2016年11月6日日曜日

Mahler Chamber Orchestra, Uchida Mitsuko, Toyota performance (6th November 2016), review マーラー室内管弦楽団+内田光子 豊田公演(2016年11月6日) 評

2016年11月6日 日曜日
Sunday 6th November 2016
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.17 K.453
Bartók Béla: Divertimento Sz.113
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.25 K.503

pianoforte: 内田光子 / Uchida Mitsuko
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: 内田光子 / Uchida Mitsuko

マーラー室内管弦楽団は、2016年10月28日から11月8日まで日本ツアーを行い、札幌・大阪・東京・豊田にて計8公演(室内楽公演を含む)の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮は内田光子である。なお、バルトークのディヴェルティメントについては、コンサートマスターのリードによる演奏であり、内田光子は参画しない。この豊田市コンサートホールでのプログラムは、2016年11月22日から29日までの欧州ツアー(Amsterdam, Rotterdam, Dortmund, Berlin, London)と同じである。

この日本ツアーで、中規模ホールに準じる規模である1004席のホールで演奏されるのは、この豊田市コンサートホールが唯一である。残響はあっても音が届かないサントリーホールはもちろんのこと、大きな室容積と収容人数を誇るKitaraを圧倒的に上回る、豊かな残響と適切な音圧の下での鑑賞となる。欧州ツアーを含めて、最良の演奏会場であることは言うまでもない。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、これは、ダニエル=ハーディングと一緒に来日した時と変わりないか。木管・金管パートは後方中央に位置する。下手側のホルンと上手側のトランペットに挟まれるように、木管奏者の席がある。ティンパニは後方上手側の位置につく。バルトークはピアノを撤去し、配置は同じながら、ヴァイオリン・ヴィオラ奏者は立って演奏する。

内田光子のピアノは、舞台中央に置かれ、鍵盤を客席側に向け、蓋を取った形である。アンスネスの来日公演と同様だ。

着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは8割程で満席にはならなかった。日曜日の少し遅めの開演時間、高額(1万7千円〜2万円)チケットが影響したのだろう。観客の鑑賞態度は、バルトークの第一楽章で中央上手側にカバンや紙を触る音が反復継続的に響いた(一人の観客が注意書きの手紙を渡したため、後半は静かに鑑賞されていた)ものの、他の箇所では概ね良好であった。

演奏について述べる。

第一曲目の17番K.453については、豊田市コンサートホールの響きに全く馴染んでなかった。ピアノは、特別残響の長いホールに配慮した奏法を用いていないように思える。ベロフやプレトニョフは的確にこのホールの響きに適応していたが・・・。弦楽はもちろん素晴らしい響きであるが、木管がこのホールに馴染むのに最も苦しんだように思える。

二曲目のバルトークによる「ディヴェルティメント」は、弦楽のみの編成であり、世界トップクラスの豊田市コンサートホールの響きを十全に活かす。首席奏者による弦楽四重奏のような箇所や、ロマ音楽を取り入れたような箇所も万全だ。それだけに、中央上手側にいた観客によるノイズ(カバンの中を探る、紙を読み音を立てて触る)は残念だった。気になった客が注意しようにも、両脇にいた同行の友人たちに阻まれ、演奏妨害行為を阻止することが出来なかった。近くで見ていただけに、阻止できず慚愧に堪えない。

三曲目のK.503になり、この曲を特色付ける第一楽章一回目の6連続上昇旋律こそ、愉悦感に満ちる感じとはならなかったが(豊田市コンサートホールの響きを扱う事が如何に難しいか!)曲の進行とともに馴染み始める。木管奏者も、彼女たちなりにこのホールの響かせ方を会得したのか、内田光子との掛け合いがようやく機能し始める。内田光子のカデンツァも素晴らしい。

と言いつつも、この演奏会で最も感銘を受けた点は、個人技と言うよりは、ソリストを含めた管弦楽一体としての まとまり である。トゥッティで演奏される際に、金管楽器が吹かれているとは思えない柔らかな音色が、この豊田市コンサートホールを響かせるのだ。杜撰な音響設計のサントリーホールはもちろんのこと、タケミツメモリアルでさえも実現出来ない、音圧を感じさせながらの柔らかい響き、誰か一人がと言うのではない、全員でモーツァルトを深く理解し、各自どのような響きを出すべきか理解している響きである。

これは、マーラー室内管弦楽団の各奏者の高い技量、バルトークで見せた弦楽の他、金管セクションの、柔らかく溶け込ませるような響きの絶妙さにより実現されたものである。このアプローチでどれだけこのモーツァルトが活かされたであろうか?ホルンはもちろんのこと、トランペットはナチュラル-トランペットでありながら、音を全く外さない(これだけでも驚異)だけでなく、精緻な響きで管弦楽に溶け込ませる。鮮やかな福川ホルンのみで成り立たっているようなNHK交響楽団とは対極の響きだ。輝かしく自己顕示的な響きとは全く無縁で、如何に管弦楽全体としてあるべき響きかを考え、その響きを実現させていく、まるで木管楽器を演奏しているかのような柔らかな音色は、これこそ目立たないながらも高度な技巧を要するものである。これを実現させた金管セクションは本当に傑出した演奏である。

このような響きを出せる金管奏者こそ、今の日本の管弦楽団に欠いている。名フィルの安土さんのホルンくらいしかいないのではないか?吹奏楽部で輝かしい音色でヒーロー / ヒロインになるような金管奏者など不要である。日本の音楽教育から変える必要があるのかもしれない。挑発的に言わせて貰えば、N響福川を反面教師にする必要がある。

アンコールは、内田光子のソロにより謎の現代音楽っぽいものが演奏された。曲名の掲示はなかった。