(11月30日公演は、別の指揮者)、自身による作曲の歌劇「無血で」と、同じマジャール人であるバルトーク=ベーラの歌劇「青ひげ公の城」の二本立てを計7公演開催する。この評は2016年11月30日に催された第7公演千秋楽に対するものである。「無血で」は2016年に初演されたものである。

着席位置は一階前方わずかに上手側である。観客の入りは約半数であり、現代作品に対しては興行面では苦戦する結果となった。観客の鑑賞態度は良好である。

舞台はシンプルでありながら美しいものである。「無血で」は霧が立ち込める舞台から始まった。ホテルの部屋に入室するプロジェクターマッピングの後で、「無血で」と一体化した形で「青ひげ公の城」をそのまま上演する。キャストは変わるが、衣装はそのままなので、「青ひげ公の城」を知らない人にとっては、「無血で」の後編と思えてしまう巧みな構成だ。「無血で」はイタリア語、「青ひげ公の城」はマジャール語での上演である。ホテルの一室を思わせる「青ひげ公の城」の舞台は、終盤でのプロジェクターマッピングが秀逸である。

終始二人の男女による、緊迫感のある演劇だ。オペラと言うよりは、演劇、二人芝居を見た感覚になる。濃厚な管弦楽に負けることなく、全ての歌い手が声量・ニュアンスとも優れた歌唱である。

管弦楽も、優れた表現を、精度が高く濃密な表現で実現し、惹きつけられられた。

作品の構成が優れており、音楽と演劇とが高い次元で一体化した、素晴らしい作品でである。日本では決して観劇する事が出来ない、この新作の上演に立ち会えて、嬉しい気持ちだ。

また、興行面云々を脇に置いて、このような優れた新作オペラの発表の場を提供する、ハンブルク州立歌劇場の姿勢は、世界中の歌劇場の模範であろう。

今回の旅では、日本では味わえないマイナーな作品であるけど、芸術性の高いオペラ作品を観ることも目的とした。テアトロ-レアルの「皇帝ティートの慈悲」と共に、大成功と考えて良いだろう。

(この文面作成に当たり、現地在住の信頼できる消息筋からの貴重な情報を活用した。厚く御礼申し上げる。)

2016年11月29日火曜日

Royal Opera House, Covent Garden, Opera ‘Les Contes d'Hoffmann’ (2016) review ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデン 歌劇「ホフマン物語」 感想

2016年11月28日 月曜日
Monday 28th November 2016
ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデン (連合王国ロンドン市)
Royal Opera House, Covent Garden (London, U.K.)

演目:
Jacques Offenbach: Opera ‘Les Contes d'Hoffmann’
ジャック=オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」

Hoffmann: Leonardo Capalbo
FourVillains: Thomas Hampson
Olympia: Sofia Fomina
Giulietta: Christine Rice
Antonia: Sonya Yoncheva
Nicklausse: Kate Lindsey
Spalanzani: Christophe Mortagne
Crespel: Eric Halfvarson
Four Servants: Vincent Ordonneau
Spirit of Antonia's Mother: Catherine Carby
Nathanael: David Junghoon Kim
Hermann: Charles Rice
Schlemil: Yuriy Yurchuk
Luther: Jeremy White
Stella: Olga Sabadoch

Coro: Royal Opera Chorus

Director: John Schlesinger
Set design: William Dudley
Costumes design: Maria Björnson
Lighting design: David Hersey
Choreographer: Eleanor Fazan
Fight director: William Hobbs

orchestra: Orchestra of the Royal Opera House
direttore: Evelino Pidò

ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデンは、2016年11月11日から12月3日までの日程で、ジャック=オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」を7公演開催する。この評は2016年11月28日に催された第6公演に対するものである。演出は1980年に初演されたものである。

着席位置は一階中央やや下手側である。チケットは完売した。観客の鑑賞態度は概ね良好であった。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。古風であるが、よく作り込まれた舞台で、安っぽさを感じる箇所が全くない豪華なものだ。

ソリストの出来について述べる。

あまりに素晴らし過ぎて言葉が出ない。歌い手のソリストが全て見事で、全く穴がなく、ホフマンもオリンピアもジュリエッタもアントニアもリンドルフもニコラウスもその他も完璧な「完璧なホフマン物語」である。

ピットは深めで(写真のハープで深さを推察して欲しい)、管弦楽が上手く音がすっぽ抜けたのか、歌をよく聴ける感じとなった。バレエ公演の時に、大して上手ではないと思っていたが、今日は非常に見事であった。

オリンピア役の Sofia Fomina はあんなに歌えて踊れて、観客を沸き立たせていた。ジュリエッタ役の Christine Rice も歌えて素晴らしい。

アントニア役の Sonya Yoncheva は、とにかく圧巻である。単独でも、ホフマン役との二重唱、母親亡霊+ミラクル博士との三重奏でも、もうこれ以上は望む事はできない。12/3は「個人的な事情」により代役になってしまうため、 Sonya Yoncheva のアントニアは今日が千秋楽で、本当に聴けてよかった!

題名役の Leonardo Capalbo は、長時間にわたり声量・ニュアンスとも完璧で、主役として劇場空間を支配した。ニコラウス(ズボン役)の Kate Lindsey も同様だ。このコンビも素晴らし過ぎました。

その他、リンドルフ役の Thomas Hampson 、クレスペル役の Eric Halfvarson 、アントニアの母親の亡霊役の Catherine Carby 等出番の少ない役も、声量ニュアンスとも完璧だった。

全てがあまりに素晴らし過ぎて、エピローグの前の「舟歌」を聴いている最中に、ここまでの見事な歌いっぷり演じっぷりを思い出して、泣き出しそうになり、舞台上部の紋章を見て、なんとか堪えた程だ。こんな完璧なオペラは初めてで、一生のうちでもそうそう味わえないレベルである。ロイヤルオペラハウス-コヴェントガーデンのプロダクションの力量を思い知らさた。

2016年11月25日金曜日

Camerata Salzburg, Matsumoto performance (25th November 2016), review カメラータ-ザルツブルク 松本公演(2016年11月25日) 評

2016年11月25日 金曜日
Friday 25th November 2016
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per oboe e orchestra K.314
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per violino e orchestra n.4 K.218
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Divertimento n.11 K.251
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra K.622

oboe: Hansjörg Schellenberger
violino: 堀米ゆず子 / Horigome Yuzuko
clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Camerata Salzburg(カメラータ-ザルツブルク)
direttore: Hansjörg Schellenberger

カメラータ-ザルツブルクは、2016年11月19日から11月27日まで日本ツアーを行い、岡山・東京(杉並公会堂)・静岡・大垣(岐阜県)・松本・横浜(神奈川県立音楽堂)・西宮(兵庫県)にて計7公演(静岡公演と大垣公演は二手に分かれてのほぼ同時の演奏会)の演奏会を開催する。用紙された曲目の中から、公演地の主催者の要望によって変更をしたのか、曲目は公演地により異なる。

この日本ツアーで、中規模ホールである700席前後のホールで演奏されるのは、この松本市音楽文化ホールが唯一である。この日本ツアーの中で、間違いなく最良の演奏会場であることは言うまでもない。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは下手側であるが木管と同じ場所にある。

着席位置は一階正面後方やや上手側、客席の入りは5割に満たなかったかもしれない。室内管弦楽団かつ全てモーツァルトのプログラムであり、なおかつ地方開催となると、観客動員には限界があるのだろう。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。

最初はオーボエ協奏曲K.314である。松本市音楽文化ホールの響きには、二分くらいで慣れた感がある。一曲目から手を抜かない演奏である。

二曲目はヴァイオリン協奏曲第4番 K.218で、ソリストは堀米ゆず子である。ソリストと管弦楽との関係は、同じ方向を向き溶け込む方向性であるが、時折堀米ゆず子が、しとやなか音色に変えたりテンポを遅くしたりと面白い。管弦楽は非常に高いレベルにある。ホルンも柔らかく溶け込むし、管弦楽全体としてのアクセントも、全音域で美しくヴィヴィッドに決めてくる。松本市音楽文化ホールならではの、幸福感に満たされた響きが実現されている。

後半はディヴェルティメント第11番K.251である。オーボエ・指揮の Hansjörg Schellenberger は、弦楽に囲まれるような位置で客席を向いて座り、吹き指揮をする。曲想は何かの祝典のBGMを思わせるもので、この曲想を面白く演奏するのはなかなか難しそうに思える。しかしながら、曲の進行とともに華麗な曲想となる要素の上に、美しく演奏し続けることによりテンションが上がってくる要素の相乗効果が働き、単なるBGMではないこの曲の魅力を余すことなく表現仕切っている。

最後はクラリネット協奏曲K.626である。ソリストである Alessandro Carbonare のクラリネットは完璧過ぎる。冒頭から高い技巧を見せつけ、管弦楽を終始リードし、第二楽章弱奏部ソロも完璧な技巧で、ニュアンス豊かに演奏する。音の多い部分は、残響が豊かな松本市音楽文化ホールで美しく響かせるのは難しいが、この点も難なくクリアされている。これ以上のMozartのクラリネット協奏曲は望めない!管弦楽は後半も素晴らしい演奏をしたが、これほどまでのクラリネット-ソロを見せつけられては、どうしてもソリストの独擅場となるのはやむを得ない。それでも、ソリストと管弦楽双方が高い水準の演奏を繰り広げ、これが Mozart なのだと納得させられる演奏である。ソリスト・管弦楽・松本市音楽文化ホールの秀逸な音響が三位一体となって、観客に届く演奏である。演奏終了後に即スタンディングオベーションを行って差し支えない。

アンコールは、K.626の第二楽章からで、弱奏部ソロが始まる直前から開始された。アンコールはどの曲目で行うべきか、的確に把握されている。今年の、松本市で開催された演奏会の中で、最も優れた演奏であった。

2016年11月20日日曜日

新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2016 Autumn」雑感

昨日・今日(2016年11月19/20日)と、新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2016 Autumn」を観劇しました。三公演あるうちの、第二公演と第三公演(千秋楽)です。

音楽面で、特にヘンデルとショスタコーヴィチに目が向けられた事が素晴らしいと思います。ヘンデルのオラトリオに目を向け、前衛的なショスタコーヴィチを的確に扱う点に注目させられました。

ショスタコーヴィチのop.67(ピアノ三重奏曲第2番 第四楽章)から「3匹の子ぶた」を思いついた宝満直也は凄いと思います。私だったら、同じ旋律を用いながらもキレッキレのop.110(弦楽四重奏曲第8番 第二楽章)で攻めに掛かると思いつきますが。op.110 しか知らない私にとっては、どうしてあんなユルユルの演奏になるんかと思ったけど、op.67だからあの演奏があって、「3匹の子ぶた」が成立するのですね。

それに、純音楽的にショスタコーヴィチのop.110は完璧な名曲で、第二楽章なんて特別な感情無くして聴けませんし(水戸室内管弦楽団で室内管弦楽団版で初めて聴いた時の衝撃は忘れられない)。でも同じ旋律が「3匹の子ぶた」などとコメディに適用できると言うのが、興味深いところです。

「3匹の子ぶた」については、プログラム上の「怠け者の長男」「誰よりもしっかり者」との記載は、ツボにハマって爆笑してしまいました!それぞれ、八幡顕光さんと小野絢子さんですね♪如何にもそんな感じですから。

三日目千秋楽は、第三部の「即興」が面白かったです。米沢唯ちゃんは、航空会社客室乗務員風の衣装から上着を脱いでダンスパーティー風に変わる衣装です。今日の唯ちゃんはやりたい放題♪官能的に挑発したり、オーボエ奏者をおちょくってるし♪公演毎に登場する楽器・奏者が違う事もあり、千秋楽ではアコーディオンが出てくる事もあるのか、アルヘンティーナ風にタンゴを取り入れていました。

第三部の「即興」は、多分最初と最後の場面や、「今日はアコーディオンが出てくるからタンゴを踊る」と言う程度は決めていて、後は本当に即興だったのですね。振りが昨日の公演とは全面的に(冒頭から!)異なっていました。昨日よりスリリングな展開で楽しめました。

2016年11月12日土曜日

Bach Collegium Japan, Messa in Si minore (J.S. Bach) Yono Concert (2016), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「ミサ曲ロ短調」与野演奏会 評

2016年11月12日 土曜日
Saturday 12th November 2016
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Messa in Si minore BWV 232
soprano: 朴瑛実 / Boku Terumi
soprano: Joanne Lunn
contralto: Damien Guillon
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Dominik Wörner
cembalo / organo: Francesco Corti
orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki

バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2016年11月11日から15日までにかけて、J.S.バッハの ミサ曲ロ短調 演奏会を、東京・与野(埼玉県)・札幌にて開催する。(同時期の11月13日に、全く別のプログラムで第6回名古屋定期演奏会が開催される。)

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(この影に隠れるように)ヴィオラ(ここまでで下手側を占める)→オルガン・チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ→オーボエと囲み、これらに囲まれて指揮者のすぐ前にフルートが付く。ヴィオローネ(コントラバス相当)はチェロの後方につく。ファゴットはオーボエの後方で上手側、ティンパニとホルンはヴィオラの後方で下手側、トランペットは前方ながら最も下手側である。

合唱配置は、ソプラノ→コントラルト→バス→テノール→ソプラノで始まり、サンクトゥスからコントラルトの一部(上手側)とテノールを入れ替えて演奏された。

着席位置は一階正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は極めて良好だった。

全体的に、非常によく考えられて構築された計画にパッションが加わった、盤石な演奏である。誰もが自己顕示とは無縁で、全体の中でどのように歌ったり奏でたりして響きを作り出すかを理解しているかが、よく分かる演奏だ。その上にパッションを乗せてくる。

第一部第8曲目は、私の好きな展開である。朴瑛実と櫻井亮の日本在住者コンビが実に息が合っていて、同じ方向性を向いていて、管弦楽に乗っかっている。一方でフルートも程よく自己主張しつつ、その他の管弦楽は巧みに弱奏で根底から支える。そうやってよく考えられた響きが観客に届く時の幸せは何て表現したらいいだろう。

第一部第10曲と第四部第26曲に於けるコントラルト-ソロ(ダミアン=ギヨン)も素晴らしい。ソリストだけでなく、管弦楽全体を含めた全体で作り上げた音楽を実感出来る点も、注目する点である。

合唱は、冒頭から自由自在に彩の国さいたま芸術劇場の素晴らしいホールを響かせる。構築がしっかり為されていると察せられるところにパッションが乗っかり、ニュアンスに出てくる。第一部のどこかは忘れたが、そのニュアンスで涙腺が潤む。第三部サンクトゥスでの女声の押し寄せる波のようなニュアンスも強い印象を残す。

全体的に、歌・管弦楽とも高い充実ぶりを伺わせる素晴らしい演奏会であった。来年2017年4月に、松本市音楽文化ホール での「マタイ受難曲」が予定されているとのことだ。オルガンがある数少ない中規模ホールである松本市音楽文化ホールでのBCJの演奏会が今までなかったのが不思議なくらいだ。今から楽しみに待っていることとしよう!

2016年11月6日日曜日

Mahler Chamber Orchestra, Uchida Mitsuko, Toyota performance (6th November 2016), review マーラー室内管弦楽団+内田光子 豊田公演(2016年11月6日) 評

2016年11月6日 日曜日
Sunday 6th November 2016
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.17 K.453
Bartók Béla: Divertimento Sz.113
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.25 K.503

pianoforte: 内田光子 / Uchida Mitsuko
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: 内田光子 / Uchida Mitsuko

マーラー室内管弦楽団は、2016年10月28日から11月8日まで日本ツアーを行い、札幌・大阪・東京・豊田にて計8公演(室内楽公演を含む)の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮は内田光子である。なお、バルトークのディヴェルティメントについては、コンサートマスターのリードによる演奏であり、内田光子は参画しない。この豊田市コンサートホールでのプログラムは、2016年11月22日から29日までの欧州ツアー(Amsterdam, Rotterdam, Dortmund, Berlin, London)と同じである。

この日本ツアーで、中規模ホールに準じる規模である1004席のホールで演奏されるのは、この豊田市コンサートホールが唯一である。残響はあっても音が届かないサントリーホールはもちろんのこと、大きな室容積と収容人数を誇るKitaraを圧倒的に上回る、豊かな残響と適切な音圧の下での鑑賞となる。欧州ツアーを含めて、最良の演奏会場であることは言うまでもない。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、これは、ダニエル=ハーディングと一緒に来日した時と変わりないか。木管・金管パートは後方中央に位置する。下手側のホルンと上手側のトランペットに挟まれるように、木管奏者の席がある。ティンパニは後方上手側の位置につく。バルトークはピアノを撤去し、配置は同じながら、ヴァイオリン・ヴィオラ奏者は立って演奏する。

内田光子のピアノは、舞台中央に置かれ、鍵盤を客席側に向け、蓋を取った形である。アンスネスの来日公演と同様だ。

着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは8割程で満席にはならなかった。日曜日の少し遅めの開演時間、高額(1万7千円〜2万円)チケットが影響したのだろう。観客の鑑賞態度は、バルトークの第一楽章で中央上手側にカバンや紙を触る音が反復継続的に響いた(一人の観客が注意書きの手紙を渡したため、後半は静かに鑑賞されていた)ものの、他の箇所では概ね良好であった。

演奏について述べる。

第一曲目の17番K.453については、豊田市コンサートホールの響きに全く馴染んでなかった。ピアノは、特別残響の長いホールに配慮した奏法を用いていないように思える。ベロフやプレトニョフは的確にこのホールの響きに適応していたが・・・。弦楽はもちろん素晴らしい響きであるが、木管がこのホールに馴染むのに最も苦しんだように思える。

二曲目のバルトークによる「ディヴェルティメント」は、弦楽のみの編成であり、世界トップクラスの豊田市コンサートホールの響きを十全に活かす。首席奏者による弦楽四重奏のような箇所や、ロマ音楽を取り入れたような箇所も万全だ。それだけに、中央上手側にいた観客によるノイズ(カバンの中を探る、紙を読み音を立てて触る)は残念だった。気になった客が注意しようにも、両脇にいた同行の友人たちに阻まれ、演奏妨害行為を阻止することが出来なかった。近くで見ていただけに、阻止できず慚愧に堪えない。

三曲目のK.503になり、この曲を特色付ける第一楽章一回目の6連続上昇旋律こそ、愉悦感に満ちる感じとはならなかったが(豊田市コンサートホールの響きを扱う事が如何に難しいか!)曲の進行とともに馴染み始める。木管奏者も、彼女たちなりにこのホールの響かせ方を会得したのか、内田光子との掛け合いがようやく機能し始める。内田光子のカデンツァも素晴らしい。

と言いつつも、この演奏会で最も感銘を受けた点は、個人技と言うよりは、ソリストを含めた管弦楽一体としての まとまり である。トゥッティで演奏される際に、金管楽器が吹かれているとは思えない柔らかな音色が、この豊田市コンサートホールを響かせるのだ。杜撰な音響設計のサントリーホールはもちろんのこと、タケミツメモリアルでさえも実現出来ない、音圧を感じさせながらの柔らかい響き、誰か一人がと言うのではない、全員でモーツァルトを深く理解し、各自どのような響きを出すべきか理解している響きである。

これは、マーラー室内管弦楽団の各奏者の高い技量、バルトークで見せた弦楽の他、金管セクションの、柔らかく溶け込ませるような響きの絶妙さにより実現されたものである。このアプローチでどれだけこのモーツァルトが活かされたであろうか?ホルンはもちろんのこと、トランペットはナチュラル-トランペットでありながら、音を全く外さない(これだけでも驚異)だけでなく、精緻な響きで管弦楽に溶け込ませる。鮮やかな福川ホルンのみで成り立たっているようなNHK交響楽団とは対極の響きだ。輝かしく自己顕示的な響きとは全く無縁で、如何に管弦楽全体としてあるべき響きかを考え、その響きを実現させていく、まるで木管楽器を演奏しているかのような柔らかな音色は、これこそ目立たないながらも高度な技巧を要するものである。これを実現させた金管セクションは本当に傑出した演奏である。

このような響きを出せる金管奏者こそ、今の日本の管弦楽団に欠いている。名フィルの安土さんのホルンくらいしかいないのではないか?吹奏楽部で輝かしい音色でヒーロー / ヒロインになるような金管奏者など不要である。日本の音楽教育から変える必要があるのかもしれない。挑発的に言わせて貰えば、N響福川を反面教師にする必要がある。

アンコールは、内田光子のソロにより謎の現代音楽っぽいものが演奏された。曲名の掲示はなかった。