2017年6月3日 土曜日
Saturday 3rd June 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
吉松隆/ Yoshimatsu Takashi: 「鳥は静かに…」 / ‘And Birds are Still...’ op.72
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Concerto per violino e orchestra op.35
(休憩)
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: Sinfonia n.12 op.112 ≪1917-й год≫ 「1917年」
violino: Noah Bendix-Balgley (ノア=ベンディックス-バルグリー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 川瀬賢太郎 / Kawase Kentaro
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、米国生まれのノア=ベンディックス-バルグリー(ヴァイオリン)をソリストに、川瀬賢太郎を指揮者に迎えて、2017年6月2日・3日に愛知県芸術劇場で、第446回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を別とすれば、吉松隆による1998年の作品「鳥は静かに…」、ドミトリー=ショスタコーヴィチの交響曲第12番と、近現代音楽から構成されている。バランスが取れた曲目と言えるかもしれない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は中央最後方下手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、時折ノイズはあったものの、概ね良好であった。
「鳥は静かに...」は、弦楽のみによる神経を通わした演奏である。
二曲目のチャイコフスキーによるヴァイオリン協奏曲は、一言で言うと面白かった。
ヴァイオリンのNoah Bendix-Balgley は、特に第一楽章前半では遅めのテンポで朗々と奏でるような方向性の演奏で、少し小技を用いてニュアンスを掛けてはいるものの、眠くなりがちのように思えた。しかし、ヴァイオリンが休み管弦楽のみで最強奏全速前進し始めた箇所は、目が覚め、ここからが Noah と川瀬賢太郎とによる共謀作業が始める。Noah のカデンツァは、朗々とした美しい響きで、王道を歩む演奏だ。
第二楽章では、極限まで弱い響きにしたりするし。第三楽章冒頭で、Noah がリタルダンドを掛けるニュアンスはバッチリ効いた。第一楽章とは逆に、管弦楽だけで極端に遅いテンポにした箇所もあり、ニヤケてしまう。
一方で、Noah と川瀬賢太郎とによる構成はよく考えられており、ソリストと管弦楽との響きのバランスも取れており、記憶に留められない程の数々の仕掛けにより、個性溢れるチャイコフスキーを実現した。
好き嫌いが分かれそうな演奏であり、ブーイングとこれに対抗するブラヴォーが飛び交うかと期待、、じゃなかった、心配をしたが、観客の反応は思ったよりも暖かい反応で、その意味では、つまらなかった(←コラ
後半は、ショスタコーヴィッチの交響曲第12番である。前常任指揮者である Martyn Brabbins による、現代音楽の演奏により鍛え上げられた、名フィルの総力を結集した演奏である。弦管打全てが的確に絡み合い、全奏者が一致団結して成し遂げる演奏である。もちろん、どんな強奏になっても美しい響きを保つ管楽の力には注目させられるけど、弦楽も士気に溢れるパッションを出し、打楽もショスタコーヴィッチの求める躍動感を見事に表出する。全管弦楽が一体となったハーモニーの美しさが、どんなに速く強く演奏する箇所でも、常に保たれる。フル-オーケストラの威力を存分に堪能した演奏であった。
#名フィル446
2017年6月3日土曜日
2017年4月29日土曜日
New National Theatre Tokyo, Opera ‘Le nozze di Figaro’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「フィガロの結婚」 感想
2017年4月29日 土曜日
Saturday 29th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Opera ‘Le nozze di Figaro’ K.492
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
Il Conte Almaviva: Pietro Spagnoli
La Contessa: Aga Mikolaj
Figaro: Adam Palka
Susanna: 中村恵理 / Nakamura Eri
Cherubino: Jana Kurucová
Marcellina: 竹本節子 / Takemoto Setsuko
Bartolo: 久保田真澄 / Kubota Masumi
Basilio: 小山陽次郎 / Oyama Yojiro
Don Curzio: 糸賀修平 / Itoga Shuhei
Antonio: 晴雅彦 / Hare Masahiko
Barbarina: 吉原圭子 / Yoshihara Keiko
due Fanciulle: 岩本麻里 / Iwamoto Mari, 小林昌代 Kobayashi Masayo
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Production: Andreas Homoki
Set design: Frank Philipp Schlössmann
Costumes design: Mechthild Seipel
Lighting design: Franck Evin
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Constantin Trinks
新国立劇場は、2017年4月20日から29日までの日程で、コンスタンティン=トリンクスの指揮による歌劇「フィガロの結婚」を4公演開催した。この評は2017年4月29日に催された第四回目、千秋楽公演に対するものである。
着席位置は二階正面中央である。天皇陛下のお座りになる位置である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。
ソリストの出来について述べる。
4月23日の出来で最も素晴らしかったのは、ケルビーノ役の Jana Kurucová であったが、今日の公演では、ロジーナ役の Aga Mikolaj であった。
Aga Mikolaj は、4月23日公演では冒頭部の登場場面でのヴィブラートが気になったが、今日は特に美しく響いた。席の場所によるものかもしれない。
もちろん、ケルビーノ役の Jana Kurucová は今日も素晴らしい。また、マルチェリーナ役の竹本節子も、若い男に対する欲望と、母親としての慈愛を的確に表現した。
スザンナ役の中村恵理は、モーツァルトにしては重い声である。どうもソプラノを聴いた実感がない。メゾソプラノの Jana Kurucová の方が余程スザンナに向いているように思える私の感覚はおかしいか?
中村恵理を含め、他のソリストは、場面場面での出来不出来が激しいように思えた。
管弦楽については、やはり金管の実力が、モーツァルトやハイドンといったような、古典派だからこそ厳しく求められることを実感する。ホルンの出来は、素晴らしく溶け込んだハーモニーを構成したと思える箇所もあれば、ガタガタな場面でモーツァルトの意図を壊した場面もあり、モーツァルトの音楽が管弦楽奏者に求める残虐なまでの要求が露呈する結果となった。
Saturday 29th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Opera ‘Le nozze di Figaro’ K.492
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
Il Conte Almaviva: Pietro Spagnoli
La Contessa: Aga Mikolaj
Figaro: Adam Palka
Susanna: 中村恵理 / Nakamura Eri
Cherubino: Jana Kurucová
Marcellina: 竹本節子 / Takemoto Setsuko
Bartolo: 久保田真澄 / Kubota Masumi
Basilio: 小山陽次郎 / Oyama Yojiro
Don Curzio: 糸賀修平 / Itoga Shuhei
Antonio: 晴雅彦 / Hare Masahiko
Barbarina: 吉原圭子 / Yoshihara Keiko
due Fanciulle: 岩本麻里 / Iwamoto Mari, 小林昌代 Kobayashi Masayo
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Production: Andreas Homoki
Set design: Frank Philipp Schlössmann
Costumes design: Mechthild Seipel
Lighting design: Franck Evin
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Constantin Trinks
新国立劇場は、2017年4月20日から29日までの日程で、コンスタンティン=トリンクスの指揮による歌劇「フィガロの結婚」を4公演開催した。この評は2017年4月29日に催された第四回目、千秋楽公演に対するものである。
着席位置は二階正面中央である。天皇陛下のお座りになる位置である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。
ソリストの出来について述べる。
4月23日の出来で最も素晴らしかったのは、ケルビーノ役の Jana Kurucová であったが、今日の公演では、ロジーナ役の Aga Mikolaj であった。
Aga Mikolaj は、4月23日公演では冒頭部の登場場面でのヴィブラートが気になったが、今日は特に美しく響いた。席の場所によるものかもしれない。
もちろん、ケルビーノ役の Jana Kurucová は今日も素晴らしい。また、マルチェリーナ役の竹本節子も、若い男に対する欲望と、母親としての慈愛を的確に表現した。
スザンナ役の中村恵理は、モーツァルトにしては重い声である。どうもソプラノを聴いた実感がない。メゾソプラノの Jana Kurucová の方が余程スザンナに向いているように思える私の感覚はおかしいか?
中村恵理を含め、他のソリストは、場面場面での出来不出来が激しいように思えた。
管弦楽については、やはり金管の実力が、モーツァルトやハイドンといったような、古典派だからこそ厳しく求められることを実感する。ホルンの出来は、素晴らしく溶け込んだハーモニーを構成したと思える箇所もあれば、ガタガタな場面でモーツァルトの意図を壊した場面もあり、モーツァルトの音楽が管弦楽奏者に求める残虐なまでの要求が露呈する結果となった。
2017年4月22日土曜日
Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo, the 106th Subscription Concert, review 第106回 紀尾井ホール室内管弦楽団 定期演奏会 評
2017年4月22日 土曜日
Saturday 22th April 2017
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: Concerto in Re
Johann Sebastian Bach: Concerto per due violini BWV1043
(休憩)
Franz Joseph Haydn: ‘Le sette ultime parole del nostro Redentore in croce’ Hob.XX/1A (十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉)
violino 1: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
violino 2: 千々岩英一 / Chijiiwa Eiichi
orchestra: Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo(紀尾井ホール室内管弦楽団)
direttore: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
紀尾井ホール室内管弦楽団(KCO)(旧紀尾井シンフォニエッタ東京(KST))は、ライナー=ホーネック=バラホフスキーをソリスト/指揮者に迎えて、2017年4月21日・22日に東京-紀尾井ホールで、第106回定期演奏会を開催した。旧名称による本拠地での演奏から10ヶ月ぶりの演奏となる。ストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」やハイドン「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」と言った、滅多に演奏されない曲目を演奏するなど、新名称になって初めての演奏会として意欲的なプログラムとなっている。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管後方上手側、ティンパニは最後方中央の位置につく。
着席位置は一階正面後方僅かに上手側、曲目がマイナーであるためかチケットは完売せず、当日券を売り出していたが、9割程の入りはあったか。サボっている定期会員もいた。観客の鑑賞態度は、時折細かいノイズはあったが、概ね良好出会った。最後の曲目の拍手が、指揮者の明確な合図があってから為されれば、なお良かったが。
第一曲目のストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」は、上手側の低弦が印象に残る。ヴィオラのソロらしき箇所が素晴らしく響く。
前半のソリスト(?)アンコールは、ヨーゼフ=ヘルメスベルガー父による第二曲目BWV1043の第三楽章のカデンツァで、これは面白かった。
後半は、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」。
まず、この知られていない曲目を取り上げたこと自体が快挙である。この緩徐楽章ばかりの難曲を、奇を衒わず的確な響きで、緊張感に満ちた演奏を繰り広げる。
序奏の強い響きで惹きつけ、その後も弱奏・強奏とも繊細で美しい響きである。管楽の入る箇所での響きの構成も的確である。Rainer Honeck によりよく考えれた構成のもとで、管弦楽にその趣旨が行き渡り、精緻な響きで実現させていく。縦の線がよく合うことが、単なる技術の見せびらかしでなく、シンプルで誤魔化しの効かないこの難曲を活かしていくのに、どれ程貢献しているか!
モダン系による演奏としては、このアプローチは正解であると思える。曲目の性質上、ヴィヴィッド路線でと言う訳にも行かまい。ピリオド系だと、どのようなアプローチになるのだろう?とも思うけど。
この曲を、紀尾井ホールとそも座付きの管弦楽で聴けたのは、幸せな体験であった。音響が優れた中規模ホールで、技倆のある室内管弦楽団でなければ実現出来ない企画を高いレベルで達成した。
大管弦楽は沢山あるクセに、室内管弦楽団がたった一つしかないこの東京で、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」を、紀尾井ホールの企画力と、その企画を高いレベルで実現する紀尾井ホール室内管弦楽団の実力により披露した意義は極めて大きい。
名称を変更した後の、初回の定期演奏会を、まずは意義深く達成した演奏会であった。
Saturday 22th April 2017
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: Concerto in Re
Johann Sebastian Bach: Concerto per due violini BWV1043
(休憩)
Franz Joseph Haydn: ‘Le sette ultime parole del nostro Redentore in croce’ Hob.XX/1A (十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉)
violino 1: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
violino 2: 千々岩英一 / Chijiiwa Eiichi
orchestra: Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo(紀尾井ホール室内管弦楽団)
direttore: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
紀尾井ホール室内管弦楽団(KCO)(旧紀尾井シンフォニエッタ東京(KST))は、ライナー=ホーネック=バラホフスキーをソリスト/指揮者に迎えて、2017年4月21日・22日に東京-紀尾井ホールで、第106回定期演奏会を開催した。旧名称による本拠地での演奏から10ヶ月ぶりの演奏となる。ストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」やハイドン「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」と言った、滅多に演奏されない曲目を演奏するなど、新名称になって初めての演奏会として意欲的なプログラムとなっている。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管後方上手側、ティンパニは最後方中央の位置につく。
着席位置は一階正面後方僅かに上手側、曲目がマイナーであるためかチケットは完売せず、当日券を売り出していたが、9割程の入りはあったか。サボっている定期会員もいた。観客の鑑賞態度は、時折細かいノイズはあったが、概ね良好出会った。最後の曲目の拍手が、指揮者の明確な合図があってから為されれば、なお良かったが。
第一曲目のストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」は、上手側の低弦が印象に残る。ヴィオラのソロらしき箇所が素晴らしく響く。
前半のソリスト(?)アンコールは、ヨーゼフ=ヘルメスベルガー父による第二曲目BWV1043の第三楽章のカデンツァで、これは面白かった。
後半は、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」。
まず、この知られていない曲目を取り上げたこと自体が快挙である。この緩徐楽章ばかりの難曲を、奇を衒わず的確な響きで、緊張感に満ちた演奏を繰り広げる。
序奏の強い響きで惹きつけ、その後も弱奏・強奏とも繊細で美しい響きである。管楽の入る箇所での響きの構成も的確である。Rainer Honeck によりよく考えれた構成のもとで、管弦楽にその趣旨が行き渡り、精緻な響きで実現させていく。縦の線がよく合うことが、単なる技術の見せびらかしでなく、シンプルで誤魔化しの効かないこの難曲を活かしていくのに、どれ程貢献しているか!
モダン系による演奏としては、このアプローチは正解であると思える。曲目の性質上、ヴィヴィッド路線でと言う訳にも行かまい。ピリオド系だと、どのようなアプローチになるのだろう?とも思うけど。
この曲を、紀尾井ホールとそも座付きの管弦楽で聴けたのは、幸せな体験であった。音響が優れた中規模ホールで、技倆のある室内管弦楽団でなければ実現出来ない企画を高いレベルで達成した。
大管弦楽は沢山あるクセに、室内管弦楽団がたった一つしかないこの東京で、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」を、紀尾井ホールの企画力と、その企画を高いレベルで実現する紀尾井ホール室内管弦楽団の実力により披露した意義は極めて大きい。
名称を変更した後の、初回の定期演奏会を、まずは意義深く達成した演奏会であった。
2017年4月16日日曜日
Bach Collegium Japan, Passione secondo Matteo (J.S. Bach) Matsumoto Concert (2017), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「マタイ受難曲」松本演奏会 評
2017年4月16日 日曜日
Sunday 16th April 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244
soprano: Hannah Morrison
soprano: 松井亜希 / Matsui Aki
contralto: Robin Blaze
contralto: 青木洋也 / Aoki Hiroya
Evangelista: Benjamin Bruns
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Christian Immler
basso: 加耒徹 / Kaku Toru
coro e orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki
バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2017年4月13日から16日までにかけて、J.S.バッハの マタイ受難曲 演奏会を、名古屋・東京・与野(埼玉県)・松本にて開催した。この評は、千秋楽2017年4月16日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
管弦楽配置は、ヴァイオリンとヴィオラは左右対称に配置し、通奏低音は中央に置く。ホールのオルガンは使わず、通奏低音奏者の後ろでポジティフオルガンを二台置いた。歌い手は管弦楽の後ろを取り囲むように配置し、福音史家は指揮者のすぐそばに、他のソロパートは、最後方中央から歌ったり、指揮者のそばだったり、管弦楽の中に混じる場所だったりと、場面に応じた場所での歌唱となる。
着席位置は一階正面後方ほぼ中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、曲終了直後のBravoは残念だった。連鎖反応で鈴木雅明さんが手を下ろしていないのに満場の拍手となってしまったのは残念だ。通常松本では、余韻は守られることが多いが、県外からの聴衆がやってしまったか?
やはり、福音史家 Evangelista役の Benjamin Bruns は世界最高だと思う。「マタイ受難曲」の福音史家役で、これだけの素晴らしさを見せつけられたら、彼以外の歌い手は考えられない。あまりの別格ぶりに唖然とするしかない。
声の美しさ、ニュアンスの付け方、ホールの響きを味方につける巧みさ、綿密に響きを計算する構築力、全部完璧である。
残響が豊かである故に綺麗な響きを作り上げるのが難しい、松本市音楽文化ホールの飽和点を的確に認識して最高音を設定し、ホールの残響を計算して大胆に踏み込み、美しい響きで実現させる技には感嘆するしかない。
通奏低音はエッジを効かせる箇所もあり、ニュアンスを楽しめた。後ろで短いソロを披露する歌い手の皆様も随所で見事である。
また、Christian Immler のソロの他、私の好みとしては青木洋也のただ一箇所の長いソロも聴き惚れる。
重ねて書くが、松本市音楽文化ホールのような響くホールは、響きのコントロールや組み立て方が難しい。BCJにとって初めての場所、で当日に臨んで戸惑われたかも知れないけれど、だんだん響きがホールと馴染んでくるのはさすがである。若松夏美さんのソロはじめ、管弦楽も素晴らしかった。
Sunday 16th April 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244
soprano: Hannah Morrison
soprano: 松井亜希 / Matsui Aki
contralto: Robin Blaze
contralto: 青木洋也 / Aoki Hiroya
Evangelista: Benjamin Bruns
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Christian Immler
basso: 加耒徹 / Kaku Toru
coro e orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki
バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2017年4月13日から16日までにかけて、J.S.バッハの マタイ受難曲 演奏会を、名古屋・東京・与野(埼玉県)・松本にて開催した。この評は、千秋楽2017年4月16日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
管弦楽配置は、ヴァイオリンとヴィオラは左右対称に配置し、通奏低音は中央に置く。ホールのオルガンは使わず、通奏低音奏者の後ろでポジティフオルガンを二台置いた。歌い手は管弦楽の後ろを取り囲むように配置し、福音史家は指揮者のすぐそばに、他のソロパートは、最後方中央から歌ったり、指揮者のそばだったり、管弦楽の中に混じる場所だったりと、場面に応じた場所での歌唱となる。
着席位置は一階正面後方ほぼ中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、曲終了直後のBravoは残念だった。連鎖反応で鈴木雅明さんが手を下ろしていないのに満場の拍手となってしまったのは残念だ。通常松本では、余韻は守られることが多いが、県外からの聴衆がやってしまったか?
やはり、福音史家 Evangelista役の Benjamin Bruns は世界最高だと思う。「マタイ受難曲」の福音史家役で、これだけの素晴らしさを見せつけられたら、彼以外の歌い手は考えられない。あまりの別格ぶりに唖然とするしかない。
声の美しさ、ニュアンスの付け方、ホールの響きを味方につける巧みさ、綿密に響きを計算する構築力、全部完璧である。
残響が豊かである故に綺麗な響きを作り上げるのが難しい、松本市音楽文化ホールの飽和点を的確に認識して最高音を設定し、ホールの残響を計算して大胆に踏み込み、美しい響きで実現させる技には感嘆するしかない。
通奏低音はエッジを効かせる箇所もあり、ニュアンスを楽しめた。後ろで短いソロを披露する歌い手の皆様も随所で見事である。
また、Christian Immler のソロの他、私の好みとしては青木洋也のただ一箇所の長いソロも聴き惚れる。
重ねて書くが、松本市音楽文化ホールのような響くホールは、響きのコントロールや組み立て方が難しい。BCJにとって初めての場所、で当日に臨んで戸惑われたかも知れないけれど、だんだん響きがホールと馴染んでくるのはさすがである。若松夏美さんのソロはじめ、管弦楽も素晴らしかった。
2017年4月15日土曜日
New National Theatre Tokyo, Opera ‘Otello’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「オテロ」 感想
2017年4月15日 土曜日
Saturday 15th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Giuseppe Verdi: Opera ‘Otello’
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「オテロ」
Otello: Carlo Ventre
Desdemona: Serena Farnocchia
Iago: Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov
Lodovico: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Cassio: 与儀巧 / Yogi Takumi
Emilia: 清水華澄 / Shimizu Kasumi
Roderigo: 村上敏明 / Murakami Toshiaki
Montano: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
un Araldo: Tang Jun Bo
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Setagaya Junior Chorus (児童合唱:世田谷ジュニア合唱団)
Production: Mario Martone
Set design: Margherita Palli
Costumes design: Ursula Patzak
Lighting design: 川口雅弘 / Kawaguchi Masahiro
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Paolo Carignani
新国立劇場は、2017年4月9日から22日までの日程で、パオロ=カリニャーニの指揮による歌劇「オテロ」を5公演開催する。この評は2017年4月15日に催された第三回目の公演に対するものである。
着席位置は一階正面ど真ん中である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、特に前半は、一階席中央はノイズが目立った。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。50トンもの水を用い、ヴェネツィアの街を再現した舞台は美しい。舞台中央に置かれた寝室は、廻り舞台となっている。オケピット下手側には橋が架けられ、第一幕でのオテロ他の客席側からの登場の場面や、第三幕冒頭での幕をスノコまで上げないシーンで、舞台効果を発揮した。実に素晴らしい舞台装置である。
休憩は、第二幕と第三幕との間で一回だけ設けられた。以下、前半は第一幕・第二幕、後半は第三幕・第四幕を言う。
ソリストの出来について述べる。
題名役 Otello を演じた Carlo Ventre は、第一幕や第三幕冒頭、第三幕の Otello・Cassio・Iagoの三重唱の場面で、ニュアンスに乏しい単調な場面があった難点はあるが、概して声量はあり、第四幕は素晴らしい出来であった。
Desdemona を演じた Serena Farnocchia は、得意とする声域で伸びやかに歌う場面は比較的良いが、低めの声域では声量がなく、声が特別美しい訳でもなかった。それでも何故か第四幕では、一応決めたと言えるか?ソプラノを聴いた実感は、薄かった。
Iago役の Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov は、声量が新国立劇場の巨大さとマッチしていないのが残念である。1000席前後の中小規模の歌劇場であれば、良い方向で変わった結果が得られたかもしれない。第三幕での装飾音を決める場面の出来は、良くなかった。歌で決めるべき場面では確実に決めて欲しい。観客は演劇を観に来たのではなく、音楽を聴きに来ているのだから。
日本人キャストでは、前半で Cassio 役の与儀巧 / Yogi Takumi 、第四幕で Emilia 役の清水華澄 / Shimizu Kasumi 、総督大使役の 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu は素晴らしい。
総じて、美しい歌声を楽しむ感じではなく、第二幕終盤で Otello 役と Iago 役とで縦の線が乱れるなど、前半部では低調であった。
最も素晴らしかったのは管弦楽の東フィルであった。この「オテロ」では、管弦楽は煽る傾向にあったが、指揮者の要求に的確に応えたと言える。第三幕での総督大使到着の場面での、金管の精緻な演奏は見事であった。
Saturday 15th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Giuseppe Verdi: Opera ‘Otello’
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「オテロ」
Otello: Carlo Ventre
Desdemona: Serena Farnocchia
Iago: Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov
Lodovico: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Cassio: 与儀巧 / Yogi Takumi
Emilia: 清水華澄 / Shimizu Kasumi
Roderigo: 村上敏明 / Murakami Toshiaki
Montano: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
un Araldo: Tang Jun Bo
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Setagaya Junior Chorus (児童合唱:世田谷ジュニア合唱団)
Production: Mario Martone
Set design: Margherita Palli
Costumes design: Ursula Patzak
Lighting design: 川口雅弘 / Kawaguchi Masahiro
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Paolo Carignani
新国立劇場は、2017年4月9日から22日までの日程で、パオロ=カリニャーニの指揮による歌劇「オテロ」を5公演開催する。この評は2017年4月15日に催された第三回目の公演に対するものである。
着席位置は一階正面ど真ん中である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、特に前半は、一階席中央はノイズが目立った。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。50トンもの水を用い、ヴェネツィアの街を再現した舞台は美しい。舞台中央に置かれた寝室は、廻り舞台となっている。オケピット下手側には橋が架けられ、第一幕でのオテロ他の客席側からの登場の場面や、第三幕冒頭での幕をスノコまで上げないシーンで、舞台効果を発揮した。実に素晴らしい舞台装置である。
休憩は、第二幕と第三幕との間で一回だけ設けられた。以下、前半は第一幕・第二幕、後半は第三幕・第四幕を言う。
ソリストの出来について述べる。
題名役 Otello を演じた Carlo Ventre は、第一幕や第三幕冒頭、第三幕の Otello・Cassio・Iagoの三重唱の場面で、ニュアンスに乏しい単調な場面があった難点はあるが、概して声量はあり、第四幕は素晴らしい出来であった。
Desdemona を演じた Serena Farnocchia は、得意とする声域で伸びやかに歌う場面は比較的良いが、低めの声域では声量がなく、声が特別美しい訳でもなかった。それでも何故か第四幕では、一応決めたと言えるか?ソプラノを聴いた実感は、薄かった。
Iago役の Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov は、声量が新国立劇場の巨大さとマッチしていないのが残念である。1000席前後の中小規模の歌劇場であれば、良い方向で変わった結果が得られたかもしれない。第三幕での装飾音を決める場面の出来は、良くなかった。歌で決めるべき場面では確実に決めて欲しい。観客は演劇を観に来たのではなく、音楽を聴きに来ているのだから。
日本人キャストでは、前半で Cassio 役の与儀巧 / Yogi Takumi 、第四幕で Emilia 役の清水華澄 / Shimizu Kasumi 、総督大使役の 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu は素晴らしい。
総じて、美しい歌声を楽しむ感じではなく、第二幕終盤で Otello 役と Iago 役とで縦の線が乱れるなど、前半部では低調であった。
最も素晴らしかったのは管弦楽の東フィルであった。この「オテロ」では、管弦楽は煽る傾向にあったが、指揮者の要求に的確に応えたと言える。第三幕での総督大使到着の場面での、金管の精緻な演奏は見事であった。
2017年3月26日日曜日
New National Theatre Tokyo, Opera ‘Lucia di Lammermoor’ (26th March 2017) review 新国立劇場 歌劇「ランメルモールのルチア」 感想
2017年3月26日 日曜日
Sunday 26th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji
armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti
新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月26日に催された第五回目千秋楽の公演に対するものである。
着席位置は一階正面上手側である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。
私にとっては、3月20日の公演とは打って変わって、総じて素晴らしい公演になった。
ソリストの出来について述べる。
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、結果的に素晴らしかったとは言えるが、手放しでの賛辞ではない。
Olga Peretyatko オルガ=ペレチャッコは、3月20日公演と比べたら断然良い出来に思える。音域が変化する場所で自然な遷移にならなかったり、不自然さを感じさせたり、音程に甘さを感じさせた箇所もあり、何よりもルチア役に求められる中低音領域の弱さは気になる。ベルカントの歌い手として売りにするのは疑問を呈せざるを得ない。しかしながら、高音域スイートポイントの美声とコントロール、勢いで観客を力づくでノックアウトした感じである。
それでも、第三幕で一回目に倒れる直前の、ルチア役とアルモニカとによるフーガの場面はほぼ完璧だったと言えるし、第二幕六重唱の箇所でのアクセントは的確であるし、第三幕で最低限掛けるべき装飾音も、美声と勢いとで乗り切った。
3月20日公演では気になったヴィブラートも、今日は美声の印象が強い。
Olga Peretyatko の苦手とする部分は、結果的に、得意の高音部の美声と勢いとで糊塗することに、成功したか。是非はともかく、まあいいや!って感じではある。
Edgardo: Ismael Jordi
勢いで観客をノックアウトした Olga Peretyatko とは対照的に、的確な声で攻めたのは、エドガルド役の Ismael Jordi イスマエル=ホルディ(新国立劇場の表記ではイスマエル=ジョルディです)でしょう。
終始特に音域上で得意不得意を感じさせない、堅実な技巧を感じさせる。
Enrico: Artur Rucinski
エンリーコ役の Artur Rucinski アルトゥール=ルチンスキーも、要所で堅実な技巧を見せる。印象的な箇所は、第二幕六重唱の部分で掛けるアクセントで、ペレチャッコと同様に的確であった。
日本人ソリストについて述べる。
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
教師として、威厳と貫禄を感じさせた。
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
両者とも、要所で十分な声量をもって劇場内の空間を満たし、外国人ソリスト頼みにせず、歌劇の緊張感を保った。
東フィルの金管楽器陣も、3月20日公演とは格段に違う高い水準の演奏である。もちろん、綺麗な弱奏が欲しいと感じさせる箇所もあるが、一方で第三幕冒頭部での的確な響きなど、聴かせる部分もあった。
本日の公演を通して、いろいろ突っ込み所はあるものの、総じて満足出来る公演で、スタオベも当然と納得する公演であった。
Sunday 26th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji
armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti
新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月26日に催された第五回目千秋楽の公演に対するものである。
着席位置は一階正面上手側である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。
私にとっては、3月20日の公演とは打って変わって、総じて素晴らしい公演になった。
ソリストの出来について述べる。
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、結果的に素晴らしかったとは言えるが、手放しでの賛辞ではない。
Olga Peretyatko オルガ=ペレチャッコは、3月20日公演と比べたら断然良い出来に思える。音域が変化する場所で自然な遷移にならなかったり、不自然さを感じさせたり、音程に甘さを感じさせた箇所もあり、何よりもルチア役に求められる中低音領域の弱さは気になる。ベルカントの歌い手として売りにするのは疑問を呈せざるを得ない。しかしながら、高音域スイートポイントの美声とコントロール、勢いで観客を力づくでノックアウトした感じである。
それでも、第三幕で一回目に倒れる直前の、ルチア役とアルモニカとによるフーガの場面はほぼ完璧だったと言えるし、第二幕六重唱の箇所でのアクセントは的確であるし、第三幕で最低限掛けるべき装飾音も、美声と勢いとで乗り切った。
3月20日公演では気になったヴィブラートも、今日は美声の印象が強い。
Olga Peretyatko の苦手とする部分は、結果的に、得意の高音部の美声と勢いとで糊塗することに、成功したか。是非はともかく、まあいいや!って感じではある。
Edgardo: Ismael Jordi
勢いで観客をノックアウトした Olga Peretyatko とは対照的に、的確な声で攻めたのは、エドガルド役の Ismael Jordi イスマエル=ホルディ(新国立劇場の表記ではイスマエル=ジョルディです)でしょう。
終始特に音域上で得意不得意を感じさせない、堅実な技巧を感じさせる。
Enrico: Artur Rucinski
エンリーコ役の Artur Rucinski アルトゥール=ルチンスキーも、要所で堅実な技巧を見せる。印象的な箇所は、第二幕六重唱の部分で掛けるアクセントで、ペレチャッコと同様に的確であった。
日本人ソリストについて述べる。
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
教師として、威厳と貫禄を感じさせた。
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
両者とも、要所で十分な声量をもって劇場内の空間を満たし、外国人ソリスト頼みにせず、歌劇の緊張感を保った。
東フィルの金管楽器陣も、3月20日公演とは格段に違う高い水準の演奏である。もちろん、綺麗な弱奏が欲しいと感じさせる箇所もあるが、一方で第三幕冒頭部での的確な響きなど、聴かせる部分もあった。
本日の公演を通して、いろいろ突っ込み所はあるものの、総じて満足出来る公演で、スタオベも当然と納得する公演であった。
2017年3月25日土曜日
Schiff András, recital, (25th March 2017), review シフ=アンドラーシュ 与野公演 評
2017年3月25日 土曜日
Saturday 25th March 2017
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per pianoforte n.17(16) K.570
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n.31 op.110
Franz Joseph Haydn: Sonata per pianoforte Hob. XVI:51
Franz Peter Schubert: Sonata per pianoforte n.20 D.959
pianoforte: Schiff András
マジャールのピアニスト、シフ=アンドラーシュは、2016年3月17日から25日に掛けて日本ツアーを実施し、リサイタルを、いずみホール(大阪市)、神奈川県立音楽堂(横浜市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)(2公演)、彩の国さいたま芸術劇場(埼玉県与野市)にて、計5公演開催する。理想的な音響となる中小規模ホールでの公演は、いずみホールと彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールの二か所だけである。
この評は、日本ツアー千秋楽である3月25日彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホールでの公演に対する評である。
着席位置は正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、極めて良好だった。
使用ピアノは、 Bösendorfer MODEL280VC である。ピアノの配置は、通常は上手側に真っ直ぐ向けられているものを、舞台奥側に15度ほど偏心させた。移動用の車輪は奏者に対して踏ん張るようにしてロックされた(通常はピアノの中心に向けてロックされる)。
休憩はなく、あたかも、一曲を一楽章とし、四曲をもって一つの曲にする意図を感じさせた。楽章間はアタッカ風に処理され、曲間も10秒も経過せずに次の曲が始められた。
彩の国さいたま芸術劇場の音楽ホールはやはり素晴らしく、モーツァルトやハイドンについてもマトモに響く。タケミツメモリアルでは、こうはいかなかっただろう。
感想は敢えて短く示そう。
シフの解釈は、引き算の解釈のように思える。これ見よがしのギアチェンジを行うことなく、自然な運びの中で、繊細に考えられた一音一音を奏でていく感じである。
私は、曲の刹那刹那を楽しむようなアプローチで臨んだ。Beethoven op.110 の第二楽章のある場面が、心に響く。
Bösendorfer MODEL280VC は、強奏部でもスタインウェイのような鋭い響きにならないところが、シフの解釈と曲想とに合致している印象を持つ。
機嫌が良かったのか、アンコールは何と7曲である。タケミツメモリアルでも、そのくらいの量のアンコールであったそうだ。シューベルトD.946から第一曲、J.S.バッハの「インヴェンション」1番 BWV772、同8番 BWV779、ベートーヴェン「6つのパガテル」から第6曲 op.126、シューベルトD.946から第三曲、J.S.バッハ パルティータ第四番から第五曲 サラバンド、最後はマジャールの作曲家 バルトーク=ベーラの「マジャールの旋律による三つのロンド」から第一曲であった。
Saturday 25th March 2017
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per pianoforte n.17(16) K.570
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n.31 op.110
Franz Joseph Haydn: Sonata per pianoforte Hob. XVI:51
Franz Peter Schubert: Sonata per pianoforte n.20 D.959
pianoforte: Schiff András
マジャールのピアニスト、シフ=アンドラーシュは、2016年3月17日から25日に掛けて日本ツアーを実施し、リサイタルを、いずみホール(大阪市)、神奈川県立音楽堂(横浜市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)(2公演)、彩の国さいたま芸術劇場(埼玉県与野市)にて、計5公演開催する。理想的な音響となる中小規模ホールでの公演は、いずみホールと彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールの二か所だけである。
この評は、日本ツアー千秋楽である3月25日彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホールでの公演に対する評である。
着席位置は正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、極めて良好だった。
使用ピアノは、 Bösendorfer MODEL280VC である。ピアノの配置は、通常は上手側に真っ直ぐ向けられているものを、舞台奥側に15度ほど偏心させた。移動用の車輪は奏者に対して踏ん張るようにしてロックされた(通常はピアノの中心に向けてロックされる)。
休憩はなく、あたかも、一曲を一楽章とし、四曲をもって一つの曲にする意図を感じさせた。楽章間はアタッカ風に処理され、曲間も10秒も経過せずに次の曲が始められた。
彩の国さいたま芸術劇場の音楽ホールはやはり素晴らしく、モーツァルトやハイドンについてもマトモに響く。タケミツメモリアルでは、こうはいかなかっただろう。
感想は敢えて短く示そう。
シフの解釈は、引き算の解釈のように思える。これ見よがしのギアチェンジを行うことなく、自然な運びの中で、繊細に考えられた一音一音を奏でていく感じである。
私は、曲の刹那刹那を楽しむようなアプローチで臨んだ。Beethoven op.110 の第二楽章のある場面が、心に響く。
Bösendorfer MODEL280VC は、強奏部でもスタインウェイのような鋭い響きにならないところが、シフの解釈と曲想とに合致している印象を持つ。
機嫌が良かったのか、アンコールは何と7曲である。タケミツメモリアルでも、そのくらいの量のアンコールであったそうだ。シューベルトD.946から第一曲、J.S.バッハの「インヴェンション」1番 BWV772、同8番 BWV779、ベートーヴェン「6つのパガテル」から第6曲 op.126、シューベルトD.946から第三曲、J.S.バッハ パルティータ第四番から第五曲 サラバンド、最後はマジャールの作曲家 バルトーク=ベーラの「マジャールの旋律による三つのロンド」から第一曲であった。
2017年3月20日月曜日
New National Theatre Tokyo, Opera ‘Lucia di Lammermoor’ (20th March 2017) review 新国立劇場 歌劇「ランメルモールのルチア」 感想
2017年3月20日 月曜日
Monday 20th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir
Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji
armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti
新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月20日に催された第三回目の公演に対するものである。
着席位置は二階正面最前列ほぼ中央である。要するに、天皇陛下が座る座席と考えて差し支えない。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、狂乱の場で咳が止まらなくなった観客がいたのは不運としか言いようがない。。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。
私にとっては、全般的に不完全燃焼となる結果と終わった。理由は複合的である。呪われた公演と言ってもよい。
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti (ルチア役 オルガ=ペレチャッコ)の不出来。
鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、第一幕終了の時点でその実力に疑問符が付き、第二幕で彼女の実力は大してないことを確信した。
第一幕では音程が不安定である。高音はバッチリ決める割りには、装飾を掛ける部分は曖昧に誤魔化されたような印象だ。第二幕で分かったことは、高音部は魅力的で、後半の六重唱の箇所等では活きるが、Lucia 役に求められる全ての音域で、きちんとした声が出せず、高い水準の歌にはならないことである。比較的低めの音が苦手な事が露呈している。
第一幕での装飾を掛ける箇所は、 Olga Peretyatko の苦手とする音域なのだろう、それで装飾を掛けられない状態となったと推察する。第二幕では、低めの音については声量が感じられず、高音部にクライマックスをもってきて大声量で圧倒させる策で観客を誤魔化そうとするが、日本の観客を舐めるなと言いたい。最初の低めの音で、50ではなく80の声を出すこと、その上でクライマックスで120の声を出すというのでなければ、手抜きと見られても仕方あるまい。
ヴィブラートは目立ち、時折不自然に感じられる箇所もあるが、まあギリギリ許容範囲と言えるか。清らかな声であるとは言い難い。得意なはずの高音ではあるが、第三幕で二回ほどある最後の決め音の高音では、地味な低い声で終わり、 Olga Peretyatko のスイートポイント声域の狭さが、超高音部・低音部ともに露呈した結果となった。
その彼女も、「狂乱の場」に於ける、ハルモニカのみを伴奏とし、静寂な中でフーガ形式を用いながらの聴かせ所は素晴らしかったが、その場面は下手側バルコニーから連続的・継続的に聴こえてきた咳によって台無しにされた。この公演は呪われていたとしか思えない。
また、 Olga Peretyatko による「狂乱の場」は、特に前半部では眠気に誘われる程のもので、狂っている感は極めて希薄である。
総じて、 Olga Peretyatko は得意とする音域でこそ、豊かな声量で観客を魅了したが、ルチア役で求められる全ての音域できちんとした声量や技巧を表現できたとは言えず、全般的に高い水準での歌唱を披露したとは言えない。人気はあるのかもしれないけど、騒がれるほどの実力のある歌い手ではない。
Gioachino Rossini によるベルカントの定義は、「自然で美しい声」「声域の高低にわたって均質な声質」「注意深い訓練によって、高度に華麗な音楽を苦もなく発声できること」と言われているが、 Olga Peretyatko はいずれも満たしていない。「ベルカントの新女王」との新国立劇場による宣伝は詐欺としか言いようがなく、その見識は強く非難されて然るべきである。
全音域できちんとした声を出せず、技巧面で弱い歌い手はいらない。Olga Peretyatko にGioachino Rossini など噴飯ものである。
曲の最初に戻そう。冒頭から少し経過部分での、Normanno役の菅野敬+合唱団+東フィルにより構成される場面であるが、菅野敬は声量がなく、東フィルの管弦楽と合唱団とがバラバラに音を出しまくっており、冒頭部から緊張感をなくす展開となった。
その東フィルの金管楽器陣は総崩れの状態と言って良い。バレエ公演で聴かれるような、音が抜けた場面はなかったのだろうけど、ただ音符を吹いているだけで、この「ランメルモールのルチア」に求められる響きを全く出しておらず、弦楽木管から浮きまくった不愉快な響きであり、一々気に障る響きである。出番の少ない第三幕ではそれほどでもなかったが、第一幕・第二幕では、金管楽器が登場するたびに私はイライラしまくっていた。
先月の「セヴィージャの理髪師」で、Gioachino Rossini と Marc Minkowski が求める響きを的確に出していた オーケストラ-アンサンブル-金沢 に遠く及ばない東フィルの金管楽器陣であり、今時、地方オケでさえも実現するアンサンブルを実現できない東フィルが、国を代表する歌劇場のオケピットに堂々と入っているのは、日本の恥であるとさえ思う。
もう一度、3月26日の公演に臨席する。立ち直りを期待したい。
Monday 20th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir
Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji
armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti
新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月20日に催された第三回目の公演に対するものである。
着席位置は二階正面最前列ほぼ中央である。要するに、天皇陛下が座る座席と考えて差し支えない。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、狂乱の場で咳が止まらなくなった観客がいたのは不運としか言いようがない。。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。
私にとっては、全般的に不完全燃焼となる結果と終わった。理由は複合的である。呪われた公演と言ってもよい。
Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti (ルチア役 オルガ=ペレチャッコ)の不出来。
鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、第一幕終了の時点でその実力に疑問符が付き、第二幕で彼女の実力は大してないことを確信した。
第一幕では音程が不安定である。高音はバッチリ決める割りには、装飾を掛ける部分は曖昧に誤魔化されたような印象だ。第二幕で分かったことは、高音部は魅力的で、後半の六重唱の箇所等では活きるが、Lucia 役に求められる全ての音域で、きちんとした声が出せず、高い水準の歌にはならないことである。比較的低めの音が苦手な事が露呈している。
第一幕での装飾を掛ける箇所は、 Olga Peretyatko の苦手とする音域なのだろう、それで装飾を掛けられない状態となったと推察する。第二幕では、低めの音については声量が感じられず、高音部にクライマックスをもってきて大声量で圧倒させる策で観客を誤魔化そうとするが、日本の観客を舐めるなと言いたい。最初の低めの音で、50ではなく80の声を出すこと、その上でクライマックスで120の声を出すというのでなければ、手抜きと見られても仕方あるまい。
ヴィブラートは目立ち、時折不自然に感じられる箇所もあるが、まあギリギリ許容範囲と言えるか。清らかな声であるとは言い難い。得意なはずの高音ではあるが、第三幕で二回ほどある最後の決め音の高音では、地味な低い声で終わり、 Olga Peretyatko のスイートポイント声域の狭さが、超高音部・低音部ともに露呈した結果となった。
その彼女も、「狂乱の場」に於ける、ハルモニカのみを伴奏とし、静寂な中でフーガ形式を用いながらの聴かせ所は素晴らしかったが、その場面は下手側バルコニーから連続的・継続的に聴こえてきた咳によって台無しにされた。この公演は呪われていたとしか思えない。
また、 Olga Peretyatko による「狂乱の場」は、特に前半部では眠気に誘われる程のもので、狂っている感は極めて希薄である。
総じて、 Olga Peretyatko は得意とする音域でこそ、豊かな声量で観客を魅了したが、ルチア役で求められる全ての音域できちんとした声量や技巧を表現できたとは言えず、全般的に高い水準での歌唱を披露したとは言えない。人気はあるのかもしれないけど、騒がれるほどの実力のある歌い手ではない。
Gioachino Rossini によるベルカントの定義は、「自然で美しい声」「声域の高低にわたって均質な声質」「注意深い訓練によって、高度に華麗な音楽を苦もなく発声できること」と言われているが、 Olga Peretyatko はいずれも満たしていない。「ベルカントの新女王」との新国立劇場による宣伝は詐欺としか言いようがなく、その見識は強く非難されて然るべきである。
全音域できちんとした声を出せず、技巧面で弱い歌い手はいらない。Olga Peretyatko にGioachino Rossini など噴飯ものである。
曲の最初に戻そう。冒頭から少し経過部分での、Normanno役の菅野敬+合唱団+東フィルにより構成される場面であるが、菅野敬は声量がなく、東フィルの管弦楽と合唱団とがバラバラに音を出しまくっており、冒頭部から緊張感をなくす展開となった。
その東フィルの金管楽器陣は総崩れの状態と言って良い。バレエ公演で聴かれるような、音が抜けた場面はなかったのだろうけど、ただ音符を吹いているだけで、この「ランメルモールのルチア」に求められる響きを全く出しておらず、弦楽木管から浮きまくった不愉快な響きであり、一々気に障る響きである。出番の少ない第三幕ではそれほどでもなかったが、第一幕・第二幕では、金管楽器が登場するたびに私はイライラしまくっていた。
先月の「セヴィージャの理髪師」で、Gioachino Rossini と Marc Minkowski が求める響きを的確に出していた オーケストラ-アンサンブル-金沢 に遠く及ばない東フィルの金管楽器陣であり、今時、地方オケでさえも実現するアンサンブルを実現できない東フィルが、国を代表する歌劇場のオケピットに堂々と入っているのは、日本の恥であるとさえ思う。
もう一度、3月26日の公演に臨席する。立ち直りを期待したい。
2017年3月19日日曜日
新国立劇場バレエ団「ベートーヴェン-ソナタ」雑感
二度とも後方中央ブロックで観劇できたのは、本当に幸せな気持ちだった。二度観て良かったなと思える事は、一度見てるだけに、二回目で見えるものが見えてくる事である。一度目は、純舞踊的な要素で観て、二度目は物語を踏まえながら観劇出来た。
振り付けの中村恩恵さんは、三人の女性プリンシパルの特徴を捉え十二分に活かした振り付けを行なったように思える。
ジュリエッタ役の米沢唯ちゃんはテクニックを活かした踊りを披露しつつ「無邪気に、いつの間にかお乗り換え」♪
ベートーヴェンからガレンベルク伯爵役の木下嘉人さんの肩の上に乗って、拍手を受けてご結婚である♬
この過程があまりに無邪気で、何の罪の意識を感じていない無邪気さがいかに残虐なものであることを示した🎶🎶
ここは、わる〜い女の要素が全くない、どこまでもいい子ちゃんの米沢唯ちゃんだからこそ、その無邪気さが活きる。わる〜い女の本島美和りんだと、真実味がなくなるのだ!(←本島美和さんにこっぴどく怒られるぞ!!)
小野絢子さんは、ベートーヴェンと愛し合っているのに引き裂かれるアントニア役で、似合っているし、本島美和さんは「わる〜い女」役がハマりまくっている妖艶さで魅了される。
本当に三人のプリンシパルの特質を活かした中村恩恵さんの振り付けは凄い。
私のツボにハマったのは、op.59-3で家族が出てくる場面で、クスクス笑いまくっていた。全般的に観客の皆さん、真面目に観ていらっしゃったようだけど♪
終盤部での、op.132の曲想を活かした構成は素晴らしいと思えた。
来シーズンは新国立劇場バレエ団はこのような演目はない。残念でならない。
「ベートーヴェン-ソナタ」の再演を強く望むものである。
振り付けの中村恩恵さんは、三人の女性プリンシパルの特徴を捉え十二分に活かした振り付けを行なったように思える。
ジュリエッタ役の米沢唯ちゃんはテクニックを活かした踊りを披露しつつ「無邪気に、いつの間にかお乗り換え」♪
ベートーヴェンからガレンベルク伯爵役の木下嘉人さんの肩の上に乗って、拍手を受けてご結婚である♬
この過程があまりに無邪気で、何の罪の意識を感じていない無邪気さがいかに残虐なものであることを示した🎶🎶
ここは、わる〜い女の要素が全くない、どこまでもいい子ちゃんの米沢唯ちゃんだからこそ、その無邪気さが活きる。わる〜い女の本島美和りんだと、真実味がなくなるのだ!(←本島美和さんにこっぴどく怒られるぞ!!)
小野絢子さんは、ベートーヴェンと愛し合っているのに引き裂かれるアントニア役で、似合っているし、本島美和さんは「わる〜い女」役がハマりまくっている妖艶さで魅了される。
本当に三人のプリンシパルの特質を活かした中村恩恵さんの振り付けは凄い。
私のツボにハマったのは、op.59-3で家族が出てくる場面で、クスクス笑いまくっていた。全般的に観客の皆さん、真面目に観ていらっしゃったようだけど♪
終盤部での、op.132の曲想を活かした構成は素晴らしいと思えた。
来シーズンは新国立劇場バレエ団はこのような演目はない。残念でならない。
「ベートーヴェン-ソナタ」の再演を強く望むものである。
2017年3月11日土曜日
NDR Sinfonieorchester Hamburg, Krzysztof Urbański, Shoji Sayaka, Nagoya perfomance, (11th March 2017), review 北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) 名古屋公演 (2017年) 評
2017年3月11日 土曜日
Saturday 11th March 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Михаил Иванович Глинка / Mikhail Ivanovich Glinka: “Руслан и Людмила” / “Ruslan e Ludmilla” Ouverture
Сергей Сергеевич Прокофьев / Sergei Sergeevich Prokofiev: Concerto per violino e orchestra n.1 op.19
(休憩)
Antonín Leopold Dvořák: Sinfonia n.9 ‘Z nového světa’ op.95 B.178
violino: 庄司紗矢香 / Shoji Sayaka
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Krzysztof Urbański (指揮:クシシュトフ=ウルバンスキ)
北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2017年3月に日本ツアーを実施し、東京・仙台・名古屋・川崎・福岡・大阪にて演奏会を開催する。この評は、2017年3月11日名古屋公演に対するものである。なお、マトモな音響のホールで聴けるのは、この愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演と、アクロス福岡での公演のみである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方下手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは中央後方の木管のすぐ上手側に付けた。ティンパニ他打楽器は中央最後方、ハープは上手側の位置につく。
着席位置は二階正面上手側、客の入りは8割程であろうか、三階席と二階バルコニー席の舞台真横に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、生理現象とはもうせ、咳が目立ったのは残念である。
一曲目の「ルスランとリュドミラ」序曲は音取りモードのため、ノーコメントだ。二曲目から本気モードとなる。
二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストは庄司紗矢香である。いつも通りの素晴らしい演奏だ。
もちろん、ソロ公演で上演される中小規模のホールで味わえる強い音圧を望むのは無理難題だけど、それでも、刹那刹那で求められる音色は説得力がある。熱狂ではなく、その曲が求めている音色を深く考え、高い技量で実現させていく方向性の演奏である。繊細さを求める路線は、指揮のウルバンスキと相性が良いと思われた。
ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第2番から、アンダンテであった。
後半は、ドヴォルジャークの交響曲第9番、いわゆる「新世界」交響曲である。メジャー中のメジャー作品で、正直余り気乗りはしない曲目であるが、いい意味で裏切られる。
総じて言うと、ウルバンスキが構築したガラス細工を、NDRの完璧な管弦楽(特に管楽)で構築する試みである。この試みは見事に結実したと言って良い。
第二楽章は本当に見事で、繊細さが活きまくる演奏だ。前半部にある、弦楽の弱奏で攻める箇所と、その箇所に至るまで承前起後の部分の繊細な扱い方には、感嘆させられる。ウルバンスキにより微細な点まで響きを組み立て、この場面に至るまでの過程は、驚くべき解釈だ。
随所に出てくる、長めに掛けるフェルマータやパウゼも、構成上のアクセントとなる。それにしても、あんなに長くフェルマータを掛けて、全くブレないNDRの管楽は驚異的である。曲の冒頭の溜めは観客の注意を惹き起こす。
一番大切な、第四楽章最後の部分(もちろん、曲の終結部だ)で、あれ程までのフェルマータを掛けるのは冒険的と言えるが、極めて安定した演奏で酔わせてくれる。ウルバンスキの要求に応えるには、あのレベルでないといけないのだから、管弦楽は大変だけど、見事に達成する。
熱狂路線では決してないし、大管弦楽の演奏にド迫力を求める向きとは正反対の路線だ。その路線の観客からは、否定的な感想が述べられるだろう。
しかし、Krzysztof Urbański は、極めて細部に渡ってよく考えられた解釈で、彼の個性を明確に示し、NDR 北ドイツ放送響は繊細な演奏でその高い技量を活かした。オーボエもクラリネットもファゴットもフルートもピッコロもホルンも、その高い技量があって初めて実現した演奏である。Bravi !!
アンコールは、ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」第一集 第8番であった。
Saturday 11th March 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Михаил Иванович Глинка / Mikhail Ivanovich Glinka: “Руслан и Людмила” / “Ruslan e Ludmilla” Ouverture
Сергей Сергеевич Прокофьев / Sergei Sergeevich Prokofiev: Concerto per violino e orchestra n.1 op.19
(休憩)
Antonín Leopold Dvořák: Sinfonia n.9 ‘Z nového světa’ op.95 B.178
violino: 庄司紗矢香 / Shoji Sayaka
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Krzysztof Urbański (指揮:クシシュトフ=ウルバンスキ)
北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2017年3月に日本ツアーを実施し、東京・仙台・名古屋・川崎・福岡・大阪にて演奏会を開催する。この評は、2017年3月11日名古屋公演に対するものである。なお、マトモな音響のホールで聴けるのは、この愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演と、アクロス福岡での公演のみである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方下手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは中央後方の木管のすぐ上手側に付けた。ティンパニ他打楽器は中央最後方、ハープは上手側の位置につく。
着席位置は二階正面上手側、客の入りは8割程であろうか、三階席と二階バルコニー席の舞台真横に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、生理現象とはもうせ、咳が目立ったのは残念である。
一曲目の「ルスランとリュドミラ」序曲は音取りモードのため、ノーコメントだ。二曲目から本気モードとなる。
二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストは庄司紗矢香である。いつも通りの素晴らしい演奏だ。
もちろん、ソロ公演で上演される中小規模のホールで味わえる強い音圧を望むのは無理難題だけど、それでも、刹那刹那で求められる音色は説得力がある。熱狂ではなく、その曲が求めている音色を深く考え、高い技量で実現させていく方向性の演奏である。繊細さを求める路線は、指揮のウルバンスキと相性が良いと思われた。
ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第2番から、アンダンテであった。
後半は、ドヴォルジャークの交響曲第9番、いわゆる「新世界」交響曲である。メジャー中のメジャー作品で、正直余り気乗りはしない曲目であるが、いい意味で裏切られる。
総じて言うと、ウルバンスキが構築したガラス細工を、NDRの完璧な管弦楽(特に管楽)で構築する試みである。この試みは見事に結実したと言って良い。
第二楽章は本当に見事で、繊細さが活きまくる演奏だ。前半部にある、弦楽の弱奏で攻める箇所と、その箇所に至るまで承前起後の部分の繊細な扱い方には、感嘆させられる。ウルバンスキにより微細な点まで響きを組み立て、この場面に至るまでの過程は、驚くべき解釈だ。
随所に出てくる、長めに掛けるフェルマータやパウゼも、構成上のアクセントとなる。それにしても、あんなに長くフェルマータを掛けて、全くブレないNDRの管楽は驚異的である。曲の冒頭の溜めは観客の注意を惹き起こす。
一番大切な、第四楽章最後の部分(もちろん、曲の終結部だ)で、あれ程までのフェルマータを掛けるのは冒険的と言えるが、極めて安定した演奏で酔わせてくれる。ウルバンスキの要求に応えるには、あのレベルでないといけないのだから、管弦楽は大変だけど、見事に達成する。
熱狂路線では決してないし、大管弦楽の演奏にド迫力を求める向きとは正反対の路線だ。その路線の観客からは、否定的な感想が述べられるだろう。
しかし、Krzysztof Urbański は、極めて細部に渡ってよく考えられた解釈で、彼の個性を明確に示し、NDR 北ドイツ放送響は繊細な演奏でその高い技量を活かした。オーボエもクラリネットもファゴットもフルートもピッコロもホルンも、その高い技量があって初めて実現した演奏である。Bravi !!
アンコールは、ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」第一集 第8番であった。
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