2013年9月29日日曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 「メサイア」演奏会評

2013年9月29日 日曜日
長野県松本文化会館 (長野県松本市)(※)

曲目:
ゲオルク=フリードリヒ=ヘンデル オラトリオ「メサイア」 HMV56

ソプラノ:オクサーナ=ステパニュク
アルト:坂上賀奈子
テノール:大槻孝志
バス:太田直樹

合唱:公募の県民合唱団
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団(JPO)
 ゲスト-コンサートミストレス:物集女純子
 オルガン・チェンバロ:石野真穂
指揮:田中祐子

メサイア実行委員会は、JPOその他を管弦楽・ソリスト・指揮者として迎えて、2013年9月29日に長野県松本文化会館にて「メサイア」演奏会を行った。合唱団はアマチュアである。通常、長野県松本文化会館はボイコットしている私であるが、今回は友人知人の出演があり、他の予定が入っていない事を考慮し臨席することを決めた。

会場が、音響が優れている松本市音楽文化ホールではなく、この長野県松本文化会館となったのは、音楽面云々の問題ではなく、単に長野県文化振興事業団が関わった事業だからであろう。

管弦楽は、第一ヴァイオリン(8名)→第二ヴァイオリン(6名)→ヴィオラ(5名)→ヴァイオリン-チェロ(3名)→コントラバス(2名)と小ぶりな編成である。

着席位置は2階正面前方やや上手寄り、客の入りは5割程である。観客は1階に集中し、音響が比較的マシな2階は50名程度しかいない。観客の鑑賞態度はおおむね良好であったが、強風が吹き付けるピュー音が気になった。

前述したとおり、JPOの編成はかなり小さく、その上杉並公会堂に慣れたJPOがこのデッドな響きの長野県松本文化会館で十分な音量を出せるか疑わしかったが、予想外によい響きが出ている。合奏精度が十分に保たれ、強く弦を響かせているからなのか。

ソリストはテノールの大槻孝志の出来がダントツである。響きの強さ、安定性が抜群である。

ソプラノは二階を向いて歌うとなぜかよく響く状態である。但し、合唱をしている人たちの評価では、音取りに問題があったとのこと、最後のソプラノ-ソロのアリアが怪しかったようであるが、そのアリアで私が睡魔に襲われたのは、何か目に見えない作用があったのか。

アルトは、二階席に届くパワーが十分ではなかったが、曲が進むに連れ幾分改善された印象。バスは、パワー面ではともかく、ヴィブラートがあまり上手でなかった。

合唱はアマチュアであること、会場が長野県松本文化会館であることを踏まえれば、ここまでの出来まで仕上げただけ見事である。とにもかくにも特にソプラノの元気がよい。この長野県松本文化会館では、大きく響かせる事がまず重要で、精密さは二の次である。そのアプローチは見事に当たっていた。

(※:長野県松本文化会館は、2012年7月から、松本市に本社があるキッセイ薬品のネーミング-ライツにより「キッセイ文化ホール」と称されているが、呼称の変更に伴う混乱を避けるため、従前通り「長野県松本文化会館」の表記を用いる事とする。なお、長野県松本文化会館は長野県政府の施設であるが、長野県政府は県政府により設立された施設に「長野県立」の表記を用いない。)

2013年9月28日土曜日

ベルリン-フィルハーモニー木管五重奏団 与野公演 演奏会評

2013年9月28日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)

曲目:
ヨーゼフ=ハイドン ディヴェルティメント Hob.II-46
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト(ハーゼル編曲) 自動オルガンのための幻想曲 K. 594
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト(ハーゼル編曲) セレナーデ K.388
(休憩)
ジャック=イベール 木管五重奏のための3つの小品
ダリウス=ミヨー 組曲「ルネ王の暖炉」 op.205
パウル=ヒンデミット 5つの管楽器のための小室内音楽 op.24-2

ベルリン-フィルハーモニー木管五重奏団(Berlin Philharmonic Wind Quintet)
 フルート:ミヒャエル=ハーゼル
 オーボエ:アンドレアス=ヴィットマン
 クラリネット:ヴァルター=ザイファルト
 ホルン:ファーガス=マクウィリアム
 ファゴット:マリオン=ラインハルト

着席場所は、一階ど真ん中である。チケットは全て売り切れている。

同じプログラムでの演奏会は、9月29日に戸塚区民文化センター さくらプラザ(神奈川県横浜市)開館記念公演でも開催されるが、彩の国さいたま芸術劇場の音響に勝るはずはなく、当然の事として与野公演を選択する事となる。

この他にも私が把握している範囲内で、高知県四万十市でも四万十国際音楽祭の一環として、前半部のプログラムを組み替えた形の公演があり、(未曾有の事故を発生させた福島第一原子力発電所に近い)福島県相馬市でも、相馬子どもオーケストラとの交流コンサートに臨んでいる。

前半は、曲目が曲目もあり、誤解を恐れずに言えば、極上の子守り唄を聴いている気分になる。特に、最初の二曲は安全運転に徹した印象が強い。しかしながら、個々の技術は完璧であることがよく分かる。残響のみを残したい時に、楽器をすぐに唇から話すのは、彩の国さいたま芸術劇場の豊かな残響を踏まえての事だろう。無意識の内に演奏者自身で残響を作り出さないようにしているのだろうか、すっと音を落とすだけで残響のみに委ねる事ができる、このホールならではのテクニックであろう。

後半に入ると、彼ら彼女の本領を発揮しやすい曲目になる事もあり、次第にパッションを込めた演奏になっていく。そうは言っても、決してパッションを前面に出すと言うわけではなく、アンサンブルの精緻さや構成を最も重視していて、これを実現させるためのパッションと言うべきか。

特に傑出した箇所は、ミヨーの組曲「ルネ王の暖炉」第7曲のフルートとクラリネットとがコンマ10桁のズレもなく、一つのオルガンのような音色を発しながらホルンも加わって曲を終える所と、ヒンデミット「5つの管楽器のための小室内音楽」第5曲で、他の器楽で盛り上げた所で一つの楽器がソリスティックな演奏を披露する所である。五人にソリスティックな演奏を披露する機会が与えられるが、全員が朗々として安定感があり、それでいてパッションを込めた完璧なソロを奏でるのだ。まるでこのヒンデミットの曲のために、この木管五重奏団を結成したとしか考えられない。

総じて、よく考えられた構成を、抜群の個々のの技術で裏打ちしつつも、五重奏としての統一感を究極まで精密に感じさせた演奏である。世界最高のベルリン-フィルの管楽の中でも最良の部分を味わえ、極めて充実した演奏である。観客の拍手が暖かく響き、演奏者も気持ち良く演奏できたであろう。

私は11月のベルリン-フィルの演奏会には行けないし、「春の祭典」も聴けないけど、一人ひとりが即ソリストになれ、室内楽団を作れる実力があることが理解できた。今夜のベルリン-フィル木管五重奏団の演奏会に行けて良かったと思っている。ベルリン-フィルの演奏会の臨席できるものは、その精緻な響きを楽しんでほしい。

アンコールは、ジュリオ=メダリア(Julio Medaglia)の「ヴァルス-ポーリスタ」(Vals paulista)と、瀧廉太郎(ミヒャエル・ハーゼル編曲)の「荒城の月」であった。

2013年9月7日土曜日

第91回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 演奏会評

2013年9月7日 土曜日
紀尾井ホール (東京)

曲目:
蒔田尚昊 組曲「歳時」(2012年 新日鉄住金文化財団委嘱/世界初演)
クロード=ドビュッシー(アンドレ=カプレ編曲) 子どもの領分
(休憩)
アルベール=ルーセル 小管弦楽のためのコンセールOp.34
フランク=マルタン 7つの管楽器とティンパニ、打楽器、弦楽器のための協奏曲

管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京
指揮:阪哲朗

紀尾井シンフォニエッタ東京は、阪哲朗を指揮者に迎えて、2013年9月6日・7日に東京-紀尾井ホールで、第91回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。

着席位置は正面後方中央、客の入りはほぼ9割程である。

第一曲目は蒔田尚昊の組曲「歳時」。日本の四季を冬→春→夏→秋の順に構成した曲である。春は「さくらさくら」の変奏の要素があり、夏は「終戦忌-被昇天祭」と題され、「君が代」のモティーフも用いられる。弦管打いずれも響きが綺麗に決まっていると同時に、それぞれの季節に相応しく演奏されている。作曲者も臨席されている。観客の反応のテンションが演奏の内容に応えていないのが非常に残念である。

第二曲目の「子どもの領分」は、個々の演奏で良いと思える部分もあるが、全般的に演奏の方向性が確立されていない演奏で精彩を欠いている。

休憩後の第三曲目のルーセルは、「子どもの領分」で落ちた楽団員のテンションを取り戻す役割を果たす。弦楽のソロの響きも明瞭である。

第四曲目のマルタンは、管楽のソリストを舞台後方に配置しての演奏だ。楽譜を率直に再現するアプローチであるが、響きのバランスは良く考えられており、ソリストも明瞭で朗々とした響きを披露する。特にオーボエとクラリネットは強烈な印象を与える。弦楽もきちんとと響かせていると同時に、精度も高い水準で保たれ、響きが綺麗でかつ力強い。室内管弦楽ならでは精緻な響きを楽しめた演奏会であった。

2013年8月31日土曜日

追加ラベル (サイトウ-キネン-フェスティバル 室内楽演奏会「ふれあいコンサート3」 評 関連)

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サイトウ-キネン-フェスティバル 室内楽演奏会「ふれあいコンサート3」 評

2013年8月30日 金曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト アダージョとロンド K.617
エリオット=カーター フルートとチェロのための「魔法を掛けられた前奏曲」
モーリス=ラヴェル(カルロス=サルセード編曲) ソナチネ (フルート・ハープ・チェロによる演奏)
(休憩)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト セレナード第11番 K.375

ヴィオラ:川本嘉子(第一曲目)
ヴァイオリン-チェロ:イズー=シュアー(前半全て)
フルート:ジャック=ズーン(前半全て・アンコール)
オーボエ:フィリップ=トーンドゥル(第四曲目)・マニュエル=ビルツ(第一曲目)・森枝繭子(第四曲目)
クラリネット:ウイリアム=ハジンズ・キャサリン=ハジンズ(いずれも第四曲目)
ファゴット:ロブ=ウイヤー・近藤一(いずれも第四曲目)
ホルン:ジュリア=パイラント・猶井正幸(いずれも第四曲目)
ハープ:吉野直子(第一曲目・第三曲目)

着席場所は、中央後方である。客の入りは9割程である。

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、今年は8月12日から9月7日までの日程で、歌劇・演奏会・劇音楽が開催される。このうち8月21日から8月30日までの間、「ふれあいコンサート」という名の室内楽演奏会が、それぞれ奏者・プログラムを変え計3公演に渡って繰り広げられる。この評は、第三回目「ふれあいコンサート3」に対するものである。

この演奏会には、ヴァイオリンはない。また、米国の現代音楽作曲家で昨年103歳で亡くなったエリオット=カーターが、1988年に作曲した作品も取り上げられる。

第一曲目、モーツァルトの「アダージョとロンド」は端正な演奏だ。アダージョは速度記号通り、ロンドはゆっくり目である。モーツァルトの曲想を率直に活かしている。

第二曲目、カーター「フルートとチェロのための『魔法を掛けられた前奏曲』」は、チェロのイズー=シュアのニュアンスに富んだ演奏が印象的だ。終盤に近づくにつれフルートも乗って来て、チェロとフルートとの相乗作用が効いた演奏である。

第三曲目、ラヴェルのソナチネは、さらに精緻な演奏となる。ラヴェルが書いた楽譜通りの意図を再現する方向性の演奏ではあるが、ジャック=ズーン、イズー=シュア、吉野直子のいずれもが、深くこの曲を理解し、三者の役割と相関性が活きた秀逸なる演奏である。この演奏会の白眉だ。

休憩後、モーツァルトのセレナード第11番は、出だしの響きこそ期待させるものであるが、あまりに音量が大きすぎて、私の聴覚の許容容量を超えている。演奏終了後三十分後でも、耳に痛みが残る演奏で、そもそも評価以前の演奏である。ここはすみだトリフォニーホールでもなければ、愛知県芸術劇場コンサートホールといった大ホールでは無いので、大管弦楽のノリとは違った、響きについての基本的な配慮が必要である。

予想外にアンコールが一つあり、シャルル=グノー作の「9つの管楽器のための小交響曲」より、第2楽章アンダンテ-カンタービレである。再びフルートが登場するが、そのジャック=ズーンのフルートがあまりに凄すぎる。モーツァルトのセレナードで暴走した他の奏者が同じように核分裂を引き起こしても、一人で合奏を破綻から救い、朗々と、安定感があって、それでいて歌うような、夢見るような、うっとりさせられるフルートを披露した。ジャック=ズーンのフルートで救われた演奏会であった。

2013年8月28日水曜日

サイトウ-キネン-フェスティバル-松本 歌劇「こどもと魔法」・「スペインの時」 評

2013年8月28日 水曜日
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)

演目:
モーリス=ラヴェル 「こどもと魔法」
(休憩)
モーリス=ラヴェル 「スペインの時」

「こどもと魔法」
こども:イザベル=レナード
肘掛椅子・木:ポール=ガイ
母親・中国茶碗・とんぼ:イヴォンヌ=ネフ
火・お姫様・うぐいす:アナ=クリスティ
雌猫・りす:マリー=ルノルマン
大時計・雄猫:エリオット=マドア
小さな老人・雨蛙・ティーポット:ジャン-ポール=フーシェクール
安楽椅子・こうもり:藤谷佳奈枝

合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団・サイトウ-キネン-フェスティバル松本児童合唱団

演出:ロラン=ペリー
装置:バーバラ=デリンバーグ
衣装:ロラン=ペリー・ジャン-ジャック=デルモット
照明:ジョエル=アダン
管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:小澤征爾 ピエール=ヴァレー


「スペインの時」
コンセプシオン(時計屋の女房):イザベル=レナード
ラミロ(ロバ引き):エリオット=マドア
トルケマダ(時計屋):ジャン-ポール=フーシェクール
ゴンザルヴ(詩人気取りの学生):デイビット=ポーティロ
ドン・イニーゴ・ゴメス(銀行家):ポール=ガイ

演出:ロラン=ペリー
装置:キャロリーヌ=ジネ(オリジナルデザイン:キャロリーヌ=ジネ・フロランス=エヴラール
衣装:ロラン=ペリー・ジャン-ジャック=デルモット
照明:ジョエル=アダン
管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:ステファヌ=ドゥネーヴ

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、今年は8月12日から9月7日までの日程で、歌劇・演奏会・劇音楽が開催される。歌劇公演は、8月23日から8月31日までの間、計4公演に渡って繰り広げられる。この評は、第三回目8月28日の公演に対するものである。

今回の公演は、モーリス=ラヴェルの短めな歌劇を二演目上演する。休憩前が「子どもと魔法」、休憩後が「スペインの時」である。なお、これらの歌劇は、グラインドボーン音楽祭との共同制作による。

着席位置は三階上手側前方、9割5分の入りである。おそらく追加発売された席の中で売れなかった席があったものと思われ、特に三階・四階下手側側方席は空席が目立つ。

休憩前の前半は、小澤征爾指揮の「こどもと魔法」である。懸念されていた小澤征爾の降板はなく、その他の配役も全て当初の予定通りである。

私は歌い手に対しては、協奏曲に於けるソリストのような役割を求めるが、このような響きを求める私にとっては、必ずしも全てに賛同できる演奏ではない。しかしながら、総じて歌い手と管弦楽とが溶け合った響きを随所に見せ、2010年頃までのサイトウ-キネン-フェスティバルの歌劇で見せつけられたような、歌い手と管弦楽とが融合せずにバラバラに歌い演奏している点は、限定されており、許容できる内容である。

主役のイザベル=レナードの出来は、一応合格点を与えることができる出来である。同じ歌い手が複数の役を演じるため、歌い手と登場人物との関係を掴むのに苦労させられるが、それでも中国茶碗のイヴォンヌ=ネフ、雌猫のマリー=ルノルマン、安楽椅子の藤谷佳奈枝が印象に残る。

管弦楽はラヴェルが意図した多様な響きを、明瞭かつ精緻さをもって再現し魅了させられる。特に第二場前半の群舞のシーンが印象的で、小澤征爾の数少ない名演である、水戸室内管弦楽団との「マ-メール-ロア」のライブを思い出すほどだ。

休憩後の後半は「スペインの時」で指揮はステファヌ=ドゥネーヴとなる。これも当初の予定通りである。

舞台芸術等視覚的な部分は見事に出来ており、五人の歌い手の演劇的な要素は良く考えられている。しかしながら、音楽的な要素では、歌い手と管弦楽の統一感がなく、時計屋の主人役であるジャン-ポール=フーシェクール以外の男の歌い手も声量不足で、何を考えているか分からないものである。山田和樹と出会う前の、サイトウ-キネンのオペラを思い起こさせる、ひどい出来だ。ペネロペ=クルスを思わせる印象を与えるイザベル=レナードは、かろうじて主役としての役割を演じることが出来ているか。

天皇皇后両陛下が「スペインの時」を観劇せずに退席したのは当然の出来で、これはパンティ脱ぎ捨てシーンを皇族に見せるわけにはいかないという、訳のわからない配慮以前の問題で、純音楽的な問題としてそこまでの水準に達していなかった。

小澤征爾は一応復活したが、サイトウ-キネン-フェスティバルの歌劇の水準としては、例年より少し優れているといったところであろうか。

2013年8月27日火曜日

追加ラベル (サイトウ-キネン-フェスティバル 室内楽演奏会「ふれあいコンサート2」 評 関連)

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サイトウ-キネン-フェスティバル 室内楽演奏会「ふれあいコンサート2」 評

2013年8月27日 火曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ三重奏曲第3番 K.502
クロード=ドビュッシー フルートとヴィオラ、ハープのためのソナタ
(休憩)
アントニーン=ドヴォルジャーク ピアノ五重奏曲 op.81 B.155

ヴァイオリン:原田幸一郎・渡辺實和子
ヴィオラ:今井信子
ヴァイオリン-チェロ:原田禎夫
フルート:セヴァスチャン=ジャコー
ハープ:吉野直子
ピアノ:野平一郎

着席場所は、後方上手側である。客の入りはほぼ満席である。

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、今年は8月12日から9月7日までの日程で、歌劇・演奏会・劇音楽が開催される。このうち8月21日から8月30日までの間、「ふれあいコンサート」という名の室内楽演奏会が、それぞれ奏者・プログラムを変え計3公演に渡って繰り広げられる。この評は、第二回目「ふれあいコンサート2」に対するものである。

第一曲目、モーツァルトのピアノ三重奏曲は、野平一郎のピアノのみを引き立たせたアプローチなのだろうか。ピアノは終始明瞭さを保った安定した響きでリードしている。それでも、ヴァイオリンの渡辺實和子は音量が小さく、パッションがあまり表出せず、音に明瞭さを感じない状態で、やや精彩を欠いていたように思える。

第一楽章冒頭部ではややチグハグな印象があったが、曲が進むにつれて溶け込むような響きを指向している部分が決まっているところでは、それなりに聴く事ができる出来になっている。

第二曲目、ドビュッシー「フルートとヴィオラ、ハープのためのソナタ」は最も完成度の高い出来で、ドビュッシーが楽譜で表現した内容を敢えていじらずに、作曲者の意図を見事に表現する演奏であると言えるだろうか。

フルートの安定感ある響きや、多くの音を出しながら意外に地味な役割に徹するハープはいずれも素晴らしいものであるが、特筆すべき点と言えば、やはりヴィオラの活躍であるだろう。

この曲は、ヴィオラが果たすべき責務が非常に大きい曲であるが、その求められている多彩な音色を、今井信子は見事に表現していく。ドビュッシーが意図した華やかな世界が再現され、観客はその世界に酔いしれる。この曲のヴィオラが今井信子であって良かったと思えるひと時だ。

休憩後、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲は、ピアノと第一ヴァイオリンの枢軸が機能し、要所でチェロ(原田禎夫)の低音が良く響く展開となる。ピアノの野平一郎は、第一曲目と同様安定感ある明瞭な美しい響きで、終始魅了させられる。一方で第一ヴァイオリンの原田幸一郎はパッションを込めてピアノとの対立軸を示し、演奏にアクセントをつける役割を果たしていく。この枢軸に他の三人を巻き込んで熱気あふれる演奏となる。精緻さよりはパッションの表出をやや優先させた印象が強い演奏であった。

2013年8月25日日曜日

菊池洋子 ピアノ-リサイタル 評

2013年8月25日 日曜日
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツアルト:ロンド K.485
ヴォルフガング=アマデウス=モーツアルト:ピアノ-ソナタ 「トルコ行進曲付き」 K.331
(休憩)
モーリス=ラヴェル:水の戯れ 
モーリス=ラヴェル:ソナチネ
クロード=ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女 
クロード=ドビュッシー:アラベスク第1番 
フレデリック=ショパン:エオリアンハープ 
リスト=フェレンツ:愛の夢第3番 
フレデリック=ショパン:バラード第1番 
フレデリック=ショパン:ポロネーズ第6番「英雄」

ピアノ:菊池洋子

着席場所は、中央後方やや上手側である。客の入りは7割程である。舞台上手側の平土間と二階席に、特に空席が目立った。ピアノの音って、上手側に飛んでいくみたいだけど、視覚面が重視されるのか。

今日の菊池洋子の衣装は、何とも名状し難い上品な青色系統のロングドレス、私の携帯電話にある色見本アプリで、「新橋色」を濃くしたような色である。背は高く、諏訪内晶子のような髪型で、三割ほどの髪を体の左前に持ってくる。スラっとした体格で、モデルとして紹介されたら誰もが信じてしまう程の美しさだ。実際写真よりも綺麗な女性である。

前半はモーツァルトが二曲である。ロンドK.485は速めのテンポであるが、ちょっとついていけない感じで、やや単調である。

モーツァルトについては、二曲目のピアノ-ソナタK.331の方が断然良い出来だ。冒頭は遅めのテンポで始まり、そのテンポを揺るがせて観客の心を掴む。変奏曲の性格を持つこの曲らしく、それぞれのバリエーションでそのバリエーションに沿った表現で多彩な性格を浮き彫りにする。変奏部に入ると、一見あまり独自色を出さないように思わせて置きながら、意外なところで個性を出している演奏だ。

わずか30分ほどで休憩に入る。

休憩後はラヴェル・ドビュッシー・ショパン・リストの名曲集の構成となる。菊池洋子自身がマイクを持って、曲の案内をして二曲ずつ演奏をしていくスタイルだ。

ラヴェル・ドビュッシーでは、モーツァルトよりも完成度の高い、明晰度の高い演奏だ。音の響きが前半とは打って変わってクリアになったように思える。抑揚やテンポの扱いは、おそらく楽譜に書かれた通りで独自にいじったりはせず、ラヴェル・ドビュッシーの才能をそのまま再現するかのような演奏である。

彼女は2002年モーツァルト国際コンクールに優勝したようであるが、そのチラシでの宣伝文句とは裏腹に、実は一番得意な分野はフランス音楽かと思わせるかのようだ。彼女のセンスと相性がピッタリあっているように感じられる。

ショパンの「エオリアンハープ」とリストの「愛の夢」第3番は、連続して演奏だ。予め、同じ調性の曲であり、拍手なしで連続して演奏すると雰囲気が醸し出せる旨説明をして、演奏に入る。この二曲も、曲の持ち味をそのまま活かした演奏で、違う作曲家でありながら連続した演奏をする事により、これほどまで味わい深い流れになるのかと思い知らされる。

最後の二曲は、ショパンのバラード1番と英雄ポロネーズである。マイクによる説明なしで演奏が開始される。ここでまた彼女の音作りに変化が生じ、独自のパッションを効かせ始める。バラードの方では、速く演奏する部分で若干荒さがあるが、英雄ポロネーズでは実によく考えられた展開だ。大抵の演奏で強調してるところを敢えて弱めに引き、彼女が独自に本当に強調したいところで一気に攻勢を掛け、コントラストを引き立たせる。かなり冒険的なアプローチであり、この点で好みが別れるのだろうけど、私にとっては興味深い展開だ。

アンコールは、ショパンのノクターンと、アルベニスのタンゴであった。

それにしても、10月26日小金井市民交流センターでの演奏会のチラシがプログラムに挟み込まれていて、これには「モーツァルトの使徒—清澄かつ華麗なる響きをもつ正統派」などと、まあ凄いコピーが入っているが、これはちょっと誤解を与えるのではないかなと思う。私は横で見物していただけだが、サイン会はかなり早く始まり、異例な程丁寧な交流をされているのが印象的であった。