2016年12月31日 土曜日
Saturday 31st December 2016
チューリッヒ歌劇場 (スイス連邦チューリッヒ市)
Opernhaus Zürich (Zürich, Confoederatio Helvetica)
演目:
Georg Friedrich Händel: Opera ‘Alcina’
ゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデル 歌劇「アルチーナ」
Alcina: Cecilia Bartoli
Ruggiero: Philippe Jaroussky
Morgana: Julie Fuchs
Bradamante: Varduhi Abrahamyan
Oronte: Fabio Trümpy
Melisso: Krzysztof Baczyk
Cupido: Barbara Goodman
Chorsolisten / 合唱ソロ: Soyoung Lee, Boguslaw Bidzinski, Ildo Song
Tänzer / ダンサー: Rouven Pabst, Nikita Korotkov, Amadeus Pawlica, Maxime Guenin, Steven Forster, Anatole Zangs
Producer: Christof Loy
Stage design: Johannes Leiacker
Costumes: Ursula Renzenbrink
Light-Design: Bernd Purkrabek
Choreography: Thomas Wilhelm
Dramaturgy: Kathrin Brunner
Solo-Violine: Hanna Weinmeister
Continuo / 通奏低音: Claudius Herrmann, Margret Köll, Sergio Ciomei, Enrico Maria Cacciari
orchestra: Orchestra La Scintilla
direttore: Giovanni Antonini
チューリッヒ歌劇場は、2016年12月31日から2017年1月10日までの日程で、ゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデルの歌劇「アルチーナ」を6公演開催した。この評は2016年12月31日に催されたリバイバル初演に対するものである。演出は2014年1月26日に初演されたものである。2014年は9公演開催されたため、この公演は通算第10公演目となる。
着席位置は一階前方中央わずかに下手側である。観客の入りはほぼ満席。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だった。
舞台は第一幕・第二幕は伝統的なものであり、第三幕は舞台装置の裏をハッキリ見せた、ある種現代的なものだ。第一幕での舞台装置は、第一幕は複雑で舞台を二層にし、奈落を用い装置ごと垂直移動させるものだ。上層舞台は3mから4mの高さに変化するのだろうか、プロセニアムの外の両脇2mまで一緒に動く。ある程度奈落の設備がなければ上演できないものである。よって、日本で上演する場合は、新国立劇場・滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール・富山市芸術文化ホール(オーバードホール)等、きちんとした奈落のある劇場でなければ上演が不可能であるが、日本の場合は舞台・観客数の規模が大きすぎるため、チューリッヒ歌劇場での公演の再現は不可能であると言えるだろう。
オケピットは極めて浅く、座った奏者の頭の高さが舞台の高さである。一部背の高い奏者の頭が5cm程、舞台上でに飛び出ていたりするが、視界面での影響はほぼない。しかし、指揮者の背後の席の方は、かなり視界が妨げられるだろう。
オケピットにも一列観客席を入れてある。その観客は、1mの距離なくピットの奏者のそばにいる。平土間5列目の観客は、実際には前から四列目であり、一列カットの平土間観客席である(「ドン-カルロ」では二列カットであった)。
ソリストの出来について述べる。
歌い手で最も素晴らしかったのは、間違いなくモルガーナ役のフランスのソプラノ Julie Fuchs である。声量は十二分にあり、声が綺麗で、ヴィブラートは長音にわずかに掛けただけなので、澄んだ音色だ。装飾音の部分の技巧は世界最高レベルの完成度で、正確なだけでなく、アクセントを掛けても清涼な音色・印象が変わらず、驚異的な余裕を感じさせる。第一幕終結部のアリアは圧巻の出来で、このアリアを聴けただけで、日本の山の中の松本から来たかいがあった。
他に、ルッジェーロ役のカウンターテノールの Philippe Jaroussky 、ブラガマンテ役のコントラルト Varduhi Abrahamyan 、オロンテ役の Fabio Trümpy 、メリッソ役の Krzystof Baczyk いずれも素晴らしい。声量・音圧・声の質、いずれも高い満足を観客に与え、演技も自然である。
ところが、題名役の Cecilia Bartoli であるが、彼女は単なる客寄せパンダであった。第一幕は特にひどく、声量が無いだけでなく、曇りのある声質故に伸びやかさもなく、ヴィブラートを掛けまくりの発声で声の綺麗さに欠け、モーツァルト以前のオペラには向かない。彼女だけ異質な声質であり、これはこれで、圧倒的な声量で劇場を支配し、その方向性で観客をノックアウトすれば、是非はともかく一つの路線であるとは思うが(私は決して賛同しない)、その路線をも取れなかった。第二幕・第三幕では、貫禄はあったが、この役に必要な声量・音圧は欠如していた。ただ、題名役のアリアは限定的ですので、致命傷にはならなかった。まあ、それにしても Cecilia の人気が凄いことと言ったら。チューリッヒの観客は、耳は肥えているはずだけど。
このオペラは、単独アリアの連続で、歌い手の力量が強く問われる厳しいオペラであるが、 Cecilia 以外の歌い手が素晴らしく、ソリストのほとんどを実力者で固めるチューリッヒ歌劇場のならではの完成度を実現した。
管弦楽は、Orchestra La Scintillaであるが、古楽器を用いたチューリッヒ歌劇場の座付き管弦楽と言って良く、モダン楽器主体の Philharmonia Zürich と並び、この歌劇場は二つの座付き管弦楽を持っている。世界最先端の歌劇場は、古楽系・モダン系の二つの座付きオケが不可欠であり、そうでなければ、充実したバロックオペラの上演は不可能だ。この点のチューリッヒ歌劇場の見識の高さは、もっと注目されて然るべきと考える。
コンサートミストレスは、 Philharmonia Zürich のコンサートミストレスである Hanna Weinmeister であるが、ヴァイオリンのソロは見事であった。同様に、チェロ(または相当する古楽器)のソロも、誰かは不明であるが、素晴らしかった。
終演後は、観客総立ちであった。このヘンデルのオペラにまで万全な体勢で上演する、チューリッヒ歌劇場の見識、体制を思い知らされた。
響きが十分に行き渡る限度である1100席規模に抑えた歌劇場で、舞台にきちんとした奈落があり、座付きオケに古楽系も揃え、その上で実力のあるソリストを確保して、高い水準のバロック-オペラ公演を実現させる。このような企画が日本に於いて行えるであろうか。
新国立劇場は1814席もの巨大劇場を作ってしまい、そのくせ、座付きオケ一つない状態である。一億二千七百万人もの人口規模を持つ日本国は、人口250万人規模のチューリッヒ周辺地域の州(カントン)政府に支えられたチューリッヒ歌劇場の企画一つできない、恥ずべき状況にあると言わざるを得ない。歌劇場に必要な機能とは何か、音楽とはどのようなものであるのか、そういった基本的な認識の差が、このような形で表出してしまうのだ。
(お断り:日本・韓国・中国・マジャール人、その他姓名順の表記と取る出演者の表記は、チューリッヒ歌劇場での表記の通り、名姓順とした。また、漢字・ハングル・キリル文字表記は省略した)