2013年9月28日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
曲目:
ヨーゼフ=ハイドン ディヴェルティメント Hob.II-46
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト(ハーゼル編曲) 自動オルガンのための幻想曲 K. 594
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト(ハーゼル編曲) セレナーデ K.388
(休憩)
ジャック=イベール 木管五重奏のための3つの小品
ダリウス=ミヨー 組曲「ルネ王の暖炉」 op.205
パウル=ヒンデミット 5つの管楽器のための小室内音楽 op.24-2
ベルリン-フィルハーモニー木管五重奏団(Berlin Philharmonic Wind Quintet)
フルート:ミヒャエル=ハーゼル
オーボエ:アンドレアス=ヴィットマン
クラリネット:ヴァルター=ザイファルト
ホルン:ファーガス=マクウィリアム
ファゴット:マリオン=ラインハルト
着席場所は、一階ど真ん中である。チケットは全て売り切れている。
同じプログラムでの演奏会は、9月29日に戸塚区民文化センター さくらプラザ(神奈川県横浜市)開館記念公演でも開催されるが、彩の国さいたま芸術劇場の音響に勝るはずはなく、当然の事として与野公演を選択する事となる。
この他にも私が把握している範囲内で、高知県四万十市でも四万十国際音楽祭の一環として、前半部のプログラムを組み替えた形の公演があり、(未曾有の事故を発生させた福島第一原子力発電所に近い)福島県相馬市でも、相馬子どもオーケストラとの交流コンサートに臨んでいる。
前半は、曲目が曲目もあり、誤解を恐れずに言えば、極上の子守り唄を聴いている気分になる。特に、最初の二曲は安全運転に徹した印象が強い。しかしながら、個々の技術は完璧であることがよく分かる。残響のみを残したい時に、楽器をすぐに唇から話すのは、彩の国さいたま芸術劇場の豊かな残響を踏まえての事だろう。無意識の内に演奏者自身で残響を作り出さないようにしているのだろうか、すっと音を落とすだけで残響のみに委ねる事ができる、このホールならではのテクニックであろう。
後半に入ると、彼ら彼女の本領を発揮しやすい曲目になる事もあり、次第にパッションを込めた演奏になっていく。そうは言っても、決してパッションを前面に出すと言うわけではなく、アンサンブルの精緻さや構成を最も重視していて、これを実現させるためのパッションと言うべきか。
特に傑出した箇所は、ミヨーの組曲「ルネ王の暖炉」第7曲のフルートとクラリネットとがコンマ10桁のズレもなく、一つのオルガンのような音色を発しながらホルンも加わって曲を終える所と、ヒンデミット「5つの管楽器のための小室内音楽」第5曲で、他の器楽で盛り上げた所で一つの楽器がソリスティックな演奏を披露する所である。五人にソリスティックな演奏を披露する機会が与えられるが、全員が朗々として安定感があり、それでいてパッションを込めた完璧なソロを奏でるのだ。まるでこのヒンデミットの曲のために、この木管五重奏団を結成したとしか考えられない。
総じて、よく考えられた構成を、抜群の個々のの技術で裏打ちしつつも、五重奏としての統一感を究極まで精密に感じさせた演奏である。世界最高のベルリン-フィルの管楽の中でも最良の部分を味わえ、極めて充実した演奏である。観客の拍手が暖かく響き、演奏者も気持ち良く演奏できたであろう。
私は11月のベルリン-フィルの演奏会には行けないし、「春の祭典」も聴けないけど、一人ひとりが即ソリストになれ、室内楽団を作れる実力があることが理解できた。今夜のベルリン-フィル木管五重奏団の演奏会に行けて良かったと思っている。ベルリン-フィルの演奏会の臨席できるものは、その精緻な響きを楽しんでほしい。
アンコールは、ジュリオ=メダリア(Julio Medaglia)の「ヴァルス-ポーリスタ」(Vals paulista)と、瀧廉太郎(ミヒャエル・ハーゼル編曲)の「荒城の月」であった。