2016年11月30日 水曜日
Wednesday 30th November 2016
ハンブルク州立歌劇場 (ドイツ連邦共和国ハンブルク市)
Hamburgische Staatsoper (Hamburg, Bundesrepublik Deutschland)
演目:
Eötvös Péter: Opera ‘Senza Sangue’
エトヴェシュ=ペーテル 歌劇「無血で」
Bartók Béla: Opera ‘A kékszakállú herceg vára’ Sz.48 op.11
バルトーク=ベーラ 歌劇「青ひげ公の城」
‘Senza Sangue’
La donna: Angela Denoke
L'uomo: Sergei Leiferkus
‘A kékszakállú herceg vára’
Kékszakállú: Bálint Szabó
Judit: Claudia Mahnke
Director: Dmitri Tcherniakov
Set design: Dmitri Tcherniakov
Costume design: Elena Zaytseva
Lighting design: Gleb Filshtinsky
Dramaturgie: Johannes Blum
Video: Tieni Burkhalter
orchestra: Philharmonisches Staatsorchester Hamburg
direttore: 不明 (当初 Eötvös Péter の予定であったが、別のマジャール人指揮者に変更となった。
ハンブルク州立歌劇場は、2016年11月6日から11月30日までの日程で、マジャール人の作曲家・指揮者であるエトヴェシュ=ペーテルを指揮者に招いて(11月30日公演は、別の指揮者)、自身による作曲の歌劇「無血で」と、同じマジャール人であるバルトーク=ベーラの歌劇「青ひげ公の城」の二本立てを計7公演開催する。この評は2016年11月30日に催された第7公演千秋楽に対するものである。「無血で」は2016年に初演されたものである。
着席位置は一階前方わずかに上手側である。観客の入りは約半数であり、現代作品に対しては興行面では苦戦する結果となった。観客の鑑賞態度は良好である。
舞台はシンプルでありながら美しいものである。「無血で」は霧が立ち込める舞台から始まった。ホテルの部屋に入室するプロジェクターマッピングの後で、「無血で」と一体化した形で「青ひげ公の城」をそのまま上演する。キャストは変わるが、衣装はそのままなので、「青ひげ公の城」を知らない人にとっては、「無血で」の後編と思えてしまう巧みな構成だ。「無血で」はイタリア語、「青ひげ公の城」はマジャール語での上演である。ホテルの一室を思わせる「青ひげ公の城」の舞台は、終盤でのプロジェクターマッピングが秀逸である。
終始二人の男女による、緊迫感のある演劇だ。オペラと言うよりは、演劇、二人芝居を見た感覚になる。濃厚な管弦楽に負けることなく、全ての歌い手が声量・ニュアンスとも優れた歌唱である。
管弦楽も、優れた表現を、精度が高く濃密な表現で実現し、惹きつけられられた。
作品の構成が優れており、音楽と演劇とが高い次元で一体化した、素晴らしい作品でである。日本では決して観劇する事が出来ない、この新作の上演に立ち会えて、嬉しい気持ちだ。
また、興行面云々を脇に置いて、このような優れた新作オペラの発表の場を提供する、ハンブルク州立歌劇場の姿勢は、世界中の歌劇場の模範であろう。
今回の旅では、日本では味わえないマイナーな作品であるけど、芸術性の高いオペラ作品を観ることも目的とした。テアトロ-レアルの「皇帝ティートの慈悲」と共に、大成功と考えて良いだろう。
(この文面作成に当たり、現地在住の信頼できる消息筋からの貴重な情報を活用した。厚く御礼申し上げる。)
2016年12月1日木曜日
2016年11月29日火曜日
Royal Opera House, Covent Garden, Opera ‘Les Contes d'Hoffmann’ (2016) review ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデン 歌劇「ホフマン物語」 感想
2016年11月28日 月曜日
Monday 28th November 2016
ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデン (連合王国ロンドン市)
Royal Opera House, Covent Garden (London, U.K.)
演目:
Jacques Offenbach: Opera ‘Les Contes d'Hoffmann’
ジャック=オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」
Hoffmann: Leonardo Capalbo
FourVillains: Thomas Hampson
Olympia: Sofia Fomina
Giulietta: Christine Rice
Antonia: Sonya Yoncheva
Nicklausse: Kate Lindsey
Spalanzani: Christophe Mortagne
Crespel: Eric Halfvarson
Four Servants: Vincent Ordonneau
Spirit of Antonia's Mother: Catherine Carby
Nathanael: David Junghoon Kim
Hermann: Charles Rice
Schlemil: Yuriy Yurchuk
Luther: Jeremy White
Stella: Olga Sabadoch
Coro: Royal Opera Chorus
Director: John Schlesinger
Set design: William Dudley
Costumes design: Maria Björnson
Lighting design: David Hersey
Choreographer: Eleanor Fazan
Fight director: William Hobbs
orchestra: Orchestra of the Royal Opera House
direttore: Evelino Pidò
ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデンは、2016年11月11日から12月3日までの日程で、ジャック=オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」を7公演開催する。この評は2016年11月28日に催された第6公演に対するものである。演出は1980年に初演されたものである。
着席位置は一階中央やや下手側である。チケットは完売した。観客の鑑賞態度は概ね良好であった。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。古風であるが、よく作り込まれた舞台で、安っぽさを感じる箇所が全くない豪華なものだ。
ソリストの出来について述べる。
あまりに素晴らし過ぎて言葉が出ない。歌い手のソリストが全て見事で、全く穴がなく、ホフマンもオリンピアもジュリエッタもアントニアもリンドルフもニコラウスもその他も完璧な「完璧なホフマン物語」である。
ピットは深めで(写真のハープで深さを推察して欲しい)、管弦楽が上手く音がすっぽ抜けたのか、歌をよく聴ける感じとなった。バレエ公演の時に、大して上手ではないと思っていたが、今日は非常に見事であった。
オリンピア役の Sofia Fomina はあんなに歌えて踊れて、観客を沸き立たせていた。ジュリエッタ役の Christine Rice も歌えて素晴らしい。
アントニア役の Sonya Yoncheva は、とにかく圧巻である。単独でも、ホフマン役との二重唱、母親亡霊+ミラクル博士との三重奏でも、もうこれ以上は望む事はできない。12/3は「個人的な事情」により代役になってしまうため、 Sonya Yoncheva のアントニアは今日が千秋楽で、本当に聴けてよかった!
題名役の Leonardo Capalbo は、長時間にわたり声量・ニュアンスとも完璧で、主役として劇場空間を支配した。ニコラウス(ズボン役)の Kate Lindsey も同様だ。このコンビも素晴らし過ぎました。
その他、リンドルフ役の Thomas Hampson 、クレスペル役の Eric Halfvarson 、アントニアの母親の亡霊役の Catherine Carby 等出番の少ない役も、声量ニュアンスとも完璧だった。
全てがあまりに素晴らし過ぎて、エピローグの前の「舟歌」を聴いている最中に、ここまでの見事な歌いっぷり演じっぷりを思い出して、泣き出しそうになり、舞台上部の紋章を見て、なんとか堪えた程だ。こんな完璧なオペラは初めてで、一生のうちでもそうそう味わえないレベルである。ロイヤルオペラハウス-コヴェントガーデンのプロダクションの力量を思い知らさた。
Monday 28th November 2016
ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデン (連合王国ロンドン市)
Royal Opera House, Covent Garden (London, U.K.)
演目:
Jacques Offenbach: Opera ‘Les Contes d'Hoffmann’
ジャック=オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」
Hoffmann: Leonardo Capalbo
FourVillains: Thomas Hampson
Olympia: Sofia Fomina
Giulietta: Christine Rice
Antonia: Sonya Yoncheva
Nicklausse: Kate Lindsey
Spalanzani: Christophe Mortagne
Crespel: Eric Halfvarson
Four Servants: Vincent Ordonneau
Spirit of Antonia's Mother: Catherine Carby
Nathanael: David Junghoon Kim
Hermann: Charles Rice
Schlemil: Yuriy Yurchuk
Luther: Jeremy White
Stella: Olga Sabadoch
Coro: Royal Opera Chorus
Director: John Schlesinger
Set design: William Dudley
Costumes design: Maria Björnson
Lighting design: David Hersey
Choreographer: Eleanor Fazan
Fight director: William Hobbs
orchestra: Orchestra of the Royal Opera House
direttore: Evelino Pidò
ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデンは、2016年11月11日から12月3日までの日程で、ジャック=オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」を7公演開催する。この評は2016年11月28日に催された第6公演に対するものである。演出は1980年に初演されたものである。
着席位置は一階中央やや下手側である。チケットは完売した。観客の鑑賞態度は概ね良好であった。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。古風であるが、よく作り込まれた舞台で、安っぽさを感じる箇所が全くない豪華なものだ。
ソリストの出来について述べる。
あまりに素晴らし過ぎて言葉が出ない。歌い手のソリストが全て見事で、全く穴がなく、ホフマンもオリンピアもジュリエッタもアントニアもリンドルフもニコラウスもその他も完璧な「完璧なホフマン物語」である。
ピットは深めで(写真のハープで深さを推察して欲しい)、管弦楽が上手く音がすっぽ抜けたのか、歌をよく聴ける感じとなった。バレエ公演の時に、大して上手ではないと思っていたが、今日は非常に見事であった。
オリンピア役の Sofia Fomina はあんなに歌えて踊れて、観客を沸き立たせていた。ジュリエッタ役の Christine Rice も歌えて素晴らしい。
アントニア役の Sonya Yoncheva は、とにかく圧巻である。単独でも、ホフマン役との二重唱、母親亡霊+ミラクル博士との三重奏でも、もうこれ以上は望む事はできない。12/3は「個人的な事情」により代役になってしまうため、 Sonya Yoncheva のアントニアは今日が千秋楽で、本当に聴けてよかった!
題名役の Leonardo Capalbo は、長時間にわたり声量・ニュアンスとも完璧で、主役として劇場空間を支配した。ニコラウス(ズボン役)の Kate Lindsey も同様だ。このコンビも素晴らし過ぎました。
その他、リンドルフ役の Thomas Hampson 、クレスペル役の Eric Halfvarson 、アントニアの母親の亡霊役の Catherine Carby 等出番の少ない役も、声量ニュアンスとも完璧だった。
全てがあまりに素晴らし過ぎて、エピローグの前の「舟歌」を聴いている最中に、ここまでの見事な歌いっぷり演じっぷりを思い出して、泣き出しそうになり、舞台上部の紋章を見て、なんとか堪えた程だ。こんな完璧なオペラは初めてで、一生のうちでもそうそう味わえないレベルである。ロイヤルオペラハウス-コヴェントガーデンのプロダクションの力量を思い知らさた。
2016年11月25日金曜日
Camerata Salzburg, Matsumoto performance (25th November 2016), review カメラータ-ザルツブルク 松本公演(2016年11月25日) 評
2016年11月25日 金曜日
Friday 25th November 2016
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per oboe e orchestra K.314
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per violino e orchestra n.4 K.218
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Divertimento n.11 K.251
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra K.622
oboe: Hansjörg Schellenberger
violino: 堀米ゆず子 / Horigome Yuzuko
clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Camerata Salzburg(カメラータ-ザルツブルク)
direttore: Hansjörg Schellenberger
カメラータ-ザルツブルクは、2016年11月19日から11月27日まで日本ツアーを行い、岡山・東京(杉並公会堂)・静岡・大垣(岐阜県)・松本・横浜(神奈川県立音楽堂)・西宮(兵庫県)にて計7公演(静岡公演と大垣公演は二手に分かれてのほぼ同時の演奏会)の演奏会を開催する。用紙された曲目の中から、公演地の主催者の要望によって変更をしたのか、曲目は公演地により異なる。
この日本ツアーで、中規模ホールである700席前後のホールで演奏されるのは、この松本市音楽文化ホールが唯一である。この日本ツアーの中で、間違いなく最良の演奏会場であることは言うまでもない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは下手側であるが木管と同じ場所にある。
着席位置は一階正面後方やや上手側、客席の入りは5割に満たなかったかもしれない。室内管弦楽団かつ全てモーツァルトのプログラムであり、なおかつ地方開催となると、観客動員には限界があるのだろう。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。
最初はオーボエ協奏曲K.314である。松本市音楽文化ホールの響きには、二分くらいで慣れた感がある。一曲目から手を抜かない演奏である。
二曲目はヴァイオリン協奏曲第4番 K.218で、ソリストは堀米ゆず子である。ソリストと管弦楽との関係は、同じ方向を向き溶け込む方向性であるが、時折堀米ゆず子が、しとやなか音色に変えたりテンポを遅くしたりと面白い。管弦楽は非常に高いレベルにある。ホルンも柔らかく溶け込むし、管弦楽全体としてのアクセントも、全音域で美しくヴィヴィッドに決めてくる。松本市音楽文化ホールならではの、幸福感に満たされた響きが実現されている。
後半はディヴェルティメント第11番K.251である。オーボエ・指揮の Hansjörg Schellenberger は、弦楽に囲まれるような位置で客席を向いて座り、吹き指揮をする。曲想は何かの祝典のBGMを思わせるもので、この曲想を面白く演奏するのはなかなか難しそうに思える。しかしながら、曲の進行とともに華麗な曲想となる要素の上に、美しく演奏し続けることによりテンションが上がってくる要素の相乗効果が働き、単なるBGMではないこの曲の魅力を余すことなく表現仕切っている。
最後はクラリネット協奏曲K.626である。ソリストである Alessandro Carbonare のクラリネットは完璧過ぎる。冒頭から高い技巧を見せつけ、管弦楽を終始リードし、第二楽章弱奏部ソロも完璧な技巧で、ニュアンス豊かに演奏する。音の多い部分は、残響が豊かな松本市音楽文化ホールで美しく響かせるのは難しいが、この点も難なくクリアされている。これ以上のMozartのクラリネット協奏曲は望めない!管弦楽は後半も素晴らしい演奏をしたが、これほどまでのクラリネット-ソロを見せつけられては、どうしてもソリストの独擅場となるのはやむを得ない。それでも、ソリストと管弦楽双方が高い水準の演奏を繰り広げ、これが Mozart なのだと納得させられる演奏である。ソリスト・管弦楽・松本市音楽文化ホールの秀逸な音響が三位一体となって、観客に届く演奏である。演奏終了後に即スタンディングオベーションを行って差し支えない。
アンコールは、K.626の第二楽章からで、弱奏部ソロが始まる直前から開始された。アンコールはどの曲目で行うべきか、的確に把握されている。今年の、松本市で開催された演奏会の中で、最も優れた演奏であった。
Friday 25th November 2016
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per oboe e orchestra K.314
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per violino e orchestra n.4 K.218
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Divertimento n.11 K.251
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra K.622
oboe: Hansjörg Schellenberger
violino: 堀米ゆず子 / Horigome Yuzuko
clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Camerata Salzburg(カメラータ-ザルツブルク)
direttore: Hansjörg Schellenberger
カメラータ-ザルツブルクは、2016年11月19日から11月27日まで日本ツアーを行い、岡山・東京(杉並公会堂)・静岡・大垣(岐阜県)・松本・横浜(神奈川県立音楽堂)・西宮(兵庫県)にて計7公演(静岡公演と大垣公演は二手に分かれてのほぼ同時の演奏会)の演奏会を開催する。用紙された曲目の中から、公演地の主催者の要望によって変更をしたのか、曲目は公演地により異なる。
この日本ツアーで、中規模ホールである700席前後のホールで演奏されるのは、この松本市音楽文化ホールが唯一である。この日本ツアーの中で、間違いなく最良の演奏会場であることは言うまでもない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは下手側であるが木管と同じ場所にある。
着席位置は一階正面後方やや上手側、客席の入りは5割に満たなかったかもしれない。室内管弦楽団かつ全てモーツァルトのプログラムであり、なおかつ地方開催となると、観客動員には限界があるのだろう。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。
最初はオーボエ協奏曲K.314である。松本市音楽文化ホールの響きには、二分くらいで慣れた感がある。一曲目から手を抜かない演奏である。
二曲目はヴァイオリン協奏曲第4番 K.218で、ソリストは堀米ゆず子である。ソリストと管弦楽との関係は、同じ方向を向き溶け込む方向性であるが、時折堀米ゆず子が、しとやなか音色に変えたりテンポを遅くしたりと面白い。管弦楽は非常に高いレベルにある。ホルンも柔らかく溶け込むし、管弦楽全体としてのアクセントも、全音域で美しくヴィヴィッドに決めてくる。松本市音楽文化ホールならではの、幸福感に満たされた響きが実現されている。
後半はディヴェルティメント第11番K.251である。オーボエ・指揮の Hansjörg Schellenberger は、弦楽に囲まれるような位置で客席を向いて座り、吹き指揮をする。曲想は何かの祝典のBGMを思わせるもので、この曲想を面白く演奏するのはなかなか難しそうに思える。しかしながら、曲の進行とともに華麗な曲想となる要素の上に、美しく演奏し続けることによりテンションが上がってくる要素の相乗効果が働き、単なるBGMではないこの曲の魅力を余すことなく表現仕切っている。
最後はクラリネット協奏曲K.626である。ソリストである Alessandro Carbonare のクラリネットは完璧過ぎる。冒頭から高い技巧を見せつけ、管弦楽を終始リードし、第二楽章弱奏部ソロも完璧な技巧で、ニュアンス豊かに演奏する。音の多い部分は、残響が豊かな松本市音楽文化ホールで美しく響かせるのは難しいが、この点も難なくクリアされている。これ以上のMozartのクラリネット協奏曲は望めない!管弦楽は後半も素晴らしい演奏をしたが、これほどまでのクラリネット-ソロを見せつけられては、どうしてもソリストの独擅場となるのはやむを得ない。それでも、ソリストと管弦楽双方が高い水準の演奏を繰り広げ、これが Mozart なのだと納得させられる演奏である。ソリスト・管弦楽・松本市音楽文化ホールの秀逸な音響が三位一体となって、観客に届く演奏である。演奏終了後に即スタンディングオベーションを行って差し支えない。
アンコールは、K.626の第二楽章からで、弱奏部ソロが始まる直前から開始された。アンコールはどの曲目で行うべきか、的確に把握されている。今年の、松本市で開催された演奏会の中で、最も優れた演奏であった。
2016年11月20日日曜日
新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2016 Autumn」雑感
昨日・今日(2016年11月19/20日)と、新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2016 Autumn」を観劇しました。三公演あるうちの、第二公演と第三公演(千秋楽)です。
音楽面で、特にヘンデルとショスタコーヴィチに目が向けられた事が素晴らしいと思います。ヘンデルのオラトリオに目を向け、前衛的なショスタコーヴィチを的確に扱う点に注目させられました。
ショスタコーヴィチのop.67(ピアノ三重奏曲第2番 第四楽章)から「3匹の子ぶた」を思いついた宝満直也は凄いと思います。私だったら、同じ旋律を用いながらもキレッキレのop.110(弦楽四重奏曲第8番 第二楽章)で攻めに掛かると思いつきますが。op.110 しか知らない私にとっては、どうしてあんなユルユルの演奏になるんかと思ったけど、op.67だからあの演奏があって、「3匹の子ぶた」が成立するのですね。
それに、純音楽的にショスタコーヴィチのop.110は完璧な名曲で、第二楽章なんて特別な感情無くして聴けませんし(水戸室内管弦楽団で室内管弦楽団版で初めて聴いた時の衝撃は忘れられない)。でも同じ旋律が「3匹の子ぶた」などとコメディに適用できると言うのが、興味深いところです。
「3匹の子ぶた」については、プログラム上の「怠け者の長男」「誰よりもしっかり者」との記載は、ツボにハマって爆笑してしまいました!それぞれ、八幡顕光さんと小野絢子さんですね♪如何にもそんな感じですから。
三日目千秋楽は、第三部の「即興」が面白かったです。米沢唯ちゃんは、航空会社客室乗務員風の衣装から上着を脱いでダンスパーティー風に変わる衣装です。今日の唯ちゃんはやりたい放題♪官能的に挑発したり、オーボエ奏者をおちょくってるし♪公演毎に登場する楽器・奏者が違う事もあり、千秋楽ではアコーディオンが出てくる事もあるのか、アルヘンティーナ風にタンゴを取り入れていました。
第三部の「即興」は、多分最初と最後の場面や、「今日はアコーディオンが出てくるからタンゴを踊る」と言う程度は決めていて、後は本当に即興だったのですね。振りが昨日の公演とは全面的に(冒頭から!)異なっていました。昨日よりスリリングな展開で楽しめました。
音楽面で、特にヘンデルとショスタコーヴィチに目が向けられた事が素晴らしいと思います。ヘンデルのオラトリオに目を向け、前衛的なショスタコーヴィチを的確に扱う点に注目させられました。
ショスタコーヴィチのop.67(ピアノ三重奏曲第2番 第四楽章)から「3匹の子ぶた」を思いついた宝満直也は凄いと思います。私だったら、同じ旋律を用いながらもキレッキレのop.110(弦楽四重奏曲第8番 第二楽章)で攻めに掛かると思いつきますが。op.110 しか知らない私にとっては、どうしてあんなユルユルの演奏になるんかと思ったけど、op.67だからあの演奏があって、「3匹の子ぶた」が成立するのですね。
それに、純音楽的にショスタコーヴィチのop.110は完璧な名曲で、第二楽章なんて特別な感情無くして聴けませんし(水戸室内管弦楽団で室内管弦楽団版で初めて聴いた時の衝撃は忘れられない)。でも同じ旋律が「3匹の子ぶた」などとコメディに適用できると言うのが、興味深いところです。
「3匹の子ぶた」については、プログラム上の「怠け者の長男」「誰よりもしっかり者」との記載は、ツボにハマって爆笑してしまいました!それぞれ、八幡顕光さんと小野絢子さんですね♪如何にもそんな感じですから。
三日目千秋楽は、第三部の「即興」が面白かったです。米沢唯ちゃんは、航空会社客室乗務員風の衣装から上着を脱いでダンスパーティー風に変わる衣装です。今日の唯ちゃんはやりたい放題♪官能的に挑発したり、オーボエ奏者をおちょくってるし♪公演毎に登場する楽器・奏者が違う事もあり、千秋楽ではアコーディオンが出てくる事もあるのか、アルヘンティーナ風にタンゴを取り入れていました。
第三部の「即興」は、多分最初と最後の場面や、「今日はアコーディオンが出てくるからタンゴを踊る」と言う程度は決めていて、後は本当に即興だったのですね。振りが昨日の公演とは全面的に(冒頭から!)異なっていました。昨日よりスリリングな展開で楽しめました。
2016年11月12日土曜日
Bach Collegium Japan, Messa in Si minore (J.S. Bach) Yono Concert (2016), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「ミサ曲ロ短調」与野演奏会 評
2016年11月12日 土曜日
Saturday 12th November 2016
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Messa in Si minore BWV 232
soprano: 朴瑛実 / Boku Terumi
soprano: Joanne Lunn
contralto: Damien Guillon
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Dominik Wörner
cembalo / organo: Francesco Corti
orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki
バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2016年11月11日から15日までにかけて、J.S.バッハの ミサ曲ロ短調 演奏会を、東京・与野(埼玉県)・札幌にて開催する。(同時期の11月13日に、全く別のプログラムで第6回名古屋定期演奏会が開催される。)
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(この影に隠れるように)ヴィオラ(ここまでで下手側を占める)→オルガン・チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ→オーボエと囲み、これらに囲まれて指揮者のすぐ前にフルートが付く。ヴィオローネ(コントラバス相当)はチェロの後方につく。ファゴットはオーボエの後方で上手側、ティンパニとホルンはヴィオラの後方で下手側、トランペットは前方ながら最も下手側である。
合唱配置は、ソプラノ→コントラルト→バス→テノール→ソプラノで始まり、サンクトゥスからコントラルトの一部(上手側)とテノールを入れ替えて演奏された。
着席位置は一階正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は極めて良好だった。
全体的に、非常によく考えられて構築された計画にパッションが加わった、盤石な演奏である。誰もが自己顕示とは無縁で、全体の中でどのように歌ったり奏でたりして響きを作り出すかを理解しているかが、よく分かる演奏だ。その上にパッションを乗せてくる。
第一部第8曲目は、私の好きな展開である。朴瑛実と櫻井亮の日本在住者コンビが実に息が合っていて、同じ方向性を向いていて、管弦楽に乗っかっている。一方でフルートも程よく自己主張しつつ、その他の管弦楽は巧みに弱奏で根底から支える。そうやってよく考えられた響きが観客に届く時の幸せは何て表現したらいいだろう。
第一部第10曲と第四部第26曲に於けるコントラルト-ソロ(ダミアン=ギヨン)も素晴らしい。ソリストだけでなく、管弦楽全体を含めた全体で作り上げた音楽を実感出来る点も、注目する点である。
合唱は、冒頭から自由自在に彩の国さいたま芸術劇場の素晴らしいホールを響かせる。構築がしっかり為されていると察せられるところにパッションが乗っかり、ニュアンスに出てくる。第一部のどこかは忘れたが、そのニュアンスで涙腺が潤む。第三部サンクトゥスでの女声の押し寄せる波のようなニュアンスも強い印象を残す。
全体的に、歌・管弦楽とも高い充実ぶりを伺わせる素晴らしい演奏会であった。来年2017年4月に、松本市音楽文化ホール での「マタイ受難曲」が予定されているとのことだ。オルガンがある数少ない中規模ホールである松本市音楽文化ホールでのBCJの演奏会が今までなかったのが不思議なくらいだ。今から楽しみに待っていることとしよう!
Saturday 12th November 2016
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Messa in Si minore BWV 232
soprano: 朴瑛実 / Boku Terumi
soprano: Joanne Lunn
contralto: Damien Guillon
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Dominik Wörner
cembalo / organo: Francesco Corti
orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki
バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2016年11月11日から15日までにかけて、J.S.バッハの ミサ曲ロ短調 演奏会を、東京・与野(埼玉県)・札幌にて開催する。(同時期の11月13日に、全く別のプログラムで第6回名古屋定期演奏会が開催される。)
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(この影に隠れるように)ヴィオラ(ここまでで下手側を占める)→オルガン・チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ→オーボエと囲み、これらに囲まれて指揮者のすぐ前にフルートが付く。ヴィオローネ(コントラバス相当)はチェロの後方につく。ファゴットはオーボエの後方で上手側、ティンパニとホルンはヴィオラの後方で下手側、トランペットは前方ながら最も下手側である。
合唱配置は、ソプラノ→コントラルト→バス→テノール→ソプラノで始まり、サンクトゥスからコントラルトの一部(上手側)とテノールを入れ替えて演奏された。
着席位置は一階正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は極めて良好だった。
全体的に、非常によく考えられて構築された計画にパッションが加わった、盤石な演奏である。誰もが自己顕示とは無縁で、全体の中でどのように歌ったり奏でたりして響きを作り出すかを理解しているかが、よく分かる演奏だ。その上にパッションを乗せてくる。
第一部第8曲目は、私の好きな展開である。朴瑛実と櫻井亮の日本在住者コンビが実に息が合っていて、同じ方向性を向いていて、管弦楽に乗っかっている。一方でフルートも程よく自己主張しつつ、その他の管弦楽は巧みに弱奏で根底から支える。そうやってよく考えられた響きが観客に届く時の幸せは何て表現したらいいだろう。
第一部第10曲と第四部第26曲に於けるコントラルト-ソロ(ダミアン=ギヨン)も素晴らしい。ソリストだけでなく、管弦楽全体を含めた全体で作り上げた音楽を実感出来る点も、注目する点である。
合唱は、冒頭から自由自在に彩の国さいたま芸術劇場の素晴らしいホールを響かせる。構築がしっかり為されていると察せられるところにパッションが乗っかり、ニュアンスに出てくる。第一部のどこかは忘れたが、そのニュアンスで涙腺が潤む。第三部サンクトゥスでの女声の押し寄せる波のようなニュアンスも強い印象を残す。
全体的に、歌・管弦楽とも高い充実ぶりを伺わせる素晴らしい演奏会であった。来年2017年4月に、松本市音楽文化ホール での「マタイ受難曲」が予定されているとのことだ。オルガンがある数少ない中規模ホールである松本市音楽文化ホールでのBCJの演奏会が今までなかったのが不思議なくらいだ。今から楽しみに待っていることとしよう!
2016年11月6日日曜日
Mahler Chamber Orchestra, Uchida Mitsuko, Toyota performance (6th November 2016), review マーラー室内管弦楽団+内田光子 豊田公演(2016年11月6日) 評
2016年11月6日 日曜日
Sunday 6th November 2016
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.17 K.453
Bartók Béla: Divertimento Sz.113
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.25 K.503
pianoforte: 内田光子 / Uchida Mitsuko
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: 内田光子 / Uchida Mitsuko
マーラー室内管弦楽団は、2016年10月28日から11月8日まで日本ツアーを行い、札幌・大阪・東京・豊田にて計8公演(室内楽公演を含む)の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮は内田光子である。なお、バルトークのディヴェルティメントについては、コンサートマスターのリードによる演奏であり、内田光子は参画しない。この豊田市コンサートホールでのプログラムは、2016年11月22日から29日までの欧州ツアー(Amsterdam, Rotterdam, Dortmund, Berlin, London)と同じである。
この日本ツアーで、中規模ホールに準じる規模である1004席のホールで演奏されるのは、この豊田市コンサートホールが唯一である。残響はあっても音が届かないサントリーホールはもちろんのこと、大きな室容積と収容人数を誇るKitaraを圧倒的に上回る、豊かな残響と適切な音圧の下での鑑賞となる。欧州ツアーを含めて、最良の演奏会場であることは言うまでもない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、これは、ダニエル=ハーディングと一緒に来日した時と変わりないか。木管・金管パートは後方中央に位置する。下手側のホルンと上手側のトランペットに挟まれるように、木管奏者の席がある。ティンパニは後方上手側の位置につく。バルトークはピアノを撤去し、配置は同じながら、ヴァイオリン・ヴィオラ奏者は立って演奏する。
内田光子のピアノは、舞台中央に置かれ、鍵盤を客席側に向け、蓋を取った形である。アンスネスの来日公演と同様だ。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは8割程で満席にはならなかった。日曜日の少し遅めの開演時間、高額(1万7千円〜2万円)チケットが影響したのだろう。観客の鑑賞態度は、バルトークの第一楽章で中央上手側にカバンや紙を触る音が反復継続的に響いた(一人の観客が注意書きの手紙を渡したため、後半は静かに鑑賞されていた)ものの、他の箇所では概ね良好であった。
演奏について述べる。
第一曲目の17番K.453については、豊田市コンサートホールの響きに全く馴染んでなかった。ピアノは、特別残響の長いホールに配慮した奏法を用いていないように思える。ベロフやプレトニョフは的確にこのホールの響きに適応していたが・・・。弦楽はもちろん素晴らしい響きであるが、木管がこのホールに馴染むのに最も苦しんだように思える。
二曲目のバルトークによる「ディヴェルティメント」は、弦楽のみの編成であり、世界トップクラスの豊田市コンサートホールの響きを十全に活かす。首席奏者による弦楽四重奏のような箇所や、ロマ音楽を取り入れたような箇所も万全だ。それだけに、中央上手側にいた観客によるノイズ(カバンの中を探る、紙を読み音を立てて触る)は残念だった。気になった客が注意しようにも、両脇にいた同行の友人たちに阻まれ、演奏妨害行為を阻止することが出来なかった。近くで見ていただけに、阻止できず慚愧に堪えない。
三曲目のK.503になり、この曲を特色付ける第一楽章一回目の6連続上昇旋律こそ、愉悦感に満ちる感じとはならなかったが(豊田市コンサートホールの響きを扱う事が如何に難しいか!)曲の進行とともに馴染み始める。木管奏者も、彼女たちなりにこのホールの響かせ方を会得したのか、内田光子との掛け合いがようやく機能し始める。内田光子のカデンツァも素晴らしい。
と言いつつも、この演奏会で最も感銘を受けた点は、個人技と言うよりは、ソリストを含めた管弦楽一体としての まとまり である。トゥッティで演奏される際に、金管楽器が吹かれているとは思えない柔らかな音色が、この豊田市コンサートホールを響かせるのだ。杜撰な音響設計のサントリーホールはもちろんのこと、タケミツメモリアルでさえも実現出来ない、音圧を感じさせながらの柔らかい響き、誰か一人がと言うのではない、全員でモーツァルトを深く理解し、各自どのような響きを出すべきか理解している響きである。
これは、マーラー室内管弦楽団の各奏者の高い技量、バルトークで見せた弦楽の他、金管セクションの、柔らかく溶け込ませるような響きの絶妙さにより実現されたものである。このアプローチでどれだけこのモーツァルトが活かされたであろうか?ホルンはもちろんのこと、トランペットはナチュラル-トランペットでありながら、音を全く外さない(これだけでも驚異)だけでなく、精緻な響きで管弦楽に溶け込ませる。鮮やかな福川ホルンのみで成り立たっているようなNHK交響楽団とは対極の響きだ。輝かしく自己顕示的な響きとは全く無縁で、如何に管弦楽全体としてあるべき響きかを考え、その響きを実現させていく、まるで木管楽器を演奏しているかのような柔らかな音色は、これこそ目立たないながらも高度な技巧を要するものである。これを実現させた金管セクションは本当に傑出した演奏である。
このような響きを出せる金管奏者こそ、今の日本の管弦楽団に欠いている。名フィルの安土さんのホルンくらいしかいないのではないか?吹奏楽部で輝かしい音色でヒーロー / ヒロインになるような金管奏者など不要である。日本の音楽教育から変える必要があるのかもしれない。挑発的に言わせて貰えば、N響福川を反面教師にする必要がある。
アンコールは、内田光子のソロにより謎の現代音楽っぽいものが演奏された。曲名の掲示はなかった。
Sunday 6th November 2016
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.17 K.453
Bartók Béla: Divertimento Sz.113
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.25 K.503
pianoforte: 内田光子 / Uchida Mitsuko
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: 内田光子 / Uchida Mitsuko
マーラー室内管弦楽団は、2016年10月28日から11月8日まで日本ツアーを行い、札幌・大阪・東京・豊田にて計8公演(室内楽公演を含む)の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮は内田光子である。なお、バルトークのディヴェルティメントについては、コンサートマスターのリードによる演奏であり、内田光子は参画しない。この豊田市コンサートホールでのプログラムは、2016年11月22日から29日までの欧州ツアー(Amsterdam, Rotterdam, Dortmund, Berlin, London)と同じである。
この日本ツアーで、中規模ホールに準じる規模である1004席のホールで演奏されるのは、この豊田市コンサートホールが唯一である。残響はあっても音が届かないサントリーホールはもちろんのこと、大きな室容積と収容人数を誇るKitaraを圧倒的に上回る、豊かな残響と適切な音圧の下での鑑賞となる。欧州ツアーを含めて、最良の演奏会場であることは言うまでもない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、これは、ダニエル=ハーディングと一緒に来日した時と変わりないか。木管・金管パートは後方中央に位置する。下手側のホルンと上手側のトランペットに挟まれるように、木管奏者の席がある。ティンパニは後方上手側の位置につく。バルトークはピアノを撤去し、配置は同じながら、ヴァイオリン・ヴィオラ奏者は立って演奏する。
内田光子のピアノは、舞台中央に置かれ、鍵盤を客席側に向け、蓋を取った形である。アンスネスの来日公演と同様だ。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは8割程で満席にはならなかった。日曜日の少し遅めの開演時間、高額(1万7千円〜2万円)チケットが影響したのだろう。観客の鑑賞態度は、バルトークの第一楽章で中央上手側にカバンや紙を触る音が反復継続的に響いた(一人の観客が注意書きの手紙を渡したため、後半は静かに鑑賞されていた)ものの、他の箇所では概ね良好であった。
演奏について述べる。
第一曲目の17番K.453については、豊田市コンサートホールの響きに全く馴染んでなかった。ピアノは、特別残響の長いホールに配慮した奏法を用いていないように思える。ベロフやプレトニョフは的確にこのホールの響きに適応していたが・・・。弦楽はもちろん素晴らしい響きであるが、木管がこのホールに馴染むのに最も苦しんだように思える。
二曲目のバルトークによる「ディヴェルティメント」は、弦楽のみの編成であり、世界トップクラスの豊田市コンサートホールの響きを十全に活かす。首席奏者による弦楽四重奏のような箇所や、ロマ音楽を取り入れたような箇所も万全だ。それだけに、中央上手側にいた観客によるノイズ(カバンの中を探る、紙を読み音を立てて触る)は残念だった。気になった客が注意しようにも、両脇にいた同行の友人たちに阻まれ、演奏妨害行為を阻止することが出来なかった。近くで見ていただけに、阻止できず慚愧に堪えない。
三曲目のK.503になり、この曲を特色付ける第一楽章一回目の6連続上昇旋律こそ、愉悦感に満ちる感じとはならなかったが(豊田市コンサートホールの響きを扱う事が如何に難しいか!)曲の進行とともに馴染み始める。木管奏者も、彼女たちなりにこのホールの響かせ方を会得したのか、内田光子との掛け合いがようやく機能し始める。内田光子のカデンツァも素晴らしい。
と言いつつも、この演奏会で最も感銘を受けた点は、個人技と言うよりは、ソリストを含めた管弦楽一体としての まとまり である。トゥッティで演奏される際に、金管楽器が吹かれているとは思えない柔らかな音色が、この豊田市コンサートホールを響かせるのだ。杜撰な音響設計のサントリーホールはもちろんのこと、タケミツメモリアルでさえも実現出来ない、音圧を感じさせながらの柔らかい響き、誰か一人がと言うのではない、全員でモーツァルトを深く理解し、各自どのような響きを出すべきか理解している響きである。
これは、マーラー室内管弦楽団の各奏者の高い技量、バルトークで見せた弦楽の他、金管セクションの、柔らかく溶け込ませるような響きの絶妙さにより実現されたものである。このアプローチでどれだけこのモーツァルトが活かされたであろうか?ホルンはもちろんのこと、トランペットはナチュラル-トランペットでありながら、音を全く外さない(これだけでも驚異)だけでなく、精緻な響きで管弦楽に溶け込ませる。鮮やかな福川ホルンのみで成り立たっているようなNHK交響楽団とは対極の響きだ。輝かしく自己顕示的な響きとは全く無縁で、如何に管弦楽全体としてあるべき響きかを考え、その響きを実現させていく、まるで木管楽器を演奏しているかのような柔らかな音色は、これこそ目立たないながらも高度な技巧を要するものである。これを実現させた金管セクションは本当に傑出した演奏である。
このような響きを出せる金管奏者こそ、今の日本の管弦楽団に欠いている。名フィルの安土さんのホルンくらいしかいないのではないか?吹奏楽部で輝かしい音色でヒーロー / ヒロインになるような金管奏者など不要である。日本の音楽教育から変える必要があるのかもしれない。挑発的に言わせて貰えば、N響福川を反面教師にする必要がある。
アンコールは、内田光子のソロにより謎の現代音楽っぽいものが演奏された。曲名の掲示はなかった。
2016年10月30日日曜日
新国立劇場バレエ団「ロメオとジュリエッタ」2016年10月29/30日公演 感想
新国立劇場バレエ団は「ロメオとジュリエッタ」にて2016/17シーズンの開幕を迎えました。29日は小野絢子さん、30日の本日は米沢唯ちゃんの主演です。両方とも素晴らしい舞台です。
ジュリエッタ役の他、卑劣漢ティボルト役も、菅野英男さん、中家正博さんともに素晴らしいです。ティボルトのやっていることは卑劣漢だけど、死の間際に見せる執念には感情を揺さぶられます。その直後の、キュピレット夫人役の本島美和さんの怒りと慟哭の場面も同様です。
あきらにゃんが贔屓にしている米沢唯ちゃんについては、まずはイタズラ好きな少女を伸びやかな踊りを伴いながら演じて観客を魅了させ、第一幕のバルコニーの場や、第三幕のパリスと脱け殻の状態で踊る箇所(能面のような表情で感情の空白を表現していた)で、涙腺が緩みました。ワディム=ムンタギロフさんとのコンビも盤石です。何気ない場面でも、抜群の技術がなければ崩れる繊細な役だと思いますが、その点もさすがです。主に祈った後での決意の場面も、心を動かされます。
「ロメオとジュリエッタ」は、バレエ作品の中では数少ない、気軽な気持ちで観れない演目です。各幕毎に死人が出て、合計11名が殺され、自死します。観客側にもしっかりした気持ちの強さを求められますが、それでも観に行って良かったと心から思える作品です。
あと、11月2日〜5日まで一公演ずつ、計四公演上演されます。2・4日は小野絢子さん、3・5日は米沢唯ちゃんの主演日です。両キャストが理想ですが、どちらか片方でも観劇されることを強くお勧めします。私は3・5日と、あと二公演観劇します。これ程の幸せな体験は、そうそうありません。
ジュリエッタ役の他、卑劣漢ティボルト役も、菅野英男さん、中家正博さんともに素晴らしいです。ティボルトのやっていることは卑劣漢だけど、死の間際に見せる執念には感情を揺さぶられます。その直後の、キュピレット夫人役の本島美和さんの怒りと慟哭の場面も同様です。
あきらにゃんが贔屓にしている米沢唯ちゃんについては、まずはイタズラ好きな少女を伸びやかな踊りを伴いながら演じて観客を魅了させ、第一幕のバルコニーの場や、第三幕のパリスと脱け殻の状態で踊る箇所(能面のような表情で感情の空白を表現していた)で、涙腺が緩みました。ワディム=ムンタギロフさんとのコンビも盤石です。何気ない場面でも、抜群の技術がなければ崩れる繊細な役だと思いますが、その点もさすがです。主に祈った後での決意の場面も、心を動かされます。
「ロメオとジュリエッタ」は、バレエ作品の中では数少ない、気軽な気持ちで観れない演目です。各幕毎に死人が出て、合計11名が殺され、自死します。観客側にもしっかりした気持ちの強さを求められますが、それでも観に行って良かったと心から思える作品です。
あと、11月2日〜5日まで一公演ずつ、計四公演上演されます。2・4日は小野絢子さん、3・5日は米沢唯ちゃんの主演日です。両キャストが理想ですが、どちらか片方でも観劇されることを強くお勧めします。私は3・5日と、あと二公演観劇します。これ程の幸せな体験は、そうそうありません。
2016年10月22日土曜日
国立劇場 歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」第一部 感想
今日は、国立劇場にて歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の第一部を観劇しました。国立劇場開場50周年記念事業の目玉として、三部に分けて「仮名手本忠臣蔵」を上演する企画の、第一弾となります。10月公演では四段目まで、大雑把に言えば、塩冶判官が切腹するまでの場面となります。
あぜくら会に入会し、頑張ってチケ取りしましたため、とちり中央席確保しての観劇となりました!
開演10分前に、エヘン口上人形が出てきて、配役を述べて行きますが、これは聞いておいた方がいいでしょう。この口上自体がと言うよりは、後になって「エヘン」がキーワードになるからです。
私にとって印象に残った箇所は、まずは二段目の「桃井館力弥使者の場」で、小浪と力弥とのウブっぷりが素晴らしい。小浪役の中村米吉は本当に可愛いい娘に化けていて、実は男であることを知らなければ惚れてしまいそうです!
三段目の「門前の場」は諧謔の場面で笑える箇所です。加古川本蔵を謀殺するべく練習する場面で、「エヘンと言ったら、何もかも打ち捨てバッサリ」の場面では、大受けしてしまいました♪詳細は、本番を観ましょうね♪♪
四段目で塩冶判官切腹後の焼香の場面では、香りが客席まで漂って来ます。四段目の空気感は、月並みな言い方だけど、やはり緊迫するものです。私にとって涙腺が決壊しそうになった場面は、切腹の場面ではなく、最後に家来たちが去り、大星由良之助が一人になった場面でありました。誰もいなくなって、冷静さを保っていた感情をはじめて露わにする由良之助の姿に、心を動かされずにはいられません。
今回の国立劇場のプロダクションでは、カットされる事が多い場面も上演されているとのこと、これ故に、この「仮名手本忠臣蔵」の構成の巧みさを思い知らされます。シリアスな場面だけでなく、小浪と力弥との初々しい恋の場面や、「エヘンと言ったら、何もかも打ち捨てバッサリ」の場面と言ったような諧謔を挿入して、観客を惹きつけています。国立劇場開場50周年記念に相応しい、名作の真価を味わいました。
あぜくら会に入会し、頑張ってチケ取りしましたため、とちり中央席確保しての観劇となりました!
開演10分前に、エヘン口上人形が出てきて、配役を述べて行きますが、これは聞いておいた方がいいでしょう。この口上自体がと言うよりは、後になって「エヘン」がキーワードになるからです。
私にとって印象に残った箇所は、まずは二段目の「桃井館力弥使者の場」で、小浪と力弥とのウブっぷりが素晴らしい。小浪役の中村米吉は本当に可愛いい娘に化けていて、実は男であることを知らなければ惚れてしまいそうです!
三段目の「門前の場」は諧謔の場面で笑える箇所です。加古川本蔵を謀殺するべく練習する場面で、「エヘンと言ったら、何もかも打ち捨てバッサリ」の場面では、大受けしてしまいました♪詳細は、本番を観ましょうね♪♪
四段目で塩冶判官切腹後の焼香の場面では、香りが客席まで漂って来ます。四段目の空気感は、月並みな言い方だけど、やはり緊迫するものです。私にとって涙腺が決壊しそうになった場面は、切腹の場面ではなく、最後に家来たちが去り、大星由良之助が一人になった場面でありました。誰もいなくなって、冷静さを保っていた感情をはじめて露わにする由良之助の姿に、心を動かされずにはいられません。
今回の国立劇場のプロダクションでは、カットされる事が多い場面も上演されているとのこと、これ故に、この「仮名手本忠臣蔵」の構成の巧みさを思い知らされます。シリアスな場面だけでなく、小浪と力弥との初々しい恋の場面や、「エヘンと言ったら、何もかも打ち捨てバッサリ」の場面と言ったような諧謔を挿入して、観客を惹きつけています。国立劇場開場50周年記念に相応しい、名作の真価を味わいました。
2016年10月9日日曜日
Israel Galván, ’SOLO’, Nagoya perfomance, review イスラエル=ガルバン 「SOLO」 名古屋公演 感想
2016年10月8・9日 土・日曜日
Saturday 8th October 2016
Sunday 9th October 2016
愛知県芸術劇場小ホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater, The Mini Theater (Nagoya, Japan)
演目:「SOLO」(2007年初演)
ダンサー:イスラエル=ガルバン(Israel Galván, 1973年, Sevilla, Andulucía, España生まれ)
イスラエル=ガルバンは、2016年10月7日から16日まで「あいちトリエンナーレ2016」に招聘され、上記演目を愛知県芸術劇場小ホールにて10月7日から9日まで一公演ずつ、計3公演上演した。
この演目とは別に、10月15・16日に、名古屋市芸術創造センターにて「FLA.CO.MEN」をも上演している。
一都市で二演目以上の公演を実施するのは異例のようで、キュレーターの熱意・力量の賜物と思われる。また、イスラエル=ガルバンは「あいちトリエンナーレ2016」での公演のためだけに本拠地から旅行し、名古屋以外の都市での公演を行わなかった。
担当キュレーターは、愛知県芸術劇場シニアプロデューサーの唐津絵理さんである。
「あいちトリエンナーレ2016」パフォーミングアーツ部門で、一番最初に出演が決まったのが、イスラエル=ガルバンであったとのことである。
この感想は、2016年10月8・9日の、第二・第三公演に対するものである。なお、私はフラメンコその他ダンスの知識はなく、私の感じたことをそのまま記したものである。小学生の感想文レベルであることをお許し願いたい。
愛知県芸術劇場の小ホールは、舞台・客席の配置を自由に変えられる構造を有している。関東圏で言えば、新国立劇場小劇場が類似した構造を有している。今回は、出演者・スタッフのみにしか見えないスペースが全くない設定で、観客席の数は269席の設定である。
ホワイエと同一の高さの床面(以下「ホワイエ床面」という)を基調にしており、舞台はホワイエ床面から約30cm程かさ上げされている。座席は三面に配置されている。
下手側・上手側には、それぞれ2列11+12=23席の席が配置される。1列目はホワイエ床面、2列目はかさ上げされている。
正面席は、1列目から7列目の舞台左右端よりも中央側は段階的に床面を下げられ、一番前の席の床面はホワイエ床面の-20cmくらいであろうか。よって、一番前の席と舞台との床面の差はおよそ50cm程である。舞台左右端よりも外側については、1列目から7列目までホワイエ床面である。8列目以降は、ロールバック式客席(20席×5列=100席)となる。
舞台からホワイエ床面に降りると、舞台左右沿い・1列目から7列目席の外側両側通路・7列目と8列目の席の間の通路が・全て同じ高さで構成される。まるでこの’SOLO’のために作られたかのような、構造である。
舞台の上は、フラメンコ靴で床面を傷めないようにするためであろうか、黒い板が張られている。幕は一切用いられない。照明は白熱色の電球を用い、上演中全く同一の照度を保つ。スポットライトも用いられない。BGMもない。よって、イスラエル=ガルバンの身一つで、足踏みしたり、声を出したり、体を叩いたりして音を出さなければならない。後半になって、一部残響増幅装置を用いる箇所があるが、これも音自体はイスラエルが出し、その音を増幅させず、長く残響させるだけの装置であると私には思える。
ホールの扉が閉まった後、上手側から登場し、上手側席の奥方を通過して、舞台最後方中央に立つ。これが最初のポジションである。ここから、手を叩き始めて演技が始まる。前述したとおり、フラメンコ靴を床に叩いたり、声を出したり、体を叩いたりしてリズムを刻み、踊る。言葉にすれば、それだけの事である。
何の技法を用いているのかは、知識のない私には言えない。
振りは、8日公演と9日公演とで、全て違っていると言って過言ではない。
公演開始X分後に客席に降りて観客を構ったり、後半の時点で残響増幅装置を用いた踊りを開始したり、45分後になったら舞台下手側からのホワイエ床面を客席後方に向かい、7列目から8列目の間で下手側から上手側に移動して客席パフォーマンスを行い上手側を舞台奥方端まで進み、舞台に上がって中央まで進み、最初のポジションで「どうもありがと」と言って終演するという骨格だけは決まっているが、その間に何を踊るのかは、その時のイスラエルの気分次第と言うところか。
踊りの内容は、’FLA.CO.MEN’をご覧になった観客に分かるように説明すると、舞台・客席とも暗転した中をイスラエルが一周する直前に、舞台下手側で一人で踊っている場面があるが、そのシーンを45分続けると説明すれば、大きな間違いはないと思う。’FLA.CO.MEN’は、他の六人との音楽家も同格にイスラエルとわたり合う総合芸術であるのに対し、’SOLO’は100%イスラエルのダンスでありリズムであり歌であり、舞台が近くて観客との緊密な一体感の下で演じられる演目であり、性質が全く違う。頭の切り替えが必要となる。
8日の公演では、フラメンコの様式に則っている方向性に感じられた。闘牛とも大きな鳥とも想像させるポーズが多かった。「あん、あん、あんあん・・・」とちょっと官能的な声でリズムを取ったりもする。客席に降りては、観客の前50cmでタップダンスのような踊りを披露したり、観客の手を叩いたりする。好奇心旺盛で楽しそうな表情をしている観客がいたりする一方で、唖然とした表情の観客がいたりして、面白い。そのような観客との相互作用がある性質があるので、観客も試される演目でもある。まあ試されると言ったって、目の前にある踊りを純粋に楽しめばいいだけのことであるけど。
舞台下手から上手へ、上手から下手へと動く場面も多く、その場面では、正面から向かってくるイスラエルを上手側・下手側席の客も味わえる。
楽しく、心臓の鼓動が高まるからなのか、時間はあっという間に過ぎ去り、20分ちょっとで終わってしまったような気持ちで、もっと楽しい時間を過ごしたい気持ちになる。一日目からもあったそうであるが、手拍子付きスタンディングオベーションで終えた。終演後は、登場時とは逆に下手側から去る。カーテンコールは下手側から出入りした。
終演後のアフタートークでは、愛知県芸術劇場小ホールは、気持ちの良い音が出るとの、イスラエルのコメントがあった。舞台が上下方向に可動であり、舞台床には空洞があるため、足踏みした音がよく響くのも要因の一つであったのか。
9日の千秋楽は、何もかもかなぐり捨て、フラメンコの様式に則っているというよりは、より自由な方向性に舵をとったように見えた。以下、その時の私がtwitterに記した感想を書こう。
「今日のIstael は大胆不敵!Israelが狂った!Israelが暴走した。今日のIsrael は言葉に尽くせない凶暴な何かだ!舞踊ファンで今日名古屋にいなかった方は、一生後悔するだろう!まさしく大名演!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場。あんなに凄く凶暴なダンスはない。こんな名演は数年に一度観れたら、聴けたらいいものだ。何もかもかなぐり捨て、獰猛な本能を観客に見せつけた!日本に於ける今年のダンス部門のダントツトップ公演決定である!心臓の鼓動が収まらない!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場、千秋楽。あんな凶暴なダンスを見せつけられて狂わない観客はいない!今日観た観客の中で、心臓発作で死ぬ者が50名は出る!名古屋中の循環器専門医師たちよ、覚悟するがいい!今日はIsraelを観劇した観客の波状攻撃を受けるだろう!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場、千秋楽。「アン、アン、アンアン・・・」と事情を知らない人たちが聞いたら妖しいシャウトしながら金山駅のホームを歩きそうになる。新幹線の車内でやってしまいそうで怖い。頼む、警察に通報しないでくれ!!」
我ながら、どう考えても狂った感想である。8日の演技とは、冒頭の手を叩く場面から空気感が違っていた。尋常ではない、どこか凶暴さを感じさせる雰囲気の下で、手拍子が進められていく。一回目の観客とのコミュニケーションの時間では、最前列の観客とは、Holaとあいさつを交わし握手する程のテンションの高さだ。8日の観客は、楽しそうに笑っていたが、今日の観客は笑い方が変である。何か、気持ちが高揚しているけど、可笑しいから笑うが、しかし高揚した気持ちが勝って変な笑い方になるのだ。
イスラエルは、歌って踊っている間にパッションが抑えられなくなったのか、シャウトまでし始める。後半、残響増幅装置を使っている場面では、舞台奥にある壁を叩きだした。まさに暴走と言って差し支えない。凶暴なダンスであり、獰猛な本性を露わにした、まさに名演である。
終演の合図とともに熱狂的な拍手+スタンディングオベーションが発生する。観客の中に、足で床を叩く人物まで現れ始め、空洞のある床構造故に、これが良く響き、手拍子+足拍子付きの総立ち状態となる。最後は、最前列の観客との連続握手があり、熱狂的な観客から、思わず出てしまったであろうカスティージャ語で「Gracias!! Muchas Gracias!!」と叫び声が上がる。その後下手側扉にイスラエルが去り、公演を終えた。
インターネット上に ’SOLO’ の上演記録がアップされているが、この名古屋公演の熱狂的な演技を再現したものにはなっていない。出回っている記録の10倍は素晴らしい内容だったと、自信をもって言うことができる。
一週間後に同じ名古屋で上演された、 ’FLA.CO.MEN’ に関しては下記リンク先ブログ「la dolce vita」を参照願いたい。私も15・16日公演の両方に臨席したが、私が思ったことについても的確に記述されていり、いちいち私が述べる必要もないだろう。
http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2016/10/1015flacomen-0a.html
Saturday 8th October 2016
Sunday 9th October 2016
愛知県芸術劇場小ホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater, The Mini Theater (Nagoya, Japan)
演目:「SOLO」(2007年初演)
ダンサー:イスラエル=ガルバン(Israel Galván, 1973年, Sevilla, Andulucía, España生まれ)
イスラエル=ガルバンは、2016年10月7日から16日まで「あいちトリエンナーレ2016」に招聘され、上記演目を愛知県芸術劇場小ホールにて10月7日から9日まで一公演ずつ、計3公演上演した。
この演目とは別に、10月15・16日に、名古屋市芸術創造センターにて「FLA.CO.MEN」をも上演している。
一都市で二演目以上の公演を実施するのは異例のようで、キュレーターの熱意・力量の賜物と思われる。また、イスラエル=ガルバンは「あいちトリエンナーレ2016」での公演のためだけに本拠地から旅行し、名古屋以外の都市での公演を行わなかった。
担当キュレーターは、愛知県芸術劇場シニアプロデューサーの唐津絵理さんである。
「あいちトリエンナーレ2016」パフォーミングアーツ部門で、一番最初に出演が決まったのが、イスラエル=ガルバンであったとのことである。
この感想は、2016年10月8・9日の、第二・第三公演に対するものである。なお、私はフラメンコその他ダンスの知識はなく、私の感じたことをそのまま記したものである。小学生の感想文レベルであることをお許し願いたい。
愛知県芸術劇場の小ホールは、舞台・客席の配置を自由に変えられる構造を有している。関東圏で言えば、新国立劇場小劇場が類似した構造を有している。今回は、出演者・スタッフのみにしか見えないスペースが全くない設定で、観客席の数は269席の設定である。
ホワイエと同一の高さの床面(以下「ホワイエ床面」という)を基調にしており、舞台はホワイエ床面から約30cm程かさ上げされている。座席は三面に配置されている。
下手側・上手側には、それぞれ2列11+12=23席の席が配置される。1列目はホワイエ床面、2列目はかさ上げされている。
正面席は、1列目から7列目の舞台左右端よりも中央側は段階的に床面を下げられ、一番前の席の床面はホワイエ床面の-20cmくらいであろうか。よって、一番前の席と舞台との床面の差はおよそ50cm程である。舞台左右端よりも外側については、1列目から7列目までホワイエ床面である。8列目以降は、ロールバック式客席(20席×5列=100席)となる。
舞台からホワイエ床面に降りると、舞台左右沿い・1列目から7列目席の外側両側通路・7列目と8列目の席の間の通路が・全て同じ高さで構成される。まるでこの’SOLO’のために作られたかのような、構造である。
舞台の上は、フラメンコ靴で床面を傷めないようにするためであろうか、黒い板が張られている。幕は一切用いられない。照明は白熱色の電球を用い、上演中全く同一の照度を保つ。スポットライトも用いられない。BGMもない。よって、イスラエル=ガルバンの身一つで、足踏みしたり、声を出したり、体を叩いたりして音を出さなければならない。後半になって、一部残響増幅装置を用いる箇所があるが、これも音自体はイスラエルが出し、その音を増幅させず、長く残響させるだけの装置であると私には思える。
ホールの扉が閉まった後、上手側から登場し、上手側席の奥方を通過して、舞台最後方中央に立つ。これが最初のポジションである。ここから、手を叩き始めて演技が始まる。前述したとおり、フラメンコ靴を床に叩いたり、声を出したり、体を叩いたりしてリズムを刻み、踊る。言葉にすれば、それだけの事である。
何の技法を用いているのかは、知識のない私には言えない。
振りは、8日公演と9日公演とで、全て違っていると言って過言ではない。
公演開始X分後に客席に降りて観客を構ったり、後半の時点で残響増幅装置を用いた踊りを開始したり、45分後になったら舞台下手側からのホワイエ床面を客席後方に向かい、7列目から8列目の間で下手側から上手側に移動して客席パフォーマンスを行い上手側を舞台奥方端まで進み、舞台に上がって中央まで進み、最初のポジションで「どうもありがと」と言って終演するという骨格だけは決まっているが、その間に何を踊るのかは、その時のイスラエルの気分次第と言うところか。
踊りの内容は、’FLA.CO.MEN’をご覧になった観客に分かるように説明すると、舞台・客席とも暗転した中をイスラエルが一周する直前に、舞台下手側で一人で踊っている場面があるが、そのシーンを45分続けると説明すれば、大きな間違いはないと思う。’FLA.CO.MEN’は、他の六人との音楽家も同格にイスラエルとわたり合う総合芸術であるのに対し、’SOLO’は100%イスラエルのダンスでありリズムであり歌であり、舞台が近くて観客との緊密な一体感の下で演じられる演目であり、性質が全く違う。頭の切り替えが必要となる。
8日の公演では、フラメンコの様式に則っている方向性に感じられた。闘牛とも大きな鳥とも想像させるポーズが多かった。「あん、あん、あんあん・・・」とちょっと官能的な声でリズムを取ったりもする。客席に降りては、観客の前50cmでタップダンスのような踊りを披露したり、観客の手を叩いたりする。好奇心旺盛で楽しそうな表情をしている観客がいたりする一方で、唖然とした表情の観客がいたりして、面白い。そのような観客との相互作用がある性質があるので、観客も試される演目でもある。まあ試されると言ったって、目の前にある踊りを純粋に楽しめばいいだけのことであるけど。
舞台下手から上手へ、上手から下手へと動く場面も多く、その場面では、正面から向かってくるイスラエルを上手側・下手側席の客も味わえる。
楽しく、心臓の鼓動が高まるからなのか、時間はあっという間に過ぎ去り、20分ちょっとで終わってしまったような気持ちで、もっと楽しい時間を過ごしたい気持ちになる。一日目からもあったそうであるが、手拍子付きスタンディングオベーションで終えた。終演後は、登場時とは逆に下手側から去る。カーテンコールは下手側から出入りした。
終演後のアフタートークでは、愛知県芸術劇場小ホールは、気持ちの良い音が出るとの、イスラエルのコメントがあった。舞台が上下方向に可動であり、舞台床には空洞があるため、足踏みした音がよく響くのも要因の一つであったのか。
9日の千秋楽は、何もかもかなぐり捨て、フラメンコの様式に則っているというよりは、より自由な方向性に舵をとったように見えた。以下、その時の私がtwitterに記した感想を書こう。
「今日のIstael は大胆不敵!Israelが狂った!Israelが暴走した。今日のIsrael は言葉に尽くせない凶暴な何かだ!舞踊ファンで今日名古屋にいなかった方は、一生後悔するだろう!まさしく大名演!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場。あんなに凄く凶暴なダンスはない。こんな名演は数年に一度観れたら、聴けたらいいものだ。何もかもかなぐり捨て、獰猛な本能を観客に見せつけた!日本に於ける今年のダンス部門のダントツトップ公演決定である!心臓の鼓動が収まらない!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場、千秋楽。あんな凶暴なダンスを見せつけられて狂わない観客はいない!今日観た観客の中で、心臓発作で死ぬ者が50名は出る!名古屋中の循環器専門医師たちよ、覚悟するがいい!今日はIsraelを観劇した観客の波状攻撃を受けるだろう!」
「Israel Galván 'SOLO' 愛知県芸術劇場、千秋楽。「アン、アン、アンアン・・・」と事情を知らない人たちが聞いたら妖しいシャウトしながら金山駅のホームを歩きそうになる。新幹線の車内でやってしまいそうで怖い。頼む、警察に通報しないでくれ!!」
我ながら、どう考えても狂った感想である。8日の演技とは、冒頭の手を叩く場面から空気感が違っていた。尋常ではない、どこか凶暴さを感じさせる雰囲気の下で、手拍子が進められていく。一回目の観客とのコミュニケーションの時間では、最前列の観客とは、Holaとあいさつを交わし握手する程のテンションの高さだ。8日の観客は、楽しそうに笑っていたが、今日の観客は笑い方が変である。何か、気持ちが高揚しているけど、可笑しいから笑うが、しかし高揚した気持ちが勝って変な笑い方になるのだ。
イスラエルは、歌って踊っている間にパッションが抑えられなくなったのか、シャウトまでし始める。後半、残響増幅装置を使っている場面では、舞台奥にある壁を叩きだした。まさに暴走と言って差し支えない。凶暴なダンスであり、獰猛な本性を露わにした、まさに名演である。
終演の合図とともに熱狂的な拍手+スタンディングオベーションが発生する。観客の中に、足で床を叩く人物まで現れ始め、空洞のある床構造故に、これが良く響き、手拍子+足拍子付きの総立ち状態となる。最後は、最前列の観客との連続握手があり、熱狂的な観客から、思わず出てしまったであろうカスティージャ語で「Gracias!! Muchas Gracias!!」と叫び声が上がる。その後下手側扉にイスラエルが去り、公演を終えた。
インターネット上に ’SOLO’ の上演記録がアップされているが、この名古屋公演の熱狂的な演技を再現したものにはなっていない。出回っている記録の10倍は素晴らしい内容だったと、自信をもって言うことができる。
一週間後に同じ名古屋で上演された、 ’FLA.CO.MEN’ に関しては下記リンク先ブログ「la dolce vita」を参照願いたい。私も15・16日公演の両方に臨席したが、私が思ったことについても的確に記述されていり、いちいち私が述べる必要もないだろう。
http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2016/10/1015flacomen-0a.html
2016年10月2日日曜日
Amsterdam Baroque Orchestra, Osaka Concert, (1st October 2016), review アムステルダム-バロック管弦楽団 大阪演奏会 評
2016年10月1日 土曜日
Saturday 1st October 2016
いずみホール (大阪府大阪市)
Izumi Hall (Osaka, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Suite per orchestra n.3 BWV1068 (管弦楽組曲第3番)
Johann Sebastian Bach: Concerto per violino BWV1045 (シンフォニア)
Johann Sebastian Bach: Concerto brandeburghese n.4 BWV1049 (ブランデンブルク協奏曲第4番)
(休憩)
Johann Sebastian Bach: Concerto brandeburghese n.3 BWV1048 (ブランデンブルク協奏曲第3番)
Johann Sebastian Bach: 1. Sinfonia (cantata ‘Am Abend aber desselbigen Sabbats’ BWV42) (カンタータ「この同じ安息日の夕べ」から第一楽章 シンフォニア)
Johann Sebastian Bach: Suite per orchestra n.4 BWV1069 (管弦楽組曲第4番)
clavicembalo: Ton Koopman
orchestra: Amsterdam Baroque Orchestra(アムステルダム-バロック管弦楽団)
direttore: Ton Koopman / トン=コープマン
アムステルダム-バロック管弦楽団(ABO)は、指揮者トン=コープマンとともに日本・韓国ツアーを行い、日本に於いては演奏会を、いずみホール(大阪市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)、計2公演行う。日本に於けるプログラムは全て同一である。
理想的な音響となる中規模ホールでの公演は、いずみホールでの公演だけである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。木管パートは後方中央、ティンパニはその上手側、ナチュラル-トランペットはティンパニの前方、リコーダー-ソロは指揮者のすぐ上手側の位置につく。チェンバロは客席に鍵盤を見せるように配置され、舞台奥に向けて演奏しながら指揮をできるようにしてある。
ティンパニはバロックティンパニのように見受けられたが、残響が少なく鋭く鳴らすタイプではなく、自己残響が長めのタイプである。
着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは8割程で、発売開始直後の売れ行きが良好の割には完売に至らなかった。観客の鑑賞態度は、曲によって若干のフラ拍の感があったが、極めて良好だった。
前半は、いずみホールに馴染んでいない要素もあった。個々の奏者は素晴らしいが、管弦楽全体として、いずみホールの残響に慣れていない感じがあり、輪郭がボヤけている箇所もあった。しかし、プログラムの進行と共に馴染んでいった。また、馴染んでいない前半部に於いても、弦楽のノン-ヴィブラートの響きや、(奏法が極めて難しい)ナチュラル-トランペットが自然な演奏を見せたところ(これ自体が超絶技巧!)が素晴らしい。
前半最後のBWV1049まで進んで、管弦楽全体として響きがまとまって来た。コンサートミストレスが見せた、ハチドリぶんぶんの場面は楽しく聴かせてもらう。また、ちょっと控えめな音量にして攻めた小技も見事に効かせる。本当にノン-ヴィブラートが美しくて大好きだ!どうしてヴィブラートの概念なんて発明されちゃったのだろうね♪二人のリコーダー-ソロも素晴らしい演奏だ。
後半は、弦・チェンバロ・管・打、全てがガッシリと絡み合った素晴らしい演奏を見せた。チェンバロを響かせつつ、かと言って管弦楽が萎縮せず、自分たちの響きを出し切った。
チェンバロは音量を出せず、その響きを出すには管弦楽は控えめな音量を要するが、その制約の下での最善を尽くしたと言って良い。
チェンバロを活かすべき箇所はチェンバロの音色が響くように、逆に管弦楽が前に出るべき箇所はビシッと鳴らす。いずみホールの優れた音響も自分たちのものにして十全に活用する。プログラム最後のBWV1069は、鉄壁な演奏で終わる。
アンコールは、静と動、プログラムの曲の中からのそれぞれのハイライトを一曲ずつ披露する。BWV1068 の第二楽章(いわゆる Air)と、BWV1069 の第五楽章であった。アンコールまでも聴衆が何を求めているかよく考えられた、素晴らしい演奏会であった。
Saturday 1st October 2016
いずみホール (大阪府大阪市)
Izumi Hall (Osaka, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Suite per orchestra n.3 BWV1068 (管弦楽組曲第3番)
Johann Sebastian Bach: Concerto per violino BWV1045 (シンフォニア)
Johann Sebastian Bach: Concerto brandeburghese n.4 BWV1049 (ブランデンブルク協奏曲第4番)
(休憩)
Johann Sebastian Bach: Concerto brandeburghese n.3 BWV1048 (ブランデンブルク協奏曲第3番)
Johann Sebastian Bach: 1. Sinfonia (cantata ‘Am Abend aber desselbigen Sabbats’ BWV42) (カンタータ「この同じ安息日の夕べ」から第一楽章 シンフォニア)
Johann Sebastian Bach: Suite per orchestra n.4 BWV1069 (管弦楽組曲第4番)
clavicembalo: Ton Koopman
orchestra: Amsterdam Baroque Orchestra(アムステルダム-バロック管弦楽団)
direttore: Ton Koopman / トン=コープマン
アムステルダム-バロック管弦楽団(ABO)は、指揮者トン=コープマンとともに日本・韓国ツアーを行い、日本に於いては演奏会を、いずみホール(大阪市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)、計2公演行う。日本に於けるプログラムは全て同一である。
理想的な音響となる中規模ホールでの公演は、いずみホールでの公演だけである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。木管パートは後方中央、ティンパニはその上手側、ナチュラル-トランペットはティンパニの前方、リコーダー-ソロは指揮者のすぐ上手側の位置につく。チェンバロは客席に鍵盤を見せるように配置され、舞台奥に向けて演奏しながら指揮をできるようにしてある。
ティンパニはバロックティンパニのように見受けられたが、残響が少なく鋭く鳴らすタイプではなく、自己残響が長めのタイプである。
着席位置は一階正面中央上手側、観客の入りは8割程で、発売開始直後の売れ行きが良好の割には完売に至らなかった。観客の鑑賞態度は、曲によって若干のフラ拍の感があったが、極めて良好だった。
前半は、いずみホールに馴染んでいない要素もあった。個々の奏者は素晴らしいが、管弦楽全体として、いずみホールの残響に慣れていない感じがあり、輪郭がボヤけている箇所もあった。しかし、プログラムの進行と共に馴染んでいった。また、馴染んでいない前半部に於いても、弦楽のノン-ヴィブラートの響きや、(奏法が極めて難しい)ナチュラル-トランペットが自然な演奏を見せたところ(これ自体が超絶技巧!)が素晴らしい。
前半最後のBWV1049まで進んで、管弦楽全体として響きがまとまって来た。コンサートミストレスが見せた、ハチドリぶんぶんの場面は楽しく聴かせてもらう。また、ちょっと控えめな音量にして攻めた小技も見事に効かせる。本当にノン-ヴィブラートが美しくて大好きだ!どうしてヴィブラートの概念なんて発明されちゃったのだろうね♪二人のリコーダー-ソロも素晴らしい演奏だ。
後半は、弦・チェンバロ・管・打、全てがガッシリと絡み合った素晴らしい演奏を見せた。チェンバロを響かせつつ、かと言って管弦楽が萎縮せず、自分たちの響きを出し切った。
チェンバロは音量を出せず、その響きを出すには管弦楽は控えめな音量を要するが、その制約の下での最善を尽くしたと言って良い。
チェンバロを活かすべき箇所はチェンバロの音色が響くように、逆に管弦楽が前に出るべき箇所はビシッと鳴らす。いずみホールの優れた音響も自分たちのものにして十全に活用する。プログラム最後のBWV1069は、鉄壁な演奏で終わる。
アンコールは、静と動、プログラムの曲の中からのそれぞれのハイライトを一曲ずつ披露する。BWV1068 の第二楽章(いわゆる Air)と、BWV1069 の第五楽章であった。アンコールまでも聴衆が何を求めているかよく考えられた、素晴らしい演奏会であった。
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